ドジョウ養殖の歴史は元禄から——「味も亦美ならず」と書かれた
どじょう鍋、柳川鍋。浅草あたりの店で、いまも食べられます。
そこで出てくるドジョウは、たいてい養殖ものです。天然のドジョウは、いまや貴重品として扱われます。
では、ドジョウ養殖の歴史はいつから始まるのか。
近代の技術だろう、と思って江戸の本を開いたら、元禄十年(1697年)の本に、もう書いてありました。田んぼに水路をこしらえ、牛馬の糞を使って養う——と。
しかも、味の評価までついています。
まず、その魚の姿を見ておきます。江戸の博物家が、江戸で釣ったドジョウを描いたものが残っています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・NDL PID:1286914 コマ37・著作権保護期間満了)
0. 江戸の本は、いま家で無料で読める
国立国会図書館デジタルコレクション(NDLデジコレ)には、江戸時代の本が撮影されたまま公開されています。会員登録も費用も要りません。ブラウザで開けば、そのまま最後のページまでめくれます。
ただ、いきなり原本を開いても、どのページに目当ての魚がいるのかは分かりません。江戸の本には索引がないからです。
そこで先に開くのが『古事類苑(こじるいえん)』です。明治政府のもとで編まれた巨大な百科事典で、テーマごとに古典の該当箇所を活字で抜き書きしてあります。活字なので機械で検索できる——これが古文献をたどるときの入口になります。
その「動物部」(NDL PID:1874269、全876コマ)を「鰌」「泥鰌」「どぢやう」で走査すると、ドジョウの記事帯はコマ704から706にありました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ704・著作権保護期間満了)
三ページ分しかありません。フナやサケに比べれば、ずいぶん短い。
それでも、そこに引かれている本を順に開くと、思いがけないものが出てきます。
1. 「牛馬の糞を用ゐて鰍を養ふ者」
まず『本朝食鑑』。元禄十年(1697年)刊、医師・人見必大が食べものを一つずつ論じた大著です。その巻七に「鯲」の項があります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ155・著作権保護期間満了)
ドジョウの姿かたちを一通り書いたあと、味の話になります。「味最鮮美」——味はきわめて美味い。
その直後です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ155・著作権保護期間満了)
「今農間構田圃之渠、用牛馬糞而養鰍者」。
いま農家のあいだで、田圃に渠(みぞ)をこしらえ、牛馬の糞を用いてドジョウを養う者がいる——。
元禄です。十七世紀の終わりに、すでにドジョウは「養う」ものでした。牛馬の糞を入れるのは、いまでいえば施肥にあたります。プランクトンを湧かせて餌にする、という考え方です。
そして、必大の評価が続きます。
「形雖肥大、而骨硬肉堅、味亦不美」。
形は大きく肥えるけれども、骨が硬く、肉が締まりすぎていて、味はよくない——。
「但以清川流水自長者為勝矣」。ただ、清流で自然に育ったもののほうが勝る。
養殖と天然を並べて、天然に軍配を上げている。三百年以上前の文章です。
2. ただし、混じっているものに注意
同じ一文が、そのまま次の注意書きにつながります。
「間混于蛇子・蜥蜴・守宮・馬蛭・水蛭之類、而煮食則害人」。
ときどきヘビの子、トカゲ、ヤモリ、ヒル、ミズビルの類が混じっていて、それを一緒に煮て食べると人を害する——。
だから「常能宜分察之」、いつもよく見分けて選りわけなさい、と書いています。
田の溝から獲ってきた生きものを、そのまま鍋に入れていた時代の注意書きです。ドジョウが泥の中の生きものだった、ということがよく分かります。
3. 天然のドジョウは、砂から掘り出す
では、必大の勧める「清流で育ったもの」とはどんなドジョウか。
同じ『本朝食鑑』に、その具体例が出てきます。大和国・東大寺の村里を流れる川。丹波の山中から淀川へ注ぐその川は、山中の岩のあいだから湧き出て、両岸に白い砂が広がっている。
土地の人は、冬の終わりから春の初めにかけて、水が涸れたところの砂を掘ってドジョウを得るのだといいます。大きさ五、六寸。頭から背、尾まで鷹の羽のような淡い黒の紋があるので、鷹羽鰌(たかのはどじょう)と呼ぶ、と。
京都にも同じ名前の魚がいました。京の地誌『雍州府志』です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ706・著作権保護期間満了)
「賀茂川其水至清、小鰌魚其味甘美」。賀茂川は水がたいへん清らかで、小さなドジョウの味が甘く美味い。
「魚背有紋、如鷹羽者特勝、是称鷹羽鰌魚」。背に紋があって鷹の羽のような模様のものはとくに優れ、これを鷹羽鰌という。
そして「是皆夏日之珍味也」——これらはみな夏の珍味である。
養殖ものは大きく肥えるが味が落ちる。清流の小さなドジョウこそ甘い。江戸の本は、はっきりそう書いています。
4. ドジョウ汁の作り方
食べ方も残っています。貝原益軒の『大和本草』です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ705・著作権保護期間満了)
「泥鰌ノ羮、先ヅ米泔ニテ能ク煮、アブラ浮ビタルヲスクヒステ、スリミソヲ入レ一沸スレバ、氣ヲ塞ガズシテツカエズ、煮鰌法也」。
ドジョウの汁は、まず米のとぎ汁でよく煮る。浮いてきた脂をすくって捨てる。そこへすり味噌を入れてひと煮立ちさせる。そうすれば胃にもたれない。これがドジョウの煮方である——。
とぎ汁で下煮して臭みと脂を抜き、味噌でまとめる。いまのどじょう汁の作り方と、骨格は変わりません。
5. 釜から飛び出すのを止める「奇術」
ところで、生きたドジョウを鍋に入れると、当然ながら暴れます。
『鋸屑譚(きょせつだん)』という随筆が、その対処法を書き残しています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ705・著作権保護期間満了)
「生ながら之を釜中に投ずれば、撥々として飛出、以て之を収め難し」。生きたまま釜に投げ入れると、跳ねて飛び出してしまい、押さえられない。
そこで——「きうに火ばしをもて釜の臍〈鋳留なり〉の處を壓ゆれば、すなはち一の動搖する者有る無し」。
急いで火箸で釜の「臍」(鋳型の留め跡)を押さえると、一匹も動かなくなる——。
そして著者はこう続けます。「此亦厭勝の奇術なり」。これもまた厭勝(えんしょう)、すなわちまじないの術である、と。
効くと思われていたのか、実際に効いたのか。どちらにせよ、台所でこれが試されていたことは確かです。
ついでに書いておくと、この随筆は「泥鰌を桶で十日ほど飼っておいて、いざ煮ようと見たら、ことごとくイモリに化けていた」という京都の話も伝えています。
6. 大坂の橋で売っていた「はなし鯲」
食べるだけではありませんでした。
『浪花街迺噂(なにわまちのうわさ)』は、大坂を訪れた江戸者と上方の人の会話という体裁の本です。その江戸者「千長」が、こんなことを言います。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ705・著作権保護期間満了)
「蛭子橋とやらを通りやすとき、橋の上ではなし龜はなし鯲を賣ツて居やしたが」。
蛭子橋を通ったとき、橋の上で「放し亀」「放し鯲」を売っていた。
「はなし鰻といふは江戸にありやすが、はなし鯲といふは初めて見やした」。
放し鰻は江戸にもあるが、放し鯲は初めて見た——。
放生(ほうじょう)、つまり生きものを買って逃がす功徳のために売られていた魚です。江戸ではウナギ、大坂ではドジョウと亀。同じ習慣でも、土地によって売られる生きものが違ったことになります。
食べる魚が、そのまま逃がす魚でもある。ドジョウは、その両方に使われていました。
7. 川柳のなかのドジョウ汁
庶民の暮らしに近い魚だったことは、川柳を見るとよく分かります。『誹風柳多留』から一句。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『近代日本文学大系』第24巻 川柳狂歌集・NDL PID:1172333 コマ217・著作権保護期間満了)
「持遊びに四五疋残すどぢやう汁」。
どじょう汁を食べ終わるとき、四、五匹だけ食べずに残しておく。子どもの持遊び(もてあそび)、つまりおもちゃにするためです。
隣に並んでいる句も、ついでに読んでおきます。「錐よ金槌よと素人のうなぎ」。素人がウナギをさばこうとして、錐だ金槌だと大騒ぎしている。
どちらも、台所と子どもと生きた魚が、同じ場所にあった時代の句です。
8. 梅園が道灌山下で釣ったドジョウ
最後に、江戸のドジョウの姿を。
毛利梅園(もうり・ばいえん)は、目の前の実物を写生し、日付と場所まで書き入れた彩色図譜を残した人です。その『梅園魚譜』巻三に、ドジョウが三尾描かれています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・NDL PID:1286914 コマ37・著作権保護期間満了)
「(天)保九四月廿有六日 白鰱・泥鰌 武江道灌山下流釣 真寫」。
天保九年(1838年)四月二十六日。武江(江戸)の道灌山下の流れで釣ったものを、そのまま写生した——。
道灌山は、いまの西日暮里のあたりです。そこで釣ったドジョウが、日付つきで紙の上に残っている。
図をよく見ると、書き分けもされています。左下が「川泥鰌」、中央が「雷泥鰌」で、こちらには「澤中停水産」——沢の流れの止まったところで採れる、と添えられています。流れのある川のものと、たまり水のものを、梅園は別のものとして描いていました。
『本朝食鑑』が「清川流水に自ら長ずる者を以て勝れりと為す」と書いたのと、同じ区別です。
まとめ
ドジョウの養殖は、少なくとも元禄十年(1697年)には行われていました。田圃に水路をこしらえ、牛馬の糞を入れて育てる。
そして『本朝食鑑』は、その味をこう評しています。「形は肥大なりと雖も、骨硬く肉堅く、味も亦美ならず」。大きくはなるが、うまくない。清流で育ったものにはかなわない、と。
いっぽう京の『雍州府志』は、賀茂川の小さなドジョウを「其の味甘美なり」と書き、夏の珍味だとしました。
養殖より天然、大きいものより小さいもの。ドジョウをめぐる評価の軸は、三百年前にもう決まっていたことになります。
そのドジョウを、江戸の人はとぎ汁で煮て味噌を入れ、釜から飛び出さないようにまじないをかけ、子どもは四、五匹残して遊び、大坂では橋の上で買って川へ放していました。
出典
- 『本朝食鑑』巻七「鯲」(人見必大・元禄十年刊)コマ154-155——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『古事類苑』動物部 コマ704-706(鰌の項)——国立国会図書館デジタルコレクション。『大和本草』『雍州府志』『鋸屑譚』『浪花街迺噂』の引用はこの活字本の画像で照合した
- 『梅園魚譜』巻三 コマ37(毛利梅園)——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『近代日本文学大系』第24巻 川柳狂歌集(『誹風柳多留』所収)コマ217——国立国会図書館デジタルコレクション
💡 この記事でわかったこと
- 01
少なくとも元禄十年(1697年)刊の『本朝食鑑』巻七に記載があります。
「今農間構田圃之渠、用牛馬糞而養鰍者」——農家のあいだで田圃に水路をこしらえ、牛馬の糞を用いてドジョウを養う者がいる、と書かれています。ただし同書は「形雖肥大、而骨硬肉堅、味亦不美。但以清川流水自長者為勝矣」として、養殖ものは大きくなるが味は劣り、清流で自然に育ったもののほうが勝るとしています(NDL PID:2557333 コマ155)。
- 02
背に鷹の羽のような紋があるドジョウのことです。
『本朝食鑑』は大和国の川で、冬の終わりから春の初めに砂を掘って得られる、大きさ五、六寸のものを鷹羽鰌と呼ぶと記しています。京都の地誌『雍州府志』も「賀茂川其水至清、小鰌魚其味甘美。魚背有紋、如鷹羽者特勝、是称鷹羽鰌魚」と書き、これらは夏の珍味だとしています(NDL PID:2557333 コマ155/PID:1874269 コマ706)。
- 03
『大和本草』(貝原益軒)に作り方があります。
「泥鰌ノ羮、先ヅ米泔ニテ能ク煮、アブラ浮ビタルヲスクヒステ、スリミソヲ入レ一沸スレバ、氣ヲ塞ガズシテツカエズ、煮鰌法也」——まず米のとぎ汁でよく煮て、浮いた脂をすくって捨て、すり味噌を入れてひと煮立ちさせる。そうすれば胃にもたれない、とあります(『古事類苑』動物部 NDL PID:1874269 コマ705)。
- 04
放生(生きものを買って逃がす功徳)のために売られたドジョウです。
『浪花街迺噂』では、大坂の蛭子橋の上で「はなし龜はなし鯲」を売っていたと語られ、江戸から来た人物が「はなし鰻といふは江戸にありやすが、はなし鯲といふは初めて見やした」と述べています。同じ放生の習慣でも、江戸ではウナギ、大坂ではドジョウと亀が売られていたことになります(『古事類苑』動物部 NDL PID:1874269 コマ705)。
SAKANA 編集部
良輔
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 古文献の記事は、国立国会図書館デジタルコレクション等で公開されている原本画像を 拡大して字を目視で照合し、読めた箇所だけを引用しています。