イワシの語源は「弱い魚」——新井白石と良安が書いた鰯の字
スーパーでいちばん安い魚、といえばイワシ。でもこの魚、漢字で書くと「魚へんに弱い」で鰯です。イワシの語源は、なんで「弱い」なのか。
300年前の学者が、この問いに真剣に答えていました。
同じ一語で引くと、載っていない本も見えてくる
国立国会図書館デジタルコレクションには、江戸時代の本が撮影されたままの画像で公開されています。著作権はとうに切れているので、誰でも、無料で、1ページずつ拡大して読めます。
こういうときにSAKANAがやるのは、同じ一語で、成立年順に何冊も引くという単純な作業です。まず各冊の目録(もくろく)のコマを開いて見出しが立っているかを確かめ、立っていれば本文のコマへ降りる。
この方法の利点は、載っていない本も分かることです。今回でいえば、江戸最大級の食物百科『本朝食鑑』には鰯の主項目が見当たりませんでした。巻九の目録(NDL PID:2557334 コマ2)にも、鰯・鰮の見出しはありません。
そこで実質、語源辞典『東雅』と総合百科『和漢三才図会』の二冊で読んでいくことになります。まず、この魚の姿を見ておきます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
今回あたった二冊と、一冊の不在
まず頼ったのは、江戸の書物界のビッグネーム三冊——語源辞典『東雅』、食物百科『本朝食鑑』、総合百科『和漢三才図会』。ところが鰯については 本朝食鑑には鰯の主項目が見当たりませんでした。巻9「鱗部之三 江海無鱗類 三十七種」の目録にも、鰯・鰮の見出しはありません。そのため今回は実質 『東雅』と『和漢三才図会』の二冊 が主役になります。
書名 | 鰯の扱い | 所在 |
|---|---|---|
東雅(新井白石, 1717) | 独立項目あり。字源・語源の考証 | 巻19 鱗介部、PID 993111 コマ37 左ページ |
和漢三才図会(寺島良安, 1712頃) | 図入りの独立項目。見出しは俗字「鰯」、本文に「鰛」も併用 | 巻49 江海有鱗魚、PID 898161 コマ205 |
本朝食鑑(人見必大, 1697) | 独立項目なし。鯨の油の記述などで副次的に言及 | PID 2557334 巻9 目録に見出しなし |
ここで面白いのは、同じ江戸中期の百科事典でも、鰯を収録するかどうかに差があるということ。『本朝食鑑』は食物の効能を軸にした書物なので、魚油の材料として言及はあっても、独立した食物項目としては立てていません。『東雅』は語源辞典、『和漢三才図会』は総合百科事典なので、それぞれ独立項を立てている——書物の性格が、扱いに反映されているわけです。
新井白石『東雅』——「イワシは水を離れるとすぐ死ぬから弱也」
『東雅』は、新井白石(1657〜1725)が享保2年(1717年)に著した全20巻の日本語語源辞典で、今回参照しているのは 明治36年(1903年)刊、大槻如電校訂の活字翻刻本(吉川半七 発行、PID 993108〜993112)です。

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鰯はコマ37左ページに
鰺(コマ34)からわずか数コマ後、PID 993111 コマ37 左ページ上段右 に「鰯 イワシ」の見出しがあります。
コマ37の全体図
まず、鰯の項があるコマ37のページ全体を見てみましょう。右ページは前の項目(王餘魚=カレイの類)の続き、左ページ上段から鰯の項が始まります。

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鰯の項のクローズアップ

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出典:『東雅』巻19 鱗介(新井白石、1717年。明治36年刊 大槻如電校訂活字本)国立国会図書館デジタルコレクション PID:993111 コマ37(著作権保護期間満了)
📚 NDLで原典を読む
▶ 『東雅』巻19 鱗介部 コマ37(鰯の項)を NDL で開く
▶ 『東雅』第一冊(目録含む)を NDL で開く
本文と現代語訳
クローズアップ画像で字を照合できた本文を引用します。
【原文】
「鰯イワシ 倭名鈔に漢語抄を引て。鰯はイワシ 〓はヒシコイワシといふ。今按鰯字未詳と註したり。漢語抄に堅魚を鰹に作りし例に依らば。弱魚の字また鰯に作りしも知るべからず。イワシとは弱也、其水を離れぬれば。たやすく死するをいふ也」
【現代語訳】
鰯(読み「イワシ」)。倭名抄(倭名類聚抄)が漢語抄を引いて、「鰯はイワシ、〓(不明字)はヒシコイワシ(小さな鰯)と言う」と記している。今考えるに、「鰯」という字の由来はよく分からない。しかし漢語抄が「堅魚」を「鰹」の一字に書き表した例に倣うなら、「弱魚」を「鰯」と書いたのかもしれない。イワシとは「弱い」という意味であり、水を離れるとすぐ死ぬことを言っているのである。
倭名抄が漢語抄を引いて「鰯はイワシ」と註し、白石は「鰯という字の由来はよく分からない」と述べます。ただ、堅魚を「鰹」という字に書き表した例に倣えば、「弱魚」を「鰯」と書いたのかもしれない、と白石は推論する。そして「イワシとは弱也、其水を離れぬれば、たやすく死するをいふ也」——イワシは「弱い」という意味で、水を離れるとすぐ死ぬことを言っている、と結びます。
「鰯は弱い魚だから鰯」と一言で片付けられがちな語源説ですが、白石は 「堅魚→鰹の造字パターンに倣った」という字の成り立ちのメカニズム にまで踏み込んでいます。漢字は意味と読みがワンセットで決まるわけではなく、既存の造字パターンを他の魚にも応用して字が作られたのではないか、という視点です。
朝鮮通信使のエピソード
白石の鰯の項には、食べ物を巡る小さな逸話も添えられています。白石は、長崎に来た中国の商船が役所に食料を求めた書面に誰も読めない一字があり、老いた通訳がそれを「イワシのことだ」と読み解いた、という話を載せています。また、中国の福建省あたりでも「イワシ」を「イハス」と呼んでいると聞いた、という記述も続きます。鰯の名が東アジア海域で通じ合う可能性を示唆する挿話として読めます。
大隅国風土記の地名への言及
白石はさらに、現存するのは逸文のみとされる大隅国風土記の地名にも触れています。白石は大隅(現在の鹿児島県東部)の地名を引き合いに出し、そこから出る小鰯を「ヒシの小鰯」と呼んだ可能性を、地名に由来する魚名の一例として推論しています。
地名から魚の名が生まれるという語源仮説を、風土記を引きながら検討しているわけです。江戸の学者の博覧強記ぶりがうかがえます。
寺島良安『和漢三才図会』——「鰛」と「鰯」は同じ魚
続いて『和漢三才図会』。大阪の医師・寺島良安が正徳2年(1712年)頃に完成させた全105巻81冊の百科事典です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
鰯は巻49「江海有鱗魚」に図入りで登場
中之巻 PID 898161 のコマ205 に、鰯の図版と記述があります。図に添えられた見出しは 俗字「鰯」で、その脇に小さく「字俗」(この字は俗字である)と注記されています。一方、本文の説明では 「鰛」(魚偏+昷)の字も併用されており、良安は二つの字を使い分けています。
コマ205の全体図
鰯の項があるコマ205は、鰤(ブリ)と鰯の両方が収録されている見開きページです。右ページに鰤の図版、中央に鰯の図版が描かれています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
鰯の図版とクローズアップ

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
📚 NDLで原典を読む
▶ 『和漢三才図会』巻49 江海有鱗魚 コマ205(鰯の項・図版付き)を NDL で開く
▶ 『和漢三才図会』総目録(全105巻の構成)を NDL で開く
本文と現代語訳
コマ205 の鰯部分について、画像で確実に読める範囲を要約し、字義が明快な短い語句のみ逐語で引きます。
基本情報
良安は、この魚は「形似小鰛而圓、其鱗細易脱」——形は小鰛に似て丸く、鱗は細かくて剥がれやすい——とし、大きい者でも3〜4寸(9〜12cm)ほど、と記しています。背は蒼黒く脂が多く、その脂は「為燈油」——燈油に用いる——とも添えられています。図の見出しには俗字「鰯」を掲げ、その脇に「字俗」と注しています。
字源と和名の解説
良安は和名を「以和之(いわし)」とし、「字從弱」——字は「弱」に従う——と記しています。性質が柔弱であることに由来する、という説明です。同時期の『東雅』で白石が推論した「堅魚→鰹の例に倣って弱魚→鰯」という造字論と、良安の「字從弱」という記述は、方向性が一致しています。江戸中期の二人の学者が、それぞれの立場から「弱」という字に注目していたことが読み取れます。
おせち料理「田作り」の記述
良安は小鰯を加工する製法にも触れ、「鮮鰯一升、洗わず、塩三合を和し、三日にして後、石を以て圧す」という趣旨の手順を記しています。これを「田作」と呼び、「嘉祝の供と為す」——祝い事の供え物にする——とも添えています。「田作り(たづくり)」は現代のおせち料理の「ごまめ」の古名にあたり、祝い肴としての位置づけが江戸期の百科事典にすでに記録されていることになります。
肥料(干鰯)としての用途
さらに良安は、小鰯を「数万、撹き乾かして筵(むしろ)に盛り、市中に運送し、用て田と為す」——大量に乾かして筵に広げ、市中に運んで田の肥料にする——とも記しています。これが江戸経済を支えた 「干鰯(ほしか)」 にあたる記述です。食用(田作り)、肥料(干鰯)、さらに燈油まで、イワシの多面的な使い道が一つの項目に書きとめられているわけです。
「鰯」は俗字、「鰛」は本字——良安の使い分け
『和漢三才図会』は図の見出しに「鰯」を掲げつつ「字俗」(俗字である)と注し、本文では「鰛」の字を使っています。良安のなかで「鰛」がより正式な字、「鰯」が世間で通用する俗字、という整理だったとうかがえます。
一方、『東雅』は「鰯」を見出しにして、その字の成り立ちそのものを考察しています。
江戸中期の時点では、「鰛」「鰯」「鰮」などの字がまだ表記として揺れていたことがうかがえます。中国由来の字としては「鰛」「鰮」が古く、「鰯」は日本で作られた国字(魚偏に「弱」)と一般に言われます。良安が「鰯」を「字俗」と注し「字從弱」と説いたことも、白石が「弱魚→鰯」と推論したことも、この国字説と整合的です。
『本朝食鑑』に鰯の独立項目がない
さて、江戸最大級の食物百科、人見必大『本朝食鑑』。今回の調査では 巻9「鱗部之三」の目録に鰯・鰮の見出しがない ことが分かりました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
📚 NDLで原典を読む
▶ 『本朝食鑑』巻9 目録 コマ2 を NDL で開く
▶ 『本朝食鑑』第一冊(巻1〜)を NDL で開く
本朝食鑑の各コマを見ていくと、「鰯」の字はいくつかのコマに出てくるものの、いずれも鯨油の話や他魚の項目の中での副次的な言及でした。鰯類が脂を多く含むことから、油の原料として触れられている、という趣旨の箇所が見られます。
人見必大がなぜ鰯の独立項目を立てなかったのか——この理由は本文からは明確には分かりません。ただ推測するに、当時の鰯は食用(塩物・煮干しなど加工品)としては庶民の日常食材すぎて、本草書的な観点(珍しい食材、効能のある食材)の記述対象から外れたのかもしれません。
「記録されていない」ことの意味
古文献を読むときに注意したいのは、「記録がない=存在しなかった」わけではないということ。鰯は江戸時代に最も大量に流通していた魚のひとつですが、食物百科事典の独立項目としては意外なほど扱いが軽い。一方、『和漢三才図会』のような総合百科事典には独立項目がある。
書物の編集方針によって「載る/載らない」が決まる——これは古文献を読むときの重要な視点です。
三冊を並べて見える「鰯の知識の濃淡」
同じ三冊をマアジで引いたときは、三冊とも独立項目を立てていました。鰯は、濃淡がはっきり分かれます。
- 『東雅』(語源辞典)——鰯について独立項、字源論・語源説を多角的に展開。大隅国風土記まで動員する熱量
- 『和漢三才図会』(総合百科)——図入りの独立項。俗字「鰯」を掲げ本文に「鰛」併用。外形描写・田作り・干鰯(肥料)・燈油まで用途を網羅
- 『本朝食鑑』(食物百科)——独立項なし。油の原料として副次的言及のみ
同じ「鰯」という対象でも、どの書物に載るかで記述の姿が全然違う。これが一次資料を複数読むことの面白さで、ひとつの書物だけ読んでいると気づけない「偏り」が見えてきます。
【番外】梅園魚譜が描いた彩色のマイワシ
文字の辞典を離れて、江戸後期の彩色魚譜『梅園魚品図正』(毛利梅園、1830年代の写本)を番外として開きます。実物を写したこの魚譜には、鰮(イワシ)の彩色図がいくつも残されています。

出典:NDLデジタルコレクション(著作権保護期間満了)

出典:NDLデジタルコレクション(著作権保護期間満了)
とりわけ目をひくのが「鰮魚 ホシイワシ」の図です。背の青緑色と、体側に点々と並ぶ黒い斑点の列——これは現代のマイワシ(Sardinops melanostictus、体側に黒点が一列に並ぶ「七つ星」で知られる)の最大の特徴とよく重なります。文字の辞典が「鰛」「鰯」と書き分けた魚が、彩色図のなかでは斑点の一粒まで写し取られていたわけです。梅園が見出しに「鰮」の字を用いている点も、和漢三才図会が本文で「鰛」を併用したことと響き合っていて興味深いところです。
さらに面白いのは、同じ見開きの右側です。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション PID 1287113 コマ30(著作権保護期間満了)
斑点の並ぶホシイワシの隣に、背が青黒く斑点のない魚が描かれ、「脊黒鰛(セグロイワシ)」と題されています。
その脇には「片口イワシ」という別名と、「其口大ニ廣」——その口は大きく広い——という書き込みが読み取れます。
つまり梅園は、体側に星の並ぶイワシと、口の大きなイワシを、同じ見開きで別の魚として描き分けていた。図の左には「鰛二種」の書き込みも見えます。
文字の辞典が「鰯」「鰮」の字をめぐって議論していたころ、彩色魚譜の作者は、実物を前にして種を見分けていたことになります。
同じ『梅園魚品図正』2帖には、イワシを他の魚と並べて写した見開きも残されています。

出典:NDLデジタルコレクション(著作権保護期間満了)

出典:NDLデジタルコレクション(著作権保護期間満了)
この一図で興味深いのは、彩色図に添えられた書き込みが、乾したイワシを田の肥料にするという趣旨に触れていることです。和漢三才図会が本文に記した干鰯(ほしか)の用途が、江戸後期の彩色魚譜の余白にも書きとめられていた——文字の百科事典と彩色図譜が、同じ「イワシ=食用にも肥料にもなる魚」という当時の常識を、別々の形で残しているわけです。
江戸から近代へ——明治の漁業書はイワシ専用の網を載せた
「弱い魚」と名づけられ、田作り・干鰯として大量に消費された江戸のイワシ。その大量漁を支えた漁具が、明治末の『日本水産捕採誌』(1911年)に図入りで記録されています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
同書を繰っていくと、この「鰛沖引網」のほかにも、筑前や瀬戸内の鰛沖曳網、房総の八手網、地曳網、米国の巾着網を参考にしたという改良揚繰網など、イワシを獲るための網が地域ごとに数多く載っています。ありふれた大衆魚であっても——いや、大量に獲れて干鰯や〆粕(肥料)の原料になったからこそ——各地で専用の漁具が競うように発達していったことが、近代の一次資料からうかがえます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)
同書の敷網(しきあみ)類の総説には、活字で 「敷網を以て捕獲すべき魚類は鰛を主とし鯛・鰤・鰺等之に次き其他種類多し」 と記されています。イワシ(鰛)を筆頭に挙げ、タイ・ブリ・アジがそれに次ぐ、という記述で、明治末の漁業書においても イワシが網漁の第一の対象 と位置づけられていたことが分かります。「弱い魚」と名づけられた大衆魚が、近代漁業の主役として活字の教本に刻まれていたわけです。
現代——「弱い魚」は数十年スケールで激しく増減する
名前こそ「弱」の字を負わされたイワシですが、資源としてのマイワシは、現代の水産学が最も注目してきた魚の一つです。マイワシの漁獲量は数十年の周期で桁違いに増減を繰り返す——いわゆる「レジームシフト」と呼ばれる現象の代表例として知られています。
谷津明彦・川端淳「太平洋東西におけるマイワシ資源変動の『同期性』に関する再検討」(2017)は、日本の太平洋系群と東太平洋(フンボルト海域)のマイワシの生産力が1970〜99年にかけて同調して変動したこと、1977年以降の気候レジームシフトに伴う表面水温の偏差が加入(その年に生まれて漁業に入ってくる量)の増減と関連したこと、そして1988/89年の加入の落ち込みが気候レジームシフトの年と一致したことを報告しています。さらに、1990〜2000年代はマイワシに好適とされる気候レジームだったにもかかわらず、高い漁獲圧と不適な水温偏差により資源の回復が妨げられた可能性を指摘しています。
江戸の辞典が「水を離れるとすぐ死ぬから弱」と記したイワシは、海のなかでは気候の大きなリズムに乗って大増減を繰り返す、けっして「弱く」はない魚でもあった——古典と現代科学を並べると、そんな対照が浮かびます。
出典:谷津明彦・川端淳「太平洋東西におけるマイワシ資源変動の『同期性』に関する再検討」『水産海洋研究』81巻4号 271–280頁、2017年。DOI: 10.34423/jsfo.81.4_271
白石の核心:「弱魚=鰯」の文字感覚
今回の調査で印象に残ったのは、白石の 「堅魚の字を鰹に作りし例に依らば、弱魚の字また鰯に作りしも知るべからず」 という一文でした。
カツオ(堅魚=身の硬い魚)を「鰹」の一字で表した人々が、同じ発想でイワシ(弱魚=身の柔らかく弱い魚)を「鰯」の一字で表したのではないか——この字の成り立ちの仮説は、漢字が造字される現場のメカニズムを推論する態度として読み応えがあります。白石自身が「知るべからず」と留保をつけている点も含めて、慎重な書きぶりです。
現代の国語辞典では「鰯は国字(日本独自の漢字)で、弱く朽ちやすい魚の意から」とさらりと書かれることが多いのですが、その一行の背景には、1717年の白石の推論があると言えます。原典で読むと、普段何気なく使う漢字への見方が少し変わります。
💡 この記事でわかったこと
- 01
いずれも読みは「いわし/イワシ/いはし」で同じ魚を指します。
「鰛」「鰮」は中国由来の字で古くからあり、「鰯」は日本で作られた国字(コクジ、日本独自の漢字)とされます。白石は『東雅』で「堅魚→鰹」の造字パターンから「弱魚→鰯」が作られたのではと推論しており、国字としての「鰯」の成り立ちを示唆しています。現代では「鰯」に統一されていますが、明治以前の文献では三字が混在しています。
- 02
『漢語抄』は平安期の辞書とされる書物で、漢字の日本での訓み方(和訓)を整理したもの。
原典は散逸していますが、『倭名類聚抄』(934年頃、源順)に多数引用されており、それ経由で後世の学者が参照してきました。『東雅』の鰯の項も「倭名鈔に漢語抄を引て」という形で孫引きしています。
- 03
どちらも小さなカタクチイワシ・マイワシなどを干した加工品ですが、用途が違います。
「田作り(たづくり)/ごまめ」は食用で、現代でもおせち料理の祝い肴として残っています。「干鰯(ほしか)」は田畑にまく肥料で、江戸時代には木綿や藍などの商品作物の栽培を支える重要な金肥(購入する肥料)でした。『和漢三才図会』には、小鰯を乾かして筵に盛り市中に運送し田の肥料に用いる、という趣旨の記述があり、食用と肥料の両面が同時代の百科事典に記録されています。
- 04
『東雅』コマ37 に、中国商船が長崎で食料を求めた際に読めない一字があり、老通訳がそれを「イワシだ」と読み解いた、という趣旨の挿話が記されています。
白石本人の体験談というより、当時長崎に伝わっていた逸話として書きとめられたものと読めます。白石自身は朝鮮通信使の応接役を務めた経歴があり、外国との交流に関心が深かったことが、こうした挿話の収集につながったのかもしれません。
- 05
『大隅国風土記』は奈良時代に編纂された地誌ですが、原典は散逸し、一部が他書への引用(逸文)として残っているのみです。
白石は『東雅』の鰯の項で大隅(現在の鹿児島県東部)の地名に触れ、そこから出る小鰯の呼び名を地名由来の魚名の一例として推論しています。
- 06
本朝食鑑に鰯の独立項目がない明確な理由は、本文からは読み取れません。
推測としては(1)鰯は当時あまりに日常的な食材で、特筆する食物学的効能の記述が少なかった、(2)人見必大が主に「食材として特徴的なもの」を選んで収録した、などが考えられます。一方で『本朝食鑑』では魚油の材料として鰯類に触れており、完全に無視しているわけではありません。
- 07
マイワシの漁獲量が、数十年の周期で桁違いに増えたり減ったりする現象を指します。
日本では1980年代に記録的な豊漁となり、その後1990年代にかけて激減しました。背景には、太平洋の水温など気候の大規模な状態(レジーム)の切り替わりがあるとされ、マイワシの加入量がこれに連動して大きく変わると考えられています。「弱い魚」という名前とは裏腹に、海洋環境の変化に応じてダイナミックに資源量を変える魚です(出典:谷津・川端 2017、『水産海洋研究』81巻4号)。
SAKANA 編集部
良輔
論文・古文献・信頼報道から確認した事実だけを掲載する魚の知識図鑑。 古文献の記事は、国立国会図書館デジタルコレクション等で公開されている原本画像を 拡大して字を目視で照合し、読めた箇所だけを引用しています。