蛸壺漁のやり方を江戸の本で読む——紅い絹と唐辛子を入れておく
この記事の目次
弘化4年(1847年)刊の『重訂本草綱目啓蒙』には、蛸壺の中に紅絹(もみ)の切れ端と赤く熟した唐辛子を少し入れ、それを数個つないで海底に沈めておく、と書いてあります。「蛸壺(たこつぼ)」という言葉は誰でも知っていても、蛸壺漁のやり方、つまりあの壺で実際にどうやってタコを獲り、どうやって壺から出すのかを、順を追って説明できる人はあまりいませんが、江戸の本にはその手順がかなり細かく書き留められていました。しかも同じ項目には、夜中に陸へ上がって畑の茄子を摘むタコの話が、同じ調子で並んでいます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ35・著作権保護期間満了)
上は毛利梅園の『梅園魚品図正』に描かれたタコで、八本の腕が紙の外へはみ出しそうな勢いで広がり、吸盤が一つずつ白く描き分けられ、右上に「章魚」、その脇に「章擧」、左上に「海蛸子」と、名前が三つも書き添えられています。
名産図会の見開きは長浜の漁
最初に開いたのは、全国の名産がどこでどうやって獲られ、作られているかを絵と文で紹介した『日本山海名産図会(にほんさんかいめいさんずえ)』で、巻之一に寛政十年(1798年)の序があり、国会図書館で見られるのはのちに刷られた本です。江戸の本には索引がないので、目録(目次)のついた絵入りの本から入るのが早く、巻之四の目録(コマ2)に、タコの項が載っていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ2・著作権保護期間満了)
大きく「明石章魚」とあって明石のタコの項だと分かり、その下に小さく「長濱」と添えてあります。本文をたどると、章魚(タコ)の項はコマ27の左ページから始まり、次のコマ28が見開きの絵です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ28・著作権保護期間満了)
舟の中に丸い器がいくつも積まれているので、タコの漁に丸い器、これは蛸壺だと思いたくなりますが、絵の題は明石ではなく「豫刕長濱」、伊予の長浜で、本文を読むと長浜のタコ漁は蛸壺とは別のやり方でした。
コマ27の本文は明石の話から始まり、「諸州にあり中にも播州明石に多し」、タコは諸国にいるが、なかでも播磨の明石に多い、と書いています。明石の獲り方は、焼き物の壺(「磁壺」に「やきもののつぼ」のルビ)を二つ三つ縄に付けて海に沈めておくと、タコが自分から入ってくるというもので、その壺を「鮹壺と称して」いる、とあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ27・著作権保護期間満了)
蛸壺は明石の話で、絵に描かれた長浜のほうは、「伊豫長濱には此魚甚だ多き故に」、この魚がとても多いので、「スイチヤウと云物を以て取る」と続きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ27・著作権保護期間満了)
本文によれば、スイチヤウは四寸と六寸(およそ12センチと18センチ)ほどの小さな板に釣り針を二つ付けたもので、板には蟹をくくりつけ、重しの石を添えます。これを長い麻糸につけて海に沈めると、「鮹ハ蟹の肉を喰んとて板の上に乗る」ので、その手応えで引き上げていくと、岸や水際の近くでタコが驚いて逃げようとし、「かの釣にかゝるなり」、板の釣り針にかかる、という仕掛けです(コマ29)。
そう読んでから絵を見直すと、左の舟のまん中の漁師が片手で小さな板を高く掲げていて、板にはタコがしがみついているように見えますし、右の舟でも縄の先の海面にタコらしきものが浮いています。舟に積まれた丸い器は、よく見ると編み目の描かれた籠で、この見開きは蛸壺漁ではなく、蟹をつけた板でタコを引き寄せる長浜の漁を描いた絵と見てよさそうです。明石の蛸壺のほうには絵がなく、壺に入ったタコの出し方として、壺の底の裏を物で掻くとタコは自分から壺を離れて出てくる、という趣旨が書いてあるだけです(くずし字で読み切れない字があるので、要約に留めます)。
壺の中に紅い絹と唐辛子
壺の中に何を入れるかまで書いていたのが、『重訂本草綱目啓蒙(じゅうていほんぞうこうもくけいもう)』です。中国の本『本草綱目』に出てくる名を見出しにして、日本での呼び名や産地を書き連ねた本で、書誌には「蘭山小野先生 口授」「小野職孝 録」とあるので、小野蘭山が口で授けた内容を書き留めたものです。章魚(タコ)の項は、コマ58の右ページから始まります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙』・NDL PID:2555647 コマ58・著作権保護期間満了)
別名の列が終わると、話は京都の市場に来るタコに移り、京都の市に来るタコはみな播州の二見浦で獲ったもので、摂州の兵庫から送られてくる、と書いたあとに、獲り方の説明が始まります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ58・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
(攝州兵庫ヨ)リ送ル、兵庫ニテハ漁セズ、採法ハ長繩ニ長瓦壺(タコツボ)トヨブ中ニ紅帛片(モミノキレ)及紅熟番椒(トウガラシ)等少許イレタルモノ數箇ヲ連綴シ海底ニシヅメ置ハ、必章魚壺中ニ入テ出ズ、陸ニ引揚テモ敢テイデス、指爪ヲモツテ壺底ヲ搔トキハ、便ミナ走リイヅ、ソノ壺久クモチユル者ハ、外ニ蠣殼及小介粘著シテ異形ヲナス、好事者用テ花尊(ハナイケ)トス、薩州ニテ用ルモノハ磁
現代語訳
(京都の市に来るタコはみな播州の二見浦で獲り、摂州の兵庫か)ら送られてくる。兵庫では漁をしない。獲り方は、長い縄に「タコツボ」と呼ぶ壺——中に紅絹(もみ)の切れ端や赤く熟した唐辛子などを少し入れたもの——を数個つないで海底に沈めておく。すると必ずタコが壺の中に入って出てこない。陸に引き揚げてもけっして出ない。指の爪で壺の底を掻くと、そのときみな走り出る。その壺を長く使っていると、外側に牡蠣の殻や小さな貝がくっついて異様な姿になる。物好きな人はそれを花生け(花器)にする。薩摩で使うものは磁(器の壺で……)
「採法ハ長繩ニ長瓦壺トヨブ」。
「長瓦壺」の三字には「タコツボ」とルビが振ってあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙』・NDL PID:2555647 コマ58・著作権保護期間満了)
二字目は「尾」にも見える形ですが、「瓦」の古い字形と見られ、土を焼いた長い壺のことで、名産図会が明石の壺を「やきもののつぼ」と読ませていたのとも話が合います。その中に入れるものは、「中ニ紅帛片及紅熟番椒等少許イレタルモノ數箇ヲ連綴シ海底ニシヅメ置」と書かれていて、「紅帛片」には「モミノキレ」、「番椒」には「トウガラシ」のルビがあり、紅絹の切れ端と赤く熟した唐辛子を少し入れた壺を数個つないで海底に沈めておく、という赤いものの仕掛けでした。
引き揚げても出てこないタコ
この記述のいちばん面白いところは、その続きにあります。
「必章魚壺中ニ入テ出ズ、陸ニ引揚テモ敢テイデス」、必ずタコは壺の中に入って出てこず、陸に引き揚げてもけっして出ないので、「指爪ヲモツテ壺底ヲ搔トキハ、便ミナ走リイヅ」、指の爪で壺の底を掻くと、みな走り出る。壺を割るのでも棒で突くのでもなく、爪で底を掻くという一手で、名産図会が明石の壺について底の裏を掻くと出てくると書いていたのと、二冊がよく似たことを書き留めています。
このあとは使い込んだ壺の話で、「ソノ壺久クモチユル者ハ、外ニ蠣殼及小介粘著シテ」、長く使った壺には外側に牡蠣の殻や小さな貝がくっつく、と続きます。ここで文を切れば漁具が汚れていく話ですが、文はさらにこう続きます。
「異形ヲナス、好事者用テ花尊トス」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙』・NDL PID:2555647 コマ58・著作権保護期間満了)
貝殻がびっしり付いて奇妙な形になったものを、物好きな人は花生けにする、というので、「花尊」には「ハナイケ」とルビがあります。海の底で使い古された蛸壺が陸に上がって花を生ける器になるわけで、貝殻をまとった姿そのものが面白がられていたように見えます。すぐあとには、薩摩で使う壺は磁器で底に大きな穴がある、とも書いていて、蛸壺は土地によって作りも違っていました。
夜の畑で茄子を摘むタコ
ところが同じ『重訂本草綱目啓蒙』の次の見開きに進むと、話の調子ががらりと変わります。大きなタコは鶏や犬を捕って食い、海の中から足を伸ばして船の中に人がいるかどうかを探ることがある、と書いたうえで、こう続くのです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ59・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
ヲノベテ舩中人ノ有無ヲサグルコトアリ、小ナルモノモ夜中陸ニ上リ、腹ヲ上ニシ足ヲ下ニシテ健走スルコト飛ガゴトクシテ、菜圃ニ入、茄ヲツミ、芋ヲホリ食フ、晝ニテモ人ナキトキハ出ト云、若州加州等北地ニハ尋常ノ小ナル
現代語訳
(大きなタコは海の中から足)を伸ばして、船の中に人がいるかどうかを探ることがある。小さいものも夜中に陸へ上がり、腹を上に足を下にして、飛ぶように達者に走る。畑に入って茄子を摘み、芋を掘って食う。昼でも人がいないときは出てくるという。若狭・加賀など北国には、ふつうの小さいものは……
「小ナルモノモ夜中陸ニ上リ、腹ヲ上ニシ足ヲ下ニシテ健走スルコト飛ガゴトクシテ」、小さいタコも夜中に陸へ上がり、腹を上に足を下にして飛ぶように走って、「菜圃ニ入、茄ヲツミ、芋ヲホリ食フ」、畑に入って茄子を摘み、芋を掘って食う。さらに「晝ニテモ人ナキトキハ出ト云」と、昼でも人がいないときは出てくるという、と念を押しています。壺の底を爪で掻く話と茄子を盗む話が、同じ項目の中に何の断りもなく並んでいるわけです。
うわばみと戦った丹後のタコ
もっと大きな話は、貝原益軒(書誌の名は貝原篤信)が宝永6年(1709年)に刊行した『大和本草』の巻十三に出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ36・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
(其)類、身小而足長、コレ足ナガタコナリ、○但馬ニアル大ダコハ甚大ナリ、或牛馬ヲトリ、又夜泊ノ小舟ニ手ヲノヘテ人ノ有無ヲサグルト云、又夜ヒカル、丹後熱松ノ海ニテ蟒ト章魚トタヽカヒ、ツイニ蟒ヲ海ヘ引入ル、蟒傍ノ木ニマキツキタレトモ、松ノ枝サケテ引シツメラル、今ニ松殘レリト云、諸州ニテ大ダコ人ヲトル事アリ
現代語訳
(石距も)その類で、身が小さく足が長い。これがアシナガダコである。○但馬にいる大ダコはたいそう大きい。牛や馬を捕ることがあり、また夜に泊まっている小舟に手を伸ばして人がいるかどうかを探るという。夜に光るともいう。丹後の熱松の海で、蟒(うわばみ)とタコが戦い、ついに蟒を海へ引き入れた。蟒はかたわらの木に巻き付いたけれども、松の枝が裂けて引き沈められた。その松はいまも残っているという。諸国で大ダコが人を捕ることがある。
「但馬ニアル大ダコハ甚大ナリ、或牛馬ヲトリ、又夜泊ノ小舟ニ手ヲノヘテ人ノ有無ヲサグルト云、又夜ヒカル」。
但馬の大ダコはたいそう大きく、牛や馬を捕ることがあり、夜に泊まっている小舟に手を伸ばして人がいるかどうかを探るといい、夜に光るともいう、と書いたあと、こんな一件を書き留めています。「丹後熱松ノ海ニテ蟒ト章魚トタヽカヒ、ツイニ蟒ヲ海ヘ引入ル」、丹後の熱松(あつまつ)の海で蟒(うわばみ)とタコが戦い、ついにうわばみを海へ引き入れた、というのです。うわばみも抵抗していて、「蟒傍ノ木ニマキツキタレトモ、松ノ枝サケテ引シツメラル、今ニ松殘レリト云」、かたわらの木に巻き付いたけれども松の枝が裂けて引き沈められ、その松はいまも残っているという、と結ばれます。「今ニ松殘レリ」と、証拠の木まで添えた書き方です。
漁の手順と伝聞が同じ項目に
読んできた記述は、壺に紅い絹と唐辛子を入れる、爪で底を掻くと走り出る、使い込んだ壺は花生けになる、という、いま読んでも実用書として通る話と、夜に畑へ上がって茄子を摘み芋を掘る、牛馬を取り、うわばみと戦って海へ引き込む、という「〜ト云」で結ばれた伝聞の二つに分かれます。そして『重訂本草綱目啓蒙』では、この二つが同じ項目に同じ調子で書かれていました。
この並び方はこの本だけのものではなく、最初に開いた名産図会の章魚の項も、明石の蛸壺と長浜のスイチヤウの話のあと、コマ29で陸に上がるタコの話に移ります。夜、岸に上がって八本の足で飛ぶように走り、「田圃に入て芋を掘」って食い、日中でも人がいなければ出てきて、農夫が見つけて長い竿で打って獲ることもある、と、これも「といへり」の伝聞で結ばれていて、こちらに茄子は出てこず芋だけです。そのすぐあとには「大和本草に」として、但馬の大ダコが松の枝に巻き付いたうわばみと争い、枝ごと海へ引き入れた、という話を挙げていますが、『大和本草』の原文では、但馬は牛馬を取る大ダコの話で、うわばみと戦ったのは丹後の熱松の海でしたから、名産図会は二つの話をひとつにまとめて引いているように見えます。
今回開いた三冊は、どれもタコの項目に、漁の手順と信じがたい話を一緒に抱えていました。茄子の話は確かめようがありませんが、江戸の人がタコを、獲り方まで知り尽くした食材であると同時に、何をするか分からないものとしても見ていたことは、この並びからよく伝わってきます。
使った資料
資料 | この記事で使った箇所 | 条件 |
|---|---|---|
『日本山海名産図会』巻之四(巻之一に寛政10年=1798年の序。NDL本は後刷り/NDL PID:2575829) | コマ2=目録「明石章魚 長濱」/コマ27=明石の鮹壺、長浜のスイチヤウ/コマ28=「豫刕長濱 章魚」の見開き図/コマ29=スイチヤウの使い方、陸に上がるタコ、「大和本草に」の引用 | 著作権保護期間満了 |
『重訂本草綱目啓蒙』(小野蘭山 口授、弘化4年=1847年刊/NDL PID:2555647) | コマ58=京都のタコの産地、蛸壺漁の手順(長瓦壺・紅帛片・番椒・爪で壺底を掻く)、使い古した壺を花生けにする/コマ59=夜に陸へ上がり茄子を摘む | 著作権保護期間満了 |
『大和本草』巻十三(貝原篤信〈益軒〉、宝永6年=1709年刊/NDL PID:2557359) | コマ36=但馬の大ダコ、丹後熱松の海での蟒との一件 | 著作権保護期間満了 |
『梅園魚品図正』巻一(NDL PID:1287112) | コマ35=タコの彩色図 | 著作権保護期間満了 |
出典: 国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産図会』巻之四 / 『重訂本草綱目啓蒙』 / 『大和本草』 / 『梅園魚品図正』巻一
この記事でわかったこと
蛸壺の中には紅絹(もみ)の切れ端と赤く熟した唐辛子を少し入れていました。
『重訂本草綱目啓蒙』(小野蘭山 口授)の章魚の項に「採法ハ長繩ニ長瓦壺トヨブ、中ニ紅帛片及紅熟番椒等少許イレタルモノ數箇ヲ連綴シ海底ニシヅメ置」とあります。「長瓦壺」には「タコツボ」、「紅帛片」には「モミノキレ」、「番椒」には「トウガラシ」とルビが振られています。赤いものを入れた壺を数個つないで海底に沈めておく、という仕掛けでした。
壺に入ったタコは指の爪で壺の底を掻くと出てきました。
『重訂本草綱目啓蒙』に「必章魚壺中ニ入テ出ズ、陸ニ引揚テモ敢テイデス、指爪ヲモツテ壺底ヲ搔トキハ、便ミナ走リイヅ」とあります。陸に引き揚げてもタコは壺から出てこないが、爪で底を掻くとみな走り出る、という手順です。『日本山海名産図会』巻之四も、明石の蛸壺について、壺の底の裏を物で掻くとタコが自分から出てくるという趣旨を書いています。
『重訂本草綱目啓蒙』によると、長く使った蛸壺は外側に牡蠣の殻や小さな貝がくっついて奇妙な形になり、物好きな人がそれを花生けにしていました。
原文は「ソノ壺久クモチユル者ハ、外ニ蠣殼及小介粘著シテ異形ヲナス、好事者用テ花尊トス」で、「花尊」には「ハナイケ」とルビがあります。
いいえ。
巻之四の見開き図の題は「豫刕長濱 章魚」で、伊予の長浜の漁を描いています。本文によると、長浜では蛸壺ではなく「スイチヤウ」という、蟹をくくりつけた小さな板に釣り針を二つ付けた道具で獲っていました。蛸壺漁は同じ項で明石の獲り方として説明されていて、絵はありません。舟に積まれた丸い器は、編み目の描かれた籠です。
江戸時代の本草書に、そう書かれた記述が実際にあります。
『重訂本草綱目啓蒙』の章魚の項に「小ナルモノモ夜中陸ニ上リ、腹ヲ上ニシ足ヲ下ニシテ健走スルコト飛ガゴトクシテ、菜圃ニ入、茄ヲツミ、芋ヲホリ食フ」——小さいタコも夜中に陸へ上がり、腹を上に足を下にして飛ぶように走り、畑に入って茄子を摘み芋を掘って食う——とあり、「晝ニテモ人ナキトキハ出ト云」と続きます。『日本山海名産図会』巻之四にも、夜に岸へ上がって田畑で芋を掘るという話がありますが、こちらに茄子は出てきません。どちらも伝聞として記された内容で、事実として確認されたものではありません。
『大和本草』巻十三(宝永6年・1709年刊)には、但馬の大ダコが牛馬を捕らえ、夜泊まりの小舟に手を伸ばして人の有無を探るという記述があります。
さらに「丹後熱松ノ海ニテ蟒ト章魚トタヽカヒ、ツイニ蟒ヲ海ヘ引入ル」——丹後の熱松の海で蟒(うわばみ)とタコが戦い、ついにうわばみを海へ引き入れた——という一件も記されています。うわばみが巻き付いた松の枝が裂けて引き沈められ、その松がいまも残っているとされています。
『重訂本草綱目啓蒙』の章魚の項には、京都の市に来るタコはみな播州の二見浦で獲ったもので、摂州の兵庫から送られてくること、兵庫では漁をしないことが記されています。
また『日本山海名産図会』巻之四は、タコは諸国にいるが「中にも播州明石に多し」とし、明石では焼き物の壺を縄につけて沈める蛸壺漁をしていたと書いています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 日本山海名産圖會 5巻.[4]
法橋關月 画 [18--]
- 重訂本草綱目啓蒙 48巻.[17]
蘭山小野先生 口授・小野職孝士徳 録・井口望之蘇仲 訂 弘化4 [1847]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



