「にべもない」の語源と初出 にべは魚の浮き袋の膠だった
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毛利梅園が描いたニベの彩色図は、見出しに魚の字を書かず、浮き袋を指す「鰾」の一字を置いています。「にべもない」の語源はこの浮き袋で、ニベやコイ・ウナギ・サメなどの浮き袋からつくる粘着力の強い膠(にかわ)を「鰾膠」と書いて「にべ」と読み、それが無いことから、頼みごとを取りつく島もなく突き返すような無愛想さを言うようになりました(デジタル大辞泉「鰾膠も無い」「鰾膠」の項)。「にべもなく断られた」の「にべ」は、もとは魚の名だったわけで、魚と膠と慣用句をつなぐ線は江戸の本草書にはっきり書かれています。辞書が挙げる初出より古い句も、明治の辞書の用例から見つかりました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻1・NDL PID:1287112 コマ54・著作権保護期間満了)
江戸の本では「にべもなく」の形が主だった
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで古典籍に絞って引くと、「にべもなく」で2冊、「にべもなふ」で1冊、「にべもなき」で1冊が出て、「にべもない」そのものは0冊でした。言い切りの形はほとんど残っておらず、江戸の人はむしろ、にべもなく言う、にべもなく言い切る、というふうに後ろの動詞にかけて使うことが多かったようです。このあと開く浮世草子や評判記の用例も、ほとんどがその形で、相手の頼みを短く突き放す場面に出てきます。
いっぽう精選版日本国語大辞典が「にべもない」の初出に挙げるのは、享保5年(1720年)初演の近松門左衛門の浄瑠璃『心中天の網島』です(コトバンク「鰾膠も無い」の項)。国立国会図書館にはその享保5年の正本があるので、該当するはずのコマ17を開いてみました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『天の網島』・NDL PID:2539993 コマ17・著作権保護期間満了)
浄瑠璃の正本は太い筆のくずし字で行がうねっており、正直に言うと、この列を字ごとに確定して読むことは筆者にはできませんでした。機械読み取りが「むかし人」らしき文字列を拾った列がそれにあたるはずですが、それ以上は言えないので、同じせりふを大正12年(1923年)の活字本で読むことにします。
近松の「にべもない昔人」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『近松門左衛門全集』第九巻・NDL PID:1884397 コマ80・著作権保護期間満了)
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翻刻
連合五左衞門殿はにべもない昔人。
現代語訳
(叔母の)連れ合いの五左衛門殿は、にべもない昔気質の人。「連合」に「つれあひ」、「昔人」に「むかしびと」の振り仮名。
「連合五左衞門殿はにべもない昔人。」は、紙屋治兵衛の女房おさんの父、五左衛門についての一言です。叔母はやさしい人だが、その連れ合いの五左衛門は昔気質で取りつく島がなく、娘を捨てた婿を許さずにおさんを取り返して恥をかかせると息巻いている、という場面のせりふで(同コマ80)、「無愛想で、取りつく島がない」の意味を当てればそのまま通ります。1720年の時点で、この言葉はもう出来あがっていました。
翌享保6年(1721年)刊の役者評判記『役者若咲酒』にも、この言葉が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『役者若咲酒』[2]・NDL PID:2587022 コマ13・著作権保護期間満了)
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翻刻
とにべもなふいひ
現代語訳
……と、にべもなく言い(放ったので)。赤枠の列の冒頭部分のみ翻刻。
「とにべもなふいひ」とあるのは、役者の芸を評する本のなかで、登場人物がにべもなく言い放つ場面です。列の続きは判読が難しく、翻刻もここで止めておきますが、冒頭の数文字だけでも「にべもなく」のくだけた形が享保の評判記に出ていることは分かります。享保18年(1733年)刊、八文字屋の浮世草子『風流友三味線』では、金を借りにきた男に対する返事がこれでした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『風流友三味線』[3]・NDL PID:2550616 コマ17・著作権保護期間満了)
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翻刻
ねばならぬと。にべもなくいひきれバ。藤介もあ
現代語訳
……(思案させ)ねばならぬと、にべもなく言い切ったので、藤介も(あけまきも顔色を失った)。
「ねばならぬと。にべもなくいひきれバ。藤介もあ」。手紙を人に見せて思案させねばならないとにべもなく言い切られ、藤介もあけまきも顔色を失う、と話は続きます(同コマ17)。同じ其磧の『兼好一代記』(元文2年=1737年刊)にも、金子を持参しなければ会わせられないとにべもなく言い切る場面があり(NDL PID:2533031 コマ32、OCRによる)、断る場面や突き放す場面に使うところは、いまとまったく変わりません。享保から元文にかけての二十年ほどのあいだに、芝居と草子の両方でこれだけ出てくるのですから、当時の読者にとっても耳慣れた言い回しだったのでしょう。
辞書より古い、1698年の句
明治の辞書を引くと、近松よりさらに古い用例が出てきます。明治43年(1910年)の『諺語大辞典』の【ニベナイ】の項です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・NDL PID:862766 コマ394・著作権保護期間満了)
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翻刻
【ニベナイ】ニベは魚膠にて粘著性あり、故につきほなく、ぶあいそなるをいふ。にべもなくつい立つ蟬や旅の宿 野經。【ニベモシヤシヤリモナイ】味モシヤシヤリモ無イともいふ。粘氣もシヤリ〳〵したる所もなく無味なるをいふ。
現代語訳
ニベは魚の膠で粘着性がある。だから(粘りが)なく無愛想なことを言う。用例は野径の句。「にべもしゃしゃりもない」は「味もしゃしゃりもない」とも言い、粘り気もさっぱりした所もなく無味なことを言う。
「【ニベナイ】ニベは魚膠にて粘著性あり、故につきほなく、ぶあいそなるをいふ。にべもなくつい立つ蟬や旅の宿 野經。」
ニベは魚の膠で粘着性があるので、それが無いのは取りつくところがなく無愛想だ、という語源の説明に続けて、野径(やけい)という俳人の句を用例に引いています。この句は明治32年(1899年)の増補『俚言集覧』でも「にべなき」の項に載っていて、出典を〔續さるみの秋〕と書いています(NDL PID:991570 コマ435)。『続猿蓑』は元禄11年(1698年)刊の蕉門の撰集ですから、近松の浄瑠璃より22年古いことになります。原本の画像は国立国会図書館で見つけられなかったので、大正5年(1916年)の『芭蕉翁全集』に収められた『続猿蓑』で句を確かめました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『芭蕉翁全集』・NDL PID:950169 コマ186・著作権保護期間満了)
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翻刻
にべもなくつひたつ蟬や旅の宿
現代語訳
にべもなく、ついと飛び立つ蟬よ。旅の宿で。作者は野径(やけい)。『続猿蓑』(元禄11年=1698年刊)の句。
「にべもなくつひたつ蟬や旅の宿」。旅の宿で、止まっていた蟬がにべもなく、ついと飛び立っていく。愛想のない蟬に旅人がふと寂しさを覚える句でしょうか、とにかく「にべもなく」がもう日常語として句の中に置かれています。精選版日本国語大辞典の初出は1720年の近松ですが、活字本を経由する限り、1698年の句のほうが古い用例です。
ニベという魚
「にべ」がそもそも何なのかは、正徳2年(1712年)成の百科事典『和漢三才図会』の巻四十九「江海有鱗魚」に出ています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』中之巻・NDL PID:898161 コマ199・著作権保護期間満了)
「石首魚 江魚 黃花魚 石頭 和名仁倍 一云久智」。見出しの字は「鮸」で、漢名は頭に石がある魚という意味の石首魚、和名は「にべ」、一説に「くち」とあります。いまもニベ科の魚をイシモチ、グチと呼ぶのと同じ呼び分けで、ニベはスズキ目ニベ科の海の魚、その浮き袋は膠の原料として用いられてきました(コトバンク「ニベ」の項)。
冒頭の梅園の彩色図もこの魚で、梅園が見出しに浮き袋の字を書いたのは、この魚がまず膠の材料として知られていたからかもしれません。同じ梅園が別の帖に描いた、小ぶりで黄色みのある「石首魚(イシモチ)」も並べておきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻2・NDL PID:1287113 コマ53・著作権保護期間満了)
魚の名が膠の名になるまで
魚の名がなぜ膠の名になったのかは、江戸の本草書が順を追って書いています。宝永6年(1709年)刊、貝原益軒の『大和本草』巻十三がその早い例です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』[7]・NDL PID:2557359 コマ38・著作権保護期間満了)
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翻刻
ヨシニベハ腸中ニアル白鰾ヲ膠トスル事本草ニ見エタリ
現代語訳
(頭の石は刀の目貫に用いて)よし。ニベは腸中にある白鰾(浮き袋)を膠にすることが『本草綱目』に見えている。「白鰾」に「ミヲフクロ」の振り仮名。
「ニベハ腸中ニアル白鰾ヲ膠トスル事本草ニ見エタリ」。「白鰾」には「ミヲフクロ」と振り仮名があり、ニベの腹の中の浮き袋を膠にすることが中国の『本草綱目』に見えている、と益軒は言います。弘化4年(1847年)刊の小野蘭山『本草綱目啓蒙』の重訂版になると、浮き袋の大きさまで書いてあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙』[17]・NDL PID:2555647 コマ12・著作権保護期間満了)
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翻刻
ニベト云物ヲ粘スルニ甚カタシ弓工コレヲモチユ即鰾
現代語訳
——ニベと言う。物を粘りつけるのに非常に固い。弓工がこれを用いる。すなわち鰾(にべ)である。
コマ11の「ニベノ腹中ニ白鰾アリ長サ七八寸白色ニシテ厚サ二分バカリ」から読むと、ニベの腹には長さ七、八寸、白くて厚さ二分ほどの浮き袋があり、「白鰾ヲ製シテ膠トナスヲニベト云物ヲ粘スルニ甚カタシ弓工コレヲモチユ」、つまりその浮き袋から作った膠を「ニベ」と言い、物を粘りつけると非常に固いので弓師が使う、という順に話が進みます。魚の名がそのまま膠の名になっていて、同じ本の巻四十に立つ「鰾膠(ニベ)」の項では、念を押すように由来を繰り返しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『重訂本草綱目啓蒙』[17]・NDL PID:2555647 コマ71・著作権保護期間満了)
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翻刻
此石首魚ノ白鰾ヲ以テ造ル膠ナリ故ニ膠モニベト呼海鰻鱺鰾及鯉魚皮ヲ以テ製スル者甚強シ舶來ノ魚膠ハ(中略)ルベシ大坂ノ弓工ハ鹿ニベ鮫ニベヲ用ユ京師ノ弓工ハ専ラ鹿ニベヲ用ヒ魚膠ハ弱キ故ニ用ヒズト云
現代語訳
これは石首魚(ニベ)の白鰾で造る膠である。だから膠のことも「ニベ」と呼ぶ。ハモの鰾や鯉の皮で製するものは非常に強い。舶来の魚膠は……。大坂の弓工は鹿ニベ・鮫ニベを用いる。京都の弓工はもっぱら鹿ニベを用い、魚膠は弱いので用いないという。
「此石首魚ノ白鰾ヲ以テ造ル膠ナリ故ニ膠モニベト呼」。その先には、大坂の弓師は鹿ニベ・鮫ニベを使い、京都の弓師はもっぱら鹿ニベで、魚の膠は弱いから使わない、とも書いてあります。魚の名だった「ニベ」が、鹿や鮫の膠まで含めた膠の一般名になっていたわけで、名前のほうが材料より先へ広がっていたのが面白いところです。天保2年(1831年)刊の『魚鑑』は、この経緯を一段落にまとめています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『魚鑑』[1]・NDL PID:2557482 コマ30・著作権保護期間満了)
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翻刻
にべ 辨色立成に鮸の字を用ゆ。即いしもちの大なるものにして其腹中の白鰾膠となすときは物を粘するに宜し。今弓匠用ゆるところ是なり。鰾の字漢語抄にほばらと訓ず。今にべといふ。諸魚みな鰾ありといへども此魚にしかず。ゆへに魚鰾をにべといふ。またいしなぎといふ。皆一類別種なり
現代語訳
にべ。『弁色立成』は「鮸」の字を当てる。いしもちの大きいもので、腹の中の白い浮き袋を膠にすると、物を粘りつけるのによい。いま弓師が使うのがこれだ。「鰾」の字は『漢語抄』で「ほばら」と読む。いまは「にべ」という。どの魚にも浮き袋はあるが、この魚には及ばない。だから魚の浮き袋(の膠)を「にべ」という。また「いしなぎ」ともいう。みな同じ仲間の別種である。
「其腹中の白鰾膠となすときは物を粘するに宜し。今弓匠用ゆるところ是なり」と書き、さらに「諸魚みな鰾ありといへども此魚にしかず。ゆへに魚鰾をにべといふ」と続けます。どの魚にも浮き袋はあるが、この魚のものに及ぶものはないので、魚の浮き袋から作る膠を「にべ」と呼ぶ。魚から浮き袋へ、浮き袋から膠へと名前が移った理由を、江戸の人自身がこう説明していました。
粘りがないことが、愛想がないことに
膠は物と物をくっつけるもので、その膠が無ければくっつく気配も粘りけもない。『諺語大辞典』の「粘著性あり、故に(それが)なく、ぶあいそなるをいふ」という説明は、この筋道をそのまま言葉にしたものです。同じコマにはもう一つ長い形が載っていて、「【ニベモシヤシヤリモナイ】味モシヤシヤリモ無イともいふ。粘氣もシヤリ〳〵したる所もなく無味なるをいふ。」、粘りけも、しゃりしゃりした歯ざわりもないことを言うとあり、味も素っ気もない、という言い方と同じ組み立てになっています。
この「しゃしゃり」について、増補『俚言集覧』は面白い説を記録しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『俚言集覧』中巻・NDL PID:991570 コマ435・著作権保護期間満了)
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翻刻
にべなき にへもなくつひたつ蟬や旅の宿 野經〔續さるみの秋〕にべもしや〳〵りもない 或曰シヤ〳〵リとはセヽリの說言也セヽリは鐵砲の用具也ニベは弓の用具也用具もなきハ飾りなき譬喩なり鐵砲西蕃より渡來後の諺と見えたりと云り是なりや否や
現代語訳
「にべなき」——「にべもなくつい立つ蟬や旅の宿」野径〔続猿蓑・秋〕。「にべもしゃしゃりもない」——ある人が言うには、シャシャリとは「セセリ」のなまりで、セセリは鉄砲の道具、ニベは弓の道具。道具もないというのは飾りけのないことのたとえで、鉄砲が西洋から渡来したあとのことわざと見える、と。そうかどうか(は分からない)。
「或曰シヤ〳〵リとはセヽリの說言也セヽリは鐵砲の用具也ニベは弓の用具也用具もなきハ飾りなき譬喩なり鐵砲西蕃より渡來後の諺と見えたりと云り是なりや否や」
しゃしゃりは「せせり」のなまりで、せせりは鉄砲の道具、にべは弓の道具だから、道具もないというのは飾りけのないことのたとえで、鉄砲が西洋から来たあとのことわざだろう、というのがある人の説です。ただし編者は「是なりや否や」と、そうかどうかは分からないと留保をつけています。説の当否はともかく、「にべは弓の道具」という理解は『本草綱目啓蒙』の「弓工コレヲモチユ」と重なっていて、江戸の人にとってのにべは、魚である前に弓師が使う膠でした。
年代で並べ直すと、言葉の用例のほうが本草書の説明より早く出ています。1698年の『続猿蓑』の句、1720年の近松、1721年の『役者若咲酒』、1733年の『風流友三味線』と、慣用句は元禄から享保にかけて芝居や草子のなかで普通に使われていて、そのあいだに1709年の『大和本草』と1712年成の『和漢三才図会』が魚と膠を結びつけ、1831年の『魚鑑』と1847年刊の『重訂本草綱目啓蒙』が由来をはっきり書き、1899年・1910年の明治の辞書がそれを語源として整理した、という順になります。蟬に愛想がないと言った人は、300年以上前にもういたわけです。
この記事でわかったこと
「にべ」は魚のニベの浮き袋から作る膠(にかわ)のことです。
1831年刊の『魚鑑』は、どの魚にも浮き袋はあるがニベに及ぶものはないので「魚鰾をにべといふ」と説明し(NDL PID:2557482 コマ30)、『本草綱目啓蒙』は「膠モニベト呼」「弓工コレヲモチユ」と書いています(NDL PID:2555647 コマ12・71)。くっつける膠が「ない」ことから、粘りけがない、愛想がない、の意味になりました。
精選版日本国語大辞典は享保5年(1720年)初演の近松門左衛門『心中天の網島』の「つれあひ五左衛門殿はにべもない昔人」を挙げています。
それより古く、元禄11年(1698年)刊の『続猿蓑』に野径の句「にべもなくつひたつ蟬や旅の宿」があります(大正5年『芭蕉翁全集』NDL PID:950169 コマ186。明治の『俚言集覧』『諺語大辞典』も引用)。
スズキ目ニベ科の海の魚で、頭の中に大きな耳石があることから漢名を石首魚といい、イシモチ・グチとも呼ばれます。
『和漢三才図会』巻四十九は「鮸」の字に「くち/にべ」の振り仮名をつけ、「和名仁倍 一云久智」と書いています(NDL PID:898161 コマ199)。ニベ科の浮き袋は膠の原料として用いられてきました(コトバンク「ニベ」の項)。
この記事で開いた原本
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- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 天の網島
近松門左衛門 [作] [享保5 (1720) 初演]
- 近松門左衛門全集 : 10巻.第九巻
高野斑山, 黒木勘蔵 校訂 大正12
- 役者若咲酒 3巻.[2]
享保6 [1721] 刊
- 風流友三味線 5巻.[3]
自笑・其磧 享保18 [1733]
- 兼好一代記 5巻
八文字自笑・江島其磧 元文2 [1737]
- 諺語大辞典
藤井乙男 編 明43.3
- 俚言集覧.中巻 明治32 こ−に
村田了阿 編・井上頼圀, 近藤瓶城 増補 明治32
- 芭蕉翁全集
佐々醒雪, 巌谷小波 校 大正5
- 和漢三才図会.中之巻
寺島良安 (尚順) 編 明18
- 梅園魚品図正.巻2
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 重訂本草綱目啓蒙 48巻.[17]
蘭山小野先生 口授・小野職孝士徳 録・井口望之蘇仲 訂 弘化4 [1847]
- 魚鑑 2巻.[1]
武井周作 天保2 [1831]
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



