伊勢海老の名前の由来は伊勢産だからではない——獲るのは志摩の鳥羽
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寛政十年(1798年)の序をもつ『日本山海名産図会』は、伊勢海老の名前の由来を、伊勢で獲れるからではなく、伊勢から京へ送るからだと書いています。同じ一節には、鎌倉から江戸へ送るので江戸では鎌倉海老、志摩から尾張へ送るので尾張では志摩海老とも書いてあって、同じ赤いエビが、届いた先ごとに違う名で呼ばれていました。
獲れる量のほうも、伊勢の海の専売ではありません。静岡県の水産研究機関が農林水産省の統計をまとめた資料によると、1988年から2012年までの25年間でイセエビの漁獲が多かったのは、千葉県、三重県、和歌山県、静岡県、鹿児島県の5県でした(出典)。お正月の飾りやおせちの重箱の主役になる「めでたい」エビの名は、江戸の本を開くと、産地より運ばれた道のほうについていたことが分かります。
『古事類苑』から『日本山海名産図会』へ
手がかりにしたのは、明治から大正にかけて編まれた古典籍の引用集『古事類苑』の動物部で、エビ(鰕)の記事はコマ790から793まで見開き4つにわたり、平安時代の法令集『延喜式』から江戸の本草書まで二十点あまりの本が引かれていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ793・著作権保護期間満了)
並んだ書名のなかで名前の由来をいちばんはっきり書いていたのが、全国の名産品を作り方や獲り方の絵つきで紹介した『日本山海名産図会(にほんさんかいめいさんずえ)』です。序の末尾には「寛政戊午臘月」、寛政十年(1798年)の十二月の年記と、「木邨孔恭識」の署名があり(巻之一・NDL PID:2575826 コマ5)、ただし国会図書館で公開されている本そのものは後の刷りで、書誌の刊年は「[18--]」となっています。その巻之三を開くと、エビの項の隣にこんな見開きがありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ10・著作権保護期間満了)
題字は「海鰕網(えびあみ)」で、沖には帆かけ舟、波打ち際では裸の男たちが網を引き、浜では籠に移しているという、江戸時代のエビ漁がそのまま絵になっています。名前の由来は、この図の一つ前のページにありました。
「是伊勢より京師へ送る故に云なり」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ9・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
俗称伊勢海鰕と云、是伊勢より京師へ送る故に云なり、又鎌倉より江戸に送る故に、江戸にては鎌倉鰕と云、又志摩より尾張へ送る故に、尾張にては志摩鰕と云、又伊勢鰕の中に五色なる物有、甚奇
現代語訳
俗に伊勢海老という。これは伊勢から京へ送るからそう呼ぶのである。また鎌倉から江戸へ送るので、江戸では鎌倉海老という。また志摩から尾張へ送るので、尾張では志摩海老という。
項目の見出しは「海鰕(ゑび)」で、漢名は「蝦魁」、釈名は「紅鰕」と添えられ、その少し先に「俗称伊勢海鰕と云、是伊勢より京師へ送る故に云なり」とあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ9・著作権保護期間満了)
獲れる場所の話ではなく、送り出す場所の話です。文章はさらに「又鎌倉より江戸に送る故に、江戸にては鎌倉鰕と云」、「又志摩より尾張へ送る故に、尾張にては志摩鰕と云」と続きます。同じ、あの赤くて長い髭のエビが、京では伊勢海老、江戸では鎌倉海老、尾張では志摩海老と、届いた土地ごとに違う名前で呼ばれていたわけで、名前がついていたのは生きものではなく、運ばれてきた道のほうでした。
獲っていたのは志摩の鳥羽
伊勢から京へ送ると書いてある以上、伊勢は積み出し口で、獲っていた場所は別にあります。それをはっきり書いたのが、小野蘭山が口で授けた内容を書き留めた本草書『本草綱目啓蒙』で、ここで開いたのは弘化四年(1847年)刊の重訂版の巻之四十です(NDLの書誌による)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙 48巻』・NDL PID:2555647 コマ67・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
州ノ鳥羽ニテ漁シ、勢州ヨリ京師ニ來ル、故ニ伊勢ヱビト云、阿州ニテモ此名ヲ呼、勢州尾州ニテハ志摩ヱビト云、江戸ハ鎌倉ヨリ來ル、故ニ鎌倉ヱビト云、佐州ニテモコノ名
現代語訳
(この蝦は)志摩の鳥羽で漁をし、伊勢から京へ来る。だから伊勢エビという。阿波でもこの名で呼ぶ。伊勢・尾張では志摩エビという。江戸へは鎌倉から来る。だから鎌倉エビという。佐渡でもこの名で呼ぶ。
「海鰕(ウミヱビ)」の項に「州ノ鳥羽ニテ漁シ、勢州ヨリ京師ニ來ル、故ニ伊勢ヱビト云」とあり、前の行から続けて読むと、この蝦は志摩の鳥羽で漁をし、伊勢から京へ来るので伊勢エビという、となります。「この蝦」は、項のはじめで「海中に産する蝦の総名」と説明したあと、直前でイセエビの名を出して話を始めたエビのことです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙 48巻』・NDL PID:2555647 コマ67・著作権保護期間満了)
獲っているのは志摩の鳥羽で、名前になっているのは伊勢ですから、産地と名前は最初からずれていました。続きも同じ調子で、「阿州ニテモ此名ヲ呼、勢州尾州ニテハ志摩ヱビト云」、阿波でも伊勢エビと呼ぶが、伊勢と尾張では志摩エビという、とあります。伊勢の人はこれを伊勢海老とは呼んでおらず、伊勢から見れば、志摩から届くエビでした。
「江戸ハ鎌倉ヨリ來ル、故ニ鎌倉ヱビト云、佐州ニテモコノ名ヲ呼」、江戸へは鎌倉から来るので鎌倉エビといい、佐渡でもこの名で呼ぶ。名前は、その土地に届く最後の一区間を写していたように見えます。
一つの見出しに、二つの名前
名前が二つある状態は、寺島良安が編んだ絵入りの百科事典『和漢三才図会』にもそのまま載っています。開いたのは、明治十八年(1885年)に中近堂から出た版の巻第五十一「江海無鱗魚」です(NDLの書誌による)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』中之巻・明治18年中近堂刊・NDL PID:898161 コマ233・著作権保護期間満了)
見出しは漢名の「紅鰕」で、その右脇に仮名で「いせゑび」、「かまくらゑび」の二つが振られ、見出しの下にも漢字で「俗云伊勢鰕」「又云鎌倉鰕」と書いて、波間を泳ぐエビの図まで添えています。どちらか一方を正しい名前と決めず、京の読者にも江戸の読者にも通じるように両方を並べて置く、名前が土地によって割れていることをそのまま記録した書き方です。
ただ、同じ項の「按(あん)ずるに」で始まる段には、「按、紅鰕勢州相州多有之」、紅鰕は伊勢と相模に多い、という一言もあります。こちらは送るからではなく、その国に多いからという向きの説明で、同じ向きの言い方は、あとで梅園の書き入れにも出てきます。
「西國にては其海の産なれ共、いせゑびと呼」
方言の側からこの状態を確かめたのが、同じ物が国によってどう呼ばれているかを集めた、越谷吾山の『物類称呼』(安永四年・1775年刊)です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『物類称呼 5巻』・NDL PID:2539349 コマ41・著作権保護期間満了)
くずし字なので、活字で翻刻された『古事類苑』の同じ一節と突き合わせて読みました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ791・著作権保護期間満了)
「關西にていせゑび、關東にてかまくらゑびと云」と、まず東西で呼び名が割れていることを書き、次の一文で「又年の始にかざり海老とする物は、關東にてもいせゑび也」と続けます。ふだんは鎌倉海老と呼んでいる江戸の人が、正月飾りのときだけは伊勢海老と言うというのですから、めでたい場面では伊勢という名のほうが格を持っていた、ようにも見えます。
決定的なのは「西國にては其海の産なれ共、いせゑびと呼」の一行で、西国では自分の海で獲れたものでも伊勢海老と呼ぶ、とあります。目の前の海で獲れた一匹を遠い伊勢の名で呼んでいるのですから、ここまで来ると、名前はもう産地から完全に離れています。
同じ項目には「又江戸にて小なる物を芝ゑびといふ、大坂にて備前ゑびといふ」と小さいエビの呼び名も並んでいて、芝は江戸の芝浦(江戸の名産を並べた『続江戸砂子』に「芝海老 芝浦の名産也」とあります)、備前は国の名ですから、大きいエビも小さいエビも、その土地の人にとってどこから来るかで名前がついていました。
江戸の年の市で売られていた伊勢海老
江戸の町の人が伊勢海老を買っていた場所は、毛利梅園がエビやカニ、貝の図を描きためた『梅園介譜』に書いてあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園介譜』・NDL PID:1286918 コマ11・著作権保護期間満了)
見開きいっぱいの彩色図で、左下には「甲午正月十五日 真寫」、正月十五日に写生したとあり、見出しの「海鰕」には「イセヱヒ」「カマクラヱヒ」「ウミヱビ」とルビが三つ並んでいます。図の右側の書き入れは、こうです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園介譜』・NDL PID:1286918 コマ11・著作権保護期間満了)
「此者國俗春盤飾ニ用之、浅草及神田、又所々ノ年ノ市ニ多ク賣ル」。正月の飾りに使うもので、浅草や神田、あちこちの年の市でたくさん売られているといい、年の市は暮れに正月用品を売る市ですから、江戸の人はそこで飾り用のエビを買っていたことになります。
続けて「伊勢ヨリ多ク塩ニ和シテ送ル故ニ伊勢ヱビト云」、伊勢から多く塩をして送ってくるので伊勢エビといい、「鎌倉ヨリモ多ク出ス故ニ又カマクラヱヒト云」、鎌倉からも多く出すのでカマクラエビともいう、とあります。『日本山海名産図会』と同じく送る・出すで名前を説明していて、こちらには「塩ニ和シテ」の一語が加わっていますから、伊勢から届くものの多くは塩をして運ばれていたことになり、飾りに使うのなら、それで足りたのでしょう。
同じ図には、もう一つの説明も書き添えられています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園介譜』・NDL PID:1286918 コマ11・著作権保護期間満了)
図の左側には「王世懋閩部疏曰」として「龍蝦」という名を掲げ、その下の考証に「諸州有トイヘドモ、伊勢及相州鎌倉名産ナリ、故ニイセヱヒ、カマクラノ名アリ」、諸国にあるが伊勢と相州鎌倉の名産なので、その名があるとしていて、これは『和漢三才図会』の「勢州相州多有之」と同じ向きの説明です。送るから、名産だから、と同じ一枚の紙の上に二つの理由が並んでいて、江戸の人にとっても、この名前の由来は一つに決まりきっていたわけではなかったようです。
この書き入れにはついでに「延喜式ニ伊勢、摂津、和泉ノ國ヨリ貢ス」ともあって、平安時代の『延喜式』で海老を朝廷に納めていた国に伊勢・摂津・和泉が挙がるという指摘ですから、これに従えば、伊勢の名は延喜式のころからエビと結びついていたことになります。
国の名前がついたエビたち
伊勢海老だけが特別だったわけでもなく、『古事類苑』が引く『毛吹草』巻三の諸国の名産からエビを抜くと、「伊勢 海老」、「相摸 海老」(割注に「伊勢エビノゴトシ」)、「近江 小ノ濱海老」と、国名に海老を付けた並びになっています。
江戸の名産を並べた『続江戸砂子』の「江府名産」には「鎗倉蝦 上方にていふ伊勢海老也、江府は鎌倉より出ルゆへにいふ也」とあり、見出しの一字目が活字では「鎌」ではなく「鎗」になっているのは、すぐあとの本文が「鎌倉より」なので組み違いのように見えます。江戸の本が自分の町の言い方を自分で説明しているわけですが、この一文には「又伊勢海老とも云」という続きがあり、江戸でも鎌倉蝦だけでなく伊勢海老の名が通じていたことになって、『物類称呼』の、正月の飾り海老は関東でもいせゑびという話とつながって見えます。同じ本には「芝海老 芝浦の名産也」ともあります。
「海老」の字と、元禄の「今」
元禄十年(1697年)刊の食べ物の本『本朝食鑑』(人見必大)は、「鰕(えび)」の項の釈名(名前の説明)に「釋名 海老」と書き、その下に小さな字で二列に割って注(割注)をつけています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557334 コマ41・著作権保護期間満了)
割注は「源順曰、俗用海老二字、今爲海鰕之名」で、一続きに読むと、源順(みなもとのしたごう)が言うには、世間では海老の二字を使い、いまではそれが海のエビの名になっている、と全体が源順の言葉に見えます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557334 コマ41・著作権保護期間満了)
ところが源順は平安時代の辞書『倭名類聚抄』(和名抄)の編者で(国立国会図書館サーチの書誌による)、『古事類苑』がコマ790に引く和名抄の鰕の項は「七卷食經云、鰕〈音遐、和名衣比、俗用海老二字〉味甘平無毒者也」と、話が短く終わっています。『食経』を引いて鰕の味を書き、音は遐(か)、和名は衣比(えび)、世間では海老の二字を使う、と注に書いてあるのはそこまでで、海のエビの名になっているという話は出てきませんし、この鰕は海のエビに限らない、エビという字そのものの項です。
とすると、割注の後半「今爲海鰕之名」は源順の言葉ではなく元禄の必大が書き足した一言で、その「今」は平安ではなく必大のいまだと見たほうが自然です。エビ一般の書き方だった海老が、元禄のころには大きな海のエビを指す名に寄っていて、必大はそれを割注の半分で書き留めていたことになります。
そう読むと、少し先の一文がよくつながります。必大はエビに「海河二種」、海と川の二種があると書いたすぐあとに、「伊勢鰕、鎌倉鰕者海鰕之大也」、伊勢鰕・鎌倉鰕とは海のエビの大きなものだと書いていて、種類の名としてではなく、大きな海のエビの呼び名として二つの名前を出しています。正月の使い方も「正月元日門戸立松竹、上懸煮紅海老及柚柿之類」、元日には門口に松と竹を立て、その上に赤く煮た海老や柚・柿の類を懸けるとあって、いまの正月飾りとほとんど同じ光景です。
名前は、魚ではなく道についていた
名前の由来を書いた江戸時代の本の多くは、送る、来るという言葉で説明していて、伊勢海老の伊勢は、獲れた場所ではなく送り出された場所でした。伊勢や相模に多いから、名産だからという説明も『和漢三才図会』や『梅園介譜』に並んでいますが、どこで獲っていたかまで書いたのは送るの側の本で、獲っていたのは志摩の鳥羽、そこから伊勢を経て京へ運ばれたから京の人は伊勢海老と呼び、江戸へは鎌倉から届いたから鎌倉海老、尾張へは志摩から届いたから志摩海老と呼んだのです。
その名はやがて土地を離れ、江戸の人も正月飾りのときだけはいせゑびと言い、西国の人は目の前の海で獲れた一匹までいせゑびと呼ぶようになります。いま三重県以外で獲れたものを伊勢海老と呼ぶのは、看板に偽りがあるからではなく、もともとそういう名前だったからで、ブランド名が産地から離れて一人歩きするという現代のような話を、江戸の本は二百年以上前に書き残していました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産図会 5巻』[3] / 同[1](序) / 『重訂本草綱目啓蒙 48巻』[17] / 『和漢三才図会』中之巻 / 『物類称呼 5巻』 / 『梅園介譜』 / 『本朝食鑑』 / 『古事類苑』動物部
この記事でわかったこと
江戸時代の本は、伊勢で獲れるからではなく「伊勢から京へ送るから」だと説明しています。
寛政十年(1798年)の序をもつ『日本山海名産図会』巻之三は「俗称伊勢海鰕と云、是伊勢より京師へ送る故に云なり」——伊勢から京へ送るからそう呼ぶ——と書いています。同じ本は続けて、鎌倉から江戸へ送るので江戸では鎌倉鰕、志摩から尾張へ送るので尾張では志摩鰕と呼ぶ、とも記しています。名前がついていたのは獲れた場所ではなく、その土地に届く運送の経路のほうでした。
江戸では伊勢海老を「鎌倉海老(かまくらゑび)」と呼んでいました。
安永四年(1775年)の方言辞典『物類称呼』は「關西にていせゑび、關東にてかまくらゑびと云」と、東西で呼び名が割れていることを記録しています。ただし同じ本は「又年の始にかざり海老とする物は、關東にてもいせゑび也」とも書いていて、正月飾りに使うものだけは江戸でも「いせゑび」と呼ばれていました。江戸の名産を並べた『続江戸砂子』も「鎗倉蝦 上方にていふ伊勢海老也、江府は鎌倉より出ルゆへにいふ也」と説明し、続けて「又伊勢海老とも云」とも書いています(見出しの「鎗」は活字の組み違いと見られます)。
『重訂本草綱目啓蒙』は、志摩の鳥羽で漁をしていたと書いています。
「州ノ鳥羽ニテ漁シ、勢州ヨリ京師ニ來ル、故ニ伊勢ヱビト云」——志摩の鳥羽で漁をし、伊勢から京へ来るので伊勢エビという、という記述です。同じ本は「勢州尾州ニテハ志摩ヱビト云」とも記していて、伊勢や尾張の人はこれを「志摩エビ」と呼んでいました。産地の側から見れば、それは伊勢の海老ではなかったわけです。
毛利梅園の『梅園介譜』のイセエビ図に、その様子が書き入れられています。
「此者國俗春盤飾ニ用之、浅草及神田、又所々ノ年ノ市ニ多ク賣ル」——正月の飾りに使うもので、浅草や神田をはじめ、あちこちの年の市で多く売られている。続けて「伊勢ヨリ多ク塩ニ和シテ送ル故ニ伊勢ヱビト云」と、伊勢からは多く塩をして送られてくることまで記しています。
平安時代の辞書『倭名類聚抄』の鰕(えび)の項に、すでに「俗用海老二字」——世間では「海老」の二字を使う——とあります(『古事類苑』動物部所引)。
元禄十年(1697年)刊の『本朝食鑑』はこれを「源順曰」として引き、そのあとに「今爲海鰕之名」——いまは海のエビの名になっている——と続けています。和名抄ではエビという字の項の書き方だった「海老」が、元禄のころには大きな海のエビを指す名になっていたことがうかがえます。同じ項には「正月元日門戸立松竹、上懸煮紅海老及柚柿之類」と、元日に門口の松竹へ赤く煮た海老を懸ける習慣も記されています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 古事類苑.第49冊
神宮司庁 編 明治43
- 日本山海名産圖會 5巻.[1]
法橋關月 画 [18--]
- 日本山海名産圖會 5巻.[3]
法橋關月 画 [18--]
- 重訂本草綱目啓蒙 48巻.[17]
蘭山小野先生 口授・小野職孝士徳 録・井口望之蘇仲 訂 弘化4 [1847]
- 和漢三才図会.中之巻
寺島良安 (尚順) 編 明18
- 物類称呼 5巻
越谷吾山 編 安永4 [1775]
- 梅園介譜
〔毛利梅園//画〕
- 本朝食鑑 12巻.[3]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



