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ぐれるの語源はハマグリ|ぐりはま・ぐれはまの意味と不良になるまで

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この記事の目次

万治三年(1660年)、俳人の立圃は住吉で「蛤のぐりはまとこそ水の月」と詠んでいます。若い人が道を踏みはずす、不良になるという意味の「ぐれる」は、語源をたどるとこのハマグリに行き着くとされていて、辞書で「ぐりはま」を引くと「はまぐり」の「はま」と「ぐり」を逆さにした語とあり、「ぐれはま」はその音変化だとあります(デジタル大辞泉「ぐりはま」「ぐれはま」の項)。この「ぐれ」を動詞にしたのが「ぐれる」だ、というのがよく知られた説明ですが、江戸の本を開くと、「ぐりはま」はもともと逆さことばを指す俳諧の用語で、「不良になる」の意味がつくのは、ずっとあとの大正の辞書でした。

『梅園介譜』コマ41のハマグリの図(部分)
『梅園介譜』1帖 コマ41の左ページ。題字に「蛤蜊(ハマグリ)」「蟦(ハマクリ)」「蚌蛤(ハマクリ)」などとあり、模様のちがう貝が数個描かれている。左下の黒っぽい貝には「此者ヲ烏貝ト云」と書き添えられている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1286918 コマ41・著作権保護期間満了)

柳亭種彦が考証した「ぐりはま 芋の山」

国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで「ぐりはま」「ぐれはま」と引くと、江戸の本がいくつも当たり、そのなかに、このことばの由来をまとめて論じた本が一冊ありました。『偐紫田舎源氏』で知られる江戸後期の戯作者・柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の随筆『用捨箱(ようしゃばこ)』です。種彦は天保13年(1842年)に亡くなっています(出典:永井一孝『國文學史』NDL PID:1082638 コマ228)。

『用捨箱』の見返し。「柳亭種彦随筆 用捨箱 三冊」とある
『用捨箱』の見返し。「柳亭種彦随筆 用捨箱 三冊」、左に「東都書房 青雲堂 連玉堂合梓」とある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『用捨箱 3巻』・NDL PID:2533766 コマ3・著作権保護期間満了)

『用捨箱』は、江戸の風俗やことばの由来を古い本を引きながら考証した随筆で、下之巻の最初の項目が、そのものずばり「ぐりはま 芋の山」でした。

『用捨箱』下之巻コマ61の見開き。左ページから「ぐりはま 芋の山」の項が始まる
『用捨箱』下之巻の見開き。右ページは白紙で、左ページの右端に「用捨箱下之巻」とあり、「一 ぐりはま 芋の山」の項が始まる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『用捨箱 3巻』・NDL PID:2533766 コマ61・著作権保護期間満了)
『用捨箱』下之巻の項目名「一 ぐりはま 芋の山」の大写し
『用捨箱』下之巻の項目名「一 ぐりはま 芋の山」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『用捨箱 3巻』・NDL PID:2533766 コマ61・著作権保護期間満了)

項の書き出しは次のとおりです。

『用捨箱』コマ61の「ぐりはま 芋の山」の項目名と本文冒頭の列と翻刻
赤枠は項目名と本文冒頭の列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『用捨箱 3巻』・NDL PID:2533766 コマ61・著作権保護期間満了)
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翻刻

ぐりはま 芋の山今物の齟齬する事をぐりはまといふハ、はまぐりを、ぐりはまといひてハ聞え

現代語訳

「ぐりはま」「芋の山」の項。いま、物事がくいちがうことを「ぐりはま」というのは、「はまぐり」を「ぐりはま」と言っては(意味が)聞き取れないところから出た言い方である。

「今物の齟齬する事をぐりはまといふハ、はまぐりを、ぐりはまといひてハ聞え」。

いま物事がくいちがうことを「ぐりはま」というのは、「はまぐり」を「ぐりはま」と言っては意味が通じない、というところから出たことばだ、と種彦は言い、その根拠として延宝七年(1679年)刊の俳諧の本『俳諧破邪顕正(はいかいはじゃけんしょう)』を引いています。ひとつ前の画像で、赤枠の左に四角で囲まれた「俳諧破邪顕正」の書名が見え、引用はその下から始まります。

「清水の瀧を。瀧の清水などゝいはゞ作意にもなるべし」、「祇園林を。林祇園とはいはれまじ」。

「清水の滝」を「滝の清水」と言うなら趣向(作意)にもなるだろうが、「祇園林」を「林祇園」とは言えまい、という二つの例で、どちらも前後を入れ替えた言い方なので、並べてあると同じことの例が二つ続いているように読みたくなります。ところが文の結びが、前は「なるべし」(なるだろう)、後は「いはれまじ」(言えまい)と違っていて、「滝の清水」ならまだ景色が浮かぶのに、「林祇園」では何のことか分かりません。入れ替えてもことばとして通るものと、入れ替えたら通らなくなるもので、二つは同じ例ではなく反対の例でした。中略をはさんで、引用は「是を」とこう続きます。

『用捨箱』コマ61の『俳諧破邪顕正』引用から立圃の句までの3列と翻刻
赤枠は『俳諧破邪顕正』の引用から立圃の句までの3列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『用捨箱 3巻』・NDL PID:2533766 コマ61・著作権保護期間満了)
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翻刻

連歌にてハ芋の山とて大きにきらふ俳諧にてハぐりはまといふ」とあり。山の芋も芋の山といひてハ義をなさず蛤をぐりはまといふに同シ住吉にて 蛤のぐりはまとこそ水の月 立圃

現代語訳

(『俳諧破邪顕正』に)「連歌ではこれを『芋の山』といって大いに嫌う。俳諧では『ぐりはま』という」とある。山の芋を「芋の山」と言っては意味をなさないのと、蛤を「ぐりはま」というのは同じことだ。/住吉にて 蛤のぐりはまとこそ水の月 立圃

「連歌にてハ芋の山とて大きにきらふ俳諧にてハぐりはまといふ」。

これを連歌の世界では「芋の山」(山の芋の逆さ)と呼んで大いに嫌い、俳諧では「ぐりはま」と呼ぶ、というのです。「芋の山」がどちらの側なのかは、種彦がすぐあとで「山の芋も芋の山といひてハ義をなさず蛤をぐりはまといふに同シ」と書いていて、山の芋を芋の山と言っては意味をなさず、蛤をぐりはまと言うのと同じだ、とあります。

「ぐりはま」は、逆さことばなら何でも指す名前ではありませんでした。ひっくり返したせいで意味が通らなくなったことば、「林祇園」の側を指す俳諧の用語で、種彦が項の書き出しで、はまぐりを「ぐりはま」と言っては意味が通じない、と書いていたのはこのことです。そのすぐ下に、種彦は句を引いています。

「住吉にて 蛤のぐりはまとこそ水の月 立圃」。

句の前に「慕際集 万治三」と書名と年が示されていて、万治三年(1660年)の『慕際集』に、すでに「蛤のぐりはま」が詠まれていたことになります。今回『用捨箱』の引用で確かめられた範囲では、これがいちばん古い「ぐりはま」です(精選版日本国語大辞典は「かわりばえのしない」という別の意味で、永禄6年=1563年の『玉塵抄』の例を挙げています。今回は原本を確認していません)。

次のページには西山宗因の句「ありがひも何ぐりはまの生身魂」も引かれていて(出典:同書コマ62)、種彦は、立圃の句は空にあるべき月を水の中に見ることを言ったもの、宗因の句のほうは「是齟齬する意に近し」、くいちがう意味に近い、と書き分けています。そして、今の人は「ぐりはま」とは言うが「芋の山」と言うのは聞かない、という趣旨のことを書いてこの項を閉じていて(出典:同書コマ62)、俳諧の用語だった二つのうち、「ぐりはま」だけが日常語として生き残ったことが分かります。

江戸後期の「ぐりはま」は段取りの狂い

種彦が「今の人」と言うとおり、江戸後期の本には、くいちがう意味の「ぐりはま」がふつうに出てきます。

『俄仙人戯言日記』コマ60の「皆ぐりはまに成た上」の列と翻刻
赤枠は「皆ぐりはまに成た上」の列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『俄仙人戯言日記 5巻』・NDL PID:2534216 コマ60・著作権保護期間満了)
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翻刻

皆ぐりはまに成た上大きな不調法仕出し

現代語訳

(もくろみが)みな「ぐりはま」になったうえに、大きな不始末をしでかし。

安永二年(1773年)ごろの『俄仙人戯言日記(にわかせんにんたわごとにっき)』には「皆ぐりはまに成た上大きな不調法仕出し」とあって、もくろみがみな「ぐりはま」になったうえに、大きな不始末をしでかした、という使い方です。

『滑稽富士詣』三編の表紙と本文の見開き
万延元〜文久元年(1860〜61年)刊の仮名垣魯文『滑稽富士詣』。左は三編の表紙で、幟と菅笠が描かれている。右ページの本文に「ぐりはま」が出てくる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『滑稽富士詣 7編14巻』[6]・NDL PID:2554721 コマ19・著作権保護期間満了)

幕末の仮名垣魯文『滑稽富士詣(こっけいふじもうで)』でも、「茶番の趣向ぐりはまとなりて連中一同大なんぎ」(出典:同書・NDL PID:2554721 コマ19)と、座興の芝居の段取りが「ぐりはま」になって一同が大難儀しています。いまなら、段取りがぐれた、と言うところでしょう。

種彦はすでに「訛ってぐれはま」と書いていた

「ぐりはま」から「ぐれはま」への変化も、種彦が書き残しています。没後に遺された稿本のひとつ『柳亭筆記(りゅうていひっき)』で(出典:『続燕石十種』第2・NDL PID:991280 コマ5)、国立国会図書館にあるのは写本です。

『柳亭筆記』コマ78の「ぐりはま」と「或ハ訛りてぐれはまといふ」の列と翻刻
赤枠は「ぐりはま」の説明の列と、行間に小さく書き添えられた「或ハ訛りてぐれはまといふ」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『柳亭筆記 3巻』[1]・NDL PID:2553926 コマ78・著作権保護期間満了)
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翻刻

いふべきをぐりはまといへるにて今物の齟齬する事をぐりはまといふ是なり或ハ訛りてぐれはまといふ

現代語訳

蛤というべきところを「ぐりはま」と言ったところから、いま物事がくいちがうことを「ぐりはま」というのがこれである。あるいは訛って「ぐれはま」ともいう。

「今物の齟齬する事をぐりはまといふ是なり。或ハ訛りてぐれはまといふ」。

後半の一文は、行間に小さく書き添えられています。

『柳亭筆記』の「是なり」と行間の「或ハ訛りて ぐれはまといふ」の大写し
『柳亭筆記』の「是なり」と、その横の行間に小さく書かれた「或ハ訛りて ぐれはまといふ」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『柳亭筆記 3巻』[1]・NDL PID:2553926 コマ78・著作権保護期間満了)

「ぐれはま」という形が江戸の終わりにはもうあったこと、そしてそれが「ぐりはま」の訛りだと当時の人が理解していたことが、この書き添え一つで分かります。

明治の辞書に出てくる「貝殻が合わない」説

明治になると、辞書が「ぐれはま」を立項します。明治26年(1893年)、山田美妙の『日本大辞書』です。

『日本大辞書』コマ318の「ぐれはま」の項と翻刻
赤枠は「ぐれはま」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本大辞書』・NDL PID:902835 コマ318・著作権保護期間満了)
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翻刻

ぐれ・はま(全平)根。〔ぐりはまノ轉。ぐりはまハはまぐりヲ二ツニ分ケテ顛倒シタ語デ、即チはまぐりノ貝ハ一ツニ二タ片アル。其各ノ片ヲ別別ニ取リ合ハセテモ决シテ合ハヌトイフ所カラ〕。スベテ、物事ガ齟齬シテ適當セヌ塲合ヒニ用ヰル。=アチコチ。=見當チガヘ。=ブマ。—「スベテノ手都合ガぐれはまニナル」。

現代語訳

ぐれはま 〔「ぐりはま」の転。「ぐりはま」は「はまぐり」を二つに分けてひっくり返した語で、つまり蛤の貝は一つに二枚の殻がある。その各々の片を別々に取り合わせても決して合わないというところから〕。すべて物事がくいちがって適当でない場合に用いる。=あちこち。=見当ちがい。=ぶま。用例「すべての手都合がぐれはまになる」。

「ぐりはまハはまぐりヲ二ツニ分ケテ顛倒シタ語デ、即チはまぐりノ貝ハ一ツニ二タ片アル。其各ノ片ヲ別別ニ取リ合ハセテモ决シテ合ハヌトイフ所カラ」。

ここで、種彦にはなかった説明が加わっています。種彦は、逆さに言っては意味が通じないから「くいちがう」になった、と言いましたが、美妙は、蛤の二枚の殻を片方ずつ別々に取り合わせても決して合わないから「くいちがう」になった、と言うのです。明治29年(1896年)の『帝国大辞典』も、ほぼ同じ文で貝殻説を書いています(出典:同書・NDL PID:2387590 コマ289)。逆さことばの説と貝殻の説は、「はまぐり→ぐりはま」までは同じで、そこから「くいちがう」への橋のかけ方がちがっています。

動詞「ぐれる」は、まず「計画が狂う」だった

動詞の「ぐれる」が辞書に載るのは明治の終わりで、明治42年(1909年)の『俗語辞海』に項があります。

『俗語辞海』コマ165の「ぐれはま」「ぐれる」の項と翻刻
赤枠は「ぐれはま」と「ぐれる」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『俗語辞海』・NDL PID:2938225 コマ165・著作権保護期間満了)
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翻刻

【ぐれはま】(齟齬)(名)「ぐりはま」の轉ぐりはまは、「はまぐり」(蛤)をさかさまにした語で、物事のさかさまになって、思ふやうにならぬことにいふ。【ぐれる】(動)(一)物事のはからひにくるひがくる。くひちがふ。齟齬す、支齬す、ゆきちがふ、もくろみがぐれて、こまった。計畫齟齬して究せり。(二)物の順序にいりくるひができる。顛倒す、くるふ、げんかうのじんが、ぐれてる。原稿の順序顛倒せり。

現代語訳

ぐれはま 「ぐりはま」の転。「ぐりはま」は「はまぐり」をさかさまにした語で、物事がさかさまになって思うようにならないことにいう。/ぐれる (一)物事のはからいに狂いがくる。くいちがう。用例「もくろみがぐれて、こまった」。(二)物の順序に入り狂いができる。顛倒する。用例「げんかうのじんが、ぐれてる」(原稿の順序が入れちがっている)。

「【ぐれる】(動)(一)物事のはからひにくるひがくる。くひちがふ」、用例は「もくろみがぐれて、こまった」。もくろみが狂う、計画がくいちがう、という意味で、ここまで読むと明治の「ぐれる」はこれ一つだと思って先へ進みたくなりますが、同じ項の後半には(二)がありました。

「(二)物の順序にいりくるひができる。顛倒す、くるふ」。

用例は「げんかうのじんが、ぐれてる」で、辞書自身の言い換えは「原稿の順序顛倒せり」、原稿の順番がひっくり返っている、という意味です。この「顛倒」には見覚えがあって、山田美妙は「ぐりはま」を「はまぐりヲ二ツニ分ケテ顛倒シタ語」と書いていましたし、この『俗語辞海』も、すぐ上の「ぐれはま」の項で、「ぐりはま」を「はまぐり」をさかさまにした語と説明しています。順序がひっくり返るという1909年の(二)には、逆さことばだった「ぐりはま」の面影が残っているように見えます。そして(一)も(二)も、人ではなく物事が主語で、「ぐりはま」「ぐれはま」の意味をそのまま動詞にしたものでした。

「不良になる」は1922年の辞書から

人がぐれる、つまり道を踏みはずす意味は、今回見つかった範囲では、大正11年(1922年)に改修発行された『言泉』第2巻が最初でした。

『言泉』コマ149の「ぐれる」の項と翻刻
赤枠は「ぐれる」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言泉』第2巻・NDL PID:969160 コマ149・著作権保護期間満了)
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翻刻

ぐれる【動自】(一)事くひちがふ。齟齬して失敗す。ぐれはまになる。〔俚語〕(二)途中より心變りて惡くなる。自暴自棄となりて、心狂ふ。〔俚語〕

現代語訳

ぐれる (一)事がくいちがう。齟齬して失敗する。ぐれはまになる。〔俚語〕(二)途中から心変わりして悪くなる。自暴自棄となって心が狂う。〔俚語〕

「(一)事くひちがふ。齟齬して失敗す。ぐれはまになる。(二)途中より心變りて惡くなる。自暴自棄となりて、心狂ふ」。

第一の意味は『俗語辞海』と同じ「くいちがう」で、第二の意味として、途中から心変わりして悪くなる、自暴自棄になる、というのが加わりました。いまの「ぐれる」です。同じ『言泉』は「ぐりはま」の項で「はまぐり(蛤)の倒語」とはっきり書いていて(出典:同書・NDL PID:969160 コマ144)、由来の説明は逆さことばの説に戻っています。

この少し前、大正のはじめには「愚連隊(ぐれんたい)」ということばも本に出てきます。

『我輩は孔子である』コマ53の「愚連隊」を含む2列と翻刻
赤枠は「愚連隊」を含む2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『我輩は孔子である:孔子の東京見物』・NDL PID:951993 コマ53・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

日本の靑年社界には、愚連隊抔と云ふ不良少年の團體があるばかりでなく、女の方にも、女愚連隊と稱する團體があるようだから、

現代語訳

日本の青年社会には、「愚連隊」などという不良少年の団体があるばかりでなく、女性の側にも「女愚連隊(をんなぐれんたい)」と称する団体があるようだから。

大正3年(1914年)の『我輩は孔子である』には「日本の靑年社界には、愚連隊抔と云ふ不良少年の團體があるばかりでなく、女の方にも、女愚連隊と稱する團體があるようだ」とあり、「女愚連隊」には「をんなぐれんたい」とルビが振られています(その前の「愚連隊」のルビは「ぐれいたい」)。不良少年の団体の名として使われていたことが分かります。

逆さことばから、道を踏みはずす動詞へ

はまぐりがぐりはまになり、ぐれはまになり、ぐれるになったという筋道そのものは、江戸の種彦から大正の辞書まで、一貫して語られてきました。1679年の『俳諧破邪顕正』では連歌の芋の山と並ぶ俳諧の用語で、1773年ごろの『俄仙人戯言日記』ではもう、もくろみがくいちがう意味の日常語になり、1842年に没した種彦は由来を考証して、訛ってぐれはまとも言う、と書きとめています。1893年の『日本大辞書』は貝殻が合わないという説明を加え、1909年の『俗語辞海』に載った動詞の「ぐれる」は、もくろみが狂う、順序が入れちがう、という物事の話でした。

変わったのは意味のほうで、人が心変わりして悪くなる意味は、1922年の『言泉』になってようやく辞書に現れます。逆さことばの名前だった「ぐりはま」は、二百六十年かけて、人が道を踏みはずす動詞になりました。その出発点にあるのは、種彦が引く1660年の句で、住吉で水の中の月を詠んだ立圃が、蛤を「ぐりはま」とひっくり返していたことです。

この記事でわかったこと

  • 江戸後期の柳亭種彦『用捨箱』が、「はまぐり」を逆さにした「ぐりはま」が「くいちがう」意味になったと考証しています(NDL PID:2533766 コマ61)。

    同じ種彦の『柳亭筆記』には「訛ってぐれはま」ともあり(PID:2553926 コマ78)、明治以降の辞書もこの筋道で説明しています。ただし種彦の考証は江戸後期のもので、1660年当時の人がどう意識していたかまでは分かりません。

  • 今回たどれた範囲では、柳亭種彦『用捨箱』が引く万治三年(1660年)の『慕際集』の句「蛤のぐりはまとこそ水の月 立圃」です(『用捨箱』NDL PID:2533766 コマ61の引用による)。

    延宝七年(1679年)の『俳諧破邪顕正』には、逆さことばを連歌では「芋の山」、俳諧では「ぐりはま」と呼ぶ、とあります。

  • 今回見つかった範囲では、大正11年(1922年)の『言泉』が最初です。

    「途中より心變りて惡くなる。自暴自棄となりて」と説明しています(NDL PID:969160 コマ149)。明治42年(1909年)の『俗語辞海』の「ぐれる」は「もくろみが狂う」「物の順序が入れちがう」という物事についての意味だけで、人が不良になる意味はまだ載っていません。

この記事で開いた原本

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