ヒラメとカレイの違いは「左ヒラメ右カレイ」——江戸は大きさで区別
スーパーの鮮魚売り場に、平たい魚が二種類ならんでいます。ヒラメとカレイ。
見分け方は知られています。「左ヒラメ右カレイ」。腹を手前、背を向こうにして置いたとき、目のある側が左ならヒラメ、右ならカレイ。
覚えやすい標語です。では、この言い方はいつからあるのでしょうか。
江戸時代の人は、この二つをどう見分けていたのか。そもそも見分けていたのか。
原本を開いてみると、答えは想像と少し違いました。
0. 江戸の魚の本は、いま家で無料で読める
国立国会図書館デジタルコレクション(NDLデジコレ)には、江戸時代の本が撮影されたまま公開されています。会員登録も費用も要りません。ブラウザで開けば、そのまま最後のページまでめくれます。
ただ、いきなり原本を開いても、どのページに目当ての魚がいるのかは分かりません。江戸の本には索引がないからです。
そこで先に開くのが『古事類苑(こじるいえん)』です。明治政府が編纂した巨大な百科事典で、テーマごとに古典の該当箇所を活字で抜き書きしてあります。活字なので機械で検索できる——これが古文献をたどるときの入口になります。
その「動物部」(NDL PID:1874269、全876コマ)を「鰈」「王余魚」「比目魚」「ひらめ」などの表記で走査すると、カレイの記事帯はコマ745から748の4ページに集まっていました。
そこに、平安の辞書から江戸の本草書まで十数点が引かれています。あとは、そのうち面白そうな一冊の原本を開けばいい。
今回いちばん先に開いたのは、方言辞典の『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』でした。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『物類称呼 5巻』・NDL PID:2539349 コマ30・著作権保護期間満了)
安永四年(1775年)刊。俳人の越谷吾山(こしがや・ござん)が、同じものを地方ごとに何と呼ぶかを集めた、日本で最も古い方言辞典のひとつです。
その「比目魚」の項に、いきなり答えが書いてありました。
1. 江戸の魚市では、大きければヒラメだった

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2539349 コマ30・著作権保護期間満了)
「かれい。ひらめ ○畿内西国ともに。かれいと称す」。
上方と西国では、どちらもカレイ。ヒラメという呼び名がそもそも使われていません。
続きます。
「江戸にては大なる物を○ひらめ、小なるものを○かれいと呼」。
江戸では、大きいものをヒラメ、小さいものをカレイ。
種類ではなく、大きさで呼び分けている、というのです。
吾山はここで一言、注意を書き添えています。
「然れども類同くして種異也」。同じ仲間ではあるが、種は別である——。
つまり彼自身は「大小で名が変わるのはおかしい、本当は別の魚だ」と分かっていた。分かったうえで、江戸ではそう呼ばれている、と記録しています。
そして、そのすぐ後が面白い。
「常陸上総下総の浦々にて大なるを鰈といひ、小なるを平目といふ」。
常陸・上総・下総——いまの茨城から千葉にかけての浜では、大きいものをカレイ、小さいものをヒラメ。
江戸とは、まるきり逆です。
「江府の魚市に至る時は則ち名を変ず」。
そして、それが江戸の魚市に届くと、名前が入れ替わる。
房総の浜で「カレイ」と呼ばれて舟に積まれた大きな魚は、日本橋の魚河岸に着いた瞬間「ヒラメ」になる。同じ魚が、運ばれる途中で名前を取り替えている。
現代の「左ヒラメ右カレイ」は、魚の体をどう見るかの話です。江戸の呼び分けは、魚がどこにいるかの話でした。
2. 「頭をならぶる時は左右の違ひ有る物なり」
ところが、その数行あとに、こんな一節が出てきます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2539349 コマ30・著作権保護期間満了)
「又ある漁子、此魚両種相偶して洋中を游ぐ」。
また、ある漁師が言うには——この魚は二種が連れ立って沖を泳いでいる。
「頭をならぶる時は左右の違ひ有る物なりといへり」。
頭を並べてみると、左と右の違いがあるものだ、と。
安永四年、1775年。「左右の違い」に注目した言葉が、方言辞典のなかに残っています。
ただし、書かれ方には気をつける必要があります。これは吾山の断定ではなく、「ある漁師がそう言っていた」という伝聞のかたちです。しかも「二種が連れ立って泳ぐ」という、そのままでは受け取れない話とセットになっています。
それでも、浜で魚を触っている人間が、ヒラメとカレイを並べて「左右が違う」と言っていた。その一言が江戸の本に書き留められている——これは動かせません。
3. カレイは「片割れ魚」だった
そもそも、カレイという名前は何なのでしょうか。
江戸の本はだいたい同じ答えを書いています。出どころは『大和本草(やまとほんぞう)』、貝原益軒(かいばら・えきけん)が宝永六年(1709年)に出した本草書です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2557359 コマ35・著作権保護期間満了)
「此魚背黒ク腹白クシテ魚ノ半片ノ如シ」。
この魚は背が黒く腹が白く、魚の半身のようである。
「カタワレイヲト云意ニテ略シテカレイト名ヅク」。
「片割れ魚(かたわれいを)」という意味で、略してカレイと名づけた——。
ふつうの魚を縦に割った、その片方だけが泳いでいる。江戸の博物学者たちは、この魚をそう見ていました。
「半分の魚」という見方は、実は日本で始まったものではありません。
4. 中国では「二匹並ばなければ泳げない魚」だった
カレイに当てられた漢字は「鰈」のほかに、「王余魚」と「比目魚」があります。どちらも中国由来で、どちらにも物語がついています。
まず「王余魚」。平安時代の辞書『倭名類聚抄』に注をつけた『箋注倭名類聚抄』(狩谷棭斎(かりや・えきさい)校注)で、その由来を読むことができます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:991791 コマ12・著作権保護期間満了)
「俗云、越王膾魚未盡、因以殘半棄水中、爲魚、遂無其一面、故曰王餘也」。
世間ではこう言う。越王が膾(なます)を作りかけて食べ尽くさず、残った半身を水に捨てたら、それが魚になった。だから片面がない。それで「王餘(王の食べ残し)」というのだ——。
片側だけの魚、という発想は同じです。ただし日本の「片割れ魚」が姿かたちの説明なのに対し、中国の王余魚は王様の食べ残しが泳ぎ出したという話になっています。
もう一つの「比目魚」は、さらに極端です。同じページで、棭斎が古典の『爾雅(じが)』を引いています。
「東方有比目魚焉、不比不行、其名謂之鰈」。東方に比目魚がいる。「比(なら)ばざれば行かず」——二匹が並ばなければ泳げない。その名を鰈という。
注釈者の郭璞(かくはく)はさらに、この魚は目が一つしかなく、二枚が合わさってはじめて泳げると説明しました。
目が片側に寄っている魚を、中国の古典は「二匹で一匹前」の魚だと考えた。「比目」とは目を並べるという意味です。
——ところが、棭斎はこの説を認めていません。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:991791 コマ12・著作権保護期間満了)
「古人之附會」。昔の人のこじつけだ、と一言で切り捨てています。
続けて、郭璞の「一つ目で二枚合わさって泳ぐ」という説も根拠に足りないと書いています。
5. 「今のカレイは一つ目ではないし、独りで泳ぐ」
同じことを、もっと具体的に書いた人がいます。小野蘭山(おの・らんざん)。江戸後期を代表する本草学者です。
その講義録『本草綱目啓蒙』の巻四十(有鱗魚・無鱗魚)に、比目魚の項があります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ46・著作権保護期間満了)
『爾雅』のいう比目魚は二匹並ばなければ泳げない魚だ、と前置きしたうえで、蘭山はこう書きます。
「今ノカレイハ一目ニアラズシテ獨行ス」。
今のカレイは目が一つではないし、一匹で泳いでいる——。
実物を見れば、目は二つある。並んで泳いでもいない。伝説とは合わない。
では、なぜ比目魚という字を当てるのか。蘭山は理由も添えています。
「然レドモ魚、一片ハ黒ク一片ハ白クシテ比ス(ベキ状ニ似タリ)」。
ただ、片面が黒く片面が白くて、二枚が並んでいるように見える。だから比目魚の字を当てているだけだ、と。
言い伝えを字の説明として残しつつ、実物とは違うとはっきり書く。江戸後期の博物学は、こういう距離の取り方をしています。
6. そして「左片」「右片」が書かれた
その蘭山が、カレイとヒラメを別々に記載しています。ここが今回いちばんの発見でした。
まずカレイ。かたちと寸法を書いた続きに、こうあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ46・著作権保護期間満了)
「ソノ身右一片ハ黒クシ(テ細鱗アリ)」。
その身は右の一片が黒く、細かい鱗がある。次のページに続けて、左の一片は平たく色が白いと書いています。
カレイは右が黒い。つまり、目がある側が右。
そして、少し先に「一種ヒラメハ」として別項が立ちます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2555647 コマ47・著作権保護期間満了)
「コノ魚、左片灰黒色、カレイヨリ色アサシ。右片ハ白色」。
この魚は左の片が灰黒色で、カレイより色が浅い。右の片は白色——。
ヒラメは左が黒い。目がある側が左です。
カレイは右、ヒラメは左。享和三年(1803年)から文化三年(1806年)にかけて刊行された本に、現代とまったく同じ左右が書かれています。
ただし、書かれ方は現代と違います。蘭山はこれを「見分け方」として並べたわけではありません。カレイの記載とヒラメの記載を、それぞれ独立に書いた結果、左右が逆になっているだけです。標語にはなっていない。
「左ヒラメ右カレイ」という覚え方そのものが江戸にあった、とまでは言えません。言えるのは、左右の違いは江戸の本にすでに書き分けられていたということです。
ちなみにこの項には、大きなヒラメの呼び名も出てきます。「大ナル者ヲ戸板ト云」。二、三尺(60〜90センチ)を超えるものは戸板。松前には五尺(約1.5メートル)のものがいる、とも書いてあります。
7. 梅園が描いた、裏と表
文字で「左が黒い」「右が白い」と読んでも、まだ像を結びません。
同じ時代に、それを絵で残した人がいます。毛利梅園(もうり・ばいえん)。江戸の旗本で、目の前の実物を写生し、日付まで書き入れた彩色図譜『梅園魚品図正』を残しました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』・NDL PID:1287113 コマ16・著作権保護期間満了)
二匹を重ねて置き、手前に白い面、奥に黒い面を出しています。一枚の絵で、この魚が裏表でまるきり違うことが分かる。
別の丁では、それをもっとはっきり分けています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』・NDL PID:1287112 コマ14・著作権保護期間満了)
「鰈背之図」と「鰈腹之図」。背と腹を、別々の絵として描き分けています。
その右上には、梅園自身の書き入れがあります。「和名鈔云 王餘魚」に始まり、『朱厓記』を引いて「昔越王作鱠不盡、餘半棄水、因以半身爲魚、故曰王餘魚也」——越王が膾を作り残した半身が魚になった、だから王餘魚という、と。
実物を目の前に置いて写生しながら、同じ紙の上に千年以上前の伝説を書き写している。江戸の博物家の紙面は、こういう二重写しになっています。
そして同じ帖には、見開きいっぱいを使った一枚もあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』・NDL PID:1287112 コマ37・著作権保護期間満了)
紙いっぱいに、目のない側だけが描かれています。ヒレの一枚一枚まで数えられそうな精度で、何もない白い面が記録されている。
「半分の魚」「片割れ魚」という言い方が、この絵を見ると腑に落ちます。
8. 若狭から京へ運ばれた、蒸しガレイ
最後に、食べ方の話を少しだけ。
江戸時代、カレイの名産地として名が挙がるのは若狭・越前です。生のままでは京や江戸に届かないので、加工されました。
寛政十一年(1799年)刊の『日本山海名産図会』は、その製造をまるごと一枚の図にしています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会 5巻』・NDL PID:2575828 コマ22・著作権保護期間満了)
『大和本草』にも『本草綱目啓蒙』にも、カレイを塩水で蒸して半熟にし、浜の砂の上に並べて藁の席をかぶせ、数日干して「蒸鰈(むしがれい)」にするという趣旨の記述があります。両越(越前・越後)と若狭・丹後から、多く京へ運ばれたとも書かれています。
いまも若狭の名産として「若狭がれい」の干物が売られています。図に描かれた浜の風景は、二百年以上つながっていることになります。
まとめ
江戸の魚市では、ヒラメとカレイは大きさで呼び分けられていました。しかも房総の浜と江戸の市場では、その呼び名が逆でした。
いっぽうで、左右の違いに気づいていた人もいました。安永四年の『物類称呼』は、漁師の「頭をならぶる時は左右の違ひ有る物なり」という言葉を書き留めています。
そして享和から文化にかけての『本草綱目啓蒙』は、カレイを「右一片ハ黒」、ヒラメを「左片灰黒色・右片ハ白色」と、はっきり書き分けました。現代の「左ヒラメ右カレイ」と同じ左右です。
ただし江戸の本は、それを見分け方の標語にはしていません。実物を見て、そう書いた。それだけです。
標語のほうが先にあったのではなく、観察のほうが先にあった。原本をめくると、その順番が見えてきます。
出典
- 『物類称呼 5巻』巻二(越谷吾山・安永四年刊)コマ30——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『大和本草』巻十三(貝原益軒・宝永六年刊)コマ35——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『重訂本草綱目啓蒙』巻四十(小野蘭山)コマ46・47——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『箋注倭名類聚抄』巻八(源順撰・狩谷棭斎校注)コマ12——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『梅園魚品図正』2帖 コマ14・37(毛利梅園)——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『梅園魚品図正』2帖 コマ16(毛利梅園)——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『日本山海名産図会 5巻』コマ22(蔀関月・寛政十一年刊)——国立国会図書館デジタルコレクション
- 『古事類苑』動物部 コマ745-748——国立国会図書館デジタルコレクション(索引として使用)
💡 この記事でわかったこと
- 01
標語としての「左ヒラメ右カレイ」が江戸にあったことは、今回調べた範囲では確認できませんでした。
ただし左右への注目は江戸にあります。安永四年(1775年)刊『物類称呼』は「頭をならぶる時は左右の違ひ有る物なりといへり」という漁師の話を記録し、享和三年〜文化三年刊『本草綱目啓蒙』はカレイを「ソノ身右一片ハ黒ク」、ヒラメを「コノ魚左片灰黒色…右片ハ白色」と書き分けています(NDL PID:2539349 コマ30/PID:2555647 コマ46-47)。
- 02
『物類称呼』によれば、上方と西国ではどちらもカレイと呼び、江戸では大きいものをヒラメ、小さいものをカレイと呼びました。
さらに常陸・上総・下総の浜では大きいものをカレイ、小さいものをヒラメと呼び、江戸の魚市に着くと名前が入れ替わったと記されています(NDL PID:2539349 コマ30)。
- 03
『大和本草』(貝原益軒・宝永六年刊)は、この魚が「魚ノ半片ノ如シ」であることから「カタワレイヲ(片割れ魚)ト云意ニテ略シテカレイト名ヅク」と説いています(NDL PID:2557359 コマ35)。
中国由来の「王余魚」という字には、越王が膾を作り残した半身が魚になったという別の由来が伝えられています(『箋注倭名類聚抄』NDL PID:991791 コマ12)。
- 04
「目を並べる魚」の意です。
中国の『爾雅』は「東方有比目魚焉、不比不行、其名謂之鰈」——二匹並ばなければ泳げない魚だとし、注釈者の郭璞は目が一つしかないと説明しました。しかし江戸の学者はこれを否定しています。狩谷棭斎は「古人之附會(昔の人のこじつけ)」と書き、小野蘭山は「今ノカレイハ一目ニアラズシテ獨行ス」と書きました(NDL PID:991791 コマ12/PID:2555647 コマ46)。
SAKANA 編集部
良輔
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 古文献の記事は、国立国会図書館デジタルコレクション等で公開されている原本画像を 拡大して字を目視で照合し、読めた箇所だけを引用しています。