「江戸前」の由来をたどる——もとはウナギの産地を言う呼び名だった
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天保六年(1835年)の序をもつ毛利梅園(もうり・ばいえん)の写生図譜『梅園魚品図正』で、ウナギの見開きの余白に「輪ノ内 筑地 両国川 及神田川筋ニテ釣ル者ヲ江戸前ト云」と書き込まれています。いまは寿司の代名詞のように使われる「江戸前」は、この図譜のなかでは、ウナギがどこで釣れたかを言い分ける呼び名でした。言葉の由来をたどると、江戸の川で釣れるウナギに行き着きます。
梅園は魚を一匹写すたびに絵の余白を文字で埋めつくす人で、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている巻一のコマ27も、絵より書き込みのほうが多いくらいの見開きです。異名、分類、古典の引用、そして産地がぎっしり並んでいます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』巻一(NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)
「江戸前」はウナギの産地の呼び名だった
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)
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輪ノ内 筑地 両国川及神田川筋ニテ釣ル者ヲ江戸前ト云 又本所 千住 高輪前ニテ釣ル河魚ノ味最上品トスヘシ
現代語訳
輪ノ内・築地(原本は「筑地」)・両国川および神田川筋で釣れたものを「江戸前」という。また本所・千住・高輪前で釣れた川魚は、味を最上品とすべきである。
「輪ノ内 筑地 両国川 及神田川筋ニテ釣ル者ヲ江戸前ト云」。輪ノ内、築地(原本の字は「筑地」)、両国川、そして神田川筋で釣れたものを江戸前という、という一文です。
気になったのは、「江戸前ト」の次の小さな字でした。小さく書かれているので「ス」とも読みたくなり、「江戸前トス」なら「江戸前とする」、つまり梅園が自分で線を引いて決めた区分という意味になってしまいます。拡大して、同じ書き込みの最後の列にある「上品トスヘシ」の「ス」と並べてみました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)
左の「ス」は、横に引いてから斜めに払う一筆です。右の字は短い横線の下に「ム」の形が来るので、「云」、「いう」と読む字だと分かります。「〜ト云」は世間でそう呼ばれているという書き方で、梅園が決めた区分ではなく、当時の呼び名を書き留めたものに見えます。
左の「トスヘシ」で終わるのが、続きの「又 本所 千住 高輪前ニテ釣ル河魚ノ味最上品トスヘシ」です。本所・千住・高輪前で釣れた川魚は味を最上品とすべきだ、と、こちらは「とすべし」で梅園自身の判断として書かれています。江戸前と呼ばれる場所と、梅園が味でいちばんとした場所は別の地名なので、この書き込みの「江戸前」は、いちばんうまいという意味ではなく、どこで釣れたかを言う呼び名だったと考えられます。
古名「ムナキ」の出典が万葉集である理由
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)
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鰻鱺魚 ウナギムナキ 古名 萬葉集
現代語訳
見出しは「鰻鱺魚」、読みは「ウナギ」。その左に小さく「ムナキ 古名 萬葉集」=万葉集にみえる古い呼び名はムナキである、と注記している。
見出しは「鰻鱺魚(まんれいぎょ)」、読みは「ウナギ」で、その左に「ムナキ 古名 萬葉集」と小さく注記されています。万葉集にみえる古い呼び名はムナキだ、ということです。
引っかかるのは、古い呼び名の出典が辞書ではなく歌集になっていることでした。梅園はこの見開きで、漢字に日本語の読みを書き添えた平安時代の辞書『和名抄(わみょうしょう)』を何度も引いているので、古い呼び名ならまずこの辞書を挙げてもよさそうなものです。そのわけらしいものが、同じ見開きの右ページの上、「元曰」で始まる書き込みにありました。「元」は梅園の名「元寿」の一字と見られます(NDLの書誌では作者は「毛氏梅園元寿」)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)
「和名鈔以鰻鱺魚訓波之加美伊乎、以鱣魚訓無奈木」。和名抄は「鰻鱺魚」を「はしかみいを」と読ませ、「むなぎ」という読みは「鱣魚」という別の字につけている、と梅園は書いています。左ページの呼び名の一覧にも「ハジカミイヲ 和名抄」と書き添えてあり、和名抄の「鰻鱺魚」は、ウナギとは別の名前で読まれていたことになります。
では「鱣」は何かというと、梅園は続けて「宇奈岐ハ鰻鱺也」、うなぎは鰻鱺であり、「鱣魚ハ不加ト云 鮫之類也」、鱣魚はフカといってサメの仲間だ、と書きます。梅園から見れば和名抄の「むなぎ」はウナギではない字についた読みで、古名「ムナキ」の出典に辞書ではなく万葉集を挙げたのは、そのためのように思えます。和名抄の原本でこの二つの字がどう書かれているかは、「鰻」の漢字の由来の記事で開いています。
梅園は、その万葉集の歌そのものも引いていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)
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萬葉集第十六巻 大伴ノ家持石麻呂ニワレ物申ス 夏ヤセニヨシト云物ゾ ムナギトリメセ
現代語訳
万葉集 巻十六、大伴家持の歌。「石麻呂どのに申し上げる。夏やせによいというものだ、ウナギを取って召し上がれ」。
「萬葉集第十六巻 大伴ノ家持 石麻呂ニワレ物申ス 夏ヤセニ ヨシト云物ゾ ムナギトリメセ」。
石麻呂どのに申し上げる、夏やせによいというものだから、ウナギを取って召し上がれ。夏やせにウナギという話がすでに万葉集の歌にあり、それを江戸の博物家が、魚の解説のなかでウナギの古い呼び名の証拠として引いていたわけです。
川の魚、鱗のない魚の仲間として
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)
ウナギの見出しの右には「河魚類」、続けて「多識扁 無鱗類出」と書かれています。「河魚類」は川の魚の部、「多識扁 無鱗類出」は、『多識編(たしきへん)』という本の「無鱗類」(鱗のない魚の類)に出ている、という注と読めます。『多識編』は林道春が漢字の名に日本語の名を当てた本で、国立国会図書館で公開されている慶安2年(1649年)刊のものでは、「鰻鱺魚」にもう「宇那岐(うなぎ)」の読みがついています(NDL PID:2556077 コマ25)。
同じページには、左下の「鰌魚(アカドチヤウ)」、右の「鷹羽泥鰌」と、ひげのある泥鰌の類も描かれています。右下のドジョウ(鰌魚)の見出しにもウナギと同じ「河魚類」「多識扁無鱗類出」が添えてあって、細長く鱗の目立たない川の魚が、一つの見開きにまとめて写されていました。
頭が二つに分かれたウナギ
出典:国書データベース/北海道大学附属図書館・国文学研究資料館(CC BY-SA 4.0)
『鴨村見聞三筆』という手書きの本には、「岐首鰻鱺(きしゅまんれい)」、頭が二つに分かれたウナギが描かれています。珍しいもの、変わったものを見たら描いて残しておく、そうした記録の一枚で、国書データベースで公開されている北海道大学附属図書館の所蔵本です。CC BY-SAなので、出典を書けば使うことができます。
同じころ、ヨーロッパの本は学名で載せた
出典:Biodiversity Heritage Library/Internet Archive(faunajaponicasi2sieb)著作権保護期間満了
梅園の図譜の序(1835年)から間もないころ、オランダで『日本動物誌(Fauna Japonica)』の魚類編が刊行されはじめます。シーボルトらが日本にいた1823〜1830年に集めた資料をもとに編まれた本で、魚類編は1842年から1850年にかけて出ました。その第113図が上の図版で、右端にはこう刻まれています。
出典:Biodiversity Heritage Library/Internet Archive(faunajaponicasi2sieb)著作権保護期間満了
「II, ANGUILLA JAPONICA. III, CONGER ANAGO.」 II が Anguilla japonica、III が Conger anago で、ウナギとアナゴが1枚の図版に同居しています。
ところが、この番号がすんなりとは読めません。アナゴの前の「III」には斜めの線が引かれ、その上に手書きで「I」と添えてあり、本の持ち主か誰かが番号を直そうとしたようです。図のほうを見ると2匹の魚に振られた番号は「II」と「III」で、「I」の番号がついた図はありません。
本文(フランス語)を開くと、著者もこの番号に触れていました。ウナギの項は「Anguilla japonica, Pl. CXIII, fig. 2」で始まり、脚注には「Cette espèce porte par méprise, sur la planche, le numéro I.」、この種には図版上で誤って I の番号がついている、とあります。次のページのアナゴの項は「Pl. CXIII, fig. 1」で、脚注は「Sur la planche, cette espèce a été désignée par méprise, sous le numéro II.」、図版ではこの種は誤って II の番号で示された、と書いています(出典:同書 p.258〜259)。本文の番号、図版の刻字、図の番号、手書きの訂正がどれも少しずつ食い違っていて、どの絵がウナギなのかは番号だけでは決められない図版でした。
この本で記載された Anguilla japonica は、いまもニホンウナギの学名として使われていて、次に挙げる東京大学大気海洋研究所の資料(2011年)も「ニホンウナギ Anguilla japonica」と書いています。江戸の梅園が「鰻鱺魚」と書いて産地と古名を添えたのとほぼ同じ時代に、ヨーロッパの本は同じ魚を世界共通の学名で記録していたことになります。
産卵場は2000年わからなかった
名前がついても、この魚がどこで卵を産むのかは誰も知りませんでした。東京大学大気海洋研究所の資料は、この謎を「古代ギリシャのアリストテレスを悩ませた2000年におよぶウナギ産卵場の謎」と書いています。
東京大学海洋研究所(現・大気海洋研究所)と水産総合研究センターは2008年から共同で調査を進め、2009年5月の新月、西マリアナ海嶺南端部で、世界初となる天然ウナギの卵31粒を採集しました。学術研究船「白鳳丸」や水産庁の漁業調査船「開洋丸」などを動員した大規模な航海の成果で、2011年2月1日付の Nature Communications に掲載されています。梅園の図譜の序から、およそ175年がたっていました。
ただ、状況は明るくありません。環境省は2013年2月1日に公表した第4次レッドリストで、ニホンウナギを絶滅危惧IB類(EN)に選定しました。漁獲量データにもとづく3世代(12〜45年)での減少率が72〜92%と推定されたためで、江戸で「江戸前」と呼ばれ、神田川で釣れていた魚が、いまは絶滅危惧種になっています。
出典: 東京大学大気海洋研究所・水産総合研究センター「人類が初めて目にした天然ウナギ卵—ウナギ産卵場2000年の謎を解く—」(PDF) / 環境省「第4次レッドリストの公表について(汽水・淡水魚類)」(2013年2月1日)
使った図版の出どころ
図版はどれも公開されているもので、出典を書けば使えます。
資料 | この記事で使った箇所 | 条件 |
|---|---|---|
『梅園魚品図正』巻一(NDL PID:1287112) | コマ27=ウナギの図と解説 | 著作権保護期間満了 |
『多識編』(NDL PID:2556077) | コマ25=鰻鱺魚に宇那岐の読み | 著作権保護期間満了 |
『鴨村見聞三筆』(北海道大学附属図書館蔵) | コマ49=岐首鰻鱺の図 | 国書データベース/CC BY-SA 4.0 |
『日本動物誌』魚類編 | 第113図=Anguilla japonica と Conger anago | BHL/Internet Archive・保護期間満了 |
出典: 国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』巻一 / 国立国会図書館デジタルコレクション『多識編』 / 国書データベース『鴨村見聞三筆』 / Fauna japonica, Pisces(Biodiversity Heritage Library/Internet Archive)
約190年前の紙に梅園が書いた「江戸前」の三文字は、いまは寿司屋の看板に残っています。もとはウナギの、どこの川で釣れたかを言う産地の言葉でした。
この記事でわかったこと
『梅園魚品図正』巻一コマ27には「輪ノ内 筑地 両国川 及神田川筋ニテ釣ル者ヲ江戸前ト云」と書かれています。
輪ノ内・築地・両国川・神田川筋で釣れたウナギを「江戸前」という、という産地による呼び名です。「〜ト云」は世間での呼び名を書き留めた言い方で、味の判断は続く「本所 千住 高輪前ニテ釣ル河魚ノ味最上品トスヘシ」のほうに、別の地名で書かれています。
『梅園魚品図正』のウナギの項では、見出し「鰻鱺魚」に「ウナギ」の読みを付けたうえで、その左に「ムナキ 古名 萬葉集」と注記しています。
梅園は万葉集 巻十六の大伴家持の歌「石麻呂ニワレ物申ス 夏ヤセニ ヨシト云物ゾ ムナギトリメセ」も同じページに書き写しており、夏やせにウナギという話が万葉集の歌にすでにあることがわかります。なお同じ見開きの書き込みで梅園は、平安時代の辞書『和名抄』では「鰻鱺魚」が「はしかみいを」と読まれ、「むなぎ」の読みは「鱣魚」という別の字についていたと書いています。
シーボルトらの日本調査にもとづく『日本動物誌(Fauna Japonica)』魚類編(1842〜1850年刊)の第113図に「II, ANGUILLA JAPONICA.」と刻まれています。
同じ図版には「III, CONGER ANAGO.」=アナゴも描かれています(Internet Archive で公開されている本では、III に線を引いて手書きで I と訂正してある)。本文の脚注にも図版の番号が誤って振られたとあり、番号の対応は入り組んでいます。Anguilla japonica は現在もニホンウナギの学名として使われています。
東京大学海洋研究所(現・大気海洋研究所)と水産総合研究センターが2008年から共同調査を行い、2009年5月の新月に西マリアナ海嶺南端部で世界初となる天然ウナギの卵31粒を採集しました。
成果は2011年2月1日付の Nature Communications に掲載されています。東京大学大気海洋研究所の資料は、この問題を古代ギリシャのアリストテレス以来2000年におよぶ謎と表現しています。
環境省が2013年2月1日に公表した第4次レッドリスト(汽水・淡水魚類)で、ニホンウナギは絶滅危惧IB類(EN)に選定されました。
漁獲量データにもとづく3世代(12〜45年)での減少率が72〜92%と推定されたことが理由です。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 多識編 5巻.[2]
林道春 慶安2 [1649]
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