江戸時代のサンマは「魚中の下品」——サヨリと偽って売られた記録
九月になると、店先にサンマが並びます。
秋の刀の魚。字を見ただけで季節と形が分かる、よくできた名前です。落語の「目黒のさんま」もあって、江戸の庶民が七輪で焼いていた姿を、なんとなく思い浮かべます。
ところが江戸時代の本を開いても、この字は出てきません。
それどころか、この魚には自分の項目すら立てられていませんでした。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻1・NDL PID:1287112 コマ30・パブリックドメイン)
0. 江戸時代の本は、いまそのまま読める
国立国会図書館デジタルコレクションには、江戸時代の本が撮影されたままの画像で公開されています。著作権はとうに切れているので、誰でも、無料で、1ページずつ拡大して読めます。
ただ、開けばすぐ目当ての一行に届く、というわけにはいきません。江戸の本に索引はないからです。
そこで先に開くのが『古事類苑』。明治から大正にかけて編まれた、古典籍の巨大な引用集です。テーマごとに、あちこちの本の該当箇所をまとめて並べてくれています。
その動物部(第49冊、876コマ)の魚の巻を、頭からたどっていきます。鯛、鰹、鰤、鰆——魚の名前が一つずつ見出しになって並びます。
ところが、サンマの見出しがありません。
見つかったのはコマ739、それもサヨリの項の欄外でした。ページの上の余白に、小さく三文字だけ刷ってあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』第49冊・NDL PID:1874269 コマ739・パブリックドメイン)
サンマは、サヨリの項に間借りしていました。
なぜサヨリなのか。頭注の下に引かれていた一文が、そのまま答えになっています。
1. 「江戸ニテサンマト呼モノナリ」
引かれているのは『重訂本草綱目啓蒙』。書名の下に「蘭山小野先生 口授」とあるとおり、本草学者・小野蘭山が講義したものを門人が書き取り、さらに校訂して刊行した本です。いま開けるのは弘化4年(1847年)に刷られた版です。
そのサヨリ(鱵魚)の項に、こうあります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙 48巻』[17]・NDL PID:2555647 コマ26・パブリックドメイン)
「方言ニサヨリト呼モノハ、江戸ニテサンマト呼モノナリ」。
地方でサヨリと呼んでいるものは、江戸ではサンマと呼ぶものだ——。
つまり、同じ魚が土地によってサヨリと呼ばれたりサンマと呼ばれたりしていた。だから『古事類苑』の編者も、サンマをサヨリの項に置くしかなかったわけです。
続きは、そのまま呼び名の一覧になります。
「サンマハ勢州津ニテサイロト云、播州讃州ニテサイラト云」。
伊勢の津ではサイロ、播磨と讃岐ではサイラ。
江戸でサンマ、京都でサヨリ、伊勢でサイロ、播磨・讃岐でサイラ。ひとつの魚に、四つの名前が並んでいます。
『古事類苑』は同じページに、上方と江戸のことばを対にして並べた『皇都午睡』も引いています。「上方にて買(かう)て来るを江戸にて買(かっ)て来る」——そんな言い比べの列に、「さいらをさんま」が混じっています。
買うて来る/買って来る、と同じ調子で、さいら/さんま。方言の一項目あつかいです。
2. 「いつわってサヨリの名で売る」
呼び名がぶれるだけなら、まだ話は牧歌的です。
百年ほどさかのぼって、『和漢三才図会』を開きます。寺島良安が編んだ、天地のあらゆる事物を図つきで解説した百科事典です。原著は正徳2年(1712年)頃の成立で、いま読めるのは明治18年(1885年)に活字で組み直された版です。
その巻第四十九「江海有鱗」に、「佐伊羅魚」という項があります。ふりがなは「さいら」。

本文は次のページに続きます。読んでいくと、途中から様子がおかしくなります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』中之巻・NDL PID:898161 コマ200・パブリックドメイン)
はじめは、ふつうの記載です。
「状似馬鮫而狹長、背似鱵、大者八九寸」。
形は馬鮫(サワラ)に似て細長く、背は鱵(サヨリ)に似る。大きなもので八、九寸——およそ24〜27センチ。今日スーパーに並ぶサンマとだいたい同じです。
問題はその次でした。
「脂多取為燈油、或作鮑、以詐名鱵販之」。
脂が多いので、取って灯油にする。あるいは加工して、いつわってサヨリの名で売る——。
食べるためではなく、まずあかりの油として書かれている。そして売るときは、自分の名前では売れなかった。
とどめが、そのあとの一行です。
「伊賀大和土民好食之、魚中之下品也」。
伊賀・大和の土地の者はこれを好んで食べる。魚の中の下品である——。
下品(げひん)は、いまの「下品」ではなく等級がいちばん下という意味です。それにしても、はっきりした言い方です。
そして最後。
「故鱵稱真佐與利別之」。
だから(本物の)サヨリのほうを「真サヨリ」と称して区別する——。
にせものが出回りすぎて、本物のほうが名前を変えて名乗り直している。サンマは、サヨリの偽物として市場に立っていました。
3. 「上饌に充らず、病人によろしからず」
時代を江戸の終わりに寄せてみます。
『魚鑑』は天保2年(1831年)、武井周作がまとめた魚の事典です。魚ごとに、産地・味・食べ方・体への良し悪しを数行ずつ書き並べていく本で、江戸の魚屋の店先に近い距離感があります。
その下巻に、ひらがなで「さんま」の項が立っています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『魚鑑』2巻[2]・NDL PID:2557483 コマ29・パブリックドメイン)
書き出しから、そっけない。
「さんま 漢名しれず」。
中国の本のどの名前に当たるのか分からない、という意味です。当時の博物学は、漢籍の名前に当てはめられて初めて「素性が分かった」ことになりました。それができない魚は、宙に浮いたままです。
続きはこうです。
「秋冬の交、房総海多し、淡塩して鬻ぐ」。
秋から冬にかけて、房総の海に多い。薄く塩をして売る。
生ではなく、塩物です。
「又鮮なるもの炙食するによし」——新しいものは炙って食べるとよい。ここでやっと、いまのサンマの姿が出てきます。
ところが、そのすぐあとで突き放されます。
「上饌に充らず、病人によろしからず」。
上等な膳に出すものではない。病人には向かない——。
そして最後に、もう一度あの話が出てきます。
「京都にてはさよりと稱ふ」。
4. 生のサンマを、その年ようやく手に入れた
ここまで、文字ばかりでした。姿を見ておきます。
『梅園魚品図正』は、毛利梅園が実物を前にして描いた彩色写生図集です。手に入れた魚を、その日の日付とともに写しとっていきました。同じページのもう一尾には「癸巳八月十二日 永代橋之邊 釣真寫」——永代橋のあたりで釣った、と書いてあります。江戸の川べりで描いていた人です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻1・NDL PID:1287112 コマ30・パブリックドメイン)
青い背、銀の腹、とがった下あご。いま見るサンマそのものです。
おもしろいのは、絵の脇に書き込まれた八行のほうでした。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻1・NDL PID:1287112 コマ30・パブリックドメイン)
「此者房州常州ヨリ、多ク塩ニ〆遠ニ送ル」。
これは房州(千葉)・常州(茨城)から、多くは塩をして遠くへ送られる——。
「生ナルハ味不美而遠ニ送ル事少シ、故ニ見ル人稀也」。
生のものは味がよくないので遠くへ送られることが少ない。だから生を見る人は稀である——。
そして次の一行が、この記事でいちばん好きなところです。
「生ナル者今年漸ク得之」。
生のものを、今年ようやく手に入れた——。
永代橋のたもとで魚を写していた人が、生のサンマを一尾手に入れるのに、それだけ待っている。産地は目と鼻の先の房総です。
締めくくりも冷静でした。
「総テ塩ニ和シテ味美ナル者ハ、生魚ニ〆味不宜、鱒鮭最同シ」。
総じて塩をして味のよいものは、生の魚では味がよくない。鱒・鮭もまったく同じである——。
塩鮭・塩鱒と同じ棚に置かれている。江戸のサンマは、焼きたてを囲む魚ではなく、樽で届く塩物でした。
5. 「秋刀魚」の字が現れるまで
ここまで開いた本を並べてみます。
『和漢三才図会』は「佐伊羅魚」。『本草綱目啓蒙』は「サンマ」とカタカナ。『魚鑑』は「さんま」とひらがな。梅園は「サンマ」。
「秋刀魚」は、どこにも出てきません。
この三文字が現れるのは、時代がひとつ変わってからでした。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本水産捕採誌』上巻・NDL PID:842749 コマ141・パブリックドメイン)
『日本水産捕採誌』。明治44年(1911年)に農商務省水産局が出した、全国の漁法をまとめた官庁の報告書です。
その旋網の章に、「第十一 秋刀魚網」という節が立っています。見出しの「秋刀魚」には、ふりがなで「サンマ」。
本文はこう始まります。
「秋刀魚は東海に於て多く之を漁獲し、関東にては専ら『サンマ』と称し、関西にては『サイレ』又は『サイラ』或は『カド』とも称す」。
役所の文書に「秋刀魚」の三文字が定着した一方で、呼び名の東西差はそのまま残っています。関東はサンマ、関西はサイラ。百年前に小野蘭山が書き取ったのと、同じ線です。
「安房国、志摩国、紀伊国を以て殊に盛漁の地」——房総が主産地であることも、梅園の書き入れから変わっていません。
変わったのは、字と、扱いだけでした。
下品から、秋の代表へ
脂が多いから灯油にされ、名前を偽って売られ、上等な膳には出せないと書かれた魚が、いまは秋の食卓の主役です。
脂が多いという性質は、二百年前も今日もまったく同じです。評価のほうが、ひっくり返りました。
そして「秋刀魚」というよくできた字は、この魚が長く持てなかったもの——自分の名前を、ようやく手に入れたときの姿なのだと思います。
ここに引いた本はすべて、国立国会図書館デジタルコレクションで無料公開されています。PIDとコマ番号を入れれば、同じページがそのまま開きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『古事類苑』動物部 / 『重訂本草綱目啓蒙 48巻』[17] / 『和漢三才図会』中之巻 / 『魚鑑』2巻[2] / 『梅園魚品図正』巻1
💡 この記事でわかったこと
- 01
地方によって呼び名がまるで違いました。
『重訂本草綱目啓蒙』(弘化4年刊)は、江戸では「サンマ」、伊勢の津では「サイロ」、播磨・讃岐では「サイラ」と記し、さらに「方言ニサヨリト呼モノハ、江戸ニテサンマト呼モノナリ」として、地方でサヨリと呼ぶものが江戸のサンマだと説明しています。『魚鑑』も「京都にてはさよりと稱ふ」と書いています。
- 02
今回開いた江戸時代の本には「秋刀魚」の字は一度も出てきません。
『和漢三才図会』は「佐伊羅魚」、『魚鑑』は「さんま」、『梅園魚品図正』は「サンマ」と書いています。この三文字が確認できたのは、明治44年(1911年)に農商務省水産局が刊行した『日本水産捕採誌』の「第十一 秋刀魚網」という節で、見出しには「サンマ」とふりがながついています。
- 03
『和漢三才図会』巻第四十九は、サンマ(佐伊羅魚)を「魚中之下品也」——魚の中の下品である、と書いています。
脂が多いので取って灯油にし、加工していつわってサヨリの名で売る、ともあります。『魚鑑』も「上饌に充らず、病人によろしからず」として、上等な膳に出す魚ではないとしています。
- 04
生のサンマは江戸ではめずらしいものでした。
彩色写生図集『梅園魚品図正』の書き入れには、房州・常州から多くは塩をして送られてくること、生のものは味がよくないので遠くへ送られることが少なく「見ル人稀也」であること、そして生のものを「今年漸ク得之」——今年ようやく手に入れた、と記されています。年記は癸巳(天保4年・1833年)七月廿九日です。
- 05
サンマとサヨリは、どちらも細長い銀色の魚です。
『和漢三才図会』はサンマ(佐伊羅魚)を「状似馬鮫而狹長、背似鱵」——形はサワラに似て細長く、背はサヨリに似る、と記しています。そのうえで、いつわってサヨリの名で売る者がいるため、本物のサヨリのほうを「真サヨリ」と称して区別する、と書いています。
SAKANA 編集部
良輔
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 古文献の記事は、国立国会図書館デジタルコレクション等で公開されている原本画像を 拡大して字を目視で照合し、読めた箇所だけを引用しています。