「鯉の滝登り」の由来 龍門は滝ではなく黄河の急流だった
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明の類書『唐類函』が引く『三秦記』の一節は、龍門をのぼれなかった魚がえらを曝すところで終わっています。鯉の滝登りの由来とされるこの中国の伝説には、滝の字が一度も出てきません。五月の空に泳ぐ鯉のぼりを男の子の出世を願う飾りだと教わった人は多く、その根っこにある「鯉の滝登り」は、滝を登りきった鯉は龍になるという立身出世のたとえで、登龍門という言葉も同じ話から来ていますが、江戸の本と明治の辞書を順にめくると、もとの話は滝ではなく黄河の急流の話でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『渓斎鯉の滝登り』・渓斎英泉画・甘泉堂版・NDL PID:1305675 コマ1・著作権保護期間満了)
上の絵は江戸後期の浮世絵師・渓斎英泉が描いた「鯉の滝登り」で、二枚続きの上の一枚に、頭を上に向けて水を割る鯉がいます。江戸の町の人が思い浮かべた鯉は、まさにこのように落ちてくる水に逆らって登っていく姿でした。
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで、古典籍に絞って「鯉の滝登」で引くと4冊が出てきます。いちばん古いのは安永8年(1779年)刊の黄表紙『寿々葉羅井』で、小咄の題に「鯉の瀧登」とあるので、江戸の人にとってはもう説明のいらない言葉だったことになります。由来のほうは、ことわざと俗信を五十音順に集めて出典の漢籍まで引いてくれる明治43年(1910年)刊の『諺語大辞典』から入るのが近道で、「こ」の部のコマ225に「鯉ノ瀧登」の項がありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ225・著作権保護期間満了)
開いてみると、恋にまつわることわざが並ぶ間に鯉の項が挟まっています。項目は二行しかないのに、その二行に「龍門」という地名が出てきます。この地名を手がかりに、辞書から中国の古い本へ、そして江戸の本草書へと降りていくことにしました。
辞書は「龍門の瀧」と書いた
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ225・著作権保護期間満了)
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【鯉ノ瀧登】鯉が龍門の瀧を泝れば龍となるといふより、人の立身出世に比す。【鯉ノ瀧上リヲ見ルト出世スル】俗説。前條參照。
現代語訳
鯉が龍門の滝をさかのぼれば龍になるという言い伝えから、人の立身出世にたとえる。「鯉の滝上りを見ると出世する」は俗説で、前の項を見よ。
鯉が龍門の滝をさかのぼれば龍になるという言い伝えから人の立身出世にたとえる、というのが辞書の説明で、滝の名前は「龍門」とされています。続く項は鯉の滝上りを見ると出世するというもので、辞書はこれを俗説だと断っています。同じ俗信は明治26年(1893年)の『古今俚諺類聚』にもあり、「鯉の瀧昇りを見ると運がよくなる」が、米を粗末にすると眼が悪くなるといった言い伝えの隣に並んでいます(NDL PID:767886 コマ91)。明治の人は、滝を登る鯉を縁起物として見ていたわけです。
同じ辞書が「龍門は黄河の上流」と書いていた
龍門の滝がどこにあるのかは、同じ『諺語大辞典』の別の項、「と」の部の「登龍門」に書かれていました。見出しに続けて「龍門は黄河の上流に在り、鯉之を登り得れば、化して龍となるといふ、由りて人の榮達するに比す」(NDL PID:862766 コマ361)とあり、龍門は黄河の上流にある、と言うだけで、滝とは書いていません。さらに「り」の部には「龍門ノ瀧ノボリ」の項があり、こちらは出典を丸ごと引いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ552・著作権保護期間満了)
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【龍門ノ瀧ノボリ】出世することに喩ふ。〔辛氏三秦記〕河津一名龍門、水險不通、魚鼈之屬莫能上、
現代語訳
龍門の滝のぼり。出世することにたとえる。辛氏『三秦記』に、黄河の渡し場の一つを龍門といい、水が険しくて通れず、魚も鼈(すっぽん)ものぼれない、とある。次のページへ続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ553・著作権保護期間満了)
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江海大魚、薄集龍門下、數千不得上、上則爲龍也。〔後漢書〕李膺傳、是時朝廷日亂、綱紀頽弛、膺獨持風裁、以聲名自高、士有被其容接者、名爲登龍門。注、龍門、河水所下之口、在今絳州龍門縣。
現代語訳
江や海の大魚が龍門の下に数千も集まるが、のぼれない。のぼれば龍になる。『後漢書』李膺伝には、朝廷が乱れた時代に李膺ひとりが節を守って名声が高く、彼に迎えられた士は「龍門に登った」と呼ばれた、とある。注に、龍門は黄河の水が流れ下る口で、いまの絳州龍門県にある、と。
引かれている本は二つあります。ひとつは辛氏の『三秦記』で、黄河の渡し場の一つを龍門といい、水が険しくて通れず、魚も鼈(すっぽん)ものぼれないが、江や海の大魚が龍門の下に数千も集まり、のぼれば龍になる、という話です。もうひとつは『後漢書』の李膺伝で、朝廷が乱れた時代に李膺ひとりが節を守って名声が高く、彼に迎えられた士は「龍門に登った」と呼ばれた、という記事であり、「登龍門」はこの故事から出た言葉でした。
注には、龍門は「河水所下之口」、黄河の水が流れ下る口で、いまの絳州龍門県にある、とあります。滝ではなく川の難所で、辞書は見出しに「瀧」と書きながら、出典のほうでは「河津」「河水所下之口」と正直に引いていたことになります。
『三秦記』の原文には、えらを曝す魚がいた
『三秦記』の原本は残っておらず、明の万暦46年(1618年)に編まれた類書『唐類函』がその一節を引いています。類書とは、古い本の文章を項目ごとに集めた百科事典のことです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『唐類函』200巻・兪安期纂・万暦46年刊・NDL PID:2580736 コマ42・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『唐類函』200巻・兪安期纂・万暦46年刊・NDL PID:2580736 コマ42・著作権保護期間満了)
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辛氏三秦記曰、河津一名龍門。大魚集龍門下數千、不得上。上者爲龍、不上者魚。故云曝鰓龍門。
現代語訳
辛氏の『三秦記』にいう。黄河の渡し場の一つを龍門という。大魚が龍門の下に数千も集まるが、のぼることができない。のぼれた者は龍となり、のぼれない者は魚のまま。だから「龍門でえらを曝す」というのだ。
黄河の渡し場を一名龍門といい、大魚が龍門の下に数千も集まるがのぼることができず、のぼれた者は龍となり、のぼれない者は魚のままで、だから龍門でえらを曝すというのだ、という筋です。こちらの引用には、明治の辞書が省いた「曝鰓龍門」の結びがあり、登れなかった魚がえらを日にさらして力尽きるところまで書いてあるので、もとの話は成功の話であると同時に、失敗した魚の話でもありました。ここにも滝の字はなく、龍門は黄河が山を割って流れ出る急流の名で、魚がさかのぼれない難所として語られています。
江戸の本草書は「禹門」と書いた
江戸の学者もこの話を知っていて、元禄10年(1697年)刊の食物本草書『本朝食鑑』は、鯉の項で陰陽の理屈を述べたあとに次のように書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』12巻 [2] 巻七・人見必大著・元禄10年・NDL PID:2557333 コマ138・著作権保護期間満了)
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以龍有九重陽之數、而對之興言、竟至于登禹門化爲龍。是陰陽之常然也。
現代語訳
龍が九重の陽の数をもつことに対して鯉を語り、ついには禹門(龍門)にのぼって龍になるという話に至る。これは陰陽の理から見て当然のことだ、と。
ついには禹門にのぼって龍になるという話に至るが、これは陰陽の理から見て当然のことだ、という趣旨です。禹門は龍門の別名で、夏の禹王が山を切り開いて黄河を通したという伝説から来ています。正徳年間の百科事典『和漢三才図会』も、鯉の項で三尺を超える鯉には「化龍之勢」、龍になる勢いがあると書いていて(NDL PID:898161 コマ180)、江戸の学者の書き方はどれも中国の地名を保ったままでした。辞書が「龍門の瀧」と呼んだのは江戸の学者の書き方ではなく、滝は町の側で足された言葉のようです。
江戸の町では、もう「滝登り」だった
冒頭で触れた安永8年刊の小咄本『寿々葉羅井』のコマ45を開くと、左ページの左端、丸印のあとに「鯉の瀧登」と題があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『寿々葉羅井』・志丈作・北川豊章画・安永8年・NDL PID:8929594 コマ45・著作権保護期間満了)
筋は、隅田川から献上される鯉を運ぶ途中、両国橋で鯉が飛び出して川へ入ってしまう、というものです(NDL PID:8929594 コマ46)。橋の上で飛び出した鯉に滝登りの題をつけて、1779年の読者はそれで笑えたのです。
もっと前の例もあり、近松門左衛門の浄瑠璃に『淀鯉出世滝徳』という作があって、明治25年(1892年)刊の活字本はその注記に元禄13年(1700年)初演と記しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『長町女腹切・淀鯉出世滝徳』・近松門左衛門著・武蔵屋叢書閣・明治25年・NDL PID:992835 コマ18・著作権保護期間満了)
淀は鯉の名産地で、出世と滝はこの言い伝えから来ているので、題を見た客が鯉と出世をすぐに結びつけられた時代だったことが分かります。そして幕末の安政4年(1857年)には、広重が江戸の空に大きな鯉を描きました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『名所江戸百景 水道橋駿河台』・広重画・魚栄版・安政4年・NDL PID:1312283・著作権保護期間満了)
「水道橋駿河台」の手前には大きな鯉のぼりが一匹、遠景にも二匹の鯉と幟が立っていて、五月の江戸の町の上を鯉が泳いでいます。布や紙の鯉を竿につけて泳がせる鯉のぼりは、江戸の町の風習でした。明治39年(1906年)の『俚諺辞典』は、このころの言い回しをひとつ残しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『俚諺辞典』・熊代彦太郎編・幸田露伴閲・明治39年・NDL PID:900343 コマ49・著作権保護期間満了)
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江戶子は五月の鯉の吹流し。江戶の老は口ばかりなりといふ義。
現代語訳
江戸っ子は五月の鯉の吹き流し。江戸っ子は口ばかりだ、という意味。鯉の吹き流し(鯉のぼり)が口を開けて腹に何もないことにかけている。
江戸っ子は五月の鯉の吹き流しで、口ばかりで腹に何もない、という悪口です。鯉のぼりを「鯉の吹き流し」と呼び、口を開けて中が空っぽな姿を江戸っ子の気性にかけているので、滝を登る出世の鯉が、江戸では自分たちをからかう道具にもなっていたことになります。天保9年(1838年)成立の『東都歳事記』も、端午の節句に幟や飾りを売る市の絵を載せていて(NDL PID:764256 コマ10)、幟を立てた店先に客や子どもが集まる五月の江戸の光景が描かれています。鯉のぼりは、この節句の飾りのひとつとして広まりました。英泉の「鯉の滝登り」も、こうした町の空気のなかで描かれたものです。
黄河の急流が、五月の空へ
年代順に置き直すと、1618年の『唐類函』が引く『三秦記』は「河津一名龍門」「上者爲龍、不上者魚。故云曝鰓龍門」と、登れなかった魚の結びまで含めた黄河の急流の話で、1697年の『本朝食鑑』は「竟至于登禹門化爲龍」と中国の地名のまま書いています。1700年の近松『淀鯉出世瀧徳』(1892年刊本の注記による)で鯉と出世と滝が一つの題に収まり、1779年の『寿々葉羅井』では「○鯉の瀧登」が町の言葉として通じ、1857年の広重「水道橋駿河台」には江戸の空に鯉のぼりが泳いでいます。
明治に入ると、1893年の『古今俚諺類聚』が「鯉の瀧昇りを見ると運がよくなる」を、1906年の『俚諺辞典』が「江戸子は五月の鯉の吹流し」を拾い、1910年の『諺語大辞典』は見出しに「鯉ノ瀧登」「龍門ノ瀧ノボリ」と書きながら、出典の引用では「河津一名龍門」「河水所下之口」、「登龍門」の項では「龍門は黄河の上流に在り」としていました。
学者の本で黄河の急流だった龍門が、町では滝になり、小咄の題になり、五月の空に泳ぐ飾りになっていった道筋は、本を並べるとこのように見えてきます。滝の字を足したのは学者でも辞書でもなく、鯉を縁起物にした町の人たちだったようです。
この記事でわかったこと
中国の伝説です。
黄河の急流「龍門」に集まった魚のうち、さかのぼれた者は龍になり、のぼれない者は魚のままだった、と『三秦記』にあります(『唐類函』巻百五十九所引、NDL PID:2580736 コマ42)。明治43年の『諺語大辞典』は「鯉が龍門の瀧を泝れば龍となるといふより、人の立身出世に比す」と説明します(NDL PID:862766 コマ225)。
もとの話では滝ではありません。
『三秦記』は「河津一名龍門」、つまり黄河の渡し場の一つを龍門と呼び、『諺語大辞典』の「登龍門」の項も「龍門は黄河の上流に在り」と書いています(NDL PID:862766 コマ361)。江戸の『本朝食鑑』も「禹門」と中国の地名で書いており(NDL PID:2557333 コマ138)、「滝登り」という言い方は1779年刊の黄表紙『寿々葉羅井』の小咄の題(NDL PID:8929594 コマ45)など、江戸の町の側に見えます。
『後漢書』李膺伝の故事です。
朝廷が乱れた時代に李膺ひとりが節を守って名声が高く、彼に迎えられた士は「龍門に登った」と呼ばれた、とあります。『諺語大辞典』の「龍門ノ瀧ノボリ」の項がこの一節を引き、注に龍門は黄河の水が流れ下る口で絳州龍門県にある、と記します(NDL PID:862766 コマ552〜553)。
鯉のぼりは、滝を登って龍になる鯉に子どもの出世を重ねた飾りです。
安政4年(1857年)の広重「名所江戸百景 水道橋駿河台」に、江戸の空を泳ぐ鯉のぼりが描かれています(NDL PID:1312283)。明治39年の『俚諺辞典』には「江戸子は五月の鯉の吹流し」ということわざが載り、鯉のぼりを「鯉の吹流し」と呼んでいます(NDL PID:900343 コマ49)。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 渓斎鯉の滝登り
渓斎
- 諺語大辞典
藤井乙男 編 明43.3
- 古今俚諺類聚.第1類
岡本経朝 編 明26.9
- 唐類函200卷目2卷.[64]
明兪安期彙纂・明徐顯卿校 萬暦46序刊
- 本朝食鑑 12巻.[2]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
- 和漢三才図会.中之巻
寺島良安 (尚順) 編 明18
- 寿々葉羅井
志丈 作・北川豊章 画 安永8 [1779] 刊
- 長町女腹切・淀鯉出世滝徳
近松門左衛門 著 1892
- 名所江戸百景 水道橋駿河台
広重 安政4
- 俚諺辞典
熊代彦太郎 編・幸田露伴 閲 明39.9
- 東都歳事記.夏之部
斎藤月岑 (幸成) 編 明26.12
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