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「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」の意味と由来 1656年の原本と信長の言葉

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この記事の目次

明暦2年(1656年)刊のことわざ集『世話尽』を開くと、「神はきねがならはし」「歌人は居ながら名所をしる」と並ぶなかに、「蟹ハ甲に似せて穴をほる」が何の説明もなく一行で置かれています。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」は、人は自分の身の丈に合った望みを持ち、身の丈に合ったことをするものだ、という意味のことわざで、蟹が巣穴を掘るときに自分の甲羅の大きさに合わせて掘るところから来た、と辞書は説明します。分相応と言い換えてもよいこの言葉は、江戸のあいだに信長の言葉として伝えられ、学者からは「日本生まれの諺」とされ、戯作者には洒落の種にされていました。

『梅園介譜』コマ20の見開き。緑の甲羅に紫と青の脚を持つガザミの彩色図が見開きいっぱいに描かれ、右下に書き入れがある
江戸後期の博物家・毛利梅園が写生したガザミ(ワタリガニ)。書き入れに「カサメ ウミガニ」「カサミ」とあり、末尾に「癸巳七月廿日真寫」。癸巳は天保4年(1833年)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園介譜』・毛利梅園筆・NDL PID:1286918 コマ20・著作権保護期間満了)

江戸の本では「甲羅」ではなく「甲」

国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで古典籍に絞り、「甲に似せて穴」と引くと13冊が出てきて、明暦2年(1656年)のことわざ集、文政13年(1830年)の国語辞典、山東京伝の読本、国学者の随筆が並びます。江戸の本の言い方は「甲羅」ではなく「甲(こう)」でした。

意味の押さえには明治の辞書が手近で、明治43年(1910年)の『諺語大辞典』は、ことわざを五十音順に集めて出典を添える辞典です。「か」の部のコマ142に、この項があります。

『諺語大辞典』コマ142の見開き。「か」の部のことわざが活字で並び、右ページに「蟹ハ甲ラニ似セテ穴ヲ掘ル」の項がある
『諺語大辞典』の「か」の部。「蟹ノ横這ヒ」に続いて「蟹ハ甲ラニ似セテ穴ヲ掘ル」の項がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ142・著作権保護期間満了)

項の末尾には、出典として『毛吹草』の名が挙がっています。正保2年(1645年)刊の俳諧書で、ことわざを集めた巻を持つ本ですから、江戸のはじめにはもうこのことわざがあったことになります。

辞書は「皆己が分ほど」と言う

『諺語大辞典』コマ142の「蟹ハ甲ラニ似セテ穴ヲ掘ル」の項と翻刻
「【蟹ハ甲ラニ似セテ穴ヲ掘ル】人の爲すこと、願ふこと、大小廣狹、皆己が分ほどなるをいふ。〔毛吹草〕――。Cut your coat according to your cloth.」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ142・著作権保護期間満了)
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翻刻

【蟹ハ甲ラニ似セテ穴ヲ掘ル】人の爲すこと、願ふこと、大小廣狹、皆己が分ほどなるをいふ。〔毛吹草〕――。Cut your coat according to your cloth.

現代語訳

蟹は甲羅に似せて穴を掘る。人のすること、願うことは、大小広狭、みな自分の分相応である。出典に『毛吹草』。布に合わせて上着を裁て、という英語の諺を添える。

人のすること、願うことは、大小広狭どれもみな自分の分相応である、という説明に、辞書は英語の諺「布に合わせて上着を裁て」を添えていて、同じ考えが西洋にもあるという注になっています。明治39年(1906年)の『俚諺辞典』も同じ意味で立て、「蟹は甲に似せて穴を掘る。人の志す所すべて其分に相應なりといふ喩。」としたうえで(NDL PID:900343 コマ71)、中国の類書『事文類聚』から、客がそれぞれ望みを語る話を引いています。明治26年(1893年)の『古今俚諺類聚』には「蟹は甲に肖て穴を堀る」の形で載っていました(NDL PID:767886 コマ18)。

1656年のことわざ集に、もうあった

『毛吹草』の原本はNDLで見つかりませんでしたが、その11年後に出た冒頭の『世話尽』は開けます。ことわざを並べただけの本で、巻二のコマ12です。

『世話尽』巻二コマ12の見開き。くずし字でことわざが縦に並び、左ページに「蟹は甲に似せて穴をほる」の一行がある
『世話尽』巻二。左ページの右寄りの一行に「蟹ハ甲に似せて穴をほる」とある。前後には「神はきねがならはし」「歌人は居ながら名所をしる」などが並ぶ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話尽』5巻 [2]・皆虚編・明暦2年・NDL PID:2554768 コマ12・著作権保護期間満了)
『世話尽』コマ12の「蟹は甲に似せて穴をほる」の行と翻刻
「蟹ハ甲に似せて穴をほる」。「蟹」に「かに」、「甲」に「かふ」、「穴」に「あな」の振り仮名。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話尽』5巻 [2]・皆虚編・明暦2年・NDL PID:2554768 コマ12・著作権保護期間満了)
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蟹ハ甲に似せて穴をほる

現代語訳

蟹は甲に似せて穴を掘る。1656年刊のことわざ集に、ほかの世話(ことわざ)と並んで載る。「蟹」に「かに」、「甲」に「かふ」、「穴」に「あな」の振り仮名。

17世紀のなかばには、説明のいらない決まり文句だったわけで、ことわざ集のなかの蟹は特別扱いもされず、ほかの世話(ことわざ)と同じ一行として置かれています。

江戸の人は、これを日本のことわざだと考えていました。写本で伝わる『和漢通語』は、漢籍にある言い回しと日本の言い回しを分けた本で、そこに「水母も骨にあふ 蟹ハ甲に似せて穴を堀などの俗語は皆やまと諺なるべし」とあります(NDL PID:2539021 コマ11)。水母(くらげ)も骨に逢う、蟹は甲に似せて穴を掘る、といった俗語は、漢籍に出どころの見つからない、日本で生まれた言葉だろうという判断です。

信長の言葉として伝えられた

国学者・小山田与清の随筆『松屋筆記』は、武辺話の本から、このことわざにまつわる信長の逸話を書き抜いています。

『松屋筆記』巻九十八コマ95の「武辺咄聞書巻ノ九 天正三年五月廿一日長篠合戦と云る段 信長ノ詞に蟹は甲に合せて穴を堀といふ事存当りたり」の列と翻刻
「武辺咄聞書巻ノ九 天正三年五月廿一日長篠合戦と云る段 信長ノ詞に蟹は甲に合せて穴を堀といふ事存当りたり」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『松屋筆記』巻九十七・九十八・小山田与清著・写本・NDL PID:2574527 コマ95・著作権保護期間満了)
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翻刻

武辺咄聞書巻ノ九 天正三年五月廿一日長篠合戦と云る段信長ノ詞に蟹は甲に合せて穴を堀といふ事存当りたり

現代語訳

『武辺咄聞書』巻九、天正3年5月21日長篠合戦という段に、信長の言葉として「蟹は甲に合わせて穴を掘るということは、思い当たった」とある――。国学者・小山田与清が書き抜いた一節。

『武辺咄聞書』巻九の、天正3年5月21日の長篠合戦の段に、蟹は甲に合わせて穴を掘るということに思い当たった、という信長の言葉がある、という書き抜きです。合戦の場で家臣の働きぶりを見た信長がこう言った、という話で、武士の世界では身の丈を知れという教訓として使われていました。もとの本は後世の聞き書きなので、信長が本当にそう言ったかは分かりませんが、江戸の人がこのことわざを信長に語らせたくなるほど、武家の教えとして通っていたことは確かです。

文政13年(1830年)の国語辞典『倭訓栞』は、この言葉を漢語に置きかえています。

『倭訓栞』コマ5の「蟹は甲に似せて穴を掘といふは思不出其位の意也」の列と翻刻
「○蟹は甲に似せて穴を掘といふは思不出其位の意也」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『倭訓栞』[7]・谷川士清纂・文政13年・NDL PID:2562788 コマ5・著作権保護期間満了)
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○蟹は甲に似せて穴を掘といふは思不出其位の意也

現代語訳

「蟹は甲に似せて穴を掘る」というのは、「思ひその位を出でず」(自分の分を超えて考えない)の意味である。

思不出其位は「思ひその位を出でず」と読む『論語』の言葉で、自分の地位を超えたことは考えない、という教えに、谷川士清は蟹の穴を重ねたのでした。毛利梅園は海の蟹だけでなく川の蟹も写していて、下の津蟹には、天保6年(1835年)に江戸・王子の川で捕れたものを写した、と読める書き入れがあります。

『梅園介譜』コマ19の見開き。こげ茶色の毛の生えた大きな蟹と、青みがかった小さな蟹の彩色図。書き入れに「津蟹」「石蟹」の題
毛利梅園が描いた「津蟹(ツガニ)」(左)と「石蟹」(右)。津蟹の脇に「天六乙未年捕武陽王子山川仲呂初七真寫」とあり、天保6年(1835年)に江戸・王子の川で捕れたものを写した、と読める。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園介譜』・毛利梅園筆・NDL PID:1286918 コマ19・著作権保護期間満了)

京伝の洒落、絵の賛、隠居の教訓

江戸後期になると、このことわざは遊びの道具にもなります。文化10年(1813年)、山東京伝の読本『双蝶記』の序文です。

『双蝶記』巻一コマ4の「蟹は甲に似せて穴うるさき世間舅やとおもふにつけ。舅といふ字を縁にして。此草紙を起す。」の列と翻刻
「蟹は甲に似せて穴うるさき世間舅やとおもふにつけ。舅といふ字を縁にして。此草紙を起す。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『双蝶記』6巻 [1]・山東京伝作・歌川豊国画・文化10年・NDL PID:2554013 コマ4・著作権保護期間満了)
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翻刻

蟹は甲に似せて穴うるさき世間舅やとおもふにつけ。舅といふ字を縁にして。此草紙を起す。

現代語訳

蟹は甲に似せて穴(を掘る)、うるさき世間の舅よ、と思うにつけ、舅という字を縁にしてこの草紙を起こす――。ことわざの「穴」と「うるさき」を掛けた京伝の序文。

京伝は「穴」で切って「うるさき」につなぎ、世間の口うるささを「舅」に重ね、その舅という字を縁にして物語を起こす、と序文を運んでいます。ことわざを誰もが知っているからこそ成り立つ言葉遊びで、蟹の穴が、いつのまにか世間の口うるささの話にすり替わっています。

嘉永5年(1852年)の『畸人百人一首』では、絵の賛になっていました。ある人が教えになる画賛を求めたので払子を描いて賛を書いた、という前置きのあとに「一人よき家に住んことをほつす 甲に似せて穴ほる事を悟れ」とあり(NDL PID:2538716 コマ29)、よい家に住みたいという欲に向かって、身の丈を知れ、と返しています。ことわざがそのまま処世訓として掛け軸に収まったかたちです。

『俚言集覧』は、同じ意味の別のことわざとして「根性に似せて家を作る」を挙げ、出典に『大倭故事』を引いて、「蟹は甲に似せて穴を掘るともいう」と注記しています(NDL PID:991570 コマ51)。家の大きさは住む人の器に似るという言い方も江戸にはあったわけで、穴を掘る蟹と家を建てる人とは、入れ物は中身に合わせて決まる、という同じ見方の裏表になっています。

長篠から明治の辞書まで

伝えられる話のうえでは1575年の長篠合戦の信長が最も古く、本の上では1645年の『毛吹草』(『諺語大辞典』の出典注記による)と1656年の『世話尽』が早い例です。そこから1813年の京伝の洒落、1830年の『倭訓栞』の「思不出其位の意也」、1852年の画賛を経て、1906年の『俚諺辞典』と1910年の『諺語大辞典』が、人の願いはみな己が分ほどだ、と意味をまとめました。

江戸のはじめから同じ形で使われ、学者は漢籍に出典のない日本のことわざだと考え、武家は信長の口を借りて教訓にし、戯作者は言いさして洒落にした。そのあいだ、蟹はずっと自分の甲羅の大きさの穴を掘り続けていたことになります。

この記事でわかったこと

  • 人は自分の力量や身分に応じた望みを持ち、それに応じた行動をするものだ、という意味です。

    明治43年の『諺語大辞典』は「人の爲すこと、願ふこと、大小廣狹、皆己が分ほどなるをいふ」と説明し、出典に正保2年(1645年)刊の『毛吹草』を挙げます(NDL PID:862766 コマ142)。文政13年の『倭訓栞』は「思不出其位の意也」と漢語で言い換えています(NDL PID:2562788 コマ5)。

  • 明暦2年(1656年)刊のことわざ集『世話尽』に「蟹ハ甲に似せて穴をほる」の形で載っています(NDL PID:2554768 コマ12)。

    『松屋筆記』は『武辺咄聞書』を引いて、天正3年(1575年)の長篠合戦の段に信長の言葉として「蟹は甲に合せて穴を堀といふ事存当りたり」とあると記します(NDL PID:2574527 コマ95)。

  • 江戸の写本『和漢通語』は「蟹は甲に似せて穴を堀などの俗語は皆やまと諺なるべし」と、漢籍に出典のない日本のことわざだと述べています(NDL PID:2539021 コマ11)。

    『諺語大辞典』は英語の「Cut your coat according to your cloth」を、『俚諺辞典』は『事文類聚』の話を、同じ考え方の例として添えています。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

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