「鰯の頭も信心から」の語源と由来 明暦の原本は「信仰から」
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明暦2年(1656年)刊のことわざ集『世話尽』には、「いわしの頭も信仰から」と一行で書いてあります。いま「鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)」といえば、鰯の頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われるという意味で、物事をかたくなに信じる人をからかうときにも使いますが(デジタル大辞泉「鰯の頭も信心から」の項)、江戸の本を開くと、語尾は「信心から」ひとつに決まっていませんでした。
語源としてよく語られるのは、節分の夜に鰯の頭を柊の枝に刺して門口にかざす魔よけの風習で、現代の辞典は、この古い風習を江戸時代には迷信とみる人が増えていたのだろう、と説明しています(ことわざを知る辞典「鰯の頭も信心から」の項)。その風習も、江戸の本には何度も書きとめられています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ11・著作権保護期間満了)
辞典が指した『東海道名所記』
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで、「信じから」「信心から」「鰯のかしらも」「いわしの頭」と書き方を変えて引いていくと、古典籍に絞った「信じから」では4冊が当たり、そのうち2冊が『東海道名所記』の刊本と写本でした。機械の読み取りはくずし字を取り違えるので、ヒットした文字列は入口にすぎず、1冊ずつ開いてその列を拡大して読んでいます。
もう一つの入口になったのが現代の辞典で、精選版日本国語大辞典は、いちばん古い用例に宝暦13年(1763年)の『風流志道軒伝』を挙げ、語源については、「信心から」は「信じから」の転で、『東海道名所記』に「鰯のかしらも信じからなれども」とある、と書いています。
『東海道名所記(とうかいどうめいしょき)』は、万治2〜4年(1659〜61年)に成立・刊行された6巻6冊の仮名草子で、作者は元禄4年(1691年)に没した浄土真宗の僧、浅井了意(あさいりょうい)です。楽阿弥(らくあみ)という道心者が江戸から京へ東海道をのぼる道中記で、宿場ごとの里数や名所旧跡に滑稽な話をまじえて書かれています(精選版日本国語大辞典「東海道名所記」「浅井了意」の項)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ1・著作権保護期間満了)
巻三のコマ166、左に挿絵のある見開きの右ページに、その一行がありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ166・著作権保護期間満了)
この見開きは、庚申の三猿の話です。近ごろ訴訟をする者がこの三猿に祈れば相手方が負けると言いはやし、供物を供え、美しい小袖を縫って着せて、たいそう繁盛している、という趣旨の記述が続きます(NDL PID:2533857 コマ166)。そのあとに、こう書かれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ166・著作権保護期間満了)
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翻刻
鰯のかしらも信じからなれとも。無理非法の公事は神仏もちから及ひかたし
現代語訳
鰯の頭も「信じから」ではあるけれども、無理非法の訴えは神仏も力の及ぶところではない。「無理非法」「公事」に振り仮名がある。
「鰯のかしらも信じからなれとも。無理非法の公事は神仏もちから及ひかたし」。
鰯の頭も「信じから」ではあるけれども、筋の通らない訴えは神仏も力の及ぶところではない、という意味で、この「信じから」は信心ではなく、信ずるからという意味の言い方です。鰯の頭のようなものが尊く見えるのも信じるからだ、という言い回しを「なれとも(ではあるけれども)」と受けて先へ進んでいるので、すでにことわざとして通じていたことがうかがえます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ166・著作権保護期間満了)
この本は写本もデジタルコレクションに入っており(NDL PID:2553358 コマ71)、そちらも同じ「信じから」です。
もっと古いことわざ集は「信仰から」
辞典が指した本で話は終わらず、かなで「いわしの頭」と引き直すと、『東海道名所記』の成立より3年以上前、明暦2年(1656年)刊の『世話尽(せわづくし)』が当たりました。国立国会図書館の書誌では、編者は皆虚(かいきょ)、版元は西田庄兵衛で、開くとことわざが一行に一つずつずらりと並んでいて、巻二のコマ4の左ページの中ほどに冒頭の一行があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話尽 5巻』[2]・NDL PID:2554768 コマ4・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話尽 5巻』[2]・NDL PID:2554768 コマ4・著作権保護期間満了)
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翻刻
いわしの頭も信仰から
現代語訳
ことわざを一行に一つずつ並べた中の一行。「頭」に「かしら」、「信仰」に「しんがう」の振り仮名がある。
「いわしの頭も信仰から」。「信じから」でも「信心から」でもなく「信仰から」で、ことわざを集めた本に一行で載っている以上、明暦のころにはすでに決まった言い回しとして通っていたことになり、『東海道名所記』の「信じから」は、当時ただ一つの形ではありませんでした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話尽 5巻』[2]・NDL PID:2554768 コマ4・著作権保護期間満了)
西鶴の「信心から」と、機械の読み違い
今と同じ「信心から」の形は、井原西鶴の『世間胸算用(せけんむねさんよう)』(元禄5年=1692年刊)に出てきます。旅籠屋の出女だった者が、のちに鉢開き坊主になったという身の上話の中です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世間胸算用大晦日ハ一日千金 5巻』・NDL PID:2534240 コマ15・著作権保護期間満了)
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衣ぞかし精進の事は忘れて鰯の頭も信心からとて墨染
現代語訳
(心の鬼が身にまとう)衣である。精進のことは忘れて、鰯の頭も信心からといって墨染(の麻衣を着る)——。
「精進の事は忘れて鰯の頭も信心からとて墨染」。精進のことは忘れて、鰯の頭も信心からと墨染の衣を着るというのですから、17世紀の終わりには、もう「信心から」の形がありました。元禄15年(1702年)刊の『元禄曽我物語』(都の錦作)にも「鰯乃頭も信心がら」とあります(NDL PID:2575143 コマ11)。
全文検索では、ほかに「嫁の首も信心から」(延享2年=1745年『今昔出世扇』)、「鯰のかしらも信心から」(宝暦12年=1762年『世間母親容気』)という形も当たります。鰯の頭を嫁の首や鯰に言い換えた洒落かと思いたくなりますが、原本を開くと違いました。
『今昔出世扇(こんじゃくしゅっせおうぎ)』は八文字屋自笑・其笑の作、八文字屋八左衛門の刊。八百屋の息子がにわか医者「八百用安」となり、生き薬師とありがたがられて、病人まで治ってしまう場面です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『今昔出世扇 5巻』・NDL PID:2534235 コマ13・著作権保護期間満了)
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病も治りける。鰯の首も信心から
現代語訳
病も治ってしまった。鰯の首(頭)も信心から——。にわか医者の八百用安が、生き薬師とありがたがられる場面。字は「嫁」ではなく魚へんの「鰯」で、右に「い」から始まる振り仮名がある。
「病も治りける。鰯の首も信心から」。
『世間母親容気(せけんははおやかたぎ)』(南圭梅嶺作)は、医者が平胃散の粉薬を「先祖の唐人直伝の人参万金散」と称して渡し、患者が甘草の甘みを人参と思い込んで礼をはずむ、という場面です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世間母親容気 5巻』[1]・NDL PID:2554477 コマ13・著作権保護期間満了)
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気をはるなど。鰯のかしらも信心からなるべし。異国よりわた
現代語訳
(甘草の甘みを人参と思い込んで)礼をはずむなど、鰯の頭も信心からというものだろう。異国から渡ってきた——。字は「鯰」ではなく「鰯」。
「気をはるなど。鰯のかしらも信心からなるべし」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『今昔出世扇 5巻』NDL PID:2534235 コマ13、『世間母親容気 5巻』[1] NDL PID:2554477 コマ13・著作権保護期間満了)
どちらも言い換えではなく、ふつうの鰯の頭でした。検索の結果だけを並べると「嫁の首」「鯰の頭」という珍しい形があるように見えますが、それは機械がくずし字を読み違えた跡で、原本を開かなければ、ありもしないことわざの異形を二つ数えてしまうところでした。
宝暦13年(1763年)には、精選版日本国語大辞典が初出に挙げる『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』が出ます。風来山人こと平賀源内の談義本で、浅草の講釈師・深井志道軒を主人公にした風刺小説です(精選版日本国語大辞典「風流志道軒伝」の項)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『風流志道軒伝』・NDL PID:2554676 コマ37・著作権保護期間満了)
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翻刻
節分の狗骨鰮の頭も信仰からとはいへども
現代語訳
節分の柊(狗骨)と鰮(いわし)の頭も「信仰から」とはいうけれども——。「信心」ではなく「信仰」の字。
「節分の狗骨鰮の頭も信仰からとはいへども」。節分の柊(狗骨)と鰮(いわし)の頭も「信仰から」とはいうけれども、という書き方で、『世話尽』と同じ「信仰から」の字を使い、しかも「節分の」と、風習のほうをはっきり書いています。
天明2年(1782年)自序の『富賀川拝見(ふががわはいけん)』(蓬莱山人帰橋作・勝川春朗画)の巻頭の文にも、「鰯のかしらも信心から」の形が出てきます(NDL PID:2534196 コマ4)。
節分の夜、鰯の頭を門に挿す
ことわざの前提になっている風習は、江戸の本に何度も出てきます。精選版日本国語大辞典「鰯の頭」の項は、節分の夜に鬼を退散させるため鰯の頭を柊に刺して門や軒や窓に挿したまじないと説明し、用例に慶安元年(1648年)の『山の井』を引いています。
デジタルコレクションで確かめられる範囲で、古いほうから並べます。寛文13年(1673年)刊の『呉竹集(くれたけしゅう)』は、和歌や俳諧のことばを、いろは順に並べて説明していく本です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『呉竹集 10巻』[1]・NDL PID:2550686 コマ30・著作権保護期間満了)
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翻刻
○ゐ串さすとは節分の夜。いはしの頭を窓門にさすなり冬也
現代語訳
「ゐ串さす」とは、節分の夜に鰯の頭を窓や門に挿すことである。冬(の季のことば)である。
「○ゐ串さすとは節分の夜。いはしの頭を窓門にさすなり」。「ゐ串(いぐし)さす」ということばの説明として、節分の夜に鰯の頭を窓や門に挿すと書き、続けて「冬也」と、冬のことばであることを添えています。
享保9年(1724年)刊の『農術鑑正記(のうじゅつかんせいき)』(砂川野水編)は農家の仕事を書いた本で、コマ55は十二月の項です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農術鑑正記 2巻』・NDL PID:2536162 コマ55・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農術鑑正記 2巻』・NDL PID:2536162 コマ55・著作権保護期間満了)
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翻刻
立春の前夜。節分也。ひいらぎ。鰯の頭。戸口毎にさし
現代語訳
立春の前夜。節分である。柊と鰯の頭を戸口ごとに挿し——。十二月の行事の中に書かれている。
左ページの終わりのほうの「立春の前夜。節分也。ひいらぎ。鰯の頭。戸口毎にさし」は、柊と鰯の頭を戸口ごとに挿すということで、続けて、鬼の大豆をはやし、男女が年の数だけ食べる、とあります。
鰯の頭を使う理由は、歳時を集めた『月令博物筌(げつれいはくぶつせん)』(鳥飼洞斎・刊年不明)が、「鰯挿」「柊挿」と立てた見出しのうち「鰯挿」の項に書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『月令博物筌 16巻』[16]・NDL PID:2557821 コマ17・著作権保護期間満了)
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翻刻
かしらハ疾鬼邪鬼のきらふものゆへ今日さすなるべし
現代語訳
(前の列の末尾「いわしの」を受けて)鰯の頭は疾鬼・邪鬼の嫌うものだから、今日挿すのだろう。
「いわしのかしらハ疾鬼邪鬼のきらふものゆへ今日さすなるべし」、鰯の頭は疾鬼・邪鬼の嫌うものだから、この日に挿すのだろう、という説明で、項はさらに続き、『土佐日記』の節分の条に「なよしのかしら」と柊を小家の門に挿すとある、と引いたうえで、「なよしハ鰯の古名と思はる」と書きます。なよしは鰯の古い名だろう、というのです。ところが伊勢では鯔(ぼら)を「なよし」と呼び「名吉」とも書く。そのためどちらが正しいか分からない、という趣旨で結んでいます(NDL PID:2557821 コマ17)。同じ項の終わりには「井クシサス」の説明もあり、『呉竹集』に出る、と出典を添えています。
冒頭に置いた『梅園魚品図正』の鰯の図の、向かいのページの書き入れにも、この風習が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ11・著作権保護期間満了)
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翻刻
食フニ堪サル者ヲ赤イワシト云今節分ノ夜柊ト共ニ門上壁間ニ挿シテ邪鬼ヲ避ル
現代語訳
(塩漬けが古くなって)食べるに堪えないものを赤鰯という。今、節分の夜に柊とともに門の上や壁の間に挿して邪鬼を避ける。
「食フニ堪サル者ヲ赤イワシト云 今節分ノ夜柊ト共ニ門上壁間ニ挿シテ邪鬼ヲ避ル」。塩漬けが古くなって食べられなくなったものを「赤鰯」と呼び、それを節分の夜に柊とともに門の上や壁の間に挿して邪鬼を避ける、というのです。寛政10年(1798年)刊の『四時交加』にも、「門にはアウンの赤鰯を挿み」、鬼は外へと豆を打つ、という描写があります(NDL PID:2534277 コマ14)。魔よけに使うのは、食べられない古い鰯でした。
落語では「産前から」
ことわざが定着すると、もじりが生まれます。明治43年(1910年)刊の『笑談五種(しょうだんごしゅ)』は、江戸後期の噺家・林屋正蔵の噺本を五つ集めた本です。そのうちの「落噺年中行事」の、八月「放生会」の項にこうあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『笑談五種』・NDL PID:891336 コマ79・著作権保護期間満了)
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翻刻
世のことわざに鰯のあたまも信心がら、いわしのあたまも産前からとのまちがひか、
現代語訳
世のことわざの「鰯の頭も信心から」は誤りではないかと正蔵が考えた——「いわしの頭も産前から」の間違いか。八月「放生会」の項にある。
「世のことわざに鰯のあたまも信心がら、」というのは誤りではないかと正蔵が考えた、と始まり、節分に門口へ挿した赤鰯のからを取っておいて産気づいたときに煎じて飲むと安産になる、と続けて、「いわしのあたまも産前からとのまちがひか、」と落とします。
「信心から」を「産前から」に聞きなして笑わせるのは、ことわざとしてすっかり耳になじんでいたからこそ成り立つ噺です。
同じころの国学者・平田篤胤も、このことわざを使っています。神隠しに遭ったと称する少年・寅吉との面談を記録した『仙境異聞』(文政5年=1822年成立。別名『寅吉物語』。改訂新版世界大百科事典「仙境異聞」の項)の写本に、「鰯の頭も信心がらといふ如く」藁人形を祈ってもたちまち鬼物が寄ってくる、という一節があります(『仙童寅吉物語 3巻』[2]・NDL PID:2565276 コマ48)。
明治の辞書は見出しが割れた
明治になって、ことわざ辞典が編まれます。見出しの形をたどると、江戸の「信じから」がまだ残っていたことが分かります。
明治39年(1906年)の『俚諺辞典(りげんじてん)』(熊代彦太郎編・幸田露伴閲)は、見出しを今と同じ「鰯の頭も信心から」としています(NDL PID:900343 コマ36)。説明の中で『諺草』という本を引き、中国の『風俗通』にある、干し魚を神と信じて祀ったら病が治り福を得たという話を紹介したあとに、「いわしの頭も信じからといふも、これと同意なり」という一文を載せています(コマ37)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻二・NDL PID:1287113 コマ30・著作権保護期間満了)
明治43年(1910年)の『諺語大辞典(げんごだいじてん)』(藤井乙男編)は、ことわざごとに江戸の出典を添えた辞書です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・NDL PID:862766 コマ76・著作権保護期間満了)
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翻刻
【鰯ノ頭モ信ジカラ】信心カラともいふ。〔毛吹草〕信じからいとど涼しく鰯舟 静壽。〔東海道名所記〕鰯の頭も信じ、からなれども、無理非法の公事は神仏も力及びがたし。
現代語訳
見出しは「信ジカラ」で、「信心カラともいふ」と添える。出典として松江重頼の俳書『毛吹草』(正保2年=1645年刊)の句と『東海道名所記』の一節を引く。
「【鰯ノ頭モ信ジカラ】信心カラともいふ。〔毛吹草〕信じからいとど涼しく鰯舟 静壽。〔東海道名所記〕鰯の頭も信じ、からなれども、無理非法の公事は神仏も力及びがたし。」。
見出しは「信ジカラ」で、「信心カラともいふ」と添えています。出典の一つは、松江重頼の俳書『毛吹草』(正保2年=1645年刊。デジタル大辞泉「毛吹草」の項)の句。「信じから」を句の頭に置いて「鰯舟」で受けており、『世話尽』より前から「信じから」と「鰯」が結びついていたことを示しています。『毛吹草』の原本画像は国立国会図書館にないので、今回はこの辞書の引用で確かめるにとどめます。
大正4年(1915年)の『大日本国語辞典』は、見出しを「信心がら」としています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本国語辞典』あ-き・NDL PID:1871514 コマ187・著作権保護期間満了)
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翻刻
(諺)鰯のかしらも信心がら 鰯の頭の如きつまらぬものも、信仰の効果多き譬へ。信心すれば霊験あり。浮世風呂に「兎角神仏を信心しなせえ、鰯の首も信心がらで」
現代語訳
見出しは「信心がら」。鰯の頭のようなつまらないものも、信仰の効果が多いことのたとえ。用例は式亭三馬『浮世風呂』。
「(諺)鰯のかしらも信心がら 鰯の頭の如きつまらぬものも、信仰の効果多き譬へ。信心すれば霊験あり。浮世風呂に「兎角神仏を信心しなせえ、鰯の首も信心がらで」」。
鰯の頭のようなつまらないものも信仰の効果が多いことのたとえ、という、現代の辞典とほぼ同じ説明が、ここで固まっています。
三つの形の年表
出てきた形を、古いほうから並べておきます。
1645年、『毛吹草』。「信じからいとど涼しく鰯舟」——句の中の「信じから」(『諺語大辞典』の引用による)。
1656年、『世話尽』。「いわしの頭も信仰から」——信仰から。原本で確かめられたいちばん古い例。
1659〜61年、『東海道名所記』。「鰯のかしらも信じからなれとも」——信じから。
1673年、『呉竹集』。「節分の夜。いはしの頭を窓門にさすなり」——風習の説明。
1692年、『世間胸算用』。「鰯の頭も信心からとて」——信心から。
1745年、『今昔出世扇』。「鰯の首も信心から」——「嫁の首」は機械の読み違い。
1762年、『世間母親容気』。「鰯のかしらも信心からなるべし」——「鯰」も機械の読み違い。
1763年、『風流志道軒伝』。「節分の狗骨鰮の頭も信仰から」——信仰から。
1782年、『富賀川拝見』。「鰯のかしらも信心から」。
1906年、『俚諺辞典』。見出しは「鰯の頭も信心から」。引用の中に「信じから」。
1910年、『諺語大辞典』。見出しは「信ジカラ」、「信心カラともいふ」。
1915年、『大日本国語辞典』。見出しは「信心がら」。
「鰯の頭も信心から」は、江戸の初めから一つの形ではありませんでした。辞典の引く『毛吹草』は「信じから」、原本で確かめられるいちばん古い『世話尽』は「信仰から」、辞典が語源の根拠に挙げる『東海道名所記』は「信じから」、西鶴は今と同じ「信心から」。17世紀のうちに三つの形が並んで使われ、明治の辞書でも見出しは「信心から」「信ジカラ」「信心がら」と割れていました。
辞典は「信心から」を「信じから」の転と説明しますが、原本の並びで見るかぎり、三つの形は17世紀のうちから並んで使われていて、そのなかの一つが、いまの言い方として残ったことになります。
この記事でわかったこと
精選版日本国語大辞典は宝暦13年(1763年)の『風流志道軒伝』を挙げています。
国立国会図書館の原本の画像で確かめられる範囲では、明暦2年(1656年)刊のことわざ集『世話尽』巻二に「いわしの頭も信仰から」の一行があります(NDL PID:2554768 コマ4)。明治43年の『諺語大辞典』はさらに古い正保2年(1645年)刊の俳書『毛吹草』の句「信じからいとど涼しく鰯舟」を引いていますが、『毛吹草』の原本画像は国立国会図書館にありません。
精選版日本国語大辞典は、「信心から」は「信じから(信じるから)」の転だと説明し、万治2〜4年(1659〜61年)の『東海道名所記』の「鰯のかしらも信じからなれども」を挙げています。
ただ原本をたどると、それより前の『世話尽』(1656年)は「信仰から」、元禄5年(1692年)の井原西鶴『世間胸算用』は今と同じ「信心から」で、江戸時代には「信じから」「信仰から」「信心から」の三つの形が並んで使われていました。前提になっている風習は、節分の夜に鰯の頭を柊とともに門口に挿す魔よけで、寛文13年(1673年)の『呉竹集』や享保9年(1724年)の『農術鑑正記』に記録があります。
『月令博物筌』は、鰯の頭は疾鬼・邪鬼の嫌うものだから、という趣旨の説明をしています(NDL PID:2557821 コマ17)。
同じ箇所では、『土佐日記』に「なよし」の頭と柊を門に挿すとあると引き、「なよし」は鰯の古名と思われるが、伊勢ではボラを「なよし」と呼ぶので、どちらか分からない、としています。天保6年序の『梅園魚品図正』は、塩漬けが古くなって食べられない鰯を「赤イワシ」と呼び、それを節分の夜に柊とともに門の上や壁の間に挿して邪鬼を避ける、と書いています(NDL PID:1287112 コマ11)。
この記事で開いた原本
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- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 東海道名所記 6巻
浅井了意 [万治年間]
- 東海道名所記.巻3
浅井了意
- 世話尽 5巻.[2]
皆虚 編 明暦2刊
- 世間胸算用大晦日ハ一日千金 5巻
井原西鶴 元禄5 [1692]
- 元禄曽我物語 6巻.[1]
都の錦 元禄15 [1702]
- 今昔出世扇 5巻
八文字屋自笑・八文字屋其笑 延享2 [1745]
- 世間母親容気 5巻.[1]
南圭梅嶺 宝暦12 [1762]
- 風流志道軒伝.巻1
風来山人 刊年不明
- 富賀川拝見
蓬莱山人帰橋 作・勝川春朗 画 天明2 [1782] 自序
- 呉竹集 10巻.[1]
寛文13 [1673]
- 農術鑑正記 2巻
砂川野水 編 享保9 [1724]
- 月令博物筌 16巻.[16]
鳥飼洞斎 刊年不明
- 四時交加 2巻
紅翠齋北尾子 畫・山東窟亰傳子 讃 寛政10 [1798]
- 笑談五種
林屋正蔵 著・幸田露伴 校 明43.8
- 仙童寅吉物語 3巻.[2]
平田篤胤
- 俚諺辞典
熊代彦太郎 編・幸田露伴 閲 明39.9
- 梅園魚品図正.巻2
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 諺語大辞典
藤井乙男 編 明43.3
- 大日本国語辞典.あ-き
上田万年, 松井簡治 共著 大正4
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