魚図鑑

出世魚ブリは、江戸の人にどう呼ばれていた? ワカナゴからブリまで、古文献5冊で成長名をたどる

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スーパーの魚売り場で、同じ魚が「ハマチ」だったり「イナダ」だったり「ブリ」だったり——。ブリは成長するにつれて名前が変わる出世魚です。

しかもその呼び名は、地方によって驚くほど違います。江戸の人たちも、この「名前が育つ魚」に頭を悩ませ、そして面白がっていました。

この記事では、江戸時代の本草書・名産図会・方言辞典、そして幕末の博物画から、ブリがどう呼ばれ、どう記録されてきたかをたどります。

使うのはすべて、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている一次資料の画像です。後半では、明治の漁業誌に描かれた鰤網(ぶりあみ)漁と、現代の回遊研究までつなげてみます。

たとえば——江戸を代表する本草学者・貝原益軒は、そもそも「鰤」という字がどこから来たのか分からない、と書き残しています。まずは、その一節から。

大和本草 鰤の項の冒頭を拡大し赤枠で示した画像
『大和本草』(1709年・貝原益軒)巻十三、鰤の項の冒頭を拡大。赤枠の一節に、ブリという字の由来は昔から分からない、と記されている(PID2557359 コマ20)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

ブリの代表的な成長名(関東)
ワカシ → イナダ → ワラサ → ブリ
(関西)ツバス/ヤズ → ハマチ → メジロ → ブリ
※地方でさらに細かく分かれます。この「呼び名の地図」を、江戸の本がどう書き分けたかが今回の主役です。

ブリを収めた古文献と資料

今回引くのは、成立年順に次の5点です。江戸中期の方言辞典から、明治の官製漁業誌まで、約140年ぶんの記録が並びます。

書名

成立

著者

どんな本か

大和本草

1709年

貝原益軒

日本の動植物を独自に分類・解説した本草書の代表格

物類称呼

1775年

越谷吾山

全国の方言を集めた、日本最古級の方言辞典

日本山海名産図会

1799年

蔀関月

諸国の名産と作り方を絵入りで紹介した図会

梅園魚譜

1835年ごろ

毛利梅園

幕臣が実物を彩色写生した博物画帖【番外】

日本水産捕採誌

1911年

農商務省水産局

全国の漁法を図解した官製の漁業誌【近代】

今回、本朝食鑑・和漢三才図会・本草綱目啓蒙などにも「鰤」の字は登場しますが、原本画像を確かめると、その多くは鮒(ふな)・海鯽(クロダイ)など別の魚の項目で、魚へんの字がOCRに引っかかっただけでした。ブリ本体をきちんと立項していたのは、上の5点です。「文字が出てきた=その魚を書いている」とは限らないことも、古文献を読む面白さです。

『物類称呼』(1775/越谷吾山)——成長名は土地ごとにこんなに違う

まずは方言辞典から。『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』は、俳人・越谷吾山(こしがやござん)が全国の言葉を音の似たものごとに集めた辞典です。江戸中期の日本各地で、同じものが土地ごとにどう呼ばれていたか——その生きた記録がここにあります。

ブリの項(頭書に「鰤 ぶり」とあります)を開くと、成長段階ごとの呼び名が、地方名とともに一気に列挙されます。整理すると、こうです。

『物類称呼』が挙げるブリの成長名(要約)
・小さいもの … 江戸でわかなご、上方・西国四国でわかな/つばす
・一尺ほど … 西国で目白(めじろ)
・二尺あまり … 江戸でいなだ、北陸・奥州でふくらぎ、関西ではまち
・さらに大きく … 江戸でわらさ、北陸道でらぎ
・霜月(陰暦11月)ごろ三〜四尺、五〜六尺になったもの … これがすなわちブリ

くずし字のため、ここでは逐語の引用は避けて要約にとどめますが、末尾の「霜月の頃三四尺五六尺となる是則ふりなり」——霜月ごろに三〜四尺、五〜六尺になったものがブリだ——というくだりは、画像でもはっきり読み取れました。大きさと季節でブリと呼ぶ、という感覚が江戸の人にあったことがわかります。

物類称呼 巻二 ブリの項の見開き
『物類称呼』巻二、ブリ(鰤)の項。頭書に「鰤 ぶり」とある(PID2539349 コマ34)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
成長名が列挙された本文の拡大
同・拡大。「わかなご」「つばす」「いなだ」「はまち」「わらさ」など、地方ごとの成長名が次々に並ぶ(PID2539349 コマ34)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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『大和本草』(1709/貝原益軒)——「鰤は老魚なり」と丹後若狭の名物

次は、日本の本草学を切りひらいた貝原益軒(かいばらえきけん)の『大和本草(やまとほんぞう)』。中国の書物の受け売りではなく、日本の生きものを自分の目で見て分類・記述した点で画期的な本です。

カタカナ交じりの整った版なので、くずし字よりずっと読みやすいのも助かります。

益軒はまず、「鰤」という字そのものに首をかしげます。

【原文】(コマ20)

「昔ヨリ国俗ニブリトヨム然トモ出處未詳」

【現代語訳】

(この鰤という字は)昔から日本ではブリと読んできたが、その出どころははっきりしない。

そのうえで益軒は、中国の字書『唐韻』を引いて「鰤ハ老魚也」——鰤とは老いた魚のことだ——という説を紹介します。

年を経て大きくなった魚、というイメージが、すでにこの字に重ねられているわけです。

産地についても具体的です。

【原文】(コマ20)

「丹後鰤は味美なり」

【現代語訳】

丹後(now 京都府北部)のブリは味がよい。

若狭など隣国でも、わざわざ丹後のブリの味を取る(丹後産をありがたがる)とあり、日本海側・丹後のブリが早くもブランドだったことがうかがえます。そして成長名についても、益軒は簡潔にこう書きます。

【原文】(コマ20)

「鰤ノ小ナルヲハマチト云江戸ニテイナタト云筑紫ニテヤズト云」

【現代語訳】

ブリの小さいものをハマチといい、江戸ではイナダ、筑紫(九州北部)ではヤズという。

大和本草 成長名を記したくだりを拡大し赤枠で示した画像
『大和本草』巻十三、鰤の項の後半を拡大。赤枠が、ブリの小さいものをハマチ・イナダ・ヤズと呼び、土地によって名が変わると記したくだり(PID2557359 コマ20)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

同じ魚が土地によって名を変える——「地ニヨリテ名カハレリ皆一物也(土地によって名前が変わるが、みな同じ一つの魚だ)」と、益軒はきっぱり結んでいます。

益軒はさらに、松前・蝦夷(now 北海道)のブリには毒があるという言い伝えにも触れています。ただし彼自身は、ブリに多少の毒はあっても人を殺すほどではない、と冷静に留保しています。ゆえに古書の「魚師(ぎょし)=食べると人を殺す」という記述と、日本の「鰤=ブリ」は同じ魚なのか、と益軒は慎重に問いを立てています。

大和本草 巻十三 鰤の項の見開き
『大和本草』巻十三、鰤(ブリ)の項。頭書に「和品 鰤 ブリ」とある(PID2557359 コマ20)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「鰤ノ字ハ昔ヨリ国俗ニブリトヨム」の拡大
同・拡大。「鰤ハ老魚也」「丹後若狭ノ鰤ハ味美ナリ」「鰤ノ小ナルヲハマチト云江戸ニテイナダト云筑紫ニテヤズト云」などが読み取れる(PID2557359 コマ20)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
『大和本草』鰤の項「鰤ノ字ハ昔ヨリ国俗ニブリトヨム然トモ出處未詳」の赤枠注釈と翻刻(PID2557359 コマ20)
同じ一節の赤枠注釈と翻刻。左は原本の該当行(赤枠)、右はその翻刻と現代語訳(PID2557359 コマ20)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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『日本山海名産図会』(1799/蔀関月)——「鰤は日本の俗字」と丹後の回遊

『日本山海名産図会(にほんさんかいめいさんずえ)』は、諸国の名産品を絵入りで紹介した本です。絵師・蔀関月(しとみかんげつ)が担当し、産地や漁のようすまで描かれています。

その目録には、名産のひとつとしてはっきり「丹後鰤」が立項されています。丹後のブリは、全国区の名物だったのです。

目録に「丹後鰤」が見える
『日本山海名産図会』巻之三の目録。「伊勢海鰕(えび)」などと並んで「丹後鰤(たんごぶり)」が名産として挙がる(PID2575828 コマ2)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

本文で関月は、「鰤」という字の成り立ちに踏み込みます。

【原文】(コマ14)

「鰤は日本の俗字なり」

【現代語訳】

「鰤」は日本で作られた俗字である。

中国の『本草綱目』にいう「魚師」は老魚・大魚の総称にすぎず、その姿かたちを説明していない。だから日本人は、魚へんに「師」を合わせて「大きく老いた魚」の意を込め、この字をあてたのだろう——と関月は推論します。

さらに「ブリ」という読みについても、年を経た(ふりた)魚だから「フリ」、それが濁って「ブリ」になったのだろう、という語源説を書きつけています。

「鰤=老魚」という発想が、字にも読みにも一貫しているのが面白いところです。

成長名も、関月はまとめて挙げています。

【原文】(コマ14)

「小なるをワカナコツバスイナダメジロフクラキハマチ」

【現代語訳】

小さいものから順に、ワカナゴ・ツバス・イナダ・メジロ・フクラギ・ハマチ(と呼ぶ)。

日本山海名産図会 成長名の列を拡大し赤枠で示した画像
『日本山海名産図会』巻之三、鰤の項。赤枠が、ツバス・イナダ・メジロ・フクラギ・ハマチと成長名を列挙したくだり(PID2575828 コマ14)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

そして関月は、ブリがどこからやってくるのかにも触れます。ブリは東北の大波を越えて西南の海をめぐり、丹後の海にのぼってくる頃には脂がよくのって味も良い、だから名産になるのだ、という趣旨です。

これは今の言葉でいえば回遊の観察にほかなりません。江戸の人は、丹後のブリがどこか遠くから旅してくることに、すでに気づいていたのです。

日本山海名産図会 鰤の項の見開き
『日本山海名産図会』巻之三、鰤(ブリ)の項(PID2575828 コマ14)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「鰤は日本の俗字なり」と成長名の拡大
同・拡大。「鰤は日本の俗字なり」、成長名「ワカナコ ツバス イナダ メジロ フクラキ ハマチ」、丹後の海へ回遊する記述が読み取れる(PID2575828 コマ14)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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【番外】『梅園魚譜』(1835ごろ/毛利梅園)——実物を写生した成長名の階梯

ここで番外編。幕臣・毛利梅園(もうりばいえん)は、魚や貝を実物のとおりに彩色写生した博物画帖『梅園魚譜(ばいえんぎょふ)』を残しました。彼のすごいところは、写生した日付まで記していること。

ブリの図には、頭書「海魚類 ブリ 鰤」とともに、天保3年(壬辰)の閏11月21日に写生したむね(「真寫」)が書き込まれています。江戸の博物学が、机上の受け売りから実物観察へと進んでいたことを示す一枚です。

梅園も、字と読みについては先行書と同じく「鰤ハ老魚也」(鰤は老いた魚である)と記し、その字の由来ははっきりしないと断ります。

そのうえで、成長名の階梯を自分の見聞として整理しています。画像から読み取れる範囲でまとめると——ブリの稚魚は江戸でワカナゴ、二年を経てイナダ(江戸)・マチ・ヤズ(筑紫)、五年以上でワラサ、そしてブリ。大和本草や名産図会の記述と、みごとに響き合っています。

梅園魚譜 成長名の階梯を拡大し赤枠で示した画像
『梅園魚譜』の書き込みを拡大。赤枠が、稚魚(ワカナゴ)から一年・二年(イナダ・マチ・ヤズ)、五年以上(ワラサ・ブリ)へと続く成長名の階梯(PID1287112 コマ10)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
梅園魚譜 ブリの彩色図
『梅園魚譜』の鰤(ブリ)。実物を彩色写生し、成長名の階梯と写生の年月日を書き添える(PID1287112 コマ10)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
成長名の階梯と「真寫」の年記の拡大
同・拡大。「鰤ハ老魚也」、ワカナゴ→イナダ→ヤズ→ワラサ→ブリの階梯、「壬辰閏十一月廿一日 真寫」の年記が読み取れる(PID1287112 コマ10)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

もう一枚、梅園の帖には、ブリとよく似た魚の写生もあります。ヒラマサです。

梅園はこれを、江戸の魚商がヒラマサと呼ぶ魚だとし、ブリの若魚イナダに似ているが「イナダより身が平たく、味は淡い」、そして見分けのポイントとして「イナダは口が尖る」と書き添えています。

似た魚をきちんと描き分け、区別の勘どころまで記す——実物写生の面目躍如です。

梅園魚譜 ヒラマサの彩色図
『梅園魚譜』のヒラマサ。ブリ(イナダ)との違いを書き添える(PID1287112 コマ49)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
ブリとの見分けを記した本文の拡大
同・拡大。「イナダより身が平たい」「イナダは口が尖る」など、ブリの若魚との見分けが記される(PID1287112 コマ49)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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近代の鰤漁——『日本水産捕採誌』(1911)の鰤網と伊根の刺網

時代は明治へ。農商務省水産局がまとめた『日本水産捕採誌(にほんすいさんほさいし)』は、全国の漁法を図解した官製の大調査です。活字なので文字ははっきり読めます。

ここでブリは、方言や名産としてではなく、漁業の対象としてまとまった一章「第二 鰤網」で扱われます。

【原文】(コマ179)

「鰤は西南海より東北に至るまで所在之を漁す」

【現代語訳】

ブリは西南の海から東北にかけて、いたるところで漁獲される。

日本水産捕採誌 鰤網の冒頭一文を拡大し赤枠で示した画像
『日本水産捕採誌』鰤網の章の冒頭を拡大。赤枠が、ブリの分布を述べた「鰤は西南海より東北に至るまで所(在之を漁す)」の一文(PID842749 コマ179)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

江戸の名産図会が「東北から西南へめぐる」と書いた回遊が、ここでは全国の漁場の広がりとして裏づけられます。

漁法は釣りも網もあるが、網では建網(たてあみ=定置網)や刺網が多い、と捕採誌は記します。建網とは、数時間海底に仕掛けて魚が自分から掛かるのを待つ網の総称だ、という説明もあります。

日本水産捕採誌 第二鰤網の総説
『日本水産捕採誌』「第二 鰤網」の総説。ブリの分布と漁法を述べる(PID842749 コマ179)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
「鰤は西南海より東北に至るまで所在之を漁す」の拡大
同・拡大(PID842749 コマ179)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

捕採誌には、地方ごとの鰤漁も細かく載ります。丹後国与謝郡の伊根村・新井村の鰤刺網は、毎年11月中旬から翌年1月中旬にかけての漁で、網の寸法や浮子(うき)の材質まで図解されています(第八十九図)。

伊根といえば、今も舟屋の並ぶ湾で知られる漁のまち。江戸の丹後ブリの伝統が、近代の刺網漁として続いていたことがわかります。

日本水産捕採誌 鰤刺網の図
『日本水産捕採誌』の鰤刺網(第八十九図)。網の構造を図解する(PID842749 コマ181)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
鰤刺網の網の装置の拡大
同・拡大。網の頭・尻・浮子・沈子の配置が描かれる(PID842749 コマ181)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

そして、旬。捕採誌のある地方の記述には、正月・二月は「孕鰤の時候」(はらみぶり=卵を抱えたブリの季節)だから潮にかまわず昼夜とも漁をする、という一文があります。冬から早春、卵を抱えて脂ののったブリ——まさに今でいう寒ブリの季節が、漁のかき入れどきだったのです。

「正月二月は孕鰤の時候」の記述
『日本水産捕採誌』の一節。正月・二月は孕鰤(はらみぶり)の時候として、昼夜を分かたず漁をすると記す(PID842749 コマ222)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)

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呼び名の地図から、回遊の科学へ——そして今の食卓

ここまで見てきた江戸の記録を並べると、あることに気づきます。『物類称呼』が集めた成長名の地方差も、『大和本草』や名産図会がいう「丹後のブリ」も、じつは同じ一匹の回遊魚を、旅の途中の各地で捕らえた記録だったのではないか——。

名産図会が「東北の大波を越えて西南の海をめぐる」と書いたとおり、ブリは日本列島の沿岸を大きく移動します。地方ごとに名前が違うのは、その旅の道すがら、土地ごとの人がそれぞれに名づけたからだと考えると腑に落ちます。

この回遊は、現代の科学でも確かめられています。島根県水産試験場の村山達朗による研究「標識放流結果からみた日本海におけるブリ未成魚の回遊」(日本水産学会誌 58巻3号、1992年、DOI:10.2331/suisan.58.417)は、1964年から1989年にかけて日本海・東シナ海で行われた標識放流の結果を分析したものです。

同研究によれば、若いブリ(未成魚)は日本海を広く移動し、能登半島の周辺で季節による南北の移動を見せるといいます。江戸の観察が言葉少なにとらえていた「旅する魚」の姿が、標識のデータとして裏づけられているのです。

江戸の記録と現代科学のつながり
・成長で名が変わる(出世魚)… 大きさと年で呼び分ける江戸の感覚と一致
・地方で名が違う … 回遊する魚を各地で名づけた結果
・「丹後のブリ」が名産 … 回遊の末に脂がのる冬の日本海側
・寒い時期がかき入れどき … 現代の「寒ブリ」に直結

いま、私たちが冬に楽しむ寒ブリも、養殖のハマチも、たどれば同じ一匹の出世魚です。スーパーで名札が「イナダ」から「ワラサ」「ブリ」へと変わっていくのを見かけたら、その裏に、江戸の本草家や絵師が首をかしげながら書きとめた「名前が育つ魚」の歴史があることを、少しだけ思い出してみてください。

よくある質問

ブリはなぜ出世魚と呼ばれるの?
成長するにつれて名前が変わるからです。関東ではワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ、関西ではツバス/ヤズ→ハマチ→メジロ→ブリと変化します。江戸の『物類称呼』や『大和本草』も、この呼び分けを記録しています。
「鰤」という字にはどんな意味があるの?
『大和本草』は中国の字書『唐韻』を引いて「鰤は老魚なり(老いた魚)」と紹介しています。『日本山海名産図会』は「鰤は日本の俗字」とし、年を経た大きな魚の意で作られた字だろうと推論しています。
ハマチとブリは違う魚なの?
同じ魚です。ブリの成長途中の小さいものをハマチ(主に関西)と呼びます。『大和本草』も「鰤の小さいものをハマチといい、江戸ではイナダ、筑紫ではヤズという。土地によって名は変わるがみな同じ一つの魚だ」と明記しています。
なぜ「丹後のブリ」が名物だったの?
『大和本草』は「丹後鰤は味美なり」と記し、隣国でも丹後産を珍重したと伝えます。『日本山海名産図会』の目録にも名産として「丹後鰤」が立項されています。回遊の末に日本海側で脂がのるためと考えられます。
ヒラマサとブリはどう見分けるの?
幕末の『梅園魚譜』は、ヒラマサはブリの若魚イナダに似るが「身が平たく味は淡い」、そして「イナダは口が尖る」と見分けの勘どころを記しています。実物を写生した観察にもとづく記述です。
寒ブリの旬は昔から冬だったの?
はい。明治の『日本水産捕採誌』には、正月・二月は孕鰤(はらみぶり)の時候として昼夜をとわず漁をすると記されています。卵を抱えて脂ののる冬から早春が、昔から漁のかき入れどきでした。
ブリは本当に回遊しているの?
しています。『日本山海名産図会』は「東北の大波を越えて西南の海をめぐる」と観察し、現代の標識放流研究(村山1992、日本水産学会誌58巻3号)も、日本海で若いブリが広く南北に移動することを確かめています。

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SAKANA 編集部

良輔 × Claude(Anthropic)

論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 人間が判断し、AIが調査を支援する協働プロジェクトです。

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