「磯の鮑の片思い」の意味と由来 万葉集から辞書までの1200年
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後白河院が集めたとされる平安末の歌謡集『梁塵秘抄』に、「なみたかや あらいそのあはびのかいのかたおもひなる」という一節があります。「磯の鮑(あわび)の片思い」の意味は、自分だけが恋い慕っていて相手はなんとも思ってくれないことで、辞書はアワビの貝殻が片側だけであることから言う、と説明しています(ことわざを知る辞典「磯の鮑の片思い」の項)。二枚貝のように合わさる相手がいないから片思い、というわけで、その「磯」はこの12世紀の歌謡にもう出ていました。
さかのぼれば『万葉集』の歌に行きつき、下れば江戸の浄瑠璃や黄表紙、明治の辞書にまで続く、1200年ぶんの片思いです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『万葉集品物図絵』[3]・鹿持雅澄・NDL PID:2545191 コマ31・著作権保護期間満了)
冒頭の図は鹿持雅澄の『万葉集品物図絵』で、万葉集に出てくる動植物を絵にした本です。アワビの殻を内側と外側に描き分け、上に万葉集の原文と「カヅクチフ アハビノカヒノ カタモヒニシテ」の読みを添えています。
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで古典籍に絞って「磯の鮑の片思」と引くと0冊で、いまの形は江戸の本には出てきません。ところが「あはびのかひのかたおもひ」「貝のかたおもひ」と仮名で引くと、歌学書、ことわざ集、浮世草子、戯作と何冊も並び、その多くが『万葉集』巻十一の歌を引いていました。国立国会図書館には慶長年間(1596〜1615年)に活字で刷られた『萬葉集』があり、巻十一のコマ46にその歌があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『萬葉集』巻11-12・NDL PID:2569914 コマ46・著作権保護期間満了)
漢字ばかりで読みがないので、同じ歌を読みつきで刷った寛永20年(1643年)の『万葉和歌集』で読みました。
万葉集の「鰒貝の独り念い」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『万葉和歌集』[11]・NDL PID:2579479 コマ54・著作権保護期間満了)
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伊勢乃白水郎之朝魚夕菜爾潜云鰒貝之獨
現代語訳
伊勢の海人(あま)が朝な夕なに潜(かづ)くという鰒(あわび)の貝の、独り念(おも)いにして――。赤枠の列は「獨」で終わり、次の列頭に「念荷指天」と続く。左脇に片仮名で「イセノアマノ アサナユフナニ カヅクテフ アハビノカヒノ カタモヒニシテ」の読みが添えられている。
漢字の脇に片仮名で「イセノアマノ アサナユフナニ カヅクテフ アハビノカヒノ カタモヒニシテ」と読みがついています。伊勢の海人(あま)が朝な夕なに潜(かづ)くという鰒(あわび)の貝の、独り念(おも)いにして、という歌で、「獨念」と書いて「カタモヒ」と読ませています。伊勢の海女が朝も夕も潜って採るアワビが片思いの序詞になっていて、8世紀の歌集でもうアワビと片思いは結びついていました。
この歌は江戸の本にくり返し引かれます。歌の言葉を集めた『藻塩草』、貝の歌を集めた『貝尽浦の錦』、方言辞書の『物類称呼』が、みな「あはびのかひのかたおもひ」と仮名で写していて、片思いのアワビと言えばこの歌、という約束が江戸を通じて生きていたことが分かります。
アワビが選ばれたわけについて、明治43年(1910年)の『諺語大辞典』は「アハビノ貝ノ片思」の項で「あはび貝は片方よりなきにより、枕詞の如く用ひしなり」と説明し、そのあとに〔萬葉〕十一としてこの歌を引いています(NDL PID:862766 コマ32)。二枚貝は左右の殻が合わさりますが、アワビの殻は一枚で、もう片方は岩に吸いついている。万葉集の歌人がそう考えていたかどうかは書いてありませんが、江戸の本も同じ説明を繰り返していて、それはあとで出てきます。
「磯」は平安の末にもうあった
万葉集の歌に「磯の」はありません。『梁塵秘抄』のほうは、大正4年(1915年)の活字本、歴代天皇・上皇の著作を集めた『列聖全集』に収められたもので読みました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『列聖全集』御撰集2・列聖全集編纂会編・大正4年・NDL PID:945311 コマ54・著作権保護期間満了)
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われはおもひ人はのけひくこれやこの。なみたかやあらいそのあはびのかいのかたおもひなる。
現代語訳
私は思い、人は退け引く。これがまあ、波高や荒磯の鮑の貝の片思いというものか。『梁塵秘抄』巻第二の歌謡。
私は思い、人は退け引く、これがまあ、波高や荒磯(あらいそ)の鮑の貝の片思いというものか、という歌です。こちらが近づけば相手が引く、その手ごたえのなさを、波の荒い磯に張りついて岩から離れないアワビにたとえています。
12世紀の歌謡に、「磯」も「鮑」も「片思ひ」も、すでに一列に並んでいたわけです。いまの「磯の鮑の片思い」は、ここから「荒」と「貝の」を落とした形に見えます。
室町の物語と、江戸はじめのことわざ集
精選版日本国語大辞典が「鮑の貝の片思い」の用例として万葉集の次に挙げるのは、室町末期の御伽草子『横笛草紙』です(コトバンク「鮑の貝の片思い」の項)。国立国会図書館には明暦4年(1658年)刊の版本があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『よこぶえたきぐちのさうし』・明暦4年・NDL PID:2533139 コマ13・著作権保護期間満了)
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あはびのかいのかたおもひ人はかほどにつれなきを
現代語訳
鮑の貝の片思い。あの人はこれほどにつれないのに――。横笛が滝口入道を訪ねて会ってもらえない場面。
平家の武士・斎藤時頼と横笛の悲恋を語る物語で、出家した滝口入道を嵯峨野に訪ねた横笛が会ってもらえず、鮑の貝の片思い、人はこれほどつれないのに、と嘆く場面です。物語のせりふとして、もう慣用句のように使われています。
その2年前、明暦2年(1656年)に出た『世話尽』は、ことわざを集めた本です。「世話」は当時の言葉でことわざ・俗語のことで、その中にこの句が載っています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世話尽』[2]・皆虚編・明暦2年・NDL PID:2554768 コマ26・著作権保護期間満了)
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蚫貝のかたおもひ
現代語訳
あわび貝の片思い。ことわざを集めた『世話尽』の一項目で、上に「あはびかい」と振り仮名がある。
周りには「熱き火は水にはらふ」「蟻の堂参り」などが並んでいるので、1656年の時点で「鮑貝の片思ひ」は歌の一節ではなく、ことわざとして本に集められていたことになります。
寛文7年(1667年)刊の『食物和歌本草増補』は、食べ物の効能を和歌で覚える本です。アワビの項で殻が片側だけで蓋がないと説明したあとに、「世話にあはびのかひのかたおもひといふも此心也」、ことわざにそう言うのもこの意味である、と続けています(NDL PID:2557330 コマ16。「世話」は前の列の末尾)。殻が片方しかないから片思い、という説明が、江戸のはじめにもう定着していました。
貝づくしと浄瑠璃
江戸の人は、貝の名前を並べて遊ぶのが好きでした。寛延4年(1751年)刊の『貝尽浦の錦』は、歌に詠まれた貝を絵と歌で集めた本です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『貝盡浦之錦』[2]・大枝流芳・寛延4年・NDL PID:2576042 コマ9・著作権保護期間満了)
貝づくしは芝居にも入りました。正徳5年(1715年)初演の近松門左衛門『国性爺合戦』の第二段「はまづたひ」は、浜辺で貝の名を次々に言い立てる名場面で、明治29年(1896年)の活字本で読んでいます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『近松時代浄瑠璃』・饗庭篁村校訂・明治29年・NDL PID:1883014 コマ31・著作権保護期間満了)
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我は鮑の片思ひ。
現代語訳
「われは あはびの かたおもひ」の振り仮名つき。『国性爺合戦』第二「はまづたひ」の貝づくし。直前は「君は酢貝と吸付と」、直後は「憎や其許の螂螺に」と続く。
君は酢貝(すがい)と吸い付くのに、我は鮑の片思い。貝の名を掛けことばにした恋の駆け引きで、「鮑」が片思いの貝であることは観客が知っている前提で書かれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『国性谷合戦』6巻・墨川亭雪丸作・歌川国虎画・天保5年・NDL PID:10301200 コマ15・著作権保護期間満了)
天保5年(1834年)には、浄瑠璃を絵入りに仕立て直した合巻『国性谷合戦』も出ています。浜辺に立つ和藤内の足元に貝が転がる絵の本文にも、「われはあはびのかた思ひ」の貝づくしが引き継がれていて、百年以上たっても、この一句は芝居の見どころのままでした。
江戸の恋物語のなかで
浮世草子や戯作では、片思いを打ち明けるせりふとして何度も出てきます。享保11年(1726年)刊の『出世握虎昔物語』では、娘が自分の恋を語る場面です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『出世握虎昔物語』[1]・自笑・其磧作・享保11年・NDL PID:2554492 コマ31・著作権保護期間満了)
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の貝の片思ひとやらんにて。人して文をやりつくし。
現代語訳
(私の恋は鮑)の貝の片思いとやらで、人を使って手紙を送りつくし――。「鮑」の字は前の列の末尾にある。娘が自分の片思いを打ち明けるせりふ。
私の恋は鮑の貝の片思いとやらで、人を使って手紙を送りつくした、と娘は打ち明けていて、「とやらん」という言い方に、決まり文句を借りてきた感じが出ています。享保16年(1731年)刊の『昔男時世妝』はもっと突き放していて、「あはびの貝の片思ひ。畢竟はむだ事。」、結局は無駄なことだ、と言い切ります(NDL PID:2554784 コマ32。「畢竟」に「ひつきやう」の振り仮名)。冷たい言い方ですが、片思いの本質を一言で片づけています。
天明2年(1782年)ごろの黄表紙『猫の嫁入』には、婚礼の料理を支度する台所の場面で、蒔絵のアワビ貝の器を出すところに、婚礼なので「鮑の貝の片思い」と忌み物にする、という趣旨のひと言があります(NDL PID:9892581 コマ9。くずし字のため要約)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『猫の嫁入』2巻・通笑作・天明2年ごろ・NDL PID:9892581 コマ9・著作権保護期間満了)
アワビは祝いの「のし」の材料でもあるのに、婚礼の膳では片思いに通じるとして避けたわけで、ことわざが暮らしの縁起にまで入り込んでいたことが分かります。
安永4年(1775年)刊の方言辞書『物類称呼』は、「あはび」の項でことわざの出どころを万葉集だと明記しています。「又あわひの貝の片おもひを哥に詠せしは万葉集に」と書き、そのあとに「いせのあまのあさなゆふなにかつくてふ」と歌を引いているので(NDL PID:2539349 コマ42)、18世紀の江戸の学者もこの慣用句の根を万葉集に見ていたことになります。
出典:東京国立博物館所蔵・ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-576)・CC BY 4.0。原画から着衣の人物の部分を切り出した
喜多川歌麿の「鮑取り」に描かれた、着物を羽織ってアワビを手にした海女の姿は、万葉集の歌に詠まれた「伊勢の海人」を江戸の浮世絵で見るようなものです。
明治の辞書で「磯の鮑の片思い」に落ち着く
精選版日本国語大辞典は、「磯の鮑の片思い」の形の初出として、明治32年(1899年)の落語『女郎買の教授』(四代目柳亭左楽)を挙げています(コトバンク「磯の鮑の片思い」の項)。ところが、それより6年前の明治26年(1893年)刊のことわざ集『古今俚諺類聚』に、この形がもう載っていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古今俚諺類聚』第1類・岡本経朝編・明治26年・NDL PID:767886 コマ49・著作権保護期間満了)
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翻刻
○磯の鮑の片思ひ
現代語訳
「いその あわびの かたおもひ」の振り仮名つき。ことわざ集『古今俚諺類聚』の「い」の部。
「い」の部で「一富士二鷹三茄子」「伊勢へ七度熊野へ三度」と並んでいます。明治34年(1901年)の『俗諺辞林』になると意味の説明がつき、「鮑は一方にのみ貝ありて、一方は岩に粘する」と書いたうえで、一方が熱心でも「乙は甚だ冷淡なるに譬ふるなり」と結んでいます(NDL PID:863228 コマ22)。1667年の『食物和歌本草増補』と同じ理屈が、明治の辞書にそのまま引き継がれているわけです。
『諺語大辞典』(1910年)は「磯ノ蚫ノ片思」を見出しに立て、「アハビノ片思を見よ」と貝の項へ送っています(NDL PID:862766 コマ48)。辞書のなかで、「磯の」つきの形は古い「鮑の貝の片思い」の言い換えとして扱われていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(〔あわび・さより・桃〕・一立斎広重・NDL PID:1306175 コマ1・著作権保護期間満了)
「貝の」が落ちて「磯の」が残った
年代を追うと、8世紀の『万葉集』巻十一の鰒貝の独り念いに始まり、12世紀の『梁塵秘抄』で荒磯の鮑の貝の片思いとなり、1656年の『世話尽』ではことわざとして「蚫貝のかたおもひ」が集められます。1667年の『食物和歌本草増補』が殻の片側だけというわけを書き、1715年の近松が「我は鮑の片思ひ」と浄瑠璃に入れ、1726年、1731年の浮世草子がせりふに使い、1775年の『物類称呼』が出どころを万葉集とし、1893年の『古今俚諺類聚』で「磯の鮑の片思ひ」の形が現れ、1901年の『俗諺辞林』が意味を説明しています。
途中で「貝の」が落ち、「磯の」が残りました。「鮑の片思い」だけでも通じるのに「磯の」をつけると調子が整い、岩に張りついたアワビの姿まで目に浮かぶので、それがいまの形として残ったのでしょう。辞書が初出とする明治32年の落語より前に明治26年のことわざ集にこの形はあり、その「磯」は、さらに700年さかのぼって後白河院の歌謡集の「荒磯」にまで届いていました。
この記事でわかったこと
相手はまったく気づいていないのに、自分だけが恋い慕っていることです。
アワビの貝殻が片側だけで、二枚貝のように合わさる相手がいないことから言います(ことわざを知る辞典)。明治34年刊の『俗諺辞林』は「鮑は一方にのみ貝ありて、一方は岩に粘する」と説明しています(NDL PID:863228 コマ22)。
もとになったのは『万葉集』巻十一の「伊勢の海人の朝な夕なに潜くといふ鰒貝の独り念いにして」という歌で、寛永20年(1643年)版の『万葉和歌集』では「アハビノカヒノカタモヒニシテ」と読みがついています(NDL PID:2579479 コマ54)。「磯」がつく形は、平安末の歌謡集『梁塵秘抄』巻二の「なみたかや荒磯の鮑の貝の片思ひなる」が古く(『列聖全集』NDL PID:945311 コマ54)、明治26年(1893年)の『古今俚諺類聚』に「磯の鮑の片思ひ」の形で載っています(NDL PID:767886 コマ49)。
同じです。
デジタル大辞泉は「磯の鮑の片思い」を「鮑の片思い」に同じとし、明治43年の『諺語大辞典』も「磯ノ蚫ノ片思」の項で「アハビノ片思を見よ」と貝の項へ送っています(NDL PID:862766 コマ48)。江戸時代の本では「鮑の貝の片思ひ」の形が主で、『世話尽』(1656年)や『出世握虎昔物語』(1726年)などに出てきます。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 万葉集品物図絵.[3]
鹿持雅澄
- 萬葉集.巻11-12
[慶長年間]
- 万葉和歌集.[11]
寛永20 [1643]
- 諺語大辞典
藤井乙男 編 明43.3
- 列聖全集. 御撰集 2
列聖全集編纂会 編 大正4
- よこぶえたきぐちのさうし
明暦4
- 世話尽 5巻.[2]
皆虚 編 明暦2刊
- 食物和歌本草増補 7巻.[6]
山岡元隣 寛文7 [1667]
- 貝盡浦之錦 2巻.[2]
大枝流芳 著 寛延4 [1751]
- 近松時代浄瑠璃
近松門左衛門 著・饗庭篁村 校訂 1896
- 国性谷合戦 6巻
墨川亭雪丸 作・歌川国虎 画 天保5 [1834]
- 出世握虎昔物語 5巻.[1]
自笑・其磧 享保11 [1726]
- 昔男時世妝 5巻.[2]
也来 享保16 [1731] 刊
- 猫の嫁入 : 2巻
通笑 作 [天明2(1782)]
- 物類称呼 5巻
越谷吾山 編 安永4 [1775]
- 古今俚諺類聚.第1類
岡本経朝 編 明26.9
- 俗諺辞林
干河岸貫一 (桜所) 編 明34
- 〔あわび・さより・桃〕
一立斎広重
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