うなぎのぼりの語源は? 江戸初期の京都では子どもの遊びの名だった
この記事の目次
浅井了意の『東海道名所記』には、京都の子どもたちが前の子の帯につかまって長い列をつくり、その背中の上を一人が這っていく遊びが出てきて、その名前を「うなぎの瀬のぼり」といいます。「物価がうなぎのぼり」「人気がうなぎのぼり」と、数字や評判が見る間に上がっていくときに使う言葉の、いま分かるかぎりいちばん古い姿がこれでした。語源について辞書には、ウナギをつかもうとすると手からすべり抜けて上へ上へとのぼるからという説と、ウナギが川をまっすぐにのぼる姿からという説が並んでいます(デジタル大辞泉「鰻上り」の項)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(NDL PID:1287112 コマ27・著作権保護期間満了)
ここまでたどり着くのには少し手こずりました。次世代デジタルライブラリーの全文検索で「鰻登」「鰻のぼり」「うなぎのぼり」と字を変えて引いても、江戸以前の本ではヒットがゼロで、くずし字は機械が読めないからです。そこで先に明治の国語辞書を開き、用例として引かれている江戸の本の書名を手がかりに、原本へ降りていくことにしました。辞書が引いていたのは『東海道名所記(とうかいどうめいしょき)』と『浮世風呂(うきよぶろ)』の二冊です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ1・著作権保護期間満了)
『東海道名所記』は、浅井了意(あさいりょうい)が万治年間(1658〜61年)ごろに書いた東海道の旅案内で、楽阿弥(らくあみ)という僧が江戸から京へのぼる道中記の形をとっています。全文テキストをまとめて取り出すと、機械の読み取りでは「のぼり」が濁点の落ちた「のほり」になっていたので、「瀬のほり」で引き直すと一か所だけ当たりました。沼津を出て原(はら)・吉原へ向かう、浮島が原(うきしまがはら)のくだりです。
江戸初期の京都の子どもの遊び「うなぎの瀬のぼり」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ53・著作権保護期間満了)
ウナギの話は左ページの右から4列目に始まるのですが、読み始めてすぐ、地名のところで引っかかりました。ひとつ前のページ(コマ52)で、楽阿弥たちは宿を出て、左手に千本松原と「うき嶋が原」を見ています。コマ53のこの列も同じ場所の話なので、当然「うき嶋が原」と書いてあるはずだと思って読むと、仮名がひとつ多いのです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ52・53・著作権保護期間満了)
右のコマ52は「う・き・嶋が原」、左のコマ53は「う・な・ぎ・嶋が原」。「う」と「き」のあいだに「な」が入り、「き」には濁点がついて、浮島(うきしま)がうなぎ島(うなぎしま)になっています。続きは「うなぎ嶋が原猟師おほき所也、うなぎのやきうり、芋餅あり」で、猟師が多く、ウナギの焼き売りと芋餅がある所だと書かれていますから、ウナギを焼いて売る土地なので地名までウナギにしてしまった、と読めます。次のコマ54で原(はら)の宿から先へ進むところでは、また「うき嶋」に戻っていました。『東海道名所記』は道中の見聞に狂歌やしゃれをまじえてつづった本なので(デジタル大辞泉「東海道名所記」の項)、この書き換えもそうしたしゃれのひとつと見てよさそうです。
本題のウナギの話は、そのあとに来ます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ53・著作権保護期間満了)
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翻刻
うなぎ嶋が原猟師おほき所也うなぎのやきうり芋餅ありうなぎハ川瀬にのぼるものなれば登魚梁といふ物にてとる也みやこ方にてはいとけなき子どものあまたあつまりて帯にとりつきてながくならびたるせなかの上を一人のぼりて匍匐ありくをうなぎの瀬のぼりと名づけてたはふれとす
現代語訳
うなぎ嶋が原(浮島が原)は猟師の多い所で、ウナギの焼き売りや芋餅がある。ウナギは川の瀬をのぼる魚なので、登り簗(のぼりやな)という仕掛けで捕る。都のほうでは、幼い子どもが大勢集まり、前の子の帯につかまって長く並んだ背中の上を、一人がのぼって這って歩くのを「うなぎの瀬のぼり」と名づけて遊びにしている。
「うなぎハ川瀬にのぼるものなれば、登魚梁といふ物にてとる也」。ウナギは川の瀬をのぼる魚なので登り簗(のぼりやな)という仕掛けで捕る、と、ウナギが川をさかのぼることがまず前提として書かれています。面白いのはその次の一文です。
「みやこ方にてはいとけなき子どものあまたあつまりて、帯にとりつきてながくならびたるせなかの上を、一人のぼりて匍匐ありくを、うなぎの瀬のぼりと名づけてたはふれとす」。
京都のほうでは幼い子どもが大勢集まって前の子の帯につかまって長く一列に並び、その背中の上を一人がのぼって這って(匍匐して)歩く。それを「うなぎの瀬のぼり」と名づけて遊びにしている――。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道名所記 6巻』・NDL PID:2533857 コマ53・著作権保護期間満了)
江戸初期の京都で「うなぎのぼり」に近いことばは、子どもの遊びの名前だったわけです。一列に並んだ背中を、ウナギが瀬をのぼるように這っていくのですから、ウナギが川をさかのぼるイメージは、遊びの名になるほど当たり前のものだったのでしょう。ただし、ここには増える、上がるという意味はなく、文字どおりウナギが瀬をのぼる話です。このあと楽阿弥は歌を一首詠んでこの段を締めていて、くずし字で読み切れない字もありますが、下の句には「うなぎヶ嶋」とあり、結びは「のぼれり」。歌の中でも浮島が原はウナギの島のままでした(出典:同書コマ53)。
『浮世風呂』では指の股から抜け出る動き
もう一冊の『浮世風呂』は、式亭三馬が文化6〜10年(1809〜13年)に書いた滑稽本で、銭湯に集まる客のおしゃべりをそのまま書き取ったような本です。明治17年(1884年)に活字にされた版が公開されているので、そちらを開きました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諢話浮世風呂』明治17年版・NDL PID:878245 コマ20・著作権保護期間満了)
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翻刻
鰻なつたもんだからあつちイぬたくりこつちイのたくり抓べいとしても指の股さぬる〳〵ぬる〳〵かん出てによろヲり〳〵鰻のぼりイするだア
現代語訳
(山の芋が)鰻になったものだから、あっちへぬたくり、こっちへのたくり。つかまえようとしても、指の股からぬるぬる、ぬるぬると抜け出して、にょろり、にょろりと「鰻のぼり」をするんだ。
「抓べいとしても指の股さぬる〳〵ぬる〳〵かん出てによろヲり〳〵鰻のぼりイするだア」。「〳〵」は直前の語をくり返す記号で、つかまえようとしても指の股からぬるぬる、ぬるぬると抜け出して、にょろり、にょろりと鰻のぼりをするんだ、という意味になります。
場面は、山の芋がウナギになったという話です。すぐ前で話し手は、半分ウナギになっていると思った山の芋が、普請(工事)の日数がたつうちに芋の形がなくなり、すっかりウナギになってしまったと言っていて、そのウナギがつかもうとすると指の間から抜け出る動きを「鰻のぼり」と呼んでいます。辞書の第一の説、「手からすべりぬけて上へのぼる」の情景そのものですが、まだ比喩ではなく、本物のウナギ(になった山の芋)の話です。
1825年の四谷怪談で、借金が鰻のぼりに
比喩として使われた例で今回の検索でいちばん古かったのは、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』でした。文政8年(1825年)の初演で、公開されているのは明治15年(1882年)刊の活字本です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『東海道四谷怪談』第1冊・NDL PID:877129 コマ13・著作権保護期間満了)
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左門さまのお娘御今でハ按摩の宅悦にわづかの借も鰻のぼり金の形に養女とやら此頃内へ行て居なさる事まで聞て
現代語訳
左門さまのお嬢さん(お袖)が、いまでは按摩の宅悦に、わずかな借りも「鰻のぼり」にふくらんで、その金のかたに養女とやらいう名目で、このごろはその家へ行っていなさることまで聞いて。
「わづかの借も鰻のぼり、金の形に養女とやら、此頃内へ行て居なさる事まで聞て」。元は奥田家の下郎(下男)だった直助がお袖に向かって言うせりふで、引用のすぐ前には「左門さまのお娘御今でハ按摩の宅悦に」とあります。お袖がいまでは按摩の宅悦に借りをつくり、わずかな借りがふくらんで、その金のかた(担保)に養女という名目で宅悦の家へ行っている、という話です。
ここでの「鰻のぼり」は借金が増えることを言っていて、いまの使い方と同じです。ただ、これは明治の活字本なので、1825年の舞台で一字一句このとおりだったかまでは、この本からは確かめられません。
明治の辞書は「ねずみ算」と説明した
明治26年(1893年)、山田美妙の『日本大辞書』はこう書きました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本大辞書』・NDL PID:902835 コマ140・著作権保護期間満了)
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翻刻
うなぎ・のぼり(第四上)根。〔…登り〕スベテ、モトハ僅カデ、マタタク間ニ增加スルコト。多クハソレカラソレト倍數デ殖エテ行ク塲合ニツカフ。=子ズミザン。—「質ノ利モうなぎのぼりデ終ニハホホガヘシガツカズ」。
現代語訳
うなぎのぼり すべて、もとはわずかだったものが、またたく間に増加すること。多くは、それからそれへと倍々で殖えていく場合に使う。=ねずみ算。用例「質の利子もうなぎのぼりで、ついには頬返しがつかない」。
「スベテ、モトハ僅カデ、マタタク間ニ增加スルコト。多クハソレカラソレト倍數デ殖エテ行ク塲合ニツカフ。=子ズミザン」。もとはわずかだったものがまたたく間に増え、倍々で殖えていく場合に使う、ねずみ算と同じだ、という説明で、用例も「質の利子もうなぎのぼりで、ついには頬返しがつかない」という借金の話です。四谷怪談と同じ使い方でした。
この辞書は同じページに「うなぎのせのぼり」という項も立てていて、「西京ノ方言。子供ノアソビノ名」として、さきほどの『東海道名所記』を引いています。遊びの名と増える意味のことばが、辞書の上では隣り合いながら、別々の項として載っていたことになります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『帝国大辞典』第1版・NDL PID:2387590 コマ122・著作権保護期間満了)
明治29年(1896年)の『帝国大辞典』も同じ考え方で、「僅少にして、度を重ね、階を追ふて逐次增加するをいふ、多く倍數となりて、殖ゑ行く塲合につかへり、ねずみざんの如きなり」と書いています(出典:同書・NDL PID:2387590 コマ122)。明治40年(1907年)の『辞林』も「物の多く倍數となりて、殖え行くこと」です(出典:同書・NDL PID:863016 コマ72)。明治の辞書は「倍々に増える」がこの語の核だと考えていて、そのくせ、なぜウナギなのかは一言も書いていません。
川をさかのぼる説は1910年の『諺語大辞典』から
ウナギとの関係を最初に説明したのは、今回見つかった範囲では、明治43年(1910年)の『諺語大辞典』でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・NDL PID:862766 コマ85・著作権保護期間満了)
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【鰻ノ木登リ】鰻は時として木に登る事ありといふ。【鰻登リ】鰻の少許の水を求めて、上流に泝る如く、人の漸々に立身するをいふ。
現代語訳
鰻の木登り 鰻は時として木に登ることがあるという。/鰻登り 鰻がわずかな水を求めて上流へさかのぼるように、人がだんだんと立身することをいう。
「鰻の少許の水を求めて、上流に泝る如く、人の漸々に立身するをいふ」。ウナギがわずかな水を求めて上流へさかのぼるように人がだんだんと立身する、という説明で、辞書の第二の説、「川をのぼる」説がここで現れます。意味も増えることから、出世することのほうへ寄っています。すぐ前(右の列)には「鰻ノ木登リ」という項もあり、ウナギは時として木に登ることがあるという、と書いてあるので、ウナギはのぼる魚だという感覚がこの辞書の編者にはあったようです。
大正4年(1915年)の『大日本国語辞典』も、この線で書きました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大日本国語辞典』第1巻・NDL PID:954645 コマ224・著作権保護期間満了)
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うなぎ-のぼり 鰻登(名)鰻が、少しの水の所にても滯ることなく泝る如く、次第にのぼり行くこと。浮世風呂上「摑むべいとしても、指の股さ、ぬるぬるめるめるつん出て、によろをりによろをり、鰻のぼりいするだあ」
現代語訳
うなぎのぼり 鰻が、水の少ない所でも滞ることなくさかのぼるように、次第にのぼっていくこと。用例は浮世風呂「つかもうとしても、指の股からぬるぬるめるめると出て、にょろりにょろりと鰻のぼりをするんだ」。
「鰻が、少しの水の所にても滯ることなく泝る如く、次第にのぼり行くこと」と説明しながら、用例にはさきほどの『浮世風呂』の「指の股さ、ぬるぬるめるめるつん出て」の一節を引いています。説明は川をさかのぼる話なのに、用例は指の股から抜ける話で、二つの説がひとつの項の中に同居していました。
山芋の故事、そして出世と相場
大正8年(1919年)の『現代新語辞典』は、また別のことを書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『現代新語辞典』・NDL PID:933344 コマ15・著作権保護期間満了)
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翻刻
鰻上リ 「鰻化して山芋となる」の故事より出でたる語にして、低い他位からズル〳〵出世することをいふ。
現代語訳
うなぎのぼり 「鰻が化けて山芋になる」という故事から出た語で、低い地位(原文の活字は「他位」)からずるずると出世することをいう。
「「鰻化して山芋となる」の故事より出でたる語にして、低い他位からズル〳〵出世することをいふ」。ウナギが化けて山芋になる故事から出た語で、低い地位からずるずると出世すること、という説明です。活字は「他位」ですが、「地位」の誤植と見られます。山の芋がウナギになる話は『浮世風呂』の場面にも出てきましたから、この辞書はそれを逆向きに書いていることになりますが、ともかく山芋とウナギの話が「うなぎのぼり」の由来として語られた時期がありました。
昭和8年(1933年)の『新聞語辞典』は「官吏などが低い地位からトン〳〵拍子に出世をすることをいふ」(出典:同書・NDL PID:1234144 コマ21)、同じ年の『新修経済語辞典』は「相場用語。相場がヂリヂリ高くなつて行くこと」(出典:同書・NDL PID:1447691 コマ50)と書いていて、出世と相場という、いまの使い方がこの頃に出そろいます。
二つの語源説の根と、辞書に載った時期
手から抜けて上へという情景は1809年の『浮世風呂』にあり、川をさかのぼるという知識は1660年ごろの『東海道名所記』にすでにあって、どちらの説も江戸の本に根があります。借金がふくらむ比喩は1825年初演の『東海道四谷怪談』(明治15年の活字本で確認)に出てきて、明治の辞書はそれを倍々に増えること、ねずみ算と説明しました。ただ、ウナギの姿や動きを「うなぎのぼり」の由来として書いたのは、どちらの説も明治の終わりから大正にかけての辞書で、1910年の『諺語大辞典』が川をのぼる説を、1919年の『現代新語辞典』が山芋の故事を書き、1933年には出世と相場の用語として定着していました。
辞書の説明より前から確かにあったのは、江戸初期の京都で、一列に並んだ背中の上を這っていく「うなぎの瀬のぼり」という子どもの遊びです。
この記事でわかったこと
比喩として「増える」意味で使われた例では、今回の検索の範囲で文政8年(1825年)初演の鶴屋南北『東海道四谷怪談』の「わづかの借も鰻のぼり」が最古です(明治15年刊の活字本・NDL PID:877129 コマ13)。それより前、万治年間(1660年ごろ)の『東海道名所記』には「うなぎの瀬のぼり」という京都の子どもの遊びの名が出てきます(NDL PID:2533857 コマ53)。
今回見つかった範囲では、明治43年(1910年)の『諺語大辞典』が最古です。
「鰻の少許の水を求めて、上流に泝る如く」と説明しています(NDL PID:862766 コマ85)。それ以前の明治の辞書(『日本大辞書』1893年、『帝国大辞典』1896年)は「倍々に増える」「ねずみ算のようなもの」とだけ書き、ウナギとの関係は説明していません。
確定していません。
「手からすべり抜けて上へのぼる」という情景は1809年ごろの『浮世風呂』に、「ウナギは川の瀬をのぼる」という知識は1660年ごろの『東海道名所記』にありますが、どちらも語源として書かれたものではありません。辞書が由来を説明し始めるのは1910年以降です。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 東海道名所記 6巻
浅井了意 [万治年間]
- 諢話浮世風呂
式亭三馬 著 明17.8
- 東海道四谷怪談.第1冊
[鶴屋南北 著] 明15
- 日本大辞書
山田美妙 (武太郎) 編 明26.9
- 帝国大辞典.第1版
藤井乙男, 草野清民 編 明29.10
- 辞林
金沢庄三郎 編 明40.4
- 諺語大辞典
藤井乙男 編 明43.3
- 大日本国語辞典.第1巻あ〜き
上田万年, 松井簡治 著 大正4
- 現代新語辞典
時代研究会 編 大正8
- 新聞語辞典
千葉亀雄 著 昭和8
- 新修経済語辞典
大阪毎日新聞経済部 編 昭和8
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