寒鰤とは 季語の本より先に寄席と漁の報告に出た冬の鰤
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明治23年(1890年)に出た落語の速記本『雪の瀬川』に、客をもてなす場面で「味噌漬の鰤を燒て進げナ」と言いつけ、続けて「寒鰤だから進げて」と言う台詞があります。「寒鰤」の二字には「かん」「ぶり」と振り仮名がついていて、今と同じ読みの寒鰤(かんぶり)が、明治の寄席の言葉として活字に残っていたことになります。寒鰤とは、寒の時季、冬のいちばん寒いころに獲れる鰤のことで、明治36年の冬に試験を行った高知の水産試験場は、その来る時期を十一月中旬から翌年一月までと書いていました。
季語のほうからさかのぼると、明治の歳時記では、冬の部に載っているのは「鰤」と「初鰤」で、「寒鰤」の見出しは出てきません。見つかった範囲で、句集の冬の部に「寒鰤」の字が並ぶのは昭和10年(1935年)のことでした。言葉としては、季語の本より先に、寄席の速記や漁の報告、家事の本、貨物の調べ書きに出ていたことになります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287112 コマ10・著作権保護期間満了)
明治23年の落語の速記に「寒鰤」
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで「寒鰤」を引くと40冊がヒットしました(2026年10月23日に検索)。年の古い順に原本を開くと、古典籍に分類された2冊と明治17年の『水族志』は鮒や漢籍の話で、年がはっきりしていて、しかも原本の字が確かに「寒鰤」だった最初の一冊が、この『雪の瀬川』でした。桂文楽が口演し、佃与次郎が速記したもので、奥付の書誌は明治23年10月、版元は中礼堂です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(桂文楽 口演・佃与次郎 速記『雪の瀬川』・中礼堂・明治23年・NDL PID:891470 コマ37・著作権保護期間満了)
台詞を言うのは登場人物の米で、酒が好きかと客に尋ねたあと、店の者に支度をさせる流れのなかに、この一言が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(桂文楽 口演・佃与次郎 速記『雪の瀬川』・明治23年・NDL PID:891470 コマ37・著作権保護期間満了)
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味噌漬の鰤を燒て進げナ……寒鰤だから進げて……
現代語訳
(客をもてなす場面で)味噌漬けの鰤を焼いて差し上げな。寒鰤(振り仮名「かんぶり」)だから、差し上げて……。
客に出す肴を、わざわざ「寒鰤だから」と名指しして勧めているので、寒の鰤はいいもの、という受けとめ方が、明治23年の聞き手にはもう通じていたのでしょう。ただ、速記本は寄席でしゃべった言葉を書き起こしたもので、この言い方がいつから寄席で使われていたかまでは分かりません。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:891470 コマ37/PID:842575 コマ95/PID:1016606 コマ97/PID:984213 コマ56・著作権保護期間満了)
高知の試験場は「寒鰤春鰤」の二つに分けた
寒鰤がいつごろの鰤を指すのかを、はっきり月で書いていたのは、高知県水産試験場の報告でした。『高知県水産試験場事業報告』第1・2巻に収められた「鰤撒餌釣漁試驗報告」は、主任技手の名で、鰤の撒餌釣という釣り方を県で試した結果をまとめたもので、試験そのものは、後のページに「本試驗ハ明治三十六年一月十三日ヨリ同年三月十四日ニ至ル」とあるとおり、明治36年(1903年)の冬に行われています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『高知県水産試験場事業報告』第1・2巻・高知県水産試験場・NDL PID:842575 コマ95・著作権保護期間満了)
報告は、試験のねらいを二つ挙げています。一つは衰えてきた大敷網の漁を立て直すこと、もう一つが「本縣冬季ニ於ケル所謂寒鰤」を獲ることでした。「所謂(いわゆる)」とことわっているのは、寒鰤という呼び名が、役所の報告を書く技手のあいだでも、世間で通っている言い方として受けとめられていたからでしょう。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『高知県水産試験場事業報告』第1・2巻・NDL PID:842575 コマ95・著作権保護期間満了)
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撒餌釣漁ヲシテ本縣ニ開始シ以テ一ハ其衰頽セル大敷網漁ノ挽回ニ充テ一ハ以テ本縣冬季ニ於ケル所謂寒鰤ヲ捕獲スルノ要アルヲ認メ其適否ヲ實際ニ確定センカ爲メ本項試驗ヲ計畫セルモノナリトス抑モ本縣ニ於ケル鰤ノ來游期ハ之ヲ大別シテ二季ニ分ツヘシ寒鰤春鰤之ナリ……
現代語訳
鰤の撒餌釣をこの県で始め、一つには衰えた大敷網漁を立て直し、一つには県の冬のいわゆる寒鰤を獲る必要があると考え、それが向くかどうかを確かめるために試験を計画した。そもそも県に鰤が来る時期は大きく二つに分かれる。寒鰤と春鰤である。
続けて報告は、県に鰤が来る時期を「之ヲ大別シテ二季ニ分ツヘシ寒鰤春鰤之ナリ」と二つに分けます。寒鰤は「十一月中旬比ヨリ翌年一月迄」に来て、多くは暗礁の深いところにひそんで盛んに餌をあさり、遠くへは回遊しないようだ、と書かれています。春鰤のほうは二月から五月中旬までに大きな群れでやってきて、水の中ほどを活発に泳ぎ回るもので、県の大敷網で獲れるのはこの春鰤、寒鰤は一本釣りや延縄でわずかに釣れるだけだ、という説明でした。
つまりこの報告では、寒鰤は冬の鰤一般をぼんやり指す言葉ではなく、来る時期も、いる深さも、獲り方も春鰤とは違う群れの名前として使われています。ところが肝心の試験の年は鰤の来るのがひどく遅れ、試験を始めたのは一月十三日、それでも寒鰤は来なかった、と報告は正直に書きとめています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『高知県水産試験場事業報告』第1・2巻・NDL PID:842575 コマ105・著作権保護期間満了)
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要之ニ本年ハ鰤ノ來游期ニシテ非常ニ晩レタルノミナラス本試驗ノ目的タル寒鰤ノ如キハ當時全ク來游セサリシモノト謂ハサルヘカラス……
現代語訳
つまり、この年は鰤の来る時期がひどく遅れたうえ、試験の目当てだった寒鰤のようなものは、そのころまったく来なかったと言うほかない。
「本試驗ノ目的タル寒鰤ノ如キハ當時全ク來游セサリシモノト謂ハサルヘカラス」。目当ての寒鰤はまったく来なかったと言うほかない、という締めくくりで、同じページの前のほうには、本来なら試験はもっと早く始めるべきだったが、例年十一月、十二月ごろからある延縄や一本釣りも各地で不漁だったので始めるのをためらった、という事情も書かれています。
魚河岸の「一月」の欄にあった寒鰤
東京の魚河岸では、寒鰤は一月の魚として数えられていました。大正5年(1916年)に東京市日本橋区が出した『日本橋区史』第三冊は、「江戸時代の商業」の節のなかに「魚市場沿革餘聞」という項を立て、「古今を通じて斷片を類輯したり」と、昔から今までの話の切れ端を集めたものだとことわったうえで、魚河岸で売る魚を月ごとに並べています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(東京市日本橋区 編『日本橋区史』第三冊・大正5年・NDL PID:951553 コマ260・著作権保護期間満了)
「魚河岸に於て販賣する魚類は、一年を通じて販賣する魚類あれども之を月によりて分てば左の如し」として、最初の「一月」の欄には、かじき、鰆などに続いて「車鰕・芝鰕・寒鰤・比目魚・甘鯛・海鼠」と並びます。ほかの魚には「寒」がつかないのに、鰤だけは「寒鰤」と書かれているところに、一月の鰤を別の名で呼ぶ習わしがあったことがうかがえます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(東京市日本橋区 編『日本橋区史』第三冊・大正5年・NDL PID:951553 コマ260・著作権保護期間満了)
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翻刻
魚河岸に於て販賣する魚類は、一年を通じて販賣する魚類あれども之を月によりて分てば左の如し。一月 ……車鰕・芝鰕・寒鰤・比目魚・甘鯛・海鼠・平貝・ばか貝の柱。(寛保二年六月の禁令に、此の月節より、ます初賣とあり、貞享以來の法とす。)
現代語訳
魚河岸で売る魚には一年じゅう売るものもあるが、月ごとに分けると次のとおり。一月は……車えび・芝えび・寒鰤・ひらめ・甘鯛・なまこ・平貝・ばか貝の柱。
一月の欄の終わりには「寛保二年六月の禁令に、此の月節より、ます初賣とあり、貞享以來の法とす」と、江戸の初売りの決まりにふれた注がついていますが、これは鱒の初売りの話で、寒鰤の呼び名がいつからのものかは書かれていません。この月ごとの並びが江戸のどの時期の魚河岸を写したものなのかも、「古今を通じて」集めた項なので、この本からは決められませんでした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』5巻のうち[3]・法橋関月 画・柳原喜兵衛・NDL PID:2575828 コマ13・著作権保護期間満了)
大正の家事の本は「寒鰤と云つて冬が最も旨い」
大正の終わりになると、寒鰤は、鰤がいちばんうまい時季を言い表す決まり文句として、家庭向けの本にも出てきます。大正14年(1925年)に中興館書店から出た小松崎三枝の『家事界之智嚢』は、魚介の知識を問いと答えの形で並べた本で、「〔鰤は何時が一番旨いか〕」という問いに、ひとことで答えています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(小松崎三枝『家事界之智嚢』・中興館書店・大正14年・NDL PID:1016606 コマ97・著作権保護期間満了)
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〔鰤は何時が一番旨いか〕寒鰤と云つて冬が最も旨い。……歳旦に供へる慣習がある。對馬の鹽鰤は有名である。
現代語訳
ぶりはいつがいちばんおいしいか。寒鰤といって冬がもっともおいしい。(関西では年取りの肴として)元日に供える習わしがある。対馬の塩ぶりは名高い。
「寒鰤と云つて冬が最も旨い」。続けて「關西地方では年取肴として歳旦に供へる慣習がある」、対馬の塩鰤が有名だ、とあって、欄外の小見出しにも「寒鰤」と刷られています。年の暮れから正月の鰤の話はブリの出世魚の記事でも江戸の料理書から読みましたが、ここではそれが「寒鰤」の一語にまとめられています。
同じころ、鉄道省運輸局がまとめた『重要貨物情況』第4編(国立国会図書館の書誌では大正14〜15年)は、貨車で運ぶ荷として鮮魚を取り上げ、魚の値段と季節の関係を一種ずつ説明するなかで、鰤について次のように書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(鉄道省運輸局 編『重要貨物情況』第4編・NDL PID:984213 コマ56・著作権保護期間満了)
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冬至鰤若くは寒鰤と稱し鰤の美味なるは冬とせられて居る價格も亦此の時に上昇し五、六月となれば不味となり價格も降下するを常とする。
現代語訳
冬至鰤あるいは寒鰤といって、鰤がおいしいのは冬とされている。値段もこのとき上がり、五、六月になるとまずくなって値も下がるのが常である。
「冬至鰤若くは寒鰤と稱し」、冬至のころの鰤とも、寒の鰤とも呼ぶ、という並べ方で、値段も冬に上がり、五、六月にはまずくなって下がる、と市場の目で書かれています。すぐあとの鰆の項には「鰆も寒鰆と云ひ大形にして美味なるを以て冬は價も貴い」とあって、寒の字をつけて冬のうまい時季を呼ぶのは鰤だけではなかったことも分かります。「冬至鰤」のほうは全文検索で2冊しかヒットせず、もう1冊はこの本の文章をそのまま引いた昭和7年の鉄道の報告でした。
明治の歳時記では「鰤」と「初鰤」
では季語としてはどうだったか、明治から昭和初めの歳時記と季寄せを順に開いてみました。明治42〜44年に俳書堂から出た中谷無涯編『新脩歳時記』冬の部は、「ブリ(動物)鰤」の項で、鰤の形や回遊、地方ごとの呼び名を細かく書き、「醃藏したるものは冬春これを食ふ。脂多く味厚し、丹後の產を上とす」と食べ方にもふれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(中谷無涯 編『新脩歳時記』冬の部・俳書堂・明治42〜44年・NDL PID:875147 コマ292・著作権保護期間満了)
傍題として添えられているのは「初鰤」で、例句は「大食の昔がたりや鰤の前 太祇」と「初鰤に逢ひけり雪の丹波口 晋信」の二つでした。この本の全文テキストを「寒鰤」「寒ぶり」「かんぶり」で引いても、一つもヒットしません。同じように、明治15年の『俳諧歳時記新栞草』冬の部、明治27年版の『俳諧歳時記栞草』下巻、明治40年の『季題辞典』、明治42年の『俳諧辞典』、明治43年の『俳諧ポケット歳時記』、昭和2年の『新撰俳諧辞典』、昭和8年の『俳諧季寄』の全文テキストも引きましたが、寒鰤の語は見つかりませんでした。機械で読み取った文字なので取りこぼしはありえますが、少なくともこれらの本で、寒鰤が見出しや傍題に立っている様子はありません。
昭和10年の句集で「鰤」の脇に「寒鰤」
句集の冬の部で「寒鰤」の字に出会ったのは、昭和10年(1935年)に交蘭社が出した『現代綜合大句集』でした。季題ごとに当時の句を集めた本で、冬の動物の部の「鰤」の見出しの下に、小さく「寒鰤」と添えてあり、そのあとに鰤網や鰤舟を詠んだ句が続きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(交蘭社 編『現代綜合大句集』・交蘭社・昭和10年・NDL PID:1210198 コマ315・著作権保護期間満了)
見出しはあくまで「鰤」で、寒鰤はその別の言い方として並んでいる、という扱いです。明治の『新脩歳時記』で「初鰤」が占めていた場所に、昭和の句集では「寒鰤」が入っている、と並べてみると、冬の鰤の呼び方の重心が、出始めの初鰤から、寒のさなかの寒鰤へ移っていった跡のようにも見えます。もっとも、確かめられたのはこの二冊を両端にした範囲だけで、その間のどこで寒鰤が季語の本に入ったのかまでは突き止められていません。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:875147 コマ292/PID:1210198 コマ315・著作権保護期間満了)
「寒鰤」と読まれた寒鮒
全文検索で「寒鰤」と出た古い本のなかには、原本を見ると鰤ではないものが混じっていました。明治26年の『枕山先生遺稿』の漢詩でヒットした箇所は、画像では「親攜凍釀併寒鮒」で、魚へんの右は「師」ではなく「付」です。明治35年の『東京風俗志』の「川に寒鰤釣をなし」も、原本は「寒鮒」で「かんぶな」と振り仮名があり、冬の川で鮒を釣る話でした。明治17年に活字になった畔田翠山の『水族志』でヒットしたのも鮒の項で、中国の地誌を引いた「鯽魚至冬曰寒鯽」の「寒鯽」です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(大沼枕山『枕山先生遺稿』明治26年・NDL PID:894222 コマ20/平出鏗二郎『東京風俗志』下・明治35年・NDL PID:992088 コマ74・著作権保護期間満了)
鮒と鰤は魚へんの右側が「付」と「師」で形が近く、しかも寒鮒(かんぶな)は冬の言葉として古くから使われていたので、機械の読み取りが寒鰤と取り違えやすいようです。表記を変えて「寒ぶり」でも引くと25冊ヒットしますが、多くは「酷寒ぶり」のような別の語の一部で、「寒ブリ」は4冊、「寒中の鰤」は3冊、「寒の鰤」「寒中鰤」はヒットしませんでした。江戸の本では、『魚鑑』『料理無言抄』『和漢三才図会』『日本山海名産図会』『水族四帖』の鰤のくだりの全文テキストを引き、寒の字と鰤が並ぶところを探しましたが見つからず、検索で古典籍に分類された「寒鰤」の2冊も、前後は鮒や漢籍の話でした。くずし字の読み取りは精度が低いので、江戸に寒鰤の語が無かったとまでは言えませんが、見つかった範囲でいちばん古いのは、明治23年の寄席の台詞です。
北陸で冬の雷を鰤の漁と結びつけた呼び名は鰤起こしで、鰤という字の成り立ちは魚へんに師の読み方で読んでいます。ほかの魚のことばは魚のことばの一覧へ。
この記事でわかったこと
寒の時季、冬のいちばん寒いころの鰤のことです。
明治36年の冬に行われた試験の報告『高知県水産試験場事業報告』は、県に来る鰤を「寒鰤春鰤」の二つに分け、寒鰤は「十一月中旬比ヨリ翌年一月迄」に来て、暗礁の深いところにいると書いています(NDL PID:842575 コマ95)。
冬の言葉として句集に出てきますが、明治42〜44年の『新脩歳時記』冬の部では、鰤の項の傍題は「初鰤」で、寒鰤は出てきません(NDL PID:875147 コマ292)。
句集で「鰤」の見出しの下に「寒鰤」が添えられている例として、昭和10年の『現代綜合大句集』の冬(動物)の部があります(NDL PID:1210198 コマ315)。
明治の高知の報告では十一月中旬から翌年一月まで(NDL PID:842575 コマ95)。
大正5年の『日本橋区史』は魚河岸の「一月」の魚に寒鰤を挙げています(NDL PID:951553 コマ260)。大正の『重要貨物情況』は「冬至鰤若くは寒鰤と稱し」、冬に値が上がり五、六月にはまずくなると書いています(NDL PID:984213 コマ56)。
見つかった範囲でいちばん古いのは、明治23年の落語の速記本『雪の瀬川』の台詞「寒鰤だから進げて」で、「かん」「ぶり」と振り仮名があります(NDL PID:891470 コマ37)。
江戸の本でも探しましたが、確かめられた例はありません。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 雪の瀬川
桂文楽 口演・佃与次郎 速記 明23.10
- 高知県水産試験場事業報告.第1,2巻
明36-45
- 家事界之智嚢
小松崎三枝 著 大正14
- 重要貨物情況.第4編
鉄道省運輸局 編 大正14-15
- 日本橋区史. 第3冊
東京市日本橋区 編 大正5
- 日本山海名産圖會 5巻.[3]
法橋關月 画 [18--]
- 新脩歳時記.冬の部
中谷無涯 編 明42-44
- 現代綜合大句集
交蘭社 編 昭和10
- 枕山先生遺稿
大沼枕山 著 明26.12
- 東京風俗志.下
平出鏗二郎 著 明治35
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



