UOMEDIA

魚と貝

源五郎鮒とは|名前の由来は江戸の本四冊で四人、ヘラブナになるまで

公開
更新
読む時間
約19分
共有B!LINE
この記事の目次

近江の地誌『近江国輿地志略』は、源五郎鮒(げんごろうぶな)の名の由来を書いた本を二冊、名指しで「偽書」と切り捨てています。琵琶湖のこのフナは、釣りをする人には「ヘラブナ」の名のほうがなじみがあるかもしれませんが、魚の名前に人の名前がそのまま入っていて、江戸の本にはその源五郎が誰なのか、ちゃんと答えが書いてあります。ただし本によって出てくる人物が違い、漁師だったり魚屋だったり、大名家の家臣だったり漁師の婿だったりして、本どうしが互いの説を退け合ってもいました。

『日東魚譜』の見開き。右ページの下にフナ二尾が淡い彩色で描かれている
写本で、本文の句切りには朱の丸が打たれている。右ページ下の二尾のフナには水の流れを表す線が添えられ、左ページには「氣味」「主治」「調烹」(料理法)の見出しが続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日東魚譜』・NDL PID:2536127 コマ9・著作権保護期間満了)

『古事類苑』の七ページに集まった鮒の記事

手がかりにしたのは、神宮司庁がテーマごとに古典の該当箇所を活字で抜き書きした百科事典『古事類苑(こじるいえん)』の「動物部」(NDL PID:1874269、全876コマ、明治43年刊)です。「鮒」「鯽」で走査すると、鮒の記事帯はコマ655から661に集まっていました。

『古事類苑』動物部を開いたところ。右ページ上部の欄外に「鮒 名稱」とある
右ページの欄外に「鮒 名稱」。ここから鮒の項が始まり、平安の辞書から江戸の本草書・随筆まで順に引かれていく。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ655・著作権保護期間満了)

この7ページをたどると、源五郎鮒の名が何度も出てきて、出てくるたびに由来の説明が変わります。

フナには名前が多すぎた

その前提として、江戸の本にとってフナは名前がやたらに多い魚でした。本草学者・小野蘭山の『本草綱目啓蒙』は、近江のフナを源五郎ブナ、モミヂブナ、マルブナ、ニゴロ、モウズ、カタイカリ(ヱビスブナ)、檜原(小倉ブナ)、淀ブナと種類ごとに並べ、さらに雄と雌、卵を産んだ後かどうかでも呼び分けて、ニゴロの雄はカマ、卵を散らした雌はヘラ、という具合です。肝心の源五郎鮒にも、別名がいくつもありました。

『古事類苑』動物部が引く『本草綱目啓蒙』の、源五郎鮒の別名を並べた2列と翻刻
赤枠は該当2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ656・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

モノナリ、正字通ニコレヲ荷包鯽ト云、源五郎ブナハ江州ニテ單ニフナト云、又マブナ、ホンフナ、ヒラフナ、山田ブナ〈大津〉ト云フ、冬ヨリ春ニ至マデ採ル、大ナル者ハ長サ一尺二三寸、濶サ八寸許

現代語訳

(正字通はこれを荷包鯽という。)源五郎ブナは、近江では単に「フナ」という。ほかにマブナ、ホンフナ、ヒラフナ、山田ブナ(大津での呼び名)ともいう。冬から春にかけて漁獲する。大きなものは体長一尺二、三寸、幅は八寸ほど。

「源五郎ブナハ江州ニテ單ニフナト云、又マブナ、ホンフナ、ヒラフナ、山田ブナ〈大津〉ト云フ」。

大津では山田ブナと呼んだ、という地名つきの但し書きまでついていて、このうちのヒラフナという名は、あとでもう一度出てきます。列挙の最後はガンザウという名で、ここまでの十三の名の魚のうち、三寸以下の小さいものをまとめてそう呼ぶ、と断ったあとに、こう続きます。

『古事類苑』動物部が引く『本草綱目啓蒙』の、近江でのフナの呼び方を記した2列と翻刻
赤枠は該当2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ657・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

一種ガンザウハ四季共ニアリ、右十三名ノ三寸以下ナルヲ總ジテ云フ、京師ニテハ皆フナト呼、江州ニテハウヲト云ヒ、フナトハ云ハズ、ソノフナト呼ブモノハ、源五郎ブナノコトナリ

現代語訳

ガンザウという一種は四季を通じてとれる。右の十三の名の魚のうち、三寸以下のものをまとめてこう呼ぶ。京ではどれも「フナ」と呼ぶが、近江では「ウヲ(魚)」といって「フナ」とは言わない。近江で「フナ」と呼ぶものは、源五郎鮒のことである。

「京師ニテハ皆フナト呼、江州ニテハウヲト云ヒ、フナトハ云ハズ」。

京ではどれも「フナ」と呼ぶのに、近江では「ウヲ(魚)」といってフナとは言わない。そして近江でフナと呼ぶものが何かといえば、「ソノフナト呼ブモノハ、源五郎ブナノコトナリ」。湖のほとりでは、この魚だけが「フナ」という名前を独占していました。

享保の魚譜は名前だけを載せた

源五郎鮒という名前そのものは、江戸の本では珍しくありません。冒頭の図を載せていた神田玄泉の魚譜『日東魚譜(にっとうぎょふ)』は、序文の日付が享保十六年(1731年)の写本で、文の切れ目に朱の丸を打っています。

『日東魚譜』鯽魚(フナ)の項。琵琶湖の産の名として「源五郎鮒魚」が挙がる
赤枠は該当3列。同じページの下にフナが二尾描かれている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日東魚譜』・NDL PID:2536127 コマ9・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

頭魚也。所在生池澤。有勝地。江州琵琶湖産。名源五郎鮒魚。武州有千住鮒魚。信州諏訪湖産並

現代語訳

(屈頭魚というようなものである。)池や沢のどこにでも生じる。名高い産地がある。近江の琵琶湖の産を「源五郎鮒魚」と名づける。武蔵には千住の鮒がある。信州諏訪湖の産も、ともに(次の列へ続いて)名産とされる。※句切りは原本の朱の丸に従った。「鯽魚(フナ)」の字は図に添えた名札。

その丸のとおりに区切ると、「所在生池澤。有勝地。江州琵琶湖産、名源五郎鮒魚」と読めます。フナは池や沢のどこにでもいるが名高い産地があり、近江の琵琶湖の産を源五郎鮒魚と名づける、というもので、続けて武蔵の千住の鮒と信濃の諏訪湖の鮒も名産に挙げています。なぜ源五郎なのかは一言も書いてありません。名前だけが、説明抜きで通用していたことになります。

琵琶湖の漁師とした『本朝食鑑』

由来を書いた本のうち、元禄十年(1697年)刊の『本朝食鑑』は、人見必大(ひとみ・ひつだい)が食べものを一つずつ論じた大著で、『日東魚譜』より三十年あまり古い本です。その巻七の「鮒」の項は呼び名を並べる「釈名」から始まり、そこに「源五郎」も鮒の呼び名の一つとして挙がって、こう説明されています。

『本朝食鑑』巻七「鮒」の釈名の、源五郎の由来を記した列と翻刻
赤枠は該当の列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』・NDL PID:2557333 コマ139・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

近世有二琶湖ノ漁人一源五郎ト云者、能ク采ル二太鮒ノ肥美ナル者ヲ一

現代語訳

近ごろ、琵琶湖(琶湖)の漁師に源五郎という者がいて、大きく肥えて味のよい鮒をうまく捕った。それで(源五郎が)琵琶湖の鮒の名になった。

「近世有琶湖漁人源五郎者、能采太鮒肥美者、故為琶湖鮒之名也」。

近ごろ琵琶湖の漁師に源五郎という者がいて、大きく肥えて味のよい鮒をうまく捕ったので、その名が琵琶湖の鮒の名になった、という説です。「琶湖」は琵琶湖のことで、同じ項の続きでも琵琶湖の鮒を「江州琶湖之鮒」と書いています。ここでの源五郎は漁師でした。

大津の魚商人と、「偽書」の一言

近江の地誌『近江国輿地志略(おうみのくによちしりゃく)』は、寒川辰清がまとめ、享保十九年(1734年)の序をもつ本で、『古事類苑』はその巻九十七・志賀郡の「鮒」を引いています。琵琶湖の鮒のうち大きく形の変わったものを「鱠鮒」とも「源五郎鮒」とも呼ぶ、と書いたうえで、著者はまず「蓋源五郎の名其本據詳ならず」、源五郎という名の根拠ははっきりしない、と断っています。

そのうえで紹介される流布の説は、『江源武鑑』『毛吹草』『淡海録』によれば錦織(にしごり)源五郎という佐々木家の家臣がいて、毎年大きな鮒を捕って佐々木家に奉り、その鮒が他と違って大きく美味かったので、人々がこの鮒を源五郎と呼ぶようになった、というものです。もっともらしい話ですが、著者はこれを一行で片づけていました。

『古事類苑』動物部が引く『近江国輿地志略』の、源五郎鮒の由来を論じた5列と翻刻
赤枠は該当5列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ658・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

て味美なるが故に、人々専此鮒を呼て源五郎と云といへり、然れども江源武鑑、淡海録皆偽書なれば採用するにたらず、土俗の説には大津に源五郎といへる魚商人あり、たゞ此鮒のみを売て他の鮒をうらず、故に人皆是は源五郎が鮒かといひしより、源五郎鮒の名は出来れりと云、此説よし、亦にごろと云は、土俗の説に、仁五郎と云魚商人、此魚のみを売しゆへにといへども、源五郎鮒とおなじことはりにて、附会したると見へたり、採用すべからず、或ははてりと云、亦うき物と

現代語訳

(『江源武鑑』『毛吹草』『淡海録』には、佐々木家の家臣・錦織源五郎が毎年大きな鮒を捕って佐々木家に奉り、その鮒が他と違って大きく)味が美味いので、人々がもっぱらこの鮒を源五郎と呼んだという。しかし『江源武鑑』『淡海録』はどちらも偽書なので、採用するに足りない。土地の言い伝えでは、大津に源五郎という魚商人がいて、この鮒だけを売って他の鮒を売らなかった。だから人が皆「これは源五郎の鮒か」と言ったことから源五郎鮒の名ができたのだという。この説がよい。また「にごろ」というのも、仁五郎という魚商人がこの魚だけを売ったからだと土地では言うが、源五郎鮒と同じ理屈で、こじつけたものと見える。採用すべきではない。

「然れども江源武鑑、淡海録皆偽書なれば採用するにたらず」。

家臣説の出どころになっている本を名指しで退けたうえで、著者が採るのは土地の言い伝えです。「土俗の説には大津に源五郎といへる魚商人あり、たゞ此鮒のみを売て他の鮒をうらず」、大津に源五郎という魚屋がいて、この鮒だけを売り他の鮒は売らなかった、「故に人皆是は源五郎が鮒かといひしより、源五郎鮒の名は出来れりと云、此説よし」。人がみな、これは源五郎の鮒か、と言ったことから名ができた、この説がよい、というわけで、『本朝食鑑』の漁師とは職業が違っています。

しかもこの著者は、返す刀でもう一つの説も斬っています。近江には「にごろ(ニゴロブナ)」という別のフナがいて、これについても仁五郎という魚商人がこの魚だけを売ったからだ、という説が土地にあったのを、「源五郎鮒とおなじことはりにて、附会したると見へたり、採用すべからず」と退けているのです。自分が採った説と同じ形の説明を、別の魚ではこじつけとしている。江戸の地誌がここまで典拠を選り分けて書いているのには、読んでいて少し驚きます。

「偽書」と切られなかった『毛吹草』

読み流しそうになる点が一つあります。家臣説の出どころとして挙がっていたのは『江源武鑑』『毛吹草』『淡海録』の三冊でしたが、「偽書」と切られたのは『江源武鑑』と『淡海録』の二冊だけでした。

『近江国輿地志略』の「江源武鑑、毛吹草、及淡海録に」と「然れども江源武鑑、淡海録皆僞書」の大写し
同じページの別々の列から切り出し、読む順に右から並べた。右の「江源武鑑、毛吹草、及淡海録に」には三冊の名が並ぶが、左の「然れども江源武鑑、淡海録皆僞書」に『毛吹草』の名はない。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ658・著作権保護期間満了)

『毛吹草(けふきぐさ)』だけが、黙って外されています。松江重頼による俳諧の本で、正保二年(1645年)の刊ですから『本朝食鑑』より五十年ほど古く、その巻三には国ごとに産物の名が並んでいます。『古事類苑』はこの巻三を同じ鮒の項に引いていて(コマ657)、近江の欄に「山田丸鮒」と並んで「源五郎鯽」があり、その下に小さな字の注(割注)が二列ついていました。

『毛吹草』巻三(『古事類苑』が引く)の「源五郎鯽」と割注の大写し
右から、見出しの「源五郎鯽」、割注の左の列を上下に切り分けた「聟ノ方ヘ遣ス故ニ」「是ヲ源五郎ト名ヅ」。割注の右の列はここでは省いた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・NDL PID:1874269 コマ657・著作権保護期間満了)

割注を右の列から続けて読むと、「獵師大ナルフナヲ取度ニ源五郎ト云聟ノ方ヘ遣ス故ニ、是ヲ源五郎ト名ヅ」。猟師が大きなフナを捕るたびに源五郎という婿のところへ送ったので、これを源五郎と名づけた、という話で、錦織の名も佐々木家も出てきません。『古事類苑』が引く『毛吹草』では、源五郎は家臣ではなく、フナを捕る猟師の婿でした。

『輿地志略』の著者は三冊をまとめて家臣説の典拠に挙げながら、偽書と断じるときには『毛吹草』の名を外していて、なぜ外したのかは書いていません。そして、今回開いた本のなかでは、これがいちばん古い由来の説明です。

「分からない」と書いたのは誰か

畔田翠山(くろだ・すいざん、1792〜1859)がまとめた魚類誌『水族志』は、刊行こそ明治十七年(1884年)ですが、中身は江戸後期に書かれたもので、フナの名を一つずつ見出しに立てて諸書の記述を引いていく本です。モミヂブナ(紅葉鮒)の項を読み進めると、こう書いてあります。

『水族志』モミヂブナの項に引かれた『湖魚考』の、源五郎鮒の由来をめぐる3列と翻刻
赤枠は該当3列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『水族志』・NDL PID:832733 コマ144・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

世俗源五郎鮒ト云、イカナル故ニヤ不知、或云、堅田ノ漁人ニ源五郎ト云者アリ、能秋ノ紅葉鮒ヲ取ルコトヲ得テ多ク市ニ出セリ、是ヨリ源五郎ノ名高シト云傳フラン

現代語訳

(『湖魚考』の続き)世間では源五郎鮒という。どういう理由なのかは分からない。ある説に、堅田の漁師に源五郎という者がいて、秋の紅葉鮒をうまく捕って、たくさん市に出した。それで源五郎の名が高くなったのだと言い伝えているらしい。

「世俗源五郎鮒ト云、イカナル故ニヤ不知」。

世間では源五郎鮒というが、どういう理由なのかは分からない。『本朝食鑑』も『輿地志略』も答えを書いていたのに、ここでは分からないと言っていて、翠山は慎重な人だったと読みたくなるところですが、この一文は翠山の言葉ではありませんでした。

『水族志』の「世俗源五郎鮒ト云」「イカナル故ニヤ不知」の大写し
同じ列の続きを二つに切り、読む順に右から並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『水族志』・NDL PID:832733 コマ144・著作権保護期間満了)

この本はほかの本を引くとき、「本朝食鑑曰」「啓蒙曰」のように書名に「曰(いわく)」をつけて書き出し、自分の考えを述べるときは「按(あんずるに)」で始めます。分からないの数行前にさかのぼると「湖魚考曰」とあって、『湖魚考』の引用は、秋に大網でとる赤い真鮒(紅葉鮒)を「源五郎鮒ト云」と説明したあと、そのまま「世俗源五郎鮒ト云、イカナル故ニヤ不知」に続き、そのあいだに「按」も別の本の「曰」も出てきません。

分からないと書いたのは、翠山が引いた『湖魚考』のほうでした。国立国会図書館サーチの書誌によれば小林義兄の著で、文化三年(1806年)の序がある本です。引かれた文は湖の沖や入江、堅田の漁師の話ばかりで、湖のほとりの本が自分の湖の魚の名を、分からない、と書いていることになります。そのうえで、聞いた話が一つ添えてありました。

「或云、堅田ノ漁人ニ源五郎ト云者アリ、能秋ノ紅葉鮒ヲ取ルコトヲ得テ多ク市ニ出セリ」。

堅田の漁師の源五郎が秋の紅葉鮒をうまく捕ってたくさん市に出したので、それで源五郎の名が高くなったのだと言い伝えているらしい、という話で、大津の魚屋が、同じ湖のほとりで堅田の漁師に入れ替わっています。

分からないという書き方は、もっと古い本にもありました。『古事類苑』で『輿地志略』のすぐ前に引かれている京都の地誌『雍州府志』(著者の黒川道祐は1691年没)は、「源五郎之稱不知其義、一說元漁人源五郎專取此鮒云」、源五郎という呼び名の意味は分からない、一説にもとは漁師の源五郎がもっぱらこの鮒を捕っていたという、と書いていて、『本朝食鑑』より前から、由来ははっきりしないものとして扱われていたことになります。

  • 『毛吹草』(正保二年・1645年刊)——猟師の婿・源五郎
  • 『雍州府志』(著者は1691年没)——分からない。一説に漁師
  • 『本朝食鑑』(元禄十年・1697年刊)——琵琶湖の漁師・源五郎
  • 『日東魚譜』(享保十六年・1731年序)——名前だけ。由来なし
  • 『近江国輿地志略』(享保十九年・1734年序)——根拠ははっきりしないとしたうえで、大津の魚商人・源五郎。家臣説の典拠のうち二冊は偽書
  • 『湖魚考』(文化三年・1806年序、『水族志』が引く)——分からない。ただし堅田の漁師説がある

源五郎を特定の人物にした本だけを数えると、四冊で四人、婿と琵琶湖の漁師と大津の魚商人と堅田の漁師です。同じ湖の、同じ魚の話でした。

本物は、数十尾に一、二尾

この魚をめぐっては、『近世畸人伝』が伝える堅田の祐庵という人物の逸話もあります。堅田の豪農で茶事に通じ、物の味がよく分かる人として書かれている祐庵は、京都で茶事の友人に会ったとき、こう頼まれました。

『古事類苑』動物部が引く『近世畸人伝』の、源五郎鮒をめぐる逸話4列と翻刻
赤枠は該当4列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ658・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

一日京師にて茶事の友にあひたるに、名にしおふ源五郎鮒食せ給へといふに、さらばいくかにと契りて帰る、其日友人の至る時、其門鮒数十をとり入るを見るに、食につきて出したる所、はづかにして腹に満ず、友人あやしみて、さしもあまた取入給ふと見しに、是はいかにといへば、主笑ひて、望たまふ所の源五郎鮒の真なるものは、数十の内にて一二を得がたしとい

現代語訳

ある日、京都で茶事の友人に会ったところ「かの有名な源五郎鮒を食べさせてほしい」と言われ、それなら何日に、と約束して帰った。当日、友人が着いたとき、門から鮒が数十尾運び込まれるのが見えた。ところが食事に出てきたのはわずかで、腹も満たない。友人が不審に思い「あれほど大量に運び入れていたのに、これはどうしたことか」と尋ねると、主人は笑って「あなたの望まれる本物の源五郎鮒は、数十尾のうち一、二尾しか得がたいのです」と言った。

「名にしおふ源五郎鮒食せ給へ」。約束の日、友人が着くと門から鮒が数十尾運び込まれていくのが見えたのに、食事に出てきたのはごくわずかで腹も満たない。不審に思って尋ねると、主人は笑ってこう答えたといいます。

「望たまふ所の源五郎鮒の真なるものは、数十の内にて一二を得がたし」。

名前の由来は諸説あっても、「本物」とそうでないものの区別は、湖のほとりではっきり存在していたわけです。

鮓にする鮒には、専用の名前があった

フナの名前のなかには、使い道から来たものもあります。『水族志』はマルブナの項に、『本草綱目啓蒙』の次の一文を引いています。

『水族志』マルブナの項に引かれた『本草綱目啓蒙』の、「スシブナ」の名を記した箇所と翻刻
赤枠は該当箇所。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『水族志』・NDL PID:832733 コマ144・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

此品鮓ト為ニ良ナリ、故ニ「スシブナ」トモ云

現代語訳

この品は鮓(すし)にするのによい。だから「スシブナ」ともいう。

「此品鮓ト為ニ良ナリ、故ニ「スシブナ」トモ云」。

鮓(すし)にするのによいからスシブナ、というわけで、同じ『本草綱目啓蒙』はニゴロについても「此品煮食フニ良ナリ、故ニニゴロト呼ブ」、煮て食べるのによいからニゴロと呼ぶ、と書き、源五郎ブナのほうはもっぱら刺身や膾(なます)にするので「ナマスブナ」とも言う、としています。ただし『近江国輿地志略』は、名前の由来をここでもすぐには決めません。「煮ごろ」を煮るのにころあいの大きさという意味だとする説を挙げたうえで、「源五郎鮒にも大小あり、煮ごろにも大小あり、然れば其義もとり難し」と退けています。

その鮓がいつからあったかについて、『古事類苑』は平安時代の法令集『延喜式』を引いています。

『古事類苑』動物部が引く『延喜式』内膳司の、鮒・鮨鮒・鮒鮨の貢納記事と翻刻
赤枠は該当箇所。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1874269 コマ657・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

〔延喜式三十九 内膳〕年料 近江國〈中略〉鮒 美濃國〈中略〉鮨鮒隔月三缶〈中略〉大宰府〈中略〉鮒鮨一百七十八斤五缶

現代語訳

『延喜式』巻三十九・内膳司の年料(毎年おさめる品)。近江国……鮒。美濃国……鮨鮒を隔月に三缶。大宰府……鮒鮨百七十八斤、五缶。

「近江國〈中略〉鮒 美濃國〈中略〉鮨鮒隔月三缶〈中略〉大宰府〈中略〉鮒鮨一百七十八斤五缶」。

宮中の台所(内膳司)に毎年おさめる品目のなかに、近江国からは鮒、美濃国からは鮨鮒を隔月に三缶、大宰府からは鮒鮨百七十八斤を五缶と、鮨にした鮒が数量つきで並んでいます。缶という容器の単位で数え、斤で目方を書いているのを見ると、制度に組み込まれた食べものだったことが分かります。

梅園が描いた、金鮒と黒鮒

毛利梅園(もうり・ばいえん)は、目の前の実物を写生し、日付まで書き入れた彩色図譜『梅園魚品図正』を残しました。

『梅園魚品図正』2帖より。上にメバル、下に「金鮒」と「黒鮒」が並ぶ
下段の左が「金鮒」、右が「黒鮒」。同じフナでも、鱗の色がはっきり違う。右上には「鯽魚」に始まる異名が並ぶ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』・NDL PID:1287112 コマ36・著作権保護期間満了)

同じフナが金色と黒で描き分けられていて、『水族志』が引く『本草綱目啓蒙』にも「キンブナ」の名があり、金色を帯びる、と書かれています。名前が多いのは細かすぎる分類のように見えて、実物を並べれば確かに違う、ということでもありました。

その魚は、いま「ヘラブナ」と呼ばれている

釣りをする人にとってヘラブナはおなじみの魚で、全国の池や湖に釣り場があり、専用の道具と釣り方があり、専門誌まであります。このヘラブナが源五郎鮒で、国立環境研究所の侵入生物データベースは、ゲンゴロウブナ(学名 Carassius cuvieri)の項に、和名・別名として「ゲンゴロウブナ, ヘラブナ, カワチブナ」を並べています。

同じデータベースの分布の欄がおもしろく、自然分布は「琵琶湖・淀川水系」だけなのに、国内移入分布は「ほぼ全国」です。移入元は「琵琶湖~大阪」、侵入経路の欄には「食用,釣り対象("ヘラブナ")として放流」とあり、霞ヶ浦へは1930〜1931年に移植放流された、とも記されています。いま全国の釣り場にいるヘラブナは、もとは琵琶湖・淀川水系にいた魚が、人の手で運ばれて広がったものということになります。

『本草綱目啓蒙』が源五郎鮒の別名として並べていた名前のなかには、ヒラフナがありました。江戸の本が「ヒラフナ」と書き、いまの釣り人が「ヘラブナ」と呼ぶのは同じ魚ですが、現在の「ヘラブナ」という呼称が江戸の「ヒラフナ」から来たものかどうかは、今回調べた資料では確かめられなかったので、ここは断定せずに置いておきます。確かなのは、二百年前の近江で「フナ」という言葉を独占していた魚が、いまは全国の池にいて、別の名前で呼ばれているということです。

決まらないまま残った名前

江戸の本をひらくと、源五郎鮒の源五郎は本ごとに別人でした。『毛吹草』では猟師の婿、『本朝食鑑』では琵琶湖の漁師、『近江国輿地志略』では大津の魚商人で、佐々木家の家臣という説は典拠の二冊ごと偽書として退けられ、『水族志』が引く『湖魚考』には堅田の漁師の話が添えられています。そして京都の『雍州府志』と湖のほとりの『湖魚考』は、はっきり「分からない」と書きました。

面白いのは、江戸の本が由来を必ずしも決めたがらないことです。『輿地志略』は根拠がはっきりしないと断り、典拠の本を「偽書」と切り、似た形の説を「附会」と切ったうえで、土地の言い伝えを一つだけ採っています。『湖魚考』は土地の本でありながら、分からないと書く。名前の由来が決まらないまま、魚の名前だけが三百年以上残り、原本をめくるとその決まらなさがそのまま書き残されていて、当の魚はいまヘラブナと呼ばれて、琵琶湖から遠く離れた池で釣られています。

出典

この記事でわかったこと

  • 同じ魚です。

    国立環境研究所の侵入生物データベースは、ゲンゴロウブナ(学名 Carassius cuvieri)の和名・別名として「ゲンゴロウブナ, ヘラブナ, カワチブナ」を挙げています。自然分布は「琵琶湖・淀川水系」ですが、国内移入分布は「ほぼ全国」で、侵入経路は「食用,釣り対象("ヘラブナ")として放流」と記載されています。なお江戸期の『本草綱目啓蒙』は、源五郎鮒の別名として「マブナ、ホンフナ、ヒラフナ、山田ブナ(大津)」を挙げています。ただし現在の「ヘラブナ」という呼称が、この「ヒラフナ」に由来するかどうかは、本記事で調べた資料では確認できませんでした。

  • 江戸時代の本のなかでも説が分かれています。

    『毛吹草』(正保二年刊)は、猟師が大きなフナを捕るたびに源五郎という婿のところへ送ったからだとし、『本朝食鑑』(元禄十年刊)は「近世有琶湖漁人源五郎者、能采太鮒肥美者」——琵琶湖の漁師だとしました。『近江国輿地志略』は大津の魚商人だとして「此説よし」と結論しています。いっぽう『水族志』が引く『湖魚考』は「世俗源五郎鮒ト云、イカナル故ニヤ不知」と書き、堅田の漁師に源五郎という者がいたという伝聞を添えるにとどめています(NDL PID:1874269 コマ657・658/PID:2557333 コマ139/PID:832733 コマ144)。

  • 『近江国輿地志略』は、源五郎鮒の由来を佐々木家の家臣・錦織源五郎に求める説の典拠として『江源武鑑』『毛吹草』『淡海録』を挙げ、そのうち二冊について「然れども江源武鑑、淡海録皆偽書なれば採用するにたらず」と書いています。説の出どころとなる本が信用できないという理由で、説そのものを退けたわけです。『毛吹草』は偽書とされておらず、『古事類苑』が引く『毛吹草』には、家臣ではなく猟師の婿の話が載っています。同書は「にごろ」の名を仁五郎という魚商人に結びつける説も「附会したると見へたり、採用すべからず」と退けました(『古事類苑』動物部 NDL PID:1874269 コマ657・658)。

  • 『本草綱目啓蒙』にそう書かれています。

    近江のフナの名を十三挙げたうえで「京師ニテハ皆フナト呼、江州ニテハウヲト云ヒ、フナトハ云ハズ、ソノフナト呼ブモノハ、源五郎ブナノコトナリ」——京ではどれもフナと呼ぶが、近江では「ウヲ」と言ってフナとは言わず、近江でフナと呼ぶものは源五郎鮒のことである、と(『古事類苑』動物部 NDL PID:1874269 コマ657)。

  • 平安時代の法令集『延喜式』の内膳司の年料(毎年おさめる品)に、美濃国の「鮨鮒」(隔月に三缶)、大宰府の「鮒鮨」(百七十八斤・五缶)が数量つきで挙がっています。

    また『水族志』が引く『本草綱目啓蒙』は、マルブナについて「此品鮓ト為ニ良ナリ、故ニ「スシブナ」トモ云」と、鮓にする用途から来た別名を記しています(『古事類苑』動物部 NDL PID:1874269 コマ657/『水族志』NDL PID:832733 コマ144)。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。

共有B!LINE