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魚のことば

「たらふく」の語源 鱈腹は当て字、江戸の人は「たら福」と書いた

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この記事の目次

享保17年(1732年)刊の浮世草子『傾城歌三味線』に出てくる「たらふく」は、腹いっぱい食べる話ではなく、酒宴のざれ歌の文句「たらふくつるてん」でした。「たらふく食べた」は、腹いっぱいという意味で今も毎日のように使う言葉で、漢字では魚のタラの腹と書いて「鱈腹」としますが、辞書を引くと「鱈腹」は当て字だとあり(デジタル大辞泉「鱈腹」の項)、もともと魚とは関係がありません。タラの腹が大きいからという語源の話もよく聞きますが、江戸の本を順にめくっていくと、「たらふく」はどれも仮名書きで、タラの字が入ってきたのは思ったより新しいことでした。

『栗氏魚譜』巻14コマ36の見開き。右ページに「呉魚 一名大口魚 和名タラ」の書き入れとタラの胴体、左ページにタラの頭部の彩色図
江戸後期の博物家・栗本丹洲が描いたタラ。右ページの書き入れに「呉魚(ごぎょ)、一名大口魚、和名タラ」とあり、仙台産の生鱈を写生したと記す。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『栗氏魚譜』第8冊 巻14・栗本丹洲著・写本・NDL PID:1287426 コマ36・著作権保護期間満了)

国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで古典籍に絞って「鱈腹」と引くと0冊で、江戸の本にはこの字の組み合わせがまったく出てきません。仮名で「たらふく」と引き直すと83冊が並び、浮世草子、黄表紙、滑稽本、狂歌集と、どれも仮名書きです。いちばん古いところに出てくるのが冒頭の『傾城歌三味線』で、作者は其磧(きせき)、京都の八文字屋から出た町人の物語です。コマ5を開くと、右ページの3列目に「たらふく」の四文字が見えます。

『傾城歌三味線』巻一コマ5の見開き。くずし字の本文が並び、右ページの3列目に「たらふくつるてん」の語がある
享保17年(1732年)刊『傾城歌三味線』巻一。右ページの3列目に「昔日酒宴の戯哥に。たらふくつるてん。」とある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『傾城歌三味線』5巻 上・江島其磧作・享保17年・NDL PID:8942808 コマ5・著作権保護期間満了)

その文脈は、あとで読むとして、まずは辞書がこの言葉をどう扱っているかを見ておきます。

辞書は当て字と言い、理由は書かない

デジタル大辞泉は「たくさん飲み食いするさま。腹いっぱい」と説明し、補説に「鱈腹」は当て字、と書いています。精選版日本国語大辞典も同じく当て字とし、初出として元和6年(1620年)成立の『三体詩絶句鈔』の「懐王の故事をたらふく用る也」という一文を挙げます(コトバンク「鱈腹」の項)。漢詩の注釈書で故事をたらふく用いる、というのだから食べ物の話ではなく、「十分に」「思う存分」という意味の副詞として、17世紀のはじめにはもう使われていたことになります。

明治31年(1898年)の『ことばの泉』を開くと、見出し「たらふく」に「多羅福」の字があててあります。

『ことばの泉』コマ449の「たらふく」の項と翻刻
「たらふく(名)多羅福。腹いっぱいに。十分に。俗語。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『ことばの泉』・落合直文著・明治31年・NDL PID:862875 コマ449・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

たらふく(名)多羅福。腹いっぱいに。十分に。俗語。

現代語訳

見出し「たらふく」に「多羅福」の字をあて、腹いっぱいに、十分に、俗語、と説明する。

多羅福は、魚ではなく音を漢字で写しただけの字です。大正6年(1917年)の『大日本国語辞典』になると見出しの字は「鱈腹」に変わり、大正11年(1922年)の『言泉』も「鱈腹」としています(NDL PID:1871591 コマ285、PID:969161 コマ457)。ただ、どの辞書も、なぜ「たらふく」と言うのかは書いておらず、腹いっぱい、十分に、俗語、という意味が並ぶだけで、明治の辞書に語源の説明はありませんでした。

江戸のたらふくは、歌と酒の言葉

1732年の『傾城歌三味線』に戻ると、「たらふく」が出てくるのはこういう一節です。

『傾城歌三味線』コマ5の「昔日酒宴の戯哥に。たらふくつるてん。」の列と翻刻
赤枠は『傾城歌三味線』巻一の1列。「昔日酒宴の戯哥(ざれうた)に。たらふくつるてん。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『傾城歌三味線』5巻 上・江島其磧作・享保17年・NDL PID:8942808 コマ5・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

昔日酒宴の戯哥に。たらふくつるてん。

現代語訳

昔、酒宴のざれ歌に「たらふくつるてん」と歌った――。越前三国の綿商人・玉屋新右衛門をうたった小歌の一節として引かれている。

昔、酒宴のざれ歌に「たらふくつるてん」と歌った、と書き、文章は続けて、この小歌の出所は越前の国三国に近い新保という所の綿商人、玉屋新右衛門だ、と語ります。「たらふく」は、酒の席で歌われる小歌の文句として登場していたのです。同じ文句は宝暦3年(1753年)刊の浮世草子『歳徳五葉松』にも、「追従たらふくつるてん有頂天になつてまく小判の威勢には」(NDL PID:2554405 コマ29)という形で出てきます。追従(ついしょう)たらふくつるてん、有頂天になって小判をまく、という、おだてられて気分よく金を使う客の様子で、「たらふくつるてん」が歌の文句として通じる決まり文句になっていたことが分かります。

天明2年(1782年)序の洒落本『通人の寐言』では、酒そのものにかかって「酒はたらふくの川となつて」(NDL PID:8929664 コマ32)と、酒が川のように流れる宴席を描いています。寛政2年(1790年)ごろの黄表紙『駿河茄子』では、年忘れの宴で「くつたりのんだり。大さわぎにてたらふくゑひたおれてねられたるが」(NDL PID:2534136 コマ22)と、食ったり飲んだり大騒ぎで、たらふく酔い倒れて寝てしまいます。嘉永3年(1850年)刊の滑稽本『無飽三財図会』になると、食い過ぎを数え上げる場面に出てきます。

『無飽三財図会』コマ27の「最前から酒をたらふく呑で大の鰻五」の列と翻刻
「切なき思ひを忍て曰最前から酒をたらふく呑で大の鰻五」。このあと鉢、飯を八杯、と続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『無飽三財図会』2編6巻 [2]・暁鐘成作・画・嘉永3年・NDL PID:2554864 コマ27・著作権保護期間満了)
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翻刻

切なき思ひを忍て曰最前から酒をたらふく呑で大の鰻五

現代語訳

切ない思いをこらえて言うには、さっきから酒をたらふく呑んで、大の鰻を五(鉢)――。食い過ぎを数え上げる滑稽本の一節。

さっきから酒をたらふく呑んで大の鰻を五鉢、飯を八杯、と続くくだりで、1620年には「十分に」だった副詞が、江戸を通じて酒と食べ物のほうへ寄っていく様子が見えます。どの本も仮名書きで、「鱈」の字はどこにも出てきません。

たらふく孫左衛門という人

江戸の後半になると、「たらふく」は人の名前になります。享和元年(1801年)刊、十返舎一九の黄表紙『金実身体直』の主人公は「たらふくや万人」という大金持ちです。

『金実身体直』コマ4の見開き。右ページに寝床で眠る主人、左ページに小判や銭の札を体につけた貧乏神が刀を抜いて踊る絵
十返舎一九『金実身体直』。金持ちの「たらふくや万人」の家に、貧乏神が攻め込む物語。左ページの貧乏神は体じゅうに金の札を下げている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『金実身体直』2巻・十返舎一九作・画・享和1年・NDL PID:8929439 コマ4・著作権保護期間満了)

本文は「こゝにたらふくや万人といふうとくなるもの」と始まり(NDL PID:8929439 コマ4)、富裕なたらふく屋万人が色と酒に明け暮らす、という筋で、腹いっぱいの名前を、金と酒に不自由しない男につけています。文化3年(1806年)の『敵討此方の世界』では浪人の名になり、「このらう人ものはたらふくまござへもんと」(NDL PID:8929405 コマ8)、この浪人者はたらふく孫左衛門という、と紹介されます。文化5年(1808年)には、一九はとうとう書名そのものにしました。『多羅福注文帳』三冊で、表紙の題簽(だいせん)に字が見えます。

『多羅福注文帳』コマ2。表紙に貼られた題簽に「多ら福注文帳 十返舎一九画 豊広画 全三冊」と手書きされている
『多羅福注文帳』の表紙。題簽に「多ら福注文帳」とある。「多」は「た」の変体仮名で、「福」の字だけ漢字。脇に「文化五年」の書き込み。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『多羅福注文帳』3巻・十返舎一九作・豊広画・文化5年序・NDL PID:9893009 コマ2・著作権保護期間満了)

題簽の「多」は「た」の変体仮名で、漢字なのは福の字だけ、腹ではなく福と書いているので、一九にとって「たらふく」はめでたい福の字で書く言葉だったことになります。中身も「たらふくや孫太郎」という大商人の息子が遊里で遊び尽くす話です(NDL PID:9893009 コマ5)。

『多羅福注文帳』コマ5の見開き。遊郭の座敷で客と遊女が向かい合う絵、上部にくずし字の本文
『多羅福注文帳』の遊里の場面。大商人の息子「たらふくや孫太郎」が主人公。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『多羅福注文帳』3巻・十返舎一九作・豊広画・文化5年序・NDL PID:9893009 コマ5・著作権保護期間満了)

式亭三馬と立川焉馬が編んだ『狂言綺語』にも、酒の言葉遊びの中に「たらふく孫左衛門も玉箒に患を払」(NDL PID:2533809 コマ19)と出てきて、玉箒(たまははき)は酒の異名ですから、たらふく孫左衛門も酒で憂いを払う、という洒落です。

この名は辞書にも入りました。江戸後期に編まれた俗語辞典『俚言集覧』の増補版(明治32年=1899年刊)は、「たらふく」の項で「大飽なタラフク孫左衛門と云」、大食いをタラフク孫左衛門と言う、と書き(NDL PID:991570 コマ297)、明治43年(1910年)の『諺語大辞典』も「タラフク孫左衞門」を見出しに立てて「飽食することをいふ」と説明しています(NDL PID:862766 コマ327)。『大日本国語辞典』はもう少し丁寧で、「鱈腹孫左衞門」の見出しに「たらふく飲食したるを、人名にとりなしていふ語」、たらふく飲み食いしたことを人の名前に仕立てて言う語、と説明しています(NDL PID:1871591 コマ285)。

鱈の字が入ったのは明治

ここまでの江戸の本は、ぜんぶ仮名か「たら福」でした。全文検索を古典籍以外に広げると、いちばん古い「鱈腹」は、明治22年(1889年)刊の哲学書『帰納法論理学』に出てきます。

『帰納法論理学』コマ150の「譬ヘバ鱈腹散財スルコトハ人」の列と翻刻
「譬ヘバ鱈腹散財スルコトハ人(ヲシテ事業ヲ進取セシム)」。「鱈腹」の右に「タラフク」の振り仮名がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『帰納法論理学』上・清野勉著・明治22年・NDL PID:753048 コマ150・著作権保護期間満了)
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譬ヘバ鱈腹散財スルコトハ人

現代語訳

たとえば鱈腹(たらふく)散財することは人(をして事業を進取せしむ)――。哲学書の中で、「鱈腹」に「タラフク」の振り仮名がついている。

たとえば鱈腹散財することは人に事業を進取させる、という経済の話に「鱈腹」の字を使い、読めない読者のために「タラフク」と振り仮名をつけているので、1889年の時点ではまだ振り仮名がいる字だったわけです。そこから先は速く、明治31年の『ことばの泉』はまだ「多羅福」でしたが、明治37年(1904年)の『和英中辞林』は見出しをローマ字の Tarafuku とし、漢字を「鱈腹」と書いています(NDL PID:870208 コマ520)。大正6年の『大日本国語辞典』で「鱈腹」が見出しの字になり、以後の辞書はこれを引き継ぎました。1732年から1850年までの江戸の本に一度も出てこない鱈の字が、明治の20年代から40年代のあいだに定着した、というのが検索から分かったことです。

魚の鱈の字も、日本で作った字

もうひとつおもしろいのは、魚の「鱈」の字そのものも、江戸の本草書が日本で作った字だと言っていることです。元禄10年(1697年)刊の食物本草書『本朝食鑑』は、魚ごとに名前の由来を書く本で、巻八に「鱈」の項があります。

『本朝食鑑』巻八コマ163の見開き。右ページの上部に「鱈」の見出しがあり、「釋名」「集解」と続く
『本朝食鑑』巻八の「鱈」の項。右ページの右上に「鱈」の見出し、その下に「釋名」で字の由来、「集解」は「雪魚」で始まる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』12巻 [2]・人見必大著・元禄10年・NDL PID:2557333 コマ163・著作権保護期間満了)
『本朝食鑑』コマ163の「鱈字古書未見之、本朝所製也」の列と翻刻
「鱈 音雪 訓多良」「釋名 鱈字古書未見之、本朝所製也。然於義相協。曽聞、鱈魚當冬月初雪之後必多採之。故字從雪歟」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』12巻 [2]・人見必大著・元禄10年・NDL PID:2557333 コマ163・著作権保護期間満了)
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翻刻

鱈 音雪 訓多良釋名 鱈字古書未見之、本朝所製也。然於義相協。曽聞、鱈魚當冬月初雪之後必多採之。故字從雪歟

現代語訳

鱈、音は雪、訓は多良(たら)。釈名。鱈の字は古書に見えず、本朝(日本)で作ったものである。しかし意味にはかなっている。かつて聞いたところでは、鱈は冬、初雪のあとに必ず多くとれるという。だから字は雪に従うのであろうか。

鱈の字は古書に見えず、本朝(日本)で作ったものだが、意味にはかなっていて、聞くところでは鱈は冬、初雪のあとに必ず多くとれるので、字は雪に従うのだろうか、と必大は推しはかっています。同じ項には、古くはこの名を聞かない、という趣旨の一文もあり(同コマ163、左ページ「古者未聞此名」)、京や江戸で珍重されるようになったのは新しいことだ、という文脈で書かれています。

とはいえ「鱈」の字自体は、もっと前からありました。『古事類苑』が引く室町時代の辞書『運歩色葉集』に、魚の名として「鱈」が載っています。

『古事類苑』コマ713の「〔運歩色葉集魚名〕鱈」の項と翻刻
「〔運歩色葉集魚名〕鱈(タラ)」、続けて「多樂」。俗に「多樂」とも書く、という注記。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部十七 魚中・神宮司庁編・明治43年・NDL PID:1874269 コマ713・著作権保護期間満了)
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翻刻

〔運歩色葉集魚名〕鱈(タラ)多樂

現代語訳

『運歩色葉集』魚名の部に「鱈」があり、読みは「タラ」、(俗に)「多樂」とも書く、とある。室町時代の辞書に、もう「鱈」の字が載っている。

「鱈」の脇に「多樂」とあり、音を写して「多樂(たら)」と書いた例が並んでいます。「多ら福」の「多」と同じ発想です。江戸後期の博物家・栗本丹洲も、冒頭に出したタラの図に、字の由来を書き添えています。

『栗氏魚譜』コマ36の書き入れ「呉魚 一名大口魚 和名タラ」以下の4列と翻刻
「呉魚 一名大口魚 和名タラ」「此名出東医宝鑑中 今倭俗用鱈字」「此所図者仙台産 称生鱈者」「肉色潔白如雪 故ニ鱈ノ字ヲ用ユ」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『栗氏魚譜』第8冊 巻14・栗本丹洲著・写本・NDL PID:1287426 コマ36・著作権保護期間満了)
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翻刻

呉魚 一名大口魚 和名タラ此名出東医宝鑑中 今倭俗用鱈字此所図者仙台産 称生鱈者肉色潔白如雪 故ニ鱈ノ字ヲ用ユ

現代語訳

呉魚、一名大口魚、和名タラ。この名は『東医宝鑑』に出る。いま日本では俗に「鱈」の字を用いる。ここに図したのは仙台産で、生鱈と称するもの。肉の色が雪のように白いので「鱈」の字を用いる――。

いま日本では俗に鱈の字を用い、肉の色が雪のように白いので鱈の字を用いるのだ、という説明で、『本朝食鑑』が「初雪のあとにとれるから」と推しはかったのに対して、丹洲は身の白さで説明しています。

『栗氏魚譜』巻14コマ39の見開き。左ページに尾びれ、右ページに大きな口を開けた魚の頭部の彩色図。書き入れに「ワタラ」とある
同じ『栗氏魚譜』の「ワタラ」。文政5年(1822年)冬に江戸の魚店で見た魚で、書き入れによれば生鱈の代わりに食べると肉は白く味も変わらない、という。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『栗氏魚譜』第8冊 巻14・栗本丹洲著・写本・NDL PID:1287426 コマ39・著作権保護期間満了)

同じ『栗氏魚譜』のワタラの図は、文政5年(1822年)の冬に江戸の魚店で見た魚で、書き入れによれば生鱈の代わりに食べると肉は白く味も変わらない、と、ここでも身の白さが書き留められています。明治26年(1893年)の『日本大辞書』は、見出し「たら」に「〔鱈〕〔字ハ當テ字〕北産」(NDL PID:902835 コマ520)と、魚の名の漢字をはっきり当て字と注記しています。魚の名の鱈も当て字で、その当て字をさらに「たらふく」にあてたのが「鱈腹」ですから、二重の当て字だったことになります。

ついでに、タラの腹と酒をつなぐ江戸の言葉をひとつ挙げておきます。明治29年(1896年)の『帝国大辞典』は「ぼうだら(棒鱈)」の項で、乾した鱈のほかに泥酔した人のことだと書き、江戸中期の随筆『牛馬問』を引いています。

『帝国大辞典』コマ638の「棒鱈」の項の『牛馬問』引用と翻刻
「〔牛馬問〕此魚(鹽鱈)には笹の葉を腹に入れてある故、酒に醉ふ者を人呼んで、斯く申すなり」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『帝国大辞典』第1版・藤井乙男・草野清民編・明治29年・NDL PID:2387590 コマ638・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

〔牛馬問〕「此魚(鹽鱈)には笹の葉を腹に入れてある故、酒に醉ふ者を人呼んで、斯く申すなり」

現代語訳

『牛馬問』に「この魚(塩鱈)には笹の葉を腹に入れてあるので、酒に酔う者を人が呼んでこう言うのだ」――。見出し「ぼうだら(棒鱈)」の項。「笹(ささ)」は酒の異名。

塩鱈は腹に笹の葉を入れてあるので、酒に酔う者を棒鱈と呼ぶ――。

「笹(ささ)」は酒の異名で、タラの腹に酒が入っている、という洒落です。辞書がこの話を載せていたのですから、「鱈腹」の当て字が広まった明治の人にも、タラの腹と酒の連想はまだ身近だったはずです。

年代順の一覧

年

本

書き方

1620年

『三体詩絶句鈔』(精選版日本国語大辞典による)

「懐王の故事をたらふく用る也」

1697年

『本朝食鑑』

「鱈字古書未見之、本朝所製也」。魚の鱈は日本で作った字

1732年

『傾城歌三味線』

「昔日酒宴の戯哥に。たらふくつるてん。」

1753年

『歳徳五葉松』

「追従たらふくつるてん有頂天になつてまく小判の威勢には」

1782年

『通人の寐言』

「酒はたらふくの川となつて」

1801年

『金実身体直』

「たらふくや万人」

1806年

『敵討此方の世界』

「たらふくまござへもん」

1808年

『多羅福注文帳』

題簽は「多ら福注文帳」

1850年

『無飽三財図会』

「最前から酒をたらふく呑で」

1889年

『帰納法論理学』

「鱈腹散財スル」に振り仮名「タラフク」

1893年

『日本大辞書』

「鱈」は「字ハ當テ字」

1898年

『ことばの泉』

「たらふく 多羅福」

1917年

『大日本国語辞典』

「鱈腹孫左衞門 たらふく飲食したるを、人名にとりなしていふ語」

「たらふく」の語源そのものは、辞書には書かれていません。1620年には「十分に」の意味の副詞で、江戸の本では酒と食べ物の言葉になり、一九や三馬の時代には「たらふく孫左衛門」という滑稽な人名にまでなっていて、そのあいだ江戸の本は一冊も鱈の字を使わず、一九は「たら福」と書きました。「鱈腹」の字は明治22年の哲学書に振り仮名つきで現れて大正の辞書で見出しになり、しかもその鱈も、江戸の本草書が「本朝所製」と言う国字でした。タラの腹が大きいから、という話は、江戸の本のどこにもありません。

この記事でわかったこと

  • 辞書には語源の説明がありません。

    精選版日本国語大辞典が挙げる初出は元和6年(1620年)成立の『三体詩絶句鈔』で、「懐王の故事をたらふく用る也」と、食べ物とは関係なく「十分に」の意味で使われています(コトバンク「鱈腹」の項)。江戸の本では享保17年(1732年)刊『傾城歌三味線』の小歌「たらふくつるてん」(NDL PID:8942808 コマ5)など、酒や宴席の言葉として出てきます。

  • 当て字です。

    デジタル大辞泉と精選版日本国語大辞典がそう明記しています。国立国会図書館の全文検索では、古典籍に「鱈腹」の表記は0冊で、江戸の本はすべて仮名書きか「たら福」(十返舎一九『多羅福注文帳』文化5年、NDL PID:9893009 コマ2)です。「鱈腹」の字が確認できる最も古い本は明治22年(1889年)刊『帰納法論理学』で、「タラフク」の振り仮名がついています(NDL PID:753048 コマ150)。

  • たらふく飲み食いすることを、人の名前に仕立てて言った江戸の言葉です。

    『大日本国語辞典』は「鱈腹孫左衞門」の項で「たらふく飲食したるを、人名にとりなしていふ語」と説明します(NDL PID:1871591 コマ285)。十返舎一九の『敵討此方の世界』(文化3年=1806年)では浪人の名として「たらふくまござへもん」が出てきます(NDL PID:8929405 コマ8)。

この記事で開いた原本

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