サバの語源は「歯が小さい」説——古文献9冊を「鯖」で引き比べた
この記事の目次
サバの語源について、貝原益軒は宝永6年(1709年)の『大和本草』で「歯が小さいから」と書き、新井白石は8年後の『東雅』で「義不詳」、意味は分からないとしたうえで、数が多いことを言うのではないかと見立てました。寛政11年の『日本山海名産図会』になっても、この二つの説は一冊の中に並べられたまま、どちらが正しいとも分からないと結ばれています。スーパーでいつでも買える塩サバの名前の由来は、江戸の学者のあいだでも決まっていなかったのです。平安の辞書から江戸後期の本草書まで、9冊を「鯖」の一語で引き比べると、読み・語源・産地・食べ方の書き方が本ごとに少しずつずれていて、とくに「青魚」という名前をめぐっては、はっきりした食い違いがありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
同じ一語で、900年分を引き比べる
引き比べ方は単純で、各冊の目録(目次)や柱(ページの端に刷られた見出し)を開いて「鯖」の項が立っているかを見て、立っていれば本文のコマへ降りる、ということを9冊で繰り返しました。たとえば貝原益軒の『大和本草』(宝永6年・1709年刊)は、巻十三の魚の部を順に開くと、コマ28の見開きの左ページに「鯖」の見出しが立っています。その右ページは、一つ前の「青魚」の項の終わりです。この「青魚」という名前が、あとで何度も出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ28・著作権保護期間満了)
まずは、9冊の顔ぶれから
成立した年の順に並べました。活字本や後の版で見たものは、そう書き添えています。
書名 | 成立/見た本 | 著者 | 鯖の扱い |
|---|---|---|---|
箋注倭名類聚抄 | 931年頃/明治16年刊の活字本 | 源順 撰・狩谷棭斎 注 | 独立項(阿乎佐波) |
頭書増補訓蒙図彙 | 1695年刊 | 中村惕斎 | 図+頭書に効き目 |
本朝食鑑 | 1697年 | 人見必大 | 独立項。刺鯖と七月十五日 |
大和本草 | 1709年刊 | 貝原益軒 | 独立項。「牙小」の語源説 |
和漢三才図会 | 1712年頃/明治18年刊の活字本 | 寺島良安 | 巻四十九 江海有鱗に図つき |
東雅 | 1717年/明治36年刊の活字本 | 新井白石 | 独立項。「義不詳」 |
物類称呼 | 1775年刊 | 越谷吾山 | 鯖の項なし(青魚の項はある) |
日本山海名産図会 | 1799年/後の刷り | 蔀関月 画 | 巻三に鯖と鯖釣舟の図 |
本草綱目啓蒙 | 1803年/弘化4年刊の重訂版 | 小野蘭山 | 「青魚」の項でサバに触れる |
『箋注倭名類聚抄』——「あをさば」は平安の辞書から
サバの名前をたどると、平安中期に源順がまとめた辞書『倭名類聚抄』に行き着きます。漢字ごとに和名(日本での呼び名)を書き添えた辞書です。
今回開いたのは、江戸後期の狩谷棭斎がこれに詳しい注をつけた『箋注倭名類聚抄』を、明治16年(1883)に印刷局が活字にした本です(PID:991791 コマ17)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:991791 コマ17・著作権保護期間満了)
【原文】(龍魚部・コマ17)
「崔禹食經云、鯖(音青、阿乎佐波)味鹹無毒、口尖背蒼者也」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:991791 コマ17・著作権保護期間満了)
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崔禹食經云、鯖音青、阿乎佐波
現代語訳
崔禹錫の『食経』に「鯖」とある。音は「青」、和名は「阿乎佐波(アヲサバ)」。
崔禹錫の『食経』に「鯖」とあり、音は「青」、和名は「阿乎佐波(あをさば)」。味は鹹(しおからい)で毒はなく、口がとがって背が青い魚である——という項です。
和名の下の小さい字は棭斎の注で、『本草和名』では「佐波」、天平九年の官符にも「鯖」があってこれも「佐婆」のことらしい、と書き添えています。平安の辞書の時点で、サバは「あをさば」とも「さば」とも書かれていたわけです。
『頭書増補訓蒙図彙』——絵入り事典の、実用的なサバ
中村惕斎の絵入り事典『訓蒙図彙』に、頭書(ページ上段の解説)を加えた版です(元禄8年・1695年刊)。水の生き物を描いたコマ18の見開きに、サバも図で出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557103 コマ18・著作権保護期間満了)
【原文】(頭書・コマ18)
「鯖は湿痺によし韮とおなしくにて食すれは脚気煩悶を治し気力をます」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557103 コマ18・著作権保護期間満了)
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鯖は湿痺によし韮とおなしくにて食すれは脚気煩悶を治し気力をます
現代語訳
サバは湿痺(湿気からくる痛みやしびれ)によい。韮(にら)と一緒に煮て食べれば、脚気や煩悶(胸苦しさ)を治し、気力が増す。
サバは湿痺(湿気からくる痛みやしびれ)によい。韮(にら)と一緒に煮て食べれば、脚気や煩悶(胸苦しさ)を治し、気力を増す——という効き目の説明です。
『本朝食鑑』——刺鯖と七月十五日
人見必大の『本朝食鑑』は、食べ物を一つずつ取り上げ、名前・産地・味・効き目を漢文で記した本です。鯖の項は、コマ173の左ページに見出しと「釋名」があり、コマ174に「集解」以下が続きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557333 コマ174・著作権保護期間満了)
【原文要旨】(コマ174)
- 東西南北の海のどこにでもいて、春の末から秋の末に最も多い
- 生で使うのはよくなく、多く食べると酔う(あたる)。加工して食べれば酔わない。これを「刺鯖」と呼び、生よりも味がよいので、上下ともに賞美する
- 「今時七月十五日」——今は七月十五日に、生の蓮の葉で強飯(こわめし)を包んで膳に盛り、さらに蓮の葉で刺鯖を包んで添え、まず家の主と子や孫に供え、続いて家来が順に食べる。これを「荷供御(はすのくご)」と呼ぶ
- 古くは神祇への供えに使い、『延喜式』にも載る。能登・伊豫・土佐・讃岐・周防などから多く貢いだ
- 「今以能登之産爲上品、越中佐渡次之」——今は能登の産を上品とし、越中・佐渡がそれに次ぐ
七月十五日は盆の日で、必大は元禄の時点で、盆に刺鯖を供える食べ方を、蓮の葉の包み方から食べる順番まで書き留めていました。
なお、コマ173の右ページにある「丹後之産爲上品」という産地の序列は、鯖の一つ前の項(師魚)のものです。見開きの中で項が切り替わっているので、鯖の産地は能登が一番、と読むのが正しいところです。
『大和本草』——「歯が小さいから、サバ」
冒頭で見た『大和本草』の鯖の項に戻ります。益軒は、名前の由来に踏み込んでいます。
【原文】(巻十三・コマ28)
「鯖ノ字順和名ニアヲサハト訓ス此魚牙小ナリ故サハト云サハ小也」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ28・著作権保護期間満了)
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鯖ノ字順和名ニアヲサハト訓ス此魚牙小ナリ故サハト云サハ小也
現代語訳
「鯖」の字は、源順の『和名抄』で「アヲサハ」と訓じられている。この魚は牙(歯)が小さい。だから「サハ」と言う。「サハ」とは小さいという意味である。
「鯖」の字を源順の『和名抄』は「アヲサハ」と訓む。この魚は牙(歯)が小さい。だから「サハ」と言う。「サハ」とは小さいことだ——という説明です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ28・著作権保護期間満了)
益軒はこのあと、能登・丹後の産を佳品とすること、干して二尾を一組に挟むので「サシサハ」と言うこと、漁師が色をよく見せようと鰯の油を塗ることがあるのでよく洗い落とすべきこと、夏と秋の夜に釣る漁火が海上に連なって人の目を驚かすこと、と続けています。
『和漢三才図会』——本草の鯖は、湖にいる魚
寺島良安の百科事典『和漢三才図会』は、巻四十九「江海有鱗」(川や海のうろこのある魚)に、鯖を図つきで立てています。今回開いたのは明治18年(1885)に中近堂が出した活字本です(PID:898161 コマ202)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:898161 コマ202・著作権保護期間満了)
見出しは「鯖 さば」、脇に「青魚」「和名阿乎佐波」。本文は崔禹錫『食経』の「口尖背蒼者也」と、中国の『本草綱目』の「鯖生江湖間」——鯖は川や湖に住む——を引いています。
そのうえで良安は、按(自分の考え)として「然北海西海多有而未聞在湖中」と書きます。本草の説と形や色はおおむね合うが、北の海・西の海に多くいて、湖にいるとは聞いたことがない、というのです。
左ページでは、能登の海で四月に何万匹も群れること、中元の日の祝いに使うこと、背から開いて二枚を一重ねにしたものを「一刺」と言うこと、鰯の油を塗って干すと色がよくなること、能登の産を上とし佐渡・越中が次ぐこと、が書かれています。
『東雅』——「サハの義不詳」と書いた白石
新井白石の『東雅』は、ものの名前の由来を考えた本です。鯖の項は、明治36年(1903)刊の活字本の PID:993111 コマ34 にあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:993111 コマ34・著作権保護期間満了)
【原文】(鱗介・コマ34)
「倭名鈔に崔禹錫食經を引て。鯖はアヲサバ。味鹹無毒。口尖背蒼者也と註せり。サハの義不詳。古語に多きを謂てサバといふ。其聚る事多なるを云ひしに似たり」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:993111 コマ34・著作権保護期間満了)
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サハの義不詳古語に多きを謂てサバといふ
現代語訳
「サハ」の意味は分からない。古い言葉では、数の多いことを「サバ」と言った。
白石はまず『倭名鈔』の記事をそのまま紹介し、名前の由来については「義不詳」——意味は分からない、と書きます。そのうえで、古い言葉では数が多いことを「サバ」と言った、群れ集まる数が多いことを言ったのに似ている、と見立てを添えています。断定はしていません。
『物類称呼』——鯖の項は立っていない
越谷吾山の『物類称呼』(安永4年・1775年刊)は、一つの物について各地の呼び名を並べた本です。巻二の魚の項は、コマ28の鯉から始まり、コマ41のあたりで貝や虫の項に移ります。
その間の各項の見出しを一つずつ見ていきましたが、「鯖」の見出しはありませんでした。一方、コマ35には「青魚」の項があり、書き出しは「かど」です。サバではなく、カド(ニシン)の呼び名を集めた項です。
『日本山海名産図会』——語源の二説を並べ、鯖釣りを描く
『日本山海名産図会』は、寛政11年(1799)に出た、各地の名産とその取り方・作り方を図で紹介する本です。今回開いたのは国立国会図書館の後の刷りで、巻三のコマ26に鯖の項、コマ27に「鯖釣舟」の図があります(PID:2575828)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2575828 コマ26・著作権保護期間満了)
項は「丹波但馬紀州熊野より出る」と産地から入り、その中で能登を名品とする、と続きます。漁は釣りで、春夏秋の夜、空が曇って霞のかかる晩を「鯖日和」と呼び、漁船が数百艘並んで、船ごとに篝火を焚く、と書かれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2575828 コマ27・著作権保護期間満了)
左ページの終わりのほうに、名前の考証が出てきます。
【原文】(巻三・コマ26)
「鯖の字和名抄にアヲサバと訓□ど本草に青魚又鯖とあるはカドといひてニシンのことなり」(□は判読を保留した字)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2575828 コマ26・著作権保護期間満了)
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鯖の字和名抄にアヲサバと訓□ど本草に青魚又鯖とあるはカドといひてニシンのことなり
現代語訳
「鯖」の字を『和名抄』はアヲサバと訓むが、本草の書に「青魚」や「鯖」とあるのは、カドといってニシンのことである。(□は判読を保留した字)
「鯖」の字を『和名抄』はアヲサバと訓むが、本草の書に「青魚」や「鯖」とあるのは、カドと言ってニシンのことだ——という指摘です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2575828 コマ26・著作権保護期間満了)
この列は、文字認識(OCR)にかけると「アラサハ」と出てきます。ところが画像を拡大すると、「ア」の次の字は二本の横線に斜めの払いがついた「ヲ」です。平安の『倭名類聚抄』の和名は「阿乎佐波」、つまり「あをさば」でした。『大和本草』や『本草綱目啓蒙』の同じ箇所も、画像で見るとすべて「アヲ」です。
続けて名産図会は、サハの正しい字はわからないと断り、大和本草の「歯が小さい(狭歯)」説と、東雅の「物が多く集まることをサバという」説を並べ、どちらが正しいとも分からない、と結んでいます。江戸の後期には、語源の二つの説が一冊の中に並んだまま、決着していなかったのです。
『本草綱目啓蒙』——「青魚」はサバではない
小野蘭山の講義を小野職孝が書き留めた本草書です。中国の『本草綱目』の項目ごとに、日本での呼び名や見分け方を書いています。今回開いたのは弘化4年(1847)刊の重訂版で、巻之四十の「青魚」の項がコマ7にあります(PID:2555647)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ7・著作権保護期間満了)
【原文】(巻之四十・コマ7)
「本邦ニテサバノコトヲ青魚或ハ鯖ト書ス故ニ和名鈔ニ鯖ヲアヲサバト訓ズ然レドモ是ニアラズ」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ7・著作権保護期間満了)
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本邦ニテサバノコトヲ青魚或ハ鯖ト書ス故ニ和名鈔ニ鯖ヲアヲサバト訓ズ然レドモ是ニアラズ
現代語訳
日本ではサバのことを「青魚」あるいは「鯖」と書く。だから『和名鈔』は鯖をアヲサバと訓んだ。しかし(本草の青魚は)これではない。
見出しの「青魚」には「詳ナラズ」——どの魚かはっきりしない、とあります。そのうえで蘭山は、日本ではサバを「青魚」や「鯖」と書くので、『和名鈔』は鯖をアヲサバと訓んだが、本草の青魚はそれではない、と言います。
続けて、サバは清の俗名で「青花魚」と言うこと、朝鮮ではカドを「青魚」と言うこと、カドは一名ニシンであることが書かれています。
『和漢三才図会』の良安が「本草の鯖は湖にいるというが、聞いたことがない」と書いた食い違いを、蘭山は「本草の青魚はサバではない」と、名前の側から整理したことになります。
【番外】梅園の魚の図——本物のサバと、「青魚」と題したニシン
最後に番外として、毛利梅園が魚を写生して色をつけた図譜を二葉添えます。印刷した本ではなく、筆で描いた一点物の写本です。
まずは、サバ
『梅園魚品図正』巻1のコマ31です。「癸巳七月廿四日寫眞」と、写生した日付が書き込まれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ31・著作権保護期間満了)
見出しの脇の書き入れは「此魚牙小也故ニサバト云」から始まり、能登・丹後の産を佳品とすること、干して一双を合わせて挟むのでサシサバと言うこと、夏秋の夜の漁火まで、『大和本草』の鯖の項とほぼ同じ順で書かれています。梅園は益軒の文を写していたようです。
そして書き入れの左には「青花魚 清俗」とあり、その下に「鯖ノ字ヲ用ルハ非也」——鯖の字を使うのは誤りだ、と書き添えています。
「青魚」と題した一葉
同じ梅園の『梅園魚譜』には、「青魚」と題した一葉があります。描かれているのはサバではありません。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1286914 コマ56・著作権保護期間満了)
【原文】(コマ56の書き入れ)
「本邦ニテハサバヲ青魚或鯖ト書ス故ニ和名抄ニ鯖音青阿乎佐波ト云……倶ニ非也」
日本ではサバを青魚あるいは鯖と書くので、『和名抄』は鯖を「阿乎佐波」とし、『本草和名』も「佐波」とする。しかし、どちらも誤りだ——と梅園は書いています。
この一文は、途中で切ると「梅園はサバを青魚と書いていた」と読めてしまいます。ところが列を最後まで追うと、「倶ニ非也」で打ち消していました。続けて、サバは『譯傳雜字簿』に「青花魚」とある、と書き、見出しの「青魚」はカド=ニシンとして描いています。
9冊を並べて見えたこと
- 名前は平安から:『倭名類聚抄』に和名「阿乎佐波(あをさば)」。棭斎の注では『本草和名』の「佐波」も挙がる
- 語源は江戸でも決まっていない:『大和本草』は「歯が小さい」、『東雅』は「義不詳」としたうえで「数が多い」の見立て。『日本山海名産図会』は両方を並べ、どちらが正しいとも分からないと結ぶ
- 「青魚」をめぐる食い違い:本草の「鯖」「青魚」は川や湖の魚。良安は「湖にいるとは聞かない」と書き、蘭山・名産図会・梅園は「本草の青魚はサバではない」とした
- 食べ方:『本朝食鑑』は生を避けて刺鯖にし、七月十五日に蓮の葉で包んで家の主に供えると書く。『和漢三才図会』も中元の祝いに使うとする
- 産地:『本朝食鑑』『和漢三才図会』『日本山海名産図会』とも能登を第一に挙げる
明治の鯖漁
農商務省水産局が編んだ『日本水産捕採誌』(明治44年・1911年刊、PID 842749)は、全国の漁法を集めた近代の水産資料です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:842749 コマ74・著作権保護期間満了)
【原文要旨】(上巻 コマ74「第五 鰺鯖網」)
豊後国(今の大分県)大分郡で使われた鰺鯖網(あじさばあみ)の漁。季節は陰暦三月中旬から八、九月の頃まで。
二艘の網船に網を積み、それぞれ漁夫八、九人が乗る。別の手船に乗った「沖合」が魚群を見つけると、方言で「ホテ」と呼ぶ信号旗を振って合図し、網船が網を下ろす——そんな手順が、活字で細かく残っています。
江戸の名産図会は鯖釣りの夜の情景を絵で残し、明治の『日本水産捕採誌』は土地ごとの網漁の段取りを文章で記録しました。
塩サバの手前にあったもの
平安の辞書でサバはすでに「あをさば」「さば」と書かれ、江戸の本はそれぞれの立場から、名前・効き目・食べ方・産地・漁を書き継いでいました。そのなかで語源だけは最後まで決まらず、益軒の「歯が小さい」と白石の「数が多い」の見立てが、名産図会では並んだまま残されています。
食べ方のほうは、はっきりしていました。生で食べると酔うので加工して食べるという『本朝食鑑』の注意があり、二尾を一組にした刺鯖は『大和本草』にも『和漢三才図会』にも出てきて、盆や中元の祝いに使うことは『本朝食鑑』と『和漢三才図会』の両方が書いています。能登の産が一番という評価も三冊でそろっていて、開いて干したサバを祝いの日に食べる暮らしは、元禄にはもう出来あがっていたことになります。
この記事でわかったこと
平安中期の『倭名類聚抄』に、崔禹錫『食経』を引いて和名「阿乎佐波(あをさば)」とあります。
今回は狩谷棭斎の注がついた『箋注倭名類聚抄』(PID 991791 コマ17)で確認しました。棭斎の注には『本草和名』の「佐波」も挙がっています。
江戸時代でも決まっていませんでした。
貝原益軒『大和本草』は「この魚は歯が小さいのでサハという」、新井白石『東雅』は「義不詳」としたうえで「古語で多いことをサバという」と見立てています。『日本山海名産図会』は両方の説を並べ、どちらが正しいとも分からない、としています。
サバを開いて二枚を一重ねにした加工品です。
『本朝食鑑』は、七月十五日に蓮の葉で強飯と刺鯖を包み、家の主や子孫に供える「荷供御」を記しています。『和漢三才図会』も、背から開いて二枚を一重ねにしたものを「一刺」と呼び、中元の祝いに使うと書いています。
江戸の本では、同じではないとされていました。
『本草綱目啓蒙』は、日本ではサバを青魚と書くが本草の青魚はそれではない、とし、『日本山海名産図会』は本草の青魚はカド(ニシン)のことだと書いています。
『本朝食鑑』『和漢三才図会』は能登の産を上とし、佐渡・越中が次ぐとしています。
『大和本草』は能登・丹後の産を佳品としています。
巻二の魚の項(コマ28〜41のあたり)の見出しを見たかぎりでは、「鯖」の項は立っていません。
「青魚」の項はありますが、カド(ニシン)の呼び名を集めた項です。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 箋注倭名類聚抄.巻第8
狩谷棭斎 著 1883
- 頭書増補訓蒙圖彙 21巻.[6]
中村惕斎 編 元禄8 [1695]
- 本朝食鑑 12巻.[2]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
- 和漢三才図会.中之巻
寺島良安 (尚順) 編 明18
- 東雅 : 20巻目1巻.4(巻之17-20)
新井白石 編・大槻如電 校 1903
- 日本山海名産圖會 5巻.[3]
法橋關月 画 [18--]
- 重訂本草綱目啓蒙 48巻.[17]
蘭山小野先生 口授・小野職孝士徳 録・井口望之蘇仲 訂 弘化4 [1847]
- 梅園魚譜
毛利大江元寿梅園白石瑛<毛利梅園>//撰輯
- 日本水産捕採誌.上巻
農商務省水産局 編 明44.7
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



