昔の人は“サバ”をどう見ていた? 平安〜江戸の古文献9冊を「鯖」で引き比べた
スーパーでいつでも買える塩サバ。あんなに身近な魚を、平安の貴族や江戸の学者は、どんなふうに見ていたのでしょう。
そんな素朴な疑問から、古い本を実際に開いてみました。辞書に名前を載せ、薬の効きめを書き、産地を競い、しまいには名前の由来をめぐって意見が割れる——。たかがサバ、と言うなかれ。みんな、けっこう本気です。
この記事では、平安から江戸後期までの約900年・9冊の古文献を、ぜんぶ「鯖(さば)」の一語で引き比べます。同じ魚が、本によってまるで違う顔を見せる。使うのは、国立国会図書館デジタルコレクションで画像が公開されている資料だけです。
そして後半では、そのサバが近代を通って、いまの食卓にどうつながったのかまで、一気にたどります。
🐟
先に、この記事のスタンスだけ一つ。原文を「」で引くのは、NDLの画像を自分の目で見て、字を確かめられたものだけです。漢文やくずし字でOCRが怪しいところは、無理に逐語引用せず要約に。読めなかったものは、正直に「読めなかった」と書きます。だから引用が少ない本もありますが、それは「確かめた分しか出さない」というだけのこと。どうぞ気楽に読み進めてください。
SAKANA編集部
まずは、9冊の顔ぶれから
成立した年の順に並べてみました。
辞書、絵入り百科、食物書、本草書、博物書、地誌、方言辞典——。肩書きを眺めるだけでも、同じ「鯖」に向ける関心がまるで違うのが伝わるはずです。
書名 | 成立/刊行 | 著者 | 分類 |
|---|---|---|---|
箋注倭名類聚抄 | 931年頃/1883刊 | 源順 撰・狩谷棭斎 校注 | 辞書訓詁 |
頭書増補訓蒙図彙 | 1666/1695刊 | 中村惕斎 | 絵入百科 |
本朝食鑑 | 1697 | 人見必大 | 食物書 |
大和本草 | 1709 | 貝原益軒 | 本草書 |
和漢三才図会 | 1712頃 | 寺島良安 | 博物書 |
東雅 | 1717/1903刊 | 新井白石 | 語源考証 |
物類称呼 | 1775 | 越谷吾山 | 方言辞書 |
日本山海名産図会 | 1799 | 蔀関月 | 地誌名所図会 |
本草綱目啓蒙 | 1803 | 小野蘭山 | 本草書 |
『箋注倭名類聚抄』——「さば」という名前は、ここから始まった
サバの名前をたどっていくと、平安中期までさかのぼります。
『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』は、平安中期の歌人で学者の源順(みなもとのしたごう、911〜983)が編んだ、日本でいちばん古い分類辞書です。ことばを「天・地・人・動物…」と意味のグループに分け、漢字に和名(読み)を当てていく——いわば、日本語のことばに住所をふっていく一冊。だから「サバという和名が、いつ・どんな字で書かれたか」をさかのぼる出発点になります。
今回開いたのは、その本文に江戸後期の考証学者・狩谷棭斎(かりやえきさい、1775〜1835)が注釈をつけた『箋注倭名類聚抄』(PID 991791)。源順本の原本はNDLでは個人送信限定なので、画像が公開されているこの校注本で代えています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
【原文】(龍魚部・コマ17)
「崔禹食經云、鯖、和名二字、本草和名云…」
鯖の項は、中国の『崔禹錫食経』や『本草和名』を次々に引きながら、この魚の和名を記していきます。記された表記は「佐婆」「佐波」。読みは、のちに見る江戸の本で「アヲサバ」とされます。
つまり平安の時点で、サバにはもう「さば」系の名がついていた。それがこの一冊で押さえられる、いわば出発点です。
この倭名抄が、いわば原点。以降の江戸の辞書も本草書も、まずここを参照し、そこから食・薬・語源と、それぞれの興味の方向へ記述を伸ばしていきます。
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▶ 『箋注倭名類聚抄』龍魚部 コマ17 をNDLで開く
『頭書増補訓蒙図彙』——絵入り百科の、ちょっと実用的なサバ
『訓蒙図彙(きんもうずい)』は、京都の儒学者・中村惕斎(なかむらてきさい、1629〜1702)が寛文6年(1666)に作った、日本で初めての“絵入り百科事典”です。文字が読めなくても、絵を見れば物の名前と説明がわかる——太平の世のベストセラーでした。今回見るのは、項目を増やした元禄8年(1695)の増補版です。
巻14「水族の部」には、たくさんの魚が図つきで並びます。サバもそこに、短い効能メモを添えて顔を出します。絵で姿を、文字で効能を。江戸前期の人がサバをどう捉えていたかが、ひと目でわかります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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【原文】(巻14 水族の部・コマ18)
「鯖は湿によし韮とおなしくにて食すれは脚気煩悶を治し気力をます」
ざっくり訳すと——サバは「湿」(湿気からくる不調)に良い。韮(にら)と一緒に煮て食べれば、脚気や煩悶(胸のつかえ)を治し、気力が増す。
図のとなりに、こういう実用メモがちょこんと添えてある。絵入り辞典らしい、気の利いたところです。
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▶ 『頭書増補訓蒙図彙』巻14 コマ18 をNDLで開く
『本朝食鑑』——「食べる魚」としてのサバを、いちばん熱く語る
『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』は、江戸前期の医師・人見必大(ひとみひつだい)が著し、元禄10年(1697)に刊行された“食べ物の百科事典”です。「本草(ほんぞう)」=中国生まれの、薬になる動植物を調べる学問の、いわば食べ物版。一品ずつ、産地・味・調理法・体への良し悪しを解説していきます。
えらいのは、中国の本をうのみにせず、日本の食材を自分で確かめて書いていること。全12巻のうち8巻が動物性食品で、なかでも魚貝にいちばん筆を割きます。サバももちろん独立項目。産地・味・加工・効能まで、とにかくみっちり論じる一冊です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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なかでも目を引くのが、保存・流通用の加工品を指す 「刺鯖」です。
サバは生のままだと「酔う」(あたる)ことがある魚とされ、火を通すか、酢で締めるか、塩蔵・乾物にして使うべき——という扱いです。産地は丹後産を上品とし、越中・佐渡などが続く、という序列も読み取れました(出典:『本朝食鑑』鱗部、コマ173〜174)。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
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▶ 『本朝食鑑』鱗部 鯖の項 コマ173 をNDLで開く
『大和本草』——「歯が小さいから、サバ」って本当?
『大和本草(やまとほんぞう)』を書いた貝原益軒(かいばらえきけん、1630〜1714)は、福岡藩に仕えた学者です。健康の指南書『養生訓』の作者、といえばピンとくる人も多いかもしれません。
「本草学(ほんぞうがく)」とは、もともと中国で生まれた、薬になる植物・動物・鉱物を調べる学問のこと。いわば昔の薬学+博物学です。益軒はそれを日本の自然に当てはめ、身近な生き物まで観察して並べ直しました。宝永6年(1709)に出たこの本は、約1,362種を収めた、日本ならではの“いきもの大図鑑”です。
サバは巻13「魚之下」に登場します。面白いのは、ここで益軒が名前の由来にさらっと踏み込んでいること。これが、なかなか可愛い説なんです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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【原文】(巻13 魚類・コマ28)
「此魚牙小ナリ故サハト云サハ小也」
この魚は牙(歯)が小さいので「サハ」と言う。「サハ」とは小さいの意味だ——というのが益軒の見立てです。
いわゆる「狭歯(さば)」説。歯の小ささに、名の由来を求めるわけですね。言われてみれば、たしかに。
ところがこの先、新井白石『東雅』はまったく別の説を出します。由来の見立ては、益軒が歯の小ささ、白石が数の多さ。同じ江戸時代に、サバの語源をめぐる見方が割れていた——原典を並べると、その食い違いがそのまま見えてきます。
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▶ 『大和本草』巻13 魚類 コマ28 をNDLで開く
『和漢三才図会』——日本と中国を、見開きで突き合わせる
『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』は、大坂の医師・寺島良安(てらじまりょうあん)が正徳2年(1712)ごろに編んだ、図入りの大百科事典です。全105巻という大作で、中国・明の百科事典『三才図会』にならい、天・人・地のあらゆる事物を、図と解説でまとめています。約30年をかけた労作で、明治のころまで200年近く使われ続けました。
サバは「江海有鱗魚(こうかいゆうりんぎょ=海の、うろこのある魚)」の部に、さし絵つきで登場します。図で姿を確かめながら、中国の知識と日本の知識を見比べられるのが、この本ならではの読みどころです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
【原文】(江海有鱗・コマ202)
「鯖さば」
「江海有鱗(海の、鱗のある魚)」の部に、サバはちゃんと「さば」として立っています。
本文は中国本草と照らし合わせながら論じますが、訓点つき漢文なので細部は要約に(出典:『和漢三才図会』江海有鱗、コマ202)。和名を確かめられただけでも、この一覧では十分な収穫です。
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▶ 『和漢三才図会』江海有鱗 鯖の項 コマ202 をNDLで開く
『東雅』——「正直、よくわからない」と書いた白石
新井白石(あらいはくせき、1657〜1725)は、6代・7代将軍に仕えた政治家にして、歴史から言語まで手がけた当代きっての学者です。その白石が、ことばの由来を本格的に調べたのが『東雅(とうが)』。享保2年(1717)に成立しました。書名は、中国最古の語釈書『爾雅(じが)』にちなんだ「日本の爾雅」という意味です。
いわば“語源の研究書”。だからサバの項も、姿かたちより「なぜ、この名なのか」に切り込みます。今回はその核心を、二か所引きます(PID 993111、コマ34〜35)。なお原本は長く写本で伝わり、活字になったのは明治36年(1903)のことでした。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
【原文①】(鱗介部・コマ34)
「鯖はアヲサバ。味鹹無毒。口尖背蒼者也」
まず白石は、倭名抄が引く崔禹錫食経をたどって、こう紹介します。鯖は「アヲサバ」と読み、味は鹹(しおからい)、毒はなく、口がとがって背が青い魚である、と。
ここまでは、いわば前置きです。
【原文②】(鱗介部・コマ34)
「サハの義不詳。古語に多きを謂てサバといふ」
そして肝心の由来になると、白石はあっさり「義不詳」——意味ははっきりしない、と認めます。
古語で「数が多い」ことを「サバ」と言ったらしく、群れて大量に獲れる魚だから、その名がついたのではないか。推測は示しつつ、断定はしない。学者の慎重さが、そのまま残っています。
江戸の語源説というと、つい「諸説あって面白い」で片づけたくなります。でも原典の白石は「義不詳」と保留していた。現代の辞典がきっぱり書く語源も、もとをたどれば「わからない」と書いてあった——原典をひらくと、そこが見えてきます。
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▶ 『東雅』鱗介部 鯖の項 コマ34 をNDLで開く
『物類称呼』——方言の宝庫。でも今回は、引きません
『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』は、越谷(こしがや)の俳人・越谷吾山(こしがやござん)が安永4年(1775)にまとめた方言辞典です。全国規模で方言を集めた辞書としては、日本で最初の一冊。ひとつの物に、地方ごとの呼び名をずらりと並べていく——方言好きにはたまらない本です。
魚の地方名もたっぷり載っています。ところが、肝心のサバ。今回めくったかぎりでは、はっきりした独立項目が見当たりませんでした。判読の難しさも含めてもう少し追いかけて、確かな地方名が拾えたら、ここに追記します。お楽しみに。
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▶ 『物類称呼』巻2 生類の部 をNDLで開く
『日本山海名産図会』——名前ではなく、「獲り方」を残した本
『日本山海名産図会(にほんさんかいめいさんずえ)』は、寛政11年(1799)刊。大坂の絵師・蔀関月(しとみかんげつ、1747〜1797)が手がけた、全国の名産と産業を絵入りで紹介する本です。各地の名所を絵で見せる「名所図会」が当時の人気ジャンルでしたが、こちらはその“産業版”。酒造りや水産物の、とれ方・作り方・運ばれ方までを図で見せてくれます。
だからこの本のサバは、名前より「どこで・どう獲るか」が主役。まずは名の由来にも触れているので、そこから引きます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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【原文】(巻3・コマ26)
「鯖の字和名抄にアラサハと訓ず」
「鯖」の字を『和名抄』では「アラサハ」と訓む、と記します。
でも、この本のいちばんの見せ場は、漁の情景です。丹波・但馬・紀州熊野などを産地に挙げ、夜の海に漁船がずらりと並び、篝火を焚いてサバを獲る。漁に向く天候を「鯖日和」と呼ぶ——そんな場面が、図つきで描かれます(細部は要約。出典:同コマ)。
辞書や本草書が「名前と効能」を書くのに対し、名所図会が残すのはどこで・どう獲るかという現場。同じサバでも、本によって切り取る断面がこんなに違う。9冊を横に並べる醍醐味は、まさにここです。
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▶ 『日本山海名産図会』巻3 コマ26 をNDLで開く
『本草綱目啓蒙』——江戸後期、本草学の到達点
少し名前がややこしいので、ほどいておきます。おおもとは、中国・明の李時珍(りじちん、1518〜1593)が約30年かけてまとめた本草学の大著『本草綱目』(薬になる動植物・鉱物 約1,900種を収録)。これを江戸後期の本草学者・小野蘭山(おのらんざん、1729〜1810)が講義し、日本の動植物名や各地の方言を補って注釈したのが、享和3年(1803)から刊行された『本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』、全48巻です。
いわば“中国の名著+日本の最新知識”。各項目に全国の呼び名を集めているので、魚の名前を調べるには第一級の本です。江戸の本草学がたどり着いた、ひとつの到達点といえます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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【原文】(鱗部・コマ7)
「和名鈔ニ精ヲアラサバト訓ズ」
『和名抄』では「鯖」を「アラサバ」と訓む、と確認したうえで、蘭山は紛らわしい同名問題に踏み込みます。
中国本草でいう「青魚」、そして朝鮮で「カド」(=ニシン)と呼ぶもの——これらをサバと安易に同じにするな、と釘を刺すのです。
名前の混乱を、最後に整理しにかかる。集大成らしい仕事ぶりです(入り組んだ漢字・異名は要約に。出典:同コマ)。
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▶ 『本草綱目啓蒙』鱗部 鯖の項 コマ7 をNDLで開く
【番外】『梅園魚譜』——本物のサバと、「青魚」に化けたニシン
ここまでの9冊は、辞書と本草書。最後に番外として、彩色魚譜『梅園魚譜(ばいえんぎょふ)』から二葉を添えます。
描いたのは、幕臣で大の博物好き、毛利梅園(もうりばいえん、1798〜1851)。本物の魚を目の前に置いて、色まで写し取った手描きの“魚の彩色図鑑”です。印刷本ではなく本人が筆で仕上げた一点物の写本で、各ページに写生した日付まで書き込まれています。
まずは、堂々のサバ
こちらが、梅園の描いたサバ。天保4年(1833)7月24日に写生した、と日付入りです。
青緑の背に走る“さば模様”、銀色の腹——いま魚屋で見るマサバと、ほとんど変わりません。江戸の人が見ていたサバを、色つきで、こんなにはっきり覗けるのは贅沢です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
題字は「海魚類 鯖(さば)」。倭名抄を引いて「アヲサバ」とし、さらに「歯が小さいからサバと言う」——本編で見た益軒『大和本草』とそっくり同じ狭歯(さば)説まで書き添えています。能登・丹後の産を上品とする評価も、本編の名所図会や食物書と重なります(細部は要約。出典:『梅園魚譜(梅園魚品図正)』NDL PID:1287112 コマ31)。
ところが、「青魚」を引くと……
同じ梅園魚譜の別の葉に、「青魚(あおうお)」と題した一枚があります。ところが、描かれているのはサバではありません。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
【原文】(青魚の葉・コマ56)
「本邦ニテハサバヲ青魚或鯖ト書ス」
題字「青魚」の振り仮名は、「カド」と「ニシン」。描かれているのは、ニシンです。なのに梅園は、注記にこう書き添えます——日本ではサバを「青魚」あるいは「鯖」と書く、と。さらに『和名抄』が鯖を「あをさば」と訓むこと、サバの異名に「青花魚」があることも併記しています。
同じ画家の筆で、正しいサバの姿(鯖の葉)と、名前を取り違えやすい「青魚」(ニシンの葉)が並ぶ。本編で蘭山『本草綱目啓蒙』が言葉で整理しようとした「青魚」をめぐる同名問題が、彩色魚譜の世界でもそっくり起きていたわけです。サバを探して「青魚」を引いたら、ニシンの絵にたどり着く——名前の取り合いを、これほど分かりやすく見せてくれる例もありません(細部は要約。出典:『梅園魚譜』NDL PID:1286914 コマ56)。
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▶ 『梅園魚譜』サバの図 コマ31 をNDLで開く
▶ 『梅園魚譜』青魚(ニシン)の図 コマ56 をNDLで開く
9冊を並べて見えた、サバの「いくつもの顔」
900年・9冊を横断すると、同じ「鯖」をめぐって、本の性格ごとに関心がくっきり分かれます。ざっと整理すると、こうなりました。
- 名前は平安で定着:倭名抄の系統で、すでに和名「さば(佐波)」が記録ずみ。江戸の各書はここを起点に参照する。
- 語源は江戸でも決着せず:益軒『大和本草』は「歯が小さい=狭歯」説、白石『東雅』は「数が多い」説で「義不詳」と保留。同時代に説が割れていた。
- 表記が揺れる:「鯖」のほか「青魚」「青花魚」が現れ、本草書は中国の青魚や朝鮮のカド(ニシン)との混同に注意を促す。番外で見た彩色魚譜『梅園魚譜』も、ニシンの図に「サバを青魚・鯖と書く」と注記しており、絵の世界でも同名の取り合いは続いていた。
- 食の評価が高い:『本朝食鑑』は刺鯖などの加工や産地序列まで詳述し、食用魚として重く扱う。絵入り辞典は効能を短く。
- 漁の現場を残す:名所図会は産地・漁法(篝火漁、鯖日和)を図で記録する。
辞書は名を、本草書は性質と効能を、食物書は食い方を、地誌は獲り方を残す。9冊を一度に並べて初めて、江戸の知識人がそれぞれの立場からサバを見ていた多面性が、立体的に浮かび上がってきます。
では、その食べ方は今の食卓までどう続いたのか
ここまでは、江戸の辞書・本草書がサバを「どう書いたか」でした。
ここから先は、その食べ方が近代を経て、いまの食卓にどうつながるか。古文書の原文ではなく、食文化史の専門研究——査読付き論文(今田節子「鯖の伝統的食習慣とその背景」食文化研究 No.7、2011年)——の知見を出典に要約します。
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ここからは原文引用ではなく、査読付き論文のまとめです。論文が引いている江戸の原文は、あくまで「論文の引用」として扱っています。地続きの話なので、肩の力を抜いてどうぞ。
SAKANA編集部
ふだんの塩サバ、ハレの日の刺鯖
今田(2011)によれば、江戸のサバの食べ方にはふだんとハレ、二つの顔がありました。
ふだんは塩鯖や一塩(ひとしお)のサバを、焼き物・煮物・汁物・なますにして庶民の副菜に。一方、ハレの日には刺鯖(さしさば)が行事食として登場します。
論文が紹介する江戸〜明治の「おかず番付」を見ると、サバ料理は堂々の前頭。春は鯖の味噌漬け、夏は鯖のうしお(潮汁)、秋は鯖の一塩、そして冬は鯖の味噌煮と、季節がきれいに並びます。
冬の定番が、味噌煮。——これ、今とまったく同じです。
味噌煮・味噌漬け・一塩。私たちが今スーパーで当たり前に買うサバの食べ方が、江戸の庶民料理の番付にそのまま載っている。「定番」は、思っていたよりずっと長く続いてきた料理だった、というわけです。
下魚にも、上魚にもなる——値段が動く魚
今田(2011)が指摘するサバの面白さは、同じ魚でも、加工法しだいで格付けが上下すること。
生鯖は下魚、塩鯖も下。ところが刺鯖になると上魚——と、江戸の食物書(本編で見た『本朝食鑑』や、料理書『古今料理集』『黒白精味集』)が記しています。論文はこれを「価値に流動性をもつ魚」と呼び、いつも下魚扱いの鰯や鰺と対比します。
産地の評価も、本編とつながります。能登・若狭・熊野のサバが上質とされ、若狭で塩をしたサバが鯖街道を通って京へ運ばれた。これはまさに、本編の『日本山海名産図会』が描いた鯖漁の、その先の物語です。
近代の鯖漁——名所図会の、さらに先へ
本編の最後で見た『日本山海名産図会』(1799)の鯖漁は、近代の水産資料へとそのまま受け継がれます。
農商務省水産局が編んだ『日本水産捕採誌』(1911年、PID 842749)は、全国の漁法を網羅した近代水産の基本資料。サバを獲る網漁が、地域ごとのやり方とともに活字でびっしり記録されています。ここは論文の要約ではなく、NDLで読める近代の一次資料です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
【原文】(上巻 コマ74)
「鰺鯖網」
これは豊後国(今の大分県)大分郡で使われた鯵鯖網(あじさばあみ)の漁。
陰暦三月中旬から八九月にかけて、二艘の網船に網を積み、漁夫八九人が乗り込む。沖で魚群を見つけると、信号旗で合図して網を下ろす——そんな具体的な手順が、近代の活字でくっきり残っています(出典:『日本水産捕採誌』上巻 コマ74)。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
【原文】(上巻 コマ209)
「主として鯖を捕るもの」
和泉国(今の大阪府南部)の沿海で使われた坪網は、主にサバを獲る網。漁期は四月から十一月まで、とあります。
江戸の名所図会が「情景」として描いた鯖漁が、近代には地域ごとの漁法として、体系立てて記録されるようになった——そのバトンの渡り方が、見てとれます。
江戸の名所図会は「鯖日和に数百艘が篝火を焚く」絵を残し、近代の『日本水産捕採誌』は地域ごとの網漁を、漁法・季節・乗組人数まで記録する。同じ鯖漁の記録でも、「絵」から「データ」へと、残し方そのものが移っていきます。
📚 NDLで原典を読む
▶ 『日本水産捕採誌』上巻 鰺鯖網 コマ74 をNDLで開く
明治——刺鯖が退き、鯖ずしと甘塩の時代へ
今田(2011)によれば、明治の中頃には刺鯖の製造が減り、それを使う生見玉(いきみたま=盆に親や祖先へ刺鯖などを供える行事)も次第に薄れていきます。
代わってハレの主役になったのが祭りの鯖ずし(棒ずし・押しずし)でした。塩のきつい刺鯖から、塩の薄い甘塩のサバへ。
この好みの変化は江戸後期に始まり、近代にはっきりしていきます。加工・運搬・精米の技術が進んだことも追い風になって、鯖ずしは全国へ広がった、と論文は整理します。
そして、今の食卓へ
同じ論文は、現在のサバは主に日常食として使われていると述べます。
江戸のハレを彩った刺鯖の系譜は、酢でしめる〆鯖や鯖寿司に姿を変えて残り、ふだんの味噌漬け・味噌煮・塩焼き・竜田揚げは今もサバの定番。
つまり、私たちが今日食べているサバ料理の多くは、江戸——近代——現代と、少しずつ形を変えながら続いてきたものなのです。
🍳 今のレシピで確かめる
「鯖の味噌煮」は今も家庭料理の定番で、農林水産省もレシピを紹介しています。▶ 農林水産省「さばの味噌煮」
9冊が書きとめた「名と知識」のサバと、今夜の食卓に並ぶサバは、別物ではなく一本の線でつながっている。その線を自分の手でたどれること——それが、わざわざ一次資料に当たる意味だと思います。
まとめ
平安から江戸後期までの9冊で、サバは早くに和名が定まり、食用・本草・語源・産業と、それぞれの文脈で書き継がれてきました。
さらに食文化史の研究をたどれば、その食べ方——ふだんの塩鯖・味噌煮、ハレの刺鯖——は、近代の鯖ずしや甘塩を経て、今の味噌煮・しめ鯖・鯖寿司へと、一本の線でつながっています。サバはずっと、私たちのすぐ隣にいた魚でした。
もう一つ。語源のように、当時から決着していない問いもありました。原典は、現代の辞典よりずっと慎重に「わからない」と書いていたのです。
そんな未決着のところも含めて、サバはなかなか奥が深い。次にスーパーで塩サバを手に取ったら、ちょっとだけ、その900年の来歴を思い出してみてください。
よくある質問
サバの和名はいつから記録されている?
「さば」の語源は何ですか?
「刺鯖(さしさば)」とは?
鯖と「青魚」は同じものですか?
江戸のサバの食べ方は今と同じ?
「刺鯖」と「しめ鯖」は違う?
『物類称呼』の鯖の方言が載っていないのはなぜ?
SAKANA 編集部
良輔 × Claude(Anthropic)
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 人間が判断し、AIが調査を支援する協働プロジェクトです。