雑魚寝とは?意味と由来|大原の節分の夜の風習と西鶴
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雑魚寝(ざこね)とは、大勢が一つの部屋に入り交じって寝ることで、合宿や終電を逃した夜のあれです。由来は雑魚、つまり小魚で、明治29年(1896年)の『帝国大辞典』は「ざこの如く打ち雜りて寢るをいふ」と、小魚が入り交じるように寝るという見立てで説明しています(NDL PID:2387590 コマ360)。ところが江戸の本を開くと、この言葉にはもうひとつ、決まった場所と決まった夜がありました。京の大原の里の、節分の夜です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『都名所図会』6巻 [3] 巻三・秋里籬島著・竹原信繁画・天明6年・NDL PID:2555345 コマ81・著作権保護期間満了)
次世代デジタルライブラリーで古典籍に絞って「雑魚寝」と引くと8冊で、宝暦6年(1756年)の浮世草子、文政5年(1822年)の洒落本、名所図会、随筆などが並びます。仮名で「ざこ寝」と引くと、西鶴の『好色一代男』が出てきました。天和2年(1682年)刊で、この検索でいちばん古い用例です。明治の辞書のほうでは、明治43年(1910年)の『諺語大辞典』の「お」の部、コマ113に項がありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ113・著作権保護期間満了)
見出しは「雑魚寝」ではなく「大原の雑魚寝」で、辞書はこの言葉を地名つきで立てています。
ことわざ辞典は大原の節分の風習、国語辞典は小魚のたとえ
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ113・著作権保護期間満了)
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【大原ノ雜魚寢】節分の夜、男女産土神に參籠して通夜する風習ありしをいふ。大原は山城愛宕郡にあり。
現代語訳
大原の雑魚寝。節分の夜、男女が産土神(うぶすながみ)にこもって夜を明かす風習があったことをいう。大原は山城国愛宕郡にある。
節分の夜、男女が産土神(うぶすながみ)にこもって夜を明かす風習があったことをいう、大原は山城国愛宕郡にある、という説明です。明治39年(1906年)の『俚諺辞典』も「大原の雜魚寢」で立てて、出典を二つ挙げています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『俚諺辞典』・熊代彦太郎編・幸田露伴閲・明治39年・NDL PID:900343 コマ58・著作権保護期間満了)
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大原の雜魚寢。『本朝俗諺志』「大原の雜魚寢も今はなし」西鶴の一代男に詳し。
現代語訳
大原の雑魚寝。『本朝俗諺志』に「大原の雑魚寝も今はなし」。西鶴の『一代男』に詳しい。
『本朝俗諺志』に「大原の雑魚寝も今はなし」とあり、西鶴の『一代男』に詳しい、というもので、明治の辞書は、この風習がすでに絶えたものとして、西鶴の小説を読者に紹介していました。
同じ明治でも国語辞典は語の意味だけを書いていて、さきほどの『帝国大辞典』は「ざこね 名詞(雜魚寢)ざこの如く打ち雜りて寢るをいふ、じやこねに同じ」(NDL PID:2387590 コマ360)、明治31年(1898年)の『ことばの泉』は「男女うち交りて寢ぬること」です(NDL PID:862875 コマ311)。ことわざ辞典は大原の風習を、国語辞典は小魚のたとえを、それぞれ分けて持っていたことになります。
西鶴が書いた「大原の里のざこ寝」
『俚諺辞典』が詳しいと言う『好色一代男』は天和2年(1682年)刊で、巻三の目録に章の題があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『好色一代男』巻三・井原西鶴作・天和2年・NDL PID:1288207 コマ2・著作権保護期間満了)
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一夜の枕物ぐるひ 大はらざこ寝の事
現代語訳
巻三の目録。「一夜の枕物ぐるい 大原ざこ寝の事」という章の題。
一夜の枕物ぐるい、大原ざこ寝の事。目録で「二十四歳」の欄に置かれた章で、主人公の世之介が大原の雑魚寝の夜に出かけます。本文を読み進めると、見開きの左端に、その夜のことが書かれていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『好色一代男』巻三・井原西鶴作・天和2年・NDL PID:1288207 コマ12・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『好色一代男』巻三・井原西鶴作・天和2年・NDL PID:1288207 コマ12・著作権保護期間満了)
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まことに今宵は。大原の里のざこ寝とて。庄屋の内義娘。又下女下人にかぎらず。老若のわかちもなく。
現代語訳
まことに今宵は大原の里のざこ寝といって、庄屋の内儀も娘も、また下女下人に限らず、老若の分けへだてもなく――。
まことに今宵は大原の里のざこ寝といって、庄屋の内儀も娘も、下女下人に限らず、老若の分けへだてもなく、と書き、次のページ(コマ13)で西鶴は、その夜はみなが神前の拝殿に土地のならわしとして入り交じって寝る、と続けます。身分も年も関係のない夜だったのです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『好色一代男』巻三・井原西鶴作・天和2年・NDL PID:1288207 コマ12・著作権保護期間満了)
西鶴は、その社の名を書いていません。冒頭に置いた『都名所図会』(天明6年・1786年)は、大原井出村にある江文社を大原郷の氏神だと記していて、『諺語大辞典』の言う「産土神」を大原の里の氏神と読むなら、この社がそれにあたります。
『御伽太平記』の「。」に引っかかる
西鶴から七十年あまり後、宝暦6年(1756年)の浮世草子『御伽太平記』は太平記の時代を舞台にした本で、雑魚寝が鎌倉の相模入道のまわりの話として出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『御伽太平記』5巻・八文字屋其笑・瑞笑作・宝暦6年・NDL PID:2534234 コマ40・著作権保護期間満了)
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頃日思ひ出して雑魚寝といふ事をはじめける。此雑魚寝といふ事は大塔の宮の企給ひたる。不礼講に勝れて。淫乱放逸を事とせり。
現代語訳
近ごろ思い出して「雑魚寝」ということを始めた。この雑魚寝ということは、大塔の宮が企てなさった無礼講にもまさって、淫乱放逸を事とした――。「雑魚寝」に「ざこね」の振り仮名。
近ごろ思い出して「雑魚寝」ということを始めた、という一節の直前には、相模入道をそそのかして浮かれ者にするという筋が書かれていて、その次の一文で目が止まりました。
「此雑魚寝といふ事は大塔の宮の企給ひたる。」
この雑魚寝ということは、太平記に出てくる大塔の宮がお企てになったものである、と、最初はそう読んでしまったのです。原本でも、ちょうど「たる」のすぐ下に小さな「。」が打ってあります。ところが、続きを読むと話が変わります。
「不礼講に勝れて。淫乱放逸を事とせり。」
「企給ひたる」はそこで終わっておらず、すぐ下の「不礼講」にかかっていて、宮が企てたのは雑魚寝ではなく不礼講(無礼講)のほうでした。この本の「。」は今の句点とは役目が違い、すぐあとの「勝れて。」にも打ってありますが、「勝れて」で文が終わるはずはありません。文の切れ目ではなく、読むときの息継ぎの印で、西鶴の「まことに今宵は。大原の里のざこ寝とて。」も同じ打ち方でした。
「。」をいったん外して続けて読み直すと、この雑魚寝ということは、大塔の宮が企てなさった無礼講にもまさって淫乱放逸を事とした、となります。無礼講は身分の上下を取り払って飲む宴のことですから、雑魚寝はその無礼講よりさらに羽目を外した騒ぎだ、という比べ方です。宮は雑魚寝の生みの親ではなく、比べられる側でした。村の節分の夜の名前が、ここでは鎌倉の乱痴気騒ぎの名前になり、しかも無礼講より上だと言われています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『御伽太平記』5巻・八文字屋其笑・瑞笑作・宝暦6年・NDL PID:2534234 コマ40・著作権保護期間満了)
文政5年(1822年)の洒落本『箱枕』では、とうとう章の題になりました。巻之中の本文の最初に「有意雑魚寐」と題を掲げ、「あたりのあるざこね」と振り仮名をつけています(NDL PID:2565787 コマ3)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箱枕』3巻 [2]・大極堂有長編・文政5年・NDL PID:2565787 コマ3・著作権保護期間満了)
当たりのある雑魚寝、という題で、1822年には雑魚寝は大原を離れ、戯作の題に使われる言葉になっていました。
旅の記録が見つけた、各地の雑魚寝
江戸の旅の記録や地誌、随筆は、大原に似た風習を各地で見つけて、雑魚寝の名で記しています。植村政勝の『諸州採薬記』は諸国で薬草を採って回った記録で(NDLの写本は寛政2年・1790年)、「大和國」の部の十津川のくだりに「又十津川のざこ寝といふ事有」とあります(NDL PID:2558549 コマ12)。薬草を探して歩いた人が、村の寝方まで書き留めていたわけです。同じ吉野の山中の村について、畔田翠山の『吉野郡名山図志』は、もう少し具体的に書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『吉野郡名山図志』5巻 [4]・畔田翠山著・写本・NDL PID:2555891 コマ15・著作権保護期間満了)
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其家に男女相混し寝る。これをざこ寝といふ。
現代語訳
(川瀬村では、村内に宿り家という家が二軒あって)その家に男女が入り交じって寝る。これを「ざこ寝」という。
川瀬村では、村の中に「宿り家」という家が二軒あって、そこに男女が入り交じって寝る、これを「ざこ寝」という、という記録です。村の男女の子が、ある年ごろになると自分の家では寝ず、共同の宿に寝るという、村の仕組みがそこに書かれています。
駒井乗邨が編んだ写本の随筆集『鶯宿雑記』は、出羽の山寺の七夕を書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『鶯宿雑記』巻九十一・九十二・駒井乗邨編・写本・NDL PID:10303633 コマ46・著作権保護期間満了)
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七夕の夜麓の町近在より男女登山し人家に宿し枕席を共にす(中略)大原の雑魚寝といへるか如し
現代語訳
出羽の山寺では、七夕の夜に麓の町や近在から男女が登山して人家に泊まり、寝床を共にする。(中略)大原の雑魚寝というようなものだ――。
七夕の夜、麓の町や近在から男女が登山して人家に泊まり、寝床を共にする。大原の雑魚寝というようなものだ――。見慣れない風習を説明するのに大原を持ち出しているのですから、この筆者にとって、大原はこの風習の代名詞でした。
風習の名前から、寝方の名前へ
年の分かるものを古い順に置くと、1682年の『好色一代男』の「大原の里のざこ寝とて。庄屋の内義娘。又下女下人にかぎらず。老若のわかちもなく。」がいちばん古く、1756年の『御伽太平記』が「此雑魚寝といふ事は大塔の宮の企給ひたる。不礼講に勝れて」と鎌倉の騒ぎに使い、1786年の『都名所図会』が江文社を「大原郷中の氏神」と記し、1790年写本の『諸州採薬記』が「十津川のざこ寝といふ事有」と書き留め、1822年の『箱枕』が「有意雑魚寐(あたりのあるざこね)」を章題にしています。年の記されていない写本の『吉野郡名山図志』は「男女相混し寝る。これをざこ寝といふ。」、『鶯宿雑記』は「大原の雑魚寝といへるか如し」でした。明治に入ると、1896年の『帝国大辞典』が「ざこの如く打ち雜りて寢るをいふ」、1906年の『俚諺辞典』が「大原の雜魚寢も今はなし」、1910年の『諺語大辞典』が「節分の夜、男女産土神に參籠して通夜する風習ありしをいふ」と書いています。
雑魚寝の語の由来は、雑魚が入り交じっているように寝るという見立てで、明治の国語辞典はそう説明しました。それでも江戸の本でいちばん古い用例は大原の里の節分の夜で、ことわざ辞典が地名つきで立て、国語辞典が魚のたとえで説明したのは、ひとつの言葉が風習の名前から、ただの寝方の名前へ移っていく途中を、明治の二種類の辞書がそれぞれ写していたからでしょう。合宿の夜の雑魚寝の向こうには、京の山里の節分の夜があります。
この記事でわかったこと
雑魚(小魚)が入り交じっているように寝る、という見立てです。
明治29年の『帝国大辞典』は「ざこの如く打ち雜りて寢るをいふ」と説明します(NDL PID:2387590 コマ360)。江戸の本でいちばん古い用例は京の大原の里の風習で、天和2年(1682年)刊の西鶴『好色一代男』巻三に「大はらざこ寝の事」の章があり、本文に「大原の里のざこ寝」とあります(NDL PID:1288207 コマ2・12)。
京都・大原の里で節分の夜に行われた風習です。
明治43年の『諺語大辞典』は「節分の夜、男女産土神に參籠して通夜する風習ありしをいふ」と説明し(NDL PID:862766 コマ113)、『都名所図会』は大原郷の氏神を江文社と記します(NDL PID:2555345 コマ81)。明治39年の『俚諺辞典』は『本朝俗諺志』を引いて「大原の雜魚寢も今はなし」と書いています(NDL PID:900343 コマ58)。
江戸の記録には各地の例があります。
寛政2年写の『諸州採薬記』は大和の十津川に「ざこ寝といふ事有」と記し(NDL PID:2558549 コマ12)、『吉野郡名山図志』は吉野郡川瀬村の宿り家に「男女相混し寝る。これをざこ寝といふ」と書きます(NDL PID:2555891 コマ15)。『鶯宿雑記』は出羽の山寺の七夕の夜を「大原の雑魚寝といへるか如し」とたとえています(NDL PID:10303633 コマ46)。
この記事で開いた原本
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- 帝国大辞典.第1版
藤井乙男, 草野清民 編 明29.10
- 都名所図会 6巻.[3]
秋里籬島 著・竹原信繁 画 天明6 [1786]
- 諺語大辞典
藤井乙男 編 明43.3
- 俚諺辞典
熊代彦太郎 編・幸田露伴 閲 明39.9
- ことばの泉 : 日本大辞典
落合直文 著 明31.6序
- 好色一代男.巻3
〔井原西鶴//作・画〕
- 御伽太平記 5巻
八文字屋其笑・八文字屋瑞笑 宝暦6刊
- 箱枕 3巻.[2]
大極堂有長 編・春川五七 [画] 文政5 [1822]
- 諸州採薬記.巻1
植村政勝 寛政2 [1790]
- 吉野郡名山図志 5巻.[4]
畔田伴存
- 鶯宿雑記.巻九十一、巻九十二
[駒井乗邨] [編]
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