養殖は江戸時代「水畜」と呼ばれた——鯉の稚魚は鶏と鴨の卵で育てる
この記事の目次
元禄の農書『農業全書(のうぎょうぜんしょ)』は、魚を育てる方法を、牛や馬や鶏の飼い方と同じ巻に並べていました。その項目名は養殖ではなく「水畜(すいちく)」です。スーパーの鮮魚売り場で「養殖」の二文字を見ない日はまずありませんが、江戸時代の本をまとめて「養殖」で検索してもほとんど何も出てこないので、いまの言葉のままでは江戸の本に届きません。
出典:中島来章筆「游鯉図」東京国立博物館蔵(ColBase、CC BY 4.0) https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-1072
国会図書館の次世代デジタルライブラリーは、公開されている本にまとめて文字認識(OCR)をかけてあり、江戸の版本を語で横断検索できます。そこで「養殖」と入れると、古典籍のヒットは5件だけで、中身は明治の真珠貝の本(田中芳男『貝ノ話』)、昭和の城郭資料、ランの栽培書の文字の読み違い、伊藤圭介が編んだ魚の図譜『錦窠魚譜』の書き入れでした。江戸の版本が魚を育てる話に「養殖」を使った例は、この5件の中にありません。
言葉を変えると、出てくるものががらりと変わります。「畜養(ちくやう)」550件。「養魚」524件。「種苗」503件。魚を育てることを、江戸の人は別の言葉で呼んでいたわけで、さらに297件ひっかかったのが「水畜(すいちく)」でした。この語をたどって開いたのが『農業全書』です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻一・NDL PID:2557373 コマ7・著作権保護期間満了)
著者は筑前(いまの福岡県)の宮崎安貞で、序は貝原益軒が書いています。全十一巻、五穀、野菜、果樹、薬草と、農家が扱うものを巻ごとに一つずつ論じていく本で、いま読んでいるのは文化十二年(1815年)の版なので、元禄に出た本が百年以上あとまで版を重ねて売られていたことになります。目が留まったのは、その第十巻の目録でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ2・著作権保護期間満了)
牛・馬・鶏・家鴨のつぎに魚
目録を右から読むと、まず「五牸を畜(かふ)法 第一」があります。牸は牛へんの字で、この節の本文を開くと、五牸は牛・馬・ぶた・ひつじ・ろばのことだと説明されています。続いて「鶏 第二」「家鴨(あひろ) 第三」、そして「水畜 第四」。この本は魚を育てることを牛や馬や鶏と同じ列に置いていて、魚は薬草の側ではなく家畜の側にあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ7・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ7・著作権保護期間満了)
本文では、右ページの終わりまでアヒルの飼い方が続き、左ページの後ろのほうで節が変わります。その書き出しが次の一行です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ7・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
水畜(すいちく)第四水畜とて、魚をかひ生立る手立あり。是又史記陶朱が伝に見えたり。先鯉鮒を池にて生立
現代語訳
水畜(すいちく)第四。水畜といって、魚を飼って育てる方法がある。これもまた『史記』の陶朱公の伝に見えている。まず鯉と鮒を池で育てる——。
「水畜とて、魚をかひ生立(そだ)る手立あり」、水畜といって、魚を飼って育てる方法がある、と言い、「手立(てだて)」つまり手順がある、と宣言したうえで、ここから先は具体的な話が続いていきます。
雌二十匹に、雄四匹
まず池を掘り、中に島をいくつも築いて魚が日向で遊べるようにし、上には木を枝ごと伐って重しに置く、という記述が続いたあと、放す魚の話になります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ8・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ8・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
子持鯉の二尺餘りもあるを廿、牡鯉の同じほどなるを四つ、二月の上の庚の日池に放つべし。入る時水の音なき様(やう)に、しづかに入べし
現代語訳
卵を持った二尺(約60センチ)あまりの鯉を二十匹、同じくらいの大きさの雄の鯉を四匹、二月の最初の庚(かのえ)の日に池へ放しなさい。池に入れるときは水音を立てないよう、静かに入れること。
「子持鯉の二尺餘りもあるを廿、牡鯉の同じほどなるを四つ」。卵を持った二尺(約六十センチ)あまりの雌鯉を二十匹に、同じくらいの雄を四匹と、数まで決まっています。放す時期も「二月の上の庚の日池に放つべし」、二月の最初の庚(かのえ)の日に池へ放せと指定され、入れ方についても「入る時水の音なき様(やう)に、しづかに入べし」、水音を立てずに静かに入れよ、とまで書いてあります。
稚魚の餌は、鶏と鴨の卵の黄身
この節でいちばん驚いたのは、そのあとに出てくる稚魚の一段でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ11・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ11・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
又魚(うを)の苗(なへ)を飼立(かひたつ)る事は、池河にて小(ちいさ)き魚を網(あミ)にて多く取、小池に入をき、鶏鴨(にはとりあひろ)の卵(たまご)の黄(き)なる所(ところ)を以(もつ)て飼ひ、又大麦(おほむぎ)の粉、炒豆(いりまめ)の粉を入れて飼立れば、ほどなくふとる物なり
現代語訳
また魚の苗(=稚魚)を育てるには、池や川で小さい魚を網でたくさん取り、小さな池に入れておいて、鶏と鴨の卵の黄身で飼い、さらに大麦の粉と炒った豆の粉を入れて育てると、ほどなく太るものである。
「又魚(うを)の苗(なへ)を飼立(かひたつ)る事は」と始まり、稚魚のことを「魚の苗」と呼んでいます。田に植える苗と同じ字なので、魚を育てることがこの本のなかで作物を育てることと地続きになっているのが、この一語でわかります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ11・著作権保護期間満了)
育て方は、池や川で小さい魚を網でたくさん取り、小さな池に入れておいて、「鶏鴨(にはとりあひろ)の卵(たまご)の黄(き)なる所(ところ)を以(もつ)て飼ひ」、つまり鶏と鴨の卵の黄身で稚魚を飼え、というものです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『農業全書』巻十・NDL PID:2557382 コマ11・著作権保護期間満了)
続けて「又大麦(おほむぎ)の粉、炒豆(いりまめ)の粉を入れて飼立れば、ほどなくふとる物なり」とあり、大麦の粉と炒った豆の粉を入れて育てればほどなく太る、と言います。卵の黄身、麦の粉、豆の粉と並べていくところに、稚魚には粒の細かい餌がいるという考え方が、元禄の本の段階ではっきり出ています。
ただし、卵は高くつく
面白いのは、そのすぐあとに「されども鶏子(けいし)は費(ついへ)多し。麦豆稗(むぎまめひへ)の類を用ゆべし」と但し書きが付くことです。卵は費用がかさむので麦や豆や稗を使いなさい、と理想と実際の両方を書いているのは、農家に読ませる本だからでしょう。
そして「さて一尺許(ばかり)にふとりたる時、大池に移すべし」、一尺(約三十センチ)ほどになったら大きい池へ移す、とあり、小さい池で育ててから大きい池へ移すという段階の考え方がすでにあります。太らせ方の話も続き、冬や秋に死んだ牛馬の肉を細かく切り、米の糠と握り混ぜて鯉や鮒に飼えば、にわかに太る、とまで書かれていました。
知識の出どころは『史記』
節の書き出しの「水畜とて、魚をかひ生立る手立あり」には、続きがありました。「是又史記陶朱が伝に見えたり」、これもまた『史記』の陶朱(とうしゅ)公の伝に見えている、と言っているのです。陶朱公の名は、同じ巻十の第一「五牸を畜法」の書き出しにも「陶朱公曰(いはく)速(すみやか)に富(とま)んとならバ五牸をかふべしと」、すぐに富みたいなら五牸を飼え、という形で出てきます。この本は、家畜の知識も魚の知識も出どころが中国の書物であることを、自分から書いていたことになります。
ですから、この一冊を根拠に、元禄の日本で鯉を育てていたと言い切ることはできません。書かれていることが、そのまま日本の田んぼの脇で行われていた証拠にはならないからです。それでも、元禄九年に序を書かれ、百年以上あとまで版を重ねたこの本のなかで、魚を育てることが牛馬や鶏と同じ「畜(かう)」もののひとつとして独立した項目に整理され、池の広さから種鯉の数、稚魚の餌、移し替えの目安まで、印刷されて売られていたのは確かです。知識が中国から来たものでも、日本語に直して農家が買える本に組み込んだ時点で、それは日本の農書の一部になっています。
「水畜」から「養殖」へ
いまの国の統計では、内水面養殖業の収獲量の表が、ます類・あゆ・こい・うなぎ、それに「その他」の列に分かれていて(令和五年漁業・養殖業生産統計)、コイはいまも名前を挙げて数えられている魚です。けれども、そこで使われる「養殖」という語は江戸の本にはほとんどなく、あったのは「畜養」であり「養魚」であり、『農業全書』が立てた「水畜」でした。言葉が入れ替わったぶん見えにくくなったのは、魚を家畜の一つとして数えていた時代があった、ということのほうです。
この記事でわかったこと
「養殖」という語自体は江戸の本にほとんど出てきません(国会図書館の古典籍全文検索で5件。
江戸の版本が魚を育てる話にこの語を使った例は、その中にありません)。ただし「畜養」「養魚」「水畜」といった語で、魚を飼って育てる記述は複数の本にあります。本記事で読んだ『農業全書』巻十「水畜」もそのひとつです。ただしこの本は知識の出どころを『史記』の陶朱公と明記しているため、日本での実践記録そのものとは区別して読む必要があります。
筑前の宮崎安貞が書いた全十一巻の農書です。
巻一に貝原益軒(篤信)の序があり、「元禄丙子中和節」=元禄九年(1696年)の年記が入っています。同じ序に、安貞がこのとき七十五歳だったことも記されています。五穀・野菜・果樹・薬草・家畜と、農家が扱うものを一つずつ論じる構成で、国立国会図書館デジタルコレクションで全巻を無料で読めます(本記事で使ったのは文化十二年=1815年の版、PID:2557382ほか)。
稚魚のことです。
『農業全書』巻十では「又魚の苗を飼立る事は」と、田に植える苗と同じ字を当てています。小さい魚を網で取って小さな池に入れ、鶏と鴨の卵の黄身、大麦の粉、炒った豆の粉で育て、一尺ほどになったら大きい池へ移す、という手順が書かれています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 農業全書 11巻.[1]
宮崎安貞 著・貝原楽軒 補・貝原益軒 文化12 [1815]
- 農業全書 11巻.[10]
宮崎安貞 著・貝原楽軒 補・貝原益軒 文化12 [1815]
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



