「鰹」は日本でつくった字だった——カツオの名は、石のように堅い保存食から始まった
かつお節の「節」ではなく、カツオという名前そのものが、干した保存食から来ています。
江戸時代の本が、そのことをはっきり書き残していました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
江戸の博物家・毛利梅園(もうり・ばいえん)が写したカツオです。
腹の縞も、背の青も、いま魚屋に並ぶものと変わりません。
ただ、絵の左右がびっしり文字で埋まっています。そこに、この魚の名前の来歴が書き込まれていました。
1. 「鰹」は日本でつくった字

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
寛政十一年(1799年)刊の『日本山海名産図会』巻之四に、こんな一行があります。
「鰹の字日本の俗字なり」。
「鰹」は日本でつくられた字だ、というのです。
しかも、つくり方まで書いてあります。「是は延喜式和名抄等に堅魚とあるを二合して制せしなり」。
延喜式や和名抄には「堅魚」と二字で書いてある。それを合わせて一字にこしらえたのが「鰹」だ、と。
魚へんに「堅」。字のかたちが、そのまま説明になっています。
2. 古事記も万葉集も「堅魚」と書いていた

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同じことを、その90年前に貝原益軒が書いています。
宝永六年(1709年)の『大和本草』巻十三、松魚(カツヲ)の項です。
「古事記萬葉集皆作堅魚 而無鰹字 後世合為一字耳」。
古事記も万葉集もみな「堅魚」と書いていて、「鰹」の字は無い。後世に二字を合わせて一字にしただけだ——。
益軒はこれを『常陸国誌』からの引用として紹介しています。
江戸の本草学者たちのあいだで、「鰹=あとからできた字」というのは共通の理解でした。
3. なぜ「堅い魚」なのか

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
では、なぜ堅いのか。最初の図の書き込みに、答えがありました。
「日本上古無食生松魚 只為脯而其堅如石 故作堅魚」。
日本では大昔、カツオを生で食べなかった。ただ脯(ほじし=干し肉)にした。それが石のように堅かった。だから「堅魚」と書いた——。
つまり、カツオという名前が指していたのは、泳いでいる魚ではありません。
干し上げた、堅い塊のほうでした。
いま買ってくるかつお節の、あの堅さです。
4. 1280年前の荷札に、その字が残っている
これは本の中だけの話ではありません。
奈良の都の跡から、実物が出ています。

出典:ColBase(国立文化財機構)/奈良文化財研究所蔵 CC BY 4.0
天平十八年(746年)の荷札木簡。伊豆国賀茂郡三嶋郷から都へ送られた荷につけられていました。
書かれているのは「麁堅魚(あらかつお)」——粗づくりの干しガツオが、拾壱斤拾両(約7.8キロ)。差し出したのは戸主・占部久須理(うらべのくすり)という人です。
長さ32センチ、幅2.7センチの細い板。1280年前、干したカツオに結びつけられて都まで運ばれた札が、そのまま残っています。
上の写真は、駿河国から届いた別の荷札です。釈文は「駿河国駿河郡古家郷猪津里…調荒堅魚七連九節」。
奈良文化財研究所の解説によれば、荒カツオは「なまり節に似たカツオの加工品」。貢進量は十一斤十両(約7.8キロ)と重さで決められていたので、身の数で調整したのだそうです。
数え方にも注目してください。「七連九節」。十本を一連、一本を一節と数えました。
かつお節の「節」は、1300年前から、この魚を数える単位でした。
5. 都に運ばれた、三つのかたち

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
元禄十年(1697年)の『本朝食鑑』は、平安時代の法令集『延喜式』を引いて、カツオがどう納められていたかを書き出しています。
「民部省ニ伊豆貢堅魚煎汁 主計部ニ志摩相模安房紀伊土佐日向豊後貢之 駿河貢堅魚及煮堅魚堅魚煎汁」。
納められた形は三つありました。
- 堅魚——干し固めたもの
- 煮堅魚——煮てから干したもの
- 堅魚煎汁——煮汁を煮つめたもの
三つめの「堅魚煎汁」は、いまでいう濃縮だしにあたります。

出典:ColBase(国立文化財機構)/奈良文化財研究所蔵 CC BY 4.0
液体なので、運ぶには容器が要ります。奈良文化財研究所は、上のような首の細長い壺を「鰹汁を運んだとされる土器」として公開しています。
納めた国は、伊豆・志摩・相模・安房・紀伊・土佐・日向・豊後・駿河。太平洋に面した黒潮沿いの国が並びます。カツオの回遊ルートと、そのまま重なります。
そして『本朝食鑑』は、この項目の見出しそのものを「鰹節 堅魚」としています。鰹節と堅魚は同じもの、という扱いです。
6. 浦島太郎も「堅魚」を釣っていた
『日本山海名産図会』は、万葉集の長歌も引いています。
水江(みずのえ)の浦島子——浦島太郎のもとになった伝説の男が、「堅魚つり鯛つり」していた、というくだりです。
そのあとに注が付いています。「萬葉は聖武の御宇の歌集なり」。万葉集は聖武天皇の時代の歌集だ、と。
浦島太郎が釣っていたのも、字の上では「堅魚」でした。
7. 土佐の海で、どう釣っていたか

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
『日本山海名産図会』巻之四は、「土佐 鰹釣」の見開き図から始まります。
船の上に人が並び、竿を出している。手前の船では、桶に何かを移しています。
本文を読むと、この桶の中身がわかります。
餌は生きた鰯でした。だからカツオ漁の前に、まず鰯網を引くのが決まりだった、と書かれています。
鰯を餌籠に入れ、潮水を張った桶に移す。それを十四、五石ほどの釣舟に載せ、一人が長柄の柄杓でたえず海水を汲み出し、傍らからまた汲み入れて、鰯を生かしておく。
船に乗る釣り人は一艘に十二人。竿の長さは一間(約1.8メートル)、テグスもだいたい一間。
生きた鰯を海面に放つとカツオが躍り上がって集まり、そこへ針を投げれば、たちまち食いつく——。
いまの一本釣りと、やっていることはほとんど同じです。
擬似餌の話も出てきます。鯨の牙や犢牛(こうし)の角に針を通したもの、あるいは牛の角に鶏の羽を加えて水面で振ると、光って鰯の大群のように見える、と。
ただし、そのあとに一言が付いています。「皆是里人のふるまひにして、漁人の所業にはあらず」。これらは土地の人の工夫であって、本職の漁師のやり方ではない、と。
そして、こんな記述もあります。カツオの群れに出くわすと魚が自分から舟に飛び込んでくる。人の力では防げない。あまりに多いときは舟を圧し沈めてしまうので、遠くから見つけて急いで漕ぎ退き、群れが通り過ぎるのを待つ——。
8. 釣ったそばから、節にする

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
次の見開きは、浜の光景です。
船が着き、人が群がる。桶と板が並び、老いも若きも男も女も総出で捌いている。
本文はこの作業をこう書いています。釣舟を渚に寄せ、男女老少を集め、みな桶と板と庖丁を持ち寄る。桶の上に板を渡して俎(まないた)にする。
まず頭を落とし、腹を裂き、骨を除いて二枚におろす。それをさらに二つに切って、一尾を四挺(よんちょう)にする。
釣る、浜に上げる、その場で四つに割る。カツオが「節」になるまでの流れが、一枚の絵と数行の文に収まっています。

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
その先の工程を描いたのが上の図です。題は「鰹節製造之圖」。
右の男が板の上で身を切り分け、左の男が釜で煮ている。手前には燃料の薪が束ねてあります。
捌く、煮る、干す。「堅魚」が石のように堅くなるまでの現場です。
9. 1799年の本に、すでに「タタキ」がある
巻之四の終わりのほうに、こんな一行があります。
「鰹魚のタゝキといふ物あり」。
勢州(伊勢)・紀州・遠江のものを上品とする、と続きます。
カツオのタタキという名前が、200年以上前の本にそのまま出てきます。
ただし、この一行のすぐあとに「即醢(ひしお)なり」とあります。醢は塩辛のこと。いまの土佐のタタキ(表面をあぶって切る料理)と同じものかどうかは、この一文だけでは決められません。
名前だけが先にあって、中身が入れ替わったのかもしれません。
10. では「あの作り方」はいつからか
名前ではなく作り方のほうを探すと、もっと古い本に行き当たります。

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
延享二年(1745年)の写本『傳演味玄集(でんえんみげんしゅう)』。著者は諸星吮潮斎(もろほし・せんちょうさい)です。
そのカツオの項に、こんな見出しがあります。「同 火當膾(ひあてなます)」。
火に当てる鱠、という名前です。
本文は写本のくずし字で、全部は読み切れません。それでも、はっきり読める語が並んでいます。
「鰹身」「串をさして」「火を焚て」「皮の方」「身の方」「白く」「冷水」。
カツオの身を串に刺す。火をおこして皮の側をあぶる。身の側も白くなるまであぶる。そして冷水にとる。
いまのカツオのタタキと、ほとんど同じ順番です。
ただし、これを「タタキの起源」と呼ぶことはできません。名前が違いますし、読み切れない行も残っています。もっと古い記録が別の本にある可能性も消えません。
言えるのはひとつだけです。「タタキ」という名前より先に、「皮を焼いて冷水にとる」という作り方のほうが本に載っていた。
11. 梅園が並べた、五つの名前

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
最初の図に戻ります。
梅園はカツオの脇に、名前を出典つきで並べていました。
- 東医宝鑑出 松魚(カツヲ)
- 常陸国志出 鰹魚(カツヲ)或曰肥満魚
- 古事記及萬葉集出 堅魚(カツヲ)
- 和名抄曰 鰹魚 加豆乎
- 雑字簿 鉛錘魚(カツホ)
どの名前がどの本に出てくるのか、いちいち書き分けています。
「加豆乎(かづを)」は万葉仮名。「鉛錘(えんすい)」は釣りのおもりのことで、体の形からの見立てでしょう。
そして左端に日付。「保四巳年四月廿有七日真寫」——天保四年(1833年)四月二十七日、実物を見て写した、と。
ここでも三番目に「古事記及萬葉集出 堅魚」が挙がっています。名前の出発点がどこかを、梅園も承知していました。
12. 同じころ、絵手本にも描かれていた

出典:国書データベース/国文学研究資料館蔵 パブリックドメイン
絵手本『北齋畫鑑』にも、カツオがいます。
下段の中央、「鰹(かつを)」の字のとなり。上の段にはタコ、まわりにはスルメやキダイ。
本草書が名前の由来を考証している同じころ、絵の手本のほうでは、この魚は「描いて覚えるべき形」として並んでいました。
13. いまのカツオ
学名は Katsuwonus pelamis (Linnaeus, 1758)。サバ科です。
属名の Katsuwonus は、日本語の「カツオ」をラテン語風にしたものだと説明されています。種小名 pelamis のほうは、アリストテレスまでさかのぼる、マグロ類を指す古い呼び名から。
「堅魚」から生まれた和名が、そのまま世界共通の属名になりました。
最大の記録は全長110センチ、重さ34.5キロ。分布は黒海を除く熱帯・温帯の全海域で、水深0〜260メートル。表層で群れをつくり、鳥や漂流物、サメやクジラのまわりに集まる習性があります。
資源のほうは、いま楽な状況ではありません。
水産研究・教育機構が2025年6月23日に公表した予測では、その年6〜11月の常磐・三陸沖へのカツオの来遊量は「昨年及び過去10年の平均を下回る」と見込まれました。
近海の一本釣りとまき網が対象にしている、あの夏から秋の群れです。
この記事で使った資料
資料 | この記事で使った箇所 | 条件 |
|---|---|---|
『梅園魚品図正』2帖(毛利梅園・1833年/NDL PID:1287112) | コマ23=カツオの図・異名一覧・「堅魚」の由来 | 著作権保護期間満了 |
『大和本草』巻十三(貝原益軒・1709年/NDL PID:2557359) | コマ24=松魚の項「古事記萬葉集皆作堅魚」 | 著作権保護期間満了 |
『本朝食鑑』(人見必大・1697年/NDL PID:2557334) | コマ20=「鰹節 堅魚」の項、延喜式の貢納国 | 著作権保護期間満了 |
『日本山海名産図会』巻之四(蔀関月・1799年/NDL PID:2575829) | コマ4=土佐 鰹釣図/コマ5=漁法/コマ6=浜の加工図/コマ8=「鰹の字日本の俗字なり」/コマ11=万葉集・延喜式・タタキ | 著作権保護期間満了 |
伊豆国からの鰹の荷札木簡(奈良文化財研究所蔵) | 天平十八年(746年)「麁堅魚 拾壱斤拾両」 | 文化遺産オンライン掲載情報 |
平城京木簡(奈良文化財研究所蔵) | 駿河国からの「調荒堅魚七連九節」の荷札/鰹汁を運んだとされる土器 | ColBase・CC BY 4.0 |
『傳演味玄集』延享2年(1745)諸星吮潮斎(味の素食の文化センター蔵) | コマ32=「同 火當膾」の項 | 国書データベース・CC BY-SA 4.0 |
『水産小学』(味の素食の文化センター蔵) | コマ68=鰹節製造之圖 | 国書データベース・CC BY-SA 4.0 |
『北齋畫鑑』(国文学研究資料館蔵) | コマ18=鰹の図 | 国書データベース・パブリックドメイン |
出典: 国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』2帖 / 『大和本草』 / 『本朝食鑑』 / 『日本山海名産図会』巻之四 / 文化遺産オンライン「伊豆国からの鰹の荷札木簡」 / ColBase「平城京木簡(駿河国 調荒堅魚)」 / 国書データベース『傳演味玄集』 / 国書データベース『水産小学』 / 国書データベース『北齋畫鑑』 / FishBase: Katsuwonus pelamis / The ETYFish Project: Scombriformes / 水産研究・教育機構「令和7年度常磐・三陸沖カツオ長期来遊資源動向予測」
まとめ:名前は、干物のほうから来た
カツオという名前は、泳いでいる魚ではなく、干し固めた保存食を指す言葉でした。
石のように堅いから「堅魚」。その二字を合わせて、日本人が「鰹」という字をつくった。
746年の荷札には「麁堅魚」と書かれ、延喜式では堅魚・煮堅魚・堅魚煎汁の三つの形で都へ運ばれ、江戸の土佐では十二人乗りの舟が生き餌でそれを釣り上げていた。
だしを取るたびに、私たちはその名前を使っています。
「カツオ」という名前の由来は何ですか?
「鰹」という漢字はいつからあるのですか?
古代のカツオはどんな形で税として納められたのですか?
江戸時代のカツオの一本釣りはどんなものでしたか?
カツオの学名 Katsuwonus pelamis はどういう意味ですか?
カツオのタタキはいつからある料理ですか?
SAKANA 編集部
良輔 × Claude(Anthropic)
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 人間が判断し、AIが調査を支援する協働プロジェクトです。