「十歳以上をとゞといふ」——「とどのつまり」のトドは、ボラの最後の名前だった
「とどのつまり」という言い方があります。
結局のところ、行き着くところ、という意味です。
この「とど」が魚の名前だということは、あまり知られていません。
天保二年(1831年)に出た『魚鑑』という魚の本に、その最後の一段が書いてあります。
1. 十歳以上を「とゞ」という
『魚鑑』の巻頭は「いの部」で、最初の項目が「いな」——ボラのことです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『魚鑑 2巻』・NDL PID:2557482 コマ19・著作権保護期間満了)
「初生をおぼこといひ、微しく育たるをゑぶなといふ」。
生まれたてがおぼこ。少し育つとゑぶな。
「二歳のものをいなといひ、三歳をすばしりといふ」。
二歳でいな、三歳ですばしり。
「四歳以上をぼらといふ、即鯔魚なり」。
四歳を過ぎて、ようやくぼらになります。
そして、最後の一行。
「十歳以上をとゞといふといへり」。
十歳を超えたものをとゞという——。
おぼこ、ゑぶな、いな、すばしり、ぼら、とど。ひとつの魚に六つの名前が並んでいます。
そして「とど」の先はありません。名前がここで終わるのです。
いまの辞書も、「とどのつまり」の語源をここに求めています。デジタル大辞泉は「ボラは成長するとともに名称が変わり、最後にトドという名になるところから」と説明しています。
2. 江戸では、六月十五日に名前が変わった
成長名というのは、ふつう大きさで変わります。
ところがボラには、それだけでは説明のつかない呼び分けがありました。
安永四年(1775年)の方言辞典『物類称呼』を見てみます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『物類称呼 5巻』・NDL PID:2539349 コマ29・著作権保護期間満了)
まず、名前の由来が書いてあります。
「一説に此魚河と海との潮境を往来する頃を賞して洲走の名有とぞ」。
この魚が川と海の境目を行き来するころを賞して「洲走」と呼ぶ、という説です。
問題は、その次の行です。
「江戸にては六月十五日より洲走を呼、十四日迄をいなと云也」。
江戸では六月十五日から「洲走」と呼び、十四日までは「いな」という——。
魚の大きさではありません。カレンダーです。
六月十四日に「いな」だった魚が、翌日には「すばしり」になる。同じ魚が、一晩で改名させられていたことになります。
3. 「ただの漁師の戯れの呼び名だろうか」
この名前の多さに、正面から疑いをぶつけた人がいます。
元禄十年(1697年)の食物本『本朝食鑑』を書いた、医師の人見必大です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ168・著作権保護期間満了)
必大はまず、名前をずらりと並べます。
「大ナル者ハ鯔・口女・伊勢鯉・名吉・腹便・鮱、小ナル者ハ江鮒・簀走ノ之類」。
大きいものは鯔、口女(くちめ)、伊勢鯉、名吉(なよし)、腹便、鮱(おほら)。小さいものは江鮒(えぶな)、簀走(すばしり)のたぐい。
そのうえで、こう書きます。
「海俗ノ所謂、自小至大、逐年有名」——漁師たちがいう、小さいものから大きいものまで年を追って名がある、というやつだ。
そして、突き放します。
「然未詳之、但漁家之戯稱乎」。
しかしその詳細はわからない。ただの漁師の戯れの呼び名だろうか——。
江戸の本草家が、目の前の慣習に首をかしげている一文です。
4. 名前の話は、神話から始まっている
なぜボラだけ、こんなに名前を持たされたのか。
その手がかりは、ずっと古いところにあります。
ボラの古い名は「口女(くちめ)」といいました。この名は、『日本書紀』の神代巻に出てきます。
海幸彦の釣針をなくした山幸彦が、海神の宮でその針を探してもらう——あの話です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ721・著作権保護期間満了)
海神は魚たちを召し集めて針の行方を尋ねますが、みな「知らない」と答えます。
「但赤女有口疾不來、亦云有口女口疫」——ただ赤女だけが口の病で来ない。
呼びつけて口の中を探ると、「所失之鉤立得」——なくした釣針がたちまち出てきました。
盗んだ犯人が見つかったわけです。海神はこう申し渡します。
「儞口女、從今以往、不得吞餌、又不得預天孫之饌」。
おまえ口女よ。今から後は、餌を呑んではならない。また天孫の食膳に加わることもならない——。
そして念を押すように、こう結ばれます。
「卽以口女魚所以不進御者其緣也」——口女の魚を御膳に出さないのは、これがゆえんである。
同じページの後段には、その口女が何の魚かも書いてあります。「口女卽鯔魚也」——口女とは、すなわちボラである。
つまりボラは、神話のなかで「御膳に出してはならない魚」と名指しされた魚でした。
5. だから「名吉」と呼び替えた
縁起の悪い由緒を背負った魚を、人はどう呼んだか。
『魚鑑』の「いな」の項の書き出しに、それが出てきます。
「いな 和名抄にいふなよし」——平安時代の辞書『和名類聚抄』では「なよし」という、と。
そして続けます。「即名吉の字音なり。古も名のよきに因するや」。
「なよし」とは「名吉」の字音である。昔から、名の良さにちなんだのだろうか——。
忌まれた魚に、「良い名」という名をつけた。そういう読み方です。
この「名吉」が、正月の門口に立っていました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ12・著作権保護期間満了)
この図を描いた毛利梅園は、絵の左に細かく書き込みをしています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ12・著作権保護期間満了)
「紀貫之ノ記ニ、カドノシリクメナワ名吉ノ頭柊ト云ル者此魚也」。
紀貫之の記——『土左日記』に「門のしりくめなわ、名吉の頭、柊」とあるのは、この魚のことである、と。
『土左日記』の承平五年正月元日の条は、『古事類苑』にも引かれています。「こゝのへのかどのしりくめなはの、なよしの頭、ひゝらぎら、いかにとぞいひあへる」——都の家々の門の注連縄に挿した、ボラの頭と柊は、いまごろどうしているだろう、と旅先で語り合った、という一節です。
正月の門に、ボラの頭と柊が挿してあった。
そして梅園は、そのすぐあとに、こう書き足しています。
「イツノ世ニ歟除夜ニ赤鰯ノ頭ヲナス事トナリ」。
いつの世からか、除夜に赤鰯の頭を挿すようになった——。
いま節分に飾るのはイワシの頭です。梅園は、その交代を一行で書き留めていたことになります。
6. カラスミは、誰の子か
ボラをめぐって、江戸の学者の意見が真っ二つに割れていた話があります。
カラスミです。
さきほどの『魚鑑』は、「いな」の項のなかにカラスミの見出しを立てて、これはこの魚の子であると書いています。「肥前より出るもの、黄赤色にして」——肥前産のものは黄赤色で、と産地の評価まで添えています。
ところが、その翌年ごろに描かれた梅園の図には、まったく逆のことが書いてあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287113 コマ48・著作権保護期間満了)
梅園が描いているのは赤目魚——ボラによく似た、メナダという別の魚です。
その脇に、こうあります。
「カラスミ、俗ニ鱲ノ字ヲ用ユ。即チ此ノ魚ノ子ナリ」——カラスミとは、この魚(=赤目魚)の子である。
そして決定的な一行。
「鯔魚ハ化生ニシテ子ナシ」。
ボラは化生の魚だから、子がない——。
化生とは、泥や水から自然に生まれる、という当時の考え方です。ボラは泥を食べる魚として知られていました。そこから「この魚には卵がない」という理解が生まれ、では名産のカラスミは何の子かというと、よく似た赤目魚の子だろう、という説明になったわけです。
梅園はさらに、「肥前ヨリ出ス者ヲカラスミノ上品トス」とも書いています。産地の評価は『魚鑑』と一致しているのに、原料の魚だけが食い違っている。
いまはどうなっているか。
農林水産省の地理的表示(GI)に登録されている「長崎からすみ」は、「ボラの卵巣を用いたからすみ」と定義されています。江戸時代に製法が考案され、百五十年にわたって将軍家に献上された、とも記されています。
ボラには、ちゃんと卵があったのです。
7. とどのつまり
神話で「御膳に出すな」と名指しされ、忌んで「名吉」と呼び替えられ、正月の門に頭を挿され、成長するたびに名前を変えさせられ、江戸では暦の日付でまで改名させられた。
『本朝食鑑』の人見必大が「ただの漁師の戯れの呼び名だろうか」と首をかしげたのも、無理はありません。
それだけ名前を重ねた末に、最後に残った一語が「とど」でした。
そこから先はもう名前がない。とどのつまりです。
この記事で使った資料
資料 | この記事で使った箇所 | 条件 |
|---|---|---|
『魚鑑』巻之上(武井周作・天保2年=1831年/NDL PID:2557482) | コマ18=「いな」の項の書き出し・「名吉」の字音/コマ19=おぼこ〜とゞの成長名/コマ21=からすみ | 著作権保護期間満了 |
『物類称呼』巻之二(越谷吾山・安永4年=1775年/NDL PID:2539349) | コマ29=江戸で六月十五日を境に「いな」「洲走」を呼び分けた記述 | 著作権保護期間満了 |
『本朝食鑑』巻八(人見必大・1697年/NDL PID:2557333) | コマ168=鯔の釈名と「但漁家之戯稱乎」 | 著作権保護期間満了 |
『古事類苑』動物部十七 魚中(NDL PID:1874269) | コマ721=所引『日本書紀』神代巻(口女)・所引『土左日記』(なよしの頭) | 著作権保護期間満了 |
『梅園魚品図正』2帖(毛利梅園/NDL PID:1287112・1287113) | 1287112 コマ12=鯔魚の彩色図と貫之・赤鰯の書き入れ/1287113 コマ48=赤目魚の彩色図とカラスミの書き入れ | 著作権保護期間満了 |
農林水産省 地理的表示(GI)登録 第132号「長崎からすみ」 | 現在のからすみの原料と歴史 | 公的機関の公開情報 |
出典: 国立国会図書館デジタルコレクション『魚鑑 2巻』 / 『物類称呼 5巻』 / 『本朝食鑑』 / 『古事類苑』動物部 / 『梅園魚品図正』2帖(一) / 同(二) / 農林水産省「長崎からすみ」GI登録
💡 この記事でわかったこと
- 01
そう説明されています。
デジタル大辞泉は「とどのつまり」の語源を「ボラは成長するとともに名称が変わり、最後にトドという名になるところから」と説明しています。実際、天保二年(1831年)の『魚鑑』巻之上「いな」の項には「四歳以上をぼらといふ、即鯔魚なり。十歳以上をとゞといふといへり」とあり、ボラの成長名の最後が「とゞ」であることが江戸時代の文献で確認できます。「とど」より先の呼び名はありません。
- 02
『魚鑑』巻之上(NDL PID:2557482 コマ19)は「初生をおぼこといひ、微しく育たるをゑぶなといふ」「二歳のものをいなといひ、三歳をすばしりといふ」「四歳以上をぼらといふ、即鯔魚なり」「十歳以上をとゞといふといへり」と記しています。おぼこ→ゑぶな→いな→すばしり→ぼら→とど、の六段階です。ただし著者の武井周作自身が「といへり」と伝聞の形で書いており、地方によって呼び名や段階は異なりました。
- 03
『物類称呼』巻之二(安永四年/NDL PID:2539349 コマ29)にその記述があります。
「江戸にては六月十五日より洲走を呼、十四日迄をいなと云也」——江戸では六月十五日から「洲走(すばしり)」と呼び、十四日までは「いな」という、と書かれています。魚の大きさではなく暦の日付で呼び名を切り替えていたことになります。同じ箇所には、この魚が川と海の潮の境を行き来するころを賞して「洲走」の名がある、という別の説も併記されています。
- 04
『魚鑑』は「いな」の項の書き出しで「和名抄にいふなよし」とし、「即名吉の字音なり。
古も名のよきに因するや」——「なよし」とは「名吉」の字音で、昔から名の良さにちなんだのだろうか——と書いています。一方でボラの古名「口女(くちめ)」は『日本書紀』神代巻に登場し、海神から「不得預天孫之饌」(天孫の食膳に加わることはできない)と申し渡された魚として記されています。『古事類苑』が引くその一節には「口女卽鯔魚也」(口女とはボラである)とも明記されています。
- 05
現在の「長崎からすみ」は、農林水産省の地理的表示(GI)登録で「ボラの卵巣を用いたからすみ」と定義されています。
ただし江戸時代には見解が割れていました。『魚鑑』(1831年)は「いな」=ボラの項でからすみを扱い、この魚の子だと書いています。一方、毛利梅園は『梅園魚品図正』の赤目魚(メナダ)の図に「カラスミ、俗ニ鱲ノ字ヲ用ユ。即チ此ノ魚ノ子ナリ」「鯔魚ハ化生ニシテ子ナシ」と書き入れ、ボラは泥から生じる魚なので卵を持たない、という当時の考え方からメナダの子だと説明していました。
SAKANA 編集部
良輔 × Claude(Anthropic)
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 人間が判断し、AIが調査を支援する協働プロジェクトです。