UOMEDIA

魚のことば

「鰻の寝床」の意味と由来 江戸の人は「鎗持の雪隠」と呼んだ

公開
更新
読む時間
約10分
共有B!LINE
この記事の目次

「鰻の寝床」の意味は、間口が狭くて、奥に向かって細長く続く家や土地のたとえで、京都の町家を言うときによく使われます。国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで古典籍に絞って「鰻の寝床」「うなぎの寝床」「鰻の寝所」と引くと、どれも0冊でした。絞り込みを外すと「鰻の寝床」で43冊が出てきて、いちばん古いのは明治20年(1887年)の『哲学道中記』です。そしてその本で、この言葉は江戸の言い方「鎗持の雪隠」と並んで出てきました。

『梅園魚品図正』に描かれたウナギ。見開きいっぱいに長い体をくねらせている
江戸後期の博物家・毛利梅園が描いたウナギ。見開きの端から端まで、細長い体をくねらせている。右下はドジョウの仲間。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』・毛利梅園筆・NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)

『哲学道中記』を書いたのは、明治の仏教哲学者・井上円了です。旅先で見聞きしたことと一緒に、言葉の成り立ちの話も書き留めていて、そのコマ64に問題の一節があります。

『哲学道中記』コマ64の見開き。枠で囲まれた本文が縦書きで続く
『哲学道中記』の見開き。たとえから生まれた言い回しを、次々に並べている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『哲学道中記』巻1・井上円了著・明治20年・NDL PID:752966 コマ64・著作権保護期間満了)

明治20年の『哲学道中記』に「鎗持の雪隠又は鰻の寝床」

『哲学道中記』コマ64の「間口の狭くして奥行の長き家を鎗持の雪隠又い鰻の寝床と云ひ」の列と翻刻
「其外間口の狭くして奥行の長き家を鎗持の雪隠又い鰻の寝床と云ひ、」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『哲学道中記』巻1・井上円了著・明治20年・NDL PID:752966 コマ64・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

其外間口の狭くして奥行の長き家を鎗持の雪隠又い鰻の寝床と云ひ、

現代語訳

そのほか、間口が狭くて奥行きの長い家を「鎗持の雪隠」または「鰻の寝床」と言い――。たとえから生まれた言葉を並べた一節。

間口が狭くて奥行きの長い家を「鎗持の雪隠」または「鰻の寝床」と言う、と書いたあと、円了は続けて、出過ぎたものを「鋳かけ屋の天秤」、べらべらしゃべる人を「油紙に火が付いた様だ」と言う、と並べています。どれも物のたとえから生まれた言い方として挙げたもので、目を引くのは、「鰻の寝床」が単独ではなく「鎗持の雪隠」と組みになっていることでした。明治20年の時点では、二つの言い方が両方使われていたわけです。

江戸の人は「鎗持の雪隠」と言った

鎗持(やりもち)は、武家の主人が出かけるとき槍を持って付き従う家来で、雪隠(せっちん)は便所のことです。大正8年(1919年)の『大日本国語辞典』は、これを諺として立てています。

『大日本国語辞典』コマ642の「槍持の雪隠」の項と翻刻
「(諺)槍持の雪隠〔槍持が槍を携へながら入るを得る厠の如き義〕細長くて小さき家を嘲りいふ語。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本国語辞典』第4巻・上田万年・松井簡治著・大正8年・NDL PID:1871641 コマ642・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

(諺)槍持の雪隠〔槍持が槍を携へながら入るを得る厠の如き義〕細長くて小さき家を嘲りいふ語。

現代語訳

槍持が槍を持ったまま入れる便所、という意味。細長くて小さい家をあざけっていう言葉。

槍持が槍を持ったまま入れるほど細長い便所、というのが元の意味で、そこから細長くて小さい家をあざける言葉になりました。

この言い方なら、江戸の本に出てきます。江戸後期の滑稽本『魂胆夢輔譚(こんたんゆめすけばなし)』で、作者の一筆庵は浮世絵師の渓斎英泉のことです。明治43年の『滑稽名作集』の解題は「嘉永元年七月廿三日身まかる」、つまり1848年に亡くなったと書いています(NDL PID:1884048 コマ6)。ここでは、明治18年(1885年)に活字で出た本で読みました。

『魂胆夢輔譚』コマ69の見開き。ふりがなつきの活字で、登場人物の掛け合いが続く
『魂胆夢輔譚』の見開き。「ゆめ」「ぶ」「出」と名前を頭に置いた掛け合いが続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『魂胆夢輔譚』・一筆庵(渓斎英泉)著・明治18年刊の活字本・NDL PID:881026 コマ69・著作権保護期間満了)

登場人物たちが「病ひ持」「疝痛持」「癇癪持」「金持」「大福餅」と、「もち」のつく言葉で遊んでいる場面です。

『魂胆夢輔譚』コマ69の「さう餅が長持ドやア鎗持の雪隠のやうだ」の台詞と翻刻
「さう餅が長持ドやア鎗持の雪隠のやうだ」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『魂胆夢輔譚』・一筆庵(渓斎英泉)著・明治18年刊の活字本・NDL PID:881026 コマ69・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

さう餅が長持ドやア鎗持の雪隠のやうだ

現代語訳

そう餅(持ち)が長持ちでは、鎗持の雪隠のようだ――。「病ひ持」「金持」「大福餅」と「もち」の言葉遊びが続く場面の台詞。

そう餅(持ち)が長持ちでは鎗持の雪隠のようだ、と言われた相手が「せつちんだア」と受けて、さらに言葉遊びを続けます。長いと言えば「鎗持の雪隠」が出てくるほど、江戸の人にはおなじみの言い回しだったのでしょう。

明治26年(1893年)の『古今俚諺類聚』も、「やう(ようだ)」で終わるたとえを並べた中に「鎗持の雪隠のやう」を入れていて(NDL PID:767886 コマ73)、昭和8年(1933年)の『俚諺大辞典』でも「細長き家をいふ」と説明されています(NDL PID:1766149 コマ493)。江戸の言い方は、明治以降も辞書には残りました。

部屋から国まで、細長いものは鰻の寝床に

一方の「鰻の寝床」は、明治の後半から、家だけでなく細長いもの全般に使われていきます。明治30年(1897年)の講談『三保松原誉の仇討』では、宿屋の二階に通された侍が見た部屋が「鰻の寝所みたいに四畳の細長い座敷」でした(NDL PID:890928 コマ50)。明治42年(1909年)の『大阪築港の過去及現在』になると、築港の埋め立て地の区画の分け方が話題になります。

『大阪築港の過去及現在』コマ28の「鰻の寝床のやうな割法だと悪口を言ふものもある」の列と翻刻
「宅地の一區域は六百坪乃至九百坪ヅヽかに仕切られてあるのを更に縱に二分して貸すことにして居るので、鰻の寝床のやうな割法だと惡口を言ふものもある、」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大阪築港の過去及現在』・吉村平造著・明治42年・NDL PID:845740 コマ28・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

宅地の一區域は六百坪乃至九百坪ヅヽかに仕切られてあるのを更に縱に二分して貸すことにして居るので、鰻の寝床のやうな割法だと惡口を言ふものもある、

現代語訳

宅地の一区画は六百坪から九百坪ずつに仕切られているのを、さらに縦に二つに分けて貸すことにしているので、鰻の寝床のような割り方だと悪口を言う者もいる。

宅地を縦に二つに割って貸すので、鰻の寝床のような割り方だと悪口を言う者もいる、というくだりで、ここで言っているのは家ではなく土地の区画です。たとえの的が、少しずつ広がっていきます。大正4年(1915年)の『化学工業大勢講話』では、とうとう国まで鰻の寝床にされていて、日本は「何分鰻の寝床を見た様な細長い国であるから、欧米諸国に見る様な大河もなければ大なる瀑布もない」と書かれています(NDL PID:952295 コマ134)。水力発電の話でした。大河も大きな滝もないわけを、細長い国の形で説明しています。

関東大震災のあと東京で区画整理が進むと、この言葉はさらに出番が増えます。大正14年(1925年)の『市政我観』です。

『市政我観』コマ35の「間口一間半奥行十八間と云ふ鰻の寝床の様な地面」の段落と翻刻
「區劃整理の結果間口一間半奥行十八間と云ふ鰻の寝床の樣な地面が澤山出來上つて住民は大に困つて居る、コンナ帶の樣な地面にどんな家を建てるだらうと餘慶な心配をする人もあるが、決して鰻の家を建てるのではない。人間の住家を建てるのだそうな。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『市政我観』・瀬川光行著・大正14年・NDL PID:919028 コマ35・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

區劃整理の結果間口一間半奥行十八間と云ふ鰻の寝床の樣な地面が澤山出來上つて住民は大に困つて居る、コンナ帶の樣な地面にどんな家を建てるだらうと餘慶な心配をする人もあるが、決して鰻の家を建てるのではない。人間の住家を建てるのだそうな。

現代語訳

区画整理の結果、間口一間半・奥行十八間という鰻の寝床のような土地がたくさんできて、住民は大いに困っている。こんな帯のような土地にどんな家を建てるのだろうと余計な心配をする人もいるが、決して鰻の家を建てるのではない。人間の住む家を建てるのだそうだ。

間口が一間半(約2.7メートル)、奥行きが十八間(約33メートル)という帯のような土地に、決して鰻の家を建てるのではない、人間の住む家を建てるのだそうだ、と役所の区画整理を皮肉った一節です。

昭和5年、先斗町は町ごと鰻の寝床と呼ばれた

今では京都の町家の代名詞のような「鰻の寝床」ですが、今回の検索で京都の町並みを指す例として出てきたのは、昭和5年(1930年)の『京都新百景』が最初でした。大阪毎日新聞社の京都支局が編んだ本です。

『京都新百景』コマ32の見開き。左ページに「先斗町」の題と「二百年来の鰻の寝床も新時代に目覚めた」の見出しがある
『京都新百景』の「先斗町」の章。見出しは「二百年来の鰻の寝床も新時代に目覚めた」、筆者は遊廓取締の寺井徹郎。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『京都新百景』・大阪毎日新聞社京都支局編・昭和5年・NDL PID:1187462 コマ32・著作権保護期間満了)

「先斗町」の章の見出しは「二百年来の鰻の寝床も新時代に目覚めた」で、本文はこう始まります。

『京都新百景』コマ34の「世人は先斗町を評して鰻の寝床といふが実際悪口でなく適評である」の段落と翻刻
「世人は先斗町を評して鰻の寝床といふが實際惡口でなく適評である。この鰻の寝床も時代の進運につれて時代と共に步いて行かなくてはならないこと勿論である。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『京都新百景』・大阪毎日新聞社京都支局編・昭和5年・NDL PID:1187462 コマ34・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

世人は先斗町を評して鰻の寝床といふが實際惡口でなく適評である。この鰻の寝床も時代の進運につれて時代と共に步いて行かなくてはならないこと勿論である。

現代語訳

世間は先斗町を鰻の寝床と評するが、実際、悪口ではなく適切な評である。この鰻の寝床も、時代の移り変わりにつれて時代とともに歩いていかなくてはならないのはもちろんだ。

世間は先斗町を鰻の寝床と言うが、悪口ではなく、まさにその通りだ――。昭和のはじめ、先斗町は町ごと鰻の寝床と呼ばれていました。同じ本の河原町の章にも「細長くて薄暗かつた以前の河原町は一名『鰻の寝床』とも称され」とあって(NDL PID:1187462 コマ22)、こちらは道路が広げられる前の河原町のことです。

辞書の中で並んだ二つの言い方

昭和7年(1932年)の『社会ユーモア・モダン語辞典』は、「鰻の寝床」を「細くて長いものをいふ」と説明しています(NDL PID:1109797 コマ14)。家や土地に限らないという説明は、明治後半からの使われ方そのままです。翌昭和8年(1933年)の『俚諺大辞典』は「鰻の寝所のやう」の形で立てて「長くしてせま苦しき室をいふ」と書き(NDL PID:1766149 コマ72)、同じ辞典には「槍持の雪隠」も「細長き家をいふ」として載っていて、江戸の言い方と明治の言い方が一冊の中に並んでいました。

なぜ「寝床」なのかを説明した本は、今回の範囲では見つかっていません。ウナギの細長い体から来たたとえであることは、どの用例からも読み取れます。寝床の二字のほうは、手がかりがないままです。

拾った用例を年代順に置き直すと、江戸後期の『魂胆夢輔譚』(作者は1848年没)に「鎗持の雪隠のやうだ」があり、古典籍の全文検索では「鰻の寝床」は0冊です。1887年の『哲学道中記』で二つの言い方が並び、1893年の『古今俚諺類聚』は「鎗持の雪隠のやう」を採っています。そこから先は鰻が増えていき、1897年の講談の座敷、1909年の大阪築港の「鰻の寝床のやうな割法」、1915年の「鰻の寝床を見た様な細長い国」、1925年の『市政我観』の「鰻の寝床の様な地面」と続いて、1930年の『京都新百景』の「世人は先斗町を評して鰻の寝床といふ」に至ります。その間の1919年に『大日本国語辞典』が「槍持の雪隠」を諺として立て、1932年と1933年には辞典が「鰻の寝床」「鰻の寝所のやう」を採りました。

江戸の人が鎗持の雪隠と呼んだ家は、明治以降の本の中で少しずつウナギのほうへ移り、昭和のはじめには京都の先斗町が「二百年来の鰻の寝床」と呼ばれるまでになっていました。

この記事でわかったこと

  • 間口が狭くて奥行きの長い家や土地、細長いもののたとえです。

    昭和8年の『俚諺大辞典』は「鰻の寝所のやう」を「長くしてせま苦しき室をいふ」と説明し(NDL PID:1766149 コマ72)、昭和7年の『社会ユーモア・モダン語辞典』は「細くて長いものをいふ」と書いています(NDL PID:1109797 コマ14)。

  • 国立国会図書館の全文検索では江戸の本に見つからず、最も古いのは明治20年(1887年)の井上円了『哲学道中記』の「間口の狭くして奥行の長き家を鎗持の雪隠又い鰻の寝床と云ひ」です(NDL PID:752966 コマ64)。

  • 槍持が槍を持ったまま入れるほど細長い便所、という意味で、細長くて小さい家をあざける江戸以来の言い方です。

    『大日本国語辞典』は「槍持が槍を携へながら入るを得る厠の如き義」「細長くて小さき家を嘲りいふ語」と説明しています(NDL PID:1871641 コマ642)。江戸後期の滑稽本『魂胆夢輔譚』に「鎗持の雪隠のやうだ」という台詞があります。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。

共有B!LINE