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魚のことば

「海老で鯛を釣る」の語源と初出 江戸の前は「飯粒で鯛」

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この記事の目次

寛政9年(1797年)に出た狂歌の本に、市川団十郎をひいきする連中が「海老にて鯛を釣」と書きつけたページがあります。精選版日本国語大辞典が「海老で鯛を釣る(えびでたいをつる)」の最も古い用例に挙げる天保5年(1834年)の人情本『恩愛二葉草』より、37年早い。わずかな元手や労力で大きな利益を得ることのたとえで(デジタル大辞泉「海老で鯛を釣る」の項)、略して「えびたい」とも言うこの言葉は、語源をさかのぼると餌が海老ではなく飯粒だったところに行き着きます。「ことわざを知る辞典」は江戸中期から使われている、と説明しています(いずれもコトバンク「海老で鯛を釣る」の項)。

歌川広重の魚づくしの一枚。長い触角を振り上げた赤茶色の伊勢海老と、右下に灰色の芝えび2尾。左上に狂歌が2首
歌川広重の魚づくしの一枚、伊勢海老と芝えび。上に狂歌が添えられている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(〔伊勢海老・芝えび〕(収載資料名:[広重魚尽])・NDL PID:1306179・著作権保護期間満了)

団十郎びいきの本に出てきた「海老にて鯛を釣」

江戸の本は「えび」の字が一定しないので、国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで「海老で鯛」「鰕で鯛」「蝦で鯛」「ゑびで鯛」と字を替えながら古典籍を引いたところ、当たったのは「海老で鯛」が1冊、「鰕で鯛」が2冊、「蝦で鯛」は0冊でした。「鯛を釣」で引き直すと25冊に広がり、そのなかに「海老にて鯛を釣」という行が一つだけ混じっていました。

その本が『美満寿組入(みますくみいれ)』です。国立国会図書館の書誌では烏亭焉馬(うていえんば)編、寛政9年(1797年)刊。焉馬は江戸本所の大工の棟梁で戯作者でもあり、五代目市川団十郎を熱烈にひいきして、ひいきの団体「三升連(みますれん)」を組織した人です(コトバンク「烏亭焉馬」の項)。三升は市川団十郎家の紋の名ですから、本の題からして団十郎の祝いの本ということになります。

『美満寿組入』コマ33の見開き。右ページに素袍姿で太刀を構える役者の全身像、左ページにくずし字の文章と狂歌
『美満寿組入』コマ33。右は「四代目市川海藏 柏莚」と題した役者絵で、「幼名松本七藏」「初号松本幸四郎」「市川ヲ継 市川団十郎ト云」の書き入れがある。左が狂歌師の祝いの文。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『美満寿組入』・NDL PID:8929804 コマ33・著作権保護期間満了)

コマ33の右のページは「暫(しばらく)」の姿の役者絵で、左のページにはくずし字の文章と狂歌が1首入っています。探していた言葉は、その文章のほうにありました。

『美満寿組入』コマ33左ページの「海老にて鯛を釣」の列と翻刻
赤枠は「一世一代のいて立を見れハ」から「海老にて鯛を釣」までの2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『美満寿組入』・NDL PID:8929804 コマ33・著作権保護期間満了)
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一世一代のいて立を見れハ有かたいにめてたいをかさね海老にて鯛を釣いての

現代語訳

一世一代の出で立ちを見れば、ありがたいにめでたいを重ね、海老にて鯛を釣り——。「有りがたい」「めでたい」に鯛を掛け、役者の名の「海老」で受けている。

「一世一代のいて立を見れハ有かたいにめてたいをかさね海老にて鯛を釣いての」。

ありがたい、めでたい、そして鯛と、「たい」を三つ重ねた言葉遊びです。市川団十郎家には「海老蔵」の名があり、右ページの役者絵の題も「市川海藏」ですから、役者の「海老」でめでたい「鯛」を釣ってみせたわけで、ことわざを知っている読者でなければ笑えない洒落になっています。文の終わりに添えられた狂歌には「海老の髭」「腰かゞむとも」の句が読め、署名は「千穐菴 三陀羅法師」です(NDL PID:8929804 コマ33)。

ここの「海老で鯛」は損得の話をしていません。海老も鯛も祝いの席に並ぶものなので、めでたさを重ねるためにことわざを借りてきた、という使い方です。

賽銭で巾着を拾う、天保から幕末の用例

辞書が挙げる『恩愛二葉草』と同じ天保年間の人情本に、もう一つ用例があります。為永春水作・歌川国直画の『娜真都翳喜』四編で、国立国会図書館の書誌は[天保年間]刊としています。

『娜真都翳喜』四編巻六コマ16の「海老で鯛よりも能仕業だア」の列と翻刻
赤枠は「この巾着を拾へバ海老で鯛よりも能仕業だア」の列。漢字には振り仮名がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『娜真都翳喜 4編』六・NDL PID:8942912 コマ16・著作権保護期間満了)
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この巾着を拾へバ海老で鯛よりも能仕業だアト

現代語訳

(賽銭を三文あげて)この巾着を拾えば、海老で鯛よりもいい仕事だ、と。「海老」に「ゑび」、「鯛」に「たい」、「能」に「いゝ」、「仕業」に「しごと」の振り仮名。

「この巾着を拾へバ海老で鯛よりも能仕業だア」。

前の行に賽銭を三文あげて、という趣旨のせりふがあるので(NDL PID:8942912 コマ16)、三文の賽銭で巾着を拾えたら海老で鯛を釣るよりいい仕事だ、という勘定になります。ここではもう「を釣る」を省いて「海老で鯛」とだけ言っていて、いまの「えびたい」と同じ縮め方がすでにできていました。

幕末の写本『浮世笑談穴さがし』(国立国会図書館の書誌は[江戸末期]写)にも、賽銭箱が出てきます。

『浮世笑談穴さがし』コマ24の「鰕で鯛ヲ釣と出したる狐輪縄」の列と翻刻
赤枠は「鰕で鯛ヲ釣と出したる狐輪縄」の列。「鰕」に「ゑび」、「狐輪縄」に「きつねわな」の振り仮名。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『浮世笑談穴さがし』初編上ノ巻・NDL PID:2532334 コマ24・著作権保護期間満了)
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翻刻

鰕で鯛ヲ釣と出したる狐輪縄

現代語訳

(ありもしない銭を賽銭箱へ投げこむのは)海老で鯛を釣ろうと仕掛けた狐わな。「鰕」に「ゑび」、「鯛」に「たい」、「狐輪縄」に「きつねわな」の振り仮名。

「鰕で鯛ヲ釣と出したる狐輪縄」。

直前は、ありもしない銭を賽銭箱へ投げこむのは、という趣旨の文です(NDL PID:2532334 コマ24)。わずかな賽銭で大きなご利益を釣ろうとするのは、海老で鯛を釣ろうと仕掛けた狐わなのようなものだ、と皮肉っているのでしょう。「えび」の字は魚へんに叚の「鰕」で、辞書が引く『恩愛二葉草』の用例もこの字を使っています。春水も穴さがしも、海老は賽銭、鯛はご利益に当てていて、江戸の人にとっていちばん手近な「小さな元手」は賽銭だったようです。

『暁斎百図』コマ29。右に菱形の枠に入った「ゑ」の字とことわざの書き出し、左に閻魔や老人の顔の墨画
河鍋暁斎画・万亭応賀案の『暁斎百図』の一帖。「ゑ」で始まることわざを書き並べたページで、「ゑんの下の力持」などと並んで「ゑびで鯛を」と読める行がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『暁斎百図』[1]・NDL PID:2574926 コマ29・著作権保護期間満了)

河鍋暁斎の『暁斎百図』(国立国会図書館の書誌は[江戸末期]刊)には「ゑ」で始まることわざを書き並べたページがあって、「ゑんの下の力持」などと並んで「ゑびで鯛を」と読める行があります(NDL PID:2574926 コマ29)。幕末には、いろはで引けることわざの定番に入っていたことになります。

海老より前の餌は飯粒だった

明治43年(1910年)の『諺語大辞典』で「蝦デ鯛釣ル」を引くと、同じ意味のことわざが「飯粒デ鯛ツル」「鼻糞デ鯛ヲ釣ル」「麦飯デ鯉釣ル」といくつも出てきて(NDL PID:862766 コマ513・422・506)、鯛を釣る餌が海老に決まっていたわけではないことが分かります。

そのなかでいちばん古いのが飯粒で、辞書が出典に挙げるのは紀貫之の『土佐日記』、承平5年(935年)ごろの成立とされる仮名の日記です(デジタル大辞泉「土佐日記」の項)。

歌川広重の魚づくしの一枚。大きな黒鯛1尾と赤い小鯛2尾、山椒の枝。上に狂歌が2首
歌川広重の魚づくしの一枚、黒鯛と小鯛。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(〔黒鯛・小鯛・山椒〕(収載資料名:[広重魚尽])・NDL PID:1306184・著作権保護期間満了)

京へ帰る船旅の終わり近く、二月八日の段に当たる箇所を、江戸の国学者・岸本由豆流(きしもとゆずる)の注釈書『土佐日記考証』で開きました。

『土佐日記考証』下コマ34の見開き。大きな字の本文の間に小さな字の注が割りこむ版本
『土佐日記考証』下コマ34。大きな字が『土佐日記』の本文、小さな字が注。左ページに二月八日の段があり、「よねしてかへりごとす」、「いひぼして」の右わきに「飯粒」の傍注が読める。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『土佐日記考証 2巻』[2]・NDL PID:2562727 コマ34・著作権保護期間満了)

ある人が新鮮な魚を持ってきたので、お返しに米をやった。原文では「よねしてかへりごとす」です。それを見た男たちが「いひぼして」、つまり飯粒で釣ったのだな、とひそかに言い合います(NDL PID:2562727 コマ34。「いひぼして」の右に「飯粒」の傍注)。由豆流は次のコマでこの場面を説明しています。

『土佐日記考証』下コマ35の「飯粒して魚をつりたるやうなり」の列と翻刻
赤枠は「飯粒して魚をつりたるやうなりと」の列。「飯粒」に「イヒボ」の振り仮名。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『土佐日記考証 2巻』[2]・NDL PID:2562727 コマ35・著作権保護期間満了)
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米をやりたれバ飯粒して魚をつりたるやうなりとをとこどものひそかにたハ

現代語訳

(新鮮な魚を持ってきた人に)米をやったので、飯粒で魚を釣ったようなものだと、男たちがひそかに戯れ(て言ったのである)。「飯粒」に「イヒボ」の振り仮名。

「米をやりたれバ飯粒して魚をつりたるやうなりとをとこどものひそかにたハ」ぶれ言うのだ、と続きます。

少しの魚でたくさんの米を釣ったという冗談が、平安時代の船の上でもう交わされていたわけですが、ここで釣れたのは鯛ではなく米でした。

これを鯛と結びつけたのは、飛騨高山の国学者で本居宣長の門人だった田中大秀(たなかおおひで・1777〜1847年。コトバンク「田中大秀」の項)です。文政12年(1829年)の写本『土佐日記解』の同じ段に、次のように書いています。

『土佐日記解』下コマ88の「今も諺に」からの2列と翻刻
赤枠は「今も諺に」から「此諺古くもありて」までの2列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『土佐日記解 2巻』[2]・NDL PID:2575498 コマ88・著作権保護期間満了)
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翻刻

今も諺にいぼて鯛つると云ハ聊なる物を贈りて其返報に多くの物を得る事を云り此諺古くもありて

現代語訳

今もことわざに「いぼで鯛つる」と言うのは、わずかな物を贈って、その返礼に多くの物を得ることを言う。このことわざは古くもあって——。「贈」に「オクリ」の振り仮名。

「今も諺にいぼて鯛つると云ハ聊なる物を贈りて其返報に多くの物を得る事を云り此諺古くもありて」。

「いぼ」は『土佐日記』の「いひぼ」、飯粒のことと見てよさそうです。文政12年の飛騨高山で「今も」言われていたことわざは「飯粒で鯛」で、わずかな贈り物で多くの返礼を受けるという意味は、精選版日本国語大辞典が「海老で鯛を釣る」に立てている二つめの意味と、ぴったり重なります。

許六の「鼻屎」、近松の「麦飯」

二つめの餌は鼻くそです。芭蕉の門人・森川許六(もりかわきょりく)が編んだ俳文集『風俗文選』(宝永3年=1706年刊。デジタル大辞泉「風俗文選」の項)の巻之六、許六自身の文「飲食色欲の箴」に出てくるのを、大正3年の活字本で読みました。

『名家俳文集』コマ63の「鯛は魚の最上とほめられながら」の箇所と翻刻
赤枠は「鯛は魚の最上とほめられながら、鼻屎にて釣られけるためしもありや。いと口をし。」の箇所。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『名家俳文集』・NDL PID:950167 コマ63・著作権保護期間満了)
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翻刻

鯛は魚の最上とほめられながら、鼻屎にて釣られけるためしもありや。いと口をし。

現代語訳

鯛は魚の最上とほめられながら、鼻くそで釣られた例もあるとか。まことに口惜しい。

「鯛は魚の最上とほめられながら、鼻屎にて釣られけるためしもありや。いと口をし。」。

許六は鯛の身になって悔しがっています。すぐあとには、鰯が「かしらばかり」もてはやされて戸口に挿される話が続き(同コマ)、こちらは「鰯の頭も信心から」の節分の鰯です。

三つめの麦飯は、釣る相手が鯉になります。『諺語大辞典』は近松門左衛門の浄瑠璃『信州川中島合戦』(享保6年=1721年初演。コトバンク「信州川中島合戦」の項)から、麦飯で鯉を釣るという趣旨のせりふを引いていて(NDL PID:862766 コマ506)、同じ言い回しは天明5年(1785年)刊の『三味線問答』の巻頭でも確かめられました。

『三味線問答』巻之三コマ3の巻頭2列と翻刻
赤枠は巻之三の書き出し2列。「鰹」に「かつを」、「麦飯」に「むぎめし」の振り仮名。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『三味線問答 5巻』[2]・NDL PID:2554514 コマ3・著作権保護期間満了)
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翻刻

鎌倉の海にハ。しゝの角で鰹を釣。せちがの渕にハ麦飯で鯉をつり。舞子が内でハ。

現代語訳

鎌倉の海では鹿の角で鰹を釣り、せちがの淵では麦飯で鯉を釣り、舞子の家では(口先で衣類や櫛・笄を釣ると聞く)。

「鎌倉の海にハ。しゝの角で鰹を釣。せちがの渕にハ麦飯で鯉をつり。舞子が内でハ。」。

このあと、舞子の家では口先で衣類や櫛を釣ると聞く、と続きます(同コマ)。安い餌で高いものを釣る言い回しは、魚と餌を取りかえながら、いくつも並んで使われていました。

明治の辞書は「江戸にて蝦で鯛」と書いた

「海老で鯛」がどこの言い方だったかは、ことわざや俗語を集めた辞書『俚言集覧』の、明治32年(1899年)の増補版に手がかりがあります。

『俚言集覧』中巻コマ179の「しやくで鯛を釣」の項と翻刻
赤枠は「しやくで鯛を釣」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『俚言集覧』中巻・NDL PID:991570 コマ179・著作権保護期間満了)
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翻刻

しやくで鯛を釣 土佐の諺シヤクハ虫名也シヤク虫は數百はかりにて價十文くらゐの物と聞り江戸にて蝦で鯛を釣と云

現代語訳

「しゃくで鯛を釣る」は土佐のことわざ。シャクは虫の名で、数百匹ほどで値が十文くらいの物と聞いている。江戸では「蝦で鯛を釣る」と言う。

「しやくで鯛を釣 土佐の諺シヤクハ虫名也シヤク虫は數百はかりにて價十文くらゐの物と聞り江戸にて蝦で鯛を釣と云」。

土佐では数百匹で十文ほどの安い虫を餌にし、江戸では蝦を餌にする。この辞書は「海老で鯛」を江戸の言い方として書きとめていて、飛騨の田中大秀が「今も諺に」と書いたのが飯粒だったことと、つじつまが合います。

明治43年(1910年)の『諺語大辞典』(藤井乙男編)は、土佐の「蝗(イナゴ)デ鯛釣ル」(コマ64)や「雑魚デ鯛釣ル」(コマ238)といった地方の形もまとめて載せています。見出しの本体は次のとおりです。

『諺語大辞典』コマ97の【蝦デ鯛釣ル】の項と翻刻
赤枠は【蝦デ鯛釣ル】の項の冒頭3行。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・NDL PID:862766 コマ97・著作権保護期間満了)
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翻刻

【蝦デ鯛釣ル】與ふる所少くして得る所多きたとへ。王君玉、雜纂次篇、將蝦釣鼈。

現代語訳

「蝦で鯛釣る」は、与えるものが少なくて得るものが多いことのたとえ。中国の『雑纂次篇』に「蝦を将(も)って鼈(すっぽん)を釣る」とある、と続く。

「【蝦デ鯛釣ル】與ふる所少くして得る所多きたとへ。王君玉、雜纂次篇、將蝦釣鼈。」。

続けて中国の書物から、蝦を将(も)って鼈(すっぽん)を釣る、という句を引いているので、海老で大物を釣る発想は中国にもあったことになります。【飯粒デ鯛ツル】の項には狂歌が引かれていました。

『諺語大辞典』コマ513の【飯粒デ鯛ツル】の項と翻刻
赤枠は【飯粒デ鯛ツル】の項。狂歌と『土佐日記』を引く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・NDL PID:862766 コマ513・著作権保護期間満了)
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翻刻

【飯粒デ鯛ツル】蝦デ鯛、麥飯デ鯉などもいふ。〔狂歌落穂集〕飯粒で鯛を釣つたかにこ〳〵と笑ひかけたぞ夷三郎。〔土佐日記〕或人あざらかなる物もて來たり、よねしてかへりごとす、男子ども私にいふなり、いひぼしても釣るとや。

現代語訳

「飯粒で鯛つる」は「蝦で鯛」「麦飯で鯉」とも言う、として、狂歌と『土佐日記』を引く。

「【飯粒デ鯛ツル】蝦デ鯛、麥飯デ鯉などもいふ。〔狂歌落穂集〕飯粒で鯛を釣つたかにこ〳〵と笑ひかけたぞ夷三郎。」。

鯛を抱えた恵比寿の笑顔を、飯粒で鯛を釣ったのかと冷やかした狂歌です。『狂歌落穂集』の原本画像は国立国会図書館で見つけられなかったので、ここでは辞書の引用で示すにとどめます。明治39年(1906年)の『俚諺辞典』(熊代彦太郎編・幸田露伴閲)も「飯粒で鯛を釣る」を見出しに立て、「えびで鯛を釣る」に義同じ、としていて(NDL PID:900343 コマ259)、明治の終わりまで飯粒と海老は並んで辞書に載っていました。

飯粒から海老へ、餌の移り変わり

年代を追うと、935年ごろの『土佐日記』で魚のお返しに米をやった男が「いひぼして」釣ったとからかわれ、1706年の『風俗文選』では鯛が「鼻屎にて釣られけるためしもありや」と嘆かれます。1721年の『信州川中島合戦』は麦飯で鯉(『諺語大辞典』の引用による)、1785年の『三味線問答』にも「麦飯で鯉をつり」が出てきます。

そこへ1797年の『美満寿組入』が、役者の名に掛けた祝いの言葉として「海老にて鯛を釣」を書きます。ところが1829年の『土佐日記解』では、飛騨の国学者の「今」は飯粒のままでした。辞書の初出である1834年の『恩愛二葉草』は「鰕で鯛を釣ったより」、天保年間の『娜真都翳喜』は「海老で鯛よりも能仕業だア」と賽銭と巾着の話にし、1899年の増補『俚言集覧』が「江戸にて蝦で鯛を釣と云」とまとめ、1906年・1910年の『俚諺辞典』『諺語大辞典』では「飯粒で鯛」と「蝦で鯛」が並んでいます。

小さな餌で大きな獲物を釣るという冗談は平安時代の船の上にすでにあって、そのときの餌は飯粒でした。江戸時代になると、飯粒、鼻くそ、麦飯、土佐のシャクと、土地ごと書き手ごとに餌が入れかわり、海老はそのなかの江戸の言い方として残ったものです。原本で確かめられたいちばん古い「海老で鯛」が、損得のたとえではなく、市川の「海老」にめでたい「鯛」を重ねた役者への祝いだったのは、なんとも江戸らしい始まり方だと思います。

この記事でわかったこと

  • 精選版日本国語大辞典は天保5年(1834年)の人情本『恩愛二葉草』を挙げています。

    原本の画像で確かめられる範囲では、寛政9年(1797年)刊の『美満寿組入』(烏亭焉馬編)に「海老にて鯛を釣」の形があります(NDL PID:8929804 コマ33)。歌舞伎役者を祝う文のなかで、「ありがたい」「めでたい」と鯛を重ねた言葉遊びとして使われています。

  • 安い餌で高価な鯛を釣る、という釣りのたとえです。

    同じ意味のことわざは江戸時代にいくつもあり、「飯粒で鯛を釣る」「鼻糞で鯛を釣る」「麦飯で鯉を釣る」、土佐の「しゃくで鯛を釣る」などが明治43年の『諺語大辞典』に載っています。明治32年の増補『俚言集覧』は「江戸にて蝦で鯛を釣と云」と書いており、「海老」は江戸の言い方だったことが分かります(NDL PID:991570 コマ179)。

  • 「海老で鯛を釣る」と同じ意味の古いことわざです。

    もとは承平5年(935年)ごろ成立の『土佐日記』二月八日の段で、魚のお返しに米をやったのを見た男たちが、飯粒で釣ったのだと冗談を言う場面にさかのぼります。文政12年(1829年)の注釈書『土佐日記解』は、今もことわざに言う、わずかな物を贈って多くの返礼を得ることだ、と説明しています(NDL PID:2575498 コマ88)。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

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