UOMEDIA

魚のことば

ヒラメとカレイの違いは「左ヒラメ右カレイ」——江戸は大きさで区別

公開
更新
読む時間
約19分
共有B!LINE
この記事の目次

ヒラメとカレイの違いは、ふつう左右で覚えます。「左ヒラメ右カレイ」、腹を手前、背を向こうにして置いたとき、目のある側が左ならヒラメ、右ならカレイです。ところが安永四年(1775年)の方言辞典を開くと、江戸の魚市では二つを左右ではなく大きさで呼び分けていて、しかも房総の浜から江戸へ着いたとたんに名前が入れ替わっていたと書いてありました。

左右の違いそのものは、その同じページに漁師の言葉として顔を出し、文化二年の本草書でカレイは右、ヒラメは左と書き分けられ、天保の毛利梅園が、それを二つを分ける理由として絵に書き入れています。標語より先に、観察のほうがありました。

『梅園魚品図正』巻二より、メイタカレイ。白い面と黒い面を一枚に重ねて描いている
左上に白い面、右下に黒い面。右の書き入れは「朱厓記曰」に始まり、「王餘魚」の脇にカタカナで「メイタカレイ」と添えてある。左下に「乙未九月」に始まる年記と「真寫」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻二・NDL PID:1287113 コマ10・著作権保護期間満了)

入口にしたのは、神宮司庁が古典の該当箇所を活字で抜き書きした百科事典『古事類苑(こじるいえん)』の動物部(明治43年刊)です。その冊(NDL PID:1874269、全876コマ)を「鰈」「王余魚」「比目魚」「ひらめ」などの表記で走査すると、カレイの記事はコマ745から748の4ページに集まっていて、古い辞書から江戸の本草書まで十数点が引かれていました。そのなかから最初に原本を開いたのが、方言辞典の『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』です。

『物類称呼』巻二を開いたところ。右ページ中ほどの頭注の枠に「比目魚」とある
右ページの頭注に「比目魚」、左ページの頭注に「鞋底魚」。魚の呼び名が地域ごとに列挙されていく。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『物類称呼 5巻』・NDL PID:2539349 コマ30・著作権保護期間満了)

越谷吾山(こしがや・ござん)が、同じものを地方ごとに何と呼ぶかを集めて安永四年(1775年)に出した本で、その「比目魚」の項に、ほとんどいきなり答えが書いてありました。

江戸の魚市では、大きければヒラメだった

『物類称呼』巻二「比目魚」の、呼び名の地域差を記した4列と翻刻
赤枠は該当4列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2539349 コマ30・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

かれい。ひらめ ○畿内西国ともに。かれいと称す。江戸にてハ大なる物を○ひらめ、小なるものを○かれいと呼。然とも類同くして種異也。常陸上総下総の浦々にて大なるを鰈といひ、小なるを平目といふ。江府の魚市に至る時ハ則チ名を変ず。又ある漁子、此魚両種相偶して洋中を游ぐ

現代語訳

カレイ、ヒラメ。上方と西国ではどちらもカレイと呼ぶ。江戸では大きいものをヒラメ、小さいものをカレイと呼ぶ。ただし同じ仲間で種は別である。常陸・上総・下総の浜では、大きいものをカレイ、小さいものをヒラメという。それが江戸の魚市に届くと、名前が入れ替わる。

「かれい。ひらめ ○畿内西国ともに。かれいと称す」。上方と西国では、どちらもカレイと呼んでいて、ヒラメという呼び名がそもそも使われていません。続けて「江戸にてハ大なる物を○ひらめ、小なるものを○かれいと呼」とあり、江戸では大きいものをヒラメ、小さいものをカレイと、種類ではなく大きさで呼び分けていたことになります。

吾山はそこに「然とも類同くして種異也」(然ともは「しかれども」)と書き添えていて、同じ仲間ではあるが種は別だと断ったうえで、江戸ではそう呼ばれていると記録しています。面白いのはそのすぐ後です。

「常陸上総下総の浦々にて大なるを鰈といひ、小なるを平目といふ」。いまの茨城から千葉にかけての浜では、大きいものがカレイで小さいものがヒラメと、江戸とはまるきり逆になっていて、それが「江府の魚市に至る時ハ則チ名を変ず」、江戸の魚市に届くと名前が入れ替わるというのです。浜で「カレイ」と呼ばれていた大きな魚が、運ばれた先の魚市では「ヒラメ」として売られていたことになります。

現代の「左ヒラメ右カレイ」が魚の体をどう見るかの話なのに対して、江戸の呼び分けは、魚がどこにいるかの話でした。

漁師が言った「頭をならぶる時ハ左右の違ひ有物なり」

ところが、同じ項の数行あとに、体の向きの話がひょっこり出てきます。

『物類称呼』巻二「比目魚」の、漁師の話を書き留めた2列と翻刻
赤枠は該当2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2539349 コマ30・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

又ある漁子、此魚両種相偶して洋中を游ぐ。頭をならぶる時ハ左右の違ひ有物なりといへり。貝原翁ハかれいといふハ

現代語訳

また、ある漁師はこう言った。この魚は二種が連れ立って沖を泳いでいる。頭を並べてみると、左と右の違いがあるものだ、と。

「又ある漁子、此魚両種相偶して洋中を游ぐ」、ある漁師が言うには、この魚は二種が連れ立って沖を泳いでいて、「頭をならぶる時ハ左右の違ひ有物なりといへり」、頭を並べてみると左と右の違いがあるものだ、と。安永四年の方言辞典のなかに、「左右の違い」に目を向けた言葉が残っていたわけです。

ただし書かれ方には気をつける必要があって、これは吾山の断定ではなく「ある漁師がそう言っていた」という伝聞のかたちで、しかも二種が連れ立って泳ぐという、そのままでは受け取れない話と一緒になっています。それでも、浜で魚を触っている人がヒラメとカレイを並べて左右が違うと言い、その一言が江戸の本に書き留められたことまでは動きません。

カレイは「片割れ魚」だった

『物類称呼』は、この漁師の話のすぐあとで、カレイという名の由来を「貝原翁」の説として紹介しています。「貝原翁ハかれいといふハかたわれ魚の畧なりといへり」。その貝原翁、貝原益軒(かいばら・えきけん)の本草書が、宝永六年(1709年)刊の『大和本草(やまとほんぞう)』です。

『大和本草』巻十三「比目魚」の、カレイの語源を説く2列と翻刻
赤枠は該当2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ35・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

比目魚 此魚背黒ク腹白クシテ魚ノ半片ノ如シ。カタワレイヲト云意ニテ畧シテカレイト名ツク。目ハ一處ニ

現代語訳

比目魚。この魚は背が黒く腹が白く、魚の半身のようである。「片割れ魚(かたわれいを)」という意味で、略してカレイと名づけた。目は一か所に……

「此魚背黒ク腹白クシテ魚ノ半片ノ如シ」、背が黒く腹が白く、魚の半身のようだから、「カタワレイヲト云意ニテ畧シテカレイト名ツク」。ふつうの魚を縦に割った片方だけが泳いでいる、という見方で、益軒はこの名を「片割れ魚(かたわれいを)」の略と説いていました。

益軒はこの続きで、カレイには「二種アリ」とも書いています。一種は「ツ子ノカレイ」、つまりふつうのカレイで、もう一種は「□底魚ト云。關東ニテ平目ト云」、振り仮名で「クツゾコ」と読ませる魚で、関東では平目というのだそうです。

□にした字は革へんで、「くつぞこ」なら靴の底の「鞋(くつ)」だろうと読みたくなりますが、原本の字は右側が「圭」ではなく、最後の画が大きく跳ねる別の形をしています。同じ見開きの左ページに次の項の見出しとして出てくる「鞋底魚」の鞋とも形が違うので、ここでは字を確定させずに伏せておきます。この一行は、あとで梅園の絵のところでもう一度効いてきます。

中国では「二匹並ばなければ泳げない魚」だった

半分の魚という見方は、日本で始まったものではありません。カレイに当てられた漢字には「鰈」のほかに「王余魚」と「比目魚」があり、どちらも中国由来で、どちらにも物語がついています。

「王余魚」の由来は、古い辞書『倭名類聚抄』に狩谷棭斎(かりや・えきさい)が注をつけた『箋注倭名類聚抄』で読めます。NDLにあるのは明治16年(1883年)の印刷局版で、棭斎はここで、『呉都賦』という作品に劉逵(りゅうき)がつけた注を引いています。

『箋注倭名類聚抄』巻八「王餘魚」の、名の由来を伝える列と翻刻
赤枠は該当列。枠のすぐ右、ページの柱(欄外の見出し)に「海鯽 王餘魚」とある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:991791 コマ12・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

俗云、越王鱠魚未盡、因以殘半棄水中、爲魚、遂無其一面、故曰王餘也

現代語訳

世間ではこう言う。越王が鱠(なます)を作りかけて食べ尽くさず、残った半身を水に捨てたところ魚になった。だから片面がない。それで「王餘(王の食べ残し)」というのだ、と。

「俗云、越王鱠魚未盡、因以殘半棄水中、爲魚、遂無其一面、故曰王餘也」。越王が鱠(なます)を作りかけて食べ尽くさず、残った半身を水に捨てたら魚になって泳ぎ出したので片面がなく、だから王の食べ残しという意味で「王餘」と呼ぶ、という言い伝えです。片側だけの魚という発想は同じでも、日本の片割れ魚が姿かたちの説明なのに対し、こちらは王様の食べ残しの話になっています。

もう一つの「比目魚」はさらに極端で、同じページで棭斎が引く古典の『爾雅(じが)』には「東方有比目魚焉、不比不行、其名謂之鰈」とあります。東方の比目魚は「比(なら)ばざれば行かず」、二匹が並ばなければ泳げず、その名を鰈という。棭斎はさらに『爾雅』に注をつけた郭氏(郭璞)の説明も引いていて、こちらでは、この魚は目が一つしかなく(「一眼」)、二枚が合わさってはじめて泳げる(「兩片相合乃得行」)とされています。

「比」はならぶという字なので、ここまでなら比目魚は、一つ目の魚が二匹、目を並べて泳ぐ姿の名前に見えます。ところが棭斎は、同じページの少し先で、この字をまったく別の意味に読み替えていました。

「蓋諸魚兩邊各一目、此魚一片雙目相比、故名比目」。ふつうの魚は両側に目が一つずつあるのに、この魚は片側に二つの目が並んでいるから比目というのだろう、という読みで、並んでいるのは二匹の魚ではなく一匹の片面にある二つの目だということになります。いまの私たちが知っているヒラメやカレイの姿そのものです。

棭斎は「王餘」のほうも、片側がそぎ落とされたように見えるからそう呼ぶのだと同じ理屈で片づけ、比目と王餘は同じ魚の古い名と新しい名にすぎない(「其實比目王餘古今異名耳」)と書いたうえで、二匹並ばなければ泳げないという話そのものをはっきり退けています。

『箋注倭名類聚抄』巻八「王餘魚」の、比目魚伝説を「附会」と断じた箇所と翻刻
赤枠は該当箇所。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:991791 コマ12・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

古人之附會、郭氏

現代語訳

(二匹並ばなければ泳げない、というのは)昔の人のこじつけである。郭氏(郭璞)の(一つ目で二枚が合わさってはじめて泳げるという説も、根拠に足りない)。

並ばなければ泳げないという話は「古人之附會」、昔の人のこじつけだと一言で切り、郭氏の一つ目で二枚合わさって泳ぐという説も根拠に足りない(「亦不足據」)としています。

蘭山の「今ノカレイハ一目ニアラズシテ獨行ス」

同じことを、実物に即してもっと具体的に書いたのが小野蘭山(おの・らんざん)です。『本草綱目啓蒙』は蘭山が口で授けた講義を書き留めた本草書で(NDLの書誌に「蘭山小野先生 口授」)、その巻四十に比目魚の項があります。ここで開いているのは弘化四年(1847年)に刊行された重訂版です。

『重訂本草綱目啓蒙』巻四十「比目魚」の、中国の比目魚伝説を退ける2列と翻刻
赤枠は該当2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ46・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

ハ行コトアタハザル者ナリ。今ノカレイハ一目ニアラズシテ獨行ス。然レドモ魚、一片ハ黒ク一片ハ白クシテ比ス

現代語訳

(『爾雅』のいう比目魚は、二匹並ばなければ)泳ぐことができない魚である。今のカレイは目が一つではないし、一匹で泳いでいる。ただ、片面が黒く片面が白くて、二枚が並んでいるように見える(ので比目魚の字を当てているだけだ)。

『爾雅』のいう比目魚は二匹並ばなければ泳げない魚だと前置きしてから、蘭山は「今ノカレイハ一目ニアラズシテ獨行ス」と書きます。実物を見れば目は二つあるし、並んで泳いでもいないので、伝説とは合わないというわけで、それでも比目魚の字を当てる理由として「然レドモ魚、一片ハ黒ク一片ハ白クシテ比ス(ベキ状ニ似タリ)」、片面が黒く片面が白く、二枚が並んでいるように見えるからだと添えています。言い伝えは字の説明として残しながら、実物とは違うとはっきり書く、という距離の取り方です。

「左片」「右片」が書き分けられた

その蘭山が、カレイとヒラメを別々に記載しています。まずカレイで、かたちと寸法を書いた続きにこうあります。

『重訂本草綱目啓蒙』巻四十「比目魚」カレイの記載、「右一片ハ黒」の列と翻刻
赤枠は該当列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ46・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

五寸五分バカリ、頭小ク觜尖レリ。ソノ身右一片ハ黒クシ

現代語訳

(長さ一尺二寸なら、幅はひれ込みで)五寸五分ほど。頭が小さく口先が尖っている。その身は右の一片が黒く……

「ソノ身右一片ハ黒クシ(テ細鱗アリ)」。その身は右の一片が黒く細かい鱗があり、次のページに続けて「雙眼相並テ近シ」、二つの目が並んで近く、左の一片は平たく色が白い、とあります。黒い面に目が並んでいるのですから、カレイは目のある側が右です。その少し先に「一種ヒラメハ」として別の項が立ちます。

『重訂本草綱目啓蒙』巻四十「比目魚」ヒラメの記載、「左片灰黒色」「右片ハ白色」の2列と翻刻
赤枠は該当2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ47・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

一説、大ナル者ヲ戸板〔魚譜〕ト云。コノ魚、左片灰黒色、カレイヨリ色アサシ。右片ハ白色。大ナル者ハ二三尺許、春夏味美

現代語訳

一説に、大きいものを「戸板」という(『魚譜』)。この魚(ヒラメ)は左の片が灰黒色で、カレイより色が浅い。右の片は白色。大きいものは二、三尺ほどで、春夏に味がよい。

「コノ魚、左片灰黒色、カレイヨリ色アサシ。右片ハ白色」。左の片が灰黒色でカレイより色が浅く、右の片は白いので、黒い面に目があるのはカレイと同じとすれば、ヒラメは目のある側が左になります。

『重訂本草綱目啓蒙』巻四十の「ソノ身右一片ハ黒ク」と「コノ魚左片灰黒色」の大写し
右がカレイの記載の「ソノ身右一片ハ黒ク」(コマ46)、左がヒラメの記載の「コノ魚左片灰黒色」(コマ47)。2つのコマから切り出して並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙』・NDL PID:2555647 コマ46・47・著作権保護期間満了)

カレイは右、ヒラメは左という左右は、重訂版で書き足されたものではありません。文化二年(1805年)の跋がある初版の同じ巻(NDL PID:2555467 コマ62・63)を開くと、「ソノ身右一片ハ黒」「此魚左片灰黒色」「右片ハ白色」と同じ左右がすでに刷られていて、現代とまったく同じ向きの書き分けが、その年の本に載っていたことになります。

ただ、蘭山はこれを見分け方として並べたわけではなく、カレイの記載とヒラメの記載をそれぞれ独立に書いた結果、左右が逆になっているだけで、標語のかたちにはなっていません。この項には大きなヒラメの呼び名も出てきて、「一説、大ナル者ヲ戸板〔魚譜〕ト云」と『魚譜』の説を引き、大きいものは二、三尺(約60〜90センチ)ほど、若狭には四、五尺のものがあり、松前にも五尺(約1.5メートル)のものがいると書いています。

左右の違いは、文化のころの本にはすでに書き分けられていました。その左右を、二つを分ける理由として書いた人は、次の絵の中にいます。

梅園が描いた裏と表、そして「左右違リ」

左が黒い、右が白いと文字で読んでも、まだ像を結びません。それを絵で残したのが毛利梅園(もうり・ばいえん)で、彩色図譜『梅園魚品図正』(NDLの書誌では天保六年・1835年の序)に、実物を写生した魚を「真寫」の字と日付を添えて描き残しました。

『梅園魚品図正』巻二より、星ガレイ。手前が白い面、奥に黒い面が重ねて描かれている
右の書き入れに「本草綱目 比目魚 星ガレイ 小ナルヲ木ノ葉カレイト云 此者比目魚ノ無鱗ナル者」。乙未(天保六年)十月廿六日の写生。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻二・NDL PID:1287113 コマ16・著作権保護期間満了)

二匹を重ねて置き、手前に白い面、奥に黒い面を出しているので、一枚の絵でこの魚が裏表でまるきり違うことが分かります。冒頭のメイタカレイも同じ作りで、漢名の「王餘魚」の脇にカタカナで「メイタカレイ」と添えてあり、中国の書物から受け継いだ字と和名とが同じ紙の上に並んでいます。その年記の「乙未九月」は天保六年(1835年)で、星ガレイの丁が同じ年の十月ですから、梅園はこの秋、カレイの類を続けて写生していたことになります。

別の丁では、裏と表をもっとはっきり分けています。

『梅園魚品図正』巻一より、左下が「鰈背之図」、右が「鰈腹之図」
左下の魚に「鰈背之図」、右の白い魚に「鰈腹之図」と書き入れがある。右上には「和名鈔云 王餘魚」に始まる解説があり、『朱厓記』を引いて「昔越王作鱠不盡、餘半棄水、因以半身爲魚、故曰王餘魚也」——越王が鱠を作り残した半身が魚になった、と記されている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ14・著作権保護期間満了)

「鰈背之図」と「鰈腹之図」で背と腹を別々の絵に描き分け、その右上には梅園自身が「和名鈔云 王餘魚」に始まる書き入れをして、『朱厓記』から「昔越王作鱠不盡、餘半棄水、因以半身爲魚、故曰王餘魚也」を写しています。実物を目の前に置いて写生しながら、同じ紙に古い伝説を書き写していて、梅園の紙面はいつもこういう二重写しです。同じ巻一には、見開きいっぱいを使った一枚もあります。

『梅園魚品図正』巻一より、見開きに描かれた「腹之図」。目のない側の真っ白な面
左上に「腹之図」。右の書き入れは「閩書」の字に始まり、「鞋底魚ト云」、そして「關東ニテ平目ト云」とある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ37・著作権保護期間満了)

紙いっぱいに目のない側だけが描かれていて、ヒレの一枚一枚まで数えられそうな精度で、何もない白い面が記録されています。この白い面には、次のコマに対になる絵があります。

『梅園魚品図正』巻一より、黒い面を描いた図。右上に「鞋底魚」「背裏圖」の書き入れがある
右上に「鞋底魚」「背裏圖」。前のコマの白い面と同じ「鞋底魚」の名のもとに、鱗まで描き込まれた黒い面が置かれている。頭は左を向いている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ38・著作権保護期間満了)

書き入れは「背裏圖」で、白い面と黒い面が一枚ずつですから、流れからすればカレイの腹と背を描き分けた二枚に見えます。ところが前のコマの書き入れを読み直すと、見出しの「鞋底魚ト云」の下に少し離して「關東ニテ平目ト云」とあって、これはさきの『大和本草』の「□底魚ト云。關東ニテ平目ト云」と同じ言い方です。この二枚は、梅園の見立てでは関東でいう平目だったのです。

書き入れの本文も、カレイと同類だが別のものだ、というところまでは『大和本草』の鞋底魚の項(コマ35〜36)とよく似ていますが、梅園はその先に一文を書き足していました。

『梅園魚品図正』巻一 コマ37の書き入れ「同類ニ而別也鰈ハ」「其腹脊平目ト」「左右違リ是以」「別種トス」の大写し
右から「同類ニ而別也鰈ハ」「其腹脊平目ト」「左右違リ是以」「別種トス」。書き入れの4列を2つに切って並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ37・著作権保護期間満了)

「鰈ハ其腹脊平目ト左右違リ、是以別種トス」。カレイはその腹と背が平目と左右ちがう、これをもって別の種類とする――。「腹脊」は白い腹の面と黒い背の面のことのように見え、『大和本草』の同じ項にこの一文は見当たりません。

そう読んでから絵を見直すと、描き方がそろっていることに気づきます。黒い面を見せた絵では、カレイの「鰈背之図」も冒頭のメイタカレイも星ガレイも頭を右に向けているのに、この平目の「背裏圖」だけは頭が左を向いています。黒い面を上にして腹を手前に置いたとき、頭が右ならカレイ、左ならヒラメで、梅園の絵は現代の「左ヒラメ右カレイ」と同じ向きで描き分けられているように見えます。

『物類称呼』では漁師の言い伝えにすぎず、『本草綱目啓蒙』ではそれぞれの記載の一部だった左右の違いが、梅園の書き入れでは、二つを別の種類とする理由に格上げされていました。

若狭から京へ運ばれた蒸しガレイ

カレイは、手を加えて遠くへ運ばれる魚でもありました。寛政十年(1798年)の序をもつ『日本山海名産図会』は、若狭でのその作業を見開きの図にしています。

『日本山海名産図会』巻之三より「若狭 蒸鰈制」。浜で魚を竿に吊るして干している
右ページ上部に「若狭 蒸鰈制」の題。左ページでは小屋の下で桶を並べて魚を扱い、右ページでは浜に渡した竿に魚をずらりと吊るしている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻之三・NDL PID:2575828 コマ22・著作権保護期間満了)

『大和本草』は、漁師がカレイを塩水で蒸して半熟にし、浜の砂の上に置いて藁の席をかぶせ、蒸らしてから少し干したものが丹後のムレガレイだ、という趣旨のことを書いています(コマ35)。『本草綱目啓蒙』にも、子の多いものを塩水で蒸して半熟にし、浜の砂の上に並べて草の席をかぶせ、数日干したものをムシガレイといい、両越・若狭・丹後から多く京へ来るとあって(コマ47)、図の題の「蒸鰈(むしがれい)」はこの魚のことです。

大きさで呼び分けていた江戸の魚市、浜と市で逆になる名前、漁師の左右の一言、蘭山の書き分け、梅園の書き入れと、今回開いた本をたどっても、「左ヒラメ右カレイ」という標語の形そのものには行き当たりませんでした。見つかったのは、標語の手前にあった観察の積み重ねのほうです。

出典

この記事でわかったこと

  • 標語としての「左ヒラメ右カレイ」が江戸にあったことは、今回調べた範囲では確認できませんでした。

    ただし左右への注目は江戸にあります。安永四年(1775年)刊『物類称呼』は「頭をならぶる時ハ左右の違ひ有物なりといへり」という漁師の話を記録し、『本草綱目啓蒙』はカレイを「ソノ身右一片ハ黒ク」、ヒラメを「コノ魚左片灰黒色…右片ハ白色」と書き分けています(文化二年跋の初版 NDL PID:2555467 コマ62-63、弘化四年の重訂版 PID:2555647 コマ46-47)。毛利梅園の『梅園魚品図正』には、平目の図に「鰈ハ其腹脊平目ト左右違リ、是以別種トス」という書き入れがあります(NDL PID:1287112 コマ37)。

  • 『物類称呼』によれば、上方と西国ではどちらもカレイと呼び、江戸では大きいものをヒラメ、小さいものをカレイと呼びました。

    さらに常陸・上総・下総の浜では大きいものをカレイ、小さいものをヒラメと呼び、江戸の魚市に着くと名前が入れ替わったと記されています(NDL PID:2539349 コマ30)。

  • 『大和本草』(貝原益軒・宝永六年刊)は、この魚が「魚ノ半片ノ如シ」であることから「カタワレイヲ(片割れ魚)ト云意ニテ畧シテカレイト名ツク」と説いています(NDL PID:2557359 コマ35)。

    中国由来の「王余魚」という字には、越王が鱠を作り残した半身が魚になったという別の由来が伝えられています(『箋注倭名類聚抄』NDL PID:991791 コマ12)。

  • 中国の『爾雅』は「東方有比目魚焉、不比不行、其名謂之鰈」——二匹並ばなければ泳げない魚だとし、郭氏(郭璞)の注は目が一つしかないと説明しました。

    これに対し狩谷棭斎は『箋注倭名類聚抄』で「此魚一片雙目相比、故名比目」——片側に二つの目が並んでいるから比目という、と読み、二匹並ばなければ泳げないという話は「古人之附會(昔の人のこじつけ)」と退けています。小野蘭山も「今ノカレイハ一目ニアラズシテ獨行ス」と書きました(NDL PID:991791 コマ12/PID:2555647 コマ46)。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。

共有B!LINE