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魚へんの漢字

魚へんに参の読み方はアジ|鯵の漢字の由来、平安の字は「参」ではない

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難易度 初級

この字、読めますか?

鯵

訓
あじ
音
ソウ
画数
19画
この記事の目次

平安時代の辞書『和名抄』に載るアジの字は、見出しを拡大すると右側が「品」の下に「木」、つまり「喿(そう)」で、いま使う「参」とも旧字体の「參」とも違う形をしていました。アジを漢字で書くと「鯵」、魚へんに「参」で、辞書やお店の品書きで見かける「鰺」は魚へんに常用漢字表が「参」の旧字体として挙げる「參」なので、鯵と鰺は同じ字の新しい形と古い形にあたります。鯵の漢字の由来をたどると、この二つの差よりも、その一段手前の喿と參のあいだに大きな分かれ目がありました。

『梅園魚品図正』のマアジの彩色図。青緑の背と銀色の腹、体の後ろ半分に鋸歯のようなうろこの列
毛利梅園が写生したマアジ。右下の書き入れに「順和名抄曰 鰺 マアヂ」、その右に「竹筴魚」。体の後ろ半分には、のこぎりの歯のようなうろこの列が描かれている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287112 コマ21・著作権保護期間満了)

毛利梅園が写生したマアジには「順和名抄曰 鰺 マアヂ」と書き入れがあり、こちらは參の形です。

「鯵」の基本データ

読み
あじ(訓)/ソウ(音)
画数
19画(魚へん11画+右側8画)
形
魚へんに「参」。旧字体は魚へんに「參」の「鰺」
由来
平安時代の辞書『和名抄』の字は魚へんに「喿」(鱢)。狩谷棭斎は、それを參の形に書いた鰺を俗な書き方とした
中国では
字書で魚へんに參の字は、小さな魚でつくる鮓(すし)の名前
難易度
初級

読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9BF5)による

鯵=魚+参うおへん参加の参

アジの字の音をあらわす注「與騒同」(騒と同じ音)を、次世代デジタルライブラリーで古典籍に絞って引くと3冊が出てきて、そのうち一冊が源順(みなもとのしたごう)の『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』、略して『和名抄』でした。開いたのは、江戸後期の考証学者・狩谷棭斎(かりや・えきさい)がびっしり注をつけた『箋注倭名類聚抄』(明治16年刊)で、字の異同まで書き込んであるこの本の、龍魚部をおさめた巻八のコマ16です。

『箋注倭名類聚抄』巻八コマ16の見開き。左ページの頭に魚へんに喿の見出し、右ページに「鰕」
『箋注倭名類聚抄』巻八の見開き。左ページの頭の二つめの見出しが、アジの字(魚へんに喿)。大きな字が和名抄の本文、小さな二行の字が棭斎の注。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第8・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991791 コマ16・著作権保護期間満了)

左ページの頭の二つめの見出しがアジの字で、今の文字コードでは「鱢」にあたる形です。

和名抄の字は魚へんに「喿」、読みは「阿知」

『箋注倭名類聚抄』巻八コマ16の魚へんに喿の項、和名抄の本文と棭斎の注の翻刻
「鱢 崔禹食經云、鱢(蘇遭反、與騒同、阿知)……味甘温無毒、貌似……而尾白刺相次者也」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第8・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991791 コマ16・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

鱢崔禹食經云、鱢(蘇遭反、與騒同、阿知)(○下總本有和名二字、新撰字鏡同訓、阿遲、又出天平九年官符、見類聚符宣抄)味甘温無毒、貌似……而尾白刺相次者也

現代語訳

魚へんに喿の字。『崔禹錫食経』にいう、この字(音は「蘇遭の反切」で騒と同じ。和名はアチ)。(棭斎の注:下総本には「和名」の二字がある。『新撰字鏡』も同じ読みでアヂ。また天平9年の官符にも出てくる。『類聚符宣抄』に見える)味は甘く温で毒はない。姿は……に似て、尾には白いとげが次々と並んでいる。

和名抄は中国の食物の本『崔禹錫食経(さいうしゃくしょくきょう)』を引いて、「鱢(蘇遭反、與騒同、阿知)」、この字の音は騒と同じで和名は「阿知(あち)」だ、と書き、「味甘温無毒」、味は甘く体を温め毒はない、さらに「而尾白刺相次者也」、尾には白いとげが次々と並んでいる、と続けています。冒頭の梅園の絵を見直すと、体の後ろ半分にのこぎりの歯のようなうろこの列がはっきり描かれていて、平安時代の辞書が引いた尾に並ぶ白いとげの特徴と重なります。棭斎もこの項の注の終わりで「其爲阿知無疑」、これがアチであることは疑いない、と書いていました。

喿が參に入れかわる

魚へんに「參」の字がどこから来たのかについては、棭斎の注が写本ごとの字の違いを書きとめています。

『箋注倭名類聚抄』巻八コマ16の棭斎の注「總本作鰺、刻版本同、與本」と「廣韻云繰俗作縿、故鱢亦俗作鰺」の大写し
棭斎の注の大写し。右が「(伊勢本下)總本作鰺、刻版本同、與本(草和名合)」、左が「廣韻云、繰俗作縿、故鱢亦俗作鰺」。二か所を切り出して並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第8・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991791 コマ16・著作権保護期間満了)

「伊勢本下總本作鰺、刻版本同」、伊勢本と下総本という写本は魚へんに「參」で書いていて、刊本も同じだ、というので、和名抄の写本の時点で、すでに參の形が使われていたことになります。そのわけを棭斎は「廣韻云、繰俗作縿、故鱢亦俗作鰺」と説明していて、中国の韻書『広韻』には糸へんの「繰」は俗に「縿」と書くとあるので、魚へんに喿の字もまた俗に魚へんに參と書くのだ、という理屈です。

「繰」と「縿」、「鱢」と「鰺」は、どちらも右側の「喿」が「參」に入れかわっていて、糸へんでそうなら魚へんでも同じことが起きる、鰺は和名抄の字をくずした俗な書き方だ、というのが棭斎の考えでした。今の「鯵」は、その「參」を新しい字体の「参」にした形です。

今の字だけで考えると、ここは取り違えやすいところで、「鰺」と「鯵」を並べると、どちらかが本来の字でどちらかが俗字のように見えます。けれども二つの違いは參と参という旧字体と新字体の差にすぎず、本来の字と俗字の分かれ目は、原本の見出しを拡大してはじめて見えてくる喿と參のあいだにありました。

和名抄の見出しの魚へんに喿の字と、梅園の書き入れの魚へんに參の字を並べた大写し
右が『箋注倭名類聚抄』の見出しの字(活字)。右側は「品」の下に「木」の「喿」。左が『梅園魚品図正』のマアジの書き入れの字(筆)。右側は「參」で、下に「彡」の払いが見える。二つの本から切り出して並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第8・NDL PID:991791 コマ16/『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ21・著作権保護期間満了)

梅園がマアジの絵に「順和名抄曰 鰺」と書き入れたときも、和名抄を引きながら字は喿ではなく參の形で書いているので、江戸の図譜のなかでも、ふだん使いの字は棭斎のいう俗な書き方のほうだったことになります。

中国の字書では、小さな鮓の字

ところが中国の字書のなかの魚へんに參の字は、アジとは関係のない字でした。同じ和名抄の食べ物の部、すし(鮨)の項は『箋注倭名類聚抄』巻四のコマ59で始まり、コマ60まで読み進めると、和名抄の本文にこうあります。

『箋注倭名類聚抄』巻四コマ60の和名抄本文「野王案大魚曰鮺也……小」「魚曰鰺」の大写し
右が「(鮓)也。野王案、大魚曰鮺也。○玉篇……小」の列、左が次の列の頭「魚曰鰺」。大きな字が和名抄の本文、小さな字が棭斎の注。二か所を切り出して並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第4・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991787 コマ60・著作権保護期間満了)

「野王案、大魚曰鮺也、小魚曰鰺」。中国の字書『玉篇』をまとめた顧野王(こやおう)の説として、大きな魚でつくったすしを鮺といい、小さな魚でつくったものを鰺という、と書いていて、ここの鰺は右側がはっきり「參」の形をしています。魚へんに參の字は、小さな魚の鮓(すし)の名前だったのです。江戸の学者がまず開いた中国の本『本草綱目(ほんぞうこうもく)』(承応2年=1653年の和刻本)の「魚鮓」の項にも、同じことが書いてありました。

『本草綱目』承応2年刊本 巻四十四コマ108の見開き。右ページに見出し「魚鮓」
『本草綱目』巻四十四の見開き。右ページのはじめの見出しが「魚鮓」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ108・著作権保護期間満了)
『本草綱目』コマ108の魚鮓の釈名「大者曰鮓、小者曰鰺」の大写し
魚鮓の釈名の一列の下半分。「大者曰鮓、小者曰鰺」。木版の字なので、いちばん下の字は形がくずれている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ108・著作権保護期間満了)

「大者曰鮓、小者曰鰺」、大きいものを鮓といい、小さいものを鰺という、という一行です。棭斎のいうとおり日本の「鰺」が和名抄の字をくずした俗な書き方なら、それはたまたま、中国ですでに別の意味を持っていた字と同じ形になったことになります。

明治の図鑑は「鰺又ハ竹筴魚ノ字ヲ用ユ」

梅園の絵には、もう一つの字が書き入れてありました。振り仮名「アヂ」の「竹筴魚」で、出典として『産物志』という本の名が添えられています。

『梅園魚品図正』のマアジの書き入れ「竹筴魚(アヂ)産物志」「海魚類 順和名抄曰 鰺 マアヂ 一種」の大写し
マアジの絵の右下の書き入れの大写し。右に「竹筴魚(アヂ) 産物志」、左に「海魚類 順和名抄曰 鰺 マアヂ 一種」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287112 コマ21・著作権保護期間満了)

明治30年(1897年)に大日本水産会が主な水産動物を絵と解説でまとめた『日本重要水産動物図』では、アジの項がこう始まります。

『日本重要水産動物図』解説コマ26の「(138)まあぢ 又單ニあぢト云フ鰺又ハ竹筴魚ノ字ヲ用ユ」の列と翻刻
「(138) まあぢ 又單ニあぢト云フ。鰺又ハ竹筴魚ノ字ヲ用ユ。支那ニテハ……魚ト云」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本重要水産動物図』解説・大日本水産会編・明治30年・NDL PID:1086762 コマ26・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

(138) まあぢ 又單ニあぢト云フ。鰺又ハ竹筴魚ノ字ヲ用ユ。支那ニテハ……魚ト云

現代語訳

(138) まあぢ。単に「あぢ」ともいう。鰺、または竹筴魚の字を使う。中国では……魚という。

「鰺又ハ竹筴魚ノ字ヲ用ユ」とあり、明治の図鑑が選んだのは、和名抄の魚へんに喿ではなく、棭斎が俗な書き方と呼んだ魚へんに參の字でした。もう一つの「竹筴魚」は今の中国語でもアジの名前で、魚類の国際データベースFishBaseでマアジ(Trachurus japonicus)を引くと、中国名に「日本竹筴魚」が載っています。

平安時代の辞書の字は魚へんに喿で、写本の段階ですでにその右側を參の形に書いた俗な書き方の鰺が使われていて、今の鯵はその參を新しい字体の参にした形です。その途中で、日本のアジの字は、中国の字書では小さな魚でつくる鮓の名前だった字と、たまたま同じ形に落ち着いたことになります。

鯵

  • 読みは「あじ」。魚へんに参、19画
  • 「鰺」は參で書いた旧字体。鯵と同じ字
  • 平安時代の辞書『和名抄』の字は魚へんに「喿」(鱢)
  • 狩谷棭斎は「故鱢亦俗作鰺」。喿を參に書いたのが俗な書き方
  • 中国の字書では「小魚曰鰺」。小さな魚の鮓の名前だった

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すしの字「鮨」と「鮓」については鮨の漢字の由来の記事で読んでいます。ほかの魚へんの字は魚へんの漢字の由来の一覧へ。

マアジの図(横から見た姿)
マアジ(Trachurus japonicus)の図。FishBase の写真(標本2枚・FAO の側面図)、iNaturalist の写真(kohanabachi)、Wikimedia Commons の写真(Totti)に輪郭を重ねて形を確かめ、AIで作図しました。ひれの数などはFishBase(背びれ 棘9・軟条30–35、臀びれ 棘3・軟条26–30、稜鱗69–73)と照らしました。写真ではありません。 ほかの魚の図

この記事でわかったこと

  • 平安時代の辞書『和名抄』のアジの字は、魚へんに「喿」(鱢)です。

    江戸後期の狩谷棭斎は「廣韻云、繰俗作縿、故鱢亦俗作鰺」と書き、魚へんに參の「鰺」はその俗な書き方だとしています(『箋注倭名類聚抄』巻8・NDL PID:991791 コマ16)。今の「鯵」は、參を新しい字体の参にした形です。

  • 右側が「參」か「参」かの違いで、鰺が旧字体、鯵が新字体にあたります。

    どちらも、和名抄の見出しの字(魚へんに喿)を俗に書いた形から来ています。棭斎の注によれば、和名抄の写本(伊勢本・下総本)や刊本はすでに魚へんに參で書いていました(NDL PID:991791 コマ16)。明治30年の『日本重要水産動物図』も「鰺又ハ竹筴魚ノ字ヲ用ユ」としています(NDL PID:1086762 コマ26)。

  • 中国の字書では、魚へんに參の字は小さな魚でつくった鮓(すし)の名前でした。

    和名抄は顧野王の説として「大魚曰鮺也、小魚曰鰺」を引き(『箋注倭名類聚抄』巻4・NDL PID:991787 コマ60)、『本草綱目』も魚鮓の項で「大者曰鮓、小者曰鰺」と書いています(NDL PID:2556596 コマ108)。今の中国語でアジは「竹筴魚」で、FishBaseのマアジの中国名は「日本竹筴魚」です。

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