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魚と貝

ドジョウ養殖の歴史は元禄から——「味も亦美ならず」と書かれた

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この記事の目次

元禄十年(1697年)刊の『本朝食鑑』に、「今農間構田圃之渠、用牛馬糞而養鰍者」という一文があります。いま農家のあいだで、田圃に渠(みぞ)をこしらえ、牛馬の糞を用いて養うもの、という意味で、浅草あたりのどじょう鍋や柳川鍋に出てくるドジョウがたいてい養殖ものであることを思うと、ドジョウ養殖の歴史は近代の技術どころか、十七世紀の終わりにはもう本に書かれていたことになります。しかもその文には、養ったドジョウの味の評価までついていました。

同じ時代の本には、天然のドジョウを砂から掘り出す村や、釜から飛び出すのを止めるまじない、大坂の橋の上で売られていた放してやるためのドジョウまで出てきます。

『梅園魚譜』巻三に描かれたドジョウ四尾。「泥鰌」「雷泥鰌」「カタビラトチヤウ」「川泥鰌」と名を書き分けている
左ページの下半分がドジョウの図。「澤中停水産 泥鰌」——沢の中の、流れの止まった水に産するドジョウ——、「雷泥鰌」「カタビラトチヤウ」「川泥鰌」の四つの名が書き入れてある。上段は左ページがエビスブナ、右ページが白鰱、右ページ下は天狗鯛。書き入れによれば、ドジョウと白鰱は天保九年(1838年)四月に江戸の道灌山下の流れで釣ったものの写生。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・NDL PID:1286914 コマ37・著作権保護期間満了)

手がかりにしたのは、神宮司庁が編んだ巨大な百科事典『古事類苑(こじるいえん)』です。テーマごとに古典の該当箇所を活字で抜き書きしてあって機械で検索できるので、その「動物部」(明治四十三年=1910年刊。NDL PID:1874269、全876コマ)を「鰌」「泥鰌」「どぢやう」で走査すると、ドジョウの記事帯はコマ704から706の三つ分しかありませんでした。それでも、そこに引かれている本を順に開くと思いがけないものが出てきます。

『古事類苑』動物部を開いたところ。左ページの上の欄に「蛇鰻」「鰌」とある
右ページの上の欄は「八目鰻」。左ページの途中からドジョウ(鰌)の項が始まり、本草書などの抜き書きが順に並んでいく。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ704・著作権保護期間満了)

牛馬の糞を用いて鰍を養う

『本朝食鑑』は、医師・人見必大が食べものを一つずつ論じた大著で、その巻七に「鯲」の項があります。

『本朝食鑑』巻七、ドジョウの項の見開き。右ページに姿かたちと産地、左ページに気味・主治・附方が並ぶ
訓点つきの漢文で、姿・産地・味・薬効が順に書かれている。右ページの右から3〜5列目に養殖の記述がある(次の画像で拡大)。左ページの終わりからは次の「加志加魚(カジカ)」の項が始まっている。柱は「本朝食鑑巻七」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ155・著作権保護期間満了)

ドジョウの姿かたちを一通り書いたあと、「味最鮮美」、味はきわめて美味い、と味の話になり、その直後に養殖の一文が出てきます。

『本朝食鑑』巻七「鯲」の、ドジョウの養殖について記した3列と翻刻
赤枠は該当3列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ155・著作権保護期間満了)
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翻刻

味最モ鮮美。今農間、田圃ノ渠ヲ構ヘ、牛馬ノ糞ヲ用ヰテ鰍ヲ養フ者ノ形ハ肥大ナリト雖モ、骨硬ク肉堅ク、味モ亦美ナラズ。但シ清川流水ニ自ラ長ズル者ヲ以テ勝レリト為ス。間々蛇子・蜥蜴・守宮・馬蛭・水蛭

現代語訳

味はきわめて美味い。いま農家のあいだで、田圃に水路をこしらえ、牛馬の糞を使って養うドジョウは、形こそ大きく肥えるが、骨が硬く肉も締まりすぎていて、味はよくない。やはり清流で自然に育ったものが勝る。ときにヘビの子・トカゲ・ヤモリ・ヒルの類が(混じっていることがある)。

引っかかるのは、養われているのが「鰍」だということです。いまの日本で「鰍」と書けばふつうはカジカと読み、しかもこの本ではドジョウの項のすぐ次が「加志加魚(カジカ)」の項なので(上の見開きの左ページ)、字だけを追うとカジカを養う話に見えてしまいます。答えは同じ項の書き出し、名前を説明する「釈名(しゃくみょう)」の欄に、小さな二行割りの字で書いてありました。

『本朝食鑑』巻七「鯲」の「而養鰍者」と、釈名の割注「鰌一作鰍字同」の大写し
右が養殖の記述の「而養鰍者」(コマ155)、左が同じ項の釈名にある割注「鰌 一作鰍 字同」(コマ154)。別々のコマから切り出して並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ154・155・著作権保護期間満了)

「鰌一作鰍、字同」、鰌は一に鰍とも書き、字は同じである、というので、この本の中では「鰍」もドジョウの字です。見出しは「鯲」、釈名は「鰌」、養殖の文は「鰍」と、字は三つでも魚は一つでした。「鰍」がドジョウとカジカのあいだで揺れてきた経緯は、魚へんに秋の記事で追っています。

糞を入れる理由は書かれていません。書いてあるのは、育ったドジョウの評価です。

「形雖肥大、而骨硬肉堅、味亦不美」。

形は大きく肥えるけれども、骨が硬く肉が締まりすぎていて、味はよくない。続けて「但以清川流水自長者為勝矣」、清流で自然に育ったもののほうが勝る、と書いていて、養殖と天然を並べて天然に軍配を上げた文章が、三百年以上前にもうあったわけです。

文はそのまま注意書きにつながり、「間混于蛇子・蜥蜴・守宮・馬蛭・水蛭之類、而煮食則害人」、ときどきヘビの子、トカゲ、ヤモリ、馬蛭・水蛭(ヒルの仲間)の類が混じっていて、一緒に煮て食べると人を害するので、「常能宜分察之」、いつもよく見分けて選りわけなさい、と言います。ドジョウはほかの小さな生きものと一緒に手元に届くことがあったので、鍋に入れる前にひと手間かけよ、という注意です。

天然のドジョウは砂から掘り出す

必大の勧める清流で育ったドジョウの具体例は、注意書きのすぐあとに出てきます。

『本朝食鑑』巻七「鯲」の、鷹羽鰌について記した6列と翻刻
赤枠は該当6列。右端の列の上半分は、前の節の注意書きの続き。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ155・著作権保護期間満了)
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翻刻

之類、而煮食則害人。常能宜分察之。攝之東大寺村里有山川、自丹州山中流入淀川。去村半里許、而水縈出山中岩石之間、兩涯有白砂、洲中數十步水涸處、土人至冬後春初之際、掘砂得鰌魚。其狀兼泥水生者、同大五六寸、頭背連尾有淡黑紋、如鷹羽、呼稱鷹羽鰌。采作民間之食、清鮮味亦佳

現代語訳

(ヘビの子などの)類が混じっていることがあり、一緒に煮て食べると人を害する。いつもよく見分けること。摂津の東大寺村の里に山川があり、丹波の山中から流れて淀川に入る。村から半里ほど行くと、水は山中の岩のあいだを曲がりくねって流れ出ていて、両岸に白い砂がある。その洲の中の数十歩ほど、水の涸れたところで、土地の人は冬の終わりから春の初めにかけて砂を掘ってドジョウを得る。姿は泥の水にいるものと変わらず、大きさは五、六寸。頭から背、尾にかけて淡い黒の紋があり、鷹の羽のようなので、鷹羽鰌と呼ぶ。獲って土地の人の食べ物にしている。すっきりとして味もよい。

書き出しの「攝之東大寺村里」を見ると、奈良の大仏の寺のあたりの村里の話かと読みたくなりますが、すぐあとの川の説明は「自丹州山中流入淀川」、丹州(丹波)の山中から流れて淀川に入る川で、奈良とは合いません。手がかりは「東大寺」の上にある一字でした。

『本朝食鑑』巻七「鯲」の「攝之東大寺」「村里」の大写し
右が列の下端の「攝之東大寺」、左が次の列の頭の「村里」。一続きの語を、列の切れ目で分けて並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ155・著作権保護期間満了)

「攝」は摂津国(せっつのくに)の「摂」の旧字で、「攝之東大寺村里」は、摂津の東大寺という村の里です。明治の辞書もそう読んでいて、明治四十二年(1909年)の『日本類語大辞典』は、たかのはどぢやう[鷹羽鰌]を「攝津東大寺川に產し美味なり」と説明しています(NDL PID:991742 コマ542)。いまも大阪府三島郡島本町には、「東大寺」という地名があります。

その川は、村から半里ほど行くと山中の岩のあいだを曲がりくねって流れ出し、両岸に白い砂がある。土地の人は冬の終わりから春の初めにかけて、水が涸れたところの砂を掘ってドジョウを得るといい、大きさは五、六寸、頭から背、尾まで鷹の羽のような淡い黒の紋があるので、鷹羽鰌(たかのはどじょう)と呼ぶそうです。最後は「清鮮味亦佳」、すっきりとして味もよい、と、田圃で養ったものとは正反対の評価で結ばれています。

京都にも同じ名前の魚がいて、京の地誌『雍州府志』に出てきます。

『古事類苑』動物部が引く『雍州府志』六 土産の、賀茂川のドジョウを記した箇所と翻刻
赤枠は該当箇所。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ706・著作権保護期間満了)
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翻刻

〔雍州府志 六 土産〕鰌魚 所々川ニ之有リ。賀茂川、其ノ水至ツテ清ク、小鰌魚、其ノ味甘美ナリ。魚背ニ紋有リ、鷹羽ノ如キ者特ニ勝ル。是ヲ鷹羽鰌魚ト稱ス。○中略 是皆夏日ノ珍味也

現代語訳

ドジョウはあちこちの川にいる。賀茂川はその水がたいへん清らかで、小さなドジョウの味が甘く美味い。背に紋があって鷹の羽のような模様のものはとくに優れる。これを鷹羽鰌(たかのはどじょう)と呼ぶ。(中略)これらはみな夏の珍味である。

「賀茂川其水至清、小鰌魚其味甘美」、賀茂川は水がたいへん清らかで、小さなドジョウの味が甘く美味い、とあり、「魚背有紋、如鷹羽者特勝、是稱鷹羽鰌魚」、背に鷹の羽のような紋のあるものはとくに優れて鷹羽鰌という、と続きます。『古事類苑』はこのあとを「中略」で省き、「是皆夏日之珍味也」、これらはみな夏の珍味である、で結んでいます。養殖ものは大きく肥えるが味が落ち、清流のドジョウこそうまい、と江戸時代の本ははっきり書いていました。

米のとぎ汁で煮るドジョウ汁

食べ方は、貝原益軒の『大和本草』に残っています。

『古事類苑』動物部が引く『大和本草』の、ドジョウの性質・種類・煮方を記した箇所と翻刻
赤枠は『大和本草』の引用の全体。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ705・著作権保護期間満了)
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翻刻

〔大和本草 十三 河魚〕泥鰌海鰌ハクジラ也、極テ大ナリ、泥鰌ハ極テ小也、ナレドモ形ハ相似タリ、性温補シ脾胃ヲ助ク、但峻補シテ塞氣、然煮之有法、一種京ニテシマドヂヤウ一名鷹ノ羽ドヂヤウト云アリ、又ホトケドヂヤウ共云、筑紫ニテカタビラドヂヤウト云、泥中ニハヲラズ、沙溝清水ニ生ズ、本草時珍曰、生沙中者、微有文采ト是也、ドヂヤウノ白色ニテ有文采者也、泥鰌ノ羮先米泔ニテ能煮、アブラ浮ビタルヲスクヒステ、スリミソヲ入一沸スレバ、氣ヲ不塞シテツカエズ、煮鰌法也

現代語訳

海鰌(うみどじょう)はクジラのことで極めて大きく、泥鰌は極めて小さいが、形は似ている。性は温で体を補い、胃腸を助ける。ただし補う力が強すぎて気をふさぐ。だから煮るには方法がある。京で「シマドジョウ」、またの名を「鷹の羽ドジョウ」というものがあり、「ホトケドジョウ」ともいう。筑紫では「カタビラドジョウ」という。泥の中にはおらず、砂の溝のきれいな水にすむ。『本草綱目』で李時珍が「砂の中にすむものはかすかに模様がある」と言うのがこれで、白っぽくて模様のあるドジョウである。ドジョウの汁は、まず米のとぎ汁でよく煮て、浮いた脂をすくって捨て、すり味噌を入れてひと煮立ちさせる。そうすれば気をふさがず、胸につかえない。これがドジョウの煮方である。

益軒はまずドジョウの性質を「性温補シ脾胃ヲ助ク、但峻補シテ塞氣、然煮之有法」と書きます。体を温めて補い胃腸を助けるが、補う力が強すぎて気をふさぐので、煮るにはやり方がある、というのです。あいだに種類の話がはさまり、京で「シマドヂヤウ」、またの名を「鷹ノ羽ドヂヤウ」、筑紫では「カタビラドヂヤウ」と呼ぶもので、「泥中ニハヲラズ、沙溝清水ニ生ズ」、泥の中にはおらず砂の溝のきれいな水にすむ、とあります。鷹羽鰌が、ここでも清い水の魚として出てきます。

引用の最後が煮方です。

「泥鰌ノ羮先米泔ニテ能煮、アブラ浮ビタルヲスクヒステ、スリミソヲ入一沸スレバ、氣ヲ不塞シテツカエズ、煮鰌法也」。

まず米のとぎ汁でよく煮て、浮いてきた脂をすくって捨て、すり味噌を入れてひと煮立ちさせれば、気をふさがず胸につかえない、という手順で、ただの料理のこつではなく、最初に書いた気をふさぐという性質を抑えるための煮方として書かれています。

釜から飛び出すのを止める奇術

生きたドジョウを鍋に入れれば、当然ながら暴れます。『鋸屑譚』という本が、その対処法を書き残していました。

『古事類苑』動物部が引く『鋸屑譚』上の、ドジョウを釜に入れるときの話とイモリの話4列と翻刻
赤枠は該当4列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ705・著作権保護期間満了)
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翻刻

〔鋸屑譚 上〕泥鰌、俗に土淨とよぶは音の轉訛なり、今按に作臛、生ながら投之釜中、撥々として飛出難以收之、きうに火ばしをもて釜の臍〈鑄留なり〉の處を壓ゆれば、すなはち無一有動搖者矣、此亦厭勝之奇術也、嘗聞之、京都某姓泥鰌を桶に入れ、畜ふこと十日計、一日當煮食而觀之、悉化して爲蠑螈

現代語訳

泥鰌を世間で「どじょう(土淨)」と呼ぶのは音が訛ったものである。いま考えるに、汁(臛)を作ろうとして生きたまま釜に投げ入れると、跳ねて飛び出し、押さえることができない。そこで急いで火箸で釜の臍(鋳留めの部分)を押さえると、一匹も動くものがいなくなる。これもまた厭勝(まじない)の奇術である。かつて聞いた話では、京都のある家で泥鰌を桶に入れて十日ほど飼い、ある日煮て食べようとして見ると、ことごとくイモリ(蠑螈)に化けていた(という)。

「今按に作臛、生ながら投之釜中、撥々として飛出、難以收之」、汁(臛)を作ろうとして生きたまま釜に投げ入れると、跳ねて飛び出してしまい押さえられない。そこで「きうに火ばしをもて釜の臍〈鑄留なり〉の處を壓ゆれば、すなはち無一有動搖者矣」、急いで火箸で釜の臍(鋳留めの跡)を押さえると、一匹も動くものがいなくなる、というのです。書き手はこれを「此亦厭勝之奇術也」、厭勝(えんしょう)すなわちまじないの奇術の一つとして記録していて、本当に効いたのかどうかは書いていません。この本はさらに、京都のある家で泥鰌を桶に入れて十日ほど飼い、いざ煮ようとして見たら、ことごとく蠑螈(イモリ)に化けていた、という聞き書きも載せています。

大坂の橋で売っていた放し鯲

ドジョウは食べるだけの魚でもありませんでした。『浪花襍誌 街迺噂(ちまたのうわさ)』は題に「浪花」(大坂)を冠した本で、国立国会図書館の書誌では天保六年(1835年)刊、平亭銀鶏の作とされています。そのなかで千長という人物が、こんなことを言います。

『古事類苑』動物部が引く『浪花襍誌 街迺噂』の、放し鯲についての台詞3列と翻刻
赤枠は該当3列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ705・著作権保護期間満了)
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翻刻

〔浪花襍誌 街迺噂 一〕千長 ○中略イヤ鯲で思ひ出しやしたが、蛭子橋とやらを通りやすとき、橋の上ではなし龜はなし鯲を賣ッて居やしたが、はなし鰻といふは江戸にありやすが、はなし鯲といふは初めて見やした

現代語訳

いや、ドジョウで思い出しましたが、蛭子橋とやらを通ったとき、橋の上で「放し亀」「放し鯲」を売っていました。放し鰻というのは江戸にもありますが、放し鯲というのは初めて見ました。

「蛭子橋とやらを通りやすとき、橋の上ではなし龜はなし鯲を賣ッて居やしたが」。蛭子橋の上で「放し亀」「放し鯲」を売っていたというのに続けて、「はなし鰻といふは江戸にありやすが、はなし鯲といふは初めて見やした」と言っていて、江戸と比べて驚いている口ぶりです。名前のとおり、買って川に放してやるための生きもので、同じページに引かれた『老の長咄』にも、もらった鯲を「御堀へはなしなん」と川辺へ持っていく場面があります。少なくともこの話し手にとって放し鯲は大坂で初めて見るもので、食べる魚がそのまま放してやる魚でもあったわけです。

川柳のなかのドジョウ汁

文化十四年(1817年)に初篇上巻が出た川柳の句集『滑稽発句類題集』にも、ドジョウ汁の句があります。

『滑稽発句類題集』初篇中巻の川柳「持遊びに四五疋殘すどぢやう汁」
中央が「持遊びに四五疋殘すどぢやう汁」、右隣が「錐よ金槌よと素人のうなぎ」、左は次の見出し「蟹」の句「赤旗の怨靈海を横に這ひ」。原本では右の二句が「鰻」の見出しのもとに並ぶ(見出しと柱「滑稽發句類題集中卷」はこの切り抜きの外にある)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『近代日本文学大系』第24巻 川柳狂歌集 所収『滑稽発句類題集』・NDL PID:1172333 コマ217・著作権保護期間満了)

「持遊びに四五疋殘すどぢやう汁」。どじょう汁をこしらえるとき、四、五匹だけは鍋に入れずに持遊び、つまりおもちゃにするために残しておく、と読めます。この句集では、この句はドジョウではなく「鰻」の見出しのもとに入っていて、右隣の句は「錐よ金槌よと素人のうなぎ」、素人がウナギをさばこうとして錐だ金槌だと大騒ぎしている、という句です。どちらも、生きた魚がそのまま台所に来ていたころの句です。

梅園が道灌山下で釣ったドジョウ

毛利梅園(もうり・ばいえん)は、目の前の実物を写生して日付と場所まで書き入れた彩色図譜を残した人で、その『梅園魚譜』巻三にドジョウが四尾描かれています。冒頭の図がそれです。

『梅園魚譜』巻三のドジョウ図と、写生の日付・場所を記した書き入れ2列の翻刻
赤枠は書き入れの2列。図には「澤中停水産 泥鰌」「雷泥鰌」「カタビラトチヤウ」「川泥鰌」の名が書き入れてある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・NDL PID:1286914 コマ37・著作権保護期間満了)
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翻刻

(天)保九四月廿有六日 白鰱・泥鰌武江道灌山下流釣 真寫

現代語訳

天保九年(1838年)四月二十六日。白鰱と泥鰌。江戸の道灌山下の流れで釣ったものを、そのまま写生した。

「(天)保九四月廿有六日 白鰱・泥鰌 武江道灌山下流釣 真寫」。天保九年(1838年)四月二十六日、武江(江戸)の道灌山下の流れで釣ったものを、そのまま写生したという書き入れで、釣ったドジョウが日付つきで紙の上に残っています。

図には名前が四つ書き入れてあり、「澤中停水産 泥鰌」は沢の中の流れの止まった水に産するドジョウ、「川泥鰌」には「腹ニ一條連ル」「有黒点」と特徴が添えてあって、ほかに「雷泥鰌」と「カタビラトチヤウ」があります。止まった水のものと川のものを梅園は別の名で描き分けていて、『本朝食鑑』が「清川流水」で育ったものを上とした区別と重なります。「カタビラ」の名も、『大和本草』が京の「鷹ノ羽ドヂヤウ」を筑紫では「カタビラドヂヤウ」と呼ぶと書いていた、泥にはおらず砂の溝のきれいな水にすむドジョウの名でした。

養殖より天然、泥より清い水

田圃に水路をこしらえ牛馬の糞を入れて育てるドジョウの養殖は、少なくとも元禄十年(1697年)刊の本に書かれていて、その本では「鰍」の字もカジカではなくドジョウでした。同じ本は「形雖肥大、而骨硬肉堅、味亦不美」と、大きくはなるがうまくない、清流で育ったものにはかなわないと評し、その清流の例として、奈良ではなく摂津の東大寺村の川で、冬から春に砂を掘って獲る鷹羽鰌を挙げています。京の『雍州府志』も、賀茂川の小さなドジョウを「其味甘美」と書きました。

評価の軸は三百年前にもう決まっていて、そのドジョウを江戸時代の人はとぎ汁で煮て味噌を入れ、釜から飛び出さないようにまじないをかけ、四、五匹は遊び用に残し、大坂の橋の上では「放し鯲」として売っていました。

出典

この記事でわかったこと

  • 少なくとも元禄十年(1697年)刊の『本朝食鑑』巻七に記載があります。

    「今農間構田圃之渠、用牛馬糞而養鰍者」——農家のあいだで田圃に水路をこしらえ、牛馬の糞を用いて養うドジョウ(この本では「鰍」もドジョウの字で、釈名に「鰌一作鰍、字同」とあります)について、同書は「形雖肥大、而骨硬肉堅、味亦不美。但以清川流水自長者為勝矣」として、大きくはなるが味は劣り、清流で自然に育ったもののほうが勝るとしています(NDL PID:2557333 コマ154・155)。

  • 背に鷹の羽のような紋があるドジョウのことです。

    『本朝食鑑』は、摂津の東大寺村(原文「攝之東大寺村里」。奈良の東大寺ではありません)の、丹波の山中から淀川に入る川で、冬の終わりから春の初めに砂を掘って得られる、大きさ五、六寸で淡い黒の紋があるものを鷹羽鰌と呼び、「清鮮味亦佳」と記しています。京都の地誌『雍州府志』も「賀茂川其水至清、小鰌魚其味甘美、魚背有紋、如鷹羽者特勝、是稱鷹羽鰌魚」と書いています(NDL PID:2557333 コマ155/PID:1874269 コマ706)。

  • 『大和本草』(貝原益軒)に作り方があります。

    ドジョウは体を補う力が強すぎて「気をふさぐ」ので煮方に法がある、としたうえで、「泥鰌ノ羮先米泔ニテ能煮、アブラ浮ビタルヲスクヒステ、スリミソヲ入一沸スレバ、氣ヲ不塞シテツカエズ、煮鰌法也」——まず米のとぎ汁でよく煮て、浮いた脂をすくって捨て、すり味噌を入れてひと煮立ちさせる。そうすれば気をふさがず胸につかえない、とあります(『古事類苑』動物部 NDL PID:1874269 コマ705)。

  • 買って川などに放してやるために売られたドジョウです。

    『浪花襍誌 街迺噂』では、千長という人物が蛭子橋の上で「はなし龜はなし鯲」を売っていたと語り、「はなし鰻といふは江戸にありやすが、はなし鯲といふは初めて見やした」と述べています。放し鰻は江戸にもあったが、放し鯲はこの話し手には珍しいものだったことになります(『古事類苑』動物部 NDL PID:1874269 コマ705)。

この記事で開いた原本

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