新巻鮭の由来 もとは「荒巻」、魚を巻いた包みの名前だった
この記事の目次
明治20年代の国語辞典『言海(げんかい)』で「あらまき」を引くと、説明は二行しかなく、そこにサケは出てきません。お歳暮の品書きに並ぶ新巻鮭(あらまきざけ)は、「新」と書いて「あら」と読ませる少し変わった字ですが、その由来をたどると「荒巻」というもうひとつの書き方に行きあたり、さらにさかのぼると、もとは魚を巻いた包みの名前だったことが分かります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻二・毛利梅園・NDL PID:1287113 コマ35・著作権保護期間満了)
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで「新巻鮭」と引くと、江戸時代までの古い本(古典籍)は0冊で、明治以降の本は189冊、年のわかるいちばん古いものは大正5年(1916年)でした。字を変えて「荒巻鮭」と入れると古典籍が2冊出てくるので、江戸の人は「荒巻」と書いていたようです。この検索が数えるのは本の冊数で、同じ本に何度出てきても1冊です。
ただ「荒巻」だけで引くと人の名前や土地の名前がたくさん混ざるので、「あらまき」が何を指す言葉なのかを先に押さえておくことにして、大槻文彦(おおつき・ふみひこ)が明治22年から24年(1889〜91年)にかけて出した『言海』の「あ」の部、コマ90を開きました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言海』・大槻文彦・明治22〜24年・NDL PID:992954 コマ90・著作権保護期間満了)
明治の辞書の「あらまき」にサケはいない
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言海』・大槻文彦・NDL PID:992954 コマ90・著作権保護期間満了)
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翻刻
あら-まき(名)苞苴〔粗卷ノ義〕蘆、竹ナドニテ魚ヲ包ミ卷キタルモノ、贈物ナドニ用ヰルニイフ。
現代語訳
あらまき(名詞)。苞苴。〔粗く巻く、の意味〕アシや竹などで魚を包み巻いたもの。贈り物などに使うものをいう。
左ページのいちばん上の段に「あら-まき」の見出しが二つ並んでいて、一つめは種をまく「粗蒔」、二つめが包みのほうです。二つめの見出しの下の四角で囲んだ字は「苞苴」で、この言葉にあてる漢字です。続く「粗卷ノ義」は言葉の成り立ちの説明で、粗く巻くという意味だと大槻は見ています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言海』・NDL PID:992954 コマ90・著作権保護期間満了)
意味のところは「蘆、竹ナドニテ魚ヲ包ミ卷キタルモノ、贈物ナドニ用ヰルニイフ」。アシや竹などで魚を包んで巻いたもので、贈り物などに使うものをいう、という説明で、サケとも塩とも書いてありません。明治20年代の辞書にとって「あらまき」は、魚の種類ではなく、魚を巻いた包みの名前でした。
平安の辞書にも「阿良萬岐」がある
『言海』があてた「苞苴」の字は、平安時代に源順(みなもとのしたごう)が編んだ、ものの名前の辞書『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』にも立っています。国会図書館には元和3年(1617年)に活字で刷られた本があり、その巻十四のコマ28です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『倭名類聚鈔』巻十四・源順撰・元和3年刊・NDL PID:2544222 コマ28・著作権保護期間満了)
道具の名前が並ぶページで、油をひいた敷物「油單」のとなりに「苞苴」がありました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『倭名類聚鈔』巻十四・源順撰・元和3年刊・NDL PID:2544222 コマ28・著作権保護期間満了)
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翻刻
苞苴 唐韻云苞苴〈包書二音〉裹魚肉也日本紀私記云〈於保迩倍〉俗云〈阿良萬岐〉
現代語訳
苞苴。『唐韻』にいう、苞苴(音は包・書)は魚や肉を包んだものである。『日本紀私記』は「おほにへ」といい、世間では「あらまき」という。
中国の字書『唐韻』を引いた「裹魚肉也」は、魚や肉を包んだものである、という意味です。続けて日本での呼び名が二つあり、『日本紀私記』は「於保迩倍(おほにへ)」と読むとしたうえで、「俗云」、世間では、と断ってもうひとつの名前を挙げています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『倭名類聚鈔』巻十四・NDL PID:2544222 コマ28・著作権保護期間満了)
「俗云 阿良萬岐」。魚や肉を包んだものを世間では「あらまき」と呼ぶ、という平安の辞書の説明が、明治の『言海』の説明にそのままつながっています。
鯛も、鯨も、鮎も荒巻だった
巻かれていた魚が何だったかは、江戸の故実家、伊勢貞丈(いせ・さだたけ)が武家のしきたりを書きとめた『貞丈雑記(ていじょうざっき)』の短い一条から分かります。明治34年(1901年)の活字本で読みました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『貞丈雑記』巻之九・伊勢貞丈・故実叢書・明治34年刊・NDL PID:771948 コマ23・著作権保護期間満了)
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翻刻
一荒卷と云ふは簀卷(スマキ)の事なり(宣胤卿記に云く永正十六年正月十七日の條鯛荒卷に云く)
現代語訳
荒巻というのは、簀巻(すまき)のことである。(『宣胤卿記』の永正16年正月17日の条に「鯛荒巻」とある)
「荒卷と云ふは簀卷の事なり」、荒巻とは簀巻(すまき)のことだ、と書いた貞丈が例に挙げるのは、室町時代の日記『宣胤卿記』にある「鯛荒卷」で、永正16年(1519年)の正月の記事です。巻かれていたのは鯛でした。
明治の資料集『古事類苑(こじるいえん)』は古い本の記事を魚ごとに活字で抜き出していて、索引の代わりに使えます。その鯨のところ(コマ768)には、室町時代の日記『親元日記』が引かれていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・神宮司庁編・明治43年刊・NDL PID:1874269 コマ768・著作権保護期間満了)
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翻刻
〔親元日記〕寛正六年二月廿五日癸卯、小原刑部少輔殿〈伊勢國〉鯨荒卷廿、鳥二番、御返事整、〈松田〉文明十三年四月廿五日己巳、法光房鯨荒卷十進上、御返事あり、
現代語訳
寛正6年2月25日、小原刑部少輔殿(伊勢国)から鯨の荒巻二十、鳥二番。返事をととのえた。文明13年4月25日、法光房が鯨の荒巻十を進上。返事あり。
寛正6年(1465年)に伊勢国の小原刑部少輔から届いた贈り物が「鯨荒卷廿」、クジラの荒巻が二十で、文明13年(1481年)にも「鯨荒卷十進上」とあります。クジラの肉も、巻いて包めば荒巻だったわけです。
この使い方は明治まで残っていて、明治23年(1890年)の内国勧業博覧会で水産物の出品を審査した報告に、次の一節があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『第三回内国勧業博覧会第四部審査概評』・大日本水産会・明治23年・NDL PID:801908 コマ16・著作権保護期間満了)
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翻刻
ニ古ク製法モ亦極メテ精良ナル者アリシト想像セラル又鯛ノ荒卷ハ宇治物語ニ見ユレトモ今其製法ヲ傳ヘス蓋現今能登ノ鯛荒卷、富山縣ノ鮎ノ荒卷ト稱スル者等ト同一ノ製ナルヘシ干鯛、塩鯛等ノ調理法ハ
現代語訳
……また鯛の荒巻は『宇治物語』に見えるが、いまその作り方は伝わっていない。思うに、いまの能登の鯛荒巻、富山県の鮎の荒巻と呼ぶものなどと同じ作りだろう。……
「現今能登ノ鯛荒卷、富山縣ノ鮎ノ荒卷ト稱スル者」、いまの能登の鯛荒巻、富山県の鮎の荒巻と呼ぶもの、とあるので、明治23年の時点でも能登には鯛の、富山には鮎の荒巻がありました。包みの名前なのだから、中身は鯛でも鮎でもクジラでもよく、「あらまき」はサケだけの名前ではなかったのです。
松前のサケに荒巻の名がつく
検索で出た古典籍2冊のうちの1冊は、平秩東作(へづつ・とうさく)が松前(北海道)で見聞きしたことを書いた『東遊記(とうゆうき)』という写本でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東遊記』・平秩東作・写本・NDL PID:2533534 コマ19・著作権保護期間満了)
くずし字の写本なので、大正7年(1918年)に北海道庁が出した『北海道史』が同じところを「東遊記(天明四年)」として引いている活字で確かめました。天明4年は1784年です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『北海道史』第一・北海道庁編・大正7年刊・NDL PID:960646 コマ252・著作権保護期間満了)
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翻刻
てり、鯡は鮓・片身おろし・割鯡・ぬか漬・鹽漬又大根などに漬交ぜたる品々あり、鮭も鹽引・楚割・荒卷、鮭
現代語訳
……ニシンは鮓、片身おろし、割鯡、ぬか漬、塩漬、また大根などに漬けまぜた品々がある。サケも塩引、楚割、荒巻、……
「鮭も鹽引・楚割・荒卷」。松前の家々は、秋のサケを塩引、楚割(すわやり)、荒巻に作り分けて一年のおかずにしていました。塩引と楚割がどんなものかは塩引鮭は産地で味が違ったの記事で読んでいますが、荒巻が塩引とどう違ったのかは、この一列からは分かりません。
手がかりは明治30年(1897年)の『北海道漁業志要』にありました。著者の村尾元長は、むかしの売り買いの様子は詳しくわからないと断ったうえで、『松前産物大概鑑』という記録から文化年中(1804〜1818年)のサケの値段と作り方を写していて、コマ226には「(荒卷鮭)」「(ゾロリ子)」「(干鮭)」とサケの品が値段つきで並んでいます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『北海道漁業志要』・村尾元長・明治30年・NDL PID:993820 コマ226・著作権保護期間満了)
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翻刻
(荒卷鮭) 直段 一本に付錢二百文位より百五十文位迄仕候是は鹽引同樣の製法に御座候へ共甘鹽に仕當座相用ひ長持難相成候是を「アラ」卷と唱ひ申候
現代語訳
(荒巻鮭)値段は一本につき銭二百文くらいから百五十文くらいまで。これは塩引と同じ作り方ですが、甘塩にして、さしあたり使うもので、長持ちはしません。これを「アラ」巻と呼んでおります。
「是は鹽引同樣の製法に御座候へ共甘鹽に仕當座相用ひ長持難相成候」とあるので、塩引と同じ作り方だが甘塩にした、さしあたり食べるための長持ちしないものだったことになります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『北海道漁業志要』・NDL PID:993820 コマ226・著作権保護期間満了)
見出しの「(荒卷鮭)」には「あらまきさけ」と振り仮名がついていて、二列目の終わりから三列目にかけて、作り方の説明のあとに「是を「アラ」卷と唱ひ申候」と続きます。ここで手が止まりました。藁で巻くとも簀で包むとも書いてなく、書いてあるのは塩が甘いことと長くもたないことだけなのです。文化のころの松前で、荒巻鮭は甘塩の早く食べるサケの名前になっていましたが、なぜそう呼ぶのかをこの記録は語っていません。
明治21年、東京の相場欄に「新巻」
『北海道漁業志要』は明治のサケの加工についても、「荒卷は唯鹽量の薄き鹽引にして多くは本道内に於て消費するに止る」と書いています(コマ221)。明治30年の北海道の本は「荒巻」と書き、塩の薄い塩引というだけの、まだ道内の食べものだと見ていました。
同じころの東京には、別の字がありました。水産の団体、大日本水産会の会報の第81号(明治21年=1888年12月)に、東京の11月の相場をまとめた「水産物東京商況(二十一年十一月中)」という欄があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本水産会報告』第81号・大日本水産会・明治21年12月・NDL PID:842700 コマ34・著作権保護期間満了)
相場欄は魚の種類ごとに段を分けていて、左ページの中ほどから始まる「北海道產物」のところに、塩鮭の値段が一円で何本買えるかという書き方で産地ごとに並び、西別(にしべつ)、石狩、標津(しべつ)と産地の名前が続いたあとに、産地ではない名前がひとつ混ざっています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本水産会報告』第81号・明治21年12月・NDL PID:842700 コマ34・著作権保護期間満了)
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翻刻
季節後れれにて取引なく價格下向の勢なり相塲一圓に付鹽鮭西別五本七分、石狩選込五本二分、標津六本五分より次七本、新卷上五本五分、鹽鱒擇捉廿四本五分、樺太三十四本、……
現代語訳
(身欠鯡は)季節おくれで取引がなく、値は下がる勢い。相場は一円につき、塩鮭の西別が五本七分、石狩の選込が五本二分、標津が六本五分から七本、新巻の上が五本五分、塩鱒の択捉が二十四本五分、樺太が三十四本……
それが「新卷上五本五分」で、新巻の上物が一円で五本半という値段です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本水産会報告』第81号・NDL PID:842700 コマ34・著作権保護期間満了)
西別の塩鮭が五本七分、石狩が五本二分なので値段はほぼ同じで、二十四本半も買える択捉の塩鱒とはけたが違います。明治21年の東京の相場欄に、もう「新巻」の字があったことになり、今回見つけた中ではこれがいちばん古い例です。古典籍で「新巻」を引くと374冊がヒットしますが、前後にサケや塩引の字があるものは1冊もなく、「新しい巻」や土地の名前ばかりでした。
相場欄に並ぶ名前の多くは西別や石狩のような産地で、新巻だけが産地ではない品の名前として混じっているところに、この欄の面白さがあります。北海道の本が「荒巻」と書いていたころ、東京の相場欄は「新巻」と書いていた。なぜ「新」の字なのかは、この欄も説明していません。
藁筵で包むからか、荒く撒いたからか
名前の理由を書いた本は、明治の終わりにようやく出てきます。明治40〜41年(1907〜08年)刊の事典『日本社会事彙(にほんしゃかいじい)』で、サケの項の中に小さな見出しが立っていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本社会事彙』下巻・経済雑誌社・明治40〜41年刊・NDL PID:898061 コマ45・著作権保護期間満了)
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翻刻
(……のひらきの類なるべし」と見ゆ。)【荒卷】鮭の漁期の初に獲たる甘鹽の鹽魚にして。藁筵にて丁重に包裝せるよりの名なるべし。……
現代語訳
【荒巻】サケの漁期のはじめに獲った、甘塩の塩魚で、藁むしろでていねいに包んであることからの名だろう。
「藁筵にて丁重に包裝せるよりの名なるべし」、藁むしろでていねいに包んであることからの名だろう、と結びを「なるべし」の推し量りにしてあって、『言海』の魚を包み巻いたものという説明とはきれいにつながります。
まったく別の話を載せているのが、昭和4年(1929年)に新聞社の経済部がまとめた『商売打明話』です。東京の塩鮭の市場、四日市市場の古老から聞いた話として、明治のはじめの師走に柳田藤吉という人が根室から船いっぱいの塩鮭を日本橋へ運んできたところ、帆船で来るいつもの塩鮭と違って身がやわらかく、あやしむ商人たちに柳田は「之はアラマキ」と名前をつけてみせた、と書いています。舟の中で「鹽を荒く撒いて」持ち帰っただけだったから、というのです(コマ132)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『商売打明話』・時事新報社経済部編・昭和4年・NDL PID:1177400 コマ133・著作権保護期間満了)
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翻刻
キにした』と言つたから市人はすつかり安心し亦實際に味も良かつたのでアラマキの名(荒撒きが轉じて今日では新卷と書いて居る)が一朝にして世間になり響いた。
現代語訳
……と言ったので、町の人はすっかり安心し、また実際に味もよかったので、アラマキの名(荒撒きが転じて、今日では新巻と書いている)が、たちまち世間に鳴り響いた。
「荒撒きが轉じて今日では新卷と書いて居る」。本はこれが「四日市市場の古老から記者への直傳である」と書き添えていて、市場に伝わった話だと分かります。
けれども、文化年中の松前の記録にもう「アラ」巻の名があり、天明4年の『東遊記』にも荒巻は出てくるので、明治になって東京でついた名前という筋は、古い記録とは合いません。事典は荒く「巻く」、市場の話は荒く「撒く」と、二つの説明は同じ「あら」を別々に読んでいて、どちらも名前が先にあってあとから理由を探した形です。
歳暮に欠かせないものになる
お歳暮との結びつきは、大正8年(1919年)の販路の調査に出てきます。塩鮭を「古來ノ風習ニヨリ歳暮贈答品トシテ使用セラレ」と書き、北海道産の新巻は都会の人びとに歓迎される、と続けている報告書で、年取り魚とはの記事で読みました。大正14年(1925年)の水産の教科書『水産動植物精義』も、サケの塩蔵の写真が載っているページで同じことを書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『水産動植物精義』・倉上政幹・大正14年・NDL PID:1017968 コマ110・著作権保護期間満了)
この本はサケの塩蔵品を「普通鹽鮭又鹽引ト稱スルモノト、新卷ト稱スルモノトアリ」と、ふつうの塩鮭(塩引)と新巻の二つに分けています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『水産動植物精義』・倉上政幹・大正14年・NDL PID:1017968 コマ110・著作権保護期間満了)
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翻刻
察加及ビ薩哈嗹州等ニテ多大ノ產出アリ。其需要又多ク殆ンド內地ニテ消費セラレ、殊ニ關東地方ニテハ歲暮ニ缺クベカラザルモノトシテ賞美セラル。大正十二年ニ於ケル內地及ビ樺太ノ鹽
現代語訳
……(カムチャツカ)や薩哈嗹州などでたくさん産出する。その需要もまた多く、ほとんどが内地で消費され、とくに関東地方では歳暮に欠かせないものとして喜ばれる。大正12年の内地と樺太の塩(鮭の生産額は)……
「殊ニ關東地方ニテハ歲暮ニ缺クベカラザルモノトシテ賞美セラル」、とくに関東地方では歳暮に欠かせないものとして喜ばれる、とあり、新巻については「新卷ハ始メ北海道石狩町ニテ十一月以降氣溫低下シタル時期ニ、近鄕ニ販賣ノ目的ニテ製出セル比較的甘鹽ノモノナルガ」と説明しています。はじめは石狩の町で、寒くなる11月から近くの村に売るために作った甘塩のサケだったのが、交通の発達で販路を大きく広げた、という続きです。
明治30年には「多くは本道内に於て消費するに止る」と書かれた荒巻が、大正の終わりには字を「新巻」に変えて、関東の歳暮の話のとなりに並んでいます。
包みの名前から、甘塩のサケの名前へ
平安の『倭名類聚鈔』は「苞苴」を「裹魚肉也」とし、世間では「阿良萬岐」というと書きました。室町の日記には「鯛荒卷」「鯨荒卷廿」があり、天明4年(1784年)の『東遊記』で松前のサケが「鹽引・楚割・荒卷」に作り分けられ、文化年中の『松前産物大概鑑』では甘塩で長持ちしないものを「「アラ」卷と唱ひ申候」と呼んでいます。そして明治21年(1888年)の東京の相場欄に「新卷上五本五分」が現れます。もとは魚を巻いた包みの名前で、それが松前で甘塩のサケの名前になった、というところまでは原本で追えました。
確かめられなかったこともあります。「荒」がなぜ「新」になったのかを説明した本は、昭和4年の市場の話のほかに見つけられませんでした。明治21年の相場欄はすでに「新巻」と書いているので、市場の古老の話よりも字のほうが先に東京で使われていたことになりますが、誰がいつ字を変えたのかは、今回開いた本のどれにも書かれていません。サケの荒巻を藁で巻いたと書いた江戸の本にも、まだ行きあたっていません。
サケの字そのものの話は鮭の漢字の由来はフグの記事へ。年の瀬のサケとブリの話は年取り魚とはへどうぞ。
この記事でわかったこと
新巻鮭の「あらまき」は、もとは魚を巻いて包んだものの名前です。
平安の辞書『倭名類聚鈔』は「苞苴」を「裹魚肉也」、世間では「阿良萬岐」というと書き(NDL PID:2544222 コマ28)、明治の辞書『言海』も「蘆、竹ナドニテ魚ヲ包ミ卷キタルモノ」と説明しています(NDL PID:992954 コマ90)。
古いのは「荒巻」です。
室町の日記に「鯛荒卷」「鯨荒卷」があり、サケでは天明4年の『東遊記』に「鹽引・楚割・荒卷」と出てきます(NDL PID:960646 コマ252)。「新巻」は、明治21年(1888年)の東京の相場欄の「新卷上五本五分」が、見つけた中でいちばん古い例でした(NDL PID:842700 コマ34)。
荒巻はサケだけの名前ではありませんでした。
明治23年(1890年)の博覧会の審査報告に「能登ノ鯛荒卷、富山縣ノ鮎ノ荒卷」とあり、鯛や鮎の荒巻が明治にも作られていました(NDL PID:801908 コマ16)。
江戸時代の松前では、荒巻鮭は塩引と同じ作り方で塩を甘くしたものでした。
文化年中の記録は「甘鹽に仕當座相用ひ長持難相成候」、さしあたり食べるためのもので長持ちしない、と書いています(『北海道漁業志要』所引・NDL PID:993820 コマ226)。
大正8年(1919年)の調査報告が、塩鮭を「古來ノ風習ニヨリ歳暮贈答品トシテ使用セラレ」と書いています(NDL PID:959580 コマ35)。
大正14年の『水産動植物精義』にも、塩鮭は「關東地方ニテハ歲暮ニ缺クベカラザルモノ」とあります(NDL PID:1017968 コマ110)。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻2
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 言海 : 日本辞書.第1-4冊
大槻文彦 編 1889-1891
- 倭名類聚鈔 20巻.[7]
源順 撰 元和3 [1617]
- 故実叢書.貞丈雑記 巻之9,10
今泉定介 編 明34
- 古事類苑.第49冊
神宮司庁 編 明治43
- [第三回]内国勧業博覧会第四部審査概評
明23.9
- 東遊記
平秩東作
- 北海道史.第1
北海道庁 編 大正7-8
- 北海道漁業志要
村尾元長 著 1897
- 大日本水産会報告.第81号
明18-21
- 日本社会事彙.下巻
明40,41
- 商売打明話 : 家庭の経済知識
時事新報社経済部 編 昭和4
- 水産動植物精義
倉上政幹 著 大正14
- 東京長野群馬栃木水産物販路調査報告書
北海道水産組合聯合会 編 大正8
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



