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魚のことば

「水を得た魚」の意味と由来 元は劉備が孔明を得た喜び

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この記事の目次

明の張居正らがまとめた『帝鑑図説』の一話「君臣魚水」で、劉備が関羽と張飛をなだめる言葉は、孔明が自分にとってなくてはならないという意味の、魚と水のたとえでした。いま「水を得た魚」の意味といえば、自分に合った場所や役目を得て、生き生きと力を発揮する様子のたとえで、「水を得た魚のように働く」のように使います。由来は『三国志』の劉備の言葉だとよく言われますが、原本をたどると、劉備が言いたかったことは今の意味と少し向きが違い、「水を得た魚」という今の語順も、江戸の本には見つかりませんでした。

『帝鑑図説』の挿絵「君臣魚水」。左に「関羽」「張飛」の名札のついた二人が立ち、右に馬に乗った一行が描かれている
中国・明代の『帝鑑図説』の挿絵。右上の題は「君臣魚水」。左で立ち話をしているのが関羽と張飛で、右から馬の一行がやってくる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『帝鑑図説』前・第2冊・明 張居正、呂調陽撰・慶長年間刊・NDL PID:1288166 コマ47・著作権保護期間満了)

次世代デジタルライブラリーの全文検索を古典籍に絞り、「水を得た魚」「水を得たる魚」で引くと0冊です。ところが語順を入れ替えて「魚の水を得」で引くと、江戸の本にも出てきます。昔は「魚が水を得る」と言っていたわけで、その元になった話から読むことにしました。『帝鑑図説』は歴代の帝王の話を一つずつ絵と文でまとめた本で、日本では慶長年間に刊行されています。

『帝鑑図説』コマ48の見開き。左ページに漢文の本文、右ページに草ぶきの家と人物の挿絵
「君臣魚水」の本文と、挿絵の続き。右ページには草ぶきの家の中の人物と、門の外に立つ人が描かれている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『帝鑑図説』前・第2冊・明 張居正、呂調陽撰・慶長年間刊・NDL PID:1288166 コマ48・著作権保護期間満了)

劉備の魚と水は、離れられない関係

本文は『三国志』の話を短くまとめたもので、劉備は隠れ住んでいた孔明のもとへ三度通ってようやく会え、孔明の策を深く聞き入れて、二人の仲は日に日に親しくなった。それを関羽と張飛が面白く思わない、という筋から、劉備の言葉に入ります。

『帝鑑図説』コマ48の「孤之有孔明猶魚之有水也」の列と翻刻
「情好日密 關羽張飛不悦 先主解之曰 孤之有孔明 猶魚之有水也 願諸君勿復言」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『帝鑑図説』前・第2冊・明 張居正、呂調陽撰・慶長年間刊・NDL PID:1288166 コマ48・著作権保護期間満了)
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翻刻

情好日密 關羽張飛不悦先主解之曰 孤之有孔明 猶魚之有水也願諸君勿復言

現代語訳

(劉備と孔明の)仲は日に日に親密になった。関羽と張飛はおもしろくない。劉備はなだめて言った。「私に孔明がいるのは、魚に水があるようなものだ。諸君、二度と言ってくれるな」

劉備の言葉は「孤之有孔明、猶魚之有水也」の一句です。私に孔明がいるのは、魚に水があるようなものだから、諸君、二度と言ってくれるな――。魚にとって水がなくてはならないように、自分には孔明がなくてはならない、というのが劉備の言い分で、生き生きするかどうかではなく、離れられない関係のたとえになっています。題の「君臣魚水」も、主君と家来が魚と水のような仲だという意味で、冒頭の挿絵で関羽と張飛が離れたところで話し込んでいるのは、この場面のようです。

『三国志』を日本語の読み物にした明治18年(1885年)の『通俗絵本三国志』では、この場面がもう一歩先まで書かれています。

『通俗絵本三国志』コマ150の「吾孔明を得こと魚の水を得たるが如し」「孔明が名をば水と云てぞ呼だりける」の列と翻刻
「玄德の曰吾孔明を得こと魚の水を得たるが如し……張飛これを聞て彌怒り孔明が名をば水と云てぞ呼だりける」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『通俗絵本三国志』第6巻-第10巻・明治18年・NDL PID:878996 コマ150・著作権保護期間満了)
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翻刻

玄德の曰吾孔明を得こと魚の水を得たるが如し……張飛これを聞て彌怒り孔明が名をば水と云てぞ呼だりける

現代語訳

玄徳(劉備)は言った。「私が孔明を得たのは、魚が水を得たようなものだ」……張飛はこれを聞いていよいよ怒り、孔明のことを「水」と呼んだ。

「吾孔明を得こと魚の水を得たるが如し」と、こちらは魚に水が有るのではなく、魚が水を得る形になっていて、劉備のせりふが少し言い換えられています。私が孔明を得たのは魚が水を得たようなものだ、と劉備が言うのを聞いて、張飛はいよいよ怒り、孔明のことを「水」と呼んだのだそうです。孔明は、張飛からあだ名で「水」と呼ばれていたことになります。

江戸の読本では「干潟の魚」

日本の物語でも、この言い回しは使われました。文化5年(1808年)の読本『函嶺復讎談(かんれいふくしゅうだん)』は、感和亭鬼武が書き、蹄斎北馬が絵を描いた仇討ちの物語です。

『函嶺復讎談』坤巻コマ5の見開き。くずし字の本文が枠の中にびっしり続く
『函嶺復讎談』坤巻の本文。右ページの左端の行に「干潟の魚」の字が見える。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『函嶺復讎談』坤・感和亭鬼武作・蹄斎北馬画・文化5年・NDL PID:8942783 コマ5・著作権保護期間満了)

主君の仇を討つことに力を貸すという言葉を聞いた兄弟が、「干潟の魚」が水を得たような心地で喜ぶ、という趣旨の一文があります(NDL PID:8942783 コマ5)。干潟に取り残されて苦しんでいた魚が水を得るのですから、ここで言っているのは、なくてはならない関係ではなく苦しい所から救われた喜びで、江戸の日本語の中で、たとえの向きが少し変わっていました。

フレーベルが教壇で見つけたもの

明治の終わりには、さらに今の意味に近づきます。明治40年(1907年)の『大教育史』は、ドイツの教育者フレーベルが初めて教壇に立ったときのことを書いています。

『大教育史』コマ101の「その已が性質に適せるを知りて大に喜び、魚の水を得たるが如しと述べしといふ」の列と翻刻
「氏は初めて教鞭を手にしてその已が性質に適せるを知りて大に喜び、魚の水を得たるが如しと述べしといふ、」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大教育史』・小平高明著・明治40年・NDL PID:809529 コマ101・著作権保護期間満了)
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翻刻

氏は初めて教鞭を手にしてその已が性質に適せるを知りて大に喜び、魚の水を得たるが如しと述べしといふ、

現代語訳

フレーベルは初めて教壇に立ち、それが自分の性質に合っていると知って大いに喜び、「魚が水を得たようだ」と述べたという。

教える仕事が自分の性質に合っていると知って大いに喜び、魚が水を得たようだと述べた、という記述で、ここでの「水」は自分に合った仕事です。自分に合った場所を得た喜びという点で、今の「水を得た魚」の意味にはほぼ届いていますが、形はまだ「魚の水を得たるが如し」でした。

有島武郎の「水を得た魚のやうに」

今の語順の「水を得た魚」で、全文検索でいちばん古かったのは、大正7年(1918年)の『有島武郎著作集』第5輯に収められた小説『迷路』です。

有島武郎『迷路』コマ33の「力任せに窓を開けると、水を得た魚のやうに、口を開けて夜の空気を吸ひ入れた」の列と翻刻
「而して力任せに窓を開けると、水を得た魚のやうに、口を開けて夜の空氣を吸ひ入れた。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(有島武郎『迷路』(『有島武郎著作集』第5輯)・大正7年・NDL PID:947599 コマ33・著作権保護期間満了)
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翻刻

而して力任せに窓を開けると、水を得た魚のやうに、口を開けて夜の空氣を吸ひ入れた。

現代語訳

そして力まかせに窓を開けると、水を得た魚のように、口を開けて夜の空気を吸い込んだ――。部屋の空気が息苦しくなった主人公が、窓辺にたどり着く場面。

「水を得た魚のやうに、口を開けて夜の空氣を吸ひ入れた」。部屋の空気が息苦しくなった主人公が、ふらふらと窓辺にたどり着き、力まかせに窓を開けて、水を得た魚のように口を開けて夜の空気を吸い込む場面で、水から上げられた魚が口をぱくぱくさせる、あの姿そのままの、まだ文字どおりに近い使い方でした。10年後、昭和3年(1928年)の『世界文学全集』第28巻、ストリンドベリの作品を訳した巻になると、宿に帰った女性が荷造りにかかって「水を得た魚のやうに元氣になつた」とあり(NDL PID:1219411 コマ271)、今の「生き生きと元気になる」意味そのものになっています。

劉備の言葉は孔明がなくてはならないという関係のたとえで、それが江戸の物語では「救われた喜び」になり、明治には「自分に合った仕事を得た喜び」になって、大正に語順が入れ替わり、今の「水を得た魚」ができあがりました。魚と水の組み合わせは最初から同じなのに、見ている場所は、二人の関係から、魚のほうの元気へと少しずつ移っていたのです。

この記事でわかったこと

  • 自分に合った場所や役目を得て、生き生きと力を発揮する様子のたとえです。

    明治40年の『大教育史』は、フレーベルが教職が自分の性質に合っていると知って「魚の水を得たるが如し」と述べた、と書いています(NDL PID:809529 コマ101)。

  • 劉備が孔明について言った「孤之有孔明、猶魚之有水也」(私に孔明がいるのは、魚に水があるようなものだ)が元とされます(『帝鑑図説』「君臣魚水」、NDL PID:1288166 コマ48)。

    ただしこれは、孔明がなくてはならないという関係のたとえで、生き生きする様子を言う今の意味とは向きが違います。

  • 国立国会図書館の全文検索では江戸の本に見つからず、最も古いのは大正7年(1918年)の有島武郎『迷路』の「水を得た魚のやうに、口を開けて夜の空氣を吸ひ入れた」です(NDL PID:947599 コマ33)。それ以前は「魚の水を得たるが如し」の語順でした。

この記事で開いた原本

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