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魚のことば

「柳の下の泥鰌」の意味と由来 江戸の本になく明治24年から急に増えた

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この記事の目次

精選版日本国語大辞典が「柳の下の泥鰌」の用例に挙げているのは、昭和33年から34年の評論です。一度うまくいったからといって、同じやり方でまたうまくいくとは限らない、という意味のことわざで、「柳の下にいつも泥鰌はいない」とも言い、二匹目の泥鰌を狙うという言い回しもここから来ていますが、それにしては用例がやけに新しい。原本を順にめくると、江戸の本には見つからず、明治24年のことわざ集を境に一気に増えていくことが分かりました。

『梅園魚譜』巻三に描かれたドジョウ三尾。左下が「川泥鰌」、中央が「雷泥鰌」
江戸後期の博物家・毛利梅園が写生したドジョウ。流れのある川のものと、たまり水のものを分けて描き、天保9年(1838年)4月に江戸・道灌山下の流れで釣ったと書き添える。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・毛利梅園筆・NDL PID:1286914 コマ37・著作権保護期間満了)

次世代デジタルライブラリーで古典籍に絞り、「柳の下に泥鰌」「柳の下の鰌」「いつも柳の下」と引くと、どれも0冊で、江戸後期の俗語辞典『俚言集覧』にも項がありません。古典籍の絞り込みを外すと「柳の下に鰌」で149冊が出てきて、いちばん古いのは明治24年(1891年)でした。そこで明治の本を開いていくと、明治43年(1910年)の、ことわざを五十音順に集めた『諺語大辞典』では、「い」の部のコマ64で、もう見出しになっていました。

『諺語大辞典』コマ64の見開き。「い」の部の項が活字で並び、右ページに「イツモ柳ノ下ニ泥鰌ハ居ラヌ」の項がある
『諺語大辞典』の「い」の部。「イツモピイピイ風車」に続いて「イツモ柳ノ下ニ泥鰌ハ居ラヌ」の項がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ64・著作権保護期間満了)

見出しは「いつも」から始まります。江戸の本にない言葉が、明治の終わりには辞書の見出しになっていたわけです。

明治の辞書は「一度よき事ありしとて」と説明した

『諺語大辞典』コマ64の「イツモ柳ノ下ニ泥鰌ハ居ラヌ」の項と翻刻
「【イツモ柳ノ下ニ泥鰌ハ居ラヌ】一度よき事ありしとて、常に同樣の幸はなきもの也との意。A fox is not caught twice in the same snare.―Greek.」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ64・著作権保護期間満了)
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【イツモ柳ノ下ニ泥鰌ハ居ラヌ】一度よき事ありしとて、常に同樣の幸はなきもの也との意。A fox is not caught twice in the same snare.―Greek.

現代語訳

いつも柳の下に泥鰌はいない。一度よいことがあったからといって、いつも同じ幸運があるわけではない、という意味。狐は同じ罠に二度はかからない、というギリシャの諺を添える。

一度よいことがあったからといって、いつも同じ幸運があるわけではない、という説明に、辞書は、狐は同じ罠に二度はかからないというギリシャの諺を添えています。同じ辞書の「や」の部には、もう一項ありました。

『諺語大辞典』コマ529の「柳ノ下ニイツモ泥鰌ハ居ラヌ」「柳ノ下ノ大鯰」の項と翻刻
「【柳ノ下ニイツモ泥鰌ハ居ラヌ】常によき事なきをいふ。イツモ柳ノ下參照。【柳ノ下ノ大鯰】富山の諺。同前。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『諺語大辞典』・藤井乙男編・明治43年・NDL PID:862766 コマ529・著作権保護期間満了)
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【柳ノ下ニイツモ泥鰌ハ居ラヌ】常によき事なきをいふ。イツモ柳ノ下參照。【柳ノ下ノ大鯰】富山の諺。同前。

現代語訳

柳の下にいつも泥鰌はいない。常によいことはないことをいう。「柳の下の大鯰」は富山の諺で、同じ意味。

柳の下の大鯰で、富山の諺、意味は同じだというのです。泥鰌ではなく鯰で言う土地もあったのですから、魚はどちらでもよく、柳の下という場所のほうが、このことわざの芯だったように思えます。

明治39年(1906年)の『俚諺辞典』は、もう少していねいに説明しています。

『俚諺辞典』コマ31の「何時も、柳の下に鰌は居らぬ」の項と翻刻
「何時も、柳の下に鰌は居らぬ。一度得る所ありて、其後も同じく得んとすとも、さう幾囘も得る能はずとの義。一度柳の枝垂れし下に鰌居りしとて、其後復柳の下を捜すとも鰌は居らず。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『俚諺辞典』・熊代彦太郎編・幸田露伴閲・明治39年・NDL PID:900343 コマ31・著作権保護期間満了)
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何時も、柳の下に鰌は居らぬ。一度得る所ありて、其後も同じく得んとすとも、さう幾囘も得る能はずとの義。一度柳の枝垂れし下に鰌居りしとて、其後復柳の下を捜すとも鰌は居らず。

現代語訳

いつも柳の下に鰌はいない。一度得るところがあって、その後も同じように得ようとしても、そう何回も得られるものではない、という意味。一度柳の枝の垂れた下に鰌がいたからといって、その後また柳の下を探しても鰌はいない。

一度得るところがあって、その後も同じように得ようとしても、そう何回も得られるものではない、一度柳の枝の垂れた下に鰌がいたからといって、その後また柳の下を探しても鰌はいない、という説明です。大正8年(1919年)の『大日本国語辞典』は「柳」の項の末尾に(諺)として載せ、「柳の木の下にて泥鰌を捕へたりとて、常にそこにて捕らへ得らるるものならず。一度僥倖を得たりとて、常にそれをすべからざるにいふ。」と書いていて(NDL PID:1871641 コマ620)、1910年代には国語辞典の項目になっていました。

明治24年の『諺の一口話』と、桜痴の笑い話

辞書より前の用例で全文検索でいちばん古かったのは、明治24年(1891年)刊の『国民の品位 一名・諺の一口話』です。ことわざを一つずつ見出しに立てて、歴史上の人物の話で解いた本です。

『国民の品位』コマ67の見開き。活字の本文で、右ページの見出しに「柳の下にいつも鰌は居らず」とある
『国民の品位 一名・諺の一口話』。「や」の部の見出しに「柳の下にいつも鰌は居らず」が立ち、秀吉と家康の話で解いている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『国民の品位』・天野御民著・明治24年・NDL PID:755479 コマ67・著作権保護期間満了)
『国民の品位』コマ67の見出し「柳の下にいつも鰌は居らず 尾張よりいつも豪傑が出るに非ず(豊公)」と翻刻
「柳の下にいつも鰌は居らず 尾張よりいつも豪傑が出るに非ず(豊公)」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『国民の品位』・天野御民著・明治24年・NDL PID:755479 コマ67・著作権保護期間満了)
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柳の下にいつも鰌は居らず尾張よりいつも豪傑が出るに非ず(豊公)

現代語訳

柳の下にいつも鰌はいない。尾張からいつも豪傑が出るわけではない(秀吉)――。ことわざを一つずつ「一口話」で解いた本の見出し。

柳の下にいつも鰌はいない、尾張からいつも豪傑が出るわけではない――。秀吉が尾張から出たからといって次も尾張から出るとは限らない、という話で、1891年の時点で、すでに見出しに立てて解説する対象になっていました。

2年後の明治26年(1893年)、新聞人・福地桜痴の笑い話集『桜痴滑稽談』には二か所に出てきます。ひとつは「サア柳の下にいつも泥鰌が居て戸棚の中にはいつも牡丹餅があると思つて」(NDL PID:885607 コマ32)で、「棚から牡丹餅」と並べ、一度の幸運を当てにするという意味で二つのことわざを重ねています。

『桜痴滑稽談』コマ86の「いつまでも柳の下に泥鰌が居ると思ふと當が違はうぜ」の列と翻刻
「いつまでも柳の下に泥鰌が居ると思ふと當が違はうぜ、」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『桜癡滑稽談』・福地桜痴著・明治26年・NDL PID:885607 コマ86・著作権保護期間満了)
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いつまでも柳の下に泥鰌が居ると思ふと當が違はうぜ、

現代語訳

いつまでも柳の下に泥鰌がいると思うと当てが違うぜ――。役人の世渡りを皮肉る台詞。

もうひとつは、いつまでも柳の下に泥鰌がいると思うと当てが違うぜ、という台詞で、政変で役人の地位が変わるという話の中に出てきます。明治20年代には、笑い話の台詞に使えるほど通じる言葉になっていたのです。

江戸のことわざ集には載っていない

全文検索はくずし字の本では取りこぼしがあるので、江戸の本に0冊だからといって、江戸に無かったとは言い切れません。それでも、江戸のことわざ集が軒並み載せていないことは目を引きます。1656年の『世話尽』にも江戸後期の『俚言集覧』にも項がなく、同じ検索で「蟹は甲に似せて穴」は江戸の本に13冊、「瓢箪で鯰」は5冊拾えたのに、柳の下の泥鰌だけが江戸の本から出てこないのです。

明治24年に一口話の見出しになり、明治26年に笑い話の台詞になり、明治39年と43年にことわざ辞典に入り、大正8年に国語辞典に入るという順番は、明治のはじめごろに広まった言葉の動き方に見えます。精選版日本国語大辞典の用例が昭和33年からなのは、辞書の用例集めがこの言葉に薄かったということで、原本を開けば明治24年まではさかのぼれます。

なぜ柳の下なのかは、明治の辞書にも書かれていません。『俚諺辞典』が書くのは柳の枝の垂れた下に一度鰌がいたという情景だけで、泥鰌は流れのゆるい泥の底にいる魚ですから、川辺の柳の根元で一度捕れたという体験が、そのまま言葉になったのかもしれません。もうひとつ気になるのは「いつも」の位置で、明治の本は「柳の下にいつも」と「いつも柳の下に」の両方を使い、『諺語大辞典』は両方を見出しに立てていました。「柳の下の泥鰌」と短く言う今の形は、そのあとに縮まったものです。

昭和の用例の、六十年あまり前

拾った例を年代順に置き直すと、江戸期の『世話尽』(1656年)と『俚言集覧』には項がなく、全文検索でも古典籍は0冊です。1891年の『国民の品位』が「柳の下にいつも鰌は居らず 尾張よりいつも豪傑が出るに非ず」を見出しに立て、1893年の『桜痴滑稽談』が「いつまでも柳の下に泥鰌が居ると思ふと當が違はうぜ」と台詞に使い、1906年の『俚諺辞典』が「一度得る所ありて、其後も同じく得んとすとも、さう幾囘も得る能はずとの義」、1910年の『諺語大辞典』が「一度よき事ありしとて、常に同樣の幸はなきもの也との意」と説明し、「柳ノ下ノ大鯰」を富山の諺として添えました。1919年に『大日本国語辞典』が(諺)として立項し、精選版日本国語大辞典の用例は1958年から59年の中島健蔵『文学の根本問題』です。

辞書の用例が昭和からなのは辞書のほうが遅れていただけで、明治の笑い話の中で、泥鰌はもう柳の下にいました。

この記事でわかったこと

  • 一度うまくいったからといって、同じやり方でまたうまくいくとは限らない、という意味です。

    明治43年の『諺語大辞典』は「一度よき事ありしとて、常に同樣の幸はなきもの也との意」と説明し(NDL PID:862766 コマ64)、明治39年の『俚諺辞典』は「一度柳の枝垂れし下に鰌居りしとて、其後復柳の下を捜すとも鰌は居らず」と書きます(NDL PID:900343 コマ31)。

  • 国立国会図書館の全文検索では江戸の本に見つからず、最も古いのは明治24年(1891年)刊の『国民の品位 一名・諺の一口話』の見出し「柳の下にいつも鰌は居らず」です(NDL PID:755479 コマ67)。明治26年の『桜痴滑稽談』には「いつまでも柳の下に泥鰌が居ると思ふと當が違はうぜ」の台詞があります(NDL PID:885607 コマ86)。精選版日本国語大辞典の用例は1958〜59年の中島健蔵『文学の根本問題』です。

  • 『諺語大辞典』は「柳ノ下ノ大鯰」を富山の諺として立て、「柳ノ下ニイツモ泥鰌ハ居ラヌ」と同じ意味だと説明しています(NDL PID:862766 コマ529)。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

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