魚図鑑

「鰹」は日本でつくった字だった——カツオの名は、石のように堅い保存食から始まった

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かつお節の「節」ではなく、カツオという名前そのものが、干した保存食から来ています。

江戸時代の本が、そのことをはっきり書き残していました。

『梅園魚品図正』2帖に描かれたカツオ(NDL PID:1287112 コマ23)
天保四年(1833年)四月二十七日に写生されたカツオ。左右の余白は名前と由来の書き込みで埋まっている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

江戸の博物家・毛利梅園(もうり・ばいえん)が写したカツオです。

腹の縞も、背の青も、いま魚屋に並ぶものと変わりません。

ただ、絵の左右がびっしり文字で埋まっています。そこに、この魚の名前の来歴が書き込まれていました。

1. 「鰹」は日本でつくった字

『日本山海名産図会』巻之四、「鰹の字日本の俗字なり」の赤枠注釈と翻刻
左が原本の該当する列(赤枠)、右がその翻刻と現代語訳。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

寛政十一年(1799年)刊の『日本山海名産図会』巻之四に、こんな一行があります。

「鰹の字日本の俗字なり」

「鰹」は日本でつくられた字だ、というのです。

しかも、つくり方まで書いてあります。「是は延喜式和名抄等に堅魚とあるを二合して制せしなり」

延喜式や和名抄には「堅魚」と二字で書いてある。それを合わせて一字にこしらえたのが「鰹」だ、と。

魚へんに「堅」。字のかたちが、そのまま説明になっています。

2. 古事記も万葉集も「堅魚」と書いていた

『大和本草』巻十三、カツオの表記に関する記述の赤枠注釈と翻刻
赤枠は該当する2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

同じことを、その90年前に貝原益軒が書いています。

宝永六年(1709年)の『大和本草』巻十三、松魚(カツヲ)の項です。

「古事記萬葉集皆作堅魚 而無鰹字 後世合為一字耳」

古事記も万葉集もみな「堅魚」と書いていて、「鰹」の字は無い。後世に二字を合わせて一字にしただけだ——。

益軒はこれを『常陸国誌』からの引用として紹介しています。

江戸の本草学者たちのあいだで、「鰹=あとからできた字」というのは共通の理解でした。

3. なぜ「堅い魚」なのか

『梅園魚品図正』2帖コマ23、「堅魚」の由来を説明した箇所の赤枠注釈と翻刻
赤枠は該当する2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

では、なぜ堅いのか。最初の図の書き込みに、答えがありました。

「日本上古無食生松魚 只為脯而其堅如石 故作堅魚」

日本では大昔、カツオを生で食べなかった。ただ脯(ほじし=干し肉)にした。それが石のように堅かった。だから「堅魚」と書いた——。

つまり、カツオという名前が指していたのは、泳いでいる魚ではありません。

干し上げた、堅い塊のほうでした。

いま買ってくるかつお節の、あの堅さです。

4. 1280年前の荷札に、その字が残っている

これは本の中だけの話ではありません。

奈良の都の跡から、実物が出ています。

駿河国から「調 荒堅魚」を納めた荷札木簡(平城京跡出土・奈良文化財研究所蔵)
同じ木簡の表と裏。釈文は「駿河国駿河郡古家郷猪津里…調荒堅魚七連九節」(ColBaseによる)。
出典:ColBase(国立文化財機構)/奈良文化財研究所蔵 CC BY 4.0

天平十八年(746年)の荷札木簡。伊豆国賀茂郡三嶋郷から都へ送られた荷につけられていました。

書かれているのは「麁堅魚(あらかつお)」——粗づくりの干しガツオが、拾壱斤拾両(約7.8キロ)。差し出したのは戸主・占部久須理(うらべのくすり)という人です。

長さ32センチ、幅2.7センチの細い板。1280年前、干したカツオに結びつけられて都まで運ばれた札が、そのまま残っています。

上の写真は、駿河国から届いた別の荷札です。釈文は「駿河国駿河郡古家郷猪津里…調荒堅魚七連九節」。

奈良文化財研究所の解説によれば、荒カツオは「なまり節に似たカツオの加工品」。貢進量は十一斤十両(約7.8キロ)と重さで決められていたので、身の数で調整したのだそうです。

数え方にも注目してください。「七連九節」。十本を一連、一本を一節と数えました。

かつお節の「節」は、1300年前から、この魚を数える単位でした。

5. 都に運ばれた、三つのかたち

『本朝食鑑』の「鰹節 堅魚」の項、延喜式の貢納国を挙げた箇所の赤枠注釈と翻刻
赤枠は該当する2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

元禄十年(1697年)の『本朝食鑑』は、平安時代の法令集『延喜式』を引いて、カツオがどう納められていたかを書き出しています。

「民部省ニ伊豆貢堅魚煎汁 主計部ニ志摩相模安房紀伊土佐日向豊後貢之 駿河貢堅魚及煮堅魚堅魚煎汁」

納められた形は三つありました。

  • 堅魚——干し固めたもの
  • 煮堅魚——煮てから干したもの
  • 堅魚煎汁——煮汁を煮つめたもの

三つめの「堅魚煎汁」は、いまでいう濃縮だしにあたります。

「鰹汁を運んだとされる土器」(奈良文化財研究所蔵)
首の細長い壺。奈良文化財研究所はこれを「鰹汁を運んだとされる土器」として公開している。
出典:ColBase(国立文化財機構)/奈良文化財研究所蔵 CC BY 4.0

液体なので、運ぶには容器が要ります。奈良文化財研究所は、上のような首の細長い壺を「鰹汁を運んだとされる土器」として公開しています。

納めた国は、伊豆・志摩・相模・安房・紀伊・土佐・日向・豊後・駿河。太平洋に面した黒潮沿いの国が並びます。カツオの回遊ルートと、そのまま重なります。

そして『本朝食鑑』は、この項目の見出しそのものを「鰹節 堅魚」としています。鰹節と堅魚は同じもの、という扱いです。

6. 浦島太郎も「堅魚」を釣っていた

『日本山海名産図会』は、万葉集の長歌も引いています。

水江(みずのえ)の浦島子——浦島太郎のもとになった伝説の男が、「堅魚つり鯛つり」していた、というくだりです。

そのあとに注が付いています。「萬葉は聖武の御宇の歌集なり」。万葉集は聖武天皇の時代の歌集だ、と。

浦島太郎が釣っていたのも、字の上では「堅魚」でした。

7. 土佐の海で、どう釣っていたか

『日本山海名産図会』巻之四の「土佐 鰹釣」の見開き図(NDL PID:2575829 コマ4)
巻之四はこの見開きから始まる。手前の船では桶の中身を扱っている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

『日本山海名産図会』巻之四は、「土佐 鰹釣」の見開き図から始まります。

船の上に人が並び、竿を出している。手前の船では、桶に何かを移しています。

本文を読むと、この桶の中身がわかります。

餌は生きた鰯でした。だからカツオ漁の前に、まず鰯網を引くのが決まりだった、と書かれています。

鰯を餌籠に入れ、潮水を張った桶に移す。それを十四、五石ほどの釣舟に載せ、一人が長柄の柄杓でたえず海水を汲み出し、傍らからまた汲み入れて、鰯を生かしておく。

船に乗る釣り人は一艘に十二人。竿の長さは一間(約1.8メートル)、テグスもだいたい一間。

生きた鰯を海面に放つとカツオが躍り上がって集まり、そこへ針を投げれば、たちまち食いつく——。

いまの一本釣りと、やっていることはほとんど同じです。

擬似餌の話も出てきます。鯨の牙や犢牛(こうし)の角に針を通したもの、あるいは牛の角に鶏の羽を加えて水面で振ると、光って鰯の大群のように見える、と。

ただし、そのあとに一言が付いています。「皆是里人のふるまひにして、漁人の所業にはあらず」。これらは土地の人の工夫であって、本職の漁師のやり方ではない、と。

そして、こんな記述もあります。カツオの群れに出くわすと魚が自分から舟に飛び込んでくる。人の力では防げない。あまりに多いときは舟を圧し沈めてしまうので、遠くから見つけて急いで漕ぎ退き、群れが通り過ぎるのを待つ——。

8. 釣ったそばから、節にする

『日本山海名産図会』巻之四、浜での解体・加工の図(NDL PID:2575829 コマ6)
右の図の題は「海人釣舟を迎て鰹魚を屠る」、左は「鰹魚釣図」「汀に屠る」。浜に人が群がり、桶と板を並べて捌いている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

次の見開きは、浜の光景です。

船が着き、人が群がる。桶と板が並び、老いも若きも男も女も総出で捌いている。

本文はこの作業をこう書いています。釣舟を渚に寄せ、男女老少を集め、みな桶と板と庖丁を持ち寄る。桶の上に板を渡して俎(まないた)にする。

まず頭を落とし、腹を裂き、骨を除いて二枚におろす。それをさらに二つに切って、一尾を四挺(よんちょう)にする

釣る、浜に上げる、その場で四つに割る。カツオが「節」になるまでの流れが、一枚の絵と数行の文に収まっています。

『水産小学』の「鰹節製造之圖」(味の素食の文化センター蔵)
右で捌き、左の釜で煮る。手前には燃料の薪。
出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0

その先の工程を描いたのが上の図です。題は「鰹節製造之圖」

右の男が板の上で身を切り分け、左の男が釜で煮ている。手前には燃料の薪が束ねてあります。

捌く、煮る、干す。「堅魚」が石のように堅くなるまでの現場です。

9. 1799年の本に、すでに「タタキ」がある

巻之四の終わりのほうに、こんな一行があります。

「鰹魚のタゝキといふ物あり」

勢州(伊勢)・紀州・遠江のものを上品とする、と続きます。

カツオのタタキという名前が、200年以上前の本にそのまま出てきます。

ただし、この一行のすぐあとに「即醢(ひしお)なり」とあります。醢は塩辛のこと。いまの土佐のタタキ(表面をあぶって切る料理)と同じものかどうかは、この一文だけでは決められません。

名前だけが先にあって、中身が入れ替わったのかもしれません。

10. では「あの作り方」はいつからか

名前ではなく作り方のほうを探すと、もっと古い本に行き当たります。

『傳演味玄集』の「火當膾」の項(味の素食の文化センター蔵)
右端の見出しが「同 火當膾」。左に続く数行に「鰹身」「串をさして」「火を焚て」「皮の方」「身の方」「冷水」といった語が読み取れる。
出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0

延享二年(1745年)の写本『傳演味玄集(でんえんみげんしゅう)』。著者は諸星吮潮斎(もろほし・せんちょうさい)です。

そのカツオの項に、こんな見出しがあります。「同 火當膾(ひあてなます)」

火に当てる鱠、という名前です。

本文は写本のくずし字で、全部は読み切れません。それでも、はっきり読める語が並んでいます。

「鰹身」「串をさして」「火を焚て」「皮の方」「身の方」「白く」「冷水」

カツオの身を串に刺す。火をおこして皮の側をあぶる。身の側も白くなるまであぶる。そして冷水にとる。

いまのカツオのタタキと、ほとんど同じ順番です。

ただし、これを「タタキの起源」と呼ぶことはできません。名前が違いますし、読み切れない行も残っています。もっと古い記録が別の本にある可能性も消えません。

言えるのはひとつだけです。「タタキ」という名前より先に、「皮を焼いて冷水にとる」という作り方のほうが本に載っていた

11. 梅園が並べた、五つの名前

『梅園魚品図正』2帖コマ23の右下、カツオの異名を出典つきで並べた部分
右から「東医宝鑑出 松魚」「常陸国志出 鰹魚 或曰肥満魚」「古事記及萬葉集出 堅魚」「和名抄曰 鰹魚 加豆乎」「雑字簿 鉛錘魚」。左端に「保四巳年四月廿有七日真寫」の日付。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

最初の図に戻ります。

梅園はカツオの脇に、名前を出典つきで並べていました。

  • 東医宝鑑出 松魚(カツヲ)
  • 常陸国志出 鰹魚(カツヲ)或曰肥満魚
  • 古事記及萬葉集出 堅魚(カツヲ)
  • 和名抄曰 鰹魚 加豆乎
  • 雑字簿 鉛錘魚(カツホ)

どの名前がどの本に出てくるのか、いちいち書き分けています。

「加豆乎(かづを)」は万葉仮名。「鉛錘(えんすい)」は釣りのおもりのことで、体の形からの見立てでしょう。

そして左端に日付。「保四巳年四月廿有七日真寫」——天保四年(1833年)四月二十七日、実物を見て写した、と。

ここでも三番目に「古事記及萬葉集出 堅魚」が挙がっています。名前の出発点がどこかを、梅園も承知していました。

12. 同じころ、絵手本にも描かれていた

『北齋畫鑑』に描かれたカツオ(国文学研究資料館蔵)
下段中央に「鰹」の字。まわりにタコ、スルメ、キダイなどが並ぶ。
出典:国書データベース/国文学研究資料館蔵 パブリックドメイン

絵手本『北齋畫鑑』にも、カツオがいます。

下段の中央、「鰹(かつを)」の字のとなり。上の段にはタコ、まわりにはスルメやキダイ。

本草書が名前の由来を考証している同じころ、絵の手本のほうでは、この魚は「描いて覚えるべき形」として並んでいました。

13. いまのカツオ

学名は Katsuwonus pelamis (Linnaeus, 1758)。サバ科です。

属名の Katsuwonus は、日本語の「カツオ」をラテン語風にしたものだと説明されています。種小名 pelamis のほうは、アリストテレスまでさかのぼる、マグロ類を指す古い呼び名から。

「堅魚」から生まれた和名が、そのまま世界共通の属名になりました。

最大の記録は全長110センチ、重さ34.5キロ。分布は黒海を除く熱帯・温帯の全海域で、水深0〜260メートル。表層で群れをつくり、鳥や漂流物、サメやクジラのまわりに集まる習性があります。

資源のほうは、いま楽な状況ではありません。

水産研究・教育機構が2025年6月23日に公表した予測では、その年6〜11月の常磐・三陸沖へのカツオの来遊量は「昨年及び過去10年の平均を下回る」と見込まれました。

近海の一本釣りとまき網が対象にしている、あの夏から秋の群れです。

この記事で使った資料

資料

この記事で使った箇所

条件

『梅園魚品図正』2帖(毛利梅園・1833年/NDL PID:1287112)

コマ23=カツオの図・異名一覧・「堅魚」の由来

著作権保護期間満了

『大和本草』巻十三(貝原益軒・1709年/NDL PID:2557359)

コマ24=松魚の項「古事記萬葉集皆作堅魚」

著作権保護期間満了

『本朝食鑑』(人見必大・1697年/NDL PID:2557334)

コマ20=「鰹節 堅魚」の項、延喜式の貢納国

著作権保護期間満了

『日本山海名産図会』巻之四(蔀関月・1799年/NDL PID:2575829)

コマ4=土佐 鰹釣図/コマ5=漁法/コマ6=浜の加工図/コマ8=「鰹の字日本の俗字なり」/コマ11=万葉集・延喜式・タタキ

著作権保護期間満了

伊豆国からの鰹の荷札木簡(奈良文化財研究所蔵)

天平十八年(746年)「麁堅魚 拾壱斤拾両」

文化遺産オンライン掲載情報

平城京木簡(奈良文化財研究所蔵)

駿河国からの「調荒堅魚七連九節」の荷札/鰹汁を運んだとされる土器

ColBase・CC BY 4.0

『傳演味玄集』延享2年(1745)諸星吮潮斎(味の素食の文化センター蔵)

コマ32=「同 火當膾」の項

国書データベース・CC BY-SA 4.0

『水産小学』(味の素食の文化センター蔵)

コマ68=鰹節製造之圖

国書データベース・CC BY-SA 4.0

『北齋畫鑑』(国文学研究資料館蔵)

コマ18=鰹の図

国書データベース・パブリックドメイン

出典: 国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』2帖 / 『大和本草』 / 『本朝食鑑』 / 『日本山海名産図会』巻之四 / 文化遺産オンライン「伊豆国からの鰹の荷札木簡」 / ColBase「平城京木簡(駿河国 調荒堅魚)」 / 国書データベース『傳演味玄集』 / 国書データベース『水産小学』 / 国書データベース『北齋畫鑑』 / FishBase: Katsuwonus pelamis / The ETYFish Project: Scombriformes / 水産研究・教育機構「令和7年度常磐・三陸沖カツオ長期来遊資源動向予測」

まとめ:名前は、干物のほうから来た

カツオという名前は、泳いでいる魚ではなく、干し固めた保存食を指す言葉でした。

石のように堅いから「堅魚」。その二字を合わせて、日本人が「鰹」という字をつくった。

746年の荷札には「麁堅魚」と書かれ、延喜式では堅魚・煮堅魚・堅魚煎汁の三つの形で都へ運ばれ、江戸の土佐では十二人乗りの舟が生き餌でそれを釣り上げていた。

だしを取るたびに、私たちはその名前を使っています。

「カツオ」という名前の由来は何ですか?
干し固めた保存食としての堅さに由来します。『梅園魚品図正』2帖コマ23には「日本上古無食生松魚 只為脯而其堅如石 故作堅魚」=日本では大昔、生のカツオを食べず脯(干し肉)にした、それが石のように堅かったので「堅魚」と書いた、と記されています。
「鰹」という漢字はいつからあるのですか?
『日本山海名産図会』巻之四(1799年)は「鰹の字日本の俗字なり」=日本でつくられた字だとし、「是は延喜式和名抄等に堅魚とあるを二合して制せしなり」=延喜式や和名抄にある「堅魚」の二字を合わせて一字にしたものだ、と説明しています。『大和本草』(1709年)も『常陸国誌』を引いて「古事記萬葉集皆作堅魚 而無鰹字 後世合為一字耳」と書いています。
古代のカツオはどんな形で税として納められたのですか?
『本朝食鑑』(1697年)が延喜式を引くところによれば、堅魚(干したもの)・煮堅魚(煮て干したもの)・堅魚煎汁(煮汁を煮つめたもの)の三つの形がありました。納めた国として伊豆・志摩・相模・安房・紀伊・土佐・日向・豊後・駿河が挙げられています。実物としても、天平十八年(746年)に伊豆国賀茂郡三嶋郷から「麁堅魚 拾壱斤拾両」を納めた荷札木簡が平城宮跡から出土しています。駿河国からの荷札には「調荒堅魚七連九節」とあり、十本を一連、一本を一節と数えました。かつお節の「節」は、この数え方に由来します。
江戸時代のカツオの一本釣りはどんなものでしたか?
『日本山海名産図会』巻之四(1799年)の「土佐 鰹釣」の項によれば、餌は生きた鰯で、カツオ漁の前にまず鰯網を引くのが常でした。鰯を桶に入れて潮水をそそぎ、十四、五石ほどの釣舟に載せ、一人が長柄の柄杓で海水を入れ替えて生かしておきます。釣り人は一艘に十二人、竿もテグスも長さ一間ほど。生きた鰯を海面に放つとカツオが集まり、そこへ針を投げると食いつく、と書かれています。
カツオの学名 Katsuwonus pelamis はどういう意味ですか?
Katsuwonus pelamis (Linnaeus, 1758) はサバ科の魚です。ETYFish Project によれば、属名 Katsuwonus は日本語の「カツオ」をラテン語風にしたもの、種小名 pelamis はアリストテレスまでさかのぼるマグロ類の古い呼び名に由来します。FishBase では最大全長110センチ、最大重量34.5キロ、黒海を除く熱帯・温帯の全海域に分布する高度回遊性の魚とされています。
カツオのタタキはいつからある料理ですか?
『日本山海名産図会』巻之四(1799年)に「鰹魚のタゝキといふ物あり」と名前が出てきますが、直後に「即醢(ひしお)なり」=塩辛だと続くため、いまの土佐のタタキと同じものかは決められません。一方、作り方のほうは延享二年(1745年)の写本『傳演味玄集』に「同 火當膾(ひあてなます)」という項があり、本文に「鰹身」「串をさして」「火を焚て」「皮の方」「身の方」「白く」「冷水」といった語が読み取れます。カツオを串に刺して皮と身をあぶり冷水にとる手順で、現在のタタキとほぼ同じです。ただしこれをタタキの起源と断定することはできません。

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SAKANA 編集部

良輔 × Claude(Anthropic)

論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 人間が判断し、AIが調査を支援する協働プロジェクトです。

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