江戸の魚図鑑はどこまで正確か——1835年のコイ写生図を検証した
いまの図鑑や博物館の標本には、かならず「いつ、どこで採れたか」のラベルがついています。
それが190年前の絵に書いてあったら、どうでしょうか。
0. 190年前の絵に、標本ラベルがついている
国立国会図書館デジタルコレクションには、江戸時代の本が撮影されたままの画像で公開されています。著作権はとうに切れているので、誰でも、無料で、1ページずつ拡大して読めます。
開いたのは、江戸の博物家・毛利梅園(もうり・ばいえん)の写生図譜『梅園魚品図正』1帖のコマ6。見開き2ページを丸ごと使って、コイが1匹だけ描かれています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』1帖(著作権保護期間満了)
写真ではありません。約190年前に、絵の具で描かれた1匹のコイです。
そして、この絵には日付と場所が書き添えてありました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「乙未(きのとひつじ)の秋、七月朔日。武江の尾久川でこれを手に入れ、実物を見て写した」。
乙未は天保6年、西暦1835年です。旧暦の七月一日、江戸の尾久川(現在の東京都荒川区尾久のあたり)で手に入れた、その1匹。
いつ、どこで採れた個体か。現代の標本ラベルとまったく同じ情報が、190年前の絵に書いてある。
この1枚と、梅園が同じ帖に書き残した膨大な書き込みを、現代のコイの知見と突き合わせてみます。
1. 口ひげが2対4本ある——これがコイの決め手
頭を拡大してみます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
口の脇から長いひげが1本、その少し前に短いひげが1本。左右あわせて2対4本です。
これは現代の分類でもコイの基本形質そのもの。愛知県のレッドデータブックはコイの形態を「やや側扁した紡錘形で吻部がとがり、口ひげが2対ある」と記載しています(愛知県「コイ(在来型)」PDF)。世界の魚類データベース FishBase も、コイをヨーロッパの他のコイ科魚類と区別する特徴として「2対のひげ」を挙げています。
のちほど出てくるフナには、このひげがありません。ひげの有無は、コイとフナを見分ける一番わかりやすい目印です。
梅園はそれを、190年前にきちんと描き分けていました。
2. 「鱗は三十六枚」——江戸の定説と、梅園の反論
コイの絵の隣のページには、びっしりと文字が書かれています。中国の本草書『本草綱目』からの引用が中心です。
そのなかに、こんな一節があります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
コイの体側の鱗は、頭から尾まで大小の差なく三十六枚。しかも、どの鱗にも小さな黒い点がある——。
これは中国由来の有名な説で、だからコイには「六六魚(ろくろくぎょ)」=6×6=36の魚、という別名があります。梅園も同じページに「事物異名ニ所謂ノ六々魚是也」と書き添えています。
実際、絵の鱗を見てみましょう。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
1枚ずつ、律儀に描き分けられています。黒い点らしきものも見えます。
——ここで終われば「江戸の人は中国の説を信じていました」という話です。ところが梅園は、三十六鱗説を書き写したすぐそのあとに、こう書いている。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「その鱗が三十六枚でないものや、鱗ごとの小さな黒点がないものが多い」。
権威ある中国の書物にそう書いてある。でも、自分が実物を見た限りでは、そうでないものの方が多い——。
さらに同じページには、こんな一文も並んでいます。「鯉ニ數種ナキトイヘトモ三種アリトゾ 友人漁夫語之」。コイに何種類もいるわけではないが3種はいるらしい、と漁師の友人が話していた、という趣旨です。
本を写すだけでなく、実物を数え、漁師に聞く。江戸の博物図譜が単なる絵葉書ではないことが、この数行でわかります。
3. 江戸のコイ産地ランキングと、この1匹の関係
同じページには、産地の話も出てきます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「鯉は食品の第一。江戸では、江戸川・尾久川・下総の利根川・荒川でとれたものを第一品とする」。
ここで冒頭の識語を思い出してください。梅園が描いたあの1匹は、尾久川で手に入れたものでした。
つまりこの図は、当時の江戸で「上物」とされた産地のコイを、わざわざ選んで写生したもの、ということになります。産地表示つきの1匹だったわけです。
ちなみに梅園は、近江の琵琶湖・竹生島あたりのコイには三十六鱗のものが多いという伝聞も書き留めています(「近州琵琶湖中竹生嶋邊ノ鯉三十六鱗ナルモノ多シト云リ」)。
4. 赤いコイは何者か——ヒゴイと金鯉
梅園はコイの色変わりも描いています。別の帖にある、この1枚。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』2帖(著作権保護期間満了)
題字は「河魚類 金鯉(ヒゴイ)」。口元を見ると、ちゃんとひげがあります。
そして図の脇に、こんな注記がありました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「『証類本草』に出てくる赤鯉魚とは、真鯉(マゴイ)の赤いもののことである。金鯉は金魚の類である」。
赤いコイと、金魚。見た目が似ている2つを、江戸の博物家がきちんと区別しようとしている記述です。
もうひとつ。同じページには「琴高・子英という二人の仙人が乗ったという鯉は赤鯉であって、普通の鯉ではない」という趣旨の書き込みもあります。中国の仙人伝説に出てくるコイは赤い個体だ、という読み解きです。
観賞用のコイといえば錦鯉ですが、新潟県によれば錦鯉の起源は「約200年以上前の江戸時代」、現在の小千谷市・長岡市の一部(かつての古志郡二十村郷)で、食用のマゴイから突然変異した個体を観賞用に飼ったこととされています(新潟県「にいがたの錦鯉」)。梅園がこの赤いコイを描いた1835年は、ちょうどその流れが始まったころにあたります。
5. コイに似ているけれど、コイではない魚
図鑑としての『梅園魚品図正』が面白いのは、似た魚が同じ見開きに並んでいるところです。
さきほどの金鯉と同じページの下半分には、この魚がいました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
題字は「鯽魚(フナ・マブナ)」。口のまわりに、ひげがありません。
コイとフナを並べて描き、ひげの有無と体型の違いをそのまま見せる。現代の図鑑の「見分け方」ページと同じことを、1枚の紙の上でやっています。
さらに別のページには、この魚が描かれていました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
題字は「本草綱目第四十四巻 河魚類 白魚(ハクギヨ)」。その脇に小さく「ミゴイ」「ニゴイ」という和名が書かれています。
コイに似ているけれど、コイではない魚。名前からしてすでに「似ゴイ」です。
この魚の正体をめぐって、梅園は貝原益軒や小野蘭山の説を引きながらページの大半を費やして議論していますが、くずし字で判読しきれない箇所が多いため、ここでは要約にとどめます。
6. 産卵の観察——「乗っ込み」の記録
もうひとつ、梅園がコイのページに書き留めた観察があります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「春、暖かくなって大雨が降り、山や谷の流れが赤い泥水になって下ってくるとき、あちこちの川口に鯉がのぼってきて、濁った水を呑みながら卵を産む」。
釣り人が「乗っ込み」と呼ぶ、春の産卵行動の記録です。
現代の記載と比べてみます。愛知県のレッドデータブックはコイの生態を「産卵期は4~7月で水草などに卵を産みつける」としています。増水と水温上昇をきっかけに浅場へ集まる、という点で、梅園の観察は今の理解とよく合っています。
同じページには、卵を持ったメスを近江の漁師が「ハラミ」と呼んで売っていたこと、コイの子を「乳鯉(コゴヒ)」と呼ぶことなども書かれています。
7. 同じ江戸で、北斎はコイをこう描いていた

出典:東京国立博物館 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-659)/CC BY 4.0
梅園が鱗を数えていたころ、同じ江戸で、まったく別のコイが描かれていました。
葛飾北斎の「鯉の滝登り」です。東京国立博物館が所蔵しています。
滝を登るコイという画題で、江戸時代・19世紀の作。梅園の写生とほぼ同じ時代のものです。
並べてみると、鱗の扱いが正反対です。
梅園は1枚ずつ数えられるように描きました。北斎の鱗は扇形の模様で、数える対象ではありません。水の勢いと魚の力を見せるための線です。
同じ魚を、片方は「何枚あるか」で見て、もう片方は「どれだけ力強く見えるか」で見ていた。江戸のコイは、それだけ多面的な存在でした。
出典: ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)「鯉の滝登り」葛飾北斎筆・東京国立博物館蔵
8. 同じころ、西洋の科学者は同じ魚をこう描いた

出典:Biodiversity Heritage Library/Internet Archive(faunajaponicasi2sieb)著作権保護期間満了
梅園がこの1匹を写した数年後、オランダで日本の魚の大型図譜が出はじめます。『日本動物誌(Fauna Japonica)』の魚類編です。
シーボルトらが日本にいた1823〜1830年に集めた資料をもとに編まれた本で、魚類編は1842年から1850年にかけて刊行されました。
その第96図が、上のコイです。図の右端にはCYPRINUS HAEMATOPTERUSと刻まれています。
梅園の絵と決定的に違うのは、本図のわきに頭部だけを取り出した図が2点添えてあることです。

出典:Biodiversity Heritage Library/Internet Archive(faunajaponicasi2sieb)著作権保護期間満了
口を開いた頭部の線画です。見えている側の口ひげ2本と、唇の構造が描き分けられています。
なぜこんな図が要るのか。目的が違うからです。
梅園が描いたのは「1835年7月1日に尾久川で釣れた、この1匹」でした。こちらが描こうとしたのは「コイという種はどういう形をしているか」です。
種を定義するには、1匹をきれいに写すだけでは足りません。同じ仲間と見分けるための部分図が要る。だから頭部が別に描かれています。
それでも面白いのは、決め手として口ひげを描き込んだ点は梅園とまったく同じだったことです。江戸の博物家とヨーロッパの動物学者が、別々に同じところを見ていました。
なお、この図に刻まれた学名が現在どう扱われているかは、次章で触れる分類の議論とも絡みます。ここでは図に刻まれた名をそのまま記しておきます。
出典: Fauna japonica, Pisces(Biodiversity Heritage Library) / 同 Internet Archive版
9. では、いまのコイはどうなっているのか
ここまでは190年前の話です。最後に現在の話をします。
実は「日本のコイ」は、いま2つの系統に分けて考えられています。
国立環境研究所の馬渕浩司さんは、琵琶湖のコイと大陸のコイのDNAを比べ、その遺伝的な違いが予想外に大きいことを2005年に発表しました。そして日本の湖沼で採集したコイ166個体のうち97個体が大陸由来だった、と報告しています(国立環境研究所ニュース36巻5号、2017年)。
かつて「野生型」と呼ばれていたほうが日本在来の系統で、体高が低く細長い。養殖・放流されてきた「飼育型」は、背中の肉づきがよく体高が高い。愛知県のレッドデータブックによれば、在来型の確実な国内分布は現在琵琶湖北部地域のみとされ、瀬能宏さんは在来型に Cyprinus melanotus という学名を提案しています(ただし別種として広く受け入れられるには至っていません)。
ここで、もう一度あの絵に戻ってみてください。
1835年に江戸の尾久川で釣れた、細長い体つきのコイ。あれが在来型なのか飼育型なのかは、絵だけでは決められません。DNAは絵には残らないからです。
それでも、いつ・どこで採れた個体かを書き添えて、鱗の枚数まで描き込んで残した梅園の1枚は、190年後の私たちが「あのころのコイはどんな姿だったか」を考えるための、数少ない手がかりになっています。
10. これらの図版は、誰でも無料で見られます
『梅園魚品図正』は国立国会図書館デジタルコレクションで全ページ公開されていて、著作権の保護期間も満了しています。拡大して鱗を数えることもできます。
資料 | この記事で使った箇所 |
|---|---|
『梅園魚品図正』1帖(PID:1287112) | コマ5=コイの解説、コマ6=コイの写生図 |
『梅園魚品図正』2帖(PID:1287113) | コマ34=白魚(ニゴイ)、コマ54=金鯉・鯽魚(フナ) |
『日本動物誌』魚類編(BHL/Internet Archive) | 第96図=Cyprinus haematopterus の図版と頭部図 |
「鯉の滝登り」葛飾北斎筆(東京国立博物館蔵) | ColBase で公開・CC BY 4.0 |
ちなみに、明治以降の学術的な魚類図説(『日本産魚類図説』など)は、著作権の確認が済んでいないためインターネット公開されていません。いま誰でも自由に見られる「日本の魚類図鑑」の最良のものは、江戸時代の彩色図譜だ、というのが実際のところです。
まとめ:190年前の「図鑑」は、どこまでいけていたか
梅園の1帖分の記述を、現代の図鑑の項目に当てはめると、こうなります。
図鑑の項目 | 『梅園魚品図正』の記述 |
|---|---|
標本データ | 「乙未秋七月朔日於武江尾久川得之真寫」=採集日・採集地つき |
形態 | 口ひげ2対、鱗の1枚ずつを描写。鱗数は実物で検証 |
近縁種との区別 | フナ(ひげなし)・ニゴイを同じ図譜に収録 |
色彩変異 | 金鯉(ヒゴイ)を別図にし、金魚の類と区別 |
生態 | 増水期の産卵遡上、卵を持つ個体の呼称、稚魚の呼称 |
利用・産地 | 江戸川・尾久川・利根川・荒川を第一品とする |
先行文献の検討 | 『本草綱目』等を引用しつつ、合わない点は自分の観察を書き添える |
足りないのは、学名と、DNAと、標本そのものだけ。
その「学名」のほうは、ほぼ同じころにヨーロッパで進んでいました。ただし決め手として口ひげを見ていた点は、江戸の博物家もヨーロッパの動物学者も同じでした。
「昔の人は迷信を信じていた」という話ではありませんでした。権威ある本にそう書いてあっても、自分が数えて違えば違うと書く。そういう態度が、190年前の紙の上にちゃんと残っていた、という話です。
💡 この記事でわかったこと
- 01
『梅園魚品図正』は、毛利梅園による魚類の彩色図譜です。
国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており(この記事で使ったのはPID:1287112=1帖、PID:1287113=2帖)、著作権保護期間は満了しています。実物を入手した日付と場所を図に書き添えているのが大きな特徴で、この記事で紹介したコイの図には「乙未秋七月朔日於武江尾久川得之真寫」=天保6年(1835年)旧暦7月1日、江戸の尾久川で入手して写生した旨が記されています。
- 02
『本草綱目』由来の「三十六鱗」説は江戸の書物で広く引用され、コイの別名「六六魚」の由来にもなりました。
ただし梅園自身が、実物では三十六枚でないものや鱗ごとの黒点がないものが多い、と同じページに書き添えています。現代の魚類学では、コイを見分ける形態の指標として口ひげ2対や背鰭の軟条数などが使われています。
- 03
コイとフナの一番わかりやすい見分け方は口ひげです。
コイには2対4本のひげがありますが、フナにはありません。『梅園魚品図正』2帖コマ54では、ひげのある金鯉(ヒゴイ)とひげのない鯽魚(フナ)が同じ見開きに描かれており、190年前の絵でその違いを確認できます。
- 04
国立環境研究所の馬渕浩司さんらの研究により、日本のコイには日本在来の系統と、ユーラシア大陸由来で養殖・放流されてきた系統があることがわかっています。
日本の湖沼で採集した166個体のうち97個体が大陸由来だったと報告されています(国立環境研究所ニュース36巻5号、2017年)。愛知県のレッドデータブックによれば、在来型の確実な国内分布は琵琶湖北部地域のみとされています。
- 05
『日本産魚類図説』などの近代の学術図説は、著作権の確認が済んでいないものが多く、インターネット公開の対象になっていません(国立国会図書館へ来館するか、個人向けデジタル化資料送信サービスの利用が必要です)。一方、江戸期の彩色図譜は保護期間が満了しており、高精細画像を誰でも無料で閲覧・利用できます。
- 06
江戸の図譜と西洋の図鑑は、優劣というより目的が違います。
毛利梅園の『梅園魚品図正』は「1835年7月1日に尾久川で釣れたこの1匹」を採集日・採集地つきで記録したものです。いっぽうシーボルトらの調査にもとづく『日本動物誌』魚類編(1842〜1850年刊)は「コイという種はどういう形か」を定義するための本で、本図のわきに頭部だけの線画が添えられています。ただし両者とも、コイを見分ける決め手として口ひげを描き込んでいる点は同じでした。
SAKANA 編集部
良輔
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 古文献の記事は、国立国会図書館デジタルコレクション等で公開されている原本画像を 拡大して字を目視で照合し、読めた箇所だけを引用しています。