「是伊勢より京師へ送る故に云なり」——伊勢海老は、伊勢で獲れるから伊勢海老ではなかった
お正月の飾りや、おせちの重箱の主役。伊勢海老は「めでたい」の代表選手です。
名前に「伊勢」とついているのだから、伊勢——いまの三重県——で獲れるから伊勢海老。ずっとそう思っていました。
ところが、漁獲量を調べると話が合いません。
静岡県の水産研究機関が農林水産省の統計をまとめた資料によると、1988年から2012年までの25年間でイセエビの漁獲が多かったのは、千葉県、三重県、和歌山県、静岡県、鹿児島県の5県でした(出典)。
伊勢の海の専売品ではないのです。
では、なぜ「伊勢」海老なのか。
江戸時代の本は、この名前の由来をはっきり書き残していました。しかも、私たちが思っているのとは、まるで違う理由で。
0. 江戸時代の本は、いまそのまま読める
国立国会図書館デジタルコレクションには、江戸時代の本が撮影されたままの画像で公開されています。著作権はとうに切れているので、誰でも、無料で、1ページずつ拡大して読めます。
ただ、開けばすぐ目当ての一行に届く、というわけにはいきません。江戸の本に索引はないからです。
そこで先に開くのが『古事類苑』。明治から大正にかけて編まれた、古典籍の巨大な引用集です。テーマごとに、あちこちの本の該当箇所をまとめて並べてくれています。
その動物部でエビを探すと、コマ790から793までのわずか4ページに、平安時代の法令集から江戸の本草書まで二十点あまりが引かれていました。ここが入口です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ793・著作権保護期間満了)
並んだ書名の中で、名前の由来をいちばんはっきり書いていたのが『日本山海名産図会(にほんさんかいめいさんずえ)』でした。
全国の名産品を、作り方や獲り方の絵つきで紹介した本です。序の末尾には「寛政戊午臘月」——寛政十年(1798年)の十二月——の年記と、「木邨孔恭識」の署名があります。
その巻之三を開くと、エビの項の隣にこんな見開きが待っていました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ10・著作権保護期間満了)
題字は「海鰕網(えびあみ)」。エビを獲る網、という意味です。
沖には帆かけ舟、波打ち際では裸の男たちが網を引き、浜では籠に移している。江戸時代のエビ漁が、そのまま絵になっています。
そして、この図の一つ前のページに、名前の由来が書いてありました。
1. 「是伊勢より京師へ送る故に云なり」

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ9・著作権保護期間満了)
項目の見出しは「海鰕(ゑび)」。漢名は「蝦魁」、釈名は「紅鰕」と添えられています。
その少し先に、こうあります。
「俗稱伊勢海鰕と云、是伊勢より京師へ送る故に云なり」。
世間では伊勢海老という。これは伊勢から京へ送るから、そう呼ぶのだ——。
獲れる場所の話ではありません。送り出す場所の話です。
しかも、文章はここで終わりません。
「又鎌倉より江戸に送る故に、江戸にては鎌倉鰕と云」。
また鎌倉から江戸へ送るので、江戸では鎌倉海老という。
「又志摩より尾張へ送る故に、尾張にては志摩鰕と云」。
また志摩から尾張へ送るので、尾張では志摩海老という。
同じ生きものです。同じ、あの赤くて長い髭のエビです。
それが、京では伊勢海老、江戸では鎌倉海老、尾張では志摩海老。届いた土地ごとに、違う名前で呼ばれていたことになります。
名前がついていたのは、魚ではなく——運ばれてきた道のほうでした。
2. 獲っているのは、志摩の鳥羽だった
「伊勢から京へ送る」と書いてあるということは、伊勢は積み出し口だということです。
では、どこで獲っていたのか。それをはっきり書いた本があります。
小野蘭山の講義をまとめた本草書『本草綱目啓蒙』。いま読めるのは弘化四年(1847年)に刊行された重訂版です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙 48巻』・NDL PID:2555647 コマ67・著作権保護期間満了)
「海鰕(ウミヱビ)」の項に、こうあります。
「州ノ鳥羽ニテ漁シ、勢州ヨリ京師ニ來ル、故ニ伊勢ヱビト云」——前の行から続けて読むと、この蝦は志摩の鳥羽で漁をし、伊勢から京へ来る。だから伊勢エビという、となります。
獲っているのは志摩の鳥羽。名前になっているのは伊勢。
産地と名前が、最初からずれているのです。
続きも同じ調子です。
「阿州ニテモ此名ヲ呼、勢州尾州ニテハ志摩ヱビト云」。阿波でも「伊勢エビ」と呼ぶ。ところが伊勢と尾張では「志摩エビ」という。
伊勢の人は、これを伊勢海老とは呼びませんでした。自分の国から送り出す側だからです。
「江戸ハ鎌倉ヨリ來ル、故ニ鎌倉エビト云、佐州ニテモコノ名ヲ呼」。江戸へは鎌倉から来るので鎌倉エビ。佐渡でもこの名で呼ぶ。
名前は、その土地に届く最後の一区間を写していました。
3. 同じ一匹に、二つの名前
この「名前が二つある」状態は、絵入りの百科事典にもそのまま載っています。
正徳年間(十八世紀初め)に大坂の医師・寺島良安が編んだ『和漢三才図会』です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』・NDL PID:898161 コマ233・著作権保護期間満了)
見出しは漢名の「紅鰕」。そして、その下に仮名で二つ。
「いせゑび」、「かまくらゑび」。
波間を泳ぐエビの図まで添えられています。
この本の書き方には、いま見ても筋が通っています。どちらか一方が正しい名前だ、とは決めていないのです。
京の読者にも江戸の読者にも通じるように、両方を並べて置く。名前が土地によって割れていることを、そのまま記録したかたちです。
4. 「西國にては其海の産なれ共、いせゑびと呼」
方言の側から、この状態を確かめた本もあります。
安永四年(1775年)、越谷吾山が編んだ日本最古級の方言辞典『物類称呼』です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『物類称呼 5巻』・NDL PID:2539349 コマ41・著作権保護期間満了)
くずし字なので、活字で翻刻された『古事類苑』の同じ一節と突き合わせて読みます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ791・著作権保護期間満了)
「關西にていせゑび、關東にてかまくらゑびと云」。まず、東西で呼び名が割れていることが確認されます。
次の一文が効きます。
「又年の始にかざり海老とする物は、關東にてもいせゑび也」。
正月に飾りにするものだけは、関東でも「いせゑび」と呼ぶというのです。
ふだんは鎌倉海老と呼んでいる江戸の人が、正月飾りのときだけ伊勢海老と言う。めでたい場面では、伊勢という名のほうが格を持っていたことになります。
そして、決定的な一行。
「西國にては其海の産なれ共、いせゑびと呼」。
西国では自分の海で獲れたものなのに、それでも「いせゑび」と呼ぶ——。
ここまで来ると、名前はもう産地から完全に離れています。目の前の海で獲れた一匹を、遠い伊勢の名で呼んでいるのですから。
同じ項目には、小さいエビの呼び名も並びます。「又江戸にて小なる物を芝ゑびといふ、大坂にて備前ゑびといふ」。
江戸では芝海老、大坂では備前海老。芝は江戸湾に面した芝浦、備前は瀬戸内の国名です。
大きいエビも小さいエビも、名前のつき方は同じでした。その土地の人にとって、それがどこから来るか。
5. 江戸の年の市で売られていた伊勢海老
では、江戸の町の人はどこで伊勢海老を買っていたのか。
それを書き残したのが、江戸の旗本で博物画家でもあった毛利梅園です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園介譜』・NDL PID:1286918 コマ11・著作権保護期間満了)
見開きいっぱいの彩色図です。左下には「甲午正月十五日 真寫」——正月十五日に写した、とあります。
見出しは「海蝦」。ルビは「イセヱヒ」「カマクラヱヒ」「ウミヱビ」と、やはり三つ並んでいます。
そして図の右側に、梅園自身の書き入れがあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園介譜』・NDL PID:1286918 コマ11・著作権保護期間満了)
「此者國俗春盤飾ニ用之、浅草及神田、又所々ノ年ノ市ニ多ク賣ル」。
これは正月の飾りに使うもので、浅草や神田、あちこちの年の市でたくさん売られている——。
年の市は、暮れに正月用品を売る市です。江戸の人は、そこで飾り用のエビを買っていました。
続きが、この記事の芯にそのまま重なります。
「伊勢ヨリ多ク塩ニ和シテ送ル故ニ伊勢ヱビト云」。
伊勢から塩に漬けて送ってくることが多いので、伊勢エビという。
「鎌倉モ多ク出ス故ニ又カマクラヱビト云」。鎌倉からもたくさん出るので、また鎌倉エビという。
『日本山海名産図会』とまったく同じ説明です。しかも梅園は、そこに「塩ニ和シテ」——塩漬けにして——という一語を足しました。
江戸の年の市に並んでいたのは、生きたエビではなく、塩をして遠くから運ばれてきたものだったわけです。
飾りに使うのなら、それで足りる。名前が流通の言葉になっていったのも当然かもしれません。
ただし、梅園は同じ図にもう一つの説明も書き添えています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園介譜』・NDL PID:1286918 コマ11・著作権保護期間満了)
図の左側、漢籍を並べた考証の部分です。
「諸州有ドモ、伊勢及相州鎌倉ノ名産ナリ、故ニイセヱヒ、カマクラノ名アリ」。
諸国にあるけれども、伊勢と相州鎌倉の名産である。だからイセエビ・カマクラの名がある——こちらは「名産だから」という説明です。
送るから、名産だから。同じ一枚の紙の上に、二つの理由が並んでいます。
江戸の人にとっても、この名前の由来は一つに決まりきっていたわけではなかったようです。
ちなみにこの書き入れには「延喜式ニ伊勢、摂津、和泉ノ國ヨリ貢ス」ともあります。平安時代の法令集『延喜式』で、海老を朝廷に納めていた国として伊勢・摂津・和泉が挙がる、という指摘です。
伊勢の名は、そのころからエビと結びついていたことになります。
6. 国の名前がついたエビたち
ここまで来ると、「伊勢海老」だけが特別なのではないと分かってきます。
『古事類苑』が引いている俳諧の本『毛吹草』には、諸国の名産が国ごとに並んでいます。エビの部分を抜くと、こうです。
「伊勢 海老」、「相摸 海老」(割注に「伊勢エビノゴトシ」)、「近江 小ノ濱海老」。
伊勢の海老、相模の海老、近江の小濱海老。国名+海老という並びです。
江戸の地誌『続江戸砂子』の記述も、『古事類苑』に引かれています。
「鎗倉蝦 上方にていふ伊勢海老也、江府は鎌倉より出ルゆへにいふ也」。
鎌倉蝦とは上方でいう伊勢海老のことで、江戸へは鎌倉から出るからそう呼ぶ——江戸の地誌が、自分の町の言い方を自分で説明しています。
同じ本には「芝海老 芝浦の名産也」ともあります。
7. 「海老」という字は、どこから来たのか
最後に、字の話をひとつ。
元禄十年(1697年)の食物本『本朝食鑑』を書いた医師・人見必大は、「鰕」の項の釈名にこう記しています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557334 コマ41・著作権保護期間満了)
「釋名 海老」——そして割注に「源順曰、俗用海老二字、今爲海鰕之名」。
源順(『倭名類聚抄』を編んだ平安時代の学者)がいうには、世間では「海老」の二字を使っており、いまではそれが海のエビの名になっている、という意味です。
その少し先に、この記事でずっと追ってきた二つの名前が出てきます。
「伊勢鰕、鎌倉鰕者海鰕之大也」——伊勢鰕・鎌倉鰕とは、海のエビの大きなものである。
必大は種類の名として書いているのではありません。大きな海のエビ=伊勢鰕・鎌倉鰕、という説明の仕方です。
正月の使い方も書いてあります。「正月元日門戸立松竹、上懸煮紅海老及柚柿之類」——元日には門口に松と竹を立て、その上に赤く煮た海老や柚・柿の類を懸ける。
いまの正月飾りと、ほとんど同じ光景です。
8. 名前は、魚ではなく道についていた
まとめます。
江戸時代の本は、口をそろえて同じことを言っていました。伊勢海老の「伊勢」は、獲れた場所ではなく、送り出された場所である、と。
獲っていたのは志摩の鳥羽。そこから伊勢を経て京へ運ばれたから、京の人は伊勢海老と呼んだ。江戸へは鎌倉から届いたから鎌倉海老、尾張へは志摩から届いたから志摩海老。
そして、その名がやがて土地を離れます。江戸の人も、正月飾りのときだけは「いせゑび」と言う。西国の人は、目の前の海で獲れた一匹をも「いせゑび」と呼ぶようになる。
いま私たちが「伊勢海老」と呼んでいるのは、その最後の段階です。
三重県以外で獲れたものを伊勢海老と呼ぶのは、看板に偽りがあるからではありません。もともと、そういう名前だったのです。
ブランド名が産地から離れて一人歩きする——現代の話のようですが、江戸の本はそれを二百年以上前に、産地の側から淡々と書き残していました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産図会 5巻』[3] / 『重訂本草綱目啓蒙 48巻』[17] / 『和漢三才図会』 / 『物類称呼 5巻』 / 『梅園介譜』 / 『本朝食鑑』 / 『古事類苑』動物部
💡 この記事でわかったこと
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江戸時代の本は、伊勢で獲れるからではなく「伊勢から京へ送るから」だと説明しています。
寛政十年(1798年)の序をもつ『日本山海名産図会』巻之三は「俗稱伊勢海鰕と云、是伊勢より京師へ送る故に云なり」——伊勢から京へ送るからそう呼ぶ——と書いています。同じ本は続けて、鎌倉から江戸へ送るので江戸では鎌倉鰕、志摩から尾張へ送るので尾張では志摩鰕と呼ぶ、とも記しています。名前がついていたのは獲れた場所ではなく、その土地に届く運送の経路のほうでした。
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江戸では伊勢海老を「鎌倉海老(かまくらゑび)」と呼んでいました。
安永四年(1775年)の方言辞典『物類称呼』は「關西にていせゑび、關東にてかまくらゑびと云」と、東西で呼び名が割れていることを記録しています。ただし同じ本は「又年の始にかざり海老とする物は、關東にてもいせゑび也」とも書いていて、正月飾りに使うものだけは江戸でも「いせゑび」と呼ばれていました。江戸の地誌『続江戸砂子』も「鎗倉蝦 上方にていふ伊勢海老也、江府は鎌倉より出ルゆへにいふ也」と説明しています。
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『重訂本草綱目啓蒙』は、志摩の鳥羽で漁をしていたと書いています。
「州ノ鳥羽ニテ漁シ、勢州ヨリ京師ニ來ル、故ニ伊勢ヱビト云」——志摩の鳥羽で漁をし、伊勢から京へ来るので伊勢エビという、という記述です。同じ本は「勢州尾州ニテハ志摩ヱビト云」とも記していて、伊勢や尾張の人はこれを「志摩エビ」と呼んでいました。産地の側から見れば、それは伊勢の海老ではなかったわけです。
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旗本で博物画家の毛利梅園が『梅園介譜』のイセエビ図に、その様子を書き入れています。
「此者國俗春盤飾ニ用之、浅草及神田、又所々ノ年ノ市ニ多ク賣ル」——正月の飾りに使うもので、浅草や神田をはじめ、あちこちの年の市で多く売られている。続けて「伊勢ヨリ多ク塩ニ和シテ送ル故ニ伊勢ヱビト云」と、塩漬けにして送られてくることまで記しています。江戸の年の市に並んでいたのは、生きたエビではなく塩をして運ばれてきたものでした。
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元禄十年(1697年)の『本朝食鑑』が、平安時代の学者・源順の言葉として説明しています。
釈名の項に「海老」と掲げ、割注に「源順曰、俗用海老二字、今爲海鰕之名」——世間では「海老」の二字を使い、いまではそれが海のエビの名になっている——とあります。同じ項には「正月元日門戸立松竹、上懸煮紅海老及柚柿之類」と、元日に門口の松竹へ赤く煮た海老を懸ける習慣も記されていて、いまの正月飾りとほとんど同じ光景が書き留められています。
SAKANA 編集部
良輔 × Claude(Anthropic)
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