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魚のことば

「魚の目(うおのめ)」の由来 明治の辞書は「形似タレバイフ」

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この記事の目次

明治の国語辞典『言海』は、足の裏や指にできて歩くたびに痛む硬いもの、「魚の目(うおのめ)」の名前の由来を、「魚目〔形似タレバイフ〕」とひとことで片づけています。形が魚の目玉に似ているから、という説明です。名前そのものはもっと古く、元禄6年(1693年)の薬の本に、漢字で「魚目」と書いて「うをのめ」と振り仮名をつけた例がありました。

歌川広重が描いた鯛の錦絵。大きな一尾の下に小魚が重なり、南天の枝と実が添えられている
『魚尽錦絵』十二枚のうちの一図。右上に「廣重画」の署名と朱印、左に賛が入る。賛の結びには「沖の」と「鯛」の字が読める。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『魚尽錦絵』・NDL PID:2537533 コマ4・著作権保護期間満了)

次世代デジタルライブラリーで「魚の目」とそのまま引くと、「釣魚の目的」のような別のことばまで拾ってしまうので、昔のかなづかいの「うをのめ」で引き直したところ、190冊ほどが見つかりました(2026年10月17日に検索)。年代順に並べていちばん古かったのが、その元禄6年(1693年)の『救民妙薬(きゅうみんみょうやく)』です。国立国会図書館の書誌では、著者は穂積甫庵(ほづみほあん)、版元は茨城多左衛門で、病気ごとに番号をふって手当てを並べた薬の本です。

『救民妙薬』コマ19の見開き。番号を四角で囲んだ見出しごとに、手当ての方法がくずし字で書かれている
『救民妙薬』の見開き。右ページに「廿八」「廿九」「三十」、左ページに「卅一 水腫薬」と、四角で囲んだ番号の見出しが並ぶ。右ページの「三十」が魚の目の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(穂積甫庵『救民妙薬』・元禄6年[1693年]・NDL PID:2536811 コマ19・著作権保護期間満了)

見開きには四角で囲んだ番号の見出しが並び、右ページに「廿八」「廿九」「三十」、左ページに「卅一 水腫薬」とあります。右ページの左寄りの「三十」が魚の目の項で、その下の二字に「うをのめ」と振り仮名がついています。

元禄6年の『救民妙薬』は「魚目」と書いた

見出しの字は「魚目」です。赤枠の5列には、見出しと手当てがひと続きに書かれています。魚の目は元禄のころにはもう、漢字でもそのまま魚の目と書かれていました。

『救民妙薬』コマ19の「三十 魚目 千日瘡ともいふ」から「うをのめぬくるなり」までの5列と翻刻
赤枠は「三十」の項の5列。くずし字の「乃」などは今のかなに直した。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(穂積甫庵『救民妙薬』・元禄6年[1693年]・NDL PID:2536811 コマ19・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

三十 魚目 千日瘡ともいふ白米一粒。うをのめにおしあて。小刀のさきにて米の上に十の字をかき溝の中へすつれば米くちたる時。うをのめぬくるなり

現代語訳

三十 うおのめ(千日瘡ともいう)。白米を一粒、うおのめに押し当て、小刀の先で米の上に十の字を書き、溝の中へ捨てる。米が朽ちたとき、うおのめが抜ける。

「三十 魚目 千日瘡ともいふ」。続く手当てが少し変わっていて、「白米一粒。うをのめにおしあて」、小刀の先で米の上に「十の字をかき」、それを溝の中へ捨てると、「米くちたる時。うをのめぬくるなり」というのです。米が朽ちるころに魚の目も抜けるのですから、薬というより、おまじないに近いものです。この項には続けて、塩漬けの茄子の切れはしを使う手当ても書かれています。

享保14年の『普救類方』では「疣目」

享保14年(1729年)の『普救類方(ふきゅうるいほう)』も、病気の手当てを集めた本です。国立国会図書館の書誌では林良適(はやしりょうてき)と丹羽正伯(にわしょうはく)の編で、目録には病名が巻ごとに並んでいます。

『普救類方』の目録の見開き。病名の漢字に、かなで読みや説明が添えられている
『普救類方』の目録。右ページに「巻之五」とあり、左ページには腫れものや皮膚の病名が並ぶ。左ページのいちばん左の列の下に「疣目」と「うをのめ」がある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(林良適・丹羽正伯編『普救類方』7巻[1]・享保14年[1729年]・NDL PID:2575835 コマ11・著作権保護期間満了)

右ページに「巻之五」とあり、左ページには腫れものや皮膚の病名が並んでいて、目当ての語は左ページのいちばん左の列の下にありました。目録には病名の漢字が並び、その下にふだんの呼び名がかなで添えてあって、たとえば「漆瘡」には「うるしかぶれ」とあります。その隣に出てくるのが、次の二語です。

『普救類方』目録コマ11の「疣目 うをのめ」を大きく切り出したもの
「疣目」の右に振り仮名「ゆうもく」、下に呼び名の「うをのめ」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(林良適・丹羽正伯編『普救類方』7巻[1]・NDL PID:2575835 コマ11・著作権保護期間満了)

「疣目 うをのめ」。「疣(ゆう)」はいぼのことで、本の上の名は「疣目(ゆうもく)」、ふだんの呼び名は「うをのめ」でした。漢字の書き方は本によって違っても、人が口で呼ぶ名前は変わっていません。

『言海』は「形似タレバイフ」と書いた

江戸の薬の本は、手当ては書いても名前のわけまでは書いていません。それをはっきり書いたのが、大槻文彦の編んだ国語辞典『言海(げんかい)』で、国立国会図書館の書誌では明治22年から24年(1889〜1891年)にかけて出ています。語によっては、意味のほかに名前のわけを〔 〕に入れて書き添えている辞書です。

『梅園魚品図正』のボラの頭の部分。丸い目のまわりが白く縁取られている
毛利梅園が描いたボラの頭のあたりを切り出したもの。黒い瞳を、白と黄色の輪が丸く囲んでいる。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻1・NDL PID:1287112 コマ12・著作権保護期間満了)

毛利梅園が描いたこのボラの頭では、黒い瞳を白と黄色の輪が丸く囲んでいて、魚の目玉はこういう丸い形をしています。『言海』では、「う」の部の終わり近く、「うをだな(魚店)」「うをのたな(魚棚)」と魚屋にかかわることばが続いたあとに、その項があります。

『言海』コマ133の見開き。細かい活字の項目が上下三段に組まれている
『言海』の見開き。左ページ上段に大きな「え」の字があり、その右側が「う」の部の終わり。「うをのめ」の項はそこにある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(大槻文彦編『言海』第1-4冊・明治22〜24年・NDL PID:992954 コマ133・著作権保護期間満了)

見開きの左ページ上段に大きな「え」の字があり、その右側が「う」の部の終わりで、見出しの「うをのめ」のすぐ下に、品詞の「名」、漢字の「魚目」と名前のわけが続いています。

『言海』コマ133の「うをのめ(名)魚目〔形似タレバイフ〕」を大きく切り出したもの
見出しの「うをのめ」、品詞の「名」、漢字の「魚目」、そして〔形似タレバイフ〕。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(大槻文彦編『言海』・NDL PID:992954 コマ133・著作権保護期間満了)

「魚目〔形似タレバイフ〕」。形が似ているからそう言う、というのが『言海』の答えで、魚の目の名前の由来は見た目そのものでした。意味の説明のほうも、読んでおきます。

『言海』コマ133の「うをのめ」の項の3列と翻刻
赤枠は「うをのめ」の項の全体。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(大槻文彦編『言海』第1-4冊・明治22〜24年・NDL PID:992954 コマ133・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

うをのめ(名)魚目〔形似タレバイフ〕(一)力作ニ因リテ、手足ニ堆ク固ク生ズル肉、白大豆ノ大サニシテ、疣ヨリ堅シ。イヲノメ。石皰(二)肉刺。

現代語訳

うおのめ。漢字では魚目。〔形が似ているのでこう言う〕(一)力仕事のために手足にうずたかく硬くできる肉。白い大豆ほどの大きさで、いぼより硬い。いおのめとも言う。(二)まめ。

「手足ニ堆ク固ク生ズル肉、白大豆ノ大サニシテ、疣ヨリ堅シ」。力仕事で手足にうずたかく硬くできる肉で、白い大豆ほどの大きさがあり、いぼより硬い。その硬く盛り上がったものを、魚の目玉に見立てた名前です。

同じ『言海』は、いぼを指す「いをめ」という語にも、「〔魚目ノ義、形似タレバイフ〕疣ニ同ジ」(コマ117)と同じ説明をつけています。いぼのほうも、魚の目に形が似ているから、という扱いでした。

魚に見立てるか、鶏に見立てるか

漢字の書き方はほかにもあって、『言海』と同じ明治22年(1889年)に出た高橋五郎の『和漢雅俗いろは辞典』は、それを一列に並べています。

『和漢雅俗いろは辞典』コマ304の「うをのめ(名)」の項と翻刻
赤枠は「うをのめ」の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(高橋五郎『和漢雅俗いろは辞典』・明治22年・NDL PID:1087746 コマ304・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

うをのめ(名)魚目、石皰、魚眼疣、疣目、鷄眼、まめ(身體に出る)

現代語訳

うおのめ。魚目・石皰・魚眼疣・疣目・鶏眼と書き、まめ(体にできるもの)のこと。

「魚目、石皰、魚眼疣、疣目、鷄眼、まめ」。「魚目」「魚眼疣」と魚の字を使う書き方のほかに、『普救類方』と同じ「疣目」、そして鶏の目と書く「鷄眼(けいがん)」も並んでいて、魚に見立てるか鶏に見立てるかの違いはあっても、目にたとえるところは同じです。

年代順に置き直すと、1693年の『救民妙薬』が「魚目」と書いて「うをのめ」と読ませ、1729年の『普救類方』が本の上の名を「疣目」として呼び名を「うをのめ」と添え、1889年の『和漢雅俗いろは辞典』が六通りの書き方を並べ、1889〜1891年の『言海』が「魚目〔形似タレバイフ〕」と由来を書いています。こうして見てくると、書き方は揺れても、うをのめという呼び名と、形を目に見立てる発想は動いていません。くずし字の本の機械読み取りは精度が低いので、『救民妙薬』より古い例が無いとまでは言えず、元禄6年の例は見つかった範囲でいちばん古い、というところまでです。目にまつわる魚のことばは目から鱗でも原本でたどっていて、ほかの魚のことばは魚のことばの一覧にまとめています。

この記事でわかったこと

  • 形が魚の目玉に似ているからです。

    明治の国語辞典『言海』は「うをのめ」の項に「魚目〔形似タレバイフ〕」と書いています(大槻文彦編『言海』・NDL PID:992954 コマ133)。

  • 国立国会図書館の全文検索で見つかった早い例は、元禄6年(1693年)の『救民妙薬』で、「三十 魚目 千日瘡ともいふ」の「魚目」に「うをのめ」と振り仮名がついています(NDL PID:2536811 コマ19)。

  • 『救民妙薬』(1693年)は「魚目」、『普救類方』(1729年)は「疣目」と書いて呼び名を「うをのめ」としています(NDL PID:2575835 コマ11)。

    明治22年の『和漢雅俗いろは辞典』は「魚目、石皰、魚眼疣、疣目、鷄眼、まめ」と並べています(NDL PID:1087746 コマ304)。

  • 『救民妙薬』には、白米一粒を魚の目に押し当て、小刀の先で米の上に十の字を書いて溝に捨てると、米が朽ちたときに魚の目が抜ける、という手当てが書かれています(NDL PID:2536811 コマ19)。

    薬というより、おまじないに近いものです。

この記事で開いた原本

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