ブリの出世魚の呼び名の違いは地方差——江戸の古文献5冊でたどる
この記事の目次
貝原益軒の『大和本草』は、ブリの項で「鰤ノ小ナルヲハマチト云江戸ニテイナタト云筑紫ニテヤズト云地ニヨリテ名カハレリ皆一物也」と書いています。ブリは育つにつれて名前が変わる出世魚で、スーパーの売り場で同じ魚が「ハマチ」だったり「イナダ」だったりするのは、その呼び名が大きさだけでなく地方によっても違うからです。宝永6年(1709年)の益軒は、土地ごとに名が違ってもみな同じ一つの魚だ、とすでに断っていました。
江戸の方言辞典、本草書、名産図会、写生画帖と明治の漁業誌を開くと、ブリの成長名は本ごとに違う切り口で書き分けられていて、「出世」という言葉が出てくるのはそのどれでもない、もう一冊の百科事典でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ10・パブリックドメイン)
本を探す入口にしたのは、明治時代に神宮司庁が刊行した百科事典『古事類苑(こじるいえん)』で、古い本からテーマごとに記事を抜き書きして活字で並べてあります。動物部の巻(NDL PID:897901)のコマ24〜25に欄外の見出し「鰤」があり、『物類称呼』『日本山海名産図会』『大和本草』『和漢三才図会』などの抜き書きが並んでいたので、書名を手がかりにそれぞれの原本を開きに行きました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・神宮司庁編・明治43年刊・NDL PID:897901 コマ24・パブリックドメイン)
開いたのは成立の順に次の5点で、江戸中期の本草書から明治の官製の漁業誌まで、約200年ぶんの記録になります。
書名 | 成立 | 著者など | どんな本か |
|---|---|---|---|
大和本草 | 1709年(宝永6) | 貝原益軒 | 日本の動植物を分類して解説した本草書 |
物類称呼 | 1775年(安永4) | 越谷吾山 編 | 諸国の呼び名を集めた方言の辞典 |
日本山海名産図会 | 1798年(寛政10)の序 | 法橋関月 画 | 諸国の名産と漁や製法を絵入りで紹介した図会 |
梅園魚品図正 | 1835年(天保6)の序 | 毛利梅園 | 魚を実物から彩色で写した画帖 |
日本水産捕採誌 | 1911年(明治44) | 農商務省水産局 編 | 全国の漁法を図解した漁業誌 |
「鰤」という字がどこから来たのかという話は鰤の漢字の由来の記事にまとめたので、ここでは成長につれて変わる呼び名のほうを追います。
ブリの代表的な成長名(いまの呼び方)
(関東)ワカシ → イナダ → ワラサ → ブリ
(関西)ツバス/ヤズ → ハマチ → メジロ → ブリ
※地方でさらに細かく分かれます。
『物類称呼』は同じ大きさでも江戸と北陸で名を分けた
越谷吾山(こしがやござん)が編んだ『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』は、同じものが土地ごとにどう呼ばれていたかを集めた方言の辞典です。巻二の頭書に「鰤」とある項を開くと、成長段階ごとの呼び名が土地の名とともに一息に並んでいて、原本はくずし字なので『古事類苑』の活字(コマ24)と並べて読みました。整理すると次のようになります。
『物類称呼』が挙げるブリの呼び名(要約)
・小さいもの … 江戸でわかなご。五畿内と西国・四国でわかな、またつばす
・一尺ほど … 西国で目白(めじろ)
・一尺余りから二尺ほど … 江戸でいなだ。北陸道と奥州でふくらぎ。関西ではまち
・さらに大きくなったもの … 江戸でわらさ。北陸道でらぎ
・霜月(陰暦11月)のころ三〜四尺、五〜六尺になったもの … これがブリ
・薩摩ではそうじ、筑前と上総では大うを
大きさで区切ってその大きさごとに土地の名を並べる書き方で、いまの出世魚の一覧表とほとんど同じ形が、安永4年の本にもうあったことになります。原本でも霜月の頃に三四尺、五六尺となるというくだりは字が追えて、ブリと呼ぶのは冬に大きく育ったもの、という感覚がうかがえます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『物類称呼』越谷吾山編・安永4年・NDL PID:2539349 コマ34・パブリックドメイン)
『大和本草』の「地ニヨリテ名カハレリ皆一物也」
貝原益軒(かいばらえきけん)の『大和本草(やまとほんぞう)』は、カタカナ交じりの整った版なので、くずし字の本よりずっと読みやすい本です。巻十三の鰤の項は「昔ヨリ国俗ニブリトヨム然トモ出處未詳」、昔から日本ではブリと読んできたが出どころははっきりしない、と字の由来から書き始め、そのあとのコマ20に冒頭に引いた成長名のくだりがあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』巻十三・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ20・パブリックドメイン)
ブリの小さいものをハマチといい、江戸ではイナタ、筑紫(九州北部)ではヤズという、土地によって名が変わっているがみな同じ一つの魚である、という一文で、江戸の「イナタ」は原本では濁点がありません。益軒はそのすぐあとで、少し大きいものを「目白(メジロ)」と呼び、小ブリ(原本は「小フリ」)だとも書いています。
この項には産地の話もあって、原文は「丹後鰤ハ味美ナリ若狭ナト隣國ナレ𪜈ブリノ味ヲトル」です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』巻十三・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ20・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
丹後鰤ハ味美ナリ若狭ナト隣國ナレトモブリノ味ヲトル
現代語訳
丹後のブリは味がよい。若狭なども隣の国だが、ブリの味は劣る。「ヲトル」は「劣(おと)る」と読んだ。「味を取る」では、前の「なれども」とつながらない。
最後の「ヲトル」は、この本が「を」をカタカナの「ヲ」で書くので、「ブリの味を取る」と読みたくなります。ところがその前は「隣國ナレ𪜈」で、𪜈は「トモ」を一字に詰めた字なので、隣の国ではあるけれども、という意味になり、隣の国だけれども味を取る、では文がつながりません。「ヲトル」を「劣(おと)る」と読むと筋が通り、丹後のブリは味がよく、若狭なども隣の国ではあるがブリの味は劣る、となります。益軒は、同じ日本海側でも丹後のブリは別格だと書いていたのです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』巻十三・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ20・パブリックドメイン)
続けて益軒は、丹後のブリは脂が多いので塩干しにならず、筑紫のブリは塩干しにするのがよい、とも書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』巻十三・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ20・パブリックドメイン)
原典は『大和本草』鰤の項(NDL)で開けます。
『日本山海名産図会』の成長名の列挙と、伝え聞いた回遊
諸国の名産とその漁や製法を絵入りで紹介した『日本山海名産図会(にほんさんかいめいさんずえ)』は、絵を法橋関月(ほっきょうかんげつ)が描いた本で、巻之三の目録には名産のひとつとして「丹後鰤」が立項されています。益軒が別格とした丹後のブリが、ここでも名産の扱いです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之三・NDL PID:2575828 コマ2・パブリックドメイン)
本文(コマ14)は丹後のブリ漁の話のあとに字の話と成長名を並べていて、字の話は「鰤ハ日本の俗字なり」から始まり、魚師を二字合わせた字だろうと推しています(詳しくは鰤の漢字の記事)。成長名はその次の「小なるをワカナコ ツバス イナダ メジロ フクラキ ハマチ」です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之三・寛政10年序・NDL PID:2575828 コマ14・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
鰤ハ日本の俗字なり小なるをワカナコツバス イナダ メジロ フクラキ ハマチ
現代語訳
「鰤」は日本の俗字である。小さいものをワカナコ・ツバス・イナダ・メジロ・フクラキ・ハマチと呼び、九州では大魚とも称する、と続く。並びは名の列挙で、大きさの順とは書いていない。
名前は空白で区切って並べてあるだけで、どれが何寸か、どこの名かは書いてなく、列挙のあとは九州では大魚とも呼ぶ、と続きます。『物類称呼』のように大きさと土地を対にした書き方とは違います。
同じページには、ブリがどこから来るかの話もあり、東北の大浪を経て西南の海をめぐり、丹後の海上に至るころには脂が多く味がとてもよいので名産とするのだ、という趣旨が書かれています。ただしこの一節は「或云(あるいはいう)」で始まって「と云」で結ばれていて、名産図会の書き手が自分で確かめた話ではなく、そういう説がある、という書き方です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之三・寛政10年序・NDL PID:2575828 コマ14・パブリックドメイン)
原典は『日本山海名産図会』鰤の項(NDL)で開けます。
梅園が写生した一匹に書き添えた成長名
毛利梅園(もうりばいえん)の『梅園魚品図正(ばいえんぎょひんずせい)』は、魚を実物から彩色で写した画帖で、写した日付まで書き込んであります。ブリの図には見出し「海魚類 鰤(ブリ)」とともに「壬辰閏十一月廿一日 真寫」とあり、壬辰の年の閏十一月二十一日に実物を写したことが分かります。見出しの横には字と読みについての書き入れがあり、成長名はその左に続きます。
梅園の書き入れ(成長名の部分)
不利魚(ブリ)ノ苗(デキ)ヲ ワカナ□ト云 江戸方言
二年ヲ歴テ イナダト云 江戸方言
マチ ヤズ 築紫方言 同肥前
五年以上ヲ ワラサ又不利(ブリ)ト云
稚魚から何年たったかで名を分けているのが梅園の書き方で、五年を過ぎたものはワラサともブリとも呼ぶ、と一つの段にまとめています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ10・パブリックドメイン)
一つ、読み切れない字があります。最初の「ワカナ□」の4字目で、『物類称呼』が江戸の名を「わかなご」としているので「ワカナゴ」と読みたくなるのですが、原本を拡大すると、その字は「コ」に濁点の形ではありません。同じページの「ヤズ」の「ズ」と並べると形はよく似ているものの、「ズ」と言い切れるほどではないので、□のままにしてあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ10・パブリックドメイン)
同じ帖には、ブリによく似たヒラマサの写生もあります(コマ49)。書き入れによれば、ヒラマサは江戸の魚商の呼び名で、この魚は鰤(イナダ)に似るがイナダより身が平たく、味は淡くてよい、頭と鼻先は丸く、イナダは口がとがる、と見分けどころまで書いてあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ49・パブリックドメイン)
原典は『梅園魚品図正』ブリの図(NDL)で開けます。
明治の『日本水産捕採誌』の「第二 鰤網」
農商務省水産局がまとめた『日本水産捕採誌(にほんすいさんほさいし)』は全国の漁法を図解した漁業誌で、活字なので文字ははっきり読めます。ここでブリは、呼び名や名産としてではなく、漁の対象として一章「第二 鰤網」にまとめられていて、コマ179の書き出しは「鰤は西南海より東北に至るまで所在之を漁す」、ブリは西南の海から東北まで各地で漁獲される、という一文です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本水産捕採誌』上巻・農商務省水産局編・明治44年・NDL PID:842749 コマ179・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
鰤は西南海より東北に至るまで所在之を漁す其漁法釣あり網あり
現代語訳
ブリは西南の海から東北にいたるまで、各地で漁獲される。その漁法には釣りもあれば網もある。
続けて、漁法には釣りも網もあり、網は建網なども使うが刺網を使うところが多い、と書いたあと、地方ごとの例が並びます。肥前国ではこの網を建網と呼び、建網とは数時間海底に置いて魚が自分から掛かるのを待つ網の総称だという説明で、漁期は陰暦八月から翌年四月までの間です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本水産捕採誌』上巻・明治44年・NDL PID:842749 コマ179・パブリックドメイン)
丹後国与謝郡の伊根村と新井村の鰤刺網も載っていて、漁期は毎年十一月十一日ごろから翌年一月十日まで、網の目の大きさや長さ、浮子(うき)を桐の木で作ることまで書いてあります。この節の図が「第九十八図 鰤刺網」で、甲は網の装置、乙は各網を入れる位置を示し、漁期の前に網主がくじで網を入れる順番を決めるという本文の説明が、乙の図に対応しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本水産捕採誌』上巻・明治44年・NDL PID:842749 コマ181・パブリックドメイン)
名産図会が丹後の名産とし、益軒が別格とした丹後のブリは、明治の伊根でも冬の刺網で獲られていたことになります。
この本を読み進めると、コマ222で「正月二月は」「孕鰤の時候」と読める一節に出会います。卵を抱えたブリの季節だから潮にかかわらず昼夜漁をする、と寒ブリの話に見えるのですが、これはブリの節ではなく、見出しは「第十四 江張網」、肥後国八代の白魚(しらうお)を獲る網の話でした。字を拡大すると、魚へんの右側は「師」ではなく「而」で、魚の卵をあらわす「鮞(はららご)」の字です。前の字とあわせると「鱠殘魚孕鮞の時候」で、鱠殘魚は白魚の別の書き方なので、白魚が卵をもつ季節という意味になります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本水産捕採誌』上巻・明治44年・NDL PID:842749 コマ179・222・パブリックドメイン)
原典は『日本水産捕採誌』鰤網の章(NDL)で開けます。
「出世」は和漢三才図会に出てくる
ここまでの5点は、名前が変わることは書いても、それを「出世」とは呼んでいません。『古事類苑』の抜き書きをもう一度たどると、その言葉は江戸時代の図入り百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』の巻四十九、ブリの項(コマ35)の、塩漬けのブリ(鰤腌)の説明の続きにありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』寺島良安編・NDL PID:2596381 コマ35・パブリックドメイン)
「此魚自少至老時改名」、この魚は小さいときから老いるまで時に応じて名を改める、と書き、入り江から外海へ出て東北の海から西の対馬まで泳ぐと続けたあとに、「以爲出世昇進之物」とあります。だから出世昇進の物とし、大魚と呼んで、身分を問わず歳末の祝いに贈り合う、というのです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・NDL PID:2596381 コマ35・パブリックドメイン)
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翻刻
此魚自少至老時改名初在江海徐出大洋而復自東北海連行終西海對州焉以爲出世昇進之物稱之大魚貴賤相饋爲歳末之嘉祝
現代語訳
この魚は小さいときから老いるまで、時に応じて名を改める。はじめは入り江や沿岸にいて、しだいに外海へ出る。また東北の海から連なって泳ぎ、終わりは西の海の対馬に至る。それで出世昇進の物とし、大魚と呼んで、身分を問わず贈り合い、歳末の祝いとする。
名が改まることと出世昇進が一続きに書かれていて、いまの「出世魚」という言い方の中身がそのままここにあります。
呼び名の地図と、旅する魚
並べてみると、ブリの呼び名は本ごとに切り口が違っていて、『物類称呼』は大きさごとに土地の名を並べ、『大和本草』は「地ニヨリテ名カハレリ皆一物也」とまとめ、梅園は年数で段を分けていました。名産図会と和漢三才図会は、ブリが東北の海から西へ移っていくとも書いていて、名産図会は「或云」と伝え聞きの形で、和漢三才図会は名が改まる話と一続きに書いています。
ブリの移動は、現代の標識放流でも調べられています。島根県水産試験場の村山達朗「標識放流結果からみた日本海におけるブリ未成魚の回遊」(日本水産学会誌 58巻3号、1992年、DOI:10.2331/suisan.58.417)は、1964年から1989年に日本海と東シナ海で行われた標識放流の結果を分析したもので、抄録によれば、東シナ海や山陰沖で放流した0歳魚は放流した場所の近くで再び捕られた一方、1980年代に富山湾や佐渡沖で放流した0歳魚の一部はそれより広い範囲で捕られていて、夏から秋に能登半島より東へ北上した0歳魚が、近年は半島を越えて西へ下る傾向がある、とまとめられています。
土地ごとに名前が違うのは、移動する魚をそれぞれの浜の人が自分たちの名で呼んだからかもしれません。そう考えると、『物類称呼』の呼び名の一覧は、ブリの通り道に沿った地図のようにも読めます。
- ブリの呼び名は、江戸の本でも土地ごとに違っていた
- 『物類称呼』(1775)は大きさごとに江戸・五畿内・西国・北陸道などの名を並べる
- 『大和本草』(1709)は「江戸ニテイナタ」「筑紫ニテヤズ」と書き「皆一物也」と結ぶ
- 『梅園魚品図正』の「ワカナ□」の4字目はゴではなくズに近い形
- 『日本水産捕採誌』の「孕鮞」は鰤ではなく白魚の卵の話
- 『和漢三才図会』は名が改まることを「出世昇進之物」と結びつけていた
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この記事でわかったこと
ブリが出世魚と呼ばれるのは、成長するにつれて名前が変わるからです。
江戸時代の『和漢三才図会』は、ブリが小さいときから老いるまで名を改めることを書き、だから「出世昇進之物」とする、と続けています(NDL PID:2596381 コマ35)。
『物類称呼』(1775年)によると、小さいものを江戸でわかなご、五畿内と西国・四国でわかなやつばす、一尺ほどを西国で目白、一尺余りから二尺ほどを江戸でいなだ、北陸道と奥州でふくらぎ、関西ではまち、さらに大きいものを江戸でわらさと呼びました。霜月のころ三〜四尺、五〜六尺になったものがブリです。
ハマチとブリは同じ魚です。
ブリの成長途中の呼び名の一つがハマチです。『大和本草』も「鰤ノ小ナルヲハマチト云江戸ニテイナタト云筑紫ニテヤズト云地ニヨリテ名カハレリ皆一物也」と書いています(NDL PID:2557359 コマ20)。
『大和本草』は丹後のブリは味がよく、若狭など隣の国のブリは味が劣ると書き、丹後のブリは脂が多いとしています(NDL PID:2557359 コマ20)。
『日本山海名産図会』も巻之三の目録に「丹後鰤」を立てています(NDL PID:2575828 コマ2)。
江戸後期の『梅園魚品図正』は、ヒラマサはイナダより身が平たく、頭と鼻先が丸く、イナダは口がとがる、と見分けどころを書いています(NDL PID:1287112 コマ49)。
江戸時代の『日本山海名産図会』や『和漢三才図会』も、ブリが東北の海から西へ移ると書いています。
現代では標識放流の研究があり、村山(1992、日本水産学会誌58巻3号)は日本海のブリ0歳魚の移動範囲が1980年代に広がったことを報告しています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 古事類苑.動物部8
神宮司庁古事類苑出版事務所 編 [明43]
- 物類称呼 5巻
越谷吾山 編 安永4 [1775]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 日本山海名産圖會 5巻.[3]
法橋關月 画 [18--]
- 日本水産捕採誌.上巻
農商務省水産局 編 明44.7
- 和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻.[34]
寺島良安尚順 編 [江戸時代]
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



