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魚へんの漢字

魚へんに師の読み方はブリ|鰤の漢字の由来は「老いた魚」

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難易度 初級

この字、読めますか?

鰤

訓
ぶり
音
シ
画数
21画
この記事の目次

魚へんに師と書く「鰤」はブリと読みます。冬に脂がのり、年末にいちばん高くなる魚なので、右側は師走の「師」だろうと思いたくなりますが、江戸時代の本草書や図会を開いても師走の話は出てこず、学者たちがこの字を説明するのに使っていたのは、中国の古い字書にある「老魚」、年をとった魚という二字でした。

『梅園魚品図正』のブリの彩色図。見開きいっぱいに青緑の背と銀白の腹の大きな魚、右下に見出し「鰤」
毛利梅園が天保3年(壬辰)閏11月に写生したブリ。右下の見出しに「鰤(ブリ)」、その左に字についての書き入れがある(後の節で読みます)。左上の小魚はメダカ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287112 コマ10・著作権保護期間満了)

しかもその説明をめぐって、江戸の学者たちは同じ字の出どころがわからないと首をひねり、中国の鰤はブリではないと言い、いや日本で魚と師を合わせて作った字だと推していました。東京の市場でブリとハマチがいくらで取引されているかも、統計から拾っています。

「鰤」の基本データ

読み
ぶり(訓)/シ(音)
画数
21画(魚へん11画+師10画)
形
魚へんに「師」
生まれ
中国の字書に「老魚」としてある字。日本でブリに当てた
中国語
shī。今の中国語名でブリは「五条鰤」
難易度
初級

読みと画数・中国語音は Unicode の Unihan Database(U+9C24)、中国名は FishBase による

中国の字書では年をとった魚

鰤の字を論じた本を探すのに、神宮司庁が編んだ古典籍の引用集『古事類苑(こじるいえん)』を開きました。その動物部(明治43年刊・NDL PID:897901)では、コマ24から25に平安時代の辞書から江戸の本草書まで十数冊の抜き書きが並んでいます。

『古事類苑』動物部コマ24の見開き。活字の抜き書きが並び、左ページ上の欄外に見出し「鰤」
左ページ上の欄外に「鰤」。右ページの終わりから、『倭名類聚抄』『下学集』『日本釈名』『倭訓栞』『物類称呼』『日本山海名産図会』と、ブリについての抜き書きが続く。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『古事類苑』動物部・神宮司庁編・明治43年刊・NDL PID:897901 コマ24・著作権保護期間満了)

読み進めると、鰤の字の出どころを気にしている本が何冊もあり、どれも同じ一冊の同じ一行を引いていました。明の李時珍(りじちん)がまとめた薬の百科事典『本草綱目(ほんぞうこうもく)』で、江戸の学者が魚の名前を調べるときにまず開いた本です。

鰤=魚+師うおへん音は「シ」。師走や教師の師

承応2年(1653年)に日本で彫り直された版の巻四十四、うろこの無い魚を集めた「無鱗魚」の巻のコマ100にその項があります。

『本草綱目』承応2年刊本 巻四十四コマ100の見開き。左ページの後ろのほうに見出し「魚師」
左ページの後ろ寄りに見出し「魚師」。その脇に小さく「ブリ」と振り仮名が刷ってある。右隣は魚虎、右ページは文鰩魚(トビウオ)の項。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ100・著作権保護期間満了)

見出しは「鰤」ではなく「魚師」の二字で、この版ではその脇に「ブリ」と振り仮名が刷ってあります。

『本草綱目』巻四十四コマ100の「魚師」の見出しと集解2列の翻刻
「魚師(ブリ) 綱目/集解 時珍曰、陳藏器諸魚注云、魚師大者有毒殺人。今無識者。但唐韻云、鰤、老魚也。山海經云……」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ100・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

魚師(ブリ) 綱目集解 時珍曰、陳藏器諸魚注云、魚師大者有毒殺人。今無識者。但唐韻云、鰤、老魚也。山海經云……

現代語訳

魚師(ぶり)。【解説】李時珍いわく、陳蔵器は諸魚の注で「魚師の大きなものは毒があって人を殺す」と言う。いまは見知る者がいない。ただ『唐韻』は「鰤は老魚(年を経た魚)である」と言い、『山海経』は……(次のコマへ続く)

李時珍は、唐の陳蔵器(ちんぞうき)の「魚師大者有毒殺人」、魚師の大きなものには毒があり人を殺す、という説を引いたうえで、「今無識者」、いまはこの魚を知る者がいない、と書きました。李時珍自身も、魚師がどんな魚か知らなかったのです。そこで引いたのが中国の古い字書『唐韻(とういん)』の「鰤、老魚也」で、魚へんに師の字はここで初めて出てきます。中国の字書では、鰤は年をとった魚を指す字でした。

清の時代の字書『康熙字典(こうきじてん)』も同じで、安永9年(1780年)に日本で刊行された版の魚部、コマ27の「鰤」の項は「鰤〔廣韻〕疏夷切〔集韻〕霜夷切、丛音師。老魚」、読みは「師」と同じで意味は老魚としています。続けて、歴水という川に出て食べると人が死ぬという説と、「或省作魳」、略して魳とも書く、という一文があります。

『康熙字典』の見出し「鰤」と、『本草綱目』の「鰤老魚」の大写し
右が『康熙字典』魚部コマ27の見出し「鰤」、左が『本草綱目』コマ100の「鰤、老魚(也)」。二冊から切り出して並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『康熙字典』魚部・安永9年刊の和刻本・NDL PID:2562615 コマ27/『本草綱目』巻四十四・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ100・いずれも著作権保護期間満了)

日本でカマスに使う魳(魚へんに帀)は、中国の字書では鰤を略した形だったわけで、カマスの字の話は魳(魚へんに市)の記事で読んでいます。なお、この『本草綱目』の上の余白には、旧蔵者が朱で「訓布里非也」、魚師をブリと読むのは誤りだ、と書き入れていて、刷られた振り仮名に読んだ人が反対していました。

益軒は「出處未詳」と書いた

日本の学者がこの一行をどう読んだかは、貝原益軒(かいばら・えきけん)の『大和本草(やまとほんぞう)』(宝永6年=1709年刊)から見えてきます。日本の動植物をまとめた本草書で、巻十三のコマ20にブリの項があります。

『大和本草』巻十三コマ20のブリの項の冒頭5列と翻刻
「鰤ノ字ハ昔ヨリ国俗ニブリトヨム然トモ出處未詳本草ニ魚師トイヘルハ別物ナルカ其形状ヲノセス唐韻ヲ引テ曰鰤ハ老魚也ト然ラハ鰤ト魚師ト一物カ……」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』巻十三・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ20・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

鰤ノ字ハ昔ヨリ国俗ニブリトヨム然トモ出處未詳本草ニ魚師トイヘルハ別物ナルカ其形状ヲノセス唐韻ヲ引テ曰鰤ハ老魚也ト然ラハ鰤ト魚師ト一物カ又本草引テ山海經曰魚師食之殺人トアリフリハ微毒アレトモ人ヲ殺サスサレトモ松前蝦夷ノフリハ殺人ト云凡フ……

現代語訳

「鰤」の字は、昔からこの国の習わしでブリと読む。けれども出どころはわからない。『本草綱目』が魚師と言うのは別の物だろうか。その形を書いていない。『唐韻』を引いて「鰤は老魚なり」と言う。それなら鰤と魚師は同じ物か。また『本草綱目』は『山海経』を引いて「魚師を食べると人が死ぬ」とする。ブリは少し毒があるが人を殺しはしない。ただ松前・蝦夷のブリは人を殺すという。およそブリは……

書き出しは「鰤ノ字ハ昔ヨリ国俗ニブリトヨム然トモ出處未詳」で、鰤の字は昔から世間でブリと読むがその出どころはわからない、というのです。益軒は続けて、『本草綱目』の魚師は別の魚だろうか、形が書いていない、と迷い、「然ラハ鰤ト魚師ト一物カ」、それなら鰤と魚師は同じものか、と問いを残します。人を殺すという毒の話には、ブリは少し毒があるが人を殺しはしない、ただ松前や蝦夷のブリは人を殺すという、と答えていて、字については疑問のまま書き残しました。

約120年後、この疑問にきっぱり答えたのが、冒頭の絵を描いた毛利梅園(もうり・ばいえん)です。ブリの絵のわきの書き入れを拡大すると、前半は益軒とほぼ同じ文でした。

『梅園魚品図正』巻一コマ10のブリの絵のわきの書き入れ5列と翻刻
「鰤ノ字昔ヨリ國俗ブリトヨム然トモ出所未詳 本草無鱗ノ部ニ出ス鰤ハ別物也 フリハ有鱗 魚師非ルヿ不里ニ明也 唐韻ヲ引曰 鰤ハ老魚也 鰤ト魚師ハ一物也」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287112 コマ10・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

鰤ノ字昔ヨリ國俗ブリトヨム然トモ出所未詳 本草無鱗ノ部ニ出ス鰤ハ別物也 フリハ有鱗 魚師非ルヿ不里ニ明也 唐韻ヲ引曰 鰤ハ老魚也 鰤ト魚師ハ一物也

現代語訳

鰤の字は昔からこの国の習わしでブリと読むが、出どころはわからない。『本草綱目』は(魚師を)無鱗(うろこの無い魚)の部に出している。そこでいう鰤は別の物である。ブリにはうろこがある。魚師がブリでないことは明らかだ。(『本草綱目』は)『唐韻』を引いて「鰤は老魚なり」と言う。鰤と魚師は同じ物である。

違うのはその先で、『本草綱目』は魚師をうろこの無い魚の巻に入れていたのに、「フリハ有鱗」、ブリにはうろこがある。だから「魚師非ルヿ不里ニ明也」、魚師がブリでないことは明らかだ、と梅園は書いています。本の分類と実物のうろこを突き合わせて、中国の鰤(魚師)と日本のブリを切り離したわけです。

梅園より少し前、小野蘭山(おの・らんざん)の講義をまとめた『本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』(文化2年=1805年の跋)も、巻之四十のコマ84で同じ結論を出しています。

『本草綱目啓蒙』巻之四十コマ84の「魚師」の項4列と翻刻
「魚師/老魚ノ總名ナリ鯉魚鮧魚等ニモ……長大ナルモノアリ鰤ノ字ヲブリト訓ズルハ非ナリ/ブリハ清俗海鰱ト云フ」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目啓蒙』巻之四十・小野蘭山口授・文化2年跋・NDL PID:2555467 コマ84・著作権保護期間満了)
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翻刻

魚師老魚ノ總名ナリ鯉魚鮧魚等ニモ……長大ナルモノアリ鰤ノ字ヲブリト訓ズルハ非ナリブリハ清俗海鰱ト云フ

現代語訳

魚師。年を経た魚をまとめて呼ぶ名である。コイやナマズなどにも、年を重ねて大きくなるものがある。鰤の字をブリと読むのは誤りである。ブリは清(中国)の世間では海鰱という。

「老魚ノ總名ナリ」、魚師は特定の魚ではなく年をとった魚をまとめて呼ぶ名前で、コイやナマズにも年を重ねて大きくなるものがある、だから「鰤ノ字ヲブリト訓ズルハ非ナリ」、というのが蘭山の答えでした。

魚と師を合わせた字という読み方

誤りだと言われても、世間はブリを鰤と書き続けました。なぜブリに師の字なのかを説明しようとした本もあって、寺島良安(てらじま・りょうあん)の絵入り百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』の巻四十九、コマ35にはブリの絵があります。

『和漢三才図会』巻四十九コマ35の見開き。右ページ上にブリの絵、その下に見出し「鰤」
右ページ上にブリの絵、その下に見出し「鰤(ぶり)音師」と「魚師」「和名波里萬知」。左ページは、ブリに似た別の魚の項(見出しの下に「正字未詳」)。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ35・著作権保護期間満了)

見出しは「鰤 音師」で、良安はブリの項の終わりに、小さな字の割注で自分の考えを書き添えています。

『和漢三才図会』巻四十九コマ35の「此魚自少」から割注「毒亦甚乎」までと翻刻
「……此魚自少至老、時改名。初在江海、徐出大洋、而復自東北海連行、終西海對州焉。以爲出世昇進之物、稱之大魚。貴賤相饋、爲歳末之嘉祝。〔未聞有毒殺人者。蓋自對州入中華海、則甚大甚老。故得老魚師魚之名、毒亦甚乎。〕」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ35・著作権保護期間満了)
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翻刻

爲上。越中及防州瀬戸崎、雲州艫島亦佳也。此魚自少至老、時改名。初在江海、徐出大洋、而復自東北海連行、終西海對州焉。以爲出世昇進之物、稱之大魚。貴賤相饋、爲歳末之嘉祝。〔未聞有毒殺人者。蓋自對州入中華海、則甚大甚老。故得老魚師魚之名、毒亦甚乎。〕

現代語訳

(丹後のものを)上とする。越中、周防の瀬戸崎、出雲の艫島のものもよい。この魚は小さいときから老いるまで、時期によって名を改める。はじめは入り江の海にいて、しだいに大海へ出て、また東北の海から連なって泳ぎ、西の海の対馬で終わる。そこで出世・昇進の物とし、大魚と呼ぶ。身分の上下を問わず贈り合い、年の暮れの祝いとする。〔毒で人が死んだとはまだ聞かない。思うに、対馬から中国の海に入ると、とても大きく、とても老いる。それで老魚・師魚の名を得たのだろう。毒もまた強いのだろうか。〕

ブリは育つにつれて名を変え、東北の海から連なって泳いで西の対馬で終わるので、出世の魚とされて身分を問わず年の暮れの祝いに贈り合う、と書いたあとが割注で、「蓋自對州入中華海、則甚大甚老。故得老魚師魚之名」、ブリは対馬から中国の海に入るととても大きく、とても老いるので、中国で老魚・師魚の名を得たのだろう、というのです。中国の鰤とブリは同じ魚で、中国の海まで泳いで年をとったブリが老魚と呼ばれた、と良安は二つの名をつなぎ、毒も向こうでは強くなるのだろうか、とまで書いています。

さらに一歩踏み込んだのが、諸国の名産を絵入りで紹介した『日本山海名産図会(にほんさんかいめいさんずえ)』(寛政10年=1798年の序)で、巻三のコマ14、丹後のブリ漁の話のあとに字の話が出てきます。

『日本山海名産図会』巻三コマ14の「鰤ハ日本の俗字なり」から「濁音に云習ハせたるなるべし」までの7列と翻刻
「○鰤ハ日本の俗字なり。本草綱目に魚師といへるハ老魚又大魚の惣稱なれバ其形を不釋。……されども日本にて鰤の字を制しハ、即魚師を二合して大に老たるの義に充たるに似たり。又ブリといふ訓も老魚の意を以て年經りたるのフリによりてフリの魚といふを濁音に云習ハせたるなるべし。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻三・寛政10年序・NDL PID:2575828 コマ14・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

○鰤ハ日本の俗字なり。本草綱目に魚師といへるハ老魚又大魚の惣稱なれバ其形を不釋。或ハ云、海魚の事に於て中華に釋く所、皆甚粗なり。是は大國にして海に遠きが故に其物得て見る事難けれバ、唯傳聞の端をのミ記せしこと多し。されども日本にて鰤の字を制しハ、即魚師を二合して大に老たるの義に充たるに似たり。又ブリといふ訓も老魚の意を以て年經りたるのフリによりてフリの魚といふを濁音に云習ハせたるなるべし。

現代語訳

鰤は日本の俗字である。『本草綱目』に魚師というのは、老魚または大魚をまとめて呼ぶ名なので、その形を説明していない。ある人が言うには、海の魚について中国で説明していることは、どれもたいへん粗い。中国は大きな国で海から遠いので、実物を見ることが難しく、ただ伝え聞いた切れ端を記したことが多い。けれども、日本で鰤の字を作ったのは、つまり「魚」と「師」の二字を合わせて一字にし、大きく老いたという意味に当てたように見える。また、ブリという読みも、老魚の意味から、年を経て古びた「フリ」によって「フリの魚」と言ったのを、濁った音で言い習わしたのだろう。

まず「鰤ハ日本の俗字なり」と、日本で世間が作った字だと言い切り、『本草綱目』の魚師は老魚や大魚をまとめた呼び名で、形が書いていないのはそのためだ、と続けます。中国の本の書き方にも「是は大國にして海に遠きが故に」、大きな国で海から遠いので実物を見られず伝え聞いたことを書いたのだろう、と理由をつけていて、そのあとが核心の一文です。

「日本にて鰤の字を制しハ、即魚師を二合して大に老たるの義に充たるに似たり」。

『日本山海名産図会』コマ14の「鰤乃」と「魚師を二合して」の大写し
右が「(日本にて)鰤乃(字を制しハ)」、左が次の列の「魚師を二合して」。二か所を切り出して並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本山海名産図会』巻三・寛政10年序・NDL PID:2575828 コマ14・著作権保護期間満了)

日本で鰤の字を作ったのは、「魚」と「師」の二字を一字に合わせ、大きく老いた魚という意味に当てたのだろう、ということで、読みのブリまで、年を経て古びた「フリ」の魚を濁って「ブリ」と言い習わしたのだろう、と同じ理屈で説明しています。どちらの文も最後は「似たり」「なるべし」の推量ですが、魚へんに師の理由を老いた大魚で説明する筋は、ここで一本につながりました。明治34年(1901年)の『日本物産要覧』(コマ73)も、本草綱目が老魚や大魚を魚師と呼ぶとしたうえで「之を合せて鰤と書きしなるべし」と書いていて、この説明は明治にも引き継がれています。

師走ではなく、師表と賢い魚

国立国会図書館の全文検索で、「師走」と「鰤」「ぶり」「ブリ」を組み合わせたり、「魚へんに師」「魚偏に師」「魚扁に師」と書き方を変えたりして引いた範囲では、師走を鰤の字の理由として書いた本は見つかりませんでした。かわりに出てきたのは、別の「師」の読み方です。

大正9年(1920年)の礼法の本『普通作法精義』は、正月の食べ物の由来を並べるくだりで「鰤は、魚扁に師なる故に師表たるに因みたるもの」と書いています(NDL PID:957510 コマ295)。師表は人の手本となる人のことです。昭和に入ると、魚の随筆を何冊も書いた三浦定之助が『おさかな談義』(昭和18年=1943年)で、脅しの効かないブリを「魚扁に師の字を貰つただけあつてさすがに鰤は賢魚である」と書きました(NDL PID:1064315 コマ76)。老いた魚、手本となる魚、賢い魚と、同じ「師」の字に時代ごとに違う意味が読み込まれてきたことになります。

それでも、ブリと年の暮れのつながりは字の外ではっきり残っていて、良安は身分を問わず「爲歳末之嘉祝」、年の暮れの祝いとして贈り合うと書きました。字の由来としてではなく、暮らしのなかで、ブリは師走の魚だったのです。年越しに魚を食べる習わしは年取り魚の記事にまとめています。

冬に南へ下る回遊魚

ブリの基本データ

分類
アジ科(FishBase では Carangiformes / Carangidae)
分布
北西太平洋。日本と朝鮮半島東岸からハワイ諸島まで
大きさ
最大で全長150cm、重さ40kg
寿命
7歳前後
成熟
3歳で一部、4歳ですべて
産卵
冬〜初夏(1〜7月)。東シナ海の陸棚の縁を中心に、日本海側は能登半島周辺以西
稚魚
流れ藻につく「モジャコ」

分布・大きさは FishBase、ほかは水産庁の資料による

数字は、魚類データベース FishBase と、水産庁の瀬戸内海広域漁業調整委員会の資料(平成25年)で確かめました。同じ資料は成魚が産卵のために冬から春に南へ下ると書いていて、良安の東北の海から連なって泳ぎ西の対馬で終わるという記述は、この南下の回遊を江戸の目で見た記録とも読めます。

FishBase の中国語名は「五条鰤」で、いまの中国では鰤の字がブリのなかまの名前に使われています。良安は塩漬けのブリ(鰤腌)についても「冬春食之、脂多味厚」、冬と春に食べると脂が多く味が濃いが、春を過ぎると味が変わって食べられない、と書いていました。

12月のぶりは市場で1kg2,383円

東京都中央卸売市場(豊洲市場など)の令和7年(2025年)の年次統計から、ブリのなかまの1kgあたりの平均価格を拾いました(東京都中央卸売市場 市場統計情報・年次統計資料「品目別・月別平均価格」「主要品目別取扱高」)。

統計の区分

年間平均(1kg)

いちばん高い月

いちばん安い月

年間の数量

ぶり

984円

12月 2,383円

6月 473円

5,454トン

わらさ

542円

2月 945円

7月 422円

11,510トン

いなだ

475円

2月 706円

9月 370円

979トン

はまち(養殖)

2,109円

11月 2,483円

1月 1,598円

3,000トン

生の「ぶり」は6月の473円から12月の2,383円まで月ごとに5倍の開きがあり、12月は年間平均の約2.4倍です。いっぽう「はまち(養殖)」は1月の1,598円がいちばん安く、2月の1,839円を除けば2,000円から2,500円のあいだでほぼ横ばいで、年間平均では生のぶりの2倍以上の値がついていました。数量でいちばん多いのは、ひとまわり小さい「わらさ」の11,510トンで、鮮魚全体の取扱数量の第1位でした。

同じ統計の市況の説明は、1月について「シケの影響で「ぶり」、「まいわし」などの入荷量が減少」、12月について「「ぶり」の入荷が少なく」と書いていて、年間で見ても、ぶりの数量は前年の73.9%、平均価格は119.9%でした。

筆者が市場で見てきたこと

市場で見るブリには、氷見や佐渡などから来る天然の丸、鹿児島、大分、愛媛などから来る養殖の丸とフィレ、そしてハマチやイナダなど小さいサイズのもの、という三つの形があります。呼び名は関東の出世名でイナダ、ワラサ、ブリ、天然はブリ、養殖はハマチと呼びますが、養殖のブリとハマチの区別は売り場任せで、養殖のブリは「養ブリ」と呼ぶ人も多くいます。

選ぶときに見るのは、腹の太さと脂ののり、エラの色と目の澄み具合、重さ(何kg以上あるか)、そして身の色で、血合いの色や変色がないかも見ておきます。価格をいちばん左右するのは脂ののりと鮮度で、最近は晩夏から脂がのり始め、10月上旬から良いものが入ってきます。値が高くなるのは年末か1月で、冬は海が時化やすく、量が少ないと1kgあたり1万円を超えることもあります。

統計の月平均では12月の2,383円がいちばん高く、平均なので1万円を超える日の値はならされて見えませんが、1月の市況が時化による入荷の減少を、12月の市況がぶりの入荷の少なさを書いているのは、現場の感覚と重なります。脂がのり始める秋は、統計では9月802円、10月812円、11月1,493円と11月に大きく上がっていて、天然は月ごとに大きく動き養殖は一年を通して安定している、という違いも、表の「ぶり」と「はまち(養殖)」の並びにそのまま出ています。

アラで作るぶり大根

冬のブリの定番のぶり大根を、鹿児島県のサイトにある冬の郷土料理レシピは、切り身ではなくアラで作ります。ぶりのアラ500gに塩をふって10分おき、湯に入れてアクが出るまでゆでて水で洗い、水と薄切りのしょうがで煮立ててアクを取ったら、大根を入れて柔らかくなるまで煮る。しょうゆ、酒、みりんを加え、ときどき煮汁をかけながら弱火で20〜30分煮て、最後に針しょうがを飾ります。

鰤

  • 読みは「ぶり」。魚へんに師、21画
  • 中国の字書では鰤は「老魚」(年をとった魚)の字
  • 『大和本草』は「出處未詳」、梅園と蘭山は中国の鰤はブリではないと書いた
  • 『日本山海名産図会』は「魚師を二合して」大きく老いた魚の意味に当てたと説明
  • 師走を字の理由とした本は、全文検索では見つからなかった
  • 東京の市場で12月のぶりは1kg2,383円、年間平均の約2.4倍(令和7年)

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関連する漢字

中国の字書で鰤を略した形とされた魳(魚へんに市)は、日本ではカマスの字です。江戸の本が日本の字とした魚へんの字には、ほかに鰆(魚へんに春)や鱈(魚へんに雪)があり、まとめて読むなら魚へんの国字の記事へ。イナダ、ワラサ、ブリと名前が変わる話はブリの出世魚の呼び名と出世魚の一覧で読めます。ほかの字は魚へんの漢字一覧と、魚へんの漢字の由来の索引にまとめています。

この記事でわかったこと

  • 魚へんに師と書く「鰤」は、ブリと読みます。

    Unicode の Unihan Database(U+9C24)には訓の「ぶり」と音の「シ」が登録されていて、画数は21画です。

  • 中国の字書では、鰤は「老魚」、年をとった魚の字でした。

    『本草綱目』は『唐韻』を引いて「鰤、老魚也」と書いています(NDL PID:2556596 コマ100)。江戸の『日本山海名産図会』は、日本で「魚師を二合して」、大きく老いた魚の意味に当てたのだろうと説明しました(NDL PID:2575828 コマ14)。

  • 江戸時代の本草書や図会は、字の由来を「老魚」で説明していて、師走には触れていません。

    国立国会図書館の全文検索で書き方を変えて引いた範囲でも、師走を字の理由とした本は見つかりませんでした。ブリが年の暮れの贈り物だったことは『和漢三才図会』に「爲歳末之嘉祝」とあります(NDL PID:2596381 コマ35)。

  • 字そのものは中国の『康熙字典』にあり、「音師。

    老魚」と載っています(NDL PID:2562615 コマ27)。ただし中国の鰤はブリを指す字ではなく、江戸の『日本山海名産図会』は「鰤ハ日本の俗字なり」と書いています。中国の字に、日本でブリを当てた字です。

  • 東京都中央卸売市場の令和7年(2025年)の年次統計では、生の「ぶり」の年間平均が1kg984円、いちばん高い12月が2,383円でした。

    「はまち(養殖)」は年間平均2,109円で、月ごとの動きは小さくなっています。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

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