鯛がめでたい理由 江戸の本は「本朝鱗中之長」と書いた
この記事の目次
元禄10年(1697年)に出た人見必大(ひとみ・ひつだい)の『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』は、海でとれるうろこのある魚の巻を鯛から始め、その書き出しで「鯛ハ本朝鱗中之長」、つまり鯛は日本の魚のかしらだと言い切っています。お食い初めにも結婚式にも尾頭つきで出てくる、あのめでたい魚という扱いの理由を、江戸の学者たちは姿と色の美しさ、そして神と天皇に供えてきた長い来歴に求めていて、元服や婚礼の贈り物には必ず使うという習わしまで書き留めていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻二・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287113 コマ4・著作権保護期間満了)
『本朝食鑑』は食べものを一品ずつ解説した本です。国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで一冊ぶんの読み取りテキストから「鯛」の字を拾っていくと、最初に当たるのは巻八の本文の始まり、コマ158でした。左ページに巻題があり、そのすぐ次の見出しが鯛になっています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』12巻[2]・人見必大著・元禄10年・NDL PID:2557333 コマ158・著作権保護期間満了)
『本朝食鑑』の書き出し「鯛ハ本朝鱗中之長」
見出しのあとの「集解」は、その魚がどういうものかを説く欄で、必大はここで前置きもなく鯛の位置づけから入ります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』12巻[2]・人見必大著・元禄10年・NDL PID:2557333 コマ158・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』12巻[2]・人見必大著・元禄10年・NDL PID:2557333 コマ158・著作権保護期間満了)
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翻刻
集解 鯛ハ本朝鱗中之長、形色倶ニ可愛。在水中則紅鱗動光。自古供宗廟之祀、薦至尊之膳。從所在之國獻之。故神祇大膳内膳等式悉載之。或曰能通
現代語訳
鯛は日本のうろこのある魚の長(かしら)で、形も色もどちらも愛らしい。水の中にいると赤いうろこが光る。昔から宗廟(祖先をまつるところ)の祭りに供え、天皇の食膳にすすめてきた。とれる国々から献上する。だから(延喜式の)神祇・大膳・内膳などの式にすべて載っている。ある人は、(鯛は)よく……に通じる、という(次のページへ続く)。
「鱗中」はうろこのある魚のなか、「長」はその上に立つものを指すので、「鯛ハ本朝鱗中之長」は日本の魚のなかで一番だという宣言になります。続く「形色倶ニ可愛」で形も色も愛らしいと褒め、水の中では赤いうろこが光ると姿の話をしてから、必大は歴史に移ります。「自古供宗廟之祀、薦至尊之膳」、昔から祖先の祭りに供え、天皇の食膳にすすめてきたので、平安時代の法令集『延喜式』の神祇・大膳・内膳などの巻にすべて載っている、という筋です。かしらの魚とする根拠は、見た目と、神と天皇に供えてきた来歴の二つでした。文章はそのままページをまたいで、コマ159へ続きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』12巻[2]・人見必大著・元禄10年・NDL PID:2557333 コマ159・著作権保護期間満了)
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翻刻
(能通)神霊、永壽無疆。然通家為例、而冠昏大饗之餽贈必用之規祝焉。但備前之國俗不稱美此。(……)
現代語訳
(ある人は、鯛は)神霊に通じ、寿命は限りなく長い、という。そういうわけで、どの家でも習わしとして、元服・婚礼・大きな宴の贈り物には必ずこれを用いて祝う。ただし備前の国の風俗では、これをほめたたえない。
「或曰能通神霊、永壽無疆」とあるのは、ある人の説として、鯛は神霊に通じ、長寿で限りがないと紹介したくだりです。そのうえで「然通家為例、而冠昏大饗之餽贈、必用之規祝焉」、どの家でも習わしとして、冠(元服)・昏(婚礼)・大きな宴の贈り物には必ず鯛を用いて祝う、と続きます。祝いには鯛という今の感覚にいちばん近い記述は、江戸の本ではここにありました。
ただし必大は、すぐあとに「但備前之國俗不稱美此」と書き添えていて、備前の国の風俗ではこれをほめたたえないのだといいます。どこでも同じだったわけではないことを、わざわざ断っているわけです。同じ項には神社と鯛の話もあり、摂津の西宮の社(やしろ)の前の海でとれる鯛を「前魚」と呼ぶのは「是神前之魚故也」、神前の魚だからだとし、毎年十月二十日には近くの漁師が鯛を釣って西宮の社壇に供える、とも書かれています(同コマ159)。
『和漢三才図会』も海の魚の巻を鯛から始めた
寺島良安(てらじま・りょうあん)の絵入り百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』でも、海のうろこのある魚を集めた巻四十九の巻頭、コマ18に置かれているのはタイの絵と「鯛」の見出しです。並べ方まで『本朝食鑑』と同じでした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ18・著作権保護期間満了)
次のコマ19で、良安は日本の鯛の身と味を評しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ19・著作権保護期間満了)
「其肉白、味美、最為本朝魚品之上」、身は白く味がよく、日本の魚の品のなかで最も上であると書いたあと、「四時共多。諸國皆有」と、一年中多くどの国にもいることを添えています。どこでもとれる身近な魚が、同時にいちばん上等な魚でもあったわけで、評価は必大の「鱗中之長」と変わりません。祝いの話は、同じコマの後半に出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ19・著作権保護期間満了)
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翻刻
惟鯛自古供宗廟之祀、薦至尊之膳、又為嘉儀之餽贈。則
現代語訳
ただ鯛だけは、昔から宗廟の祭りに供え、天皇の食膳にすすめ、またおめでたい儀式の贈り物にしてきた。
「惟鯛自古供宗廟之祀、薦至尊之膳、又為嘉儀之餽贈」は、ただ鯛だけは昔から祖先の祭りに供え、天皇の膳にすすめ、またおめでたい儀式の贈り物にしてきた、という意味です。「嘉儀(かぎ)」はめでたい儀式のことで、必大の「冠昏大饗之餽贈」とほぼ同じ内容を、良安も自分の言葉で書いていることになります。
貝原益軒は「為海魚之上品」とだけ書いた
貝原益軒(かいばら・えきけん)の『大和本草(やまとほんぞう)』(宝永6年=1709年刊)は、鯛の項の見出しを中国の本の名前「棘鬣魚」にしています(字の話は鯛の漢字の由来で読んでいます)。評価が出てくるのは巻十三のコマ18です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ18・著作権保護期間満了)
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翻刻
曰赤鬐。似棘鬣而大。則二魚也。○棘鬣赤鬐是鯛也。為海魚之上品。本邦諸州此魚多シ。三月至五月最多、味最美。(……)
現代語訳
(中国の本では)赤鬐という。棘鬣に似て大きい。つまり二つの魚である。棘鬣・赤鬐がすなわち鯛である。海の魚の上品(上等なもの)とする。日本の国々にこの魚は多い。三月から五月にいちばん多く、味もいちばんよい。
「為海魚之上品」、海の魚の上等なものだとしたうえで、日本の国々に多く、三月から五月がいちばん多くて味もいちばんよい、と益軒は続けます。祝いの話はどこにも書いていませんが、評価の言葉は必大・良安と同じ「上」でした。食物の本、百科事典、本草書と立場の違う三人の学者が、鯛を日本の魚の上位に置くことでは揃っていたことになります。
讃岐の鯛網
それだけ求められた魚は、とり方も大がかりでした。諸国の名産を絵で紹介した『日本山海名産図会』には讃岐の鯛の網漁の図があり、何艘もの舟が長い網を大きく海に張りまわしています。右上に添えられた題は「讃州榎股 鯛擾網之次第」で、讃岐の榎股で鯛の網をどう張るかの次第を、一枚の見開きで見せています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』[3]・法橋関月画・江戸時代刊・NDL PID:2575828 コマ23・著作権保護期間満了)
海の魚の巻の一番目に鯛を置いた『本朝食鑑』が「鯛ハ本朝鱗中之長」、同じく巻頭に鯛を据えた『和漢三才図会』が「最為本朝魚品之上」、祝いには触れない『大和本草』でさえ「為海魚之上品」と、書き方は三者三様でも、指している位置は同じ一番上でした。三冊を通して読むと、江戸の本が鯛をめでたい魚とした理由は、姿と色の美しさと味のよさに、神に供え天皇の膳にのぼってきた来歴が重なったところにあり、元服や婚礼の贈り物に必ず使う習わしは、その延長として書き留められていました。いまよく聞く「めで鯛」のしゃれは、今回開いた本には一度も出てきません。

この記事でわかったこと
元禄10年(1697年)の『本朝食鑑』は「鯛ハ本朝鱗中之長、形色倶ニ可愛」「自古供宗廟之祀、薦至尊之膳」と書き、元服・婚礼・大きな宴の贈り物には「必用之規祝焉」(必ず用いて祝う)としています(NDL PID:2557333 コマ158・159)。『和漢三才図会』も「又為嘉儀之餽贈」と書いています(NDL PID:2596381 コマ19)。
江戸の本は鯛を日本の魚の最上位に置いています。
『本朝食鑑』は「本朝鱗中之長」、『和漢三才図会』は「最為本朝魚品之上」、『大和本草』は「為海魚之上品」と書き(NDL PID:2557333 コマ158、PID:2596381 コマ19、PID:2557359 コマ18)、『本朝食鑑』と『和漢三才図会』はどちらも海の魚の巻を鯛から始めています。
『本朝食鑑』と『和漢三才図会』はどちらも、鯛は昔から宗廟の祭りに供え、天皇の膳にすすめてきたと書いています(NDL PID:2557333 コマ158、PID:2596381 コマ19)。
『本朝食鑑』は、摂津の西宮の社の前でとれる鯛を「前魚」と呼び「是神前之魚故也」と説明しています(NDL PID:2557333 コマ159)。
この記事で開いた原本
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- 梅園魚品図正.巻2
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 本朝食鑑 12巻.[2]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
- 和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻.[34]
寺島良安尚順 編 [江戸時代]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 日本山海名産圖會 5巻.[3]
法橋關月 画 [18--]
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