「越のは軟らかく、奥のは堅い」——江戸の本は塩引鮭を産地で味わい分けていた
江戸の料理書に、サケの項目がいくつあるか数えたことはありますか。
元禄2年(1689年)の『合類日用料理抄(ごうるいにちようりょうりしょう)』をめくると、こんな見出しが次々に出てきます。
「奥州子籠」「越後子籠」「越後鮭の披」「子なし鮭の塩引」「仙台流鮭之酢」——。
産地の名前が、料理の名前の一部になっています。

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
「奥州子籠」。奥州は今の東北地方です。
そして次のページには「越後子籠」があります。

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同じ「子籠」なのに、わざわざ二つに分けて書いてある。
なぜ分ける必要があったのでしょうか。
1. 「越のは軟らかく、奥のは堅い」
答えらしきものが、同じころに書かれた別の本にありました。
元禄10年(1697年)、医師の人見必大(ひとみ・ひつだい)がまとめた食物の百科事典『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』です。
その巻八、サケの項に「塩引」という小見出しが立っています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「近世所有諸州造之」——近ごろはあちこちの国で造っている。
そのあとに、こう続きます。「然以越後陸奥為上品」。しかし越後と陸奥のものを上品とする、と。
そして、その理由が次の一文に書かれていました。

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「上品越者軟奥者堅倶深紅色味極美」。
上品のなかでも、越後のものは軟らかく、陸奥のものは堅い。どちらも深紅色で、味はきわめてよい——。
産地で、身の締まり方が違う。そこまで書き分けています。
さらに「同藏之至明年春夏而堅固不臭鯗也」。同じように蔵に置いても翌年の春夏まで堅く締まったままで、臭みの出ない干物なのだ、と。
料理書が「奥州子籠」と「越後子籠」を別項目にしていたのは、たぶんこういうことです。
同じ作り方でも、産地が違えば別のものになる。
2. 「子籠」とは何か
では、その「子籠(こごもり)」とは何でしょう。
『本朝食鑑』が、作り方をそのまま書き残しています。

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手順はこうです。
- 新しい鮭をとって、鱗とえらを除く
- 腹を割いて、はらわたをすべてかき出す
- 洗い浄めて、卵を詰めて腹の口を封じる
- 塩水に一昼夜漬け、取り出して一両日陰干し
- 乾いたらまた塩水に漬け、同じように陰干し
- 稲藁で堅く封じ、陰干しにして一月あまり置く
腹から出した卵を、また腹に詰め直して封じる。だから「子が籠もっている」で子籠です。
『本朝食鑑』は、これを『延喜式』でいう「肉子鮭(ししこさけ)」にあたるとしています。
そして、卵を詰めないものが「尋常の塩引」、つまり普通の塩引だ、と。
子入りかどうかで、名前が変わったわけです。
料理書の側にも、ちゃんと「子なし」の項目があります。『合類日用料理抄』コマ72の「子なし鮭の塩引」がそれです。
3. 秋田・松前が最上だった
産地の話は、まだ続きます。
『本朝食鑑』は子籠の説明のあとに、こう書いています。「秋田松前之貢最為絶勝 越後越中次之」。
秋田と松前(今の北海道南部)の貢ぎ物がもっともすぐれていて、越後・越中がこれに次ぐ、と。
塩引の「上品」は越後・陸奥、貢ぎ物の絶勝は秋田・松前。江戸のなかばには、サケの産地の序列がここまで細かく言語化されていました。

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
4. 頼朝がもらって喜んだ「楚割」
『本朝食鑑』のサケの項には、もうひとつ、思わぬ話が入っています。
「楚割(すわやり)」——魚を細く裂いて干したものです。

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「源頼朝入洛時宿于遠州菊河驛 佐々木盛綱副小刀于鮭楚割而進之 頼朝甚喜謝以歌」。
源頼朝が京へのぼるとき、遠江国の菊河の宿に泊まった。
佐々木盛綱が、小刀を鮭の楚割に添えて差し出した。頼朝はたいへん喜び、歌を詠んで礼をした——。
干した鮭に小刀を添える。その場で削って食べてください、という趣向でしょう。
そして人見必大は、その理由まで書いています。「此盛綱領越後之故也」。盛綱が越後を領していたからだ、と。
ここでも越後です。鎌倉のはじめから江戸のなかばまで、越後の鮭はずっと「贈って喜ばれるもの」でした。
5. 頭の軟骨は「氷のよう」だから氷頭
サケで使うのは身だけではありません。
『本朝食鑑』は、サケの項のなかに「氷頭」という小見出しを立てています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
まず名前の由来。「而鮭之頭骨如氷之澄徹者也」。
鮭の頭の骨で、氷のように澄み徹っているものだから氷頭。
そして「是今之作鱠氷頭」——これが今、鱠(なます)にする氷頭だ、と。
味の書きぶりもいい。「其味甘美而脆軟也」。甘くうまくて、ぱりっと軟らかい。
もうひとつ、この項には古い話が入っています。「本朝式主計有鮭氷頭合作一斗 丹後信濃越中越後倶貢之」。
『延喜式』の主計の部に「鮭氷頭」の項があり、丹後・信濃・越中・越後がこれを都へ納めていた、と。
『延喜式』は平安時代の法令集で、農林水産省の解説では926年とされています。頭の軟骨だけを取り分けて都へ送る仕組みが、その時代にすでにありました。
6. 天保の絵師も、同じ場所を指していた
それから140年ほど後。
江戸の博物家・毛利梅園(もうり・ばいえん)が写したサケの図にも、同じ言葉が書き込まれていました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「頭ノ内ノ油骨ヲヒヅト云 膾ノ第一品トス」。
頭の内側の油骨を「ヒヅ」といい、膾の第一品とする——。
魚を写生しに来た人が、その魚のどこがいちばんうまいかまで書き添えている。
そして続けて「和名抄ニ鮭脊腸ヲミナワタト云」。『和名抄』には鮭の背腸を「ミナワタ」というとある、と。
7. 「めふん」の古い名前
背腸。今の北海道でいう「めふん」です。サケの背骨に沿った血合いの部分を塩辛にしたもの。
これも『本朝食鑑』が独立した小見出しにしています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「背腸 訓世和多 源順訓美奈和太」。「せわた」と訓む。源順は「みなわた」と訓んだ、と。
そしてここでも「本朝式主計有鮭背腸 丹後信濃越中越後倶貢之」。『延喜式』に「鮭背腸」があり、氷頭とまったく同じ四か国が納めていた。
最後に「是今之醢而常奥越倶獻之味亦佳也」。これが今の醢(ししびしお=塩辛)で、常陸・陸奥・越後がともに献じている。味もまたよい——。
頭の軟骨と、背骨の内側の血合い。
一匹からごくわずかしか取れない部分に、平安時代から名前がついて、貢納の単位になっていました。
8. 筋子も「越奥の産を上品とす」
卵のほうも同じです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「凡筋子細子倶以越奥之産為上品」。
筋子も細子(ほそこ)も、ともに越後・陸奥の産を上品とする。
身、卵、頭の軟骨、背の血合い。どれをとっても評価の基準が「越後か陸奥か」でした。
9. 皮まで項目になっている
もう一冊、料理書を見てみます。
延享2年(1745年)の写本『傳演味玄集(でんえんみげんしゅう)』。諸星吮潮斎(もろほし・せんちょうさい)が書いたものです。
ここにも、サケの項目がいくつも立っています。そのなかに、こんな見出しがありました。

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
「干鮭の皮」。
そして別のところに、もうひとつ。

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
「塩引鮭の皮」。
皮が、料理の項目として独立している。しかも干鮭の皮と塩引鮭の皮が別扱いです。
『本朝食鑑』のほうにも、皮の使い道が書いてあります。ただしこちらは食べる話ではありません。
薬の処方を並べた「附方」のところに、患部を鮭の皮で堅く封じて包めば治る、とあり、そのあとに「塩引皮亦佳」——塩引の皮もまたよい、と添えられています。
身も、卵も、頭も、背わたも、皮も。使い切るというより、それぞれに別の使い道が割り当てられていた、という感じです。
そして『傳演味玄集』には「鮭のひづ」という項目もあります。氷頭です。

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
10. 江戸の料理書に立っていたサケの項目

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
ここまでに出てきたものを、本ごとに並べてみます。
いずれも国書データベースの画像タグと原本画像の両方で、項目名を確認したものです。
『合類日用料理抄』(元禄2年・1689年)
- コマ68 仙台流鮭之酢
- コマ70 子籠鮭/鮭子籠の鮨/久敷置鮭の鮨
- コマ71 奥州子籠/鮭の黒漬
- コマ72 越後子籠/越後鮭の披/子なし鮭の塩引
- コマ73 塩鮭/塩鮭の持様
- コマ87 鮭の煎物
『傳演味玄集』(延享2年・1745年)
- コマ34 鮭のひづ
- コマ42 塩引鮭/子篭鮭
- コマ51 から鮭/干鮭の皮
- コマ55 さけ塩引
- コマ97 塩引鮭の皮
- コマ101 からさけ
酢、鮨、黒漬、披、塩引、煎物、干し、皮、氷頭。
本文はくずし字の写本・版本で、ここでは項目名しか読んでいません。それでも、この見出しの並びだけで、サケという魚がどれだけ細かく分けて扱われていたかは伝わります。
「塩鮭の持様(もちよう)」という項目まであるのが面白いところです。作り方ではなく、保たせ方の項目です。

出典:国書データベース/味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0
11. どれも、今も残っている
ここまでの話は、博物館に入った過去ではありません。
塩引鮭は、新潟県村上市の名物として今も作られています。新潟県の紹介によれば、三面川(みおもてがわ)で獲れた鮭の内臓を取り除いて水洗いし、塩をすり込んで1週間ほど置き、水で塩を抜いて軒下に数週間干す、という工程です。
腹の割き方にも決まりがあります。全部を切らずに一部を残す「止め腹」と呼ばれる切り方で、切腹を嫌ったからだと説明されています。吊るすときは頭を下に向けます。首吊りを連想させないためです。
『本朝食鑑』の子籠の手順——腹を割く、塩に漬ける、陰干しにする——と、骨格はほとんど変わっていません。
氷頭なますも郷土料理として残っています。農林水産省「うちの郷土料理」の岩手県の項は、氷頭を「鮭の頭の軟骨」と説明し、平安時代前期の『延喜式』(926年)にも朝廷への奉納記録があると記しています。
そして「一匹からわずかしかとれない貴重で珍重される一品」で、正月料理として食べられる、と。
『本朝食鑑』が「鱠にする」と書いた食べ方が、そのまま続いています。
12. 一匹を、名前で分ける
江戸の本を並べて見えてくるのは、こういうことです。
サケは一匹ではありませんでした。
子が入っているか(子籠/子なし)。産地はどこか(奥州/越後/秋田/松前)。どこの部位か(身/子/氷頭/背腸/皮)。どう保存したか(塩引/干し/黒漬)。
その組み合わせひとつひとつに名前がついていて、料理書はそれをそのまま項目名にしました。
「越のは軟らかく、奥のは堅い」と書き分けられるほど、食べ手の側もその違いを知っていたということです。
この記事で使った資料
資料 | この記事で使った箇所 | 条件 |
|---|---|---|
『本朝食鑑』巻八(人見必大・1697年/NDL PID:2557333) | コマ141=塩引の書き出し/コマ142=上品の産地評価・子籠の製法・楚割と頼朝・氷頭・背腸/コマ143=筋子の産地評価 | 著作権保護期間満了 |
『梅園魚品図正』2帖(毛利梅園/NDL PID:1287113) | コマ35=サケの彩色図と「頭ノ内ノ油骨ヲヒヅト云」の書き込み | 著作権保護期間満了 |
『合類日用料理抄』(1689年/国書DB bid:100249511) | コマ68・70〜73・87=サケの項目名(奥州子籠・越後子籠・越後鮭の披ほか) | 味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0 |
『傳演味玄集』(延享2年・1745年/諸星吮潮斎/国書DB bid:100249413) | コマ34・42・51・55・97・101=サケの項目名(鮭のひづ・干鮭の皮・塩引鮭の皮ほか) | 味の素食の文化センター蔵・国文学研究資料館 CC BY-SA 4.0 |
新潟県「越後村上鮭塩引き街道」 | 塩引き鮭の工程・止め腹・頭を下にして吊るす理由 | 新潟県公式サイト |
農林水産省「うちの郷土料理」氷頭なます(岩手県) | 氷頭の定義・『延喜式』(926年)の奉納記録・正月料理としての位置づけ | 農林水産省 |
出典: 国立国会図書館デジタルコレクション『本朝食鑑』 / 『梅園魚品図正』2帖 / 国書データベース『合類日用料理抄』 / 国書データベース『傳演味玄集』 / 新潟県「【村上】冬の風物詩『越後村上鮭塩引き街道』」 / 農林水産省「うちの郷土料理 氷頭なます 岩手県」
💡 この記事でわかったこと
- 01
子籠鮭は、腹から出した卵をまた腹に詰め直して封じ、塩水と陰干しをくり返して仕上げた鮭です。
『本朝食鑑』巻八(1697年)に製法が書かれており、新しい鮭の鱗とえらを除いて腹を割き、はらわたを掻き出して洗い、卵を詰めて腹の口を封じ、塩水に一昼夜漬けて一両日陰干しにし、乾いたらまた塩水に漬けて同じように干し、稲藁で堅く封じて一月あまり陰干しにする、とあります。同書はこれを『延喜式』でいう「肉子鮭」にあたるとし、卵を詰めないものが普通の塩引だとしています。
- 02
塩引鮭は越後と陸奥の産が上品とされていました。
『本朝食鑑』巻八(1697年)は「近世所有諸州造之 然以越後陸奥為上品」と書き、さらに「上品越者軟奥者堅倶深紅色味極美」=越後のものは軟らかく陸奥のものは堅い、どちらも深紅色で味はきわめてよい、と産地による違いまで書き分けています。貢ぎ物としては「秋田松前之貢最為絶勝 越後越中次之」=秋田・松前がもっともすぐれ、越後・越中がこれに次ぐとされました。筋子についても「凡筋子細子倶以越奥之産為上品」と、やはり越後・陸奥の産が上品とされています。
- 03
氷頭は、鮭の頭の骨が氷のように澄み徹って見えることに由来します。
『本朝食鑑』巻八(1697年)の氷頭の項に「而鮭之頭骨如氷之澄徹者也」とあり、続けて「是今之作鱠氷頭」=これが今、鱠にする氷頭だと説明されています。味については「其味甘美而脆軟也」=甘くうまくて、ぱりっと軟らかい、と書かれています。天保期の『梅園魚品図正』2帖コマ35にも「頭ノ内ノ油骨ヲヒヅト云 膾ノ第一品トス」という書き込みがあります。
- 04
めふんにあたる部位は、江戸時代には「背腸(せわた)」の名で記録されています。
『本朝食鑑』巻八(1697年)は「背腸 訓世和多 源順訓美奈和太」として、源順(平安中期の学者)が「みなわた」と訓んだことを記し、「是今之醢而常奥越倶獻之味亦佳也」=これが今の醢(塩辛)で、常陸・陸奥・越後がともに献じている、味もまたよい、と書いています。同書によれば『延喜式』の主計の部にも「鮭背腸」の項があり、丹後・信濃・越中・越後が納めていました。
- 05
源頼朝が京へのぼる途中、遠江国の菊河の宿で佐々木盛綱から鮭の楚割(すわやり)を献じられた、という話です。
『本朝食鑑』巻八(1697年)に「源頼朝入洛時宿于遠州菊河驛 佐々木盛綱副小刀于鮭楚割而進之 頼朝甚喜謝以歌」とあり、盛綱が小刀を鮭の楚割に添えて差し出したところ、頼朝はたいへん喜んで歌を詠んで礼をした、と書かれています。同書はその理由を「此盛綱領越後之故也」=盛綱が越後を領していたからだ、と説明しています。楚割は魚を細く裂いて干した保存食です。
- 06
『合類日用料理抄』(元禄2年・1689年)には、仙台流鮭之酢・子籠鮭・鮭子籠の鮨・久敷置鮭の鮨・奥州子籠・鮭の黒漬・越後子籠・越後鮭の披・子なし鮭の塩引・塩鮭・塩鮭の持様・鮭の煎物といった項目が立っています。『傳演味玄集』(延享2年・1745年)には、鮭のひづ・塩引鮭・子篭鮭・から鮭・干鮭の皮・さけ塩引・塩引鮭の皮・からさけがあります。産地・状態・部位・保存法のそれぞれに項目が立てられており、皮だけでも「干鮭の皮」と「塩引鮭の皮」が別項目になっています。
SAKANA 編集部
良輔 × Claude(Anthropic)
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