「鰆の字も亦国俗の制なり」——サワラは春の魚ではなく、腹の狭い魚だった
春になると魚売り場に「鰆」の字が並びます。
魚へんに、春。字を見ただけで季節が分かる、よくできた名前です。瀬戸内では春の風物詩、俳句では春の季語になっています。
ところが江戸時代の本を開くと、この字について、そっけない一文が置かれていました。
この字は日本で勝手に作ったものだ、と。
0. 江戸時代の本は、いまそのまま読める
国立国会図書館デジタルコレクションには、江戸時代の本が撮影されたままの画像で公開されています。著作権はとうに切れているので、誰でも、無料で、1ページずつ拡大して読めます。
ただ、開けばすぐ目当ての一行に届く、というわけにはいきません。江戸の本に索引はないからです。
そこで先に開くのが『古事類苑』。明治から大正にかけて編まれた、古典籍の巨大な引用集です。テーマごとに、あちこちの本の該当箇所をまとめて並べてくれています。
その動物部で鰆を探すと、魚の巻のコマ772から773に引用が集まっていました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ772・著作権保護期間満了)
〔毛吹草 三〕には「讃岐 鰆」。諸国名産のリストに、讃岐のサワラが挙がっています。
並んだ書名のうち、字そのものに切り込んでいたのが『日本山海名産図会』でした。全国の名産品を作り方の絵つきで紹介した本で、序の末尾には寛政十年(1798年)の年記があります。
その巻之三、讃岐のサワラの項です。
1. 「鰆の字も亦国俗の制なり」

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ18・著作権保護期間満了)
「鰆の字亦国俗の制なり」。
「鰆」の字も、また日本で作られたものである——。
いわゆる国字です。鰯や鱈や鮪と同じで、中国から来た字ではなく、日本で組み立てられた字だ、という指摘です。
ご丁寧に、反論の先回りまでしてあります。
「尤字書に春魚とあれども、終に二三歩計の微魚にてさらに充べからず」。
たしかに字書に「春魚」という字はある。しかしそれは二、三分ほどの小魚のことで、この大きな魚に当てるわけにはいかない——。
二、三分といえば1センチ足らず。六、七尺(2メートル近く)にもなるサワラとは似ても似つきません。
字が同じでも、指しているものが違う。だから、この字は日本で作り直されたものだ、というわけです。
2. 「狭腹」——腹が狭いから、さはら
では、名前そのものの由来は何か。同じ列が、そのまま答えに続きます。
「大和本草馬鮫魚に充たり、曰、魚大なれども腹小に狭し、故に狭腹と号く、サは狭、少なり」。
貝原益軒の『大和本草』は、漢名の馬鮫魚を当てている。いわく、この魚は大きいけれども腹が小さく狭い。だから「狭腹(さはら)」と名づけた——。
サワラは細長い魚です。全長のわりに、腹まわりがない。あの体型がそのまま名前になっていた、という説明です。
同じ説は、益軒の語源辞典『日本釈名』にも出てきます。『古事類苑』が引く一節は、こうです。
「さは狹なり、せばき也、はらは腹也、此魚長大なれども腹せばく小也」。
サは狭い、ハラは腹。この魚は長くて大きいけれど、腹が狭くて小さい——。
春はどこにも出てきません。
3. 数十艘で追い回し、石を投げる
名産図会は、讃岐での獲り方も書いています。
五月から十月にかけて多く獲れ、大きいものは六、七尺にもなる。漁師は群れを見つけると数十艘の舟を連ねて魚の後ろから漕ぎまわり、しつこく追い回す。
やがて魚が疲れて酔ったようになったところで、先頭の舟から石を投げてさらに驚かせ、逃げ返ろうとする瞬間を見計らって網をおろす——という趣旨の記述です。
一尾も漏らさない、と書かれています。これを「大網」または「しぼる」と呼んだそうです。
魚を疲れさせてから追い込む。瀬戸内の漁の、二百年前の姿です。
4. カラスミは「唐の墨」だった
そして、この項でいちばん面白いのが卵の話です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ18・著作権保護期間満了)
サワラの子はたいそう大きい、と述べたあとに、こうあります。
「たるをカラスミといへり、即乾し子と云」。
干したものをカラスミという。すなわち干し子のことである——。
いま「からすみ」といえばボラの卵巣です。ところが江戸の本は、サワラの子を干したものをそう呼んでいました。
なぜ「からすみ」というのか。元禄十年(1697年)の『本朝食鑑』が、はっきり書いています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ773・著作権保護期間満了)
「鰆多子、胞如刀豆之莢、曝乾似華墨之古、名曰唐墨」。
サワラは子が多く、その胞は刀豆(なたまめ)の莢のようだ。干し上げると中国の墨に似ているので、名づけて唐墨という——。
あの形と色を、墨に見立てた名前でした。
ではなぜ「華墨」ではなく「唐墨」なのか。著者の人見必大は、その疑問にも答えています。
日本は初め漢や魏と交流したが、盛んに行き来したのは唐の高祖の代から。だから遣唐使が何代も送られた。「於是唐字訓加良、而至今民俗以華物稱唐之類乎」——そこで「唐」の字を「から」と訓むようになり、いまも民間では中国の物を「唐」と呼ぶ。その類だろう、と。
唐(から)の墨(すみ)で、からすみ。舶来品を「唐」と呼ぶ習慣から来ている、という説明です。
5. 本家はどっちだ——サワラかボラか
ここで、江戸の本どうしが食い違います。
『本朝食鑑』は、サワラのカラスミが「近代爲賀儀之佳肴而賞之」——近ごろ祝儀の佳肴として賞美される——と書き、「土佐阿波讃岐国守獻之」、土佐・阿波・讃岐の国守が献上する、と続けます。
四国のサワラのカラスミが、献上品だったわけです。
ところが、そのすぐあとにこう書いてあります。
「鯔魚之唐墨味勝于鰆」。
ボラのカラスミの味は、サワラに勝る——。
詳しくはボラの条を見よ、と付け足されています。
一方、百年後の『日本山海名産図会』は、サワラのカラスミを説明したあとで、ボラの子で作ったものはこれに劣る、という趣旨を書いています。まるきり逆です。
江戸後期の『重訂本草綱目啓蒙』も、サワラのカラスミは色が黒く、味はよいけれども下品だ、という趣旨を述べていて、こちらは『本朝食鑑』寄りです。
つまり——カラスミの本家がどちらかは、江戸時代に決着していなかった。
いま長崎の名産として知られるボラのからすみが定位置になったのは、この論争のあとということになります。
6. 春の字は、あとから来た
まとめます。
「鰆」は日本で作られた字で、江戸の本は「春魚」の字とは別物だと断っていました。名前の由来も春ではなく、腹が狭いから「狭腹」。
卵を干した「からすみ」は唐の墨に似ているからその名がつき、その本家がサワラかボラかで、江戸の本は言い分が割れていました。
もっとも、瀬戸内でサワラが春に押し寄せるのは本当のことです。春に獲れる魚に、あとから「春」の字が寄り添った——そう考えると、この国字はやはりよくできています。
ただし江戸の本を読んだあとでは、魚売り場の「鰆」の字が、少しだけ違って見えるはずです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産図会 5巻』[3] / 『古事類苑』動物部 / 『重訂本草綱目啓蒙 48巻』
💡 この記事でわかったこと
- 01
「鰆」は日本で作られた国字だと、江戸時代の本は説明しています。
『日本山海名産図会』巻之三は「鰆の字亦国俗の制なり」——「鰆」の字もまた日本で作られたものである——と書いています。同書は続けて「尤字書に春魚とあれども、終に二三歩計の微魚にてさらに充べからず」と述べ、中国の字書にある「春魚」は二、三分ほどの小魚のことで、六、七尺にもなるこの魚に当てるわけにはいかない、と理由を挙げています。
- 02
「狭腹(さはら)」、つまり腹が狭いことに由来する、というのが江戸時代の通説でした。
『日本山海名産図会』は『大和本草』を引いて「魚大なれども腹小に狭し、故に狭腹と号く、サは狭、少なり」と記しています。貝原益軒の語源辞典『日本釈名』も「さは狹なり、せばき也、はらは腹也、此魚長大なれども腹せばく小也」と説明していて、体は長く大きいのに腹まわりが細い体型がそのまま名前になった、という理解です。
- 03
「からすみ」は、干し上げた形と色が中国(唐)の墨に似ていることに由来します。
元禄十年(1697年)の『本朝食鑑』は「鰆多子、胞如刀豆之莢、曝乾似華墨之古、名曰唐墨」——サワラは子が多く、その胞は刀豆の莢のようで、干し上げると中国の墨に似ているので唐墨と名づけた——と書いています。なぜ「華墨」でなく「唐」なのかについても、遣唐使以来「唐」の字を「から」と訓み、中国の物を「唐」と呼ぶ習慣ができたからだろう、と説明を添えています。
- 04
江戸時代には、サワラの卵巣で作るものも「からすみ」と呼ばれていました。
『本朝食鑑』は「唐墨」を鰆の子として立項し、土佐・阿波・讃岐の国守が献上したと記しています。ただし同書は「鯔魚之唐墨味勝于鰆」——ボラのからすみの味はサワラに勝る——とも書いていて、評価は割れていました。逆に『日本山海名産図会』はサワラのほうを上に置いており、どちらが本家かは江戸時代を通じて決着していなかったことになります。
- 05
数十艘の舟で追い回してから網を入れる、追い込み漁でした。
『日本山海名産図会』巻之三には、五月から十月にかけて多く獲れること、漁師が群れを見つけると数十艘を連ねて後ろから漕ぎまわって追い、魚が疲れて酔ったようになったところで先頭の舟から石を投げてさらに驚かせ、逃げ返ろうとする瞬間に網をおろす、という趣旨の記述があります。これを「大網」または「しぼる」と呼んだと記されています。
SAKANA 編集部
良輔 × Claude(Anthropic)
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 人間が判断し、AIが調査を支援する協働プロジェクトです。