ナマコの口はなぜ裂けている? 古事記の一行と江戸のいりこ作り
鮮魚売り場のすみに、赤黒いかたまりが置いてあることがあります。
ナマコです。中華料理では干したものを戻して煮込み、海参(ハイシェン)と呼びます。
この生きもの、正面から見ると口の周りが裂けたようになっています。
その理由が、日本でいちばん古い書物に書いてあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ12・パブリックドメイン)
しかも、その話を千年後の江戸の料理本が、まじめに引用しています。
順に開いていきます。
0. 江戸の本は、索引から入る
使うのは国立国会図書館デジタルコレクションです。江戸時代の本が撮影されたまま公開されていて、会員登録も費用も要りません。
ただし、江戸の本に索引はありません。どのページに海鼠が出てくるのかは、開いてみないと分からない。
そこで『古事類苑』を索引がわりに使います。明治政府のもとで編まれた事典で、テーマごとに古典の該当箇所を活字で抜き書きしてあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ803・パブリックドメイン)
海鼠の項はコマ803から804。ここに、古代から江戸までの海鼠の記事がまとめて並んでいます。
いちばん最初に置かれているのが、『古事記』でした。
1. 答えなかったので、口を裂かれた
『古事記』の上巻、天孫降臨のあとの場面です。猨田毘古神(さるたびこのかみ)を送り届けた天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が、海の魚たちを集めて問いただします。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事記』3巻・NDL PID:2538184 コマ53・パブリックドメイン)
この本は寛永二十一年(1644年)、前川茂右衛門の刊。江戸の初めに出た『古事記』の版本です。
左ページの上、欄外に朱で「海鼠事」と書いてあります。この本を読んだ誰かが、ここに海鼠の話があると目印を付けたわけです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事記』3巻・NDL PID:2538184 コマ53・パブリックドメイン)
問いは「おまえたちは天つ神の御子にお仕えするか」。
魚たちはみな「お仕えします」と答えました。ところが——
「諸魚皆仕奉白之中、海鼠不白」。海鼠だけが答えなかった。
そこで天宇受賣命が言います。「此口乎不答之口」——この口は、答えない口か。
そして、「以細小刀拆其口」。細い小刀でその口を裂いた。
「故於今海鼠口拆也」。だから今も、海鼠の口は裂けている。
返事をしなかっただけで口を裂かれる。理不尽な話ですが、これが日本最古の書物に残る海鼠の記録です。
この版面には、後の時代の読者が手を入れた跡がはっきり残っています。本文が「大神御子」となっているところは朱で丸をつけ、右に「天」と書き足してある。「拆」の字の脇には「サケタリ」と訓が振ってある。江戸の誰かが、この一行を読み込んでいたことが分かります。
2. 江戸の食物百科も、この話から書き始める
時代を千年ほど飛ばします。
『本朝食鑑』。人見必大が元禄十年(1697年)に刊行した、食べ物の百科事典です。全12巻の大部な本です。
その巻九、海鼠の項。書き出しがこうです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻九・NDL PID:2557334 コマ38・パブリックドメイン)
「本朝有海鼠者尚矣」——わが国に海鼠があることは古い。
そう言って、『古事記』の一段をまるごと引いています。魚たちが答えた中で海鼠だけが答えず、細い小刀で口を裂かれた、というあの話です。
食べ物の実用書が、まず神話から始まる。しかも引用の字は、寛永版の版面と同じ「細小刀」「拆」です。人見必大も、同じ形の本文を読んでいたことになります。
そのあとに続くのは、きわめて実際的な観察でした。海鼠には二種あって、長さ二、三寸のものは腹に砂が多く味も落ちる。もう一種は——

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻九・NDL PID:2557334 コマ38・パブリックドメイン)
長さ七、八寸で肥えたもの。その「腹内三条之黄腸」——腹の中の三本の黄色い腸を塩漬けにすると、味も香りも言葉にならない。
そして、「為諸醢中之第一也」。もろもろの塩辛のなかの第一である。
コノワタのことです。江戸の食物百科は、これを塩辛の頂点だと言い切っています。
3. 生はナマコ、干せばイリコ
ここで名前の話をします。
平安時代の辞書『倭名類聚抄』は、海鼠について「熬」の字を「伊里古(いりこ)」と読ませ、蛭に似て大きいものだと説明しています。江戸後期に狩谷棭斎が注を付けた『箋注倭名類聚抄』では、生のものを俗に「奈末古(なまこ)」、干したものを「伊利古(いりこ)」と呼び分けると整理されています(NDL PID:991791 コマ52)。
つまり「なまこ」は「生のこ」、「いりこ」は「熬った(煎った)こ」。「こ」がこの生きものの古い名で、状態を示す語が頭に付いた形です。腸を塩辛にしたものを「このわた」と呼ぶのも、同じ「こ」です。
宮中では別の呼び方もされていました。室町期の女房ことばを集めた『大上薦御名之事』では、なまこを「はなだ」、いりこを「くろ物」と呼んでいます(『古事類苑』動物部 コマ803が引く本文)。色で言い換えたわけです。
腸のほうも、扱いは特別でした。室町の料理故実を伝える『四条流庖丁書』には海鼠腸の一条があり、その扱いを秘伝としています(同 コマ804)。同書には海鼠と牡蠣を和えた「こたゝみ」という料理も出てきます。
そして、この「いりこ」のほうが、歴史上はずっと重要でした。
4. 干したナマコは、千年前から税だった
『古事類苑』が『古事記』の次に引いているのは、律令の注釈書『令義解』です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ803・パブリックドメイン)
「凡調(中略)熬海鼠廿六斤」。調——つまり税として品物を納めるとき、干しナマコなら二十六斤、と定められています。
同じページには『延喜式』の条文がいくつも並びます。伊勢の神宮の九月の神嘗祭に熬海鼠十二斤、度会宮に八斤。諸国が調として納める品目にも熬海鼠八斤十両とあり、若狭・能登・隠岐・筑前・肥前・肥後などの国名が続いています。
神への供え物であり、国が数えて集める品物でもあった。干しナマコは、そのころすでに「斤」で計られる物産だったわけです。
薬でもありました。平安の貴族の日記『水左記』の承保四年(1077年)八月七日の条には、病床の書き手が医師に「海鼠腸を熱のあるあいだに食べてしまったが、腹の病にはどうか」と尋ねる場面があります。医師の答えは、それは腹の病の薬だから食べなさい、というものでした(『古事類苑』動物部 コマ803が引く本文)。
贈り物としても登場します。室町の公家の日記『宣胤卿記』の長享三年(1489年)正月十七日の条には海鼠一折が、『実隆公記』の明応六年(1497年)四月五日の条には細川安房守から届いた海鼠腸一桶が記録されています(いずれも『古事類苑』動物部 コマ803が引く本文)。
5. 讃岐の海で、鯨の油を垂らす
では、どうやって獲っていたのか。
『日本山海名産図会』を開きます。蔀関月が絵を描き、寛政十一年(1799年)に刊行された、日本各地の名産と、その作り方を図入りで紹介した本です。
その巻之四に、生海鼠・熬海鼠・海鼠腸がまとめて立項されています。産地として挙がるのは、尾張和田、参河柵の島、相模三浦、武蔵金沢、そして讃州小豆島が最も多い。
漁のやり方が具体的です。沖で獲るには、網を舟の舳先に付けて走らせる。すると自然に入る。海底の石に着いているものを獲るには——

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ14・パブリックドメイン)
「鯨の油を以て水面に點滴すれば、塵埃を開きて水中透明、底を見る事鏡に向ふがごとく」。
鯨の油を数滴たらすと、水面に浮いたごみが開いて、海の底まで鏡のように見える。そこを攩網(たまあみ)ですくう——。
油の膜が水面のさざなみを消すので、底まで見通せるようになります。江戸の漁師は、鯨からとった油をそのために使っていました。
6. いりこ工場の一日
獲ったナマコは、すぐに加工されます。同じ巻に、その工程がまるごと図になっています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ13・パブリックドメイン)
本文の手順と、絵の中の作業がぴたりと対応しています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ14・パブリックドメイン)
まず「腹中三条の腸を去り」。腹を割いて三本の腸を抜く。この腸が、さきほどの「諸醢の第一」になります。
次に「数百を空鍋に入て活火をもつて煮ること一日」。水を入れない鍋に数百匹をまとめて入れ、強火で丸一日。すると「鹹汁自ら出て焦黒燥硬く、形微少なる」——塩からい汁がひとりでに出てきて、焦げて黒く硬くなり、縮む。
それをさらに一夜煮ると、ふたたび少し大きくなる。取り出して冷まし、糸に通して干す。竹に刺して干したものを「串海鼠」という。
一日煮て、一夜煮て、干す。図の右ページで筵いっぱいに広げられているのが、この段階のナマコです。手前では、乾いたものを箱に詰め、束に縛っている。
出荷の準備をしているわけです。どこへ運ぶのか。
7. 中国では、ロバの皮で偽物が作られていた
同じ項の本文に、その答えが書いてあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之四・NDL PID:2575829 コマ11・パブリックドメイン)
「中華ハ甚稀なるをもつて、驢馬の皮又陰茎を以て作り贋物とするが故に、彼国の聘使高客の此に求め帰ること夥し」。
中国ではナマコが非常に少ない。だからロバの皮や陰茎を使って贋物が作られる。そのため、あちらの使節や上客が日本で本物を買い求めて帰ることがおびただしい——。
そして本文は、なぜ中国でそれほど求められるのかも説明しています。子どもの虚弱な症状に人参のかわりに用いるからで、だから時珍の食物本草には「海参」と名づけられている、と。
海の人参。あの名前は、薬としての値打ちから来ています。
『日本山海名産図会』はもう一つ、産地ごとの品質差も書き留めています。江東(東国)と越後のものは大きなものを藤蔓に繋いで吊るす。小豆島の産は大きくて味がよい。薩摩・筑前・豊前・豊後から出るものは極めて小さい。奥州金花山のものは形が丸く黄白色で、腹に砂金を含むので「金海鼠」という。
産地の格付けまである、立派な商品でした。
まとめ:答えなかった魚の、千年
整理します。
- 『古事記』上巻に、海鼠だけが返事をせず、天宇受賣命に細い小刀で口を裂かれた話がある。「故於今海鼠口拆也」——だから今も口が裂けている
- 元禄十年の『本朝食鑑』は、海鼠の項をこの『古事記』の引用から書き起こす。腸の塩辛を「諸醢中の第一」と評価する
- 生は「なまこ」、干せば「いりこ」。干したものは『令義解』『延喜式』で調(税)や神饌として斤で計られていた
- 寛政十一年の『日本山海名産図会』は、鯨の油で海底を透かして見る漁法と、一日煮て一夜煮るいりこの製法を図入りで記録する
- その干しナマコは中国へ渡り、向こうではロバの皮で贋物が作られるほどの品だった
神話のなかで口を裂かれた魚が、千年後には税として数えられ、さらに千年後には海を越えて売られていく。
売り場のすみに置かれた赤黒いかたまりには、それだけの時間が乗っています。
💡 この記事でわかったこと
- 01
『古事記』上巻に理由が書かれています。
天宇受賣命が魚たちに「天つ神の御子にお仕えするか」と問うたとき、海鼠だけが答えなかった。そこで「この口は答えない口か」と言って細い小刀で口を裂いた、だから今も海鼠の口は裂けている――という話です(NDL PID:2538184 コマ53)。江戸の食物百科『本朝食鑑』も、海鼠の項をこの一段の引用から書き始めています。
- 02
もとの名は「こ」です。
生のものが「なまこ(生のこ)」、煮て干したものが「いりこ(熬りこ)」、腸を塩辛にしたものが「このわた(このはらわた)」。『倭名類聚抄』は「熬」の字を伊里古と読ませ、江戸後期の『箋注倭名類聚抄』は、生のものを俗に奈末古、干したものを伊利古と呼び分けると整理しています。
- 03
『日本山海名産図会』巻之四に手順が書かれています。
腹の中の三条の腸を取り去り、数百匹を水を入れない鍋に入れて強火で一日煮る。塩からい汁が出て焦げ黒く硬く縮んだものを、さらに一夜煮る。取り出して冷まし、糸に通して干す。竹に刺して干したものを串海鼠と呼びました。同書には工程を描いた見開きの図も収められています。
SAKANA 編集部
良輔
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 古文献の記事は、国立国会図書館デジタルコレクション等で公開されている原本画像を 拡大して字を目視で照合し、読めた箇所だけを引用しています。