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目黒のさんまの殿様は誰?|由来の最古の活字は落語ではなく明治の教科書

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この記事の目次

年の分かる本で「さんまは目黒に限る」がいちばん早く活字になっていたのは、落語の本ではなく、明治二十六年(1893年)の小学校の修身教科書でした。殿様が遠乗りの先で百姓家の焼くさんまを食べて感激し、後日わざわざ取り寄せたらまずかったという落語『目黒のさんま』の筋がそのまま入っていて、教訓は「ひもじい時に、まづい物なし」。秋の味覚の話としても、初鰹と並ぶ江戸っ子の「初物」の話としても語られるこの噺ですが、江戸の本を全文検索にかけると、初鰹とはまるで違う結果が返ってきます。

『梅園魚品図正』に描かれたサンマの彩色図。上に「海魚類 サンマ」とある
江戸の博物家・毛利梅園が実物を見て写生したサンマ。魚の脇に「癸巳七月廿九日 眞寫」の年記があり、天保四年(1833年)にあたる。左に書き入れが八列並ぶ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』・NDL PID:1287112 コマ30・パブリックドメイン)

初鰹と初さんまを、数で比べる

使ったのは、国立国会図書館のラボが公開している試験サービスの次世代デジタルライブラリーで、デジタルコレクションの本文をOCRにかけたテキストを語で引き、古典籍だけに絞ることもできます。「初鰹」と打ち、次に「初秋刀魚」と打って、数を見比べ、そこから先は原本を開きました。最初に開いたのは、テーマごとに古典の該当箇所を活字で抜き書きした『古事類苑』動物部で、その鰹の項に初鰹の記事がまとめて引かれていました。

『古事類苑』動物部を鰹の項で開いたところ。柱に「動物部十七 魚中」とある
右ページは前のコマから続く『北條五代記』の末尾に始まり、〔相州文書〕〔駿淸遺事〕と続いて、その左に〔當世武野俗談〕の見出しが見える。種類の違う本の抜き書きが、鰹という一項の下に順に並べられている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ744・パブリックドメイン)

そこに、初鰹に一貫文を出した男の話が載っています。

江戸の初物は、鰹だった

錦絵『江戸自慢三十六興 日本橋初鰹』。鰹を一尾さげた女と、輪を手にした若い男
右上の題箋に「日本橋 初鰹」。女が手にさげているのが鰹で、右の若い男は棒の先に輪をさげて身をかがめている。上に日本橋の賑わいと富士。広重画・豊国筆。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『江戸自慢三十六興 日本橋初鰹』・NDL PID:1303607・パブリックドメイン)

古典籍に絞ると(2026年8月現在)、本文に「初鰹」の三字が出てくる本は133冊、「初松魚」で68冊、「初かつを」で33冊、「はつかつを」で36冊あり、句集にも随筆にも絵入りの読み物にも出てきます。中身を一つ開くと、『古事類苑』が引く『當世武野俗談』の一条はこうです。

『當世武野俗談』の勝間龍水の条、初鰹に一貫文を出した話の5列と翻刻
赤枠は該当5列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ744・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

母女房寺詣りに行留守なり、折節四月の頃にて初鰹賣來、鰹を呼調へ喰んと直段をす、一貫文に調へしに錢一文もなし、日頃母親信心者にて、持佛堂淸にかざり、三具足光りかゞやきける、彼道具を不殘持出し、難波町の仕廻ものやへ賣て鰹を調へ、其近所の俳諧の宗匠平砂湖十買明などを招き、大に舞うたひして樂けり、母親歸て大に驚きなげくといへども、曾て何とも思はずして笑ひ爭はず居たり、希有の男なり、

現代語訳

母と女房が寺参りに出て留守だった。折しも四月、初鰹売りが来る。鰹を呼びとめて値を聞くと一貫文。ところが手元に銭は一文もない。日ごろ母親は信心深く、持仏堂には三具足がぴかぴかに飾ってある。その道具を残らず持ち出して難波町の古道具屋へ売り、その金で鰹を買い、近所の俳諧の宗匠たちを招いて、大いに舞い唄って楽しんだ。母親が帰ってきて驚き嘆いても、当人はまったく気にせず、笑って言い争いもしない。希有な男である。

母と女房が寺参りで留守のあいだに初鰹売りが来て、値は一貫文なのに手元に銭は一文もない。そこでこの男は、信心深い母親が持仏堂にきれいに飾っていた三具足を残らず持ち出して古道具屋に売り、その金で鰹を買って、近所の俳諧の宗匠たちを招いて大騒ぎをしています。母親が帰って嘆いても「曾て何とも思はずして笑ひ爭はず居たり」で、まったく気にせず笑っていたといい、書き手は最後に「希有の男なり」と一言添えています。江戸の初物とは、そういう対象でした。

ただし、この熱は日本中のものではなく、同じ『古事類苑』は大坂の様子を伝える『浪花の風』も引いています。

『古事類苑』動物部、鰹の項の一つ前のコマ。左ページに〔浪花の風〕の見出しが見える
左ページの右端は『塵塚談』で、伊豆・相模や水戸・岩城のあたりに多く集まっていた松魚(かつお)が、文化七年ごろから南部・松前のあたりで多く取れるようになったと述べている。その次に大坂の食習慣を記した〔浪花の風〕、続いて〔紀伊續風土記〕が置かれている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ743・パブリックドメイン)

「松魚は絶てなし、偶出ることありても、十月より末にて、初松魚賞玩することは絶てなく、土地の人は、今も猶毒魚なりとて、鮮肉は食ふものなき故なり」。大坂に鰹はほとんど出ず、たまに出ても十月より後で、初松魚をありがたがる習慣はまったくない、土地の人はいまも毒魚だと言って生では食べないからだ、とあって、初物に金を出すのは江戸のローカルな熱だったことが分かります。

「初さんま」は、江戸の本に出てこない

同じ窓に「初秋刀魚」と打つと、古典籍のヒットはゼロでした。もっとも「秋刀魚」という表記自体が近代のもので、江戸の本ではこの魚は「サンマ」「さいら」「佐伊羅魚」などと書かれ字が定まっていないので、表記を変えて全部試しましたが、「初サンマ」も「初さいら」「初サイラ」「初佐伊羅」も、いずれもゼロです。ところが、ひらがなで「初さんま」と打つと3冊、「はつさんま」でも2冊出てきて、江戸にも初さんまを待つ人はいたのかと、一覧を見たときは思いました。

開いてみると人情本や合巻で、たとえば人情本『娘消息』四編のその箇所は「アイヽお初さんまことに」。さんまはどこにもいなくて、「お初さん」と人を呼んだあとに「まことに」が続いているだけでした。原本のこの台詞には読点がなく、いまなら「お初さん、まことに」と書くところが切れ目なく並んでいるので、字の並びしか見ない検索には、ちょうど「初さんま」の四字が見えてしまうのです。別の本『娘庭訓金鶏』の「初さんまつてゐました」も、「初さん、待つてゐました」でした。

残る3冊も同じで、「お初さん」「おはつさん」「初さん」という呼びかけのあとに「ま」で始まる語が続いているだけです。件数だけなら5冊、開いて読めば0冊で、初鰹の133冊とは、同じ本の海を同じ検索窓で見ての差になります。江戸の本でサンマがどう扱われていたかは別の記事に書きましたが、『和漢三才図会』は「魚中之下品也」と書き、サヨリの偽物として売られたとも記していて、待ちわびる対象ではありませんでした。

殿様の噺は、修身の教科書にあった

落語の題で「目黒の秋刀魚」「目黒のさんま」と引いても、古典籍のヒットはどちらもゼロでした(2026年8月時点)。この検索が見ているのはOCRにかけられた本だけで、くずし字のOCRは字を取り違えるので、江戸に無かったことの証明にはなりませんが、初鰹があれだけ引っかかる同じ仕掛けで、こちらは一冊も出てきません。ところが明治以降の本に切り替えて、オチの「目黒に限る」で引くとぞろぞろ出てきて、刊行年の古い順に並べたとき、いちばん上に来たのは落語の本ではありませんでした。

『尋常小學修身口授書』巻三の見開き。右ページに「十三。あひの物。」の課が始まる
「あひの物」は間食のこと。学校から帰った子どもが菓子をねだる場面から説き起こし、間食をやめて腹を減らせと教える課。この課の後半に、目黒のさんまの話が丸ごと入っている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『尋常小學修身口授書』巻三・NDL PID:757301 コマ24・パブリックドメイン)

『尋常小學修身口授書』巻三は、明治二十六年(1893年)十二月に共益商社から出た、那珂通世・秋山四郎編の本で、小学校の修身の授業で先生が子どもに話して聞かせるためのものです。その「十三。あひの物」、つまり間食の課に、あの話が丸ごと入っています。

書き出しは「昔江戸に、ある大名の殿樣ありて、毎日よき御菓子や、よき料理のみを喰べて居たるが別に腹も減らぬ」で、ある日、目黒辺へ猟に行って家来とはぐれ、弁当が食べられずに腹が減ったところへ、百姓家からいい匂いがしてきます。「其の肴は、何と申すか」と問うと、おじいさんが「是れは、さんまと申します」と答え、麦飯にさんまを添えて出すと、殿様は二疋も三疋もおかわりをして喉を鳴らして食べた。四五日たって、殿様はその味を思い出します。

『尋常小學修身口授書』巻三、目黒のさんまのオチにあたる4列と翻刻
赤枠は該当4列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『尋常小學修身口授書』巻三・NDL PID:757301 コマ25・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

〔今日の肴は、さ〕んまにしろ」といひつけき。料理番は、是れは奇妙なる御注文と思ひたるが、殿樣の御沙汰なれば、丁寧に料理して出したり。殿樣一口喰べて、吐出し、「是れは、旨うない。さんまは、目黑に限る」といひたりとぞ。

現代語訳

「今日の肴はさんまにしろ」と言いつけた。料理番は、これは妙な注文だと思ったが、殿様の仰せなので、丁寧に料理して出した。殿様は一口食べて吐き出し、「これは旨うない。さんまは目黒に限る」と言ったという。

オチまで、いま知られているものと同じです。

『尋常小學修身口授書』巻三の「さんまは、目黑に限る」の大写し
明治二十六年の修身教科書に刷られたオチの一行。「さんまは、目黑に限る」と。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『尋常小學修身口授書』巻三・NDL PID:757301 コマ25・パブリックドメイン)

ただし、この本での教訓は食べ物の話ではありません。

同じ課の前半、「ひもじい時に、まづい物なし」の諺を引く箇所と翻刻
赤枠は該当1列。「り」は左の列の頭に続く。この諺の実例として、このあと目黒のさんまの話が語られる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『尋常小學修身口授書』巻三・NDL PID:757301 コマ24・パブリックドメイン)
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翻刻

世間の諺に「ひもじい時に、まづい物なし」といふことあ〔り〕

現代語訳

世間の諺に「ひもじい時に、まずい物なし」ということがある。

「世間の諺に『ひもじい時に、まづい物なし』といふことあり」とあって、空腹こそ最上の調味料だから間食はするな、という説教の実例として目黒のさんまが引かれています。課の終わりには「殿樣は、何故百姓家にては、さんまを旨しと感じ、二度目には、旨しと感ぜざりしぞ」と復習の問いまで付いていて、この殿様には名前がなく、ただ「ある大名の殿樣」です。

年の読めない一枚の刷り物

2026年9月に同じ検索をし直すと、古典籍の側に一件だけ出てくるようになっていて、ついに江戸の本に出てきたのかと思って開きました。出てきたのは『張交帖』、刷り物を貼り込んだ帖で、その中の一枚に演目と演者の名が並び、「一」で始まる行のひとつが目黒のさんまにあたる演目名で、その下に演者として「柳家小さん」の名があります。

『張交帖』の摺物から、目黒のさんまにあたる演目名と「柳家小さん」の名を切り出した大写し
右が演目名の一行、左がその下に書かれた演者名。どちらもくずし字で、左は「柳家小さん」と読める。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『張交帖』[3]・NDL PID:2586592 コマ19・パブリックドメイン)

問題は、これがいつの刷り物かです。この帖には刊年が記録されておらず、手がかりは刷り物そのものに書かれた年紀だけですが、その年紀は月日らしき字の上にあって、肝心の年の字がくずし字で読み取れません。年が読めない以上、江戸の刷り物とも明治の刷り物とも言えず、検索の「古典籍」の棚から出てきたからといって、この一枚の年が決まるわけではありません。年の分かる本でいちばん古いのは、いまのところ明治二十六年の教科書で、この一枚の年が読めれば話は変わるかもしれません。

明治の東京では、もう決まり文句だった

教科書は話の筋を丸ごと語っていましたが、そのあとの本では、筋の説明抜きで、ことわざのように使われていきます。明治三十七年(1904年)の衛生書『毒の話』は、子どもが駄菓子を好む理由を説明する場面で「駄菓子抔がビスケットより美味に感じられるのであらう、矢張り秋刀魚は目黑に限る類でがなあらう」と書き、明治三十九年(1906年)の『滑稽乘合船』ではこうなります。

『滑稽乘合船』の、目黒の秋刀魚に触れた3列と翻刻
赤枠は該当3列。「ません」は左ページ(11頁)の一行目に続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『滑稽乘合船』・NDL PID:891283 コマ9・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

爾う言ふ時代には目黑で秋刀魚を喰つて秋刀魚は目黑に限るなどヽ通を仰しやつた殿樣も有るさうで御坐い升、明治になりまして其樣御前は落し噺の外には有り〔ません〕

現代語訳

そういう時代には、目黒で秋刀魚を食べて「秋刀魚は目黒に限る」などと通を言った殿様もいたそうでございます。明治になって、そういう御前は落とし噺の中にしかいません。

「明治になりまして其樣御前は落し噺の外には有りません」。そういう殿様は、もう落し噺の中にしかいない、という言い方で、この時点で、これが落し噺だという了解ができあがっていたことになります。

落語の速記に出てくるのは、大正二年

『小さん落語集』の「目黑のサンマ」の一席が始まるページ。演題に「めぐろ」のルビがある
「エーお大名のお話を申し上げますが、講釋師又は下拙等の社會に限りません」と切り出し、大名家の話から入っていく。総ルビの速記本。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『小さん落語集』・NDL PID:911730 コマ90・パブリックドメイン)

落語そのものが活字で確かめられるのは、大正二年(1913年)の『小さん落語集』で、禽語樓小さんの口演を活字にした本です。演題は「目黑のサンマ」ですが、中身はいま知られているものと少し違い、殿様が二人いて、雲州公(松平出羽守)と黒田公が秋刀魚の味を論じ合う形になっています。

『小さん落語集』「目黑のサンマ」のオチにあたる箇所と翻刻
赤枠は該当箇所。「秋刀魚」には「さんま」とルビがある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『小さん落語集』・NDL PID:911730 コマ100・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

雲「御貴殿樣は何れからお取寄せに成りました筑「家來に申付けて房州の網元から雲「黑田公、夫れは房州だから不味、秋刀魚は目黑に限る」

現代語訳

雲州公「そちらはどこからお取り寄せになりましたか」/筑前(黒田公)「家来に言いつけて房州の網元から」/雲州公「黒田公、それは房州だからまずい。秋刀魚は目黒に限る」

房州の網元から取り寄せたと聞いて、「それは房州だからまずい。秋刀魚は目黑に限る」と落としています。

『小さん落語集』の「秋刀魚は目黑に限る」の大写し
大正二年の落語集のオチ。「秋」の次の字は印刷が潰れているが、右に「さんま」のルビが振られている。同じ本のコマ95では「秋刀魚」と刷られている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『小さん落語集』・NDL PID:911730 コマ100・パブリックドメイン)

殿様が誰なのかは、本によってばらばらです。明治二十六年の教科書では名無しの「ある大名」、大正二年の落語集では雲州公と黒田公、昭和八年(1933年)の郷土資料『郷土の文学的資料』は「家光公」とし、昭和二十三年(1948年)の随筆『絵画青春記』は「松平安藝守」と書いていて、誰の話でもよかったのだと思えてきます。

漱石は、これを学習院で話した

『金剛草』所収「私の個人主義」の一ページ。目黒のさんまのあらすじを語る見開き
右ページの「私が落語家から聞いた話の中に」からあらすじが始まり、左ページで、料理人が骨を抜いて手をかけすぎた秋刀魚がうまくなかったこと、二人が顔を見合わせて言うオチまでが語られている。総ルビ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『金剛草』・NDL PID:948872 コマ67・パブリックドメイン)

大正三年(1914年)十一月二十五日、学習院輔仁会での夏目漱石の講演「私の個人主義」は、この落語のあらすじから始まります。漱石はひとしきり筋を語ってから「話の落になつてゐるのですが」と受けて、立派な先生に始終接している学習院の諸君が、わざわざ私のような者の講演を春から秋の末まで待ってでも聞こうというのは、「丁度大牢の美味に飽いた結果目黑の秋刀魚が一寸味はつて見たくなつたのでは無いか」と続け、自分の講演をこの落ちに重ねてみせました。大正のはじめには、講演の枕に使える話になっていたわけです。

本物の「初秋刀魚」は、水産の報告書に

明治以降に絞って「初秋刀魚」を検索すると、出てくるのは文学でも随筆でもなく、水産の報告書でした。

『千葉縣水産講習所試驗報告』大正二年度「秋刀魚漁場調査」の結論3列と翻刻
赤枠は該当3列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『千葉縣水産講習所試驗報告』大正二年度・NDL PID:929129 コマ29・パブリックドメイン)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

魚價ノ最モ高値ナル初秋刀魚ハ皆該地方漁民ノ獲得スル處トナリ、房州秋刀魚ノ名ハ漸ク東京市塲ヨリ忘却セラレ、本縣秋刀魚漁業ハ遂ニ衰微ノ不幸ニ遭遇スルニ至ラントス、

現代語訳

いちばん値の高い初秋刀魚は、みな東北の漁民が獲るところとなり、房州秋刀魚の名は東京市場からしだいに忘れられて、本県の秋刀魚漁業はついに衰えるという不幸に遭おうとしている。

「魚價ノ最モ高値ナル初秋刀魚ハ皆該地方漁民ノ獲得スル處トナリ、房州秋刀魚ノ名ハ漸ク東京市塲ヨリ忘却セラレ」。いちばん値の高い初秋刀魚はみな東北の漁民が獲るところとなり、房州秋刀魚の名は東京市場から忘れられつつある、と、千葉県の水産講習所が産地の座を奪われる危機として書いた文章です。

同じ報告書は、千葉県の水産試験場が明治三十八年に秋刀魚流網を考案したこと、近年はそれが東北でも使われるようになり、東北では石油発動機付きの鰹釣り漁船で流網を使っていることを記しています。秋刀魚は漁期の始めと終わりで値段の上下が激しいので、なるべく初期に多く獲らなければならないとも書いていて、ここでの「初秋刀魚」は、産地どうしが奪い合う市場のことばでした。

開いた本からわかったこと

  • 江戸の本を全文検索すると、「初鰹」は133冊、「初さんま」は表記を変えても実質ゼロ
  • 初鰹に一貫文を出して仏具を売る男がいた一方、大坂には初鰹をありがたがる習慣がなかった
  • 「目黒のさんま」も、年の分かる江戸の本には見つからなかった(年代不明の摺物が一枚あるのみ)
  • 今回たどれたかぎりで最も古い活字は、明治二十六年の小学校の修身教科書。教訓は「ひもじい時に、まづい物なし」だった
  • 落語の速記に現れるのは大正二年。殿様の名は本ごとに違う
  • 「初秋刀魚」が本に現れるのは、明治末から大正の漁業競争を記した水産報告書

「さんまは目黒に限る」は、江戸の初物自慢として生まれた言葉ではなく、腹が減っていれば何でもうまいという説教の実例として、明治の教室で子どもたちに語られていた話でした。

出典

サンマの図(横から見た姿)
サンマ(Cololabis saira)の図。FishBase の写真、iNaturalist の写真(Jacob Sorrentino、Karen L. Johnson)、Wikimedia Commons の写真(Fumikas Sagisavas、出羽雀台)に輪郭を重ねて形を確かめ、AIで作図しました。ひれの数などはFishBase・環境省の資料(背びれ 軟条9–12、臀びれ 軟条12–15、小離鰭 背6〜7・臀6〜9)と照らしました。写真ではありません。 ほかの魚の図

この記事でわかったこと

  • 国立国会図書館の全文検索でたどれるかぎり、最も古い活字は明治二十六年(1893年)刊の『尋常小學修身口授書』巻三です。

    小学校の修身の教科書で、間食を戒める課の実例として話が丸ごと載っています(NDL PID:757301 コマ24-25)。江戸期の古典籍を同じ方法で検索すると、「目黒の秋刀魚」はヒットせず、「目黒のさんま」は刊年の分からない摺物『張交帖』が1件だけ出ます(2026年9月時点)。演目と演者を並べた中に目黒のさんまにあたる演目名と「柳家小さん」の名があるものですが、年紀が読み取れず年代は確定できません。年の分かる本で最も古いのは明治二十六年の教科書です。ただしOCRの精度には限界があるため、江戸に無かったと断定はできません。

  • 本によって違います。

    明治二十六年の『尋常小學修身口授書』では名前のない「ある大名の殿樣」、大正二年の『小さん落語集』では雲州公(松平出羽守)と黒田公の二人、昭和八年の『郷土の文学的資料』では「家光公」、昭和二十三年の『絵画青春記』では「松平安藝守」となっています。

  • 今回の全文検索では、それを示す江戸期の記述は見つかりませんでした。

    「初秋刀魚」「初サンマ」「初さいら」などの表記をすべて試してもヒットはゼロで、「初さんま」「はつさんま」の5冊はいずれも「お初さん」という人名の切れ目でした。一方「初鰹」は133冊でヒットします。「初秋刀魚」が市場のことばとして現れるのは、明治末から大正の水産報告書です。

  • 国立国会図書館デジタルコレクション(dl.ndl.go.jp)で原本の画像が無料で読めます。

    本文の全文検索は、同館のラボが公開している次世代デジタルライブラリー(lab.ndl.go.jp/dl/)でできます。検索窓に語を入れ、古典籍に絞れば、その語が本文に出てくる江戸期の本が一覧で返ってきます。この記事の数字はすべてそこで得たものです。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。

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