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魚のことば

「魚心あれば水心」の語源と初出 江戸の原本では「網心あれば魚心」

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この記事の目次

正徳2年(1712年)の序をもつ浮世草子に、「魚」に「うを」、「網」に「あみ」と振り仮名を振って「魚心あれば網心あり」と書かれています。いま「魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ)」といえば、相手が好意を示せば自分も相手に好意を示す気になる、というたとえですが(デジタル大辞泉「魚心あれば水心」の項)、原本で確かめられるいちばん古い形では、魚の相手は水ではなく、魚を捕る網でした。語源について現代の辞典は、もともとは「魚、心あれば、水、心あり」と区切る句で、長く使われるうちに「魚心」「水心」と一語ずつに読まれるようになったのだろう、と説明しています(ことわざを知る辞典「魚心あれば水心」の項)。

鯰絵『世直し鯰の情』。倒れた材木を持ち上げる鯰の男たちと、それにすがる人々を描いた多色刷り
安政の江戸地震のあとに出た鯰絵『世直し鯰の情』。崩れた材木の下から人を引き出し、背負って運ぶ鯰たちが描かれている。文は右上の「十月二日大地しんの時」から始まり、鯰と人との掛け合いが左の列まで続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世直し鯰の情』江戸大地震之絵図所収・NDL PID:1302031・著作権保護期間満了)

次世代デジタルライブラリーの全文検索で「魚心あれば」「魚心あれは」「うを心あれば」と仮名の形を変えて引くと、当たるのは芝居の台本や滑稽本ばかりで、思いのほか多く出てきます。そこに「網心」という語で引いた結果を重ねると、いちばん古い本が入れ替わりました。もう一つの入口になったのが明治の『諺語大辞典(げんごだいじてん)』で、ことわざごとに江戸の出典を添えたこの辞書には、「魚心あれば水心」の項とは別に「網心あれば魚心あり」という見出しも立っていて、そこに近松門左衛門の浄瑠璃が引かれていました。

『頼朝三代鎌倉記』コマ3の見開き。くずし字の本文がびっしりと並ぶ
『頼朝三代鎌倉記』巻二の冒頭。右ページの中ほどに「魚心あれば網心あり」の列がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『頼朝三代鎌倉記 5巻』[2]・NDL PID:2554422 コマ3・著作権保護期間満了)

1712年の浮世草子は「魚心あれば網心あり」

全文検索で当たった江戸の本のうち、年代がはっきりしていていちばん古いのが、正徳2年(1712年)序の浮世草子『頼朝三代鎌倉記(よりともさんだいかまくらき)』です。京都の本屋・八文字屋自笑(はちもんじやじしょう)の名で出た、いわゆる八文字屋本で、自笑は延享2年(1745年)に没した人、江島其磧を代作者にして浮世草子を出していました(精選版日本国語大辞典「八文字屋自笑」の項)。

『頼朝三代鎌倉記』コマ3の「魚心あれば網心あり」の列と翻刻
赤枠は「魚心あれば網心あり」の列。「魚」に「うを」、「網」に「あみ」の振り仮名がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『頼朝三代鎌倉記 5巻』[2]・NDL PID:2554422 コマ3・著作権保護期間満了)
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魚心あれば網心あり。世に勝れての智恵自慢人を計と

現代語訳

魚心あれば網心あり。世にすぐれた智恵自慢が、人をはかろうと(思っても)——。「魚」に「うを」、「網」に「あみ」の振り仮名がある。「計」の字は同じコマの「計略」と同じ字形。

「魚心あれば網心あり。世に勝れての智恵自慢人を計と」。「魚」には「うを」、「網」には「あみ」と振り仮名がついているので、読み違えではありません。

『頼朝三代鎌倉記』コマ3から「魚心あれバ」「網心あり。」を大きく切り出したもの
コマ3の一列から、「魚心あれバ」(右)と「網心あり。」(左)を切り出して並べた。「魚」の右に「うを」、「網」の右に「あみ」の振り仮名。右の切り抜きに重なる朱色は蔵書印。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『頼朝三代鎌倉記 5巻』[2]・NDL PID:2554422 コマ3・著作権保護期間満了)

「人を計と」の「計」は、くずし字だと「斗」にも見える字ですが、同じコマの数列先にある「計略」の「計」と同じ形をしているので、「計」と読めます。世にすぐれた智恵自慢が、人をはかろうと、という文で、次の列へ読み進めると、人をはかろうと思っても、そのぶん自分もはかられていることを知らない、という趣旨の文が続きます。魚がその気なら網もその気で、こちらが相手を出し抜こうとすれば相手もこちらを捕まえにかかる、という使い方です。

相手が好意を見せれば自分も好意で応える、という今の意味とは、向きがかなり違います。60年後の明和9年(1772年)刊『桜御殿邯鄲之枕』にも、同じ一節がそのまま出てきます(NDL PID:2555002 コマ4)。

近松の浄瑠璃では「網心あれば魚心」

明治43年(1910年)の『諺語大辞典』が引いていたのは、近松門左衛門の浄瑠璃『主馬判官盛久(しゅめのはんがんもりひさ)』です。近松は承応2年(1653年)に生まれ、享保9年(1724年)に没しました(精選版日本国語大辞典「近松門左衛門」の項)。この作品の製作年代は分かっておらず、大正14年(1925年)刊の『近松全集』第2巻の解題も「製作年代は不明」としています。江戸の正本の画像は国立国会図書館にないので、その『近松全集』の活字で読みました。

『近松全集』第2巻コマ303の「あみ心あればいを心ありとせわにいふも是ならん」の列と翻刻
赤枠は「あみ心あればいを心あり」の列。行の左わきに「網」「魚」「世話」「云」の字が小さく添えられている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『近松全集』第2巻・NDL PID:978997 コマ303・著作権保護期間満了)
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翻刻

あみ心あればいを心ありとせわにいふも是ならん

現代語訳

「網心あれば魚心あり」と世話(ことわざ)にいうのも、このことであろう。行の左わきに「網」「魚」「世話」「云」の字が小さく添えられている。

「あみ心あればいを心ありとせわにいふも是ならん」。

『近松全集』第2巻コマ303から「あみ心あれば」「いを心あり」を大きく切り出したもの
コマ303の一行から、「あみ心あれば」(右)と「いを心あり」(左)を切り出して並べた。左わきの小さな「網」「魚」は校註者が添えた字。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『近松全集』第2巻・NDL PID:978997 コマ303・著作権保護期間満了)

「世話(せわ)」とは、世間で言い習わしたことば、つまりことわざのことで、網心あれば魚心ありと世話にいうのもこのことであろう、と近松はこの言葉をすでにことわざとして引いています。しかもここでは順序が逆で、「網心あれば魚心」です。近松が没したのは1724年ですから、この形は、遅くとも18世紀の前半にはことわざとして通っていたことになります。

1767年の『関取千両幟』で水と魚が入れ替わる

精選版日本国語大辞典が「魚心あれば水心」の初出として挙げているのは、明和4年(1767年)に大坂の竹本座で初演された浄瑠璃『関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)』です(コトバンク「関取千両幟」の項)。近松半二ほかの合作で、関取の岩川と鉄ヶ嶽の勝負をめぐる話です。江戸の正本の画像は見つからなかったので、明治26年(1893年)刊の活字本で読んでいます。

『関取千両幟』コマ19の「水心有バ魚心有」の列と翻刻
赤枠は「水心有バ魚心有」の列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『関取千両幟』明治26年刊・NDL PID:876690 コマ19・著作権保護期間満了)
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が嶽心次第ぢや、水心有バ魚心有、頼事も頼まれる事も、まあけふの相撲

現代語訳

(鉄)が嶽の心次第だ。水心あれば魚心あり。頼むことも頼まれることも、まあ今日の相撲(をすませてから)——。

「が嶽心次第ぢや、水心有バ魚心有、頼事も頼まれる事も、まあけふの相撲」。鉄ヶ嶽の心しだいで、頼むことも頼まれることも、まあ今日の相撲がすんでから、という流れの中で、ここでは「水心あれば魚心」と水が先に来ています。ところが同じページの少し先には、こうあります。

『関取千両幟』コマ19の「魚心有水心有、岩川土俵で」の列と翻刻
赤枠は「魚心有水心有、岩川土俵で」の列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『関取千両幟』明治26年刊・NDL PID:876690 コマ19・著作権保護期間満了)
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翻刻

が勝ちやあろ、夫共に取て見よふと思ふなら、魚心有水心有、岩川土俵で

現代語訳

(取らぬ方)が勝ちであろう。それとも取ってみようと思うなら、魚心あれば水心あり。岩川、土俵で(会おう)——。

「が勝ちやあろ、夫共に取て見よふと思ふなら、魚心有水心有、岩川土俵で」。取らぬほうが勝ちであろう、それとも取ってみようと思うなら、とつないで、こちらは「魚心あれば水心」です。同じ場面で水と魚の順序が両方使われていて、この台本の時点では、どちらが先でもよかったことになります。

網が水に変わった理由は、この本からは分かりません。ただ、網と魚では捕る側と捕られる側ですが、水と魚なら離れられない仲です。明治39年(1906年)の『俚諺辞典』を開くと、そのことがよく分かります。「魚心あれば水心あり」の項は、他人が自分に深い情をもてば自分も好意を尽くす、と説明するだけで、そのすぐ左に「魚と水」という別の項が立ち、こちらが仲の親密なことをいうとして『三国志』諸葛亮伝の「猶魚之有水也」(なお魚の水あるがごとし)を引いています(NDL PID:900343 コマ47)。機械が読み取ったテキストでは二つの項が一続きになっていて、一つの項の説明に見えてしまいますが、原本では別々の見出しです。

水と魚を仲のよさのたとえにする言い方は、ことわざの隣に別にありました。網から水へ変わって、ことばの中身も、駆け引きから好意の応酬へ寄っていったように見えます。

1780年にはことわざと断って書かれる

安永9年(1780年)跋の『口学諺種』には、ことわざだと断ったうえで出てきます。

『口学諺種』コマ32の「諺ニ魚心あれハ水心ありと云」の列と翻刻
赤枠は「諺ニ魚心あれハ水心ありと云」で始まる列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『口学諺種』・NDL PID:8929480 コマ32・著作権保護期間満了)
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諺ニ魚心あれハ水心ありと云……

現代語訳

諺に「魚心あれば水心あり」という——。(このあと浮気がちな遊女の話に続く。「云」の次の字は判読が難しいため略)

「諺ニ魚心あれハ水心ありと云」。このあと浮気がちな遊女の話に続くのですが、1780年には魚が先で水があとの順になり、はっきり「諺」と呼ばれています。

『絵本譬喩節』コマ6の見開き。舟の上で四つ手網を引き上げる漁師と、狂歌の文字
喜多川歌麿が描いた『絵本譬喩節』の四つ手網の図。左ページの歌に「魚こゝろ」の語が読み取れる(くずし字のため逐語は略)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『絵本譬喩節 3巻』寛政9年・NDL PID:2533137 コマ6・著作権保護期間満了)

寛政9年(1797年)の『絵本譬喩節』は、喜多川歌麿が絵を描いた本です。舟から網を引き上げる漁師の図に「魚こゝろ」の語が入った歌が添えられていて、網と魚が一枚の絵の中に同居しています。

弥次さんの宿と鯰絵

19世紀に入ると、このことわざは会話のなかにそのまま出てきます。十返舎一九は『東海道中膝栗毛』のあとも弥次郎兵衛と北八の旅を書き継ぎ、『続膝栗毛』12編を1810年から1822年にかけて出しました(百科事典マイペディア「東海道中膝栗毛」の項)。その十一編、上州の宿屋で、宿の女が弥次郎にこう言います。

『続膝栗毛』十一編コマ25の「魚心あれバ水こゝろあるだ」の列と翻刻
赤枠は「魚心あれバ水こゝろあるだ。サアもし」で終わる列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『道中膝栗毛 8編続12編』[40]・NDL PID:2559036 コマ25・著作権保護期間満了)
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魚心あれバ水こゝろあるだ。サアもし

現代語訳

魚心あれば水心あるだ。さあもし——。(宿の女が弥次郎に言う台詞。列の前半は略)

「魚心あれバ水こゝろあるだ。サアもし」。「あるだ」といういなか言葉の語尾がついて、ことわざが会話の調子に溶けています。この本は国立国会図書館では『道中膝栗毛 8編続12編』という一揃いの中の1冊として登録されていますが、開いてみると巻頭に「続膝栗毛十一編」とあり、『東海道中膝栗毛』の本編ではありません(NDL PID:2559036 コマ3)。

冒頭に置いた鯰絵にも出てきます。安政2年(1855年)10月2日の夜に江戸を襲った安政の大地震のあと、地震を起こす大鯰を描いた刷物が大量に出回り(デジタル大辞泉・日本大百科全書「鯰絵」の項)、『世直し鯰の情』もその一枚です。鯰が「(鯰を)悪く言わない人だけは赦してやった」と言い、それを聞いた人が「それじゃ鯰にも少しは情けがあるのう」と返すと、鯰はこう受けます。

『世直し鯰の情』の「魚心あれバ水心ありだ」で終わる列と翻刻
赤枠は「魚心あれバ水心ありだ」で終わる列。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『世直し鯰の情』江戸大地震之絵図所収・NDL PID:1302031・著作権保護期間満了)
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魚心あれバ水心ありだ

現代語訳

魚心あれば水心ありだ。(列の前半は略。「そりゃおまえ」と受けて鯰が言う台詞)

「魚心あれバ水心ありだ」。地震の主の鯰も魚ですから、魚が自分の口で魚心あれば水心と言う、しゃれになっています。

『暁斎百図』コマ17。「う」の字を大きく書き、その下に人物の墨画と、ことわざの列記
河鍋暁斎の『暁斎百図』の「う」の部。「う」で始まることわざが列記され、中ほどに「魚心」で始まる行が見える。右には杖をついた老人などの人物が素描されている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『暁斎百図』[1]・NDL PID:2574926 コマ17・著作権保護期間満了)

幕末の絵師・河鍋暁斎が画を担った『暁斎百図』にも、「う」で始まることわざを書き並べた中に「魚心」で始まる行があり、「氏より育ち」「鵜のまねをする烏」「牛に引かれて善光寺参り」と同じ並びに置かれています。

明治の辞書は三つの見出しを立てた

明治43年(1910年)の『諺語大辞典』を開くと、この一つのことわざに三つの見出しがあります。「魚心アレバ水心」(コマ94)、「水心アレバ魚心アリ」(コマ495)、そして「網心アレバ魚心アリ」(コマ36)です。

『諺語大辞典』コマ36の「網心アレバ魚心アリ」の項と翻刻
赤枠は「網心アレバ魚心アリ」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・NDL PID:862766 コマ36・著作権保護期間満了)
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【網心アレバ魚心アリ】魚心アレバ水心と同意。近松〔主馬判官盛久〕—と世話にいふも是ならん。

現代語訳

「網心あれば魚心あり」の項。「魚心あれば水心」と同じ意味。近松『主馬判官盛久』に「——と世話にいふも是ならん」。

「【網心アレバ魚心アリ】魚心アレバ水心と同意。近松〔主馬判官盛久〕—と世話にいふも是ならん。」。網の形を「魚心あれば水心と同意」と説明して近松の『主馬判官盛久』を引いたこの項のおかげで、原本にさかのぼる道がつきました。大正4年(1915年)の『大日本国語辞典』も、「あみごころ」と「うをごころ」の両方に項を立てています。

『大日本国語辞典』コマ76の「(諺)網心あれば魚心」の項と翻刻
赤枠は「(諺)網心あれば魚心」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本国語辞典』あ-き・NDL PID:1871514 コマ76・著作権保護期間満了)
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(諺)網心あれば魚心 魚心あれば水心に同じ。うを(魚)の條を見よ。主馬判官盛久「網心あれば魚心と、世話にいふも是れならん」

現代語訳

(諺)「網心あれば魚心」。「魚心あれば水心」に同じ。「うを(魚)」の条を見よ。『主馬判官盛久』に「網心あれば魚心と、世話にいふも是れならん」。

「(諺)網心あれば魚心 魚心あれば水心に同じ。うを(魚)の條を見よ。主馬判官盛久「網心あれば魚心と、世話にいふも是れならん」」。

『大日本国語辞典』コマ250の「(諺)魚心あれば水心」の項と翻刻
赤枠は「(諺)魚心あれば水心」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本国語辞典』あ-き・NDL PID:1871514 コマ250・著作権保護期間満了)
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(諺)魚心あれば水心 他が己れに好意あれば、己れも亦他に好意を有すとの譬へ。關取千兩幟二「それとも取つて見ようと思ふなら、魚心あれば水心ある。岩川、土俵で逢はう」

現代語訳

(諺)「魚心あれば水心」。他人が自分に好意をもてば、自分もまた他人に好意をもつというたとえ。『関取千両幟』二に「それとも取ってみようと思うなら、魚心あれば水心ある。岩川、土俵で逢おう」。

「(諺)魚心あれば水心 他が己れに好意あれば、己れも亦他に好意を有すとの譬へ。關取千兩幟二「それとも取つて見ようと思ふなら、魚心あれば水心ある。岩川、土俵で逢はう」」。用例に『関取千両幟』を引くのは現代の精選版日本国語大辞典と同じで、この系譜は百年以上前からつながっています。

大正10年(1921年)に改修版が出た『言泉』第1巻は、ことばの意味を少しずらして書いています。

『言泉』コマ238の「魚心あれば、水心有り」の項と翻刻
赤枠は「魚心あれば、水心有り」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言泉』第1巻・NDL PID:969159 コマ238・著作権保護期間満了)
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翻刻

魚心あれば、水心有り【句】他人、我に對して從順なる心あれば、我もまたその人に對して厚意を加ふ。〔諺語〕

現代語訳

「魚心あれば、水心有り」。他人が自分に対して従順な心をもてば、自分もまたその人に対して厚意を加える。〔諺語〕

「魚心あれば、水心有り【句】他人、我に對して從順なる心あれば、我もまたその人に對して厚意を加ふ。〔諺語〕」。「魚心あれば、水心有り」と読点を打っているのが目を引き、「魚、心あれば、水、心あり」という現代の辞典の説明に近い区切り方になっています。ただし「従順なる心あれば」と上下の関係のように書いているところは、江戸の用例の「相手の出方しだい」とは少し違います。

網から水へ、百年ほどのあいだに

古い順に置き直すと、1712年の『頼朝三代鎌倉記』が「魚心あれば網心あり」と書き、同じころ近松(1653〜1724年)の『主馬判官盛久』は「あみ心あればいを心ありとせわにいふも是ならん」と、網の形をすでにことわざとして引いていました。1767年の『関取千両幟』では「水心有バ魚心有」と「魚心有水心有」が同じ場面に両方出てきて、1780年の『口学諺種』が「諺ニ魚心あれハ水心ありと云」と書くころには、魚と水の順で落ち着いています。そのあとは1810〜1822年の『続膝栗毛』十一編の「魚心あれバ水こゝろあるだ」、1855年の鯰絵の「魚心あれバ水心ありだ」と会話の中で使われ、1910年の『諺語大辞典』が三つの見出しを立てて網の形に近松を引き、1921年の『言泉』改修版が「魚心あれば、水心有り」と読点つきで載せました。

「魚心あれば水心」は、もとから水と魚だったわけではありません。18世紀のなかばに水と魚の順序が揺れ、終わりごろには今の形に落ち着きますが、それより前には、魚を捕りにくる網が相手だった時期がありました。

この記事でわかったこと

  • 精選版日本国語大辞典は明和4年(1767年)初演の浄瑠璃『関取千両幟』を挙げています。

    原本の画像で確かめられる範囲では、正徳2年(1712年)序の八文字屋本『頼朝三代鎌倉記』に「魚心あれば網心あり」の形があり(NDL PID:2554422 コマ3)、近松門左衛門(1724年没)の浄瑠璃『主馬判官盛久』には「あみ心あればいを心あり」の形で出てきます(大正14年刊『近松全集』第2巻、NDL PID:978997 コマ303。製作年代は不明)。

  • 現代の辞典は、もとは「魚、心あれば、水、心あり」と区切る句だったろうと説明しています(ことわざを知る辞典)。

    江戸の原本では、18世紀前半の用例が「網心あれば魚心」「魚心あれば網心あり」と網の形で、1767年の『関取千両幟』では「水心あれば魚心」と「魚心あれば水心」の両方が同じ場面に出てきます。魚の相手が網から水に変わった理由を書いた江戸の本は、今回の範囲では見つかっていません。

  • 明治43年(1910年)の『諺語大辞典』に「網心アレバ魚心アリ」の見出しがあり、「魚心アレバ水心と同意」として近松『主馬判官盛久』を引いています(NDL PID:862766 コマ36)。

    大正4年(1915年)の『大日本国語辞典』にも「(諺)網心あれば魚心」の項があります(NDL PID:1871514 コマ76)。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

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