「すし詰め」の語源 明治の本で人が鮨に見立てられるまで
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明治31年(1898年)6月に出た東京の案内書『最新東京案内記』は、花見どきの上野公園を、十時ごろには「人の鮨を詰めし如く」なったと書いています。満員電車などで身動きもできないほど人がぎっしり詰まっているようすを「すし詰め」と言いますが、その語源は、この「鮨を詰めたような」というたとえにあり、国立国会図書館の全文検索で拾えたなかでは、この案内書がいちばん古い例でした。そこから六年のうちに一語の「すし詰」が現れ、人が寿司にたとえられる場所も、公園から列車、船、電車へと広がっていきます。
出典:東京都立中央図書館(TOKYOアーカイブ)「縞揃女弁慶」[安宅の松]・歌川国芳・天保15年・請求記号 K662-20-9・パブリックドメイン
字は一つに決まっていないので、「鮨詰」「鮓詰」「寿司詰」「すし詰」「すしづめ」「スシ詰」と書き方を変えて引いてみると、いちばん多いのは「鮨詰」で348冊でした(2026年10月14日に検索)。ただ、一語の「すし詰」で見つかる早い例は明治37年(1904年)までしか下がらず、「鮨を詰め」「鮓を詰め」とたとえの形でも引き直して、ようやく明治31年の案内書に行き当たりました。江戸時代の本(古典籍)からはこの言い方は拾えませんでしたが、くずし字の機械読み取りは精度が低いので、無かったとまでは言えません。
上野公園が「人の鮨を詰めし如く」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『最新東京案内記』春の巻・東都沿革調査会編・教育舎・明治31年・NDL PID:764085 コマ251・著作権保護期間満了)
開いたのは春の巻の、ページ番号でいえば「三十六」にあたる見開きで、細かい活字のすべてに振り仮名がついた、読みやすい案内書です。右ページは上野公園のにぎわいを書いたくだりです。ひとつ前のコマには「上野公園」の小見出しがあり、山いっぱいの桜の季節で、陳列場には「祝奠都三十年」と書いた旗が立っていた、とあります(コマ250)。ふだんは登ってはいけないと札の立った土手にまで人が散らばっている、と書いたその先に、問題の一行が来ます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『最新東京案内記』春の巻・東都沿革調査会編・明治31年・NDL PID:764085 コマ251・著作権保護期間満了)
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翻刻
其狀況斯の如くなれば、さしも廣大なる公園も、十時頃には人の鮨を詰めし如く、山王臺の石壇は早くより……
現代語訳
そんなありさまだったので、あれほど広い公園も、十時ごろには人が鮨を詰めたようになり、山王台の石段は早くから(上り下りの二筋に分けられた)。桜の季節、「祝奠都三十年」の旗が立った上野公園の記事。
あれほど広い公園も十時ごろには人の鮨を詰めたようになった、という文で、「鮨」には「すし」と振り仮名がついています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:764085 コマ251・著作権保護期間満了)
「人の鮨を詰めし如く」は、まだ「すし詰め」という一語ではなく、人を鮨に見立てて、鮨を詰めたようだとたとえた言い方です。ぎっしり並んだ人を前にして、このころの書き手は詰められた鮨を思い浮かべていました。
列車と船が「すし詰」になった明治37年
六年後の明治37年(1904年)、国立国会図書館の書誌でこの年7月の刊とされる徳富猪一郎の『日曜講壇』第五に、列車の話が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(徳富猪一郎『日曜講壇』第五・民友社・明治37年・NDL PID:898342 コマ47・著作権保護期間満了)
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翻刻
單に安樂の上より見るも、往々一等二等の列車は、鮓を詰めたる如くして、却て三等車室の空明きなることあり
現代語訳
ただ楽かどうかという点から見ても、一等・二等の車両がまるで鮓を詰めたようになっていて、かえって三等車のほうがすいていることがよくある。
前後は、ただ安楽かどうかだけで見ても、という書き出しで始まり、値段の高い一等・二等の車両が「鮓を詰めたる如く」なっていて、かえって三等車のほうがすいていることがよくある、という愚痴で、ここでは字が「鮨」ではなく「鮓」になっています。同じ年の11月に出た雑誌『太陽』の臨時増刊『日露海戦史』では、たとえが一語になります。日露戦争のさなか、ロシアの軍艦に囲まれて水雷を放たれた佐渡丸の人々が、小さな船・宮川丸に乗り移る場面です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日露海戦史』・博文館『太陽』臨時増刊・明治37年・NDL PID:899970 コマ68・著作権保護期間満了)
宮川丸は百五十トンほどの小船で、積荷を捨てても四百五十人くらいしか乗せられないのに、佐渡丸には五百五十人あまりがいた、と書いてあります。四百五十人ぶんの船に五百五十人あまりを移すほかなく、それでも救助船を待ちますが、来ないので、人々は心を決めます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日露海戦史』・博文館『太陽』臨時増刊・明治37年・NDL PID:899970 コマ68・著作権保護期間満了)
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翻刻
救助船を待ちたれど來らず。遂に意を決して一同すし詰となりて宮川丸に乘り込みぬ。
現代語訳
救助船を待ったが来ない。ついに心を決めて、全員すし詰めになって宮川丸に乗り込んだ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:899970 コマ68・著作権保護期間満了)
「一同すし詰となりて」。ついに心を決め、全員すし詰めになって宮川丸に乗り込んだ――。
「鮨を詰めたような」と回りくどく言うのではなく、「すし詰」の一語で人がぎっしり乗りこむようすを言っていて、今の使い方とほとんど変わりません。
守貞の書いた箱ずし
明治の人が鮨を詰めると聞いて思い浮かべた光景がどんなものだったか、原本はそこまで書いていないので、手がかりは江戸のすしの形くらいしかありません。江戸時代の終わりごろの暮らしを絵入りで書きとめた『守貞謾稿(もりさだまんこう)』のすしの項には、箱ずしのことが書かれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『守貞謾稿』後集巻之一・喜田川守貞・写本・NDL PID:2592417 コマ26・著作権保護期間満了)
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翻刻
スシノコト生業ノ条ニ詳カニセル如ク 三都トモ押鮓也シガ 江戸ハイツ比ヨリ歟押タル筥鮓廃シ握リ鮓ノミトナル 筥鮓ノ廃セシハ五六十年以来漸クニ廃スト也 筥鮓ト云ハ方四寸許ノ下圖ノ如キ筥ニ 飯ニ酢ト塩ヲ合セ先半ヲイレ
現代語訳
すしのことは生業の条に詳しく書いたとおり、三都とも押しずしであったが、江戸はいつごろからか、押した箱ずしがすたれて握りずしだけになった。箱ずしがすたれたのは、この五、六十年のあいだにだんだんと、ということだ。箱ずしというのは、四寸四方ほどの下の図のような箱に、酢と塩を合わせた飯をまず半分入れ(るものである)。
「筥鮓ト云ハ方四寸許ノ下圖ノ如キ筥ニ 飯ニ酢ト塩ヲ合セ先半ヲイレ」とあり、四寸(約12センチ)四方ほどの箱に、酢と塩を合わせた飯をまず半分入れて、とつくり方が続きます。守貞によれば、もとは京・大坂・江戸の三都とも押しずしで、すしは箱にすき間なく詰めて押すものでもありました。
ところが同じ箇所で守貞は、江戸の箱ずしは「五六十年以来」すたれて、いつごろからか握りずしだけになったとも書いています。明治の東京の書き手の頭にあったのが箱ずしなのか、冒頭の国芳の絵のような折箱に詰めた握りずしなのか、どちらにしても器にすき間なく詰めた鮨の姿への見立てと考えられますが、確証はありません。どの鮨を思っていたかを明治の書き手自身が書いた例は、今回は見つかりませんでした。
十六人乗せた釣り船
釣りの本にも出てきます。明治39年(1906年)12月に博文館から出た『釣師気質』で、渡し船に乗り合わせた釣り好きの二人が、上流から下ってくる釣り船を見つけて、八人か九人か、ひどく乗せたものだと噂する場面です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『釣師気質』・石井民司編・博文館・明治39年・NDL PID:860397 コマ338・著作権保護期間満了)
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翻刻
淸『此間は、鮨づめに十六人まで乘せやがツたよ。些も竿使はれやしないんだもの。……
現代語訳
「この間なんか、鮨づめに十六人まで乗せやがったよ。ちっとも竿が使えやしないんだもの」。渡し船の上から、上流から下ってくる釣り船を見ての会話。
この間なんか「鮨づめに十六人まで乘せやがツたよ」、それじゃちっとも竿が使えやしない、と客を乗せすぎる船宿をこぼしていて、口に出して言う話しことばの「鮨づめ」がもう使われていたことが分かります。
東京の電車と漱石の活動写真
明治43年(1910年)の中村吉蔵『欧米印象記』では、ホノルルの電車に乗った著者が、乗り降りが自由で便利だと感心したあとで、ふと東京のことを思い出します。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(中村吉蔵『欧米印象記』・春秋社・明治43年・NDL PID:760946 コマ25・著作権保護期間満了)
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翻刻
……共東京の電車の如く、人間を鮨詰にするのは隨分ヒドク候など、
現代語訳
(ホノルルの電車にくらべて)東京の電車のように、人間を鮨詰めにするのはずいぶんひどい、などと。
「東京の電車の如く、人間を鮨詰にするのは隨分ヒドク候」と、ホノルルと比べて東京の電車の混みようを「鮨詰」と言い表していて、今いちばんよく使われる場面にもうたどり着いています。翌明治44年(1911年)の夏には、夏目漱石が日記にこう書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『漱石全集』第11巻 日記及断片・漱石全集刊行会・大正8年・NDL PID:957317 コマ385・著作権保護期間満了)
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翻刻
○ねだられて活動寫眞に行く。……が外は鮨をつめたやうで、うぢや〱してゐる。
現代語訳
ねだられて活動写真(映画)に行く。……(一等席のほかは)鮨をつめたようで、うじゃうじゃしている。明治44年7月15日の日記。
『漱石全集』第11巻の日記の部で、見出しに「明治四十四年五月九日より十二月十五日まで」とある夏の一日、7月15日の記事です。せがまれて活動写真(映画)に行った日で、一等席は少しすいていたが、ほかは「鮨をつめたやうで、うぢや〱してゐる」。漱石は「鮨詰」とは書かず「鮨をつめたやう」とたとえの形を使っていて、一語の「すし詰め」とたとえの「鮨を詰めたよう」が、明治の終わりにはまだ並んで使われていました。
英語では「like sardines」
大正7年(1918年)の『武信和英大辞典』は、日本語の見出しに英語の訳をつけた辞書で、見出し「sushi」の用例に「乘客は車中へ鮓詰にされた」を挙げています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(武信由太郎編『武信和英大辞典』・研究社・大正7年・NDL PID:925665 コマ1014・著作権保護期間満了)
その英訳は「Passengers were closely packed into the car like sardines.」で、日本語で鮨にたとえるところを、英語ではsardines、イワシにたとえています。ぎっしり詰まった人を、日本語は詰めた鮨で、英語は詰めた魚で言い表していたことになり、どちらも食べものの詰め方を人の混みぐあいに借りてきた言葉でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ11・著作権保護期間満了)
上の鰯は、天保6年(1835年)序の『梅園魚品図正』に描かれたもので、見出しは「鰮」、右に「和名イハシ」と書き入れがあり、下には「乾タルヲホシカト云」と添えてあります。辞書の英訳は、日本語の鮨をそのまま訳さずに、英語の読み手が思い浮かべやすい別の魚に置きかえていて、たとえというものが言葉ごとに違う器を借りてくることがよく分かる一例です。
今回の検索で見つかった範囲をまとめると、明治31年にまず「人の鮨を詰めたようだ」というたとえとして現れ、明治37年には「すし詰」という一語の例があって、公園、列車、船、電車、活動写真の客席と、さまざまな場所の混みぐあいに使われていきました。書き方も「人の鮨を詰めし如く」「鮓を詰めたる如く」「すし詰」「鮨づめ」「鮨詰」「鮨をつめたやう」「鮓詰」と、二十年ほどのあいだに字も形もまちまちで、一つの言い方に落ち着くまでには、まだ時間がかかっています。語源は器にすき間なく詰めた鮨への見立てと考えられますが、それがどの鮨だったかは、まだ原本の中から見つかっていません。
この記事でわかったこと
人や物が、すき間なくぎっしり詰まっていることです。
大正7年(1918年)の『武信和英大辞典』は「乘客は車中へ鮓詰にされた」を「Passengers were closely packed into the car like sardines.」と訳しています(NDL PID:925665 コマ1014)。
鮨を詰めたように人が詰まっている、というたとえです。
明治31年(1898年)の『最新東京案内記』は、人出であふれた上野公園を「人の鮨を詰めし如く」と書いています(NDL PID:764085 コマ251)。詰めた鮨の姿への見立てと考えられますが、どの鮨かを説明した明治の文は見つかっていません(推定)。江戸の『守貞謾稿』には、四角い箱に飯を入れる箱ずしの作り方の記述があります(NDL PID:2592417 コマ26)。
国立国会図書館の全文検索で見つかった早い例は、たとえの形が明治31年(1898年)の「人の鮨を詰めし如く」、一語の形が明治37年(1904年)の『日露海戦史』の「一同すし詰となりて」です(NDL PID:899970 コマ68)。
「鮨詰め」「鮓詰め」「寿司詰め」と書きます。
国立国会図書館の全文検索では「鮨詰」がいちばん多く(348冊)、「鮓詰」「すし詰」とも書かれています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 最新東京案内記.春の巻
東都沿革調査会 編 明31
- 日曜講壇.第5
徳富猪一郎 著 明37.7
- 日露海戦史
明37.11
- 守貞謾稿.後集巻1
喜田川季壮尾張部守貞 誌
- 釣師気質 : 釣遊秘術
石井民司 編 明39.12
- 欧米印象記
中村吉蔵 (春雨) 著 明43.6
- 漱石全集.第11巻 (日記及断片)
夏目漱石 著 大正8
- 武信和英大辞典
武信由太郎 編 大正7
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
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