鯉が「魚の王」だった900年——江戸の辞典9冊を「鯉」で引く
この記事の目次
人見必大の『本朝食鑑』は、鯉の項の書き出しで鯉を「諸魚之長」、つまり魚の王に据えていますが、よく読むと必大自身の評価ではなく、昔からそう言われている、という前置きつきの紹介でした。いまの食卓ではあまり見かけなくなった川魚が、江戸時代の本草書や百科事典ではどの本でも上座に置かれていて、その置き方が一冊ごとに少しずつ違います。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』巻1(NDL PID:1287112 コマ6・著作権保護期間満了)
平安の辞書から江戸後期の本草書まで9冊を、国立国会図書館デジタルコレクションの画像で開きました。どの本にも出てくる「鱗が三十六枚」という話と、鯉が龍になる話も、本ごとに扱いが違っています。
目録から鯉の項へ降りる
江戸の本には今のような索引がないので、9冊それぞれの目録(目次)のコマを開いて「鯉」が立っているかを見て、立っていれば本文のコマへ降りる、という順で読みました。
たとえば人見必大の『本朝食鑑』(元禄10年・1697年刊とされる食べ物の百科)は、巻七の目録を開くと(PID:2557333 コマ135)、「鱗部之一 河湖有鱗類十一種」の最初に「鯉魚」が立っています。本文は次のコマ136から始まります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557333 コマ135・著作権保護期間満了)
9冊のうち8冊に鯉の項がありました。まず顔ぶれを並べ、そのあと平安の辞書から順に開いていきます。いちばん強い言葉が出てくるのは、この『本朝食鑑』の本文の冒頭です。
今回あたった9つの古文献
成立年の順に並べます。いずれも国立国会図書館デジタルコレクションで画像を見られる資料です。活字本や後の版で見たものは、そう書き添えました。
書名 | 成立 | 著者 | 鯉の扱い |
|---|---|---|---|
箋注倭名類聚抄 | 931年頃(源順の原典)。見たのは明治16年刊の活字本 | 源順(狩谷棭斎 注) | 独立項(古比)。三十六鱗は棭斎の注 |
頭書増補訓蒙図彙 | 1695年 | 中村惕斎 | 独立項+図。頭書に三十六鱗と効き目 |
本朝食鑑 | 1697年 | 人見必大 | 巻七の筆頭。「諸魚之長」 |
大和本草 | 1709年 | 貝原益軒 | 巻十三「河魚」の筆頭。「河海諸魚ノ内最貴者」 |
和漢三才図会 | 1712年頃。見たのは明治18年刊の活字本 | 寺島良安 | 巻四十八「河湖有鱗魚」の筆頭+図 |
東雅 | 1717年。見たのは明治36年刊の活字本 | 新井白石 | 独立項(「ヒ」で終わる魚名) |
物類称呼 | 1775年 | 越谷吾山 | 独立項(武蔵での小さい鯉の呼び名) |
日本山海名産図会 | 1799年 | 蔀関月 画 | 5巻の目録に鯉なし |
本草綱目啓蒙 | 1803年。見たのは弘化4年刊の重訂版 | 小野蘭山 | 巻之四十「鱗之三」の筆頭。六六魚などの別名 |
8冊が鯉を項目に立て、そのうち『本朝食鑑』『大和本草』『和漢三才図会』『本草綱目啓蒙』の4冊は、川や湖の魚を並べた部の最初に鯉を置いています。
載せなかった『日本山海名産図会』は、各地の名産とその漁や製法を図で紹介する本です。5巻の目録には伊勢の鰒、丹後の鰤、土佐の堅魚などが並びますが、鯉はありません(巻之三 PID:2575828 コマ2、巻之四 PID:2575829 コマ2)。巻之四には「諏訪湖八目鰻」が立っていて、諏訪湖そのものは名産の地として出てきます。そこで取り上げられたのは、鯉ではなく八目鰻でした。
古代:鯉は「コヒ(古比)」と読んだ
『箋注倭名類聚抄』(源順、931年頃 / 狩谷棭斎 注)
鯉を日本語で何と呼んだかをたどると、平安中期に源順がまとめた辞書『倭名類聚抄』に行き着きます。今回開いたのは、狩谷棭斎がこれに詳しい注をつけた『箋注倭名類聚抄』を、明治16年(1883)に印刷局が活字にした本です(PID:991791 コマ23)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(明治16年 印刷局刊・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:991791 コマ23・著作権保護期間満了)
【原文】
「鯉魚 七卷食經云、鯉魚(上音里、古比)」
【現代語訳】
鯉魚。『七巻食経』に「鯉魚」とあり、音は「里」、和名は「古比(こひ)」。棭斎の注には「下總本有和名二字」(下総本には「和名」の二字がある)とあり、写本によって書き方が違ったことも記されています。
「三十六鱗」が出てくるのは、源順の本文ではなく、この棭斎の注のほうです。注は、『北戸録』が引く陳思王の言葉として「五尺之鯉一寸之鯉、但大小殊而鱗之數等同」(五尺の鯉も一寸の鯉も、大きさは違っても鱗の数は同じ)を挙げ、続けて『酉陽雑俎』の「鯉背中鱗一道毎鱗有小黑點大小皆三十六鱗」(鯉の背の中ほどの鱗の一列は、どの鱗にも小さな黒い点があり、大小を問わずみな三十六枚)を引いています。
注はさらに『爾雅翼』を引いて、その一列は脇の真ん中の一筋のことで「非脊也」(背ではない)とも書いています。三十六枚を数える場所は、背なのか、脇なのか。この食い違いは、あとで開く江戸の本にもそのまま出てきます。
江戸前期の絵入り辞典:『頭書増補訓蒙図彙』(1695年)
中村惕斎の絵入り事典『訓蒙図彙』に、頭書(ページ上段の解説)を加えた版です。鯉はコマ18に図つきで出てきます。同じ見開きには、海の鯖や鰺、川の年魚(あゆ)なども並んでいます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(元禄8年刊・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557103 コマ18・著作権保護期間満了)
【内容の要旨】
頭書はくずし字のため逐語の引用は控えますが、鯉は頭から尾まで鱗の大小がなく三十六鱗あること、煮て食べれば咳や黄疸、水腫(むくみ)などを治すこと——という趣旨が読み取れます。
絵入りの入門書でも、鯉の解説は「三十六鱗」から始まっていました。
人見必大『本朝食鑑』(1697)——「鯉は魚の主、諸魚の長」
巻七「鱗部之一 河湖有鱗」の筆頭
人見必大の『本朝食鑑』は、食べ物を一つずつ取り上げ、名前・形・味・効き目を漢文で記した本です。巻七の目録(コマ135)で最初に立つのが「鯉魚」でした。本文はコマ136から始まります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557333 コマ136・著作権保護期間満了)
【原文】(コマ136、集解の冒頭)
「古曰鯉最爲魚之主、故後人爲諸魚之長。是能神變躍登禹門之故乎。其脊鱗一道、從頭至尾無大小三十六鱗」(訓点・送り仮名は省略)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557333 コマ136・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
古曰鯉最爲魚之主故後人爲諸魚之長
現代語訳
古来、鯉は「魚の主(あるじ)」とされてきた。だから後世の人は、鯉を「諸魚の長(おさ)」としたのである。
【現代語訳】
古くから「鯉は最も魚の主である」と言われ、それゆえ後の人は鯉を諸魚の長とした。これは鯉が神変して躍り上がり、禹門(龍門)を登ることができるからだろうか。その背の鱗の一列は、頭から尾まで大小なく三十六鱗である。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557333 コマ136・著作権保護期間満了)
「諸魚之長」は、必大が自分の評価として書いた言葉ではありません。「古曰」——昔からこう言われている、と前置きして紹介しています。
「予嘗試之」——必大は自分でも試していた
三十六鱗の一文には続きがあります。同じコマの左端の列を一字ずつ追うと、「無大小三十六鱗」のすぐ下に「予嘗試之」の4字が続いています。「予(われ)嘗(かつ)て之(これ)を試(こころ)む」——私も以前、これを試してみた、という意味です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557333 コマ136・著作権保護期間満了)
中国の本にある数字を、書き写して終わりにはしなかったわけです。ただし、試して何枚だったのかは書いていません。筆はそのまま、鬚が口をはさみ、目は大きく丸い(「鬚夾口、眼大而圓」)という鯉の姿の話に移ります。
産地の品評——淀川が第一
次のコマ137では、産地ごとの味を比べています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557333 コマ137・著作権保護期間満了)
【原文要旨】(コマ137)
- 「先以城州淀河爲第一」——まず山城国の淀川の鯉を第一とする
- 「宇治勢多琵琶湖次之」——宇治・勢多(瀬田)・琵琶湖がそれに次ぐ
- 「江東所賞美者、江都淺草川・常州箕輪田之鯉也」——江戸で賞美されるのは、江戸の浅草川と常陸国箕輪田の鯉
- 「信之諏訪湖亦美、然路遠不能送其鮮」——信濃の諏訪湖の鯉もうまいが、道が遠く生のまま送れない(そこで塩漬けや鮓にして送る、と続く)
- 「凡西都之鯉者水清流潜、魚肥多脂、肉色紅白相交而麗、如桃花盛開」——京の鯉は水が清く流れが深く、身は肥えて脂が多く、肉の色は紅と白が混じって美しく、満開の桃の花のよう
- 「淺草之鯉者水濁」「肉色淡白略帯微紅、如桃花闌盡」「稍覺泥氣」——浅草の鯉は水が濁り、肉は白っぽく少し紅を帯びて、盛りを過ぎた桃の花のよう。やや泥のにおいがする
- 「予往年遊信之諏訪湖邊而膾鮮鯉」「魚味不減西都之物也」——私は以前、諏訪湖のほとりで新しい鯉を膾にして食べた。味は京の鯉に劣らなかった
京の鯉は「桃花盛開」、浅草の鯉は「桃花闌盡」。同じ桃の花のたとえで、満開と散りぎわを書き分けています。そして諏訪湖については、遠くて生では届かないと書いたうえで、自分が現地で食べた味を添えています。ここでも必大は「予」——自分の体験を書き込んでいました。
効き目——肉から鱗まで
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
【原文要旨】(コマ137〜139)
- 肉は「甘温無毒」。小便を通じ、腫れ・黄疸・喘嗽(せき)・湿熱の病、子どもの急な下痢などを治す(コマ137)
- 眼は「鮮鯉眼胞及珠子一箇、冷水飲之、則乳汁迸出最妙」——新しい鯉の目玉を一つ冷水で飲めば、乳がほとばしり出る。ただし「内虛不通者無驗」——体が弱って出ない人には効かない、と断っている(コマ138)
- 膽(胆)は、目の赤い痛みや熱をもった腫れに胆汁を点す(コマ139)
- 鱗は焼いて灰にし、痔瘻・骨鯁(のどに刺さった骨)・吐血を治す。婦人の血崩・帯下が長く止まらないときは、醤とともに香ばしく炒って食べる(コマ139)
肉だけでなく、目・胆・鱗にまで効き目が書かれています。コマ138の「発明」の欄には、寇宗奭の説として「鯉至陰之物其鱗三十六」——鯉はきわめて陰の物で、その鱗は三十六、という一文も引かれていて、三十六という数を陰陽で説明する考え方があったことが分かります。
貝原益軒『大和本草』(1709)——「河海諸魚ノ内最貴者」
貝原益軒の『大和本草』は、巻十三「魚之上」を「河魚」の総論から始め、その直後の最初の項に鯉を置いています(PID:2557359 コマ4)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(宝永6年刊・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ4・著作権保護期間満了)
【原文】
「鯉 河海諸魚ノ内最貴者。尓雅釋魚以鯉冠篇。神農書曰鯉為魚之主。和漢共ニ是ヲ上品トス。両傍ノ一條ノ鱗大小トナク皆三十六アリ。煮食ヘハ水腫ヲ治シ小便ヲ利シ脾胃ヲ補フ。作膾温補ス。新鮮ナルハ尤美。山州淀ノ産ヲ佳トス」
【現代語訳】
鯉は、川の魚と海の魚のすべての中で、最も貴い魚である。『爾雅』の釈魚篇は鯉を篇の最初に置いている。神農の書にも「鯉は魚の主」とある。和漢ともにこれを上品とする。両脇の一列の鱗は、大小にかかわらずみな三十六ある。煮て食べれば水腫を治し、小便を通じ、脾胃を補う。膾にすれば体を温め補う。新鮮なものはことにうまい。山城国淀の産を佳品とする。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ4・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
河海諸魚ノ内最貴者
現代語訳
川の魚も海の魚も、すべての中で最も貴い魚である。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ4・著作権保護期間満了)
見ておきたいのは鱗の数え方です。益軒は「両傍ノ一條」——左右の脇の一列で三十六、と書きました。必大の『本朝食鑑』は「脊鱗一道」、背の一列でした。棭斎が注に引いた『爾雅翼』が「背ではない」と言っていたのと、ちょうど同じところで本が分かれています。
寺島良安『和漢三才図会』(1712頃)——図つきの筆頭
寺島良安の百科事典『和漢三才図会』は、巻四十八「河湖有鱗魚」の最初に鯉を図つきで置いています。今回開いたのは、明治18年(1885)に中近堂が出した活字本です(PID:898161 コマ179)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(明治18年 中近堂刊・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:898161 コマ179・著作権保護期間満了)
【原文要旨】(コマ179)
- 「本草綱目云鯉爲魚品上」——『本草綱目』に「鯉は魚の品の上」とある
- 「陰魚故有六六陰數」——陰の魚なので六六(=三十六)の陰の数をもつ
- 「其脇一道從頭至尾無大小皆三十六鱗」——脇の一列は頭から尾まで、大小なくみな三十六鱗
- 「能神變至飛越江湖」——神変して江湖を飛び越えるほどである
- 「鯉脊上兩筋及黑血有毒」——背の上の二筋と黒い血には毒がある
大きさと年数・産地(コマ180)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
【原文要旨】(コマ180、良安の按語)
- 頭から尾の分かれ目までが一尺ほどで二年、三年で一尺一二寸、四年で一尺三四寸、五年で一尺五六寸。六年以上は年数が分からない。三尺に近いものはまれ
- 「三尺有餘者呼曰尺之鯉、有化龍之勢」——三尺を超えるものは「尺の鯉」と呼ばれ、龍に化けそうな勢いがある
- 「城州淀川者最良」——山城の淀川のものが最もよい
- 「武州淺草川・常州箕輪田次之」——武蔵の浅草川、常陸の箕輪田がそれに次ぐ
- 「江州琵琶湖・信州諏訪湖者亦共佳」——近江の琵琶湖、信濃の諏訪湖のものもよい
- 「奧州北地鮒有而鯉全無」——奥州の北のほうには鮒はいるが鯉はまったくいない
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:898161 コマ180・著作権保護期間満了)
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翻刻
三尺有餘者呼曰尺之鯉有化龍之勢
現代語訳
三尺を超えるものは「尺の鯉」と呼ばれ、龍に化ける勢いがある。
龍になる話には「此不必然」が添えてあった
「化龍之勢」の数列前、同じページの右端に、良安は『五雑組』という本を引いています。「俗言鯉能化龍、此不必然」——世間では鯉は龍になると言うが、必ずしもそうではない。
続けて『五雑組』は、鯉には江湖を飛び越える性質があり、ほかの魚が越えられない龍門の急流を「獨鯉能登之、故有成龍之說耳」——鯉だけが登れる、だから龍になるという説があるのだ、と説明しています。
良安は、龍門の話を「必ずしもそうではない」という書き手の言葉で先に紹介し、そのあと自分の按語の中で、三尺を超える鯉に「化龍之勢」がある、と書いています。龍になる、とは書いていません。龍に化けそうな勢いがある、です。
新井白石『東雅』(1717)——「ヒ」で終わる魚名たち
語源の辞典『東雅』の鯉の項は、明治36年(1903)刊の活字本で PID:993111 コマ33 にあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(明治36年 吉川半七刊・著作権保護期間満了)
【原文】
「鯉 コヒ 倭名鈔に七巻食經を引て。鯉魚はコヒと註せり。義不詳。凡魚介の類よびて。ヒといふ物多し。鯉をコヒといひ。鯛をタヒといひ。鱏魚をエヒといひ。王餘魚をカラエヒとも。カレヒともいひ。鮬をセヒといひ。また鰕をエビといひ。貝蛤并にカヒといひ。甲蠃をツビといひ。鰒をアハビといふが如き。本其義ありぬべけれと。今に於ては詳ならす」
【現代語訳】
鯉(コヒ)。『倭名抄』は『七巻食経』を引いて、鯉魚は「コヒ」と注している。意味は分からない。そもそも魚介の類には、呼び名が「ヒ」になるものが多い。鯉をコヒ、鯛をタヒ、鱏(えい)をエヒ、王餘魚(かれい)をカラエヒともカレヒともいい、鮬をセヒという。また鰕をエビ、貝や蛤をあわせてカヒ、甲蠃(巻き貝)をツビ、鰒(あわび)をアハビというのと同じである。もとは何か意味があったのだろうが、今となってはよく分からない。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:993111 コマ33・著作権保護期間満了)
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翻刻
凡魚介の類よびてヒといふ物多し
現代語訳
そもそも魚介の類には、「ヒ」で終わる名前が多い。
白石は鯉の名の由来を「コヒ」一語で考えず、末尾が「ヒ」になる魚介の名前を並べて、共通の由来があるのではないかと見ています。そのうえで「今に於ては詳ならす」と、答えは出していません。
越谷吾山『物類称呼』(1775)——武蔵での小さい鯉の呼び名
各地の呼び名を集めた『物類称呼』の巻二では、鯉の項がコマ28の左端から始まり、次のコマ29に続きます(PID:2539349)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(安永4年刊・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2539349 コマ28・著作権保護期間満了)
【内容の要旨】
くずし字のため逐語の引用は控えますが、項は「武蔵にて鯉魚の小なるを○○と称す」という趣旨の一文から始まります(呼び名の仮名は判読を保留します)。次のコマ29では、その呼び名は「文正」という言葉を言い誤ったものだ、という趣旨が続き、吾山の家の者が鯉をさばこうとした話と句が添えられています。
鯉の項は、この武蔵の呼び名だけを取り上げた短いものです。ほかの国の呼び名は並んでいません。
蔀関月『日本山海名産図会』(1799)——鯉は出てこない
各地の名産品を図で紹介する本です。5巻それぞれの目録を開きましたが、鯉の項はありませんでした。
魚の名産が並ぶのは巻之三と巻之四です。巻之三は伊勢の鰒、伊勢海鰕、丹後の鰤、平戸の鮪、讃州の鰆(PID:2575828 コマ2)、巻之四は土佐の堅魚、越前の海膽、桑名の焼蛤、諏訪湖の八目鰻、明石の章魚など(PID:2575829 コマ2)。なぜ鯉を取り上げなかったのかは、本には書かれていません。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803)——六六魚・龍公子・魚主
小野蘭山の講義を小野職孝が書き留めた本草書です。今回開いたのは弘化4年(1847)刊の重訂版で、巻之四十「鱗之三 魚類三十一種」の最初が「鯉魚」です(PID:2555647 コマ4)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(弘化4年刊・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ4・著作権保護期間満了)
【原文】
「鯉魚 コヒ和名鈔 マゴヒ 一名 …赤鯶公…龍公子 六六魚 錦鱗…魚主…鯉ハ首ヨリ尾ニイタルマデ鱗ノ數三十六アリ故ニ六六魚ノ名アリ…京師ニテハ近江鯽淀鯉ト稱」
【現代語訳】
鯉魚。『和名鈔』の訓はコヒ、いまの呼び名はマゴヒ。別名は…赤鯶公、龍公子、六六魚、錦鱗、魚主…。鯉は頭から尾に至るまで鱗の数が三十六あるので、六六魚の名がある。…京では「近江の鮒、淀の鯉」と称する。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ4・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
鯉ハ首ヨリ尾ニイタルマデ鱗ノ數三十六アリ故ニ六六魚ノ名アリ
現代語訳
鯉は頭から尾に至るまで、鱗の数が三十六ある。だから「六六魚」の名がある。
蘭山が並べた別名には、「揮龍」「龍公子」のように龍の字を含むもの、「六六魚」のように三十六鱗から来たもの、「錦鱗」のように鱗の美しさをいうもの、「魚主」のように格付けを表すものが混じっています。
9冊を並べて見えてきたもの
9冊のうち8冊が鯉を項目に立て、4冊は川や湖の魚の部の最初に置いていました。
「諸魚之長」という言い方そのものは『本朝食鑑』のもので、それも「古曰」と昔からの言い方として紹介したものです。『大和本草』は「河海諸魚ノ内最貴者」、『和漢三才図会』は『本草綱目』を引いて「魚品上」、『本草綱目啓蒙』は別名の一つに「魚主」を挙げています。言い方はそれぞれですが、鯉を魚の上位に置く点は共通しています。
「三十六鱗」は、棭斎の注、『訓蒙図彙』、『本朝食鑑』、『大和本草』、『和漢三才図会』、『本草綱目啓蒙』の6冊に出てきます。ただ、数える場所は「背」(本朝食鑑)と「脇」(大和本草・和漢三才図会)に分かれ、棭斎の注は『爾雅翼』を引いて「背ではない」としていました。そして必大は、その数字のすぐ後に「予嘗試之」と、自分でも試したことを書き添えています。
龍になる話も、そのまま信じられていたわけではありません。良安は「此不必然」という『五雑組』の一文を引いたうえで、三尺を超える鯉に「化龍之勢」がある、と書くにとどめていました。
この記事でわかったこと
今回開いた9冊では、狩谷棭斎が注をつけた『箋注倭名類聚抄』、『頭書増補訓蒙図彙』、『本朝食鑑』、『大和本草』、『和漢三才図会』、『本草綱目啓蒙』の6冊です。
棭斎の注は『酉陽雑俎』の「大小皆三十六鱗」を引いています。数える場所は本によって背と脇に分かれます。
『和漢三才図会』は、三尺を超える鯉に「化龍之勢」(龍に化けそうな勢い)があると書いています。
ただ同じページで『五雑組』の「俗言鯉能化龍、此不必然」(世間では鯉は龍になると言うが、必ずしもそうではない)も引いています。
『本朝食鑑』(人見必大)の鯉の項です(巻七、NDL PID:2557333 コマ136)。
「古曰鯉最爲魚之主、故後人爲諸魚之長」と、昔からの言い方として紹介しています。
『本朝食鑑』は山城の淀川を第一、宇治・勢多・琵琶湖をその次とし、江戸では浅草川と常陸の箕輪田の鯉が好まれると書いています。
『和漢三才図会』も淀川のものを最良としています。
『東雅』の鯉の項で、新井白石はコヒ(鯉)・タヒ(鯛)・エヒ(鱏)・カレヒ・セヒ(鮬)・エビ(鰕)・カヒ(貝・蛤)・ツビ(甲蠃)・アハビ(鰒)と、呼び名の末尾が「ヒ」になる魚介を並べ、もとは意味があったはずだが今はよく分からない、と書いています。
川の魚と海の魚を合わせたすべての中で、最も貴いもの、という意味です。
鯉が海にいるという意味ではありません。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 本朝食鑑 12巻.[2]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
- 日本山海名産圖會 5巻.[3]
法橋關月 画 [18--]
- 日本山海名産圖會 5巻.[4]
法橋關月 画 [18--]
- 箋注倭名類聚抄.巻第8
狩谷棭斎 著 1883
- 頭書増補訓蒙圖彙 21巻.[6]
中村惕斎 編 元禄8 [1695]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 和漢三才図会.中之巻
寺島良安 (尚順) 編 明18
- 東雅 : 20巻目1巻.4(巻之17-20)
新井白石 編・大槻如電 校 1903
- 物類称呼 5巻
越谷吾山 編 安永4 [1775]
- 重訂本草綱目啓蒙 48巻.[17]
蘭山小野先生 口授・小野職孝士徳 録・井口望之蘇仲 訂 弘化4 [1847]
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



