鰆の漢字の由来——名は「狭腹」、字は「春に盛んに出るから」
この字、読めますか?
鰆
- 訓
- さわら
- 音
- シュン
- 画数
- 20画
この記事の目次
寛政十年(1798年)の年記をもつ『日本山海名産図会』は、讃岐のサワラの項に「鰆の字亦国俗の制なり」と書いています。魚へんに春で、字を見ただけで季節が分かる「鰆」という漢字を、この本は日本で作った字だと言い切っていたわけですが、中国の字書を開くと、その字はちゃんと載っていました。字の由来と「さわら」という名前の由来は、江戸の本の中でも別々に説明されていて、サワラの卵を干した「からすみ」の話もその先に続いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『水族四帖』秋・NDL PID:1287012 コマ34・著作権保護期間満了)
「鰆」の基本データ
- 読み
- さわら(訓)/シュン(音)
- 画数
- 20画(魚へん11画+右側9画)
- 形
- 魚へんに「春」
- 由来
- 『和漢三才図会』は「春月盛出、故俗用鰆字」。春に盛んに出るから
- 生まれ
- 『日本山海名産図会』は「国俗の制」と書くが、『康熙字典』にも「海魚名」として載る
- 難易度
- 中級
読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9C06)による
『古事類苑』の一覧に入っていない一文
明治から大正にかけて編まれた古典籍の引用集『古事類苑』の動物部で鰆を探すと、魚の巻のコマ772から773に引用が集まっていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ772・著作権保護期間満了)
辞書の引用が並んだあと、次のコマ773には『本朝食鑑』『大和本草』といった江戸の本草書が続き、最後の〔毛吹草 三〕には「讃岐 鰆」と、諸国名産のリストに讃岐のサワラが挙がっています。ただ、日本で作った字だと言い切った一文はこの一覧には入っておらず、国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで「狭腹」と本文を引いたとき、江戸の本草書や魚譜に混じって『日本山海名産図会』が出てきて、ようやく行き当たりました。全国の名産品を作り方の絵つきで紹介した本で、その巻之三が讃岐のサワラの項です。
「鰆の字亦国俗の制なり」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ18・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
◯鰆の字亦国俗の制なり、尤字書に春魚とあれども、纔に二三歩計の微魚にてさらに充べからず、大和本草馬鮫魚に充た□も、曰、魚大なれども腹小に狭し、故に狭腹と号く、サは狭、少なり
現代語訳
「鰆」の字もまた日本の風習(国俗)で作られたものである。もっとも字書に「春魚」とあるが、それはわずか二、三分ほどの小魚のことで、この魚に当てるわけにはいかない。『大和本草』は馬鮫魚の字を当てていて、こう言う。この魚は大きいけれども腹が小さく狭い。だから「狭腹(さはら)」と名づけた。サは狭い、少ないの意である。(□は判読できない一字)
「鰆」の字もまた日本の風習(国俗)で作られたものだ、という一文です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ18・著作権保護期間満了)
いわゆる国字、つまり中国から来た字ではなく日本で組み立てられた字だという指摘で、ご丁寧に反論の先回りまでしてあります。「尤字書に春魚とあれども、纔に二三歩計の微魚にてさらに充べからず」、もっとも字書に「春魚」とはあるが、それはわずか二、三分ほどの小魚のことで、この魚に当てるわけにはいかない、というのです。二、三分といえば1センチ足らずで、同じ項では讃岐のサワラは大きいもので六、七尺(2メートル近く)と書かれています。
日本製の字だと見ていたのは、この本だけではありません。九十年ほど前の貝原益軒『大和本草』も凡例で「國俗不知正字而妄作倭字者多矣」、世間は正しい字を知らずにみだりに倭字(日本製の字)を作ることが多いと書き、その例に鱈・鰆・鰯などを並べています(出典:『大和本草』NDL PID:2557353 コマ25)。
中国の字書を開くと、「鰆」は載っていた
国字とは中国の字書には無く日本で作られた漢字のことなので、中国の字書に「鰆」が無いことを確かめれば話は決まるはずです。江戸時代の日本では清の大字典『康熙字典』も刊行されていて、国立国会図書館にある安永九年(1780年)の和刻本の魚部九画を開くと、「鰆」が見出しに立っていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『康煕字典』和刻本・NDL PID:2562615 コマ24・著作権保護期間満了)
「鰆 集韻 樞倫切、音春、海魚名」。『集韻』という字書によれば読みは「春」と同じで、海の魚の名だという注で、ここでの「春」は季節の話ではなく、字の読みが「春」と同じだという説明です。
しかもこのことは、江戸の本の中でもすでに書かれていました。元禄十年(1697年)の食物本『本朝食鑑』は巻十で中国の字書『字彙』を引き、「鰆、字彙曰……音春、海魚名」としたうえで「即馬鮫也」、すなわち馬鮫(サワラ)であると続けています(出典:『本朝食鑑』巻十・NDL PID:2557334 コマ86)。『古事類苑』のコマ773にも、この一節が〔本朝食鑑 十 華和異同〕として引かれているので、江戸の本は、日本で作った字だとする側と、中国の字書に載っていてサワラのことだとする側に割れていたことになります。
名産図会の筆者も、字書に載っていること自体は知っていて、それを小魚だとして退けていました。けれど少なくとも『康熙字典』の項には「海の魚の名」とあるだけで、大きさの話は出てきません。「鰆は国字」とまでは言い切れず、確かなのは江戸の本の一部がそう書いていた、というところまでです。
腹が狭いから、さはら
「さわら」という名前そのものの由来は、名産図会の同じ列にそのまま続いています。「魚大なれども腹小に狭し、故に狭腹と号く、サは狭、少なり」、この魚は大きいけれども腹が小さく狭いので「狭腹(さはら)」と名づけた、サは狭い、少ないの意である、という説明で、名産図会はこれを『大和本草』の言葉として引いています。『大和本草』の巻十三を開くと、たしかに「馬鮫魚(サハラ)」の見出しの下に、ほぼ同じ文がありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』・NDL PID:2557359 コマ29・著作権保護期間満了)
名産図会は、益軒の文を『閩書』の引用ごと写していたわけで、讃岐のサワラが五月から十月に多いという季節の話も、『大和本草』の同じ項に「五月以後十月以前多シ」とあります。サワラは細長く、全長のわりに腹まわりがない魚なので、その体型がそのまま名前になったという説明です。
同じ説は益軒の語源辞典『日本釈名』にも出てきて、『古事類苑』が引く一節は「さは狹なり、せばき也、はらは腹也、此魚長大なれども腹せばく小也」。サは狭い、ハラは腹、この魚は長くて大きいけれど腹が狭くて小さい、と言っていて、ここまで、春はどこにも出てきません。
「春」の字の説明は、別の本にあった
字のほうの「春」について書いていたのは、寺島良安の図入り百科事典『和漢三才図会』でした。巻五十一「江海無鱗魚」の「馬鮫(さはら)」の項にこうあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十一・NDL PID:2596382 コマ20・著作権保護期間満了)
「其大者三尺許、春月盛出、故俗用鰆字、形狹長、故稱狹腹狹腰乎」。大きいものは三尺ほどで、春に盛んに出るので世間では「鰆」の字を使い、形が狭く長いので狭腹・狭腰と呼ぶのだろうか、という一文で、字は春から、名前は腹の狭さからと、一つの項の中で二つの説明が並んでいます。見出しの脇には、小さいものを俗に「佐古之(さごし)」と呼ぶとも書かれています。
冒頭の『水族四帖』の書き入れもこの「春月盛出、故俗用鰆字」の一文を写していて、そのそばに「備前ニテ春サワラヲ珍美トス」、備前では春のサワラを珍味とする、と添えています。春の魚だから鰆という説明は江戸の本にもちゃんとあって、ただしそれは名前の由来ではなく、字の選び方の説明でした。
数十艘で追い回し、石を投げる
名産図会の讃岐の項は、獲り方も書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ18・著作権保護期間満了)
讃州では流し網で捕り、五月以後十月以前に多く、大きいものは長さ六、七尺になる。漁師は群れが集まるのを見ると数十艘の舟を連ねて魚の後ろから漕ぎまわってしつこく追い回し、魚が疲れて酔ったようになったところで、先に進んだ舟から石を投げてさらに驚かせ、引き返して逃げようとする瞬間を見定めて網をおろす、という趣旨の記述です。一尾も漏らさないと書かれていて、これを「大網」とも「しぼる」とも呼び、網をたぐって攩網(たまあみ)ですくい取る、と続きます。魚を疲れさせてから網に入れるという、瀬戸内の漁の二百年あまり前の姿です。
カラスミは「唐の墨」だった
この項でいちばん面白いのは卵の話です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ18・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
たるをカラスミといへり、即乾し子と云、但し鯔の子の乾子は是に勝る
現代語訳
(この子はたいそう大きい。これを干し)たものをカラスミという。すなわち干し子のことである。ただし、鯔(ボラ)の子の乾子(からすみ)はこれに勝る。
サワラの子はたいそう大きいと述べたあとに、「たるをカラスミといへり、即乾し子と云」とあり、これを干したものをカラスミ、すなわち干し子という、と書いています。いま「からすみ」といえばボラの卵巣ですが、江戸の本はサワラの子を干したものをそう呼んでいました。名前のわけは、元禄十年(1697年)の『本朝食鑑』がはっきり書いていて、『古事類苑』のコマ773にその条がそっくり引かれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ773・著作権保護期間満了)
「鰆多子、胞如刀豆之莢、曝乾似華墨之古、名曰唐墨」。サワラは子が多く、その胞は刀豆(なたまめ)の莢のようで、干し上げると中国の墨に似ているので唐墨と名づけた、という説明で、あの形と色を墨に見立てた名前でした。
「華墨」ではなく「唐墨」と呼ぶ理由にも、著者の人見必大は答えています。日本は初め漢や魏と交流したが、盛んに行き来したのは唐の高祖の代からで、だから遣唐使が何代も送られた、として、「於是唐字訓加良、而至今民俗以華物稱唐之類乎」、そこで「唐」の字を「から」と訓むようになり、いまも民間では中国の物を「唐」と呼ぶ、その類だろう、というのです。唐(から)の墨(すみ)でからすみ、舶来品を「唐」と呼ぶ習慣から来た名前だという説明になります。
献上されたのはサワラ、うまいのはボラ
『本朝食鑑』(原本 NDL PID:2557334 コマ22)は、サワラのカラスミが「近代爲賀儀之佳肴而賞之」、近ごろ祝儀の佳肴として賞美されると書き、「土佐阿波讃岐之國守獻之」、土佐・阿波・讃岐の国守がこれを献上すると続けていて、四国のサワラのカラスミは献上品でした。ところがそのすぐあとに「鯔魚之唐墨味勝于鰆」、ボラのカラスミの味はサワラに勝る、とあり、詳しくはボラの条を見よと付け足されています。
百年後の名産図会には、読み違えやすいところが一つあります。国立国会図書館の全文テキスト(画像から機械で読み取った文字)では、先ほどの列の続きが「但し鯨の子の乳子は是に劣る」となっていて、そのまま読むと、名産図会だけはサワラの肩を持ち、ボラのものは劣ると言っているように見えます。ところが原本の字を一つずつ追うと、「鯨」は「鯔(ぼら)」、「乳子」は「乾子」で、最後の一字は小さくくずしてあって見分けにくいものの、左に偏(へん)のある字で、「劣」の形ではありません。
同じ文を江戸後期に書き写した写本『鐘奇遺筆』では、ここが「鯔の子の乾子ハ是ニ勝……」と、はっきり「勝」の字で書かれ、「乾子」には「カラスミ」と振り仮名もついています(出典:『鐘奇遺筆』NDL PID:2569503 コマ66)。名産図会も、「ただし、ボラの子のからすみはこれに勝る」と書いていたのです。
ほかの本も同じ向きで、『和漢三才図会』の唐墨の条は、サワラのものを「土州阿州讃州多出之」としながら「然不如於鯔鮞之唐墨」、しかしボラの子の唐墨には及ばない、と結んでいます(出典:同書巻五十一・NDL PID:2596382 コマ20)。江戸後期の『重訂本草綱目啓蒙』(弘化四年=1847年刊の版)になると、カラスミをまず「赤目魚ノ子ナリ」と説明して、赤目魚の脇には「ボラ」を含む振り仮名がつき、肥前野母の産を上としたうえで、サワラのカラスミは色が黒く、味は甘美だがかすかに辛く渋く「下品ナリ」と書いています(出典:同書・NDL PID:2555647 コマ73)。献上品になったのはサワラ、味で上とされたのはボラで、いまの「からすみ=ボラ」という感覚は、江戸の終わりの本にはもう書かれています。
字は春、名は腹、からすみは唐の墨
江戸の本の一部は「鰆」を日本で作った字だと書きましたが、中国の字書にも「鰆」は「海魚名」として載っていて、国字だと言い切ることはできません。字に「春」が入っている理由は『和漢三才図会』が「春に盛んに出るから」と説明し、名前の「さはら」は腹が狭いことから「狭腹」と説かれていました。魚売り場に並ぶ「鰆」の二文字は、江戸の本の中でも、字と名前でまったく別の説明をされていたことになります。
鰆
- 読みは「さわら」。魚へんに春、20画
- 『和漢三才図会』は「春月盛出、故俗用鰆字」。春に盛んに出るから
- 名前の「さはら」は、腹が狭い「狭腹」から
- 江戸の本は日本で作った字と書いたが、中国の字書にも「海魚名」として載っている
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この記事でわかったこと
江戸時代の本の中でも説明が割れていました。
『日本山海名産図会』巻之三は「鰆の字亦国俗の制なり」と、日本の風習で作った字だと書き、貝原益軒の『大和本草』も凡例で鰆を倭字(日本製の字)の例に挙げています。一方、『本朝食鑑』巻十は中国の字書『字彙』を引いて「音春、海魚名」とし、「即馬鮫也」と続けています。和刻本の『康熙字典』にも「鰆」は『集韻』を引いて「樞倫切、音春、海魚名」と載っているため、国字だと言い切ることはできません。
『和漢三才図会』巻五十一の「馬鮫」の項に「春月盛出、故俗用鰆字」——春に盛んに出るので、世間では鰆の字を用いる——とあります。
ただしこれは字の選び方の説明で、「さわら」という名前の由来としては、同じ項でも「狭腹」を挙げています。なお中国の字書では、「春」は字の読みが「春」と同じだという説明に使われています。
「狭腹(さはら)」、つまり腹が狭いことに由来する、というのが江戸時代の説明でした。
貝原益軒の『大和本草』巻十三は「魚大ナレドモ腹小ニ狹シ故ニ狹腹ト名ツク」と書き、『日本山海名産図会』もこれを引いています。益軒の語源辞典『日本釈名』も「さは狹なり、せばき也、はらは腹也、此魚長大なれども腹せばく小也」と説明しています。
干し上げた形と色が中国(唐)の墨に似ていることに由来します。
元禄十年(1697年)の『本朝食鑑』は「鰆多子、胞如刀豆之莢、曝乾似華墨之古、名曰唐墨」——サワラは子が多く、その胞は刀豆の莢のようで、干し上げると中国の墨に似ているので唐墨と名づけた——と書いています。なぜ「華墨」でなく「唐」なのかについても、遣唐使以来「唐」の字を「から」と訓み、中国の物を「唐」と呼ぶ習慣ができたからだろう、と説明を添えています。
江戸時代には、サワラの卵巣で作るものも「からすみ」と呼ばれ、『本朝食鑑』によれば土佐・阿波・讃岐の国守が献上していました。
ただし味については、『本朝食鑑』が「鯔魚之唐墨味勝于鰆」、『日本山海名産図会』が「鯔の子の乾子は是に勝る」、『和漢三才図会』が「然不如於鯔鮞之唐墨」と、どれもボラのほうを上に置いています。江戸後期の『重訂本草綱目啓蒙』は、カラスミをまず「赤目魚ノ子」(振り仮名にボラとある)として説明し、サワラのものは「下品ナリ」としています。
『日本山海名産図会』巻之三は、讃州では流し網で捕り、五月以後十月以前に多いと書いています。
漁師は群れを見つけると数十艘を連ねて後ろから漕ぎまわって追い、魚が疲れて酔ったようになったところで先に進んだ舟から石を投げてさらに驚かせ、引き返そうとする瞬間に網をおろす、という趣旨の記述があります。これを「大網」とも「しぼる」とも呼んだと記されています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 水族四帖.秋
〔奥倉辰行//著〕
- 古事類苑.第49冊
神宮司庁 編 明治43
- 日本山海名産圖會 5巻.[3]
法橋關月 画 [18--]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[1]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 康煕字典42卷附字典琢屑1卷字典初學索引1卷.[40]
清凌紹〓等奉敕撰・都賀庭鐘校・附都賀庭鐘撰 安永9
- 本朝食鑑 12巻.[3]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻.[35]
寺島良安尚順 編 [江戸時代]
- 鐘奇遺筆.[6]
岩永[カク]斎 編 [江戸後期] [写]
- 重訂本草綱目啓蒙 48巻.[17]
蘭山小野先生 口授・小野職孝士徳 録・井口望之蘇仲 訂 弘化4 [1847]
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