
ナマコの口はなぜ裂けている? 古事記の一行と江戸のいりこ作り
ナマコの口が裂けている理由は『古事記』に書いてあります。返事をしなかったので、天宇受賣命に小刀で裂かれた――江戸の食物百科『本朝食鑑』も、海鼠の項をこの話から書き起こしています。そして干したナマコは千年間、税であり輸出品でした。原本画像で読みます。

ナマコの口が裂けている理由は『古事記』に書いてあります。返事をしなかったので、天宇受賣命に小刀で裂かれた――江戸の食物百科『本朝食鑑』も、海鼠の項をこの話から書き起こしています。そして干したナマコは千年間、税であり輸出品でした。原本画像で読みます。

金魚がいつ日本に来たのかを江戸の本で確かめると、『金魚養玩草』は文亀二年(1502年)、『大和本草』は元和年中(1615〜24年)。100年以上ずれています。しかも古い年を書いた本は「ある人が言うには」と断り、証拠の書物は失われたと明記していました。原本画像で読みます。

「さんまは目黒に限る」の由来をたどると、落語の速記より前に明治26年の小学校修身教科書に行き着きます。江戸の本を全文検索すると「初鰹」は133冊、「初さんま」は実質ゼロ。原本画像で確かめます。

ナマズと地震が結びついた安政の江戸。その百年前の本には「関東には鯰なきよし」とあります。享保十四年の出水で江戸にナマズが現れたという記録を、原本画像で読みます。

ドジョウ養殖の歴史は元禄までさかのぼります。『本朝食鑑』に田んぼで牛馬の糞を使って養う者がいると記され、しかも「形は肥大なりと雖も、味も亦美ならず」。原本画像で読みます。

源五郎鮒の由来を江戸の本四冊で引くと、四冊とも別人でした。琵琶湖の漁師、大津の魚商人、堅田の漁師——いま釣りで親しまれるヘラブナと同じ魚の名を原本画像でたどります。

江戸の白魚は隅田川の名物ですが、もとは誰かが「蒔いた」魚だと書かれています。『甲子夜話』は「白魚ハ種ヲマケバ生ズルモノナリ」。白魚役の願書と突き合わせて原本画像で読みます。

ヒラメとカレイの違いは「左ヒラメ右カレイ」。この左右への注目は安永四年の『物類称呼』が漁師の話として書き留めています。ただし江戸の魚市では大きければヒラメでした。

コハダとコノシロの違いは大きさで、大きくなると寿司屋から消えます。江戸の武士がこの魚を食べなかったのは「この城を食う」の響きを忌んだから。『本朝食鑑』を原本画像で読みます。

アユが餌で釣れない理由を元禄十年の『本朝食鑑』が書いています。「ただ蠅を好む」。だから遠州・大井川の漁師は馬の尾で蠅の頭に似せた毛鉤を作りました。原本画像でたどります。

江戸時代のサンマは「魚中の下品」でした。『和漢三才図会』は独立項目すら立てず、脂は灯油に取られ、いつわってサヨリの名で売られていた。「秋刀魚」の字が現れるまでを原本画像で追います。

鰆の漢字の由来は「狭腹」、腹が狭いからです。春の魚だからではありません。『日本山海名産図会』は「鰆の字も亦国俗の制なり」=日本で作った字だと断ります。原本画像で読みます。