「瓢箪で鯰を押さえる」の意味と由来 1656年の原本では「鰻」だった
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明暦2年(1656年)刊のことわざ集『世話尽』を開くと、「瓢箪て鰻をさゆる」と書いてあり、「鰻」の脇には「うなぎ」と振り仮名まで振ってありました。いま「瓢箪で鯰を押さえる」といえば、つかみどころがない、要領を得ないという意味のことわざで、ぬるぬるした鯰をつるつるの瓢箪で押さえようとしても押さえられないところから来ていて、縮めて「瓢箪鯰」とも言います。その押さえられない魚が、江戸のはじめには鰻だったこともあったのです。
この言葉には、室町時代の画僧・如拙が描いた国宝「瓢鮎図」という有名な絵があります。瓢箪を持った男が川辺で鯰に向かい合う、禅の問答の絵として知られていて、江戸の考証家は、ことわざより絵のほうが先だと考えていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』二帖・毛利梅園筆・NDL PID:1287113 コマ37・著作権保護期間満了)
明治の辞書は「要領を得ないこと」と言い、禅の絵を引いた
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで、古典籍に絞って「瓢箪で鯰」と引くと5冊が出てきて、元禄8年(1695年)のことわざ解説、寛保3年(1743年)の浮世草子、文化14年(1817年)に序のある考証随筆『瓦礫雑考』が並びます。意味のほうは、明治43年(1910年)の『諺語大辞典』で確かめるのが早く、ことわざを五十音順に集めて出典を添えたこの辞典の「へ」の部、コマ469に項がありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ469・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ469・著作権保護期間満了)
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【瓢簞デ鯰オサヘル】要領を得ざること、捕捉し難きことなどをいふ。〔瓦礫雜考〕此諺はもと禪家などに起りしことにや、相國寺の如拙と(いへる僧此圖を作れり…)
現代語訳
瓢箪で鯰を押さえる。要領を得ないこと、つかまえにくいことなどをいう。『瓦礫雑考』を引いて、禅家に起こり、相国寺の如拙がこの図を描いたと説く。
要領を得ないこと、つかまえにくいことなどをいう、という意味は今と変わりません。辞書はそこから出典として『瓦礫雑考』を挙げ、この諺はもともと禅家に起こったのだろうか、相国寺の如拙という僧がこの図を作った、という一節を長く引いています。
同じ辞書の「う」の部には仲間のことわざもあって、「【鰻ニ荷鞍】瓢簞鯰と同意。上州にていふ。」(NDL PID:862766 コマ85)と、鰻に鞍を載せようとしても載らないことで、つかみどころのなさを言う土地が上州(群馬)にあったことが分かります。この鰻が、あとで『世話尽』の一行とつながってきます。
喜多村節信は、禅の絵に由来を求めた
『瓦礫雑考』は、江戸の考証家・喜多村節信が、ことわざや風俗の由来を調べた随筆で、「瓢箪で鯰」の項には、如拙の「瓢鮎図」を縮めて写した挿絵がついています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『瓦礫雑考』2巻・喜多村節信著・文化14年序・NDL PID:2538783 コマ45・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『瓦礫雑考』2巻・喜多村節信著・文化14年序・NDL PID:2538783 コマ45・著作権保護期間満了)
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守武千句に「へうたんを見れば山からなまづにて」この千句は天文九年の作也此は如拙が画なり
現代語訳
『守武千句』に「瓢箪を見れば山から鯰にて」。この千句は天文9年(1540年)の作である。この図は如拙の画である――。挿絵に添えた注記。
挿絵の脇には、この図は如拙の画であることと、天文9年(1540年)の『守武千句』に「瓢箪を見れば山から鯰にて」という句があることの二つが書いてあって、16世紀のなかばには、瓢箪と鯰の取り合わせがすでに句に詠まれていたことになります。本文で、節信はこう考えています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『瓦礫雑考』2巻・喜多村節信著・文化14年序・NDL PID:2538783 コマ45・著作権保護期間満了)
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翻刻
按ずるにこの諺はもと禅家などに起りしことにや相国寺の如拙といへる僧この図を作れり
現代語訳
考えるに、この諺はもともと禅家などに起こったことだろうか。相国寺の如拙という僧がこの図を作った――。如拙「瓢鮎図」の序文を引いて、諺の起こりを禅の問答に求めている。
節信は「瓢鮎図」の序文を引いて、将軍(義満か、と推測しています)が如拙に描かせ、禅僧たちに一語ずつ添えさせた絵だと紹介していて、つかめない鯰をつかめない瓢箪で押さえるという禅の問いが、そのままことわざになったという見立てです。
話は大津絵にも及び、「因にいふこれらによりて見れば大津絵といふものゝへうたんもてなまづおさへたる 又鬼の念仏する図などもふるくより書たらむとおもはる」(同コマ45)と、大津絵の瓢箪鯰や鬼の念仏の図も古くから描かれていたのだろうと書いています。東海道の大津で売られた土産の絵で、そこでは鯰を押さえるのは猿でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大津絵集』・山内金三郎編・明治45年・NDL PID:11593848 コマ35・著作権保護期間満了)
禅の絵では人が、大津絵では猿が瓢箪を構えていて、人がやってもできないことを猿がやるという趣向で、土産絵は禅の問いを笑いに変えていました。
元禄の解説書は、仏書の言葉から出たと言う
節信より百年以上前、元禄8年(1695年)の『世話重宝記』は、ことわざの意味と出どころを一つずつ解いた本で、「ひ」の部にこの言葉が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話重宝記』5巻 [1]・元禄8年・NDL PID:2550735 コマ21・著作権保護期間満了)
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翻刻
瓢箪で鯰おさゆるといふ世話ハ仏書に胡蘆子鯰尾を捺すが如しといふ語より出たり胡蘆子といふ(次のコマへ続く)ハ夕皃の実なり
現代語訳
「瓢箪で鯰を押さえる」ということわざは、仏書にある「胡蘆子で鯰の尾を捺すが如し」という語から出た。胡蘆子とは夕顔の実である。
胡蘆子は夕顔の実、つまり瓢箪のことで、仏書にある胡蘆子で鯰の尾を押さえるようだという言い回しが元だ、というのがこの本の説明です。『諺語大辞典』は同じ項で、江戸の随筆『世話支那草』が「幼いころ仏経を見ていたら、道理の違うことを胡蘆子で鯰の尾を捺すが如しとたとえてあった」と書いていることも引いていて、禅の絵か仏書の言葉かの違いはあっても、江戸の人はどちらも仏教のなかに由来を探していたことになります。
明暦の『世話尽』では「鰻」だった
明暦2年(1656年)刊の『世話尽』は、解説を加えずにことわざを並べただけの本で、巻二のコマ7、右ページの右から二行目に問題の一行があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話尽』5巻 [2]・皆虚編・明暦2年・NDL PID:2554768 コマ7・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話尽』5巻 [2]・皆虚編・明暦2年・NDL PID:2554768 コマ7・著作権保護期間満了)
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翻刻
瓢箪て鰻をさゆる
現代語訳
瓢箪で鰻を押さえる。「鰻」に「うなぎ」の振り仮名。1656年のことわざ集では、鯰ではなく鰻だった。
瓢箪で押さえているのは鯰ではなく鰻で、字の脇の振り仮名も「うなぎ」と読めます。1540年の句では鯰、1656年のことわざ集では鰻、1695年の解説書ではまた鯰ですから、二つの魚が並んで使われていた時期があったようで、どちらもぬるぬるして手でつかめない魚ですし、上州の「鰻に荷鞍」も同じ発想の仲間でした。
浮世草子は大津絵の題を並べて洒落にした
寛保3年(1743年)の浮世草子『諸芸袖日記』は、大津の場面で「大津へ召がへして鬼に衣瓢箪で鯰の。ぬらくらしたる世わたり。」(NDL PID:2554853 コマ13)と書いています。「鬼に衣(鬼の念仏)」も「瓢箪で鯰」も大津絵の画題で、大津という地名から題を二つ並べ、鯰のぬらくらで世渡りの様子につなげているのは、読者が大津の店先に並ぶあの絵を知っている前提の洒落です。
江戸後期の画史『古画備考』も、如拙の項に「瓢箪鯰ヲオサヘル唐人ノ画也」と書き入れていて(NDL PID:2591603 コマ26)、江戸の人にとって瓢箪鯰は、禅の絵の題であり、大津絵の題であり、ことわざでもありました。
絵が先か、ことわざが先か
古いほうから並べると、1540年の『守武千句』(『瓦礫雑考』の引用による)に「へうたんを見れば山からなまづにて」、1563年の『玉塵抄』(精選版日本国語大辞典の初出用例による)に「ぬめりまわるぞ。へうたんでなまつをさえるやうなぞ」、1656年の『世話尽』に「瓢箪て鰻をさゆる」と鰻が出て、1695年の『世話重宝記』は「仏書に胡蘆子鯰尾を捺すが如しといふ語より出たり」と仏書に由来を求め、1743年の『諸芸袖日記』は「鬼に衣瓢箪で鯰の。ぬらくらしたる世わたり」と大津絵の題で洒落ています。1817年の『瓦礫雑考』は「この諺はもと禅家などに起りしことにや 相国寺の如拙といへる僧この図を作れり」と禅の絵に行き着いて大津絵の図も古いと書き、1910年の『諺語大辞典』が「要領を得ざること、捕捉し難きことなどをいふ」と意味をまとめたうえで、上州の「鰻ニ荷鞍」を同じ意味として載せました。
如拙の「瓢鮎図」は15世紀はじめの作で、ことわざの記録より古く、序文によれば将軍が描かせて三十人あまりの禅僧が一句ずつ言葉を添えたものでした。つかめないものをどうつかむかという問いに僧たちが競って答え、その問いが町に下りてことわざになった、というのが江戸の考証家の見立てです。その途中で、明暦のことわざ集は押さえる魚を鰻と書いていて、ぬるぬるして手に負えない魚でありさえすれば、押さえる相手は鯰でも鰻でもよかった時期もあったのでしょう。禅の問いから大津の土産絵の猿へ、そして日常のことわざへと、瓢箪鯰は四百年かけてそれだけの顔を持つようになりました。
この記事でわかったこと
要領を得ないこと、つかみどころのないことのたとえです。
明治43年の『諺語大辞典』は「要領を得ざること、捕捉し難きことなどをいふ」と説明します(NDL PID:862766 コマ469)。ぬるぬるした鯰を、つるつるした瓢箪で押さえようとしても押さえられない、という見立てで、縮めて「瓢箪鯰」ともいいます。
江戸の考証随筆『瓦礫雑考』(文化14年序)は、この諺はもと禅家に起こったのだろうとして、相国寺の僧・如拙が描いた「瓢鮎図」を挙げます(NDL PID:2538783 コマ45)。
元禄8年の『世話重宝記』は、仏書の「胡蘆子鯰尾を捺すが如し」という語から出たと説明します(NDL PID:2550735 コマ21)。天文9年(1540年)の『守武千句』に「へうたんを見れば山からなまづにて」の句があると『瓦礫雑考』は記しています。
明暦2年(1656年)刊のことわざ集『世話尽』には「瓢箪て鰻をさゆる」とあり、「鰻」に「うなぎ」の振り仮名がついています(NDL PID:2554768 コマ7)。
『諺語大辞典』には上州のことわざとして「鰻ニ荷鞍」が載り、「瓢簞鯰と同意」と説明されています(NDL PID:862766 コマ85)。
この記事で開いた原本
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- 梅園魚品図正.巻2
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 諺語大辞典
藤井乙男 編 明43.3
- 瓦礫雑考 2巻
喜多村節信 著 文化14 [1817] 序
- 大津絵集
山内金三郎 編 明45
- 世話重宝記 5巻.[1]
元禄8
- 世話尽 5巻.[2]
皆虚 編 明暦2刊
- 諸藝袖日記 5巻.[5]
八文字自笑, 八文字其笑 作 寛保3 [1743]
- 古画備考 50巻.[17]
朝岡興禎 編
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