1835年7月1日、江戸で釣れた1匹のコイ。江戸の絵師が描いた「図鑑」を現代の魚類学で答え合わせしてみた
まず、この絵を見てください。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』2帖(著作権保護期間満了)
写真ではありません。約190年前に、絵の具で描かれた1匹のコイです。
描いたのは毛利梅園(もうり・ばいえん)という江戸の博物家。『梅園魚品図正』という魚の図譜を残した人です。
そして、この絵には日付と場所が書き添えてありました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「乙未(きのとひつじ)の秋、七月朔日。武江の尾久川でこれを手に入れ、実物を見て写した」。
乙未は天保6年、西暦1835年です。旧暦の七月一日、江戸の尾久川(現在の東京都荒川区尾久のあたり)で手に入れた、その1匹。
いつ、どこで採れた個体か。現代の図鑑や標本ラベルとまったく同じ情報が、190年前の絵に書いてある。
🐟
この記事では、この1枚と、梅園が同じ帖に書き残した膨大な書き込みを、現代のコイの知見と突き合わせてみます。原文の引用は、すべてNDLの公開画像を拡大して自分の目で字を確かめたものだけを載せます。読めなかった箇所は、正直にそう書きます。
SAKANA編集部
1. 口ひげが2対4本ある——これがコイの決め手
頭を拡大してみます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
口の脇から長いひげが1本、その少し前に短いひげが1本。左右あわせて2対4本です。
これは現代の分類でもコイの基本形質そのもの。愛知県のレッドデータブックはコイの形態を「やや側扁した紡錘形で吻部がとがり、口ひげが2対ある」と記載しています(愛知県「コイ(在来型)」PDF)。世界の魚類データベース FishBase も、コイをヨーロッパの他のコイ科魚類と区別する特徴として「2対のひげ」を挙げています。
のちほど出てくるフナには、このひげがありません。ひげの有無は、コイとフナを見分ける一番わかりやすい目印です。
梅園はそれを、190年前にきちんと描き分けていました。
2. 「鱗は三十六枚」——江戸の定説と、梅園の反論
コイの絵の隣のページには、びっしりと文字が書かれています。中国の本草書『本草綱目』からの引用が中心です。
そのなかに、こんな一節があります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
コイの体側の鱗は、頭から尾まで大小の差なく三十六枚。しかも、どの鱗にも小さな黒い点がある——。
これは中国由来の有名な説で、だからコイには「六六魚(ろくろくぎょ)」=6×6=36の魚、という別名があります。梅園も同じページに「事物異名ニ所謂ノ六々魚是也」と書き添えています。
実際、絵の鱗を見てみましょう。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
1枚ずつ、律儀に描き分けられています。黒い点らしきものも見えます。
——ここで終われば「江戸の人は中国の説を信じていました」という話です。ところが梅園は、三十六鱗説を書き写したすぐそのあとに、こう書いている。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「その鱗が三十六枚でないものや、鱗ごとの小さな黒点がないものが多い」。
権威ある中国の書物にそう書いてある。でも、自分が実物を見た限りでは、そうでないものの方が多い——。
さらに同じページには、こんな一文も並んでいます。「鯉ニ數種ナキトイヘトモ三種アリトゾ 友人漁夫語之」。コイに何種類もいるわけではないが3種はいるらしい、と漁師の友人が話していた、という趣旨です。
本を写すだけでなく、実物を数え、漁師に聞く。江戸の博物図譜が単なる絵葉書ではないことが、この数行でわかります。
3. 江戸のコイ産地ランキングと、この1匹の関係
同じページには、産地の話も出てきます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「鯉は食品の第一。江戸では、江戸川・尾久川・下総の利根川・荒川でとれたものを第一品とする」。
ここで冒頭の識語を思い出してください。梅園が描いたあの1匹は、尾久川で手に入れたものでした。
つまりこの図は、当時の江戸で「上物」とされた産地のコイを、わざわざ選んで写生したもの、ということになります。産地表示つきの1匹だったわけです。
ちなみに梅園は、近江の琵琶湖・竹生島あたりのコイには三十六鱗のものが多いという伝聞も書き留めています(「近州琵琶湖中竹生嶋邊ノ鯉三十六鱗ナルモノ多シト云リ」)。
4. 赤いコイは何者か——ヒゴイと金鯉
梅園はコイの色変わりも描いています。別の帖にある、この1枚。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』3帖(著作権保護期間満了)
題字は「河魚類 金鯉(ヒゴイ)」。口元を見ると、ちゃんとひげがあります。
そして図の脇に、こんな注記がありました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「『証類本草』に出てくる赤鯉魚とは、真鯉(マゴイ)の赤いもののことである。金鯉は金魚の類である」。
赤いコイと、金魚。見た目が似ている2つを、江戸の博物家がきちんと区別しようとしている記述です。
もうひとつ。同じページには「琴高・子英という二人の仙人が乗ったという鯉は赤鯉であって、普通の鯉ではない」という趣旨の書き込みもあります。中国の仙人伝説に出てくるコイは赤い個体だ、という読み解きです。
観賞用のコイといえば錦鯉ですが、新潟県によれば錦鯉の起源は「約200年以上前の江戸時代」、現在の小千谷市・長岡市の一部(かつての古志郡二十村郷)で、食用のマゴイから突然変異した個体を観賞用に飼ったこととされています(新潟県「にいがたの錦鯉」)。梅園がこの赤いコイを描いた1835年は、ちょうどその流れが始まったころにあたります。
5. コイに似ているけれど、コイではない魚
図鑑としての『梅園魚品図正』が面白いのは、似た魚が同じ見開きに並んでいるところです。
さきほどの金鯉と同じページの下半分には、この魚がいました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
題字は「鯽魚(フナ・マブナ)」。口のまわりに、ひげがありません。
コイとフナを並べて描き、ひげの有無と体型の違いをそのまま見せる。現代の図鑑の「見分け方」ページと同じことを、1枚の紙の上でやっています。
さらに別のページには、この魚が描かれていました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
題字は「本草綱目第四十四巻 河魚類 白魚(ハクギヨ)」。その脇に小さく「ミゴイ」「ニゴイ」という和名が書かれています。
コイに似ているけれど、コイではない魚。名前からしてすでに「似ゴイ」です。
この魚の正体をめぐって、梅園は貝原益軒や小野蘭山の説を引きながらページの大半を費やして議論していますが、くずし字で判読しきれない箇所が多いため、ここでは要約にとどめます。
6. 産卵の観察——「乗っ込み」の記録
もうひとつ、梅園がコイのページに書き留めた観察があります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「春、暖かくなって大雨が降り、山や谷の流れが赤い泥水になって下ってくるとき、あちこちの川口に鯉がのぼってきて、濁った水を呑みながら卵を産む」。
釣り人が「乗っ込み」と呼ぶ、春の産卵行動の記録です。
現代の記載と比べてみます。愛知県のレッドデータブックはコイの生態を「産卵期は4~7月で水草などに卵を産みつける」としています。増水と水温上昇をきっかけに浅場へ集まる、という点で、梅園の観察は今の理解とよく合っています。
同じページには、卵を持ったメスを近江の漁師が「ハラミ」と呼んで売っていたこと、コイの子を「乳鯉(コゴヒ)」と呼ぶことなども書かれています。
7. では、いまのコイはどうなっているのか
ここまでは190年前の話です。最後に現在の話をします。
実は「日本のコイ」は、いま2つの系統に分けて考えられています。
国立環境研究所の馬渕浩司さんは、琵琶湖のコイと大陸のコイのDNAを比べ、その遺伝的な違いが予想外に大きいことを2005年に発表しました。そして日本の湖沼で採集したコイ166個体のうち97個体が大陸由来だった、と報告しています(国立環境研究所ニュース36巻5号、2017年)。
かつて「野生型」と呼ばれていたほうが日本在来の系統で、体高が低く細長い。養殖・放流されてきた「飼育型」は、背中の肉づきがよく体高が高い。愛知県のレッドデータブックによれば、在来型の確実な国内分布は現在琵琶湖北部地域のみとされ、瀬能宏さんは在来型に Cyprinus melanotus という学名を提案しています(ただし別種として広く受け入れられるには至っていません)。
ここで、もう一度あの絵に戻ってみてください。
1835年に江戸の尾久川で釣れた、細長い体つきのコイ。あれが在来型なのか飼育型なのかは、絵だけでは決められません。DNAは絵には残らないからです。
それでも、いつ・どこで採れた個体かを書き添えて、鱗の枚数まで描き込んで残した梅園の1枚は、190年後の私たちが「あのころのコイはどんな姿だったか」を考えるための、数少ない手がかりになっています。
8. この絵は、誰でも無料で見られます
『梅園魚品図正』は国立国会図書館デジタルコレクションで全ページ公開されていて、著作権の保護期間も満了しています。拡大して鱗を数えることもできます。
資料 | この記事で使った箇所 |
|---|---|
『梅園魚品図正』2帖(PID:1287112) | コマ5=コイの解説、コマ6=コイの写生図 |
『梅園魚品図正』3帖(PID:1287113) | コマ34=白魚(ニゴイ)、コマ54=金鯉・鯽魚(フナ) |
ちなみに、明治以降の学術的な魚類図説(『日本産魚類図説』など)は、著作権の確認が済んでいないためインターネット公開されていません。いま誰でも自由に見られる「日本の魚類図鑑」の最良のものは、江戸時代の彩色図譜だ、というのが実際のところです。
まとめ:190年前の「図鑑」は、どこまでいけていたか
梅園の1帖分の記述を、現代の図鑑の項目に当てはめると、こうなります。
図鑑の項目 | 『梅園魚品図正』の記述 |
|---|---|
標本データ | 「乙未秋七月朔日於武江尾久川得之真寫」=採集日・採集地つき |
形態 | 口ひげ2対、鱗の1枚ずつを描写。鱗数は実物で検証 |
近縁種との区別 | フナ(ひげなし)・ニゴイを同じ図譜に収録 |
色彩変異 | 金鯉(ヒゴイ)を別図にし、金魚の類と区別 |
生態 | 増水期の産卵遡上、卵を持つ個体の呼称、稚魚の呼称 |
利用・産地 | 江戸川・尾久川・利根川・荒川を第一品とする |
先行文献の検討 | 『本草綱目』等を引用しつつ、合わない点は自分の観察を書き添える |
足りないのは、学名と、DNAと、標本そのものだけ。
「昔の人は迷信を信じていた」という話ではありませんでした。権威ある本にそう書いてあっても、自分が数えて違えば違うと書く。そういう態度が、190年前の紙の上にちゃんと残っていた、という話です。
『梅園魚品図正』はどんな本ですか?
コイの鱗は本当に36枚なのですか?
コイとフナはどう見分けますか?
日本のコイに2つの系統があるというのは?
明治以降の魚類図鑑は国会図書館で見られませんか?
SAKANA 編集部
良輔 × Claude(Anthropic)
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