鮭の漢字の由来はフグ——江戸の学者が三代「誤り」と書き続けた
この字、読めますか?
鮭
- 訓
- さけ
- 音
- ケイ・カイ
- 画数
- 17画
この記事の目次
毛利梅園が天保のころに写生したサケの絵には、右上に四つの名前が書き添えてあって、その中に「鮭」は一つもありません。いまスーパーの切り身に当たり前に書かれているこの漢字(魚へんに圭、読みは「さけ」)を、江戸の学者たちは見るたびに「それは誤りだ」と書き残しており、字の由来をさかのぼると、フグの名前に行き着きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』巻2(NDL PID:1287113 コマ35・著作権保護期間満了)
「鮭」の基本データ
- 読み
- さけ(訓)/ケイ・カイ(音)
- 画数
- 17画(魚へん11画+右側6画)
- 形
- 魚へんに「圭」
- 由来
- 平安時代の辞書『和名抄』は、鮭はフグの別名の字で、サケに使うのは誤りと注した
- 江戸の字
- 『本朝食鑑』『和漢三才図会』の見出しは「鮏」、『大和本草』は「鱖魚」
- 難易度
- 初級
読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9BAD)による
サケの絵の横に、名前の出どころが書いてある
上の絵を描いた毛利梅園の『梅園魚品図正』は、魚を一匹ずつ写生し、わきに名前と出典を書き込んだ写本で、国立国会図書館の書誌では天保6年(1835年)の序とされています。江戸の本草書のどこにサケが載っているかを探すとき、この書き入れがそのまま道しるべになりました。サケの絵の右上には、サケを指す名前が、それぞれ出どころの本の名前つきで四つ並んでいます(「鮏」は出典違いで二度)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』巻2(NDL PID:1287113 コマ35・著作権保護期間満了)
先頭に立つ字は「鮏」(魚へんに生)で、並んだ名前の中に「鮭」はありません。ここに出てくる『和名抄』(源順の辞書)と『大和本草』に、同じ時代の『本朝食鑑』『和漢三才図会』『東雅』を加えて、サケの項を年代順に開いていきました。いちばん早い『本朝食鑑』は元禄8年(1695年)の序をもつ食べ物の本で、そのサケの項は、見出しのすぐ下の小さな字から、もう字の話を始めています。
「鮭はフグ」と言い出したのは、江戸の学者ではなかった
『本朝食鑑』(人見必大)も、見出しの字は「鮏」です。その下に、名前の由来を説く「釈名」が小さな字で続きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『本朝食鑑』巻7(NDL PID:2557333 コマ141・著作権保護期間満了)
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鮏折青反 今按俗用鮭字非也 鮭音圭 鯸鮐魚一名也 予謂順之言是也 王充論衡曰萬物含太
現代語訳
(源順の『和名抄』の注を引く)鮏の読みは折青の反。今考えるに、俗に鮭の字を用いるのは誤りである。鮭は音が圭で、鯸鮐魚(フグ)の別名である。——私(必大)が思うに、順の言うことは正しい。王充の『論衡』に、万物は太陽の火気を含んで…(と続く)
読み進めると「今按俗用鮭字非也 鮭音圭 鯸鮐魚一名也」とあり、俗に「鮭」の字を使うのは誤りで、鮭は音が「圭」、鯸鮐魚(フグ)の別名だ、と言っています。江戸の学者の主張のように見えますが、この一文は必大の言葉ではありません。釈名の本文は「源順曰く」で始まっていて、ここまでは源順(みなもとのしたごう)の辞書『和名抄』を引いた部分なのです。『和名抄』そのものでも、「鮏魚」の項に同じ「今案俗用鮭字非也 鮭音圭 鯸鮐魚一名也」が載っています(狩谷棭斎『箋注倭名類聚抄』巻8・明治16年印刷局刊、NDL PID:991791 コマ22)。
必大自身の言葉は、そのすぐあとの「予謂順之言是也」、つまり順の言うことが正しいと思う、という一句から始まります。必大は中国の『論衡』や『炮炙論』まで引いて、鮭が河豚(フグ)であることは明らかだとしたうえで、「然本朝流俗誤用鮭字者久矣」と書き、日本では世間が鮭の字を誤って使い続けて久しいと嘆いています。「鮭はフグの字」という指摘は、江戸の学者が見つけたものというより、平安の辞書の一文を江戸の学者が受け継いで確かめ直したものと見たほうが実態に近いはずです。
江戸の百科事典も「誤り」と書いた
正徳2年(1712年)の自序をもつ『和漢三才図会』は、寺島良安が編んだ絵入りの百科事典です。巻48「河湖有鱗」にサケの項があり、江戸時代の刊本では挿絵と見出しが同じ面に並んでいます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『和漢三才図会』巻48(NDL PID:2596381 コマ8・著作権保護期間満了)
見出しは、やはり「鮏」。その下にサケの別名が並べてあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『和漢三才図会』巻48(NDL PID:2596381 コマ8・著作権保護期間満了)
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鮭 俗用之誤 也鮭河豚和名 佐介
現代語訳
(異名として挙げた)「鮭」——俗にこの字を(サケに)用いるのは誤りである。鮭は河豚(フグ)である。和名は佐介(さけ)。※「鮭」の下の小字は二行の割注で、右の行「俗用之誤」から左の行「也鮭河豚」へと続けて読む
別名の一つとして「鮭」を挙げ、その下に小さな字を二行に割って注を入れています。右の行から左の行へ続けて読むと「俗用之誤也 鮭河豚」で、俗にこれをサケに用いるのは誤り、鮭は河豚だ、と『和名抄』と同じことを短く言い切っています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『和漢三才図会』巻48(NDL PID:2596381 コマ8・著作権保護期間満了)
ここまでは、どの本も同じ向きを向いています。「鮭」はフグの字で、サケに使うのは誤り、サケの字は『和名抄』のとおり「鮏」だ、と読みたくなるところですが、ページを先へ進めると話はそこで終わっていませんでした。
正しい字の答えは、そろわなかった
「鮭」が誤りなら、正しい字は「鮏」のはずで、『和名抄』がそう書き、『本朝食鑑』も『和漢三才図会』も見出しに「鮏」を立てています。ところが同じ時代の本を開いていくと、「鮏」を正しい字だと言い切っている本ばかりではありませんでした。まず宝永6年(1709年)刊の『大和本草』(貝原益軒)は、サケの項の見出しに「鮏」を使っていません。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『大和本草』巻13(NDL PID:2557359 コマ5・著作権保護期間満了)
益軒が見出しに立てたのは「鱖魚」でした。中国の本草書にいう「鱖」こそサケだという立場で、「サケニ非ストスルハ非ナリ」(サケでないとするのは誤りだ)とまで書いています。同じ項の後半では、『和名抄』の「鮏」の説も引いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『大和本草』巻13(NDL PID:2557359 コマ5・著作権保護期間満了)
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順和名抄ニ曰鮏和名佐介俗用鮭字非也
現代語訳
源順の『和名抄』に「鮏、和名は佐介(さけ)。俗に鮭の字を用いるのは誤りである」とある。(益軒はここで『和名抄』を引いている)
引かれているのは「順和名抄ニ曰鮏和名佐介俗用鮭字非也」で、『和名抄』の注をそのまま書き写したものです。益軒は「鮭」が誤りだという点は受け入れながら、自分の見出しには「鮏」ではなく「鱖」を選んだことになります。
『和漢三才図会』のほうも、見出しは「鮏」ですが、寺島良安が自分の考えを書く「△按」の欄は次のように始まります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『和漢三才図会』巻48(NDL PID:2596381 コマ8・著作権保護期間満了)
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△按鮏 鯹本字魚臭 也正字未詳
現代語訳
(良安の考え)鮏は「鯹(なまぐさい)」のもとの字で、魚のにおいのことである。(サケの)正しい字はわからない。※「鮏」の下の小字は二行の割注で、右の行から左の行へ続けて読む
「按鮏 鯹本字魚臭也 正字未詳」。鮏は「鯹(なまぐさい)」のもとの字で魚のにおいのことであり、サケの正しい字はわからない、という意味で、見出しに「鮏」を立てた本人が、その字も魚の名前ではないと書いていたわけです。享保4年(1719年)の序をもつ新井白石の『東雅』も、同じところで立ち止まっています(画像は明治36年刊の活字本)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東雅』巻19(明治36年刊の活字本、NDL PID:993111 コマ31・著作権保護期間満了)
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鮏は説文に魚臭也と見えし。徐鉉は今俗作なるは魚菜也。音圭なるは河純別名と見え
現代語訳
(右の列)鮏の字は『説文』に「魚臭(魚のにおい)」とあり、徐鉉は今は俗に(別の字で)書くと言っている。(左の列・鮭の字には音が二つあり)一方の音で読むときは魚料理のこと、「圭」の音で読むときは河純(フグ)の別名とされている。
白石は「鮏は説文に魚臭也と見えし」と書き、中国の古い字書『説文解字』では「鮏」は魚のにおいを表す字だとしています。そのうえで「鮭」の字にも音が二つあり、「圭」と読めば「河純」(フグ)の別名になると続けるので、どちらの字も、もとはサケの名前ではないことになります。同じ項で白石は、サケという名の意味も「詳ならず」、「東北夷地の方言」から出たのかもしれないと書いています。『和名抄』に詳しい注釈をつけた狩谷棭斎も、『説文』の「鮏、魚臭也」を挙げて「諸書皆同、無有爲魚名者」、どの本も同じで魚の名前とするものはない、と書きました(前掲『箋注倭名類聚抄』コマ22)。
冒頭の毛利梅園は、「鱖魚」をサケに当てる古い説には「穏ナラス」(穏当でない)と書き添えたうえで、なぜ「鮭」が使われるようになったのかを推測しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』巻2(NDL PID:1287113 コマ35・著作権保護期間満了)
「鮏鮭似テ誤ルナルベシ」、鮏と鮭は形が似ているので取り違えたのだろう、という見立てです。魚へんの右側が「生」か「圭」か、大写しで並べてみると、小さな字ではたしかに見分けにくい形をしています。「鮭」はフグの字だという点では、どの本もほぼ一致していますが、サケの正しい字については、鮏、鱖、そして「わからない」と、答えが三つに割れたまま江戸時代が進んでいきました。
朝鮮の学士に、サケを見せてみた
字だけではなく、魚そのものを見せて名前を確かめようとした記録も、『東雅』の同じ項に残っています。正徳のはじめ、朝鮮の使節(原文は「聘使」)が来日して京都に滞在していたとき、若水稲子(稲生若水)が使節の学士に会いに行きました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東雅』巻19(明治36年刊の活字本、NDL PID:993111 コマ31・著作権保護期間満了)
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正德の初朝鮮の聘使來りて。京にをりし時に。若水稻子その學士にあひ。鮏魚の事を問ひしに。學士李重叔といふもの。まづ鮏の魚を見て答ふるに。其國の松魚なりと云ひけり。
現代語訳
正徳のはじめ、朝鮮の使節が来て京都に滞在していたとき、若水稲子(稲生若水)がその学士に会い、サケという魚について尋ねた。学士の李重叔は、まずサケの魚を見てから「これは我が国でいう松魚だ」と答えた。
若水がサケの魚そのものを見せて名前を尋ねると、学士・李重叔の答えは「其國の松魚なり」、我が国ではこれを松魚と呼ぶ、というものでした。白石はこのあと、ほかの学士の答えも書き留めていて、洪命九は「知らない」、嚴子鼎は同じく「松魚」、最後の南仲容も「此魚是我國の松魚也」と答えたといいます。
日本では「松魚」はカツオに当てられてきた字で、カツオの記事でも触れたとおり、同じ二字が海をへだてて別の魚を指していたことになります。毛利梅園もサケの図のわきに「松魚 東醫寶鑑」と書き添えていて、これは白石が「彼國の東醫寶鑑」と呼ぶ朝鮮の本の名前です。梅園は同じ書き入れで、松魚をカツオに当てるのも「是亦非也」としています。
越後の本は、丸ごと一節を「鮭の字」に使った
この議論は学者の書斎だけの話ではなく、見返しに「越後 鈴木牧之撰」とある『北越雪譜』には、「鮭の字の考」と題した一節まであります。雪国の暮らしを書いた本の中で、「今より九百四十年あまりのむかし」の字書だという『新撰字鏡』までさかのぼってサケの字を検討し、そのうえで学者たちとは逆の結論を出しました。
「和文章にも鮭の字を用ふべし」。鮏の字は広くは通じにくいとして、この本では「姑く鮭に从ふ」、ひとまず鮭の字に従う、と書いています。同じ本には、サケ漁の実景も描かれています。
出典:国書データベース(国文学研究資料館蔵)『北越雪譜』コマ82(パブリックドメイン)
川をふさぐ柵や舟、砂の上を走るサケを追う人々の絵が、字の詮索のすぐ隣に並んでいるのが『北越雪譜』の面白さで、越後の人にとってサケは書斎の字である前に、毎年川へ上ってくる魚でした。
「氷頭」は、江戸でも鱠の第一品だった
食べ方の記録もそろっていて、『本朝食鑑』はサケの頭にある軟らかい骨に触れています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『本朝食鑑』巻7(NDL PID:2557333 コマ141・著作権保護期間満了)
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頭枕骨甚軟如瑪瑙呼稱氷頭而味亦佳
現代語訳
頭の枕骨はたいへん軟らかく瑪瑙のようで、これを「氷頭(ひず)」と呼ぶ。味もまたよい。
「頭枕骨甚軟如瑪瑙 呼稱氷頭」。頭の骨が瑪瑙のように軟らかく、これを「氷頭(ひず)」と呼ぶというのは、いまも「氷頭なます」として食べられている、あの部位のことです。同じ項には卵についても「子有二胞 胞中不知幾千粒」とあり、卵巣は二つあって中の粒は何千あるか分からない、と数えるのをあきらめています。保存食では、塩引について「近世所有 諸州造之」としたうえで、越後・陸奥の名を挙げています。
毛利梅園も図のわきに、頭の中の油骨を「ヒヅ」と呼び「鱠ノ第一品トス」とすること、『和名抄』が背腸を「ミナワタ」と呼ぶことを書き留めているので、氷頭となますの組み合わせは江戸の記録にすでに現れていたことになります。
北のサケ、もうひとつの道具
サケは和書の中だけの魚ではありません。
出典:ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)/東京国立博物館蔵 K-25770(ウィーン万国博覧会事務局引継)CC BY
東京国立博物館が所蔵する19世紀のマレクは、北海道アイヌが川をさかのぼるサケを獲るのに使った銛です。所蔵館の解説によれば、鉤がサケに刺さると柄から外れ、紐に引かれて回転するしくみになっていて、サケが暴れても外れないといいます。
それでも「鮭」が残った
江戸の学者たちが「誤り」と書き続けた字は、結局そのまま残り、世の中は『北越雪譜』が「ひとまず鮭に従う」と書いたほうへ進んだように見えます。『和漢三才図会』の明治18年の活字本(NDL PID:898161 コマ182)を開くと、江戸の刊本で「干鮏」だった挿絵の字が「干鮭」に組み替えられていました。
現代の分類では、日本でふつうサケと呼ぶ魚は Oncorhynchus keta (Walbaum, 1792)、英名は chum salmon です。FishBase によれば最大全長100センチ、最大体重18.1キロで、朝鮮半島・日本からオホーツク海、ベーリング海、アラスカを経てカリフォルニア州サンディエゴまで、北太平洋に広く分布する遡河回遊性の魚とされています。
「鮭」の一字は、フグの字との取り違えから始まったのかもしれません。それでも使われ続けるうちにほかの書きようがなくなり、江戸の学者たちが誰も決めきれなかった正しい字の問題は、答えが出ないまま、切り身のパックの上で片がついてしまいました。
鮭
- 読みは「さけ」。魚へんに圭、17画
- 『和名抄』は「俗用鮭字非也」。鮭はフグの別名の字だとした
- 江戸の本の見出しは「鮏」や「鱖魚」。正しい字の答えはそろわなかった
- 毛利梅園は「鮏鮭似テ誤ルナルベシ」、形が似ていて取り違えたのだろうと推した
UOMEDIA|uomedia.jp
開いた本
書名 | 著者・成立 | この記事で見た箇所 |
|---|---|---|
『本朝食鑑』巻7(NDL PID:2557333) | 人見必大・元禄8年(1695年)序 | コマ141(鮏の釈名・氷頭・筋子・塩引) |
『大和本草』巻13(NDL PID:2557359) | 貝原益軒・宝永6年(1709年)刊 | コマ5(見出し「鱖魚」と『和名抄』の引用) |
『和漢三才図会』巻48(NDL PID:2596381・江戸時代の刊本) | 寺島良安・正徳2年(1712年)自序 | コマ8(異名「鮭」の割注・「△按」・挿絵) |
『和漢三才図会』中之巻(NDL PID:898161・明治18年の活字本) | 寺島良安 編 | コマ182(挿絵の「干鮭」) |
『東雅』巻19(NDL PID:993111・明治36年の活字本) | 新井白石・享保4年(1719年)序 | コマ31(鮏と鮭の字・朝鮮の使節との問答) |
『箋注倭名類聚抄』巻8(NDL PID:991791・明治16年印刷局刊) | 狩谷棭斎 | コマ22(『和名抄』鮏魚の項と棭斎の注) |
『梅園魚品図正』巻2(NDL PID:1287113) | 毛利梅園・天保6年(1835年)序 | コマ35(サケの彩色図と書き入れ) |
『北越雪譜』(国書DB・国文研蔵) | 鈴木牧之 撰 | コマ74–75(鮭の字の考)・コマ82(鮭漁の図) |
原本はいずれも公開されています。国立国会図書館デジタルコレクション『和漢三才図会』 / 同『本朝食鑑』 / 国書データベース『北越雪譜』 / ColBase マレク / FishBase Oncorhynchus keta
この記事でわかったこと
「鮭」は本来フグを指す字だとされたからです。
源順の辞書『和名抄』に「今案俗用鮭字非也 鮭音圭 鯸鮐魚一名也」(俗に鮭の字を用いるのは誤り、鮭は音が圭でフグの別名)という注があり、『本朝食鑑』『大和本草』『東雅』がこれを引いています。『和漢三才図会』巻48も、異名「鮭」の割注に「俗用之誤也 鮭河豚」と書いています。
一つにはまとまっていません。
『本朝食鑑』と『和漢三才図会』は見出しに「鮏」(魚へんに生)を立てましたが、『和漢三才図会』は同じ項で「鮏」を魚のにおいの字だとして「正字未詳」と書いています。『大和本草』の見出しは「鱖魚」、『東雅』は『説文』で「鮏」が魚臭の意味であることを挙げ、サケという名の意味はよくわからないとしています。
はっきりした答えは原本の中にもありません。
毛利梅園は『梅園魚品図正』の書き入れで「鮏鮭似テ誤ルナルベシ」——鮏と鮭の形が似ているので取り違えたのだろう——と推測しています。『北越雪譜』の「鮭の字の考」は、「和文章にも鮭の字を用ふべし」として、この本では「姑く鮭に从ふ」と書いています。
正徳のはじめ、若水稲子(稲生若水)が京都に滞在していた朝鮮の使節の学士にサケの実物を見せて名前を尋ねた記録が『東雅』にあります。
学士の李重叔は「其國の松魚なり」と答え、ほかの学士も多くが松魚と答えました。日本で「松魚」はカツオに当てられてきた字なので、同じ二字が海をへだてて別の魚を指していたことになります。
江戸時代の食物の本にすでに登場します。
『本朝食鑑』(元禄8年=1695年の序)はサケの頭の骨について「頭枕骨甚軟如瑪瑙 呼稱氷頭」=頭の枕骨は瑪瑙のように軟らかく、これを氷頭と呼ぶ、と記しています。毛利梅園も『梅園魚品図正』の図のわきに、これを「鱠ノ第一品トス」と書き添えています。
日本でふつうサケと呼ぶ魚の学名は Oncorhynchus keta (Walbaum, 1792)、英名は chum salmon です。
FishBase では最大全長100センチ、最大体重18.1キロ、朝鮮半島・日本からオホーツク海・ベーリング海・アラスカを経てカリフォルニア州サンディエゴまでの北太平洋に分布する遡河回遊性の魚とされています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻2
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 本朝食鑑 12巻.[2]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
- 箋注倭名類聚抄.巻第8
狩谷棭斎 著 1883
- 和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻.[34]
寺島良安尚順 編 [江戸時代]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 東雅 : 20巻目1巻.4(巻之17-20)
新井白石 編・大槻如電 校 1903
- 和漢三才図会.中之巻
寺島良安 (尚順) 編 明18
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



