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魚と貝

ナマコの口はなぜ裂けている? 古事記の一行と江戸のいりこ作り

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この記事の目次

寛永二十一年(1644年)に刷られた『古事記』の版本には、ページの上の欄外に、朱で「海鼠事」と書き入れてある箇所があります。昔の読者が目印を付けたそこには、ナマコの口がなぜ裂けているのかという話が載っていて、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)の問いに海鼠だけが答えなかったので、細い小刀で口を裂かれたというのです。鮮魚売り場のすみに置かれた赤黒いかたまり、中華料理なら干したものを戻して煮込み海参(ハイシェン)と呼ぶあの生きものは、たしかに正面から見ると口の周りが裂けたようになっています。千年後の江戸の食物百科も、この話をまじめに引用していました。

『日本山海名産図会』巻之四の見開き図「讃州海鼠捕」。小舟に乗った漁師たちがナマコを採っている
右ページの題に「讃州 海鼠捕」。手前の舟には目の粗い籠と長い竿を持った漁師が並び、左ページでは帆をかけた舟が網を引いている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ12・パブリックドメイン)

江戸の本には索引がないので、どのページに海鼠が出てくるかは開いてみないと分かりません。そこで手がかりにしたのが、神宮司庁が編み明治時代に刊行された『古事類苑』で、テーマごとに古典の該当箇所を活字で抜き書きしてあるこの事典を、索引がわりに使いました。

『古事類苑』動物部を海鼠の項で開いた見開き。柱に「動物部十八 魚下」とある
右ページの欄外に見出し「海鼠」。辞書類の抜き書きのあと、左ページに『古事記』『水左記』『宣胤卿記』『実隆公記』『令義解』『延喜式』『日本山海名産図会』と、海鼠を書いた本の抜き書きが続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ803・パブリックドメイン)

海鼠の項はコマ803から804にかけてで、古代から江戸までの海鼠の記事がまとめて並び、辞書の抜き書きが終わったあと、記事の最初に置かれているのが『古事記』です。

答えなかったので、口を裂かれた

場面は『古事記』上巻、天孫降臨のあとで、猨田毘古神(さるたびこのかみ)を送り届けた天宇受賣命が、海の魚たちを集めて問いただします。開いたのは、寛永二十一年(1644年)に前川茂右衛門が刊行した、江戸の初めの版本です。

寛永二十一年刊『古事記』上巻の見開き。朱と青の書き入れがある
左ページの欄外上部に、朱で「海鼠事」の頭注が入っている。本文には後の手による訓点と傍書がびっしり書き込まれている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事記』3巻・NDL PID:2538184 コマ53・パブリックドメイン)

左ページの上の欄外にある朱の「海鼠事」が、冒頭に書いた書き入れで、この本を読んだ誰かが、ここに海鼠の話があると目印を付けたわけです。

『古事記』の海鼠の場面、4列と翻刻。「海鼠不白。爾天宇受賣命、謂海鼠云、此口乎不答之口、而以細小刀拆其口」
赤枠は該当4列。「拆其口」の拆には「サク」、「口拆也」の拆には「サケタリ」と、後の手が訓を書き入れている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事記』3巻・NDL PID:2538184 コマ53・パブリックドメイン)
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翻刻

言、汝者大神御子仕奉耶之時、諸魚皆仕奉白之中、海鼠不白。爾天宇受賣命、謂海鼠云、此口乎不答之口、而以細小刀拆其口。故於今海鼠口拆也。是以御世、島之速贄献之時、給猨女君

現代語訳

「おまえたちは天つ神の御子にお仕えするか」と問うたとき、魚たちはみなお仕えしますと申し上げた。その中で、海鼠だけが答えなかった。そこで天宇受賣命が海鼠に言った、「この口は答えぬ口か」と。そして細い小刀でその口を裂いた。だから今も海鼠の口は裂けている。そういうわけで、御世に島の速贄を献るときには、猨女君らに給わるのである。

問いは、おまえたちは御子にお仕えするか、というもので、魚たちはみなお仕えしますと答えましたが、「諸魚皆仕奉白之中、海鼠不白」、海鼠だけが答えませんでした。そこで天宇受賣命は「此口乎不答之口」、この口は答えない口かと言い、「以細小刀拆其口」、細い小刀でその口を裂いた。だから「故於今海鼠口拆也」、今も海鼠の口は裂けている、という結びです。返事をしなかっただけで口を裂かれるのは理不尽な話ですが、これが日本最古の書物に残る海鼠の記録でした。

この版面には、後の時代の読者が手を入れた跡がはっきり残っています。本文が「大神御子」となっているところは「大」に朱で丸をつけて右に「天」と書き入れ、二つの「拆」には「サク」「サケタリ」と訓を振っています。もう一つ、細い小刀の「細」の脇には別の字「紐」が書き入れてあって、索引に使った『古事類苑』の活字は、まさにここを「紐小刀」、裂くの字を「析」と組んでいました。

寛永版『古事記』「以細小刀拆其口」の大写し
寛永版『古事記』コマ53の1列から「以細小刀拆其口」を切り出した。刀の字は力に近い形で、右に青で「カタナ」の振り仮名。「細」の左に「紐」、「拆」の右に朱で「折」の書き入れがある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事記』寛永21年刊・NDL PID:2538184 コマ53・パブリックドメイン)
古事類苑「而以紐」「小刀析其口」の大写し
『古事類苑』コマ803の2か所を切り出して並べた。右が列の終わりの「而以紐」、左が次の列の頭の「小刀析其口故」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ803・パブリックドメイン)

活字の本だけを読んでいると「紐のような小刀」と読みたくなりますが、原本を開くと刷られた字は「細」で、「紐」はあとの読者の書き入れです。書き入れた人は、写本や版によって字が違うことを知っていたようで、ここでは版本の刷りの字に従って「細小刀」で読んでいます。

『本朝食鑑』も神話から書き起こす

時代を千年ほど飛ばして、人見必大(ひとみひつだい)の食べ物の百科事典『本朝食鑑』を開きます。全12巻で、序文の年は元禄八年(1695年)。その巻九の海鼠の項は、こう書き出されています。

『本朝食鑑』巻九の海鼠の項と翻刻。「本朝有海鼠者尚矣。古事記曰……」
赤枠は該当箇所。『古事記』の海鼠の一段が、ほぼそのまま引かれている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻九・NDL PID:2557334 コマ38・パブリックドメイン)
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翻刻

本朝有海鼠者尚矣。古事記曰、諸魚奉仕白之中、海鼠不白。爾天宇受賣命、謂海鼠曰、此口乎不答口、而以細小刀拆其口。故於今海鼠口拆也。

現代語訳

わが国に海鼠があることは古い。『古事記』に言う、魚たちがみなお仕えすると申し上げた中で、海鼠は答えなかった。そこで天宇受賣命が海鼠に言った、「この口は答えぬ口か」と。そして細い小刀でその口を裂いた。だから今も海鼠の口は裂けている――と。

「本朝有海鼠者尚矣」、わが国に海鼠があることは古い、と言ってから、必大は『古事記』の一段をまるごと引いています。魚たちが答えた中で海鼠だけが答えず、細い小刀で口を裂かれた、というあの話で、食べ物の実用書がまず神話から始まるのです。引用の字は「細小刀」「拆」で、『古事類苑』の「紐」「析」ではありませんが、細かいところは寛永版と同じではなく、「諸魚奉仕白之中」と、寛永版の「仕奉」が「奉仕」の順になっていました。

神話のあとには、実際的な観察が続きます。長さ二、三寸のものは腹に砂が多く、味もやや劣る、と書いてから、もう一種に移ります。

『本朝食鑑』の海鼠の項、このわたの記述と翻刻。「腹内三条之黄腸如塊、淹之為醤、味香美不可言、為諸醢中之第一也」
赤枠は該当箇所。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻九・NDL PID:2557334 コマ38・パブリックドメイン)
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翻刻

一種有長七八寸肥大者、腹内三條之黄腸如塊、淹之爲醬、味香美不可言、爲諸醢中之第一也

現代語訳

もう一種、長さ七、八寸で肥え太ったものがある。腹の中の三条の黄色い腸が塊のようになっていて、これを塩漬けにして醤(ひしお)にすると、味も香りも言葉にできないほどよい。もろもろの塩辛のなかの第一である。

長さ七、八寸で肥えたものの「腹内三条之黄腸」、腹の中の三本の黄色い腸を塩漬けにすると、味も香りも言葉にならず、「為諸醢中之第一也」、もろもろの塩辛のなかの第一である、というのです。コノワタのことで、江戸の食物百科は、これを塩辛の頂点だと言い切っています。

生はナマコ、干せばイリコ

平安時代の辞書『倭名類聚抄』は、海鼠の和名を「古(こ)」とし、本朝式(延喜式)では「熬」の字を加えて「伊里古(いりこ)」という、蛭に似て大きいものだ、と書いています。江戸後期に狩谷棭斎が注を付けた『箋注倭名類聚抄』は、今は俗に「奈末古(なまこ)」と呼ぶが、これは熬海鼠に対して立てた名だ、という趣旨を述べています(いずれも『古事類苑』動物部 コマ803が引く本文)。「なまこ」は「生のこ」、「いりこ」は「熬った(煎った)こ」で、「こ」がこの生きものの古い名、そこに状態を示す語が頭に付いた形です。室町の辞書『下学集』が海鼠腸に「コノワタ」と仮名を振っているのを見ると、「このわた」の「こ」も同じ「こ」と読めます。

宮中では別の呼び方もありました。室町期の女房ことばを集めた『大上薦御名之事』では、なまこを「はなだ」、いりこを「くろ物」と、色で言い換えています(『古事類苑』動物部 コマ803が引く本文)。腸のほうの扱いも特別で、室町の料理故実を伝える『四条流庖丁書』には海鼠腸の一条があってその扱いを秘伝とし、海鼠と牡蠣を和えた「こたゝみ」という料理も出てきます(同 コマ804)。歴史の上でずっと重要だったのは、しかし干した「いりこ」のほうでした。

干したナマコは千年前から税だった

『古事類苑』が『古事記』と日記類のあとに引いているのが、律令の注釈書『令義解』です。

『古事類苑』が引く『令義解』賦役の条と翻刻。「凡調(中略)熬海鼠廿六斤」
赤枠は該当箇所。この列の左には『延喜式』の熬海鼠十二斤・八斤・八斤十両が続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ803・パブリックドメイン)
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翻刻

〔令義解賦役〕凡調(中略)若輸雑物者(中略)熬海鼠廿六斤

現代語訳

調(税)として雑物を納める場合は、熬海鼠なら二十六斤――。

「凡調(中略)熬海鼠廿六斤」とあり、調、つまり税として品物を納めるとき、干しナマコなら二十六斤と定められていました。同じページには『延喜式』の条文がいくつも並び、伊勢の神宮の九月の神嘗祭に熬海鼠十二斤、度会宮に八斤、諸国が調として納める品目にも熬海鼠八斤十両とあって、若狭・能登・隠岐・筑前・肥前・肥後などの国名が続きます。神への供え物であり、国が数えて集める品物でもあったわけで、干しナマコはそのころすでに「斤」で計られる物産でした。

薬にもなりました。平安の貴族の日記『水左記』の承保四年(1077年)八月七日の条は、前の夜から具合の悪い書き手が、海鼠腸を食べてよいかをたずねる記事で、返事は、熱のあるあいだに召し上がって何の差し支えがあろう、まして腹の病の薬である、というものでした。書き手は食べていますが、続けて「今夜心地極苦」、その夜はひどく苦しかった、とも書いています(『古事類苑』動物部 コマ803が引く本文)。贈り物としても登場し、室町の公家の日記『宣胤卿記』の長享三年(1489年)正月十七日の条には、娘が柳二荷・鮒一折とともに持ってきた海鼠一折が、『実隆公記』の明応六年(1497年)四月五日の条には細川安房守から届いた海鼠腸一桶が記録されています(いずれも『古事類苑』動物部 コマ803が引く本文)。

海の底を油で透かして見る

獲り方を図入りで残しているのが、日本各地の名産とその獲り方・作り方を紹介した『日本山海名産図会』で、絵は法橋関月(ほっきょうかんげつ)、序文の年は寛政十年(1798年)です。巻之四に生海鼠・熬海鼠・海鼠腸がまとめて立項されていて、産地は、江東(東の海)では尾張和田、参河柵の島、相模三浦、武蔵金沢、西海では讃州小豆島がいちばん多い、とあります。

漁のやり方も具体的で、沖で獲るには、網を船の「舳」に付けて走らせると、ひとりでに入るといいます。この「舳」の字には「とも」と振り仮名があり、いまの辞書では舳(へ)は船首、艫(とも)は船尾なので、字だけ見れば「舳先に網を付ける」と読みたくなるところを、振り仮名に従えば、網は船の後ろに付けて引いたことになります。海底の石に着いているものを獲るやり方は、コマ11の最後の列が「熬海鼠の汁又ハ」で終わっていて、ページをめくった次の見開き(コマ14)の頭へ続きます。

『日本山海名産図会』の漁法の記述と翻刻。「水面に點滴すれバ塵埃を開きて水中透明」
赤枠は右端の2列。「攩網」には「たまあみ」の振り仮名がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・寛政10年序・NDL PID:2575829 コマ14・パブリックドメイン)
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翻刻

鯨の油を……水面に點滴すれバ塵埃を開きて水中透明底を見る事鏡に……然して攩網を以て是を……

現代語訳

(前のコマ11の「熬海鼠の汁又ハ」から続く)鯨の油を水面に点滴すると、浮いたごみが開いて水の中が透きとおり、底が鏡に向かうように見える。そこを攩網(たまあみ)で取る。

熬海鼠の汁か鯨の油を、「水面に點滴すれバ塵埃を開きて水中透明」、水面にしずくを垂らすと浮いたごみが開いて水の中が透きとおり、底が鏡を見るように見えるので、そこを攩網(たまあみ)で取る、という趣旨です。鯨の油だけでなく、ナマコを煮た汁でもよいと書いてあるのですから、いりこを作るときに出る汁を、次のナマコを獲るのに使っていたことになります。

いりこを作る一日と一夜

獲ったナマコはすぐに加工され、同じ巻には、その工程がまるごと見開きの図になっています。

『日本山海名産図会』巻之四の見開き図「熬海鼠を制す」。ナマコを煮て干し、束にするまでの工程
右ページの題に「熬海鼠を制す」。左ページでは竈にかけた大釜が湯気を上げ、男が長い棒でかき回している。手前では人々が座って桶や盥のナマコを扱っている。右ページでは筵の上に大量のナマコを広げて干し、手前では干し上がったものを箱のそばで束ねている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ13・パブリックドメイン)

本文の手順は、絵の中の作業とぴたりと対応しています。

『日本山海名産図会』の熬乾の法、4列と翻刻。「腹中三條の腸を去り數百を空鍋に入れて」
赤枠は該当4列。読み切れなかった字は翻刻で……とした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・寛政10年序・NDL PID:2575829 コマ14・パブリックドメイン)
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翻刻

◯熬乾の法ハ腹中三條の腸を去り數百を空鍋に入れて活火……煮ること一日則鹹汁自出て焦黒燥硬く形微かなるを又煮ること一夜にして再び稍大くなるを取出し冷むるを候……乾し或ハ竹にさして乾たるを串海鼠と云

現代語訳

熬乾(いりぼし)の法は、腹の中の三条の腸を取り去り、数百を空の鍋に入れて強い火で一日煮る。すると塩からい汁がひとりでに出て、焦げて黒く乾き硬くなり、形が小さくなる。それをまた一夜煮ると、ふたたびやや大きくなる。取り出して冷めるのを待ち、(糸に通して)干す。竹に刺して干したものを串海鼠という。

まず「腹中三條の腸を去り」、腹の中の三本の腸を取り去り、この腸が、さきほどの「諸醢中之第一」になります。次に「數百を空鍋に入れて」、水を入れない鍋に数百匹をまとめて入れて強い火で一日煮ると、「鹹汁自出て焦黒燥硬く」、塩からい汁がひとりでに出てきて、焦げて黒く硬くなり、形が小さくなる。それをさらに一夜煮るとふたたび少し大きくなるので、取り出して冷まして干し、竹に刺して干したものを「串海鼠」と呼んだそうです。図の右ページで筵いっぱいに広げられているのは、干している段階のナマコに見え、手前では乾いたものを束ねて、出荷の準備をしています。

中国ではロバの皮で偽物が作られていた

運ぶ先は、同じ項の本文に書いてありました。

『日本山海名産図会』の記述と翻刻。「中華ハ甚稀なるをもつて、驢馬の皮又陰茎を以て」
赤枠は該当2列。読み切れなかった字は翻刻で……とした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・寛政10年序・NDL PID:2575829 コマ11・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

中華ハ甚稀なるをもつて、驢馬の皮又陰茎を以て……贋物とするが故に、彼國の聘使高客の此

現代語訳

中国ではきわめて珍しいので、ロバの皮や陰茎で贋物を作る。そのため、あちらの使節や上客がこちらで買い求めて帰ることが――(次の列に「求め歸ること夥し」と続く)

「中華ハ甚稀なるをもつて、驢馬の皮又陰茎を以て」贋物とするので、「彼國の聘使高客」がこちらで買い求めて帰ることがおびただしい、と続きます。中国ではナマコが非常に少ないのでロバの皮や陰茎で贋物が作られ、そのため向こうの使節や上客が、日本で本物を買い求めて帰っていったのです。なぜそれほど求められるのかも書いてあって、子どもの虚弱の症に人参として用いるからで、だから時珍の食物本草には「海参」と名づけられている、と。海の人参という名前は、薬としての値打ちから来ていました。

『日本山海名産図会』は、産地ごとの違いも書き留めています。大きなものは藤蔓に繋いで吊るし、これは江東と越後の産のやり方だという。小豆島の産は大きくて味がよく、薩摩・筑前・豊前・豊後から出るものは極めて小さい。奥州金花山のものは形が丸く黄白色で、腹に砂金を含むので「金海鼠」という。産地の格付けまである、立派な商品だったことが分かります。

『古事記』で返事をしなかったために口を裂かれた海鼠は、『令義解』や『延喜式』では斤で計られる税と神饌になり、江戸の食物百科には塩辛の第一として載り、寛政の名産図会のころには一日煮て一夜煮た干しナマコが、ロバの皮で贋物が作られるほど求められる中国へ渡っていました。売り場のすみに置かれた赤黒いかたまりには、それだけの時間が乗っています。

この記事でわかったこと

  • 『古事記』上巻に理由が書かれています。

    天宇受賣命が魚たちに、御子にお仕えするかと問うたとき、海鼠だけが答えなかった。そこで「この口は答えない口か」と言って細い小刀で口を裂いた、だから今も海鼠の口は裂けている――という話です(NDL PID:2538184 コマ53)。江戸の食物百科『本朝食鑑』も、海鼠の項をこの一段の引用から書き始めています。

  • 『倭名類聚抄』は海鼠の和名を「古(こ)」とし、延喜式では熬の字を加えて伊里古(いりこ)という、と書いています。

    生のものが「なまこ」、煮て干したものが「いりこ」、腸の塩辛が「このわた」です。江戸後期の『箋注倭名類聚抄』は、なまこは熬海鼠に対して立てた名だと説明しています(『古事類苑』動物部 NDL PID:1874269 コマ803)。

  • 『日本山海名産図会』巻之四に手順が書かれています。

    腹の中の三条の腸を取り去り、数百匹を水を入れない鍋に入れて強い火で一日煮る。塩からい汁が出て焦げ黒く硬く縮んだものを、さらに一夜煮る。取り出して冷まし、干す。竹に刺して干したものを串海鼠と呼びました。同書には工程を描いた見開きの図も収められています。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。

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