「鯉口を切る」の意味と由来 鞘の口はなぜ「鯉」なのか
この記事の目次
三遊亭円朝の怪談を筆記した明治17年(1884年)の『怪談牡丹燈籠』で、金を出せと脅された侍は、はっと驚いて親指で鯉口を切り、震える声を張り上げます。「鯉口を切る」の意味は、刀をすぐ抜けるように鞘の口をゆるめておくことで、読みは「こいぐちをきる」。時代劇で侍が柄に手をかけ、親指でぐっと押すあのしぐさのことで、鯉口とは刀の鞘の口を指しますが、刀の話になぜ魚の鯉が出てくるのかは、言葉だけ眺めていてもわかりません。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻1・毛利梅園・NDL PID:1287112 コマ6・著作権保護期間満了)
上は毛利梅園が『梅園魚品図正』巻1に写生したコイの頭で、開いた口の内側の色まで塗り分けられています。この口の形が、あとで刀の話にそのまま戻ってきます。
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで、江戸以前の古典籍に絞って「鯉口」で引くと130冊あり、刀の拵えを書き留めた記録や刀剣の図の本が並びます。ところが「鯉口を切」で引くと古典籍は0冊でした。くずし字の機械読み取りは取りこぼしが多いので、これだけで江戸に無かったとは言えませんが、時代を問わずに引き直すと216冊になり、年代順に並べた先頭が冒頭の円朝、若林玵蔵が筆記した『怪談牡丹燈籠』第12編のコマ8でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『怪談牡丹燈籠』第12編・三遊亭円朝演述・若林玵蔵筆記・明治17年・NDL PID:891197 コマ8・著作権保護期間満了)
欄外に書名と第十二編の文字があり、本文の漢字にはほとんど読み仮名がついているので、高座の語りをそのまま耳で追うように読めます。源次郎という侍が刀に手をかける場面ですが、その一行を読む前に、鯉口が刀のどこなのかを辞書と刀の図で押さえておきます。
鞘の口は、口を開けた鯉の形
明治22年から24年(1889〜91年)にかけて出た大槻文彦の国語辞書『言海』は、「こひぐち」の項をこう説明しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言海』・大槻文彦編・明治22〜24年・NDL PID:992954 コマ251・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
こひぐち(名)鯉口刀ノ鞘ノ口ノ、鍔ト合フ處ノ稱、形、橢圓ニシテ、鯉ノ口ヲ開キタルガ如シ。
現代語訳
「鯉口」刀の鞘の口の、鍔と合わさるところの名。形は楕円で、鯉が口を開けたようである。
刀の鞘の口の、鍔と合わさるところの名前で、形は楕円、鯉が口を開けたようだ、という説明です。冒頭の梅園の鯉を見返すと、厚い唇にふちどられた口がちょうど楕円に開いていて、鞘の口はこの形に見立てられていたことになります。
刀の側からも形を見ておくと、森久寛が編んで自ら描いた写本『刀装類聚抄』は、刀の部分ごとの図に寸法を書き込んだ本で、鯉口の図もありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『刀装類聚抄』[7]・森久寛編・画・写本・NDL PID:2590735 コマ27・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『刀装類聚抄』[7]・森久寛編・画・写本・NDL PID:2590735 コマ27・著作権保護期間満了)
ページには刀の部分がひとつずつ線で描かれ、「中子如図」などの書き添えが並んでいます。その一つ、点線の楕円の下の「鯉口如図」は、鯉口の形はこのとおり、という書き込みで、そこに描かれた細長い楕円は『言海』の「形、橢圓ニシテ」と同じ形をしています。
江戸の写本では「くつろげ」た
江戸の本で鯉口がどう書かれていたかというと、古典籍でただ1冊、「鯉口をくつろ」の並びがヒットしたのが、淡路の藤井彰民による『淡路草』で、NDLの書誌では1800年代の写本です。出てくるのは庄左衛門という力持ちの話で、紀州の和歌山で紀伊侯お抱えの力士と力くらべをして苦もなく投げ勝ち、褒美に「左文字」の刀を賜った男が、ある夜、近所で夜話をしての帰り道に、急に雲がふさがって魔風が吹き、身の毛もよだつ目に遭います。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『淡路草』8巻[5]・藤井彰民著・写本・NDL PID:2561080 コマ88・著作権保護期間満了)
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翻刻
……庄左衛門左文字の鯉口をくつろげ……
現代語訳
……庄左衛門は、名剣・左文字の鯉口をくつろげ(ゆるめ)……(夜道で急に魔風が吹いてきた場面)
庄左衛門は左文字の鯉口をくつろげ、顔の前にかざしてうずくまり、空中で大きく笑う声がしたものの、やがて風はしずまって何の災難もなかった、まさしく名剣の守りによるものだ、と語られています。ここで鯉口をゆるめたのは斬り合うためではなく、いつでも抜ける名剣を顔にかざして魔風から身を守るためでした。話の中の庄左衛門は、このあと寛文7年(1667年)に60余歳で病死したと書かれています。
芝居の台本にも鯉口は出てきます。国立国会図書館には、芝居の台帳(台本)を書き写した『仮名手本忠臣蔵』の写本があり、くずし字の台帳の中に、若狭之助が師直を斬ってやろうと待ち構える場面がありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『仮名手本忠臣蔵』・写本・NDL PID:2537881 コマ32・著作権保護期間満了)
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翻刻
おのれ師直真二ツ刀の鯉口息を詰……
現代語訳
「おのれ師直、真っ二つに」。刀の鯉口、息を詰め……(若狭之助が師直を斬ろうと待ち構える場面の一節)
おのれ師直、真っ二つ、と言って刀の鯉口に手をやり、息を詰める。まだ抜いてはおらず、抜く寸前の張りつめた一瞬を、鯉口の一語が受け持っています。
「鯉口を切る」は円朝の語りから
『怪談牡丹燈籠』第12編に戻ると、「ヤイ金を出さないか」と脅された源次郎は、人目を忍ぶ姿で刀を落とし差しにしていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『怪談牡丹燈籠』第12編・三遊亭円朝演述・若林玵蔵筆記・明治17年・NDL PID:891197 コマ8・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
……大小を落し差にして居ましたが此樣子にハツと驚き拇指にて鯉口を切り慄へ聲を振立て
現代語訳
……(源次郎は)刀を落とし差しにしていましたが、この様子にはっと驚き、親指で鯉口を切り、震える声を張り上げて――。
はっと驚いて親指で鯉口を切り、震える声を張り上げて、お前たちは何者だ、狼藉者め、と叫びますが、その声は震えています。鯉口を切るのは、斬りかかる動きではなく、抜く前の身構えです。翌明治18年(1885年)に速記法研究会から出た同じ円朝の『業平文治漂流奇談』にも、この言い方が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『業平文治漂流奇談』第1-4編・三遊亭円朝演述・若林玵蔵筆記・明治18年・NDL PID:891414 コマ30・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
……プツリツと親指で鯉口を切り。
現代語訳
……ぷつりと、親指で鯉口を切り――。
相手の侍が刀の柄に手をかけたのを見て、文治は親指で鯉口を切り、もう一方の手には蛇の目の傘を持ちました。このあと文治は、刀ではなくその傘で、抜こうとする相手の膝を打っています。同じ年の円朝の『後開榛名梅香』にも「鯉口を切り居合腰」とあり(NDL PID:1084690 コマ16)、「鯉口を切る」は円朝の語りの中で、抜く一歩手前のしぐさとしてくり返し使われていました。
辞書の見出しになる
辞書の見出しに載るのも明治の半ばで、全文検索で「こひぐちをきる」を引くと、いちばん古いのは明治22年(1889年)、高橋五郎の『和漢雅俗いろは辞典』でした。説明は「扣刀、撫劔、ぬくしたくする、こひぐちをくつろげる」で、抜く支度をすること、鯉口をくつろげることと、『淡路草』の「くつろげ」と同じことばで言いかえています(NDL PID:1087746 コマ423)。
大正5年(1916年)の『大日本国語辞典』になると、名の由来と「切る」の意味が一つの項にまとめられています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本国語辞典』第2巻・上田万年・松井簡治著・大正5年・NDL PID:954646 コマ286・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
こひ-ぐち 鯉口(名)〔鯉の口を開きたるに似たるよりいふ〕㈠刀劍の鞘の口。刃を呑み入るる所。呑入り。こひぐち を きる 切鯉口刀を拔かんとして、少しく鯉口をくつろぐ。
現代語訳
「鯉口」〔鯉が口を開けたのに似ているところから言う〕①刀の鞘の口。刃を呑み込むところ。呑み入り。/「鯉口を切る」刀を抜こうとして、鯉口を少しゆるめること。
鯉の口を開いたのに似ているから鯉口で、刃を呑み入れるところ、そして鯉口を切るとは、刀を抜こうとして鯉口を少しゆるめることだ、という説明で、口を開けた鯉が刀を呑み込むという名前の見立てが、そのまま説明になっています。この辞典は用例として、刀の部分の名を並べた『桂川地蔵記』の「刀者金銀柄鞘中路鯉口」や、『傾城酒呑童子』の「鯉口鍔に握り添へ」も引いていました。
もうひとつの意味も載っていて、「下女などが著物の汚るるを防ぐため、上に著る筒袖のやや廣きもの」、つまり着物の上に着る少しゆったりした筒袖の上着も、鯉口と呼ばれていました。
切っても、刀はまだ鞘の中
刊年のない写本では、『刀装類聚抄』が鯉口を楕円で描き、『仮名手本忠臣蔵』の台帳が「刀の鯉口息を詰」と書き、1800年代の『淡路草』が「左文字の鯉口をくつろげ」と書いていました。刊年のある本で「鯉口を切」が最初に見つかるのは1884年の円朝『怪談牡丹燈籠』の「拇指にて鯉口を切り」で、1885年の『業平文治漂流奇談』「親指で鯉口を切り」がそれに続きます。辞書では1889年の『和漢雅俗いろは辞典』が「ぬくしたくする、こひぐちをくつろげる」、1889〜91年の『言海』が「鯉ノ口ヲ開キタルガ如シ」、1916年の『大日本国語辞典』が「刀を拔かんとして、少しく鯉口をくつろぐ」と、くつろげるとゆるめるの言葉で説明しています。
全文検索でたどれる「鯉口を切る」は明治17年の円朝から始まり、それより前の写本や明治の辞書には「鯉口をくつろげる」という言い方がありました。切るといっても刀はまだ鞘の中にあり、いつでも抜けるようにしておく、抜く一歩手前の身構えを言い表したことばです。
この記事でわかったこと
刀をすぐ抜けるように、鞘の口(鯉口)を少しゆるめることです。
大正5年の『大日本国語辞典』は「刀を拔かんとして、少しく鯉口をくつろぐ」と説明しています(NDL PID:954646 コマ286)。
鞘の口の形が、鯉が口を開けた形に似ているからとされます。
明治の『言海』は、鯉口を「刀ノ鞘ノ口ノ、鍔ト合フ處ノ稱、形、橢圓ニシテ、鯉ノ口ヲ開キタルガ如シ」と説明しています(NDL PID:992954 コマ251)。
国立国会図書館の全文検索でいちばん古いのは、明治17年(1884年)の三遊亭円朝『怪談牡丹燈籠』第12編の「拇指にて鯉口を切り」です(NDL PID:891197 コマ8)。
江戸以前の古典籍ではヒットしませんでしたが、くずし字は機械読み取りの取りこぼしが多いため、無かったとは言えません。写本の『淡路草』には「左文字の鯉口をくつろげ」という言い方があります(NDL PID:2561080 コマ88)。
違います。
明治22年の『和漢雅俗いろは辞典』は「こひぐちをきる」を「ぬくしたくする、こひぐちをくつろげる」、つまり抜く支度と説明しています(NDL PID:1087746 コマ423)。円朝の『業平文治漂流奇談』では、文治は親指で鯉口を切ったあと、刀ではなく蛇の目の傘で相手の膝を打っています(NDL PID:891414 コマ30)。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 怪談牡丹燈籠.第12編
三遊亭円朝 演述・若林玵蔵 筆記 明17
- 言海 : 日本辞書.第1-4冊
大槻文彦 編 1889-1891
- 刀装類聚抄.[7]
森久寛 編・画
- 淡路草 8巻.[5]
藤井彰民 著 [18--] [写]
- 假名手本忠臣藏
[1---] [写]
- 業平文治漂流奇談.第1-4編
三遊亭円朝 演述・若林玵蔵 筆記・酒井昇造 等助筆 明18.11
- 後開榛名梅香 : 安中草三傳.第1篇
三遊亭圓朝 演述・酒井昇造 筆記 1885
- 和漢雅俗いろは辞典
高橋五郎 著 明治22
- 大日本国語辞典.第2巻く〜し
上田万年, 松井簡治 著 大正5
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