魚図鑑

「鮎」がアユを指すのは日本だけ——神功皇后が魚で占った話

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江戸の博物家・毛利梅園が、天保のある年にアユを写生しています。

『梅園魚品図正』2帖に描かれたアユの彩色図。大小2尾
品川の大井(品川大井々之間)で釣ったものを写した、と書き添えられている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ29・著作権保護期間満了)

この図の脇に、梅園は長い文章を書き込んでいます。

テーマは、「鮎」という字です。

1. 中国では、鮎はナマズ

まず前提から。

「鮎」は、中国ではナマズを指す字です。

アユの意味で使うのは日本だけ。江戸の学者たちは、そのことをよく知っていました。

ではなぜ、日本ではこの字がアユになったのか。

梅園の答えは、『日本書紀』にありました。

2. 皇后が、裳の糸で釣った

梅園はまず、『日本書紀』神功皇后紀の一場面をそのまま書き写しています。

『梅園魚品図正』の書き入れのうち、『日本書紀』神功皇后紀を引いた部分と翻刻
赤枠は該当8列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

場所は火前国(肥前国)松浦県の玉嶋里。いまの佐賀県・唐津のあたりです。

皇后は川のほとりで食事をしました。そこで、こんなことを始めます。

「勾針爲釣、取粒爲餌、抽取裳系爲緡」

針を曲げて釣り針にし、飯粒を餌にし、裳(も)の糸を抜き取って釣り糸にした——。

手元にあるものだけで、その場で釣り道具を作っています。

そして川の中の石の上に登り、釣り針を投げて祈りました。

「朕西方欲求財國、若有成事者河魚飲釣」

わたしは西の方に財の国を求めようと思う。もし事が成るのであれば、河の魚よ、この釣り針を飲め——。

釣りではなく、占いです。

竿を挙げると、魚が掛かっていました。

「乃獲細鱗魚」——細鱗魚(さいりんぎょ)。これがアユです。

3. 「めづらしき物なり」が地名になった

魚を見た皇后が言います。

「希見物也」——めずらしい物である。

この一言が、そのまま地名になりました。

『梅園魚品図正』の書き入れの続き。松浦の地名と「魚占」について記した部分と翻刻
赤枠は該当7列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

「故時人號其處曰梅豆羅ト、今曰松浦ト訛焉」

だから当時の人はその場所を「梅豆羅(めづら)」と呼んだ。それが訛って、いまは「松浦(まつら)」という——。

「めづらし」が「まつら」になった、という地名起源譚です。

そして続きます。

「是以其國人毎ニ當四月上旬以釣投河中ニ捕年魚於今不絶、唯男夫雖釣以不能獲魚云々」

だからその国の人は、毎年四月の上旬になると釣り針を川に投げてアユを捕り、いまも絶えていない。ただし——男が釣っても、魚は獲れない

皇后にならった女たちの漁だ、ということです。

4. だから「魚」に「占」と書く

ここが梅園の結論です。

「故ニ以魚占ト云意ヲ取テ鮎字ヲ用ル古實トナレリ」

だから「魚占(うおうら)」という意味を取って、「鮎」の字を用いるのが古来のならわしとなった——。

「鮎」は、へんにと書きます。

占いに使われた魚だから、魚+占。

ただし梅園自身、この字が中国のナマズと衝突していることは分かっていました。書き込みの末尾では、『和名抄』がこの字をアユと載せているのは誤りだ、とまで書いています。

5. 「鮎はナマズだ」——貝原益軒の反論

この字の使い方には、江戸期を通じて反対意見がありました。

宝永6年(1709年)の『大和本草』で、貝原益軒はこう断じています。

『大和本草』巻十三、鮎の字についての記述と翻刻
赤枠は該当箇所。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

「又鮎ヲアユトヨムモ誤也鮎ハ諸書ヲ考ルニナマツナリ」

「鮎」を「アユ」と読むのも誤りである。諸書を考えるに、鮎はナマズである——。

そして正しい表記として『日本書紀』を挙げます。「日本紀神功皇后紀ニ細鱗魚ヲアユトヨメリ」

同じ神功皇后紀を根拠にしながら、梅園とは逆の結論です。

6. 「年」を嫌ったから——新井白石の説

もう一つ、まったく別の説があります。

新井白石の『東雅』です。

『東雅』鱗介の部「鮎 アユ」の該当箇所と翻刻
赤枠は該当2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

「或は舊俗年魚の字を嫌ひ忌む事ありて。年と鮎と我國の方言近き故に。鮎の字を借用ひ」

昔の人が「年魚」という字を嫌い忌むことがあって、「年」と「鮎」が日本語の音では近いので、「鮎」の字を借りて用いたのだろう——。

占いは関係ない、というわけです。「ネン」と「ネン(鮎の音)」が近かっただけだ、と。

ここまでで三説が出ました。

  • 梅園——占いの魚だから、魚+占
  • 益軒——そもそも誤用。鮎はナマズ
  • 白石——「年魚」の年を忌んで、音の近い鮎を借りた

江戸の学者たちは、この一字をめぐって百年以上議論していたことになります。

7. では、本来の名は

三説とも、前提を共有しています。アユの本来の表記は「年魚」だ、ということです。

ではなぜ「年の魚」なのか。

狩谷棭斎が『倭名類聚抄』に注をつけた『箋注倭名類聚抄』巻八に、その説明が引かれています。

『箋注倭名類聚抄』巻八、年魚の由来を記した箇所と翻刻
赤枠は該当箇所。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

「春生夏長秋衰冬死、故名年魚也」

春に生まれ、夏に育ち、秋に衰え、冬に死ぬ。だから「年魚」と名づけた——。

一年で一生を終える魚。だから「年」の字を使う。

アユが年魚であることは、いまの生物学でも変わりません。多くの個体は満1年で死にます。

白石の言う「年魚の字を嫌い忌む」というのは、おそらくこの「一年で死ぬ」という含みを避けたということでしょう。

8. 字は、あとから当てたもの

三つの説のどれが正しいのかは、いまも決着していません。

ただ、三説とも一致している点があります。

「アユ」という和語が先にあって、漢字はあとから当てられた、ということです。

細鱗魚、年魚、香魚、銀口魚、そして鮎。梅園の図の周りにも、これらの異名がぎっしり書き並べられています。

『梅園魚品図正』2帖 コマ29の全図。上に縞鯛、下にアユ大小2尾、周囲に異名と書き込み
図の右側に「細鱗魚」「香魚」「鰷魚」「白鰷」「溪鰛魚」などの異名が並ぶ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ29・著作権保護期間満了)

ひとつの魚に、これだけの字が当てられた。

そのうちの一字が、川の石の上で釣り糸を垂れた皇后の話と結びついて、いまも私たちが使う「鮎」になっています。

この記事で使った資料

資料

この記事で使った箇所

条件

『梅園魚品図正』2帖(毛利梅園/NDL PID:1287112)

コマ29=アユの彩色図と、図の脇の書き入れ(『日本書紀』神功皇后紀の引用、松浦の地名、「魚占」と鮎字)

著作権保護期間満了

『大和本草』巻十三(貝原益軒、宝永6年=1709年/NDL PID:2557359)

コマ7=「鮎ヲアユトヨムモ誤也鮎ハ諸書ヲ考ルニナマツナリ」

著作権保護期間満了

『東雅』鱗介の部(新井白石/NDL PID:993111)

コマ30=「鮎 アユ」の項。「年魚の字を嫌ひ忌む事ありて」以下

著作権保護期間満了

『箋注倭名類聚抄』巻八 龍魚部(狩谷棭斎/NDL PID:991791)

コマ29=崔禹『食経』所引「春生夏長秋衰冬死、故名年魚也」

著作権保護期間満了

出典: 国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正』2帖 / 『大和本草』 / 『東雅』 / 『箋注倭名類聚抄』

💡 この記事でわかったこと

  1. 01

    「鮎」がアユを指すのは日本だけの用法で、江戸の博物家・毛利梅園は占いに由来すると説明しています。

    『梅園魚品図正』2帖コマ29のアユの図の脇に「故ニ以魚占ト云意ヲ取テ鮎字ヲ用ル古實トナレリ」——「魚占(うおうら)」という意味を取って「鮎」の字を用いるのが古来のならわしとなった——と書き入れられています。『日本書紀』神功皇后紀で、皇后が魚を釣って事の成否を占ったという故事にもとづく説明です。「鮎」は魚へんに「占」と書きます。

  2. 02

    中国では「鮎」はナマズを指す字です。

    江戸の学者たちもこれを知っており、貝原益軒は『大和本草』巻十三で「又鮎ヲアユトヨムモ誤也鮎ハ諸書ヲ考ルニナマツナリ」——「鮎」を「アユ」と読むのは誤りで、諸書を考えるに鮎はナマズである——と断じています。益軒は正しい表記として『日本書紀』神功皇后紀の「細鱗魚」を挙げています。

  3. 03

    神功皇后が肥前国松浦県の玉嶋里で、川の魚を釣って遠征の成否を占ったという『日本書紀』の記事です。

    皇后は針を曲げて釣り針とし、飯粒を餌に、裳(も)の糸を抜き取って釣り糸にしました。川中の石の上に登って釣り針を投げ「朕西方欲求財國、若有成事者河魚飲釣」——わたしは西方に財の国を求めようと思う、もし事が成るなら河の魚よ釣り針を飲め——と祈ったところ、細鱗魚(アユ)が掛かったと記されています。

  4. 04

    「松浦」の地名は、神功皇后がアユを釣り上げたときの一言に由来すると『日本書紀』は伝えています。

    皇后が魚を見て「希見物也(めずらしい物である)」と言ったことから、当時の人はその場所を「梅豆羅(めづら)」と呼び、それが訛って「松浦(まつら)」になった、という説明です。同じ記事には、その国の人が毎年四月上旬に川へ釣り針を投げてアユを捕る風習が続いていること、ただし男が釣っても獲れないことも記されています。

  5. 05

    アユが「年魚」と呼ばれるのは、一年で一生を終える魚だからです。

    『箋注倭名類聚抄』巻八が崔禹の『食経』を引いて「春生夏長秋衰冬死、故名年魚也」——春に生まれ、夏に育ち、秋に衰え、冬に死ぬ。だから「年魚」と名づけた——と記しています。アユの多くの個体が満1年で死ぬことは現在の生物学でも変わらず、古代の観察が正確だったことになります。

  6. 06

    新井白石は『東雅』で、占いとは関係なく「年魚」の字を避けた結果だと説明しています。

    「或は舊俗年魚の字を嫌ひ忌む事ありて。年と鮎と我國の方言近き故に。鮎の字を借用ひ」——昔の人が「年魚」の字を嫌い忌むことがあって、「年」と「鮎」が日本語の音では近いので「鮎」の字を借りて用いたのだろう——という説です。梅園の「魚占」説、益軒の「そもそも誤用」説と合わせ、江戸期には三つの見方が並立していました。

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SAKANA 編集部

良輔 × Claude(Anthropic)

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