「木に縁りて魚を求む」の意味と由来 孟子は「まだまし」と言った
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孟子は、木に登って魚を探すのはまだましな方だと言っていました。「木に縁りて魚を求む」(きによりてうおをもとむ)の意味は、やり方が目的に合っていないので、とうてい望みがかなわないことのたとえで、木に登って魚を探しても見つかるはずがない、という当たり前の理屈から来ています。ところが出典の『孟子』を江戸の注釈書で開くと、この言葉には続きがあり、そこで孟子が本当に戒めていたのは、魚の話よりずっと危ないことでした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(広重『魚尽』〔ひらめ・めばる・桜〕・NDL PID:1306176・著作権保護期間満了)
四書の訳本に載っていた続き
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで、江戸以前の古典籍に絞り、漢文のままの「縁木求魚」で引くと41冊が当たりました。ほとんどが『孟子』を含む四書の注釈書や中国の本で、この言葉がまず漢文の勉強のなかで読まれていたことが、その顔ぶれから分かります。
そのなかから、読み下しと訳のついた渓百年の『経典余師(けいてんよし)』を選びました。四書の漢文を大きな字で組み、上の段に仮名まじりの訳を添えた本で、同じ本の嘉永5年=1852年の版もNDLにあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『経典余師』・渓百年・NDL PID:2599287 コマ26・著作権保護期間満了)
上の段の訳によれば、王は土地を広げ、秦や楚を従わせ、天下に臨みたいと望んでいます。孟子はそれに対して、そのやり方でその望みを求めるのは木に登って魚を求めるようなものだ、と言い、王が驚いて問い返すところで、この一節の本題が始まります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『経典余師』・渓百年・NDL PID:2599287 コマ26・著作権保護期間満了)
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翻刻
(訳)たとへバ地上の木に取付居て水中の魚を求るなり(本文)王曰 若是其甚與 曰 殆有甚焉縁木求魚 雖不得魚 無後災以若所爲 求若所欲 盡心力而爲之 後必有災(訳)……たとへバ木に縁て魚をとるハたとへ得ずとも……
現代語訳
(訳)たとえば、陸の木にしがみついて、水の中の魚を求めるようなものだ。/(本文)王が「そんなにひどいのか」と聞くと、孟子は「もっとひどい。木に登って魚を求めるのは、魚が得られなくても後の災いはない。だが王のやり方で王の望みを求め、心も力も尽くせば、後に必ず災いがある」と答えた。
王が「そんなにひどいのか」と聞くと、孟子は「殆有甚焉」、もっとひどい、と答えます。木に縁りて魚を求めるのは、魚が手に入らないだけで、あとで災いが来ることはない。けれど王のやり方で王の望みを求め、心も力も尽くしてやれば、あとで必ず災いがある、と続けていました。
つまり『孟子』のなかで「木に縁りて魚を求む」は、ばかげているが、害のないほうのたとえとして持ち出されていて、孟子が言いたかったのは、戦で天下を取ろうとすることはそれよりもっと悪い、ということでした。上の段の仮名の訳は、このたとえを「たとへバ地上の木に取付居て水中の魚を求るなり」と、陸の木にしがみついて水の中の魚を探すようなものだ、と言いかえています。同じ段の少し先では、本文の、魚を得ずといえども後の災いなし、にあたるところを「……たとへバ木に縁て魚をとるハたとへ得ずとも……」と仮名でほどいていて、魚が取れなくても、というところまではっきり訳してあるのに、ことわざとして覚えられたのは、その手前の半分だけでした。
梢に登って魚を釣りたい、という講義の書き入れ
写本で残る大田玄齢の『孟子講説』は、『孟子』の本文に講義の言葉を書き入れた本で、同じ一節のわきに片仮名の書き入れがありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『孟子講説』4巻[1]・大田玄齢・写本・NDL PID:2596144 コマ18・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『孟子講説』4巻[1]・大田玄齢・写本・NDL PID:2596144 コマ18・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
(本文)若所欲 猶縁木(書き入れ)木ノウラニ上テ魚ヲ釣タイト求メル羊ナモノダ
現代語訳
(本文「猶縁木求魚」のわきに)木の梢に登って、魚を釣りたいと求めるようなものだ。
大きな字の漢文の右や下に、小さな片仮名で講義の言葉がびっしり書き込まれたページで、本文の「若所欲 猶縁木」のわきに、この一行が添えられています。木の「うら」は梢のことで、梢に登って魚を釣りたいと求めるようなものだ、という言いかえです。『経典余師』の「地上の木に取付居て」よりさらに絵が浮かびやすく、講義を聞く人に、それがどれほど無理なことかを目に見えるように話していたことがうかがえます。
明治の辞書は「畑に蛤」を並べた
明治43年(1910年)の『諺語大辞典』は、藤井乙男が編んだことわざの大きな辞典で、この言葉にも項を立てています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ169・著作権保護期間満了)
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翻刻
【木ニ緣ツテ魚ヲ求ム】手段と目的と相應ぜずして、到底功を奏し難き喩。〔孟子〕梁惠王篇、以若所爲、求若所欲、猶緣木而求魚也。
現代語訳
「木に縁りて魚を求む」。手段と目的が合っていないので、とても成功しないことのたとえ。出典は『孟子』梁恵王篇。
手段と目的が合っていないので、とても成功しないことのたとえ、という説明は今の辞書とほとんど変わりません。ただ、引かれている『孟子』は最初の一文だけで、「後の災いなし」の続きは載っておらず、ことわざとして独り立ちするあいだに、孟子の話の後半が落ちていたことが分かります。この項のあとには英語とオランダ語の似た言い方も並べられていて、同じ辞典の「は」の部には、日本のことわざが出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ417・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
【畠ニ蛤】絶無の喩。畠ニ蛤掘ツテモナイともいふ。【畠ニ蛤ヲ求ムルヤウ】木ニ緣ツテ魚ヲ求ムに同じ。〔俚言集覧〕
現代語訳
「畑に蛤」。まったくないことのたとえ。「畑に蛤掘ってもない」とも言う。/「畑に蛤を求めるよう」。「木に縁りて魚を求む」と同じ。出典は『俚言集覧』。
「畑に蛤を求めるよう」は木に縁りて魚を求むと同じ、とあり、出典は俗語を集めた辞書『俚言集覧』です。そのすぐ上には【畠ニ蛤】という短い項もあって、こちらは畑に蛤などまったく無い、という意味で使われていました。さらに「や」の部には「山に蛤求むる」の項があって、中国の占いの書『易林』の「上林求魚(林で魚を求め)、入水捕兎(水に入って兎を捕る)」と並べ、『孟子』の「猶緣木求魚也」を引いています(NDL PID:862766 コマ532)。
木に魚、畑や山に蛤と、いる場所をまちがえて探すという同じ形のたとえが、中国にも日本にもありました。江戸の『経典余師』が陸の木と水中の魚を対にし、写本の講義が梢で釣り糸を垂らす姿にし、明治の辞書が畑の蛤と並べたように、言いかえは時代ごとに変わっても、場所ちがいの探し物という芯は同じです。
違うのは、孟子がこのたとえを使った理由のほうでしょう。原本で読むと、木に登って魚を探す愚かさは、魚が得られないだけで済むという点で、むしろ穏やかな例として出されていました。今の辞書の意味は正しいのですが、孟子にとってこれは、天下を力で取ろうとする王に向けた、もっと危ない話の前置きでした。
この記事でわかったこと
やり方が目的に合っていないので、とうてい望みがかなわないことのたとえです。
明治43年の『諺語大辞典』は「手段と目的と相應ぜずして、到底功を奏し難き喩」と説明しています(NDL PID:862766 コマ169)。
中国の古典『孟子』の梁恵王篇です。
『経典余師』の本文に「縁木求魚、雖不得魚、無後災」とあり、孟子は、木に登って魚を探すのは魚が得られないだけで後の災いはないが、王のやり方で望みを求めれば後に必ず災いがある、と続けています(NDL PID:2599287 コマ26)。
「畑に蛤を求めるよう」があります。
明治43年の『諺語大辞典』は、俗語辞書『俚言集覧』を引いて「木ニ緣ツテ魚ヲ求ムに同じ」としています(NDL PID:862766 コマ417)。「山に蛤求むる」の項もあります(同コマ532)。
『経典余師』は「たとへバ地上の木に取付居て水中の魚を求るなり」(NDL PID:2599287 コマ26)、写本の『孟子講説』の書き入れは「木ノウラニ上テ魚ヲ釣タイト求メル羊ナモノダ」(木の梢に登って魚を釣りたいと求めるようなものだ)と言いかえています(NDL PID:2596144 コマ18)。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 〔ひらめ・めばる・桜〕
- 経典余師.[7]
[渓百年] [著]
- 孟子講説 4巻.[1]
大田玄齢
- 諺語大辞典
藤井乙男 編 明43.3
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