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魚のことば

「河岸を変える」の意味と由来 河岸とは魚河岸か、川岸か

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この記事の目次

寛政10年(1798年)の自序がある『辰巳婦言(たつみふげん)』で、登場人物が知り合いのうわさをしながら、このごろは「河岸をかへて」「町」へ行くそうだ、と言っています。飲み会の一軒目を出たところで「河岸を変えようか」と言えば、店を替えて飲み直そう、という意味になりますが、この「河岸を変える」という言い回しは、二百年以上前の江戸の本にもう出てきます。ただし由来のほうははっきりせず、もとの「河岸」が魚市場の魚河岸なのか、舟の着く川の岸なのかは、明治の辞書と大正の辞書とで書き方が分かれていました。

錦絵『江戸自慢三十六興 日本橋初鰹』。鰹を一尾さげた女と、輪を手にした若い男
右上の題箋に「日本橋 初鰹」。女が手にさげているのが鰹で、右の若い男は棒の先に輪をさげて身をかがめている。上に日本橋の賑わいと富士。広重画・豊国筆。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『江戸自慢三十六興 日本橋初鰹』・NDL PID:1303607・パブリックドメイン)

寛政10年、『辰巳婦言』の「此頃ハ河岸をかへて」

国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで本文を引くと、書き方は一つではなく、「河岸を変」「河岸を變」で129冊、「河岸を替」で65冊、「河岸を代」で47冊、「河岸を更」で11冊、かな書きの「河岸をかへ」でも多くの本が見つかりました(2026年10月15日に検索)。そのなかでいちばん古かったのが『辰巳婦言』で、国立国会図書館の書誌では、作は式亭三馬、絵は喜多川歌麿です。

『辰巳婦言』コマ35の見開き。くずし字の本文が左右のページに続き、台詞の頭に話し手の名が枠で囲んで置かれている
『辰巳婦言』の見開き。台詞の頭に、話し手の名を一字、枠で囲んで置いて、会話で話を進める本。左ページの右から四列目に「河岸をかへて」が出てくる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『辰巳婦言』・式亭三馬作・喜多川歌麿画・寛政10年自序・NDL PID:2554732 コマ35・著作権保護期間満了)

台詞の頭に話し手の名を一字、枠で囲んで置き、会話で話を進めていく本で、見開きの左ページの右から四列目に問題の一行が出てきます。くずし字の機械読み取りは精度が低いので、これより古い例が無いとまでは言えず、あくまで見つかった範囲でいちばん古い、ということになります。開いたページでは、登場人物どうしがさっき見かけた知り合いのうわさをしていて、ひところは別の所へ付き合ったこともあるが、と話したあとに、その一行が来ます。

『辰巳婦言』コマ35の「此頃ハ河岸をかへて町へ行そふだ」の列と翻刻
「……此頃ハ河岸をかへて町へ行そふだ。」「河岸」の振り仮名は「かし」、「町」は「まち」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『辰巳婦言』・式亭三馬作・喜多川歌麿画・寛政10年自序・NDL PID:2554732 コマ35・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

……此頃ハ河岸をかへて町へ行そふだ。

現代語訳

(ひところは別の所へ付き合ったこともあったが)このごろは河岸を変えて「町」へ行くそうだ。遊び仲間のうわさをする場面。

『辰巳婦言』コマ35から「此頃ハ」「河岸をかへて」を大きく切り出したもの
コマ35の一列を、「此頃ハ」(右)と「河岸をかへて」(左)の二つに切って並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:2554732 コマ35・著作権保護期間満了)

前は別の所へ通っていたが、このごろは河岸を変えて「町」へ行っている、という話の運びで、ここでの「河岸を変える」は、通う先を替える意味に取るのが自然です。「町」がどこを指すのかはこのくだりに書かれていませんが、18世紀の終わりには、人の行き先が変わることを言うのに、もうこの言い回しが使われていたわけです。

明治の辞書は、「河岸」を川の岸と書いた

「河岸」そのものの意味は、明治22〜24年(1889〜91年)に出た大槻文彦の国語辞書『言海』を開くと分かります。

『言海』コマ165の「かし(河岸)」の項と翻刻
見出し「かし(名)河岸」の語釈。〔 〕の中は語源の推測で、ここでは省いた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言海』・大槻文彦編・明治22〜24年・NDL PID:992954 コマ165・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

河岸〔……〕川ノ岸ノ、舟ヨリ人ノ上下スベキ處。通ジテ、海、湖ナドニモイフ。

現代語訳

かし(河岸)。川の岸の、舟から人が上り下りする所。広く、海や湖などにもいう。

「川ノ岸ノ、舟ヨリ人ノ上下スベキ處。通ジテ、海、湖ナドニモイフ」とあり、川の岸の、舟から人が上り下りする所で、広くは海や湖にもいう、という説明です。『言海』の「河岸」は魚とは関係のない、舟着き場としての川岸で、魚の市場のほうは別の見出しに立っています。

『言海』コマ133の「うをがし(魚河岸)」の項と翻刻
見出し「うをがし(名)魚河岸」の語釈。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言海』・大槻文彦編・明治22〜24年・NDL PID:992954 コマ133・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

うをがし(名)魚河岸 河海ノ魚ヲ上ゲテ、魚市ナド立ツル水邊ノ地。

現代語訳

うおがし(魚河岸)。川や海の魚を陸に揚げて、魚市などを立てる水辺の土地。

「河海ノ魚ヲ上ゲテ、魚市ナド立ツル水邊ノ地」、川や海の魚を陸に揚げて魚市などを立てる水辺の土地、というのが魚河岸です。舟が着く岸だから魚も揚がるわけで、二つの見出しはつながってはいるものの、明治の辞書では「河岸」は川岸、魚の市場は「魚河岸」と、はっきり分けて説明されていました。「河岸を変える」という言い回しは、この『言海』の「かし」の項には載っていません。

大正の和英辞典は「a fish market」

大正7年(1918年)に研究社から出た武信由太郎編の『武信和英大辞典』は、日本語の見出しに英語の訳をつけた辞書で、こちらになるとようすが変わります。

『武信和英大辞典』コマ454の「kashi(河岸)」の項。「河岸を替へる to try a new trade」の用例がある
コマ454の「kashi(河岸)」の項を切り出した。訳は「A river-side; a fish market(魚河岸)」、用例「河岸を替へる」の訳は「to try a new trade」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(武信由太郎編『武信和英大辞典』・研究社・大正7年・NDL PID:925665 コマ454・著作権保護期間満了)

「河岸」の訳は「A river-side; a fish market (魚河岸)」で、川岸と魚市場の二つの意味が、ひとつの見出しに並んでいます。おもしろいのはそのすぐ下の用例で、「河岸を替へる」を「to try a new trade」(新しい商売をやってみる)と訳していて、飲み屋を替える話ではなく商売替えのことになっています。

同じころの本にも、仕事の場を移す使い方があります。大正2年(1913年)の西沢富則『欧洲文芸界之逸話』文豪之部は、弁護士の法衣を捨てた文人フォントネルのことを「辯護士の服を脱いだフォントネルは、河岸を變へて今度は文壇の人とならうとして」と書いていて(NDL PID:947469 コマ163)、通う先を替えることから、商売や仕事を替えることまで、行き先を替えること全般にこの言い回しが使われていたようです。

歌川国貞(三代豊国)の錦絵「東海道五十三次之内 日本橋 松魚売」。手ぬぐいをかぶった魚売りの男の大首絵で、うしろに日本橋と荷をかつぐ人びと
嘉永5年(1852年)の錦絵。右上の題に「東海道五十三次の内 日本橋 松魚賣」とあり、手前に鰹売りの男、うしろに日本橋と、天秤棒で桶をかつぐ人びとが描かれている。所蔵館の目録では役者絵で、役名は「松魚売」。
出典:東京都立中央図書館(TOKYOアーカイブ)「東海道五十三次之内 日本橋 松魚売」・歌川豊国(3世)画・辻岡屋文助・嘉永5年・請求記号 N274-2・パブリックドメイン

牧水は、宿から宿へ「河岸を代ふ」

いまの「飲み直す」に近い使い方は、歌人・若山牧水の旅の記に出てきます。国立国会図書館の書誌で1930年刊とされる、改造社の『牧水全集』第5巻です。

『牧水全集』第5巻コマ83の見開き。右ページに浅間温泉での宴会のくだり、左ページに「九州めぐりの追憶」の題
『牧水全集』第5巻の見開き。右の146ページが浅間温泉での滞在を書いたくだりの終わりで、左の147ページから「九州めぐりの追憶」が始まる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(若山牧水『牧水全集』第5巻・改造社・NDLの書誌で1930年・NDL PID:1259649 コマ83・著作権保護期間満了)

浅間温泉に泊まっていたときの話で、朝早く、知人の泊まる小柳の湯から迎えが来てとろろ汁をごちそうになり、そのまま宴会になって昼すぎまで飲みぬいてしまった、そのあとのくだりです。左の147ページからは「九州めぐりの追憶」が始まるので、浅間温泉の話は右の146ページで締めくくられています。

『牧水全集』第5巻コマ83の「今度はまた河岸を代ふべしとて我等の翁の湯に移つて深更まで」の列と翻刻
「……今度はまた河岸を代ふべしとて我等の翁の湯に移つて深更まで、完全に終日を飮み暮らしてしまつた。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(若山牧水『牧水全集』第5巻・改造社・NDLの書誌で1930年・NDL PID:1259649 コマ83・著作権保護期間満了)
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翻刻

……今度はまた河岸を代ふべしとて我等の翁の湯に移つて深更まで、完全に終日を飮み暮らしてしまつた。

現代語訳

こんどはまた河岸を変えようと、私たちの宿の翁の湯に移って夜ふけまで、まる一日を飲み暮らしてしまった。朝から別の宿で宴会をしたあとのくだり。

「今度はまた河岸を代ふべしとて我等の翁の湯に移つて深更まで」。一軒目の宿で飲んだあと、自分たちの宿の翁の湯に場所を移して夜ふけまで飲み直したわけで、字は「代ふ」でも、使い方はいまの「河岸を変える」そのものです。

釣りの歌では、河岸は釣り場

魚のサイトとしてもう一つ挙げておきたいのが、大正2年(1913年)の青柳有美『学理対照九星淘宮術奥伝講義』です。枠で囲んだ短い歌、つまり教えを歌の形で言う道歌(どうか)がいくつか並ぶなかに、釣りの歌があります。

『学理対照九星淘宮術奥伝講義』コマ40の「氣をもみて河岸を變ゆるは釣の下手 落着て居よ魚の寄るまで」の二列と翻刻
「氣をもみて河岸を變ゆるは釣の下手/落着て居よ魚の寄るまで」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(青柳有美『学理対照九星淘宮術奥伝講義』・帝国書院・大正2年・NDL PID:910362 コマ40・著作権保護期間満了)
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翻刻

氣をもみて河岸を變ゆるは釣の下手落着て居よ魚の寄るまで

現代語訳

気をもんで釣り場を変えるのは釣りの下手な人。落ち着いて待っていなさい、魚が寄ってくるまで。

「氣をもみて河岸を變ゆるは釣の下手 落着て居よ魚の寄るまで」。釣れないと気をもんで場所を替えるのは釣りの下手な人で、魚が寄ってくるまで落ち着いて待て、という歌です。ここでの「河岸」は糸を垂れる川の岸、つまり釣り場で、全文検索では同じ歌が大正4年・大正6年・昭和11年の本にも見つかりました。釣り場を替えるのも、店を替えるのも、同じ言い回しで言えたことになります。

魚河岸か、川岸か

いまはおもに飲食の店を替えて飲み直すときに使う「河岸を変える」は、もとは行く場所や仕事の場を替えること全般に使われていて、用例は見つかった範囲では18世紀の終わりの江戸の本までさかのぼります。1798年の『辰巳婦言』が通う先を替える意味で使い、1913年の道歌は釣り場を替え、1918年の和英辞典は商売替えと訳し、1930年の牧水は宿を替えて飲み直していました。

由来について原本で確かめられたのは、明治の『言海』が「河岸」を舟の着く川岸と書き、大正の和英辞典が川岸と魚河岸の両方をあげている、というところまでです。「河岸を変える」の「河岸」がどちらから来たのかを書いた江戸・明治の文は、今回の検索では見つかりませんでした。

この記事でわかったこと

  • 行く場所や活動の場を替えることです。

    今はおもに、店を替えて飲み直す意味で使います。若山牧水は浅間温泉での宴会のあと「今度はまた河岸を代ふべしとて我等の翁の湯に移つて」と書いています(『牧水全集』第5巻、NDL PID:1259649 コマ83)。

  • 国立国会図書館の全文検索で見つかった早い例は、寛政10年(1798年)の自序がある『辰巳婦言』の「此頃ハ河岸をかへて町へ行そふだ」です(NDL PID:2554732 コマ35)。

    くずし字の機械読み取りは精度が低いので、より古い例がある可能性はあります。

  • はっきりしません。

    明治の『言海』は「河岸」を「川ノ岸ノ、舟ヨリ人ノ上下スベキ處」とし、魚市場は「魚河岸」として別に立てています(NDL PID:992954 コマ165・133)。大正7年の『武信和英大辞典』は「河岸」に「A river-side; a fish market」の二つの訳をあげています(NDL PID:925665 コマ454)。言い回しの由来をどちらと書いた原本は、今回は見つかっていません。

  • 「河岸を変える」のほか、「河岸を替える」「河岸を代える」とも書かれてきました。

    国立国会図書館の全文検索では「河岸を変(變)」129冊、「河岸を替」65冊、「河岸を代」47冊がヒットします。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。

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