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魚のことば

「目から鱗」の意味と由来 聖書の一節がたとえになるまで

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この記事の目次

昭和15年(1940年)、沖野岩三郎は、音楽の本の訳文に「私の眼から音階が落ちたやうに思つた」とあって首をひねった話を書き残しています。英語の scale を、鱗ではなく音階と訳してしまったのです。「目から鱗(うろこ)」の意味は、あることをきっかけに、それまで見えていなかったことが急によくわかるようになることのたとえで、「目から鱗が落ちる」とも言い、由来は新約聖書の一節だとよく言われます。その一節が日本語のたとえになっていく様子は、明治から昭和の本に、かなり細かく残っていました。

歌川広重『魚尽』の鯉。黒い鱗が一枚ずつ描かれた鯉が、水の流れの中を泳ぐ
歌川広重の『魚尽』の一枚。黒い鯉の鱗が、一枚ずつ重なり合うように刷られている。上の余白に狂歌が一首。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(広重『魚尽』〔鯉〕・NDL PID:1306178・著作権保護期間満了)

次世代デジタルライブラリーの全文検索を江戸以前の古典籍に絞ると、「目から鱗」も「目より鱗」も、字を変えた「眼から鱗」「眼より鱗」も0冊で、江戸の日本語にはこの言い方が見当たりません。全期間に広げると「眼より鱗」が40冊、「目より鱗」が23冊出てきて、上から開いていくと聖書と、聖書を解説した本が並びます。古い層にあたるのが、明治14年(1881年)に米国聖書会社から出た『新約全書』でした。

1881年『新約全書』コマ180の見開き。細かい活字で使徒行伝の本文が組まれ、行間に振り仮名がある
『新約全書』の使徒行伝第9章のあたり。漢字の本文の右に、小さな振り仮名がつく。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『新約全書』・米国聖書・1881年・NDL PID:992682 コマ180・著作権保護期間満了)

明治の聖書は「眼より鱗の如きもの」

開いたのは使徒行伝の第9章で、目の見えなくなっていたサウロという男のもとへアナニヤという人がやって来て、手を置く場面です。

1881年『新約全書』コマ180の「忽ち彼の眼より鱗の如もの脱て」の列と翻刻
「十八 忽ち彼の眼より鱗の如もの脱て……」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『新約全書』・米国聖書・1881年・NDL PID:992682 コマ180・著作権保護期間満了)
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翻刻

十八 忽ち彼の眼より鱗の如もの脱て……

現代語訳

(使徒行伝9章18節)たちまち彼の眼から、鱗のようなものが落ちて(再び見えるようになった)。

たちまち彼の眼から鱗のようなものが落ちて、と続くところを、字を大きくして見てみます。

1881年『新約全書』コマ180から「眼より鱗の」「如もの脱て」を大きく切り出したもの
コマ180の第18節から、「眼より鱗の」(右)と「如もの脱て」(左)を切り出して並べた。振り仮名は「め」「うろこ」「ごとき」「おち」。「鱗」の下の「の」は変体仮名。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『新約全書』・NDL PID:992682 コマ180・著作権保護期間満了)

字は「目」ではなく「眼」で、落ちるのも鱗そのものではなく「鱗の如きもの」、鱗のようなものです。これは目の病が治ったという出来事そのものを書いた文で、まだたとえにはなっていません。明治35年(1902年)の日本正教会の訳『我主イイススハリストスの新約』では、「忽彼の目より鱗の如き者脱ちて、彼直に見るを得」と、字が「目」に変わっています(NDL PID:825724 コマ173)。大正の改訳では、前後がこうなりました。

『新約聖書 対註改訳』コマ306の「直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」の列と翻刻
「彼の上に手をおきて言ふ『兄弟サウロよ、……なんぢが再び見ることを得、かつ聖靈にて滿されん爲なり』十八 直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得、すなはち起きてバプテスマを受け、」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『新約聖書 対註改訳』・安部清蔵編・大正10年・NDL PID:963349 コマ306・著作権保護期間満了)
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翻刻

彼の上に手をおきて言ふ『兄弟サウロよ、……なんぢが再び見ることを得、かつ聖靈にて滿されん爲なり』十八 直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得、すなはち起きてバプテスマを受け、

現代語訳

(アナニヤは)彼の上に手を置いて言った。「兄弟サウロよ、……あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためである」。すぐに彼の目から鱗のようなものが落ちて、見えるようになった。そこで起きて洗礼を受けた。

兄弟サウロよ、あなたが再び見えるようになるために、とアナニヤが告げると、すぐに彼の目から鱗のようなものが落ちて、見えるようになった、という流れです。聖書の中では、どの訳でも「鱗のごときもの」で、サウロひとりの身に起きた出来事として書かれています。

明治40年、鱗は「吾々の眼」に移る

聖書の外に目を移して、はじめ「目から鱗」で引くと8冊で、いちばん古いのは明治44年(1911年)の、使徒ペトロとパウロの略伝でした。これはサウロの話そのものです。ところが聖書の字は「眼」だったので、「眼の鱗」「眼から鱗」「鱗が落ちた」と形を変えて引き直すと、もっと古い本が出てきます。明治40年(1907年)に出た木下尚江の小説『霊か肉か』上篇で、信夫という女性が、大村という人物から聞いた信仰の話を友人の小川に伝える場面です。

木下尚江『霊か肉か』上篇コマ56の「吾々の眼の鱗を取り拂ふ爲めに出で給ふたのだと信ずるです」の列と翻刻
「實に人類が直に此の愛の生命を實現する爲めに、吾々の眼の鱗を取り拂ふ爲めに出で給ふたのだと信ずるです。」主語の「基督は」は前のコマ55の末尾にある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(木下尚江『霊か肉か』上篇・金尾文淵堂・明治40年・NDL PID:888676 コマ56・著作権保護期間満了)
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翻刻

實に人類が直に此の愛の生命を實現する爲めに、吾々の眼の鱗を取り拂ふ爲めに出で給ふたのだと信ずるです。

現代語訳

(キリストは)じつに、人類がすぐにこの愛の生命を実現するために、われわれの眼の鱗を取り払うためにお出でになったのだと信じるのです。

キリストは、われわれの眼の鱗を取り払うために来られたのだと信じる、と信夫は語ります。ここで鱗がついているのは、サウロの眼ではなく「吾々の眼」で、「鱗の如きもの」の「如きもの」も消えていました。見えるはずのものを見えなくしているもの、という意味で鱗を使っているので、もうたとえです。ただし、話題はまだキリストでした。

この読み方は、教会の本の中で育っていたようです。前の年、明治39年(1906年)の宮川経輝『霊界の妙趣』は、サウロの話を語り直して「其眼から鱗の如き物が落ちたと云ふが」と書き、それをパウロの「靈眼」が開けたことだと説明しています(NDL PID:825318 コマ74)。目の病の話を、心の眼の話として読んでいるわけです。同じ明治40年の12月に出た左近義弼『マタイの伝へし福音書』も、マタイ伝第5章8節(心の清い者は神を見る)の注に「心の目より罪の鱗が取れて神を見ることか出來る」と書いていて(NDL PID:825672 コマ156)、鱗はサウロの目ではなく、読む人の「心の目」についています。

その3年後、明治43年(1910年)には、聖書と関係のない本に出てきます。

『勅語教訓 偉人二宮尊徳』コマ48の見開き。大きな活字にすべて振り仮名がついた本文
二宮尊徳の伝記の見開き。大きな活字の漢字すべてに振り仮名がついている。奥付(コマ85)は明治43年7月25日発行。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(中島喜久平『勅語教訓 偉人二宮尊徳』・明治43年・NDL PID:758733 コマ48・著作権保護期間満了)

二宮尊徳の伝記で、先生に見捨てられたと知った村人たちが、悪かったのは自分たちだと気づく場面です。右ページの中ほどを拡大します。

『勅語教訓 偉人二宮尊徳』コマ48の「目から鱗が落ちたよう、多年の長い迷の夢が」の列と翻刻
「……先生を探し出し、平蜘蛛のようにお詫びを申さなくてはならないと、目から鱗が落ちたよう、多年の長い迷の夢が、一朝涼しい靑葉の風に拂はれて、」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(中島喜久平『勅語教訓 偉人二宮尊徳』・明治43年・NDL PID:758733 コマ48・著作権保護期間満了)
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翻刻

……先生を探し出し、平蜘蛛のようにお詫びを申さなくてはならないと、目から鱗が落ちたよう、多年の長い迷の夢が、一朝涼しい靑葉の風に拂はれて、

現代語訳

先生を探し出して、平蜘蛛のようにお詫びを申さなくてはならないと、目から鱗が落ちたように、長年の迷いの夢が、ある朝涼しい青葉の風に払われて、(正気づいたように)。

『勅語教訓 偉人二宮尊徳』コマ48から「目から鱗が」「落ちたよう、」を大きく切り出したもの
コマ48の一行から、「目から鱗が」(右)と「落ちたよう、」(左)を切り出して並べた。振り仮名は「め」「うろこ」「お」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:758733 コマ48・著作権保護期間満了)

「目から鱗が落ちたよう」と、字は「目」、助詞は「から」、鱗は「落ちる」で、いまの言い方とほとんど同じ形になっています。続きは「多年の長い迷の夢が、一朝涼しい青葉の風に払われて」で、長年の迷いがいっぺんに晴れたことのたとえとして使われていました。この本は、検索語「目から鱗」では出てきていません。機械の読み取りが「目」を別の字に読んでいたためで、「鱗が落ちた」で引いてはじめて見つかりました。

英語にも同じ言い方があった

大正に入ると、英語の本の中にこの言い方が出てきます。大正5年(1916年)の『可憐の少女』は、英語の物語の本文に日本語の訳と注をつけた本で、松浦政泰が訳注をしています。

『可憐の少女』コマ18の見開き。左ページに英文、右ページに日本語訳、その下に語句の注が並ぶ
左ページが英文、右ページが日本語訳と注。英文の4番目の文が「But the scales fell from her eyes.」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『可憐の少女』・松浦政泰訳註・大正5年・NDL PID:943029 コマ18・著作権保護期間満了)

左の英文に「But the scales fell from her eyes.」とあり、右ページの訳と注を拡大すると、出典まで書いてありました。

『可憐の少女』コマ18の訳「今や其目から鱗は落ち」と注「新約聖書使徒行傳九章十八節に…より出づ」と翻刻
「然し、今や其目から鱗は落ち、」「(注)鱗が落ちた(靈の眼のあいたのをいふ新約聖書使徒行傳九章十八節に「彼の眼より鱗の如きものおちて再び見ることを得」とあるより出づ)」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『可憐の少女』・松浦政泰訳註・大正5年・NDL PID:943029 コマ18・著作権保護期間満了)
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翻刻

然し、今や其目から鱗は落ち、(注)鱗が落ちた(靈の眼のあいたのをいふ新約聖書使徒行傳九章十八節に「彼の眼より鱗の如きものおちて再び見ることを得」とあるより出づ)

現代語訳

左ページの英文「But the scales fell from her eyes.」を「しかし、今やその目から鱗は落ち」と訳し、注で「The scales fell(鱗が落ちた)」は、霊の眼が開いたことを言う、新約聖書・使徒行伝9章18節の一節から出た言い方だ、と説明している。

訳は「然し、今や其目から鱗は落ち」で、注は、「The scales fell」は霊の眼が開いたことを言い、使徒行伝9章18節から出た言い方だと説明しています。英語でも同じ聖書の一節がたとえになっていたわけで、訳者はそのうえで、読者に出典を教える必要があると考えていました。同じころの英和辞典として、斎藤秀三郎の『熟語本位英和中辞典』、1918年の版の「Scale」の項も見ておきます。

斎藤秀三郎『熟語本位英和中辞典』コマ584のScaleの項。The scales fall from one's eyes.の訳「誤りを悟る(目が覺める)」に赤枠
「Scale(スケーィル)【名】(魚などの)こけ、こけら、鱗。」「The scales fall from one's eyes. 誤りを悟る(目が覺める)。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(斎藤秀三郎『熟語本位英和中辞典』・1918年・NDL PID:1681530 コマ584・著作権保護期間満了)
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翻刻

【名】(魚などの)こけ、こけら、鱗。誤りを悟る(目が覺める)。

現代語訳

Scale の項。名詞として魚などの「こけ、こけら、鱗」。その下の用例「The scales fall from one's eyes.」につけた訳は「誤りを悟る(目が覚める)」。

「The scales fall from one's eyes.」の訳は「誤りを悟る(目が覺める)」で、辞書は「目から鱗が落ちる」とは書かず、意味のほうを日本語にしています。

翻訳小説と昭和の文章

昭和3年(1928年)の『芥川竜之介全集』別冊に入っている「クラリモンド」は、題の下に原作者として「Theophile Gautier」の名があり、末尾には「(大正四年頃)」と添えてある訳文です。

『芥川竜之介全集』別冊コマ407の見開き。枠で囲まれた本文に「わしの眼から、急に鱗が落ちたやうな氣がした」の行がある
「クラリモンド」の一場面。中央に写る383ページの中ほどに「丁度、其時わしはわしの眼から、急に鱗が落ちたやうな氣がした。わしは、思ひがけなく明を得た盲人のやうな心持になつたのである。」とある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『芥川竜之介全集』別冊・岩波書店・昭和3年・NDL PID:1240283 コマ407・著作権保護期間満了)

僧になる式の最中に、若い主人公が、内陣の向こうにいる美しい女を見た瞬間を、「わしの眼から、急に鱗が落ちたやうな氣がした」と書き、すぐあとに、思いがけず光を得た盲人のような心持ち、と続けます。昭和8年(1933年)に訳された『トマスの懐疑』の冒頭には、ロバートソンの言葉を読み終えた時に「私の目から鱗の如きものが落ちたことを感じました」とあり(NDL PID:1037593 コマ4)、こちらは聖書の「鱗の如きもの」を残していました。昭和10年(1935年)の倉田百三『日本青年の往くべき道』になると、使い方がもう一段進みます。

倉田百三『日本青年の往くべき道』コマ5の「對手の目から鱗を剝落せしむることは出來ぬ」の列と翻刻
「……燃ゆるが如き信念と情熱とを持つのでなくては……對手の目から鱗を剝落せしむることは出來ぬ。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(倉田百三『日本青年の往くべき道』・昭和10年・NDL PID:1093311 コマ5・著作権保護期間満了)
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翻刻

……燃ゆるが如き信念と情熱とを持つのでなくては……對手の目から鱗を剝落せしむることは出來ぬ。

現代語訳

燃えるような信念と情熱を持つのでなければ、……相手の目から鱗をはがし落とさせることはできない。

燃えるような信念と情熱がなければ、相手の目から鱗をはがし落とすことはできない、と倉田は書いています。鱗は、自分の目から落ちるのを待つものから、相手の目からはがし落とすものにまでなっていました。

昭和15年の「眼から音階が落ちた」

冒頭の沖野岩三郎の話は、『大人の読んだ小学国語読本』の「言葉のもつ歴史」という見出しの文章に出てきます。

沖野岩三郎『大人の読んだ小学国語読本』コマ197の「私の眼から音階が落ちたやうに思つた」「私の眼から鱗が落ちたやうに思つた」の列と翻刻
「近頃某氏の書かれた音樂に關する書物を讀んでゐると、『此の事がわかつた時に、私の眼から音階が落ちたやうに思つた。』と、いふ一句があつた。……よく考へてみると、それは、『此の事がわかつた時に、私の眼から鱗が落ちたやうに思つた。』と、いふのを、誤譯したのだといふ事がわかつた。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(沖野岩三郎『大人の読んだ小学国語読本』・昭和15年・NDL PID:1144113 コマ197・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

近頃某氏の書かれた音樂に關する書物を讀んでゐると、『此の事がわかつた時に、私の眼から音階が落ちたやうに思つた。』と、いふ一句があつた。……よく考へてみると、それは、『此の事がわかつた時に、私の眼から鱗が落ちたやうに思つた。』と、いふのを、誤譯したのだといふ事がわかつた。

現代語訳

近ごろある人の書いた音楽の本を読んでいたら、「この事がわかった時に、私の眼から音階が落ちたように思った」という一句があった。よく考えてみると、それは「私の眼から鱗が落ちたように思った」というのを、誤訳したのだとわかった。

音楽の本を読んでいたら「私の眼から音階が落ちたやうに思つた」とあって意味がわからず、よく考えると「鱗が落ちた」の誤訳だった、という話で、沖野は、訳したもとの語は「Scale」だと書いています。英語の scale には鱗の意味も音階の意味もあり、斎藤の辞典の同じページにも「〔音楽〕音階」が載っています(NDL PID:1681530 コマ584)。

次のコマで沖野は、サウロ(パウロ)の話を説明したうえで、「此の歴史を知つてゐる者には、スケエルが眼から落ちたといふだけで、其の作者が言はんとした言葉の意味が、電光の如く腦裡に響いて來るのである。」と書きました(コマ198)。裏を返せば、聖書のこの場面を知らなければ通じない言い方だということで、少なくともこの音楽の本の訳者には通じていません。

聖書の一節がたとえになるまで

年代を追うと、1881年の『新約全書』の「忽ち彼の眼より鱗の如もの脱て」は目の病が治る場面で、1902年の日本正教会訳「忽彼の目より鱗の如き者脱ちて」で字が「目」になり、1906年の宮川経輝はサウロの鱗を「靈眼」が開けたことと説明しました。1907年の木下尚江「吾々の眼の鱗を取り拂ふ爲めに」で鱗が「吾々の眼」に移り、同じ年の暮れにはマタイ伝の注釈に「心の目より罪の鱗が取れて」が現れ、1910年の『偉人二宮尊徳』の「目から鱗が落ちたよう、多年の長い迷の夢が」で、聖書と関係のない本に、いまとほぼ同じ形が出てきます。1916年の『可憐の少女』は「今や其目から鱗は落ち」と訳して出典を注で示し、1918年の斎藤の辞典は「誤りを悟る(目が覺める)」と意味で訳し、1935年の倉田百三は「對手の目から鱗を剝落せしむることは出來ぬ」と書いていました。

由来は使徒行伝9章18節の、サウロの目から「鱗のようなもの」が落ちて見えるようになった場面で、聖書の訳が出てから四半世紀ほどで、鱗は「吾々の眼」のたとえになり、明治43年には二宮尊徳の伝記にまで出てきています。明治の末には、聖書の一節はもう日本語のたとえとして歩き出していたのに、昭和15年になっても、由来を知らなければ「音階」と取り違えてしまう言い方として、沖野は話題にしていました。

この記事でわかったこと

  • あることをきっかけに、それまで見えていなかったことが急によくわかるようになることのたとえです。

    大正5年の『可憐の少女』は、英語の「The scales fell(鱗が落ちた)」を「霊の眼のあいたのをいふ」と注しています(NDL PID:943029 コマ18)。

  • 新約聖書・使徒行伝9章18節です。

    明治14年(1881年)の『新約全書』は「忽ち彼の眼より鱗の如もの脱て」と訳しています(NDL PID:992682 コマ180)。サウロの目から鱗のようなものが落ちて、再び見えるようになった場面です。

  • 国立国会図書館の全文検索で見つかった早い例は、明治40年(1907年)の木下尚江『霊か肉か』の「吾々の眼の鱗を取り拂ふ爲めに」です(NDL PID:888676 コマ56)。

    明治43年(1910年)の二宮尊徳の伝記には「目から鱗が落ちたよう」とあります(NDL PID:758733 コマ48)。江戸以前の本には見つかりませんでした。

  • あります。

    「the scales fall from one's eyes」で、1918年の斎藤秀三郎『熟語本位英和中辞典』は「誤りを悟る(目が覺める)」と訳しています(NDL PID:1681530 コマ584)。『可憐の少女』の注は、これが使徒行伝9章18節から出た言い方だと説明しています(NDL PID:943029 コマ18)。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

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