「阿漕」の語源と意味 江戸の名所図会は網ではなく鯛の歌と書いた
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寛政9年(1797年)に出た『伊勢参宮名所図会(いせさんぐうめいしょずえ)』の巻之三に、阿漕ヶ浦の古歌はもともと網ではなく鯛を詠んだ歌だった、という作者の書き入れがあります。「阿漕(あこぎ)な商売」「あこぎなやり方」の阿漕は、人の弱みにつけこんで、しつこく、あくどくもうけることを言う言葉で、その語源は伊勢の海の地名だと説明されるのが普通です。いまの三重県津市にあたる阿漕ヶ浦は伊勢神宮に供える魚をとる禁漁の海で、そこで何度も網を引いた漁師がつかまったことから「しつこい」「あくどい」の意味になった、という話です。
ところが名所図会を開くと、漁師の話とは別に、魚の出てくるもう一つの話が書かれていました。能の謡(うたい)『阿漕』、明治の辞書、黙阿弥の芝居の台本とあわせて読むと、この言葉が浦の名から金貸しのせりふにまで移っていく道筋が、原本の上でかなり具体的に追えます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻二・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287113 コマ4・著作権保護期間満了)
名所図会にたどり着いたのは、国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで言葉を引いたからです。「阿漕」は書き方の多い言葉で、2026年10月15日に引くと、「阿漕」で3,900件、ひらがなの「あこぎ」で1,559件、「阿漕浦」で835件、「阿漕が浦」で443件、「阿古木」で339件の本が見つかりました。「阿漕が浦に引く網」のように歌の言葉で引き直すと、明治・大正の小説や謡の本に混じって、寛政9年の『伊勢参宮名所図会』の名前が何度も出てきます。
京から伊勢神宮へ参る道の名所を絵と文で順に紹介した本で、国立国会図書館の書誌では絵と編集が蔀関月(しとみ・かんげつ)、文が秋里湘夕(あきさと・しょうせき)です。全5巻のうち、津のあたりは巻之三に入っています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『伊勢参宮名所図会』巻之三・蔀関月 編画・秋里湘夕 撰・寛政9年・NDL PID:2555627 コマ1・著作権保護期間満了)
表紙をめくって目録を過ぎ、津の城下の名所に進むと、コマ18で見開きいっぱいの絵が出てきます。
名所図会の「阿漕浦」は舟と網の絵だった
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『伊勢参宮名所図会』巻之三・蔀関月 編画・秋里湘夕 撰・寛政9年・NDL PID:2555627 コマ18・著作権保護期間満了)
右ページの上に「阿漕浦(あこぎがうら)」の題があり、浜の松林の手前には網を積んだ小舟が何艘も出ていて、烏帽子をかぶった男たちが棒を振り上げながら漁師たちに詰め寄っています。
左ページの上には、絵の説明が小さく書き入れてあります。「図は阿漕の草紙の意を写す」。この絵は「阿漕の草紙」という物語の中身を描いたもので、くわしくは本文の「あこぎ」の項に書いた、という断り書きです。作者はこの浦の場所を、津の城下の岩田橋から巽(たつみ、南東)の方角だと書きながら、昔の場所ははっきりしないとも書いていて、その本文は数コマ先の「阿古木浦(あこぎのうら)」の項にあります。
もとの歌は「網」ではなく「鯛」だった
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『伊勢参宮名所図会』巻之三・蔀関月 編画・秋里湘夕 撰・寛政9年・NDL PID:2555627 コマ23・著作権保護期間満了)
右ページの1列目から作者の考えが始まりますが、ここは字がくずしてあるので、大正時代に同じ本を活字に組み直した版(大日本地誌大系刊行会)で読みます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『伊勢参宮名所図会』巻之上(活字本)・大日本地誌大系刊行会・大正5年・NDL PID:952764 コマ55・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
○按るに阿漕は地名にて、元は一堆の島にてありしなるべし。其證歌【六帖】鯛の題にてあふことをあこぎの島にひく鯛の、たひ重ならは人しりぬへみ此歌を直して、いせの海あこぎが浦にひくあみの、たびかさなれば顯れにけり、とさへ誤れり。
現代語訳
考えるに、阿漕は地名で、もとはひとかたまりの島だったのだろう。その証拠の歌が『古今和歌六帖』の「鯛」の題にある。この歌を作り直して「伊勢の海あこぎが浦にひく網の」とまで誤っている。
「其證歌【六帖】鯛の題にて あふことをあこぎの島にひく鯛の、たひ重ならは人しりぬへみ」。
阿漕はもとは島の名前だったのだろう、その証拠が『古今和歌六帖(こきんわかろくじょう)』という歌集の「鯛」の題に入っている歌だ、というのが作者の考えです。歌のほうは、逢うことを、あこぎの島で引く鯛のようにたびたび重ねたら人に知られてしまうだろう、という人目をしのぶ恋の歌で、「ひく鯛の」と「たび重ならば」で鯛(たい)と度(たび)の音がかけてあります。
作者はさらに、「此歌を直して、いせの海あこぎが浦にひくあみの、たびかさなれば顯れにけり、とさへ誤れり」と続けます。世に知られた伊勢の海の網の歌は、もとの鯛の歌を作り直したうえに意味まで取り違えたものだ、という指摘です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『伊勢参宮名所図会』巻之三・蔀関月 編画・秋里湘夕 撰・寛政9年・NDL PID:2555627 コマ23・著作権保護期間満了)
原本では、もとの鯛の歌が大きめの字で1列を占め、すぐ隣の列に「網」の歌が並んでいます。島で引く鯛が浦で引く網に変わり、魚が道具に入れかわったわけで、並べて切り出すと字面の近さがよく分かります。明治31年(1898年)の辞書『ことばの泉』も、「あこぎのしま」の項にこの六帖の鯛の歌を挙げています。
謡曲『阿漕』の漁師は、神に供える網の浦で網を引いた
よく知られた「禁漁の浦で網を引いた漁師」の話があるのは、能の謡の『阿漕』です。大正3年(1914年)に有朋堂が出した『謡曲集』上巻で読みました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(謡曲『阿漕』・野村八良校訂『謡曲集』上巻・有朋堂・大正3年・NDL PID:1704240 コマ107・著作権保護期間満了)
九州日向国(ひゅうがのくに)から伊勢参りに来た旅の僧が、阿漕が浦で年老いた漁師に会い、浦の名を聞いて古い歌を思い出すところから始まります。謡の中で引かれる歌は「伊勢の海阿漕が浦に引く網も、度重なれば顯れにけり」で、漁師も「彼の六帖の歌に、逢ふ事も阿漕が浦に引く網も、度重ならば顯はれやせん」と答えるので、謡では六帖の歌まで「網」になっています。名所図会の作者が「誤れり」と書いたのは、こうして広まった形のことだと思われます。
僧が浦の名のいわれを尋ね、漁師が答える場面が次のページにあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(謡曲『阿漕』・野村八良校訂『謡曲集』上巻・有朋堂・大正3年・NDL PID:1704240 コマ108・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
ワキ「此浦を阿漕浦と申すいはれ御物語候へ。シテ「總じて此浦を阿漕浦と申すは、伊勢大神宮御降臨より以來、御膳調進の網を引く所なり、されば神の御誓によるにや、海邊のうろくづ此所に多く集まるによつて、浮世を渡るあたりの海士人、此所にすなどりを望むといへども、神前の恐あるにより、堅く戒めてこれを許さぬ所に、阿漕といふ海士人、業に望む心の悲しさは、夜々忍びて網を引く。しばしは人も知らざりしに、度重なれば顯れて、阿漕を縛め所をかへず、此浦の沖に沈めけり。さなきだに伊勢をの海士の罪
現代語訳
この浦は、伊勢の大神宮がこの地に降りられて以来、神に供える御膳の網を引く所。魚が多く集まるので漁師たちは漁を望んだが、固く禁じられていた。そこへ阿漕という漁師が、夜ごとに忍んで網を引いた。しばらくは知られなかったが、度重なって露見し、縛られて、その場でこの浦の沖に沈められた。
「總じて此浦を阿漕浦と申すは、伊勢大神宮御降臨より以來、御膳調進の網を引く所なり」。
神のお誓いのためか「海邊のうろくづ此所に多く集まる」、つまりうろこのある魚がここに多く集まるので、まわりの漁師たちはここで漁をしたがったけれど、神前をおそれて固く禁じられていた。そこに阿漕という漁師が現れます。
「夜々忍びて網を引く。しばしは人も知らざりしに、度重なれば顯れて、阿漕を縛め所をかへず、此浦の沖に沈めけり」。夜ごとに忍んで網を引き、しばらくは誰にも知られなかったのが、度重なって見つかり、縛られてその場で沖に沈められた、という筋です。
「神に供える魚の浦」「何度も網を引いた漁師」「度重なれば顕れる」と、いまの語源の説明に出てくる部分はここにそろっています。ただし謡の中の漁師の名は「阿漕」で、「平治」という名は出てきません。
名所図会は「平治は人の名ではない」と書いた
「阿漕の平治」という漁師の名前についても、名所図会の作者は一言書いていました。鯛の歌の一節から少し先、活字本のコマ56です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『伊勢参宮名所図会』巻之上(活字本)・大日本地誌大系刊行会・大正5年・NDL PID:952764 コマ56・著作権保護期間満了)
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翻刻
○又【あこぎ物語】と云にあこぎ平治といふは人の名にあらず、是は昔平家の本國は安濃郡なれば、平氏を平治と誤りたるなりと云。其物語に曰、「平氏の族杢右馬允貞光が孫、右京進盛光が子次盛といひける者、伊勢掾に成りてやゝ任重かりける故、この浦に人を出して網ひかせたり。御贄のおりも妨けるほどに、禰宜宮司公に訴へけり。次盛是を聞て一族の平氏百
現代語訳
『あこぎ物語』によれば、「あこぎ平治」は人の名ではない。平家の本国が安濃郡なので、平氏を平治と誤ったのだという。物語では、伊勢掾になった次盛がこの浦に人を出して網を引かせ、神宮に供える贄(にえ)の漁をさまたげたので、禰宜(ねぎ)たちが訴えた。
「あこぎ平治といふは人の名にあらず」。『あこぎ物語』という本によれば、平家の本国が安濃郡(あのぐん)なので「平氏」を「平治」と誤ったのだ、というのです。
名所図会が紹介するその物語の筋は、謡とはずいぶん違っていて、網を引かせたのは貧しい漁師ではなく、伊勢掾(いせのじょう)という役についた次盛(つぎもり)という平氏の男です。次盛は「この浦に人を出して網ひかせたり」、神宮に供える贄(にえ)の漁までさまたげたので禰宜(ねぎ)たちが訴えたものの、一族の平氏を集めてなおも漁をさまたげ、国司の軍に攻められて捕らえられます。最後は「張本なればとて法に行ひけるとぞ」、首謀者として処罰されました。
神に供える魚の浦で網を引いて罰せられた、というところまでは謡と同じでも、網を引いたのは漁師ではなく役人です。江戸の名所案内は、「網」の歌も「平治」の名も後から言い換えられたものではないかと疑っていたことになります。
明治の辞書と芝居で「あこぎ」はお金の話になった
浦の話が「あくどい」「しつこい」の意味へ移ったいきさつは、明治31年(1898年)、落合直文の辞書『ことばの泉』の「あこぎ」の項に書かれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(落合直文『ことばの泉』・大倉書店・明治31年・NDL PID:862875 コマ19・著作権保護期間満了)
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あこぎ 名 阿漕。『阿漕の島の條にひきたる歌によりていふ』(一)おなじことの、たびかさなること。(二)いつまでも、道ならぬことを貪ること。俗語。
現代語訳
あこぎ(阿漕)。「阿漕の島」の項に引いた歌から出た言葉。一つめの意味は、同じことが度重なること。二つめは、いつまでも道に外れたことをむさぼること。俗語。
「おなじことの、たびかさなること」、そして「いつまでも、道ならぬことを貪ること。俗語」。語源は「阿漕の島」の項の歌、つまり六帖の鯛の歌だとしたうえで、歌の「たび重ならば」からまず同じことが度重なる意味が出て、そこから道に外れたことをいつまでもむさぼる意味へ、と二段に分けて書いてあります。
二つめの意味がそのままお金の話になっているのが、河竹黙阿弥(かわたけ・もくあみ)の芝居『四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)』です。大正12年(1923年)の『黙阿弥脚本集』第15巻の解題によると、明治18年(1885年)11月に千歳座で初めて上演されました。金貸しの千治(せんじ)が芝居町のお茶屋に高い利息で金を貸してもうけようとしているのを聞いて、下女のお茂(おしげ)がきっぱり断る場面です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(河竹黙阿弥『四千両小判梅葉』・『黙阿弥脚本集』第15巻・春陽堂・大正12年・NDL PID:962614 コマ233・著作権保護期間満了)
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翻刻
お茂 人の困るを附込んで、あこぎに儲けた其金で樂をする氣はござんせぬから、……千治 何であこぎをするものか、こゝらが金貸の附目といふものだ。お茂 今のお人は芝居町のお茶屋の衆でござんせうから、そんなあこぎな事をせず、なるたけ利分を安くして、貸してやるが當り前、……
現代語訳
お茂「人の困りごとにつけこんで、あこぎにもうけたお金で楽をする気はありません」。金貸しの千治「何があこぎなものか、ここが金貸しの狙いどころだ」。お茂「相手は芝居町のお茶屋さん。そんなあこぎなことはせず、なるべく利息を安くして貸してあげるのが当たり前です」。
「人の困るを附込んで、あこぎに儲けた其金で樂をする氣はござんせぬ」とお茂が言えば、千治は「何であこぎをするものか、こゝらが金貸の附目といふものだ」と言い返し、お茂はさらに「そんなあこぎな事をせず、なるたけ利分を安くして、貸してやるが當り前」と重ねます。人の困りごとにつけこみ、利息を高くしてもうけるという、いまの「阿漕な商売」とほとんど同じ使い方で、台本では「あこぎ」の横に強調の点が打ってあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『黙阿弥脚本集』第15巻・春陽堂・大正12年・NDL PID:962614 コマ233・著作権保護期間満了)
網の歌と鯛の歌、漁師と役人
「阿漕」の意味は、しつこく、あくどく、欲ばることです。語源は、伊勢国安濃郡の阿漕が浦(『ことばの泉』は「伊勢國安濃郡の東方」の浦とします)の名を詠みこんだ、「度重なれば」人に知られるという歌で、神に供える魚の浦で何度も網を引いて罰せられた漁師の話は、謡曲『阿漕』の筋として原本にありました。明治18年初演の黙阿弥の台本では、もう金貸しの高い利息を責める言葉として使われています。
ただ寛政9年の名所図会は、その歌のもとの形を「網」ではなく「鯛」の歌だとし、「平治」という漁師の名も誤りだとしていて、網を引いたのが漁師だったのか役人だったのかも本によって違います。どの言い伝えがいちばん古いのかまでは、ここで見た原本だけでは決められません。
この記事でわかったこと
しつこく、あくどく、欲ばることです。
明治31年の辞書『ことばの泉』は「おなじことの、たびかさなること」「いつまでも、道ならぬことを貪ること。俗語」と説明しています(NDL PID:862875 コマ19)。
伊勢国安濃郡の阿漕が浦の名を詠みこんだ、度重なれば人に知られる、という歌から出た言葉です。
寛政9年(1797年)の『伊勢参宮名所図会』は、もとの歌を『古今和歌六帖』の鯛の題の「あふことをあこぎの島にひく鯛の、たひ重ならは人しりぬへみ」とし、「あこぎが浦にひくあみの」はそれを誤ったものだと書いています(活字本 NDL PID:952764 コマ55)。
伊勢国安濃郡の阿漕が浦で、いまの三重県の津のあたりです。
『伊勢参宮名所図会』は、津の城下の岩田橋から南東の方角にあると書きながら、昔の場所ははっきりしないとしています(NDL PID:952764 コマ55)。
謡曲『阿漕』では、阿漕が浦は伊勢大神宮の「御膳調進の網を引く所」で、阿漕という漁師が夜ごとに忍んで網を引き、度重なって見つかり沈められたと語られます(『謡曲集』上巻・NDL PID:1704240 コマ108)。明治18年初演の黙阿弥『四千両小判梅葉』には、金貸しをいさめる「そんなあこぎな事をせず、なるたけ利分を安くして」というせりふがあります(NDL PID:962614 コマ233)。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻2
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 伊勢参宮名所図会 5巻.[3]
蔀関月 編・画・秋里湘夕 撰 寛政9 [1797]
- 伊勢参宮名所図会.巻之上
蔀関月 著 大正4-5
- 謡曲集.上巻
野村八良 校訂 1914
- ことばの泉 : 日本大辞典
落合直文 著 明31.6序
- 黙阿弥脚本集.第15巻
河竹黙阿弥 著・河竹糸女 補・河竹繁俊 編 大正9-12
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