「金魚の糞」の意味と由来 江戸の本では長く引きずるものだった
この記事の目次
天保12年(1841年)、滝亭鯉丈(りゅうていりじょう)は自作の滑稽本の続編に添えた序文で、後編をずるずる引きずる自分のことを「金魚の屎」にたとえて笑っています。いまの「金魚の糞(ふん)」は、いつも誰かのあとにくっついて歩く人を言う言葉で、金魚のおしりから細長いふんがのびて、泳ぐ金魚にそのままついていく、あの姿にたとえた言い方だと、由来は説明されます。ところが原本を年代順に並べてみると、江戸の終わりの用例は人ではなく、長く引きずる話や続編のほうをたとえていました。
出典:ColBase(歌川国芳筆『金魚づくし・玉や玉や』東京国立博物館蔵/CC BY 4.0)
上は歌川国芳の『金魚づくし』の一枚で、擬人化された金魚が箱を提げ、細い管でシャボン玉を吹いています。題の「玉や玉や」は江戸のシャボン玉売りの売り声で、金魚を人に見立てて遊ぶ絵は江戸にもありましたが、言葉のほうの金魚の糞は、江戸の終わりにはまだ人ではなく、別のものにたとえられていました。
天保12年、作者が自分の続編を「金魚の屎」と笑った
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで本文を引くと、「金魚の糞」で50冊、かな書きの「金魚のふん」で2冊、「屎」の字の「金魚の屎」で2冊が見つかりました(2026年10月16日に検索)。いちばん古い話が入っていたのは、明治43年(1910年)に博文館が出した帝国文庫『滑稽名作集』上で、江戸の滑稽本を活字に組み直したこの本の中の『滑稽和合人(こっけいわごうじん)』に、「金魚の屎」と「金魚のふん」が一度ずつ出てきます。
『滑稽和合人』は鯉丈の作で、国立国会図書館サーチの書誌では初編が文政6年(1823年)に出ています。遊び仲間が地口(だじゃれ)やいたずらで騒ぐ場面が続く本で、開いたのは第三編のはじめに置かれた作者自身の序文でした。見開きの右ページの頭に「自序」の題があり、左ページの柱には「和合人三編巻之上」と刷られています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(帝国文庫『滑稽名作集』上・博文館・明治43年・NDL PID:1884048 コマ281・著作権保護期間満了)
日付は左ページの終わりの「天保十二辛丑の孟夏」で、天保12年の初夏にあたります。序文は自分が前に書いた本のことから書き出され、その一行目を読み進めると、もう金魚が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(滝亭鯉丈『滑稽和合人』三編自序・帝国文庫『滑稽名作集』上・博文館・明治43年・NDL PID:1884048 コマ281・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
……後編を引ずる事。金魚の屎もどかしからず。……
現代語訳
(前に書いた本の)続編をずるずる引きずることといったら、それにくらべれば金魚の糞ももどかしくないほどだ。作者が自分の続編の長さを笑う、第三編の序文。
「後編を引ずる事。金魚の屎もどかしからず」。自分の本の後編をずるずる引きずることといったら、金魚の屎ももどかしくないほどだ、と、続編をだらだら出し続ける自分を作者が笑っているのです。序文はそのあとで「筆を置事五六年」、五、六年筆を置いていたら本屋に続きをせがまれた、と続きますから、ここでの金魚の屎は人のあとをついて歩くものではなく、長く引きずって、なかなか切れないもののたとえです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(帝国文庫『滑稽名作集』上・博文館・明治43年・NDL PID:1884048 コマ281・285・著作権保護期間満了)
同じ巻で、長話も「金魚のふんのやうに」
同じ第三編の本文にも、もう一度出てきます。遊び仲間の土場(どば)と矢場(やば)が、ほかの仲間をおどかすいたずらを相談している場面で、土場が「トン〳〵」という仕掛けを思いついたと言いながら、なかなか中身を話さないので、しびれを切らした矢場が言う台詞です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(滝亭鯉丈『滑稽和合人』三編巻之上・帝国文庫『滑稽名作集』上・博文館・明治43年・NDL PID:1884048 コマ285・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
早くいひねへナ。どうもおめへのはなしは。金魚のふんのやうに。馬鹿長く引ずるから……
現代語訳
早く言いなよ。どうもお前の話は、金魚のふんのように、ばかに長く引きずるから(じれったい)。
「どうもおめへのはなしは。金魚のふんのやうに。馬鹿長く引ずるから」じれったい、というわけで、こちらもたとえているのは話が長く引きずることです。序文の「後編を引ずる事」と同じ「引ずる」という言葉が、金魚のふんといっしょに使われていて、見つかった範囲では、江戸の「金魚の糞」は人ではなく、続編や話のように長くだらだら続くものに使われていました。
明治の終わり、人が「金魚の糞の樣に繋がつて」
人をたとえる使い方は、検索で見つかった範囲では明治の終わりに出てきます。明治44年(1911年)に三宅克己(みやけ・こっき)が書いた旅行記『欧洲絵行脚(おうしゅうえあんぎゃ)』の、欧洲への旅の途中で船を降りて上海を見物したくだりです。三宅克己は絵描きで、見開きの右ページには「支那ヂヤンク」と題した帆船のスケッチが載り、左ページの「上海の二晝夜」の章の後半に、問題の一文があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(三宅克己『欧洲絵行脚』・画報社・明治44年・NDL PID:767282 コマ24・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(三宅克己『欧洲絵行脚』・画報社・明治44年・NDL PID:767282 コマ24・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
余等一行は案内者の導くが儘に、金魚の糞の樣に繋がつて、彼方此方と引廻された。
現代語訳
私たち一行は、案内人の連れて行くままに、金魚の糞のようにつながって、あちこち引き回された。上海見物のくだり。
「余等一行は案内者の導くが儘に、金魚の糞の樣に繋がつて、彼方此方と引廻された」。案内人のあとに一行がぞろぞろつながって歩く、その先頭について回る人の列を金魚の糞にたとえていて、いまの使い方にぐっと近づいています。
大正10年(1921年)には、岡本一平が「漫画入創作」と銘打った『泣虫寺の夜話』で、いつも一緒にいる二人組をこう書きました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(岡本一平『泣虫寺の夜話』・磯部甲陽堂・大正10年・NDL PID:968428 コマ102・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
二人はいつもぶつ〳〵呟き爭ひつゝも屹度金魚の糞のやうに繋つて歩るいて居升。
現代語訳
二人はいつもぶつぶつ言い争いながらも、きまって金魚の糞のようにつながって歩いています。
「屹度金魚の糞のやうに繋つて歩るいて居升」。ぶつぶつ言い争いながらも、きまってくっついて歩いている、という仲よしの連れの言い方で、ここまで来ると、いまとほとんど変わりません。この本では「糞」に「くそ」と振り仮名があり、読み方のほうは鯉丈の「ふん」と違っていますが、くっついて離れない二人を言うたとえとしては、もうすっかり定まった使い方に見えます。
昭和の本は「細くて長いもの」と説明した
金魚の糞の何がたとえになっているのかを、そのまま書いた本が昭和にありました。一つは昭和7年(1932年)の『社会ユーモア・モダン語辞典』で、しゃれた言い回しを集めた辞典の「滑稽」の部に載っています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(社会ユーモア研究会編『社会ユーモア・モダン語辞典』・鈴響社・昭和7年・NDL PID:1109797 コマ13・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
牛の涎と金魚の糞細くて長いもの。
現代語訳
牛のよだれと金魚の糞。細くて長いもの(のたとえ)。
「牛の涎と金魚の糞 細くて長いもの」と、牛のよだれと並べて、細くて長いもののたとえにしています。
もう一つは、昭和15年(1940年)に滋賀県の島小学校がまとめた学校の行事や飼育の手引きで、金魚を飼う項の「疾病(しっぺい)」のところに、病気の見分け方として出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(滋賀県島小学校編『国民学校学校行事科外施設の実践』初等科第1・2学年用・明治図書・昭和15年・NDL PID:1440839 コマ123・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
又俗に『金魚の糞のやう』にとの比喩もあるが如く、平常は糸の如く細く長く續くものであるが一たび疾病に罹るときはキレ〳〵となり
現代語訳
また俗に「金魚の糞のように」というたとえもあるとおり、(金魚の糞は)ふだんは糸のように細く長く続くものだが、いったん病気にかかると切れ切れになる。
「又俗に『金魚の糞のやう』にとの比喩もあるが如く、平常は糸の如く細く長く續くもの」で、病気になるとそれが切れ切れになる、という説明です。世間のたとえを引きながら、たとえの元になった金魚の姿を、飼う側の目で書いているのが面白いところです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:767282 コマ24/NDL PID:1440839 コマ123・著作権保護期間満了)
寛延元年(1748年)に出た金魚飼育の本『金魚養玩草』の部位の図にも、ちゃんと「糞穴」の名が書き入れてあります。金魚の線画のまわりに、「丸鼻」「脊びれ」「跡楫」などと並んで引き出し線つきで書かれているもので、江戸の飼い手も、金魚のその部分をしっかり見ていたわけです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『金魚養玩草』・NDL PID:2540518 コマ7・パブリックドメイン)
細く、長く、切れずにつながっているという同じ姿を、江戸の滑稽本は引きずる長話にたとえ、明治の終わりからは先頭について回る人の列にたとえるようになった、というのが、原本を年代順に並べて見えてきた移り変わりです。
太宰治「金魚が泳げば私もふらふらついて行く」
小説の例を一つ挙げると、太宰治の「ダス・ゲマイネ」があります。昭和15年(1940年)の作品集『思ひ出 他四篇』の作者の付記に、昭和10年に書き、同じ年に『文藝春秋』に発表した、とある作品で、主人公の「私」が友人の馬場との付き合いをふり返るくだりに出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(太宰治「ダス・ゲマイネ」・作品集『思ひ出 他四篇』・人文書院・昭和15年・NDL PID:1144308 コマ43・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
……金魚の糞のやうな無意志の生活をしてゐたのであつて、金魚が泳げば私もふらふらついて行くといふやうな、……
現代語訳
(そのころの私は)金魚の糞のような意志のない暮らしをしていたのであって、金魚が泳げば私もふらふらついて行く、というような……
「金魚の糞のやうな無意志の生活をしてゐたのであつて、金魚が泳げば私もふらふらついて行く」。自分の考えを持たず、相手が動けばそのあとをついて行くだけの暮らしを、太宰は金魚と糞の動きでそのまま言い直していて、いまの「金魚の糞」の意味をいちばんはっきり書いた一文かもしれません。
引きずる話から、ついて歩く人へ
「金魚の糞」の由来は、金魚の糞が細く長く切れずに続き、泳ぐ金魚についていく姿です。見つかった範囲では、江戸の終わりの1841年にはまず長く引きずる続編や長話のたとえとして使われ、1911年の旅行記で案内人について回る一行に、1921年には連れだって歩く二人組に使われて、人にくっついて歩くたとえになっていきました。1932年の辞典と1940年の小学校の手引きが、細くて長いものという中身を言葉で説明しています。
もっとも、くずし字の本の機械読み取りは精度が低いので、『滑稽和合人』より古い例が無いとまでは言えず、これは見つかった範囲でいちばん古い例です。金魚そのものがいつ日本に来たのかは金魚はいつ日本に来た?で、江戸の飼い方は金魚の飼育を江戸の本で読むで読んでいます。ほかの魚のことばは魚のことばの一覧へ。
この記事でわかったこと
いつも誰かのあとにくっついて回る人のことです。
太宰治は「ダス・ゲマイネ」で「金魚の糞のやうな無意志の生活をしてゐたのであつて、金魚が泳げば私もふらふらついて行く」と書いています(作品集『思ひ出 他四篇』・昭和15年・NDL PID:1144308 コマ43)。
金魚の糞が細く長く切れずに続き、泳ぐ金魚についていく姿からのたとえです。
昭和15年の小学校の手引きは「又俗に『金魚の糞のやう』にとの比喩もあるが如く、平常は糸の如く細く長く續くもの」と書いています(NDL PID:1440839 コマ123)。
国立国会図書館の全文検索で見つかった早い例は、天保12年(1841年)の序文がある『滑稽和合人』三編の「後編を引ずる事。
金魚の屎もどかしからず」です(帝国文庫『滑稽名作集』上・NDL PID:1884048 コマ281)。ここでは「長く引きずるもの」のたとえで、人にくっついて歩く意味の例は、見つかった範囲では明治44年(1911年)の『欧洲絵行脚』の「金魚の糞の樣に繋がつて」が早いものです(NDL PID:767282 コマ24)。
江戸の『滑稽和合人』では、続編や長話が「長く引きずる」ことのたとえに使われていました(NDL PID:1884048 コマ281・285)。
昭和7年の『社会ユーモア・モダン語辞典』も「牛の涎と金魚の糞」を「細くて長いもの」としています(NDL PID:1109797 コマ13)。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 滑稽名作集.上
博文館編輯局 校訂 明治43
- 欧洲絵行脚
三宅克己 著 明44.11
- 泣虫寺の夜話 : 漫画入創作
岡本一平 著 大正10
- 社会ユーモア・モダン語辞典
社会ユーモア研究会 編 昭和7
- 国民学校学校行事科外施設の実践.初等科 第1,2学年用
滋賀県島小学校 編 昭15
- 金魚養玩草
安達喜之 著・奚疑齋 増補 寛延1 [1748]
- 思ひ出 : 他四篇
太宰治 著 昭15
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。


